ナスのハウス栽培は定植、土壌管理、整枝、授粉、温度管理、防除などに大量の労働力が必要で、収穫がもっとも厳しい労働となり、選別、包装、出荷、箱作りなどで労働時間は早朝から夜間に及ぶことも多い。
平成四年(一九九二)の聞き取り調査によれば、三〇アールのハウスでナスを栽培すると、一般には、壮年と老年の二組の労働力が必要であり、一組の老齢の労働力の場合は一〇アールが限度とされる。一般に家族労働力によるが、例外的にパート労働力を入れる場合もあった。しかし、ハウス内の労働環境は厳しいため、パート労働は主として荷造り、出荷作業に限られるという。
農家の話では、昭和の末ごろには、一〇アール当たりの粗収益が二五〇~三〇〇万円、経費は約四〇%強といわれていた。
当時、一〇アールのハウスでは一本一〇〇円の接木苗が一二〇〇本必要で、育苗せずに苗を購入した場合は、苗代金がかさみ、そのほかに資材費が一四、五万円かかることと箱代や労賃など出荷経費が大きかった。
三~六月は富田林産のナスが大阪中央市場での価格決定力を持ち、六月には徳島、奈良、岡山、高知産のナスの入荷が多かったが、昭和五〇年(一九七五)には他県産が減少し、地元産は着実に増加していた。
ナスが軟弱蔬菜に等しい高い鮮度を求められるために、大阪大都市圏に全国あるいは外国からも集まる野菜類の中で、富田林のナスは例外的に高い地場産の占有率を維持している。戦後登場した「千両」や現在の主力品種「千両二号」は品質がきわめてよいかわりに、輸送には不向きであることが、輸送条件の発達した今日でも、南河内地方特に富田林市域の生産を助けているのである(大阪府農業会議編『大阪府農業史』)。
西板持での聞き取りの際、農民はナスに関する市場、技術その他の状況を正確に把握していたという印象がある。豊かな知識と状況を把握する感覚さらに協同についての信頼が産地形成の根幹にある。技術開発にしても、出荷の統制その他にしても優れた農家経営者が特産地の形成に寄与しているのである。