南河内地方のミカン栽培の消長

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長い歴史を持つ大阪府下の温州ミカンの栽培は、和歌山、静岡あるいは戦後特に発達した愛媛や長崎など西南日本の暖帯での生産に圧倒されて、その地位は低下した。

 第三章で述べたとおり、南河内地方のミカン栽培農家数は昭和四五年(一九七〇)以降激減した。旧東条村も例外ではなく、平成二年(一九九〇)には一一〇戸、四一・六ヘクタール、最盛期の四〇%まで縮小したのである。

 このようなミカン栽培の縮小は、ミカン類の供給過剰から昭和四七年に価格が暴落したことがきっかけである。ここにいたるまでのミカン園の急速な拡大は、旧東条村や赤阪村のような伝統的なミカン産地で、栽培農家数の伸びよりもはるかに大きい割合でミカン園面積が増大したという側面と、旧富田林町や中村のようなそれまで比較的少なかった地域でミカン栽培農家が急増し、ミカン園面積もある程度加わった側面、いわば、ミカン栽培地域の核心地域の充実と外延的な拡大の二つの側面がある。