樹木畑が拡大している昭和五七年(一九八二)現地調査の図で、樹木畑が立地している地形は、美原町域の比較的高い丘陵西端の尾根状の段丘面、その下に広がる扇状地性の丘陵末端部、富田林市域の五軒家から南東に丘陵を刻む谷の三つに分類できる。昭和三一年資料修正の古市図幅では、段丘面では、一様に果樹園の記号が見られる。扇状地性の丘陵末端部と侵食谷(しんしょくこく)はいずれも水田となっている。
したがって、果樹園から樹木畑へ、水田から樹木畑へという土地利用の転換があったことになる。昭和四五年までに美原町菅生と菅生新田を中心に、果樹園と一部水田が樹木畑に転換されており、高度成長期に、都市化の拡大とともに、樹木畑が先駆的に美原町に入ったことがわかる。五軒家から延びる谷では、昭和四七年にはまだすべて水田であったものが昭和五三年には樹木畑となっている。したがって、美原町での樹木畑の拡大を受けて、富田林市域における谷地田から樹木畑への転換が、昭和四五年以後に進んだと考えられる。同時に五軒家集落の周辺の水田も樹木畑に変わったのである。
一方で、各年代の地形図には、住宅地と木材工業団地の進出の模様が如実に示され、この地域での都市化の進展とそれに追随した樹木畑の立地、拡大、衰退の過程が推定される。