立地

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製造業者の全国的な分布は、昭和三九年(一九六四)末で、全国で三七のうち、大阪府に二五と過半が立地し、内訳は富田林市に一二、羽曳野市に三、藤井寺市に二、堺市に三、大阪市に五と推定されている。大阪府以外では、新潟県、奈良県、愛媛県、兵庫県そのほかに、二~三程度散在していた。同じく四四年の推計では、全国で二九、大阪府に一九とされ、そのうち、富田林市には七件立地していたとされ、実数、比率ともに縮小している。

 昭和二三年にグラスボール製造業者の組合が結成された時には、富田林地区で一七人、大阪地区で七人、堺地区で四人、尼崎地区で四人、奈良地区で二人その他で合計四四人の参加があったといい、全国的に見ても、富田林が最大の集積を示していた。

 昭和二六年当時の富田林市内の主要メーカーの所在と従業者数(合計人数)は、

  喜志地区 宮 一社=一二、大深 二社=二五、桜井 二社=三七、川面(かわづら) 二社=四七

  新堂地区 中野 一社=一七

  富田林地区 毛人谷(えびたに) 一社=七七、富田林 二社=一七

  大伴地区 東板持 一社=一四

  彼方地区 西板持 一社=一三

  川西地区 南甲田 一社=八

であり喜志地区に多く集中していたが、毛人谷の一工場は従業員数七七人と最大規模を有していた(『富田林市誌』)。