付図5 中心市街地における商店などの分布(昭和47年ごろ)
(地理編第二章第四節二 681~683頁参照)
付図5は、『精密住宅地図(富田林市) 1972年版』(吉田地図)から商店などの記載をひろい、少しそれより古いが、昭和41年(1966)都市計画図の白地図をベースマップにして記人したものである。近鉄長野線富田林駅の東部、東南の金剛大橋に延びる楠公通より北東の辺りでは集合住宅などの記号が地図の水田上に示され、若松団地がこの間の時期に水田の中に建設されていることがわかる。駅の裏側ではロータリーや大手スーパーはまだ建設前で、資材置き場であったり農地が広がっていたこともわかる。
それに対して、駅前に当たる駅の南側、当時の国道とその南部、東の楠公通にかけて多くの店舗が見られる。郵便局や銀行、大型小売店をはじめ、高度成長期を反映した電器店や家具店(図の凡例では物販小売店)なども多い。旧寺内町の富田林町の北部から本町にかけて(図の中央部)も、北の駅に向かう本町通や中央通の南北道路を中心に、食料品やサービス業、その他の物販小売店が多く見られる。
一方、旧寺内町内部では、東方にも通じる堺筋に、物販小売店がもっとも多く並んでいる。この通りは寺内町の中核となる興正寺別院や妙慶寺の北側に位置し、東西方向のメインストリートであった。南北道路では中央の城之門筋にあまり店舗が見られず、東の三和通で、東高野街道が寺内町に入る一里山口の高札場のあった辺りや、上述の堺筋の近くに店舗は多く立地する。三和通と堺筋との交差点北西には銀行が立地していた。またその東側では2街区にまたがって酒造業者も見られる。このように北の一里山口から三和通を南へ通り、堺筋で西口へ抜ける寺内町以来の中心となる街路には、この時点でも多くの店舗の立地を見ることができた。
また寺内町の西側(地図の左端)にも、近代以降に中心地としての富田林に立地し、周辺地域から人々や物・情報などを集めてきた諸施設が見られる。図の左下の富田林高校からその北の簡易裁判所や税務署、その右側にベースマップでは市水道課浄水場とあるが、そこには住宅地図の時点では法務局の出張所が入っている。さらに北には青果などの卸売市場や電報電話局があり、映画館も見られた。