富田林市/文化財デジタルアーカイブ

出土資料

遺跡から出土した資料は、文字に残っていない郷土の文化・歴史の一端を物語るものです。開発によって多くの遺跡が失われましたが、発掘調査によって遺構の記録が残され、出土した遺物は埋蔵文化財センターに保管されています。その成果の一部をご紹介します。

廿山南古墳出土遺物

廿山南古墳は、6世紀前半(古墳時代後期)に造られた直径約22mの円墳です。市域を縦断する石川の西岸には羽曳野丘陵があり、平地を見下ろす高所にさまざまな古墳が造られていたことが分かっています。この古墳は、平成13年(2001)に福祉施設の建設に伴う試掘調査で、初めて発見されました。

同年に実施された発掘調査では、鉄製の大刀や短甲、様々な材質の玉類などが出土しました。廿山南古墳は、古墳の規模だけを見ると決して大きいとはいえませんが、得られた調査成果には、当時の葬送儀礼や対外交流を知るうえで、多くの情報量が含まれています。羽曳野丘陵上でこの時期に造られた古墳として、多くの調査成果が得られた唯一といってよい存在です。

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西大寺山古墳群出土遺物

西大寺山古墳群は、山中田町南東の丘陵上一帯に位置します。平成7年(1995)・平成8年(1996)に宅地造成に伴う発掘調査が行われました。なかでも山中田1号墳からは、600点を超える玉類、石釧、三角板革綴短甲、剣などの鉄製品が見つかったことで知られています。古墳時代前期から中期にかけての過渡期的な副葬品をもつ古墳として位置づけられています。

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富田林市内遺跡

富田林市内には旧石器時代から江戸時代にいたるまで、160か所を超える遺跡が見つかっています。

弥生時代中期になると人びとの活動が活発になり、集落が形作られます。古墳時代には羽曳野丘陵や彼方・東板持の丘陵に古墳が築かれます。古代に入ると南河内最古級の寺院である新堂廃寺が創建され、官衙(古代の役所)跡と考えられる畑ヶ田遺跡の集落が形成されるなど、石川郡・錦部郡の中心地であったと考えられます。中世には楠氏や畠山氏に関連する城郭が築かれます。

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