現地ロケ編全文テキスト

■坂と古道のあるまち


【中村さん】いやあ 昨日暑かったですよ。家に帰ってシャワー浴びて体重測ったら体重2キロ減ってたよ。
 
【中嶋さん】ええ、そんなにですか。すげえ。
 
【中村さん】ズボンがね、ものすごい重いの。
 
(覗き坂にて)
【中村さん】ここが「覗き坂」ですけど、東京で最も急な坂って言われてます。「千登世橋」をね、迂回するバイパスになってる訳ですから、急な坂の割にはね、交通量が多いんです。雪が降ると、ちょうどそこの塀のところで交通止めになって、「ここから上は通っちゃダメよ」と。交通止めになるもんだから、ソリを引っ張り出したり、子ども達が小さなスキーで滑ったりしてます。この辺りが一番急なんじゃないでしょうかね。書物によると、15.5度という急な角度だそうですね。この高田の街でも、こうやって広々と見える場所がだいぶ減りました。もう10年前くらいまではあのビルがなかったので、ここは結構、新宿までよく見えました。
 
(目白通り沿いにて)
【中嶋さん】「千登世橋」はこっち?向こう行くの?
 
【中村さん】「宿坂」を下ります
 
【辻さん】なるほど。
 
【中嶋さん】でもなんか…「千登世橋」を上から見て、それから下りて行ってぐるっと回った方が楽じゃない?
 
【中村さん】下から通りたいの。登りたいの。
 
(宿坂の上にて)
【中村さん】この坂は宿坂でしてね、この辺の坂の中では一番緩やかな坂です。ということで、鎌倉時代から人とか荷馬車、馬車、荷車が一番ゆったり登れるってことで、一番先に拓けたところ。他の坂上るよりは楽ですから、だからだいたい周りの人はこの坂登って目白の通りに出る。
 
【中村さん】これですね、これ、昔の札ね。隣りには半鐘があります。そして「宿坂下」「岩戸」「小川」「砂利場」と。この地域は昔砂利場と呼ばれていましてね、私の父とか祖父、一世代前の方々はですね 自分のところを「高田」って言わないで、「砂利場の中村」っていうくらいですね。どうやら「砂利場」っていうのは、ちょうどこれより南側、神田川に向けて、当時ここに砂利がたくさんあったという由来で、砂利場という名前がついたと思われます。この半鐘はですね、火事があるとカンカンカンってこう叩くようなね。火消しの道具がここにあるんですよね。ほら「とび口」。
 
【中嶋さん】これだいぶ古いですね。丸じゃなくて八角形。普通身近にあるの結構丸いけど、昔だから鉋で削って。昔だと建物壊して延焼防止したっていう火消しの方法ですよね。ちゃんと木槌がある、叩くようにね。
 
【中村さん】こんな感じでね、火事があると叩く。
 
(金乗院周辺にて)
【中村さん】この空き地は大昔は綿工場だった。ちょうどこの道から、そこの境からこっちが工場地帯だった。昔の工場地帯。あちらはどちらかというとお屋敷が多かったんですけど、坂の途中は。坂を下りてこっちは、高田っていうのは工場の街で、ちょうどこの辺りからこっちは圧倒的に工場が多かった。
 

■面影橋


【中村さん】ここはね、今渡ってきたのが「面影橋」です。「面影橋」は江戸時代ではなかなか有名な橋でして、この神田川は昭和50年代に、この辺りが洪水が多いもんですから改修されました。今はこのような改修された橋になりまして。(面影橋の上から神田川を見ながら)これが、この風景がですね、桜の花が咲いたらどんな景色になるのかと。川に覆いかぶさるように桜の木がきまして、それで一斉に花が開く。今ではだいたい3月の下旬から4月の上旬にかけて、ソメイヨシノが一斉に花開くわけで、花見客が大変大勢来られます。改修前は護岸に段がありましてね、ちょうどここに水が溜まってますね。ここいらは水流が遅いもんだから、砂利がいっぱい溜まって中洲みたいになってたんですよ。昭和40年の終わりの頃ですかね、うちのワンちゃんが、花火の頃に家の垣根から見えまして、そしたら電話がかかってきましてね。「おたくの犬だと思うけれど、面影橋の下にいるよ」って言うんです。私この橋から梯子を伝って下りて、泥だらけになりましたけど、おかげでワンちゃん救出できたというような思い出があります。
 

■神田川


【中嶋さん】(都電を見ながら)ここは車両何種類もあります。ちょうど来ましたけど、あれも色が違うし形も違うし、全体の信号に合わせて電車もお行儀良く信号を守って。
 
(高戸橋の上から高田馬場分水路を指差して)
【中嶋さん】ここからがちょうど良いと思うんですよ。これが神田川で、これが落合処理場からきた処理水。それがここで今一緒になって、この下を神田川として流れて行くということですね。「目白通り」ができた時に、落合処理場からここまで道路の下に処理用の水路を作ったと。それでここで合流させたということですね。昔は大雨が降るとすぐに水が出たんですけど、大雨降ると道路が川のように流れていって、止まったと思ったら水がふっと上がってくる。その拍子によって床下で収まるか、上までくるか。床上が1回すごいのがありまして、その時は水が出そうなんで、掘りごたつの櫓の上に畳を積み重ねたんです。そしたら水がいっぱい出ちゃって、畳が家の中で浮かんでたというのが一番でしたね。
 
(高田3丁目にて)
【中嶋さん】暑いなぁ。(すれ違った宅配便の配達員に向けて)頑張ってよ。(道路わきの壁に埋め込まれた丸い穴を指しながら)この穴は昔はこういう半円の穴でした。ところが水が出て入ったんで、全面に蓋しました。例えば…、とりあえずここがいいか。これちょっと見てください。これも防水扉です。最初はここで良かったんですけど、水がこれを越えて地下へ入ったんで、ここまで嵩上げするようになりました。これはスライドして…ここの防水扉だったんです。うっすら跡がありますけど、昔はここまでだったんです。これで水が入って、地下が全面水浸しになったんで、tここまで嵩上げしました。そういう過去があります。その時は消防自動車が来て、ホースで2台くらいで2~3日かかって水を抜いてました。
じゃあこっち行きましょうか。
 

■千登世橋


【中村さん】ちょうど緑に見えるところは鉄骨で、鉄骨がアーチ状になって上の道路を支えてますね。当時いろんな形の橋が採用されてますけど、ここも珍しい形の橋です。「千登世橋」は昭和7年に橋の長さ28メーター、遊歩幅員18.2メーターの一径間鋼ヒンジアーチ橋で架設されました。この橋は「明治通り」と「目白通り」との立体交差橋で、都内でも土木的価値の高い橋として東京都の著名橋に指定されています。こちらが「千登世小橋」、こっちが「千登世橋」。今は「千登世橋」の話をしましたけど、「千登世小橋」っていうのは先ほど見た都電、王子電車の時に架けられた橋で、こちらの「千登世橋」より先にこちらの小橋できております。王子電車ができて、その後で「明治通り」が開通された。今度この都電の下からですね、こちらの千登世橋の方へバイパス工事がもう始まっています。ということで先ほど映した橋の遠景はですね、今回が見納めになるんじゃないかなと思います。
 

■区民ひろば高南


【辻さん】3年前にこの建物を建て替えて、立派なものになりました。その時にこの庭も出来て 最初はただの荒れ地だったんですけども、今さっき芝刈りしてくれた方々が上手に芝を育ててくれて、素人がやったものとは思えないくらいの出来上がりになったと思います。
一番大きい活動が「ひろばまつり」ですね。これが7年前から小学校の校庭でやってるんですけども、唯一誇れるのが(来場者が)だいたい1000人集まる。あとは活動は先ほど言いました「いきいき部会」という高齢者の活動と。「いきいき部会」のほうは年配者の方がここにいらっしゃって、楽しめる行事を中村さん他がおやりになってる。今年特にその中で新しいのは、初めての試みなんですが、例の留学生ですね。そして留学生の方も実家に帰ったように楽しかったと言ってくれたし、お年寄りは若い子たちと交流できて本当に楽しい、そういう風に言ってくださいました。
 
 
【中村さん】この地域は先ほどお話ししたように、工場の跡に高層マンションができて、結構小学生含めて、徐々に若い世代の人が増えている地域でして、昔の隣近所の付き合いってわけにはいかないから、なるだけ若い人、年代の上の人の交流を深めて、地域間の交流とか世代間の交流を深めてですね、これからのこの街のより良い安全なまちづくりを、ひろばも責任というか一端を担っていこうというような考えで、今年はやろうと思っています。