現地ロケ編全文テキスト

■池袋大橋


【永島さん】池袋の西から東へ車で移動するのに、この道(びっくりガードに続く道)が唯一の道だったの。あと、今から行く池袋大橋。その先に川越街道があってさ、それが唯一の車の道。その手前に踏切の道と、この3つしかなかったの。向こうに行くのに。ここだってほら中華料理屋さん。
【野田さん】なんでしたっけ。
【永島さん】なんでしたって聞かれても忘れちゃったけどさ。
【野田さん】もっと高級な住宅地に引っ越したって噂が・・・
【永島さん】世田谷あたりに引っ越したんじゃない。
【野田さん】でも、池袋も芸術劇場ができたから、ちょっとイメージアップしたんじゃないですか。
【永島さん】おっかない街ってイメージがあったみたい。
【野田さん】怖いイメージ。
 
(西口五差路交差点にて)
【永島さん】ここが闇市だったでしょ。
【野田さん】そうです、そうです。二又交番のところからずっとね。
【永島さん】なんでも売ってるよ。食い物…すいとんとかさ。あと焼き鳥みたいなやつで、焼酎でやって。焼酎もインチキだからわからないんだよ。飲んで目つぶれるかもわからない。
【野田さん】周りの人は皆さん「怖い」っておっしゃってたけど、住んでたら全然怖くないですよ。
【永島さん】こっち(劇場通り)をまっすぐ行っていきましょう。
 
(劇場通りとトキワ通りの交差点で)
【永島さん】ここがポイントなんですよ。そこのコーヒー屋さんのところが昔の金物屋さんで、今、電信柱が立っているでしょう。あのくらいの道しかなかったんだよ。で、あとずーっと商店街だったの。ここもずっと商店街だったから、それを一気に壊したわけだから。
 
(「ささ」があった路地の入り口で)
【野田さん】ここ入れないようになっちゃったの?
【永島さん】あの奥のところに、例の飲み屋(「ささ」)があったわけ。ちょうどビルの裏にあって、夜な夜な文化人が通ったんですよ。だから、わざわざ北口で降りていろんなところで…。こんな真っ暗な狭いところに、よくいろんな有名人がきたよ。それでいつも満員だった。
【ディレクター】(永島さんも行かれたんですか?)
【永島さん】そうそう、そうよ。常連さんよ。
 
 
【永島さん】(キウレイコンビルを指差して)あの上のマークが「糾励根」のマーク。
【永島さん】(ビルの入り口を指差して)「キュウレイコンビル」、いいね。当時はそんなに大きくなかったんだよ。お医者さんみたいな感じだったの。
【野田さん】「糾励根」は漢方薬の貼り薬。私は使ってます、昔から「糾励根」。
 
(池袋大橋西の信号付近にて)
【永島さん】ちょうどここが踏切だから。
【野田さん】そうね。踏切の跡、わかりますかね?
【永島さん】(フェンス越しに東口方面を指差して)向こうに隙間あるでしょ。あれが道なの。あれとここがくっついてたの。あそこに隙間があるでしょ。あれとこれが向こうに行けるように。道が混んじゃっているから、これ(池袋大橋)を作ったわけ。手前は東上線、山手線と、あと貨物もあったし。そうするとだんだん本数が多くなってきて、開かなくなったの。
 
【野田さん】この大橋は(階段を)上がるんですかね?
【永島さん】そうそう、大丈夫?(キャリーを)持ってやるよ。
【野田さん】それ折りたためるんですよ。
【永島さん】え?
【野田さん】2つに折りたためるの。
【永島さん】どうやるの?
【野田さん】これをこう・・・ね?そうするとラクチンでしょう?
 
(池袋大橋の上で)
【永島さん】ちょうど、さっき言ったあそこの道があるでしょ。あれがつながってたの。雑司ヶ谷道」(雑司ヶ谷隧道)って言って、江戸時代からつながっている道だから。あの埼京線ができてから随分変わったよね。
【野田さん】埼京線ができてあれですよね、やっぱりこの橋がないとね。
 

■区画整理と道路整備


 
(サクマ式ドロップスの前で)
【永島さん】サクマ式ドロップ。
【野田さん】有名ですね。
【永島さん】今海外から来る人のお土産ですごい人気なんだって。
【野田さん】そうなんですか?
【永島さん】外国人にすごく人気があるんだって。
【野田さん】昔工場でしたね。ここを通ると工場の甘い良い匂いがしていて。
【永島さん】工場で作ってたんだよ・
【野田さん】そう、作っていたんですね。
【永島さん】隣りがいづみ幼稚園だから。
【野田さん】良い匂いがしてたんですよ。甘い匂いが。
 
(劇場通りの街路樹を指差しながら)
【永島さん】この木は30年経ってるから。
【野田さん】良い街路樹になりました。
【永島さん】この木が30年経ってこんなに大きくなったけど。
【野田さん】でもここから先はね、反対運動があったので街路樹がないんです。向こう側の人たちは街路樹があるといろいろものが隠れるということで、区画整理の当時は反対されていました。
【永島さん】さっき行ったサクマ式ドロップ(サクマ式ドロップス)の本社の横に幼稚園があったんです。でここに、池五小学校の体育館のところに移ったわけ。
 
(池袋いづみ幼稚園にて)
【永島さん】すみません、お世話になります。
【丸山さん】初めまして。ようこそおいでくださいました。現在の主の丸山です。
【永島さん】第3回生です。
 
(園庭にて)
【永島さん】ちょうど夏だから、ざくろが。
【丸山さん】お部屋なんですが、5歳、4歳、あっちが3歳ですね。今は70人でおかげさまでちょっと手狭で。ご覧の通り昼間は陽が差しまして。昔の幼稚園はどうでしたか?陽が差してましたか?
【永島さん】差してましたけど、狭かったな。
【野田さん】狭かったです。(幼稚園に)行かない人もいましたものね。
【永島さん】そうそう、いっぱいいたよ。
【丸山さん】古い幼稚園だと思いますからね。
【永島さん】だって僕らもう72歳だよ。古いよ…72歳だよ。
 
(池袋いづみ幼稚園の教会にて)
【永島さん】あのオルガンは芸術劇場にあるオルガンと同じ人が作ったんだよ。ピアノと違うんですもんね。ペダルはかなり大変みたいよ(丸山さんが鍵盤を鳴らすのを聴きながら)、ほら。
【丸山さん】弾ける人がいたらよかったんですけど。
【永島さん】バッハとかヘンデルとかさ。
 
【永島さん】(昔の池袋いづみ幼稚園が描かれた絵を見ながら)サクマドロップ(サクマ式ドロップス)の隣りにあったの。サクマドロップがこの辺にあるんじゃない?ここから入っていって、ここが遊び場で。こっちが悪いんだよ…飲み屋があって。
【丸山さん】昔からそうなんですか?
【永島さん】そう。そこに聖職があるところが良かったんですよ
【丸山さん】なるほど。
【野田さん】通ってたのね。(永島さんとは)幼稚園から一緒。
【永島さん】幼稚園から一緒。
【野田さん】私は知っていますよ。印象的だから。
【永島さん】そんな云々とかではないけど、ずっと知ってるよ、自然のままだよ。中学も一緒だもん。
【野田さん】変わってないですよね。
【永島さん】知らない。
【野田さん】自分じゃ分からない?
【永島さん】本人は分からないよ。
 
 

■旧池袋三業地


【永島さん】昔は木造のアパート。
【野田さん】この辺からそろそろ三業に入りますもんね。もうちょっと向こうから。
【永島さん】これが昔は三業会館だった。
【野田さん】三業会館ね。
【永島さん】これが池袋の三業組合の会館ね。見番がここにあったんだ。
【野田さん】見番がありましたからね。ここがその跡ですかね。
【永島さん】ほら黒塀、黒塀。全部こういうところは黒塀だったんだよ。
【野田さん】「粋な黒塀 見越しの松」。だいたい三業は垣根を黒塀にしたの。三業って分かります?「踊る人」「歌う人」「弾く人」。
 
【永島さん】そこのお店はもうなくなったんだけど、一部この壁だけ残ってる。
【野田さん】この壁がね、こういうのがちょっと名残。
【永島さん】本当にみんな黒いのはないけど、ちょっと昔の香り・・・
 
(池袋御嶽神社にて)
【永島さん】どうも、ご苦労様です。
【外山さん】(三輪さんを指して)もうこちら花街育ちですので、私はその隣りで育ったというか・・・
【三輪さん】花街はどういう街か?テレビか映画なんかで見ている、表面上はそういう世界です。
【永島さん】危ないこと言わないでよ。
【三輪さん】花街の一番の元が祇園さんです。
【外山さん】私が子どものころ、親からお祭りとお正月はこっちにきても良いけど、それ以外は三業通りを越えてこっちは子どもの行くところじゃないから行っちゃ駄目だって言われていて、ちょうどここを行った角のところに見番があったので、よく子どものころ芸者さんが踊りの練習をしているのを背伸びをして見てた。夏の暑い時には見番の中に氷柱があったの。
【三輪さん】中に花が入っててね。芸者さんがお稽古するので冷やしてね。
【外山さん】たまに入れてくれるの。
【三輪さん】触らせてくれるの。
【外山さん】「入りなさい」って言って。
【三輪さん】でもそんなくらいだったよね。
【永島さん】「そういう花街が池袋にありましたよ」って。
【三輪さん・外山さん】そうなんですよね。
【永島さん】平成元年の前にほとんど終わってる。クラブと違ってすっと入れないでしょ。
 

■みらい館大明


(みたけ通りを渡りながら)
【野田さん】きれいな道。
【永島さん】これが最も新しい道だから。
【野田さん】そうね。
【永島さん】これがみたけ通り。書いてあるでしょ、あそこに。
【野田さん】まだできたて。できたてのみたけ通り。まだここは車が通らないから良いですね
【永島さん】何もないところから随分変わったな。
【野田さん】変わりました。細い道しかなかったですものね。ちょっと来ないと道を忘れてしまうほど細い道ばかりでした。
 
(みらい館大明のある通りにて)
【永島さん】ここは毎日通ったんだよ。道和中学校に行くのに…毎日。道をあれから(キャリーを)押していこうか?
【野田さん】(みらい館大明の入り口で)入れるんですか。
【永島さん】そうだよ、ここだもの。
【野田さん】あら?外国の人が出てきてるわよ。入っていいの?許可取ってあるのかしら?
 
 
(みらい館大明の一室で)
【永島さん】「みらい館」の現状みたいなものを教えていただければと・・・
【杉本さん】豊島区が平成9年に統廃合が決まりましたよね?その時に施設利用委員長として、ここが地域の人たちの活動の場になれないかということで、平成15年に区に陳情して、そして今はここを地域に人たちと一緒に運営しております。
もともと青年館にあったように、自主グループの人たちにお貸ししたり、それ以外は「みらい館大明」としての講座とか、それはみんな無償で「誰でもどうぞ」ということで活動しています。そのほかに豊島区さんと共同事業で「ブックカフェ」。
「つどう」「つながる」「やってみよう」ということで、若い人が「こういうことやりたいな」って言ったら、できるだけそれを支援してやってあげるという。
 
(みらい館大明の図書室で)
【杉本さん】みなさんから本を寄付していただいて、寄付していただいたものを若者が講座で「本が落ちてこないように」「本箱が倒れないように」という講座をやって作ったものなので、本箱を縦に使っているとは限らず、横だったりいろんな形に変わっていますね。
【永島さん】おっ?これは良い本ですよ。これは僕の写真が載ってるから、「これは良いですよ・・・」なんて、手前で言ってるの。
【杉本さん】豊島区の区政のやつですね。
【永島さん】これはいいですよって。(昔の写真を指差して)ほら。
【杉本さん】昔の豊島区が載っています。
【永島さん】な?
【野田さん】ありましたね。
【永島さん】2005年か・・・もう13年前ね、早いな。
【杉本さん】早いですね。
【永島さん】そういう話です。
【野田さん】すごく変わりましたからね。
 
(写真撮影の時に)
【永島さん】こう?
【カメラマン】もう少し前に・・・
【野田さん】こっち?
【永島さん】俺のカメラ貸そうか?