現地ロケ編全文テキスト

■テーラー加藤


【世羅さん】カメラさんが上手に撮ってくれるよ。今日なんか加藤さんといい感じじゃない?ファッションが…打ち合わせもなしに、グレイで。
【加藤さん】そりゃそうだよ。ほかに着るのがないのよ。きつくて。
 
【加藤さん】お客さんが入ってても入ってくるから。商店でほら、こうやって落ち着いてしゃべれるとこ、わりと少ないですからね。ほらこういう商売だから、あんまりお客さん来ないし。
【世羅さん】うんって返事しちゃいけないね。
【加藤さん】(テーラー加藤が)ここへ来てからは72年…これはね、41年前にこの店に変えたんだけど、もうこっちが要望を言ってね。店全体をウィンドウになるようにとか、いろんな要望言って。
【世羅さん】夜通ると、もうウィンドウがきれいで。電気がついて、本当に何かこう大塚じゃない…あの六本木とか赤坂とか、あの辺の街を歩いているような、ここだけね、雰囲気でしたね。
 
(プラタナス通りを指して)
【加藤さん】ここね、昭和20年代は馬車走ってたんですよ。大塚駅のマル通まで。変わんないんだけど変わってますね。特に平成になってからマンションがもうめっちゃくちゃ多くなって、商店がどんどん少なくなって…だから巻き込んでます。商売やってない人もみんな商店街に。
【世羅さん】でも、さびしい商店街になっちゃったんだね。
【加藤さん】さびしい商店街。だからそれはそれの生き方をね、考えないと…と思ってるんだけど。
 

■若草保育園


【世羅さん】(テーラー加藤のドアから出ながら)いってきます。
【加藤さん】僕も幼少の頃はここをとおって通ったんだよ、保育園。僕はね、そこ卒園したから。
【世羅さん】そう、私は子どもが3人、そこを出てますので、何年間か毎日通いましたね。
 
(若草保育園に向かう急坂にて)
【世羅さん】ここは結構地獄ですよ。
【加藤さん】ここは変わんないのよ。これ昔ね、子どもの頃こういうところにね、カナブンの巣があったんだよ、みんな穴開いてるところにね。で、ここがスキーやったところ。雪が降ると。
【世羅さん】雪が降ったら登れないですよ、ここは怖くて。
【加藤さん】もう息が切れてきたよ。
【世羅さん】でも、これ自転車に子どもを乗せて上がってたんです。あの下からずっと。
 
(若草保育園の前で)
【世羅さん】ここが若草保育園ですね。
【加藤さん】先生、ここ鉄筋にしたのは何年前ですか。
【武居さん】昭和の47年で48年から。
【加藤さん】47年…1972年。僕が来た頃は木造の…
【武居さん】そうです。バラック屋根の家をいったん壊して…
【加藤さん】平屋だったよね。
【武居さん】平屋です。
【加藤さん】最初2年間保育ぐらいですよね。
【武居さん】そうかもしれない。
【加藤さん】2年保育でただ3時過ぎまで預かって、お昼寝しておやつ食べて帰るんだよ。僕はお昼寝始まると、ずらかっちゃった。
【世羅さん】お父様のことを「館長先生」、お母さんのことは「園長先生」…愛子先生と館長先生。
【武居さん】法人にした時にですね、2人とも園長というわけにいかないので、ひとりは館長で、ひとりは園長という感じで。母親のですね、武居愛子の実母がその丸山ちよ先生のやってらした託児所ですかね、そちらの方のお手伝いに行ってたんです。託児所的なところに愛子が小さい時からそこに行って、まあいろんな先生方と知り合いになったり、丸山先生の教えを受けたんじゃないかと思うんですけれども。
【世羅さん】まあね、長い長いね、いろいろな歴史があります。
 
(若草保育園をあとにしながら)
【加藤さん】ありがとうございます。
【武居さん】これからも頑張ってやっていきます。
【世羅さん】よろしくお願いいたします。
 

■あすなろ公園


(あすなろ公園[南大塚一丁目児童遊園]にて)
【加藤さん】おはようございます。すいません、遠藤さん出てきたから雨降ってきちゃったよ。ここであれですよね。遠藤さん、お花をやっていただいてるんですよね。
【遠藤さん】ここ、あすなろガーデンクラブといいまして、区の方からここを借りて管理してます。その会長がこの秋山弥寿雄と申します。会長です。
【秋山さん】よろしくお願いします。
【遠藤さん】こちらが宮沢さん。一緒に…今30人から40人ぐらいでお花の手入れしながら…
【世羅さん】それをやったあと何かあるのが楽しいんじゃない?
【遠藤さん】春と夏と秋に例会やりまして、その後にそこの路地のところで、会費制600円という会費をいただきまして、バーベキューを…
 
(丸山ちよ記念碑の前にて)
【遠藤さん】この方は山形県の米沢というところの出身で、軍人さんの娘さんだった。三人姉妹でふたりが耳が聞こえない。その真ん中のかたが丸山ちよさん。日本女子大学校ですね…「西窓学園」というのがありますでしょ。丸山ちよさんがやった…文京区のほうで。だいたいこの辺に近いだろう…そこにこの記念碑を地元の熱意をもって、ここに作ったという。
【加藤さん】なるほどね。
【秋山さん】狭い場所なんですけど、花を飾って、街の人たちがそれぞれ楽しんでいただければなということをみんなで、清掃を兼ねてやってます。これからもね、こういう緑、花がいっぱいな街を作っていきたいなというのはありますね。
 

■大塚三業地


(巣鴨小の壁画を見ながら)
【世羅さん】薄くなったねぇ。いやね、53年…・58…9年…?ちょうどうちの子の卒業時なのよ。みんながいっぱい描いたから僕あんまり描けなかったって言ってましたよ。もっともっと鮮やかできれいだったんですけどね。だいぶ薄くなりましたね。
【加藤さん】(巣鴨小創立70周年の屋上看板を見ながら)だからこれと一緒いっしょなんですよ、僕の年。
【世羅さん】あ、そうなのね。
【加藤さん】そうなのよ。石炭ストーブだったから、ほら、わざと煙だしてその日休校にさせたりさ。ボンボン煙だして。
【世羅さん】いやうちの子どもがいる頃はそういう悪い子はいなかったですね。
 
(大塚三業通りを歩きながら)
【加藤さん】ここが大昔ね、「助川」っていう料亭さんで、隣りが「おえん」さんっていう料亭で。その料亭に花を納めてた小学校の同級生で、太田さんというのが待っててくれます。暇だから。
 
(現地ゲストの太田さんに向かって)
【加藤さん】ご苦労様です。
【太田さん】緊張しちゃうじゃないかよ。
【加藤さん】あのね、勉強は僕ができたの、運動神経はこっちのが良かった。
【太田さん】女の子にも人気ありました。
【加藤さん】そう、女の子にも人気あった。年とってからは僕のほうが人気あります。
 
【太田さん】大正時代はね、(大塚三業地は)天祖神社の…あの辺にあったらしいんですよ。
【加藤さん】ああ、そうだって。大塚…それ何軒かなんだって。
【太田さん】それがあのなんか、府の…政府のなんだかでこちらに。こちらは全部料亭さん。ほとんどこちら料亭さんだったんですよ。
 
(大塚三業通りのマンションを指して)
【太田さん】そこのマンションが見番…まぁ今でいうプロダクション、舞台がありまして、そこで踊りを習う先生がみえて、そして太鼓とか三味線とかを芸者さんが練習をしてました。本当にあの一般の人たちにも1年に1回や2回観ていただいたりしたんですよね。それが今、マンションです。
 
(昔料亭だったお店を指して)
【加藤さん】ああ、浅元がある。あれが古い昔の雰囲気。
【太田さん】今マンションがいっぱい建ってますけど、そこが全部…
【加藤さん】みんな料亭だよね。
【世羅さん】料亭さんでしたね。
【太田さん】芸者さんとか置屋さんとか、ほとんどこっち側。ここ仲町会(南大塚仲町会)っていうんですけど、仲町会全体がそういう雰囲気でした。昭和30年から40年にかけては、芸者さんが300人前後いたっていいますよね。
【世羅さん】そうですね。
【太田さん】それから徐々に、バブルがはじけてって徐々に徐々に…
【加藤さん】昭和初期は600人くらいいたんでしょ。そりゃいたよな、ハイヤー並んでたもんな。
【太田さん】ハイヤー並んでました。
【加藤さん】11時45分になるとカチーンカチーンって、こう…時間を知らせるのあるなぁ。やってたよな。
【太田さん】昔は「流し」の人とか…
【加藤さん】あぁ、「流し」いた。
【太田さん】三味線の音がこういうところから聞こえました。
 
(ビール専門店の前で)
【加藤さん】ここ今ビール作ってる、大塚ビール。(お店の人に向かって)あ、ちょっと出ておいで。ビールの宣伝。(太田さんを指して)この人来たら開けない方がいい。
 

■大塚駅


【世羅さん】新しいです。まだ…何年?3年くらい?
【加藤さん】これ新しいよ。2年…か3年だよね。
【世羅さん】そうです。ここはあの自転車がいっぱいで、もう本当に豊島区でもいちばん汚い駅前だったんですけど。この駅いっぱいもう店があったりして、本当に汚かったですけど、やぁまぁ懐かしいかなぁ…
【加藤さん】そのパチンコ屋さんだって映画館だったし、昔は。
【世羅さん】まあここから天祖神社が、まあとりあえずは始まるってことですからね。
【加藤さん】そうそう。いちおうサンモールのね、鳥居を作ってるからね。
 

■南大塚バラ園


【加藤さん】これ、なんか賞獲ったんだよね?バラね、全国のなんかでね。
【世羅さん】ちょっとやっぱりこれ、お手入れ大変だねぇ。
【加藤さん】みんなやるのよ。都電沿線協議会の人が…
【林さん】じゃあバラの話をしていいですか?
【加藤さん】バラの話を少し。こちらよくわからないから。
【林さん】大塚から向原まで 700種類1100本の株があるんです。昔は大塚の駅前がものすごくめちゃくちゃに汚い時がありまして。とりあえず駅は大塚の顔ですから、そこを直そうという…それをやったのがきっかけで、じゃあ今度は沿線をきれいにしようというので、あのバラを植えるということで…
【加藤さん】何人ぐらいでやってるんですか?これ。
【林さん】だいたい40~50人。みんなで街をきれいにしないと、行政に任せてというんじゃなくて、自分たちが一生懸命にやって、できないところを行政のかたにお手伝いいただくというのが…
【加藤さん】そうです。
【林さん】大事だと思いますよね。
 

■天祖神社


【加藤さん】俺ここで名前もらったのよ。天祖神社。
【世羅さん】そうなんだ。
【加藤さん】ああ、銀杏こんなに落ちてんじゃん。
【林さん】これが子育て狛犬といって、ここに…
【加藤さん】ああ、子どもがいるわ。
【林さん】赤ちゃんが…それで母親の狛犬さんが赤ちゃんを守って育ててる。
【加藤さん】そういうことなんだ。
 
(天祖神社の2本のイチョウを指して)
【林さん】これはあの天祖神社の夫婦銀杏といいまして、樹齢500年。ここのね、あいだに…階段があったんですよ。
【加藤さん】あったよね、道があったよ。
【林さん】今はこっち方が参道になってますけど、こっちの方から…
【加藤さん】そう、入れた入れた。
【林さん】ここの下は広い敷地があったんです。そこでお祭りの時なんかはサーカスが来て…
【加藤さん】そうそうそう。
【林さん】蛇女だとか、大いたちが何だかんだとか…
【世羅さん】ああ、なるほどね。
 
(天租神社の権禰宜・細川さんを囲んで)
【細川さん】おはようございます。
【加藤さん】どうもご苦労様です。
【世羅さん】おはようございます。
【細川さん】あと5年で700年…そうしたら本当にここで祈りの場というのは、この周辺では数少ない場所です。駅寄り…何より近いです。全国的に見ても駅前にあるっていうのは本当にうちの神社、屈指の駅の近さじゃないかなと。
【世羅さん】そうですね。はい、ありがとうございます。
 
(写真撮影の時に)
【加藤さん】もういいでしょ。(カメラの撮影画像を見ながら)あぁいいや、これ遺影だな。遺影(イエーイ)。