現地ロケ編全文テキスト

■池袋三原堂


【高橋さん】なんか下で買ったことはあるんですけど。
【石森さん】おいしいんだよ、ここの粟ぜんざいは…
【高橋さん】あんみつがおいしいんですか?
【石森さん】あんみつもおいしいし、粟ぜんざいがいい。やはりね、甘いものを売ってるところだからね。もうよく買いに来ました。笹周か三原堂さんか、どちらかだよね。甘いものを買いに行ったの。
【齋藤さん】昭和12年創業、先代私の父が日本橋人形町の三原堂本店に奉公し、のれんをいただいて、それで池袋に来たのが昭和12年。甘いものを売ってるもんだから、友達なんかから羨ましがられたことは覚えてます。あんこを炊いた釜の底におこげがあって、それをスケッパーでこすって、そういうのを食べるのが楽しみだった。
【高橋さん】昔、立教大学で地域の方と一緒にコミュニティカフェをやったんですけど、その時に池袋ならではのお菓子みたいなのをすごく探していて、その時に三原堂さんの「池ぶくろう最中」がいいなって話になって。
【齋藤さん】あれはうちのせがれが考えて、図案からなにから全部やって。あと「乱歩の蔵」ってね、江戸川乱歩さんの。あれも我々では考えつかないけれども。江戸川乱歩さん自体はもう戦前から、うちをご贔屓にしていただいた。当時は店先に筆と硯をみんな用意しておかなきゃいけなくてね。ご自分で名前を書いて「お土産」って書いて、こうやってケースのところで見てた。
 
(池袋三原堂の前の通りを見ながら)
【齋藤さん】この前の通り自体はもう昔のまんまだと思います。唯一この通りが一番残ってるんじゃないですかね、戦前戦後通じて。まあ甘味が本当なくなっちゃったんだよね、甘味喫茶が。僕らが小学校中学校くらいは女子学生が結構来てたんだよね。やっぱり道の、この道路の変遷で変わっちゃってるから、わざわざこっちまで渡ってくるってこともないし、もう立教から出てもすぐ地下街に入ってそのまま行けるからね。だからずいぶん変わったと思います。昔はこれがメイン通りでしたから。よく裏に小料理屋があって、よく三味線がちんちんちんちん聞こえたことあるしね。子ども心にしたら全く怖いってこともなんともない。ただ夜を知らないだけでね。まあ遊んでるわけだから。ところが家へ帰ってくるとそこは別の世界に、大人の世界に入って行っちゃうわけだから。だからぼくはこの繁華街の本当にど真ん中でね、池袋のこのど繁華街でね、生活したわりには素直に生きたかなと。
【石森さん】(笑いながら)そうかね?
 
 

■月曜会


(名店街ニュースのバックナンバーを見ながら)
【石森さん】これね、創刊号がないんだけど、これ3号。昭和58年くらい。
【齋藤さん】もっと地域の密着した会を作れっていうんで、まあこの辺の若手が集まって、石森さんが「スタートだから月曜がいいだろう」って、それで「月曜会」ってなった。
【石森さん】まさに会報をね、みなさんに知らせるっていう手段がなかったから。まあこの時から記録して報告してなにしろずっと続けようということで、その3つのコンセプトで作り始めたのね。これから始まってこれを約2年間やったんですよね。まあ名店街っていう親会があるんだから、そこの会報誌にしましょうということでもって、「名店街ニュース」っていう風に変わってったわけ。月曜会ニュースをまぜてちょうど30年、一回も休まなかったんだよ。それがね、意地だったのね。まあこれがトラヤさんの三宅さんって方が亡くなってしまって、そのあと急にやる気が失せまして、それで結局やめてしまったというんですけど。約4年前にこれがやめてしまったと。ここまでのものはもう2度と出来ないだろうというようなことでね、だから素晴らしいものが記録としては残ってます。東口の場合はもう何もやらなくても人が来てくれる。西口はなんとかしてね、お客を呼ばなきゃいけないということでもって、イベントをどんどんやるんですよね。まあ西口のこの伝統ってのはやっぱり、これからも多分活かされてくるんじゃないんですかね。
 

■池袋駅西口


【高橋さん】ありがとうございました。また。
【石森さん】じゃあちょっと行ってきます。またあとで。はい失礼します。
【高橋さん】あれ、こっちに行くんでしたっけ。
 
(池袋駅西口に向かいながら)
【高橋さん】なんかもう大学に通ってる頃にはえんちゃんがあったんですよね。まあ10年前だから。
【石森さん】もうその頃にはあった。これが7年半ですから。ちょうど。
 
(「モザイカルチャーえんちゃん」の前で)
【石森さん】ああ、これこういう風に俺書いてきたんだ。これができた当時のえんちゃんだから。これはお父さんが植樹をしているんです。それでお母さんがふくろう物語…童話を読んで聞かせてるという姿。それでこれがFRPっていうのかな。これでできててここを触ると縁がつくっていうかいいことがある。触ってくんだよ、みんな。
【高橋さん】お金入ってますよ。
 
【石森さん】これがいちばんのモデルなの。これをベースにしてみんなで立教の阿部ゼミの学生に「いろいろ考えろ」と。そうするとさ、こういう風にいろいろ自分たちで考えてくれたのがあるんだよ。こういう風にね。
 
【石森さん】(別のモザイカルチャーを指して)今やろうとしてるのがこれ。
【高橋さん】あ、ハートだ。
【石森さん】これはキンメツゲだから、非常に形を整えやすいんで。自分たちがやってる大久保農園っていうところで、今作ってる最中。いろんな方、地元の方、地元の方以外も来てますけれども。のべ1700名来てるから。それも絶対休まないってところがすごいよね。あの名店街ニュースと同じです。名店街ニュースも休まないという。これも休まない。
【高橋さん】大久保農園もね、毎週日曜日に…
【石森さん】大久保農園も絶対休まない。昨日も行ってきました。
 
 

■池袋西口公園


【石森さん】今年まででしたっけ?噴水があったのね。それで工事をするっていうのと、もうひとつはここでイベントをするでしょ。イベントの時にこの噴水が邪魔だと。イベントをする人たちにとってみれば邪魔だというね。でもね、あるとね、どういう結果が出るかっていうのはね。我々緑を増やしてやってたでしょ。そうするとカルガモがつがいで来るんだよ。(噴水にいるカルガモとそれを見ている子どもの写真を出して)ほら、これ見て。可愛いでしょ、子どもが。子どもが別に対話してるわけじゃないんだろうけど。
 
(公園の管理棟の壁に生えたツタを指して)
【石森さん】これがね、立教のツタなわけ。立教のツタで緑化しようという話になって、阿部先生がツタだって立派な緑化になるよって。これ、阿部先生がちょこっと写ってるけれども、ここに立教の管理課の人がちゃんとツタをね、苗で作ってくれて。まあここを我々が管理しなくなって、役所の人たちが切っちゃったかな、少し。これも取り壊されるからね。もうしょうがないんだけども、これが阿部ゼミとのそもそものきっかけなんですよ。
 

■自由学園明日館


(自由学園明日館に向かう道で)
【石森さん】なにしろ俺…自由学園のことに関してなにも知らないんだよ。時々来るだけで。もしかしたら高橋さんがいちばん分かってるかもしれないよ。
【高橋さん】なんか町の方もこう街歩きをして初めて「こんなとこあったんだ…」みたいな。
【石森さん】そんなもんだよ。地元の人なんかみんなそんなもんだよ。
 
(自由学園明日館の門を入って)
【石森さん】うわあ、きれいだよね。
【高橋さん】空気が違う感じがしちゃいます。
【福田さん】1921年に女学校として建てられました。ですがここに学校があったのは13年だけで、東久留米市に学校機能を移してから、卒業生が大事に使ってきました。
【石森さん】池袋の西口にありながら意外と知られていないですよね。
【福田さん】そうですね。そもそも自由学園が所有した自由学園のための建物であったのが、重要文化財を機に一般に公開することになったので、それまでは本当に、話を聞く限り池袋に50年住んでるけど初めて入ったとか、そういう方もいらっしゃるくらいですし。あと住宅街にあるので、あることが分からないという場合もありますよね。立教の食堂とかにツタがありますよね。あれはここからいったって話ですよ。
【高橋さん】そうなんですか?
【石森さん】自由学園なの?
【福田さん】もとはここのツタだったんですって。
【石森さん】そうなんだ。よく分かんないけど。
【福田さん】よく分かんないけどそういう話が長い間残ってる…
 

■踏切地蔵


【高橋さん】あそこ駅があったんですよね?昔…「上り屋敷駅」。
【石森さん】ああ、駅があったって聞いたことあるけど、そこにあったのか。
【高橋さん】それも街歩きしてた時に町会の方がお話ししてくださってて。こういう話はみんな忘れちゃうから、いろんな人に伝えたいなっていうことを言ってました。
【石森さん】あ、そこにいた。いたいた。もうみんなね、この人たちといろんな活動してるんだよ。これ全部高橋さんのおかげなんだよね。
 
(踏切地蔵の前で)
【平林さん】ここに建てて66年経つね。
【石森さん】66年。結局事故が多かったっっていうことで作ったんだよね。
【平林さん】事故が多いってんで親父たちが、この商店街なんかを中心にね、だからみんなこれ地元で作ったやつ。それから事故ないんですよ、ここで。
【武藤さん】上り屋敷の駅…だから結構大正くらいからあって、戦争の空襲ですか、焼けたんでしょうね。
【遠山さん】あの坂の手前だからね。踏切がある…左に曲がる…あの左側だから、駅があったのは。あそこにあった。この距離じゃね、人を発見しても電車が止まれないでしょ。
【武藤さん】急ブレーキかけても止まんない。あっちから椎名町が来るでしょ、あそこカーブが来るから、そうすると止まらないですね。
 

■立教大学


【石森さん】(阿部)先生も来ないし。
【米山さん】ゼミ長の人が連絡してて…それで多分来るっていう話にはなってたと思うんですけど。
【高橋さん】社会学部の阿部治先生のところのゼミの現役で… 3年生とOG。
【岩崎さん】2016年卒。
【米山さん】今は主にあちらにある「みらい館大明」での活動がほとんどですかね。花壇の整備でしたり、各種イベントの時に展示を出したり、花壇を使ったワークショップであったりがメインですかね。
【石森さん】あのもともとその…12~3年くらい前になるんだけれども、立教のツタを池袋の町中に植えようよという話になって、それからみなさんでツタを育てて、阿部先生を含めてもうちょっとあちこちに植えてったんですよね。よく覚えといてください。
【米山さん】知りませんでした。
【高橋さん】私も立教、10年前かな、大学院の時に来て、立教通りと自宅の行き帰りだけで全然知らなかったんですよね。でも、この周りの西池袋南町会の方たちと一緒に活動するようになって、だから自分の第2の地元みたいな感じで、学校に来るのがすごく楽しみになったりとか。
【石森さん】やはり緑豊かにしようとかね、その環境をどうのこうのしようっていう風に考えて、そっから人がつながってくるわけね。植物ももちろん生き物じゃない。だからこれがすごく嬉しいよね。そのまんま植物の成長とともに、我々の人間関係もどんどんつながっていくっていうのがものすごく嬉しい。そういうのをずっと続けたいよね。(石森さんの話を熱心に聞く米山さんに向かって)もう…そういう風に見つめられると…「頑張れよ」って言いたくなる。
 
(写真撮影で)
【高橋さん】ねえ、良かったです。
 
【高橋さん】阿部先生が本当に現れないのが…
【石森さん】なんだ。阿部先生の電話知らないの?
【高橋さん】いや、ああ知ってます。
【石森さん】もう一回かけてよ。