現地ロケ編全文テキスト

■庚申塚停留所


【吉田さん】あの、私はもう都電が昔から大好きでですね。庚申塚の駅は昔からここにあるんですか?
【浅賀さん】そうですね。私もこちらに来たのが戦後ですから、戦後と言っても、私が昭和22年生まれで、だいたい昭和24年か25年に今のところに来たというか、あれですけどね。ですから、物心ついてからはこの思い出しかないんで、都電はもちろんもう走ってましたっていうのは当然ですけどね。 
【吉田さん】駅はもうちょっと小さかったとかですか?
【浅賀さん】あの、低かったということですね。低いですよね、昔の都電はね。今はああやって乗降がフラットになってますけど、前はもう足あげないと都電に乗れないぐらいのホームの高さになってたということで。
【吉田さん】いまひとつだけ残っているじゃないですか、1線だけこの荒川線が。
【浅賀さん】そうですね。荒川線ということでね。
【吉田さん】だから早稲田から終点の三ノ輪ですか? まで結構時間かかるんですけど、小さな旅ができる感じで、ときどき乗ります。
【浅賀さん】そうですね、私なんか目の前にあるから。
【吉田さん】今、お米屋さんの配達はほとんどバイクとかだと思うんですけど。
【浅賀さん】そうですね。
【吉田さん】今、都電に乗るのはどういう乗り方というか…
【浅賀さん】例えば…下町から早稲田のあそこまで行く中での真ん中を通っていただいてる交通機関としてあるということで、ずいぶん利用者が多いんじゃないかと思いますけどね。
【吉田さん】でも、結構ここ(甘味処いっぷく亭)もあれですよね、都電にこうすぐお店があって。
【浅賀さん】こちらのお店もね、なかなかそうなんですよ。
【吉田さん】情緒のある。
【浅賀さん】このお店も繁盛してらっしゃると思います。
【吉田さん】もう下車何秒ですもんね。
 

■甘味処 いっぷく亭


【吉田さん】もうこのお店は何年くらいここでやってらっしゃるんですか?
【神宮隆久さん】いまもう今年で27年目ですね。
【浅賀さん】若かったねあの時は、お互いに。
【神宮圭子さん】そうなんです。写真で見ましたら、同級生で同い年なものですから。
【吉田さん】あ、同級生?
【神宮隆久さん】ぼくが3代目なんですけど、祖母が…近くにお蕎麦屋さんがあったんですけど、そこでおはぎをつくってたんですね。ぼた餅でやってたんですけど。そういう人が集まれるところを作りたいと言って始めたのが最初だったらしくて。もうちょっと一息つけるところ、で「いっぷく亭」という名前に。 
【神宮圭子さん】「あと10年早かったら私もっと頑張れるんだけどな」ってよく言ってました。今93歳なんですけど、一昨年まで現役でおはぎ握ってたんですよ。
【浅賀さん】でもまだお元気で?
【神宮圭子さん】元気ですよ。
【浅賀さん】うちの方とこちらのところと、少しこうレトロな感覚にしようということで、意外と都営もね、力入れていただいたっていうか。
【神宮隆久さん】庚申塚と三ノ輪のホームはやっぱりハイカラですよね。
【浅賀さん】イメージ的にはずいぶん良くなったと思いますよね。
【神宮圭子さん】明るくなりました。
【浅賀さん】いろんな意味でも、都電もいろんなのが走ってるし。
【吉田さん】都電は変わらないですね、この光景はね…
【神宮圭子さん】やはり絶対的にこの場所を取りたいわけですよ。
【吉田さん】ここ特等席ですね。
【神宮圭子さん】見ながら食べられる。
【浅賀さん】そうかここでね。
【神宮圭子さん】大人の方もそうですけど。
【吉田さん】最高ですね、ここね。
 

■旧朝日中学校跡地(大都映画巣鴨撮影所跡)


【小櫻さん】西巣鴨って街は、あんまり若い人がいないんですよね。
【吉田さん】でも最近ワンルームが多くなってきてて、すごく若い方が増えてきてます。
【小櫻さん】あぁ、増えているんですね。
【吉田さん】あ、いよいよ見えてきました。ここが豊島区立巣鴨北中学が今、入ってるんですけど、前が「にしすがも創造舎」っていう。その前が朝日中学校。
【小櫻さん】で、その前が撮影所ですか。
【吉田さん】そうですね。
【小櫻さん】昭和2年当時…
【吉田さん】昭和2年?
【小櫻さん】映画が一番盛んになり始めたのが、ここにも書いてあるように、大正の終わりから昭和初期。で、その頃にラジオが出現してきた。なんで西巣鴨なんだっていうと、ひとつは近くにお寺があって、それから自然が残ってて、いわゆるチャンバラ映画のロケーションに最適だったの。今はだから、面影としてはこのレリーフしか残ってないんですよね?中はね…
【浅賀さん】そうですね。ただ私もここがちょうど朝日中学という時に、われわれも通ってたんですけどね。
【小櫻さん】母校ですか?
【浅賀さん】一応母校だったんですよね。その時は戦後の生まれですから、撮影所だったっていう話は聞いてますけど、そういうようなものは、せいぜいこの入口の塀がすごく高かったっていう…
【小櫻さん】撮影所が閉鎖された時に戦後がやってきて、子どもがたくさん街中に溢れて学校に変わって。
【浅賀さん】今はもう逆に、どんどん統廃合で学校もなくなっていきますけどね。
【小櫻さん】まぁそれを考えると、この一角だけでも日本の100年ぐらいの歴史そのものですね。
 

■にしすがも創造舎


【小櫻さん】ここはよくいらっしゃったんですか?
【佐野さん】そうですね、1階のちょうど玄関の下駄箱があるところにカフェがあったんですけど…。
【小櫻さん】ありましたね。
【佐野さん】そこをよく、今、上の子が4年生で下の子が1年生なんですけど、下の子がまだ5、6ヶ月ぐらいの時からよく中でお世話になって。1階の玄関のところではご飯とかお茶とかをさせていただいたり。あと校庭にやぐらが…
【小櫻さん】ありましたね。
【佐野さん】はい、あったんです。ちょっとお茶してる間に、そこで子どもを遊ばせていたりとか。ベビーカーそのまま入れる場所っていうのが、なかなかこの辺にはなかったので、すごくありがたかったです。
【吉田さん】畑もありませんでした?
【佐野さん】畑もあのちょうどこっちにグリグリプロジェクトっていう…
【吉田さん】そこで収穫された野菜とかで、ピザを作ったりだとか…
【浅賀さん】紙相撲なんですけど、大きな身体のお相撲さんと土俵をつくって、それでみんなでトントンやりながら、それで戦わせたってこともこちらで…
【小櫻さん】昔の遊びと触れ合える場所でもあったんですね。
【浅賀さん】思い出させるような感じでね。
【小櫻さん】だけどこういう街中で子どもたちの声が聞こえるってのはいいことですよね。
なくなりましたけどね…いいですよね。
【佐野さん】本当に残念でしたね。
【小櫻さん】そういう意味で豊島区らしい場所だったんでしょうね。
 

■大正大学


【吉田さん】私は今、NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会という、豊島で皆様の記憶を動画に収めるという活動をずっと続けておりまして。ちょうど2012年ぐらいで、豊島区区制80周年ということで、ぴたっと一致しまして。大正大学と、当時は立教大学とも一緒に80本の動画を撮りました。その時は80本だったんですけど、今は400本近くのですね、動画を収めております。本当に一番お年を召した方では、関東大震災を記憶されているという方がお2人もいらっしゃって、その時の証言がもう本当に生々しくありありとして、それをその大正生まれの語り部の方を平成の生まれの子どもというか…1年生が真剣に聞いているという姿がまたひとつのドラマだった。
【小櫻さん】実は大学とかそこで学んでいる学生というのは、大きく言えば地域に支えられているというのがね、やっぱ骨身にしみますよね。なおさら自分たちが持っている力でね、地域に何かできないだろうかっていうのは、そういうことを自然に考えられるようになるっていうのはすごく大事なんじゃないかなと思う。
【浅賀さん】これも大正大学さんが音頭をとって、むこうの巣鴨駅前商店街、巣鴨地蔵通り商店街、われわれの庚申塚商栄会の3商店街と大正大学さんとで、すがもコンソーシアム、いわゆる共同体ということを…なかなかこの大正大学さんがちょっと閉鎖的な感じに…われわれ商店街としては感じていたんですけれど、地元との関わりを持っていただけるということがなかなかありがたいというか、われわれにとってみれば賑やかになるということはありがたいことかなと思う。ありがたいのは、また今年もそうでしたけど、われわれ商店街のイベントで夏にワイワイ市という、それこそこの場所をお借りして、焼きそばとか鉄板焼きとか、その時も40名くらいお手伝いいただいたり、この「菊まつり」もひとつの一環なんですけどね。だから本当に学校さんに頑張っていただいてる。
【小櫻さん】十分ではないと思いますけどね。大学ができて今年で92年目です。それがちょうどね、映画の歴史とかラジオの放送開始と重なるんですよ。これ貴重な本(「懐しの大都映画」ノーベル書房・著)なんですけど、豊島区のね、中央図書館の資料なんだそうですよ。これ残ってるんですけどね、最後の方にね、ずっとそこで作られた作品のリストがあるんですよ。で、昭和の初めごろ…まだトーキーの映画がなかった頃、まだラジオが開始したばっかりの頃はね、年間にね、日本で千何百本の映画が作られたの。
【浅賀さん】年間で?すごいですね。
【小櫻さん】それがだんだんと少なくなってきてね、例えば昭和17年…
【吉田さん】戦争がだいぶ激しい時ですよね?
【小櫻さん】このリストの最後ですけどね。ついに1年間で4本しか作られなくなった。で、昭和17年…1942年に実はあの撮影所の歴史が終わったの。
【浅賀さん】それであれだったんだ。
【小櫻さん】そのあと撮影所が終わって戦後になって、浅賀さんもそうかもしれないけど…ベビーブームがね、子だくさんの時代になって、学校が足りなくなって、あそこが学校になったの。で、また今になって子供が少なくなって学校が閉鎖になったっていうね。こういう歴史。
【浅賀さん】繰り返してるね。若い人に頑張ってもらわないと。
【小櫻さん】いや本当です、本当です。
 
(写真撮影で)
【吉田さん】この菊は全部あれですか、供えてあるものですか。
【浅賀さん】いえ大学さんの分校がね…そこでね。
【小櫻さん】体育の授業があるとこみたいですね。
【浅賀さん】そうです。野球部はむこうに行くみたいですね。