■柳下家
(柳下家の墓地にて)
【柳下さん】わが家の墓地、みんな見てほら。ほら見て、いかに古いかね。
【清田さん】こっちは柳下宗家…こちらが一番の元の柳下さんのお墓だな。
(柳下さんの自宅にて)
【柳下さん】真ん中に小さい土俵があって、本当の相撲部屋。土間が広くて、あそこでお稽古したのかなって思う。小さな土俵があって、本当に相撲部屋って感じ。私が嫁に来た頃はプールもあったんですよ。その頃は今よりも豊かでしたので、プールがあって、当時…終戦後、私の主人の話だと学校が焼けてプールがなかった学校がたくさんあったんですってね。その時、学校に貸したって記憶ありますね。ここに1軒もうちなかったから。早く嫁に来たので、夜中にね、主人と2人で水着を着て泳いだことあります。60何年前ですけど。本当に家一軒なかったの。全部林。この辺の柳下家は何軒かありますよね。だから、それぞれの名前つけて呼んだんで、うちのことは「森の柳下」って。森が多かったからそう呼ばれたそうですね。当時ね、本当にお餅つきを近隣の人がみんな集まって、お米持ち寄って、そこで炊いて、そこで、のし餅したり、あと丸めたり。
【清田さん】今みたいに売ってないですもんね。だから僕なんかでも子供のころ…本当に小さいころの思い出でやっぱり近所の人がお正月迎えるんで、餅ついてましたよね。
【柳下さん】そうですね。
【清田さん】のし餅にしてっていうのは、かすかな…お話を伺うと「そう言えばうちの方でも近所の人やってたな」っていうのはね。だから柳下家としてお正月を迎える恒例行事でやってたんでしょうね。
【柳下さん】近隣の方達もやっぱりみんな集まってくれて、それはめいめい自分のうちでお米研いで持ってきて、蒸してあげて。でも今思えばね、とっても良い時代でしたね。
■清土鬼子母神
(雑司が谷2丁目周辺を歩きながら)
【柳下さん】昔から変わってないよね。
【清田さん】こっちは特に焼けてないから。
【柳下さん】焼けてないからなのよ。空襲にもあわなかった、戦災にもあわなかったでしょ。だからこのままなの。
【髙野さん】火事になったら8分で焼けるとこ。
【清田さん】怖いとこ。逆に言うと怖いところ。
(不忍通り沿いを歩きながら)
【清田さん】ここずっと(御会式のある)17日は万灯が並びますんで。
【柳下さん】これがそうなのよ。
【清田さん】そうです、そうです。
【柳下さん】ここがね、御本尊様が生まれたところ。
【清田さん】ちょうど井戸がそこに。
【柳下さん】井戸から鬼子母神さまが出てきたって話だけどね。ここから鬼子母神様が出たそうですよ。ホントかウソか知りません。
【髙野さん】御会式連合会の毎年使う具材を保管する場所がなくて、大変困っていた時期がありまして、お寺の方がこういう倉庫を作ってくださいまして、各それぞれの講ごとに保管することができるようになりました。御会式は各「講」というグループになってまして、雑司が谷2丁目町会の場合は「雑二講」という講がありまして、そこの役員とか、協力してくれるボランティアの方…特に女性陣がお花を作り、男性陣が万灯を組み立てると宗教行事ですからね。
【清田さん】もともとはね。
【髙野さん】それは文化財にはならないというところがありましたけど、特に鬼子母神の御会式はいわゆる…こう言っては何ですけど、宗教と関係のない方でも地元の祭事として認識されてまして、そのことが認められた形で無形文化財になった。
■雑司が谷旧宣教師館
【清田さん】(雑司ヶ谷キリスト教会の看板を指しながら)これは元々はキリスト教の関係の…(雑司が谷旧宣教師館の入口で)本当にここは今でこそこうやってきれいに整備されましたけど、僕ら子どもの頃は本当に「何なんだろう?」という。草もぼうぼうに生えてたし…木もそのままですし。
【髙野さん】やっぱり木造だからね、朽ち果てる感じが出てましたよね。
【清田さん】雰囲気は非常にいいんですよ。(東京都指定有形文化財の看板を指して)そこにね、ちょっと書いてあるんですけど、マッケーレブさんって宣教師の方が布教活動をやるための家だったんですよね。その後、持ち主が変わったりなんかして、結局管理が行き届かなかった。それが区の方で最終的には管理するようになったんで、こうして来れますけどね。
【髙野さん】やっぱり、こう人が動いて建物ってなんぼって感じなんで。
■旧高田小学校
【清田さん】高野さんもそうだよね?高小(高田小)だよね?
【髙野さん】在校の時、90周年をやりました。
【清田さん】123年で学校は閉じたんだけど、「池袋南地区まちづくりの会」ってのがあって、そこにちょっとお話をしたら…「じゃあそういうことなら、すこしまちづくりの一環として考えていきましょう」って話になって、それで活動が始まったんですよね。(旧高田小の前で)ここが今ちょっと囲い塀になっちゃったんですけど、高田小学校があったところです。今度新しい公園になったら、拠点施設ができるのがこの辺です。活動していたグループで、受け皿の「雑司が谷ひろばくらぶ」っていう受け皿のNPO作ったんで、何らかの形で関わって、地元のグループが関わっていかないと、いけないんじゃないかなというふうには思ってますけど…ちょっと全体が見えないんで残念なんですけど、やっぱりねこの木密地帯にこれだけの空間っていうのはね、非常にありがたいんですよね。一時的な非難はやっぱり、雑司が谷霊園であったり学習院なんですけど、その後ですよね、自宅が倒壊したりなんかした方はこちらの方でっていうことも、この公園ができることによって、かなり生活に空間的なゆとりができると思うんですけど
■雑司が谷弦巻通り商友会
【清田さん】ちょうど我が弦巻通りの商店街にでてきました。じゃあせっかくだから「雑二ストアー」…前はね、ここまでお店があったんですよ。ところが火事でこっち側だけ焼けちゃって。もとはね、全部お店が入ってる。私の母親なんかはね、この商店街で買い物カゴ持って、それこそ買い物をあっちよりこっちよりして買い物をするっていうのが普段の姿なんですけど。欲を言いますとね、雑二ストアーがもう少しいろんな店舗が入って、人を呼べればまた違ってくると思うんですけどね。
■雑司が谷駅
【清田さん】ここ落書き消ししたんだけど、どうですか? これ。なかなか消えなくてね。
【髙野さん】ここは落書き消しで、で雑司が谷と…
【清田さん】ここが雑司が谷(駅)の入り口です。
【髙野さん】今まで駅といえば、目白か池袋か、地下鉄で護国寺あるいは東池袋に出るしかなかったのに、その真ん中に何もないところに駅が出現したと。生まれたころには全く考えられなかったことができましたね。
【清田さん】今まで最寄駅っていうと「都電 鬼子母神前」って書いていたのが…「副都心線 雑司が谷」って 今度は書けるので。まちづくりなんかの話をしてますとね。池袋からずっと来ると、この辺を境に急に変わるっていうんですよ、環境が。やっぱり雑司が谷の方に入ってくると静かになるし、びっくりされますね。やっぱり池袋のあの賑やかさと途端にこっちから…
【髙野さん】なんか都会の田舎って感じ。下町というより田舎っぽいところがあって。
■大門ケヤキ並木
【清田さん】(雑司ヶ谷鬼子母神堂に向かいながら)この辺も残念なんですけどシャッターになっちゃって。今閉まってますけど本屋さんがあって。向こうに行くとケヤキ並木。
【田中さん】基本的には起源が諸説あるんですけど、一応メインになってるのが、概ね470年ぐらい前になりますけど、今の鬼子母神道の参道のような形にするために、その当時の多分柳下さん関係かな、植樹をして奉納をしたというのが起源説の一つです。この木なんかは台風で折れた時に、近所の方が年輪を図ると450年越えてて、600年くらい年輪があったっていうので、これはまた別じゃないかって諸説もありますね。本によってはこの辺までは昔の鎌倉街道だったっていう本があるんです。それで鎌倉街道、区の今の解釈は都電通りの方行っちゃってますけど、ここまでが鎌倉街道で、こっちに鎌倉街道が抜けてたっていう起源説もあったりして面白いとこ。区は今 むこうだって言ってるので、残念ではありますけど。
【清田さん】田中さん大変じゃないですか?
【田中さん】掃除はね、朝昼晩として。「大変だなぁ」って口で言われるよりも大変なんです。
(カフェ「ソレカラ」の店内で)
【柳下さん】番地としては「雑司が谷」なるのね、こちらは。青山の方は。ところが町会としては東目白なんですって。だけど、やっぱりどうしても雑司が谷ってことで、皆さん運動して、署名運動したりなんかして「雑司が谷駅」になったんです。やっぱり地元の人は東目白にしたいですよね。だけど、やっぱり雑司が谷ってとこは歴史があるってことで、雑司が谷。署名運動したんじゃない? 私もしましたけど…
【清田さん】テレビでも早いうちから雑司が谷って…仮は付いていたにしても、なってたから別に心配はしてなかったんですけど。今お伺いすると、何と東目白のそういう動きがあったっていう。
【柳下さん】やっぱり東目白だったら東目白駅にしたいですよね。通りにも面しているから。
【清田さん】目白通りにも出口はあるから。そう言われれば確かに、僕が向こうに住んでたらそうかもしれない。
【柳下正樹さん】地下鉄の駅名が雑司が谷になったのは非常にいいことで。今までね、サラリーマン時代でもね。どこ住んでらっしゃるんですかって言われて、雑司が谷っていうと、ほとんどの方が知らなかったですね。20年ぐらい前とか、駅ができる前ですかね。最近では雑司が谷っていうと、大概の人は「ああ」っていうので。私もずっとサラリーマンやってましたので、ずっと外出てましたから、あんまりその家のことを詳しく知るってことはしなかったんですよ。9年前こっち引っ越してきてね、父が亡くなっていろいろ近隣の方とお話しするようになって、雑司が谷って街を良くしたいって気持ちは強くなりましたね。この店もそういった一環で考えて作ったので、ここにいろんな人に来て交流していただいて、コミュニケーションをとって「こんなとこがあるんだ」とかね、「こんな人がいるんだ」とか。
【髙野さん】商店街ってお店がなくなってきてて、新しい方がやってくださると、以前のようにとはいかないのかもしれないけれど、活気が出てくるかなとは思いますね。「雑二ストアー」も お店になればいいなと思いますけどね。
【清田さん】ゆくゆくはあそこも埋まってくれるといいんですけどね。
【柳下正樹さん】あとは街をどういうふうにね、みなさんが住みよい街にできるかと考えてますね。
【清田さん】立派ですよ。
【柳下さん】ちゃんとした息子いるんですけど、お袋頑張ってるもんですから可哀想になるくらい影が薄くて…