現地ロケ編全文テキスト

■同志舎外口製氷所跡


 
(千早の住宅街を歩きながら)
【横山庸佼さん】千早ってのは昔は農地だったでしょう。
【武内千鶴子さん】そうだったですね、この辺も本当に変わりましたよね。
【横山さん】(バスの車庫を指しながら)ここが外口製氷。
【武内さん】ここでしたっけ? ああそうか、ここから先がバスの車庫でしょ?この部分が広がったんですね。
【スタッフ】(製氷会社に行く用事とかあったんですか?)
【横山さん】高校時代、家の近所に煎餅を作ってる工場があって、そこでついた餅を毎朝ここまで運んで、1週間保存したものを今度は持ち帰って、それをお煎餅屋さんがカットして煎餅にしてたんだよね。
【武内さん】はあ~。
【横山さん】新聞配達は朝4時くらいからで、(製氷会社に餅を運ぶアルバイトは)体力は使うけど朝6時くらいからで済むんだよね。で、同じくらいの給料をもらえるんで、友達と2人でだいぶ…。力仕事だったけど、時間的に楽になりました。
【武内さん】そうですか、色々やられてましたね。
【横山さん】(山手通りを見ながら)山手通りが昔はもっと狭くて、道路の向こう側に家が立ち並んでいて…。谷端川との間にもう一本道があったんですよね。それを潰して全部家が向こう側に行っちゃったから。だからこの辺りっていうのは、子どもだったからよくは知らないけど、すんなり広げることができたと思うんですよね。空き地があったから。
 
 
 

■城西大学附属城西中学・高等学校


 
(城西学園沿いの道を歩きながら)
【横山さん】ここが城西学園ってなってるけど。大正時代じゃないかな、できたのは。
【武内さん】今は城西の生徒たちが時々、交通安全のキャンペーンとか、それからあとは地域清掃みたいなものに参加して、ボランティアに力入れてるように思います。
【横山さん】大学なんてものもなかったからね。
【武内さん】なかったですね。
【横山さん】われわれの頃はね。
【スタッフ】(スポーツがさかんなんですか?)
【横山さん】高橋慶彦がエースで4番で甲子園に行って、広島で内野手になって。彼が活躍したんでこの学校が急激に売れたのね。城西高校ってあまり知られてなかったけど、慶彦さんのおかげで有名になったのね。
【武内さん】そうですね。
 
 
 

■熊谷守一美術館


 
【横山さん】(熊谷守一美術館の壁を見ながら)ここに赤蟻が…。
【武内さん】それで赤蟻通りなんですね、ここがね。
【スタッフ】(入ったことはおありなんですか?)
【武内さん】私は2回くらいあります。美術展を観に来たというよりも、カフェ目的で…。
 
(美術館の中で)
【横山さん】こんにちは。
【武内さん】おはようございます。
【横山さん】みんなどこの町会もお祭りをやるんで、うちはいつも長崎神社でお祭りのときに、町会で金券を発行するんですよ。お神輿を担いだり、山車を引っぱった子どもたちに金券を配るんで。その金券をできるだけ商店街で使うようにということで、この町の中でお店をやってるところでしか使えないようにして。で、それが来たら断らないでくださいと。というんで、(ここには)挨拶状を持って毎年、挨拶に来るのが主ですね。
【武内さん】そうですか。
【横山さん】私が役員を始めてから15年くらいやってますね。
 
(熊谷守一の画集を一緒に見ながら)
【横山さん】これが野菜か。人参?
【武内さん】人参と…これはなんでしょう?
【横山さん】大根の…干したやつ?
 
 
 

■千早公園


 
(公園の敷地の外で)
【横山さん】ここ(公園)の地下が防火水槽になってるのね。7、8割。こっち側だけね。雪が降ると面白いですよ。防火水槽の上は…。
【武内さん】積もらない?
【横山さん】すぐ積もる。
【武内さん】すぐ積もるんですか?
【横山さん】で、向こう側は地面が冷えるまで積もらない。
【武内さん】へえ~。じゃあ、場所が特定できますね。
【横山さん】だから、ここからこっちが水槽だなってわかる。どちらかっていうと、(以前は)廃棄物置場みたいになっていて評判が悪いところだったんですよね。(今は)ここで町会の有志の花見で…。
【武内さん】有志ですか?
【横山さん】今年は60人ほど集まりましたけどね。
【武内さん】60人?
【横山さん】あんまりないそうですね、ちょっとした公園に60人も集まるなんてね。
【武内さん】(公園の中を歩きながら)前は通るけれども立ち寄って見たことはない。
 
 

■旧平和小学校跡


(旧平和小学校周辺の昔の写真を見ながら)
【横山さん】そこ(旧平和小学校の体育館)の壁が、昔は斜めだったのが垂直に変わってるんだよね。まだ道路は砂利です。家も半分くらい、(そこの)車の先は庭のようになっていて、向こう側の広場だったところにこう…。で、その隙間から平和小学校の建物が少し見えてる。(前方を指しながら)この先に千川上水っていうのがあって、あとで行くでしょうけれども。上水の余り水と弁天様の湧き水。今でも出てるって噂だけど。
【武内さん】出てるらしいですよ。
【横山さん】で、その湧き水が…この辺、田んぼもあったのね。ここ(立っている十字路)なんか最後まで、家ができる頃まで、昭和28年ぐらいまではまだ沼地だったのね。3.11の地震ではこの通り、我が家も含めて他のとこはやられないのに、やっぱり沼地のところは地盤が弱いんだね。
 
 
 

■認知症カフェ


 
(グランダ要町の前で)
【武内潔さん】グランダ要町っていう有料老人ホームなんですけども。私たち鍼灸師、はり灸師なんですけれども、認知症のご本人、ご家族、一人暮らしの方に集まっていただいて、交流会を開いているんです。
【横山さん】はり灸に限った説明会じゃなくて、この…。
【武内さん】ええ、はり灸師がやってるってことなんですね。それで今、セルフケアで、例えば肩が痛いだとか腰が痛いだとか、そういったことのツボの紹介もしていますし、あと傾聴スキルも持ってるので、お話も聞くということですね。主にお話を聞いていることが多いです。
【スタッフ】(毎回2、30人くらいお集まりなんですか?)
【武内潔さん】いえいえ、二胡の三重奏は特別です。大体6、7人でございます。だいたい中の方が多いので…。
【武内千鶴子さん】住んでいらっしゃる方?
【武内潔さん】はい、そうなんですね。だから地域住民の方にも来ていただきたいと思っているんです。
【横山さん】一昨年くらいから、お祭りのときにただ神輿がここを通ってたんだけど、やっぱり認知症の方もおられるから、この中へ入って神輿を止めるわけです。そうするとすごく喜んでくれるわけね。
 
 
 

■小鳥がさえずる公園


 
【横山さん】開いてるじゃん。
【武内さん】開いてますね。今日は鳥が全然来てませんね。あ、そこにいます。
【横山さん】あそこに鳥がいる。
【武内さん】つがいかしら?
【横山さん】いや、向こうは子でしょう。
【武内さん】子ども? 小さいもんね。前はね、ここ閉まっちゃってて、中まで入れないようになってたんですよね。
【横山さん】どっかに穴が空いたのか知らないけど、水の消費がべらぼうに増えて、区がもたないって話になって。で、この地元の人たちが維持継続したいって言って。
【武内さん】これだけ緑があって、っていう場所はあまりこの地域ではなかなか難しいので、やはり存続したいっていう気持ちはわかりますよね。
 
 
 

■千早高校


 
(学校沿いの道からグラウンドを指さし)
【武内さん】ここのグラウンドで、有名な長嶋さんとか、立教大学の野球部が練習を重ねたんです。
【横山さん】立教大学の野球の練習場が常盤台の方へ引っ越して、で、ここに最初にできたのは牛込商業ね。
【武内さん】そうですね。
【横山さん】牛込商業が引っ越してきて、こんなとこに牛込商業って合わないな、ってみんなで言ってたら、千早高校に名前が変わったね。
【武内さん】なったんですね。だからもう、こんなきれいな塀じゃなくて、もうほんとうにね。
【横山さん】あの辺をこう、塀をよじ登って、下はほどほどの枝に乗っかって。(塀の上に両手とあごをのせるしぐさをしながら)こうやって練習を見ていた。
【武内さん】子どもたちがやっぱりこうやって練習を見ている、人気の場所だったんですよね、ここね。長嶋さんがいた頃ですよね。優勝したりしましたでしょう?
【横山さん】3回くらい池袋から提灯行列。
【武内さん】そうなんです。
【横山さん】合宿所まで。
【武内さん】(スタッフに)提灯行列ってわかります? 皆さんで提灯を持ってね、それでパレードですよね、ようはね。パレードをして、みんなで提灯を振って、それでずっと歩いてきて。
【横山さん】で、立教大学の校歌は長くは歌えないけど、「♪セントポールシャンシャン、セポールシャン」って言ってればいいんだから。
 
 
 

■庚申塔


【武内さん】柴さんですか? ここの庚申塔をきれいに、いつもきれいにやってくださってる方なんです、ほんと。
【柴よし子さん】今朝ね、6時に来てゴミを捨ててきれいに掃いていったんだけど…もう、たばこ吸ったり、すごいんだよ。
【武内さん】ここの庚申様、(もともと)ここではなくって、もっと向こうでしたよね、場所的にはね。それが不運なことに、どこかへ行方不明になっちゃったんですよね。
【柴さん】私は50年ここにいるからそこに…。私なんか来たときにね、そこにあったの、そこの角の家に。それで、不動産屋さんがそこの土地を買って、そのお地蔵様が邪魔になるんで秩父の山奥に捨ててきちゃったんだって。それでわざわざ引き取りに行って、秩父まで行ってね。それであれでね…。
【武内さん】地域のための頼りどころというか、そういうお守りみたいなかたちで、皆さんにもてはやされて信仰も深くなって。お年寄りの方たちはお散歩帰りにここに寄って、お参りして帰るということで、道祖神みたいなところもあるって聞いてます。
 
 
 

■仏像彫刻


 
(石井信雄さんのご自宅に入りながら)
【武内さん】ここがお宅です。お待たせしました~。
【石井信雄さん】まああの…一杯冷たいのを飲んでから。飲んでから。用意してあるんだもん。
【武内さん】仏像を彫られたきっかけっていうのは、どんなことから始まったんでしょう?
【石井さん】そうですね、會津八一と入江泰吉さんの本が大好きでね。読んでるうちにすっかり虜になって。それをずっと読んでて興味を持ってね、彫り始めたんです。まあ100体以上は掘ってるんじゃないでしょうか。
【武内さん】そうですか。一番自分でこれはすごく苦労したけれど、っていうのはありますか?
【石井さん】これは丸2年。1回1回抜いたんです。407回。これも首が取れるんですよね。
【武内さん】いわゆる設計図みたいなのがあるんですか?
【石井さん】それはもう。うんと彫る。何回も何回も描く。先生が描き直せ描き直せって言ってね。1年半これをやるんですよ、こういうこと。1年半、手と足と顔だけ彫るんだ。
【武内さん】それが1番最初にやることですか?
【石井さん】そうそうそう、それで嫌になって辞めちゃう。
【武内さん】はあ~。
【石井さん】それは最近のもので、最近って言っても2、30年前ですけど、左右のだけ取ってあるんですよね。それでもやっぱり僕ら、納得しないんですよ。
 
【スタッフ】(こちらの方を見ていただいていいですか? 何枚か撮らせていただきますね。ありがとうございます)
【石井さん】はいどうも。ぶっつけ本番じゃない。何かあるのかなと思ったらさ。
【武内さん】私たちも台本なしですので。
【石井さん】まあまあ、うんとカットしてください。