現地ロケ編全文テキスト

■白鳥座 目白文化協会


 
【若原一貴さん(以下、若原さん)】おはようございます。
【柏木かおるさん(以下、柏木さん)】おはようございます。よろしくお願いします。
【青木滋さん(以下、青木さん)】もともと私のところの親父が映画館(「白鳥座」)を、ここ(「西武写真印刷」が建つ土地)で始めたんですね。
【若原さん】はい。
【青木さん】「幻の映画館」と私が勝手に名づけているのは、実は7年くらいで営業停止――やめてるんですよ。
【若原さん】7年か。
【青木さん】7年間。素人が始めたということで、話せば長くなるんですけど。(アルバムを開きながら)まずこれが、その時の証拠写真みたいなものなんですが、当時はまだこういう泥んこ道みたいなね。
【若原さん】何年頃の写真なんですか?
【青木さん】これは昭和28年。(昭和)28年から昭和35年まで営業していた。この時の最初のテーマ、タイトルがですね、『女王戴冠』という――つまり今のエリザベス女王が戴冠――冠をかぶるっていう儀式があるんですけど、それの記録映像的な映画があった。
【柏木さん】へえー。
【青木さん】そういう映画がこの後ろの方(のポスター)に描かれているんですよ。これのオープニングの時に記念写真を撮っています。集合写真をですね。この(集合写真の)中には……尾張徳川家の本家が目白にあるんですけど、目白初代の当主・徳川義親さん、その息子さんである義知さん(徳川義知)が写っていますね。隣の右側の方がうちの親父。これが私の映画館の創業者。1番右側にちっちゃく写っているのが私。実は(目白)文化協会のメンバーが、他にいるかどうか分かりませんけど、徳川義親さんと石川栄耀(いしかわひであき)さん、この2人が写っているってことは、その影響があって実は映画館を作ったと。当時は視聴覚というようなことで、テレビがない時代。そういうことで文化を伝える施設を目白に作ってくれないかということで、「作ってしまった」って言った方が、私の中ではね。
 
 
 

■銀鈴(ぎんれい)の坂


 
【青木さん】ここからずーっと駅の前まで、「銀鈴の坂」といって、階段なんだけどあえて坂というんですね。ここは昔、山みたいではなく広場みたいになってて。
【若原さん】そうなんですか。
【青木さん】(高田馬場駅方面を指しながら)向こう側に駅舎があったんですね。ここから高田馬場方面に100メートルくらい行ったところに駅舎があった。こういう絵(かつての駅周辺のスケッチ画)があるんですね。ここ(絵に描かれた、線路に架かる橋)が目白通りと思っていただくといい。だいたい方向的にはこういう感じ。で、ここは駅舎になって。
【柏木さん】あー、なるほど。
【青木さん】(絵を指しながら)多分ここら辺には踏み切りがあって、(橋を右方向へなぞりながら)こういうふうに行くと、学習院に出てくる。
 
 
 

■目白駅


 
【柴田知彦さん(以下、柴田さん)】「目白まちづくり倶楽部」という、まちづくりの活動母体があるんですが、(青木さんとは)その仲間です。(まちづくり倶楽部による駅前整備のチラシを見せながら)ちなみに、こういったものの提案もすべて、まちづくり倶楽部から協議会を介して――この場合は豊島区に提案をするということ。だいたいその通り作ってくれてるんですよ、ありがたいことに。
【青木さん】だいぶ昔の議題にですね、「目白の道や広場の名付け親になろうよ」ということで、事業をやりました。駅前を含めて4か所名前を募集して。駅前は目白駅四季の広場。ちょうど四季の広場の花を、四季に合わせた花を植えていこうという。
【柴田さん】ここの広場、実は目白の街の人たちと考えて作り出したんです。最初はこちらをイベント広場にする。木も何も植えない、そういった計画だったんですね。じゃあ、我々街側でイベントをやろうじゃないかと。で、あそこがイベント広場に適してるっていうことを、証明しようと。で、行ったのがこのイベント(これまでの各イベントのパネル写真)です。通りの半分をカッポレの大集団が埋め尽くしてるんですね。目白でこの手のイベントをやるのって、すごくやりやすいんですね。
【若原さん】その昔、なんかあれでしたよね。あの……貨物を利用したビアホールだった時期が……。
【柴田さん】あ、それはね、ちょうど計画を立てていたときに。繋ぎが必要ですよね。貨物ヤードはもう廃止していますんで。でも次の計画は時間がかかる。それで、その間に。
【若原さん】それであのビアホールがあったんですね。
【柴田さん】ログハウスで……。
【柏木さん】そうですねえ。
【若原さん】ログハウスで、はい。
【柴田さん】楽しかったですよね。
【若原さん】貨物とね。何回か行ったんですけど、はい。
【柴田さん】ということで、目白には次々と新しいものが生まれています。
 
 
 

■目白小学校


 
(目白小学校の裏通りを歩きながら)
【柴田さん】ここは、かつては小学校の裏だったんですね。目白通りに正門があって、こっちは小さな通用口があっただけで。
【柏木さん】そうそう。
【柴田さん】で、全部壁で。それも決して美しくない壁で。校舎をこちら(裏通り)に寄せて校庭にして、そうするとこちらから学習院の森まで全部、見通せるわけですね。あの森が見えるのと見えないのとでは、地域にとってはね。
【若原さん】大違いですね。
【柴田さん】緑との関係が全く違いますよね。目白小学校の敷地はこの端っこまでですね。それを歩道にして。まあ、子どもたちも通りますしね。地域の人たちもやっぱり、車道より歩道歩いた方がね。それからもうひとつは、並木を作る。緑を植える。そうするとやっぱり、地域の格が変わるじゃないですか。
【若原さん】そうですね。
【柴田さん】しかも地域のいろいろな資産ですよね。森にしても何にしても。そういうものが全部繋がっていく。あんまりお金もかかんないですよね。
【若原さん】そうですね、あるものを活かして。
【柴田さん】そう、あるものをどう活かしてというのが大切なんですよね。
【若原さん】なるほどねえ。
 
 
 

■目白通り 目白骨董通り


 
(目白通りの歩道を歩きながら)
【若原さん】その昔、ずっとアーケードっていうか、屋根がついてましたよね。行き帰りも大変だったのと、やっぱり幅が狭かったんで、ずーっと全部、屋根がかかってましたね。まあ、雨の日に傘をささないで通れるのはよかったんですけど。それを全部外して、最近この街灯が出来たんですよね。
【柏木さん】そうです、そうです。これ「目白銀座」でしたっけ?
【若原さん】はい、商店街の街灯をつけて、ええ。
【柏木さん】そうですね。
 
(骨董通りを歩きながら)
【柏木さん】なんか、ここからが骨董通りっていうんだと思うんですけれども。大体5、6件のアンティークの……アンティークというか骨董屋さん、古道具屋さん、それが並んでる。
 
(吉村順三事務所の前で)
【柏木さん】これがね、あれですよね……あの。
【若原さん】吉村さん。
【柏木さん】吉村順三さんの事務所。有名な建築家でいらっしゃる。こちらで記念ギャラリーっていうのをなさってて、展覧会的にやっていて。住宅とか、ホテルとかの図面とかを、元担当者だった方とかが説明してくださる。すごくおもしろいとこなんですね。
【若原さん】週末だけ。
【柏木さん】週末だけなんですけどね。
 
 
 

■徳川黎明会 徳川ビレッジ


 
【柏木さん】(徳川黎明会の塀沿いを歩きながら)いよいよ徳川さんの――。
【若原さん】徳川さん。
【柏木さん】ここの前を通って、門が開いてると中が見えるでしょう。それで、「中には何か怖いものがあるんじゃないのか……」って。
【若原さん】はははは。
【柏木さん】そういう、なんか謎の洋館っていう、小学生のときのイメージがまだそのままありますよね。
【若原さん】変わらないですね。
 
(徳川義崇さんと対面して)
【柏木さん】小さい時からずっとここら辺を通ってまして、小学生の時とかにここを通るとすごい不思議なものがある、って(笑)。で、みんな、「ここに謎がある」って言って、ちょっと(門の中に)入って。その頃はあの門がつねに開いてて、入ってみて「何か怖いものがあった」「きゃーっ」って出てくるっていうような。
【徳川義崇さん(以下、徳川さん)】50年ぐらい前までは、この塀がなかったんですよね。
【若原さん】ああ、そうなんですか。
【徳川さん】今もあの塀にちょっとツタが絡まっていますけど、あんな感じで建物が覆われてたもんで、けっこうみんな、不気味な所だと思ってたみたいで。
【柏木さん】あ、そう、そう。
【若原さん】建物自身が完成したのは?
【徳川さん】こちらは……のちに増築してるんですけど、最初にこの建物が出来たのは昭和8年ですね。
【若原さん】昭和8年。
【徳川さん】はい。
【若原さん】(屋根を見上げて)あの屋根はスレート石? 石の屋根ですね。
【徳川さん】うーんと、材質はちょっとよくわからないですけど、昔からああいう屋根ですね。
【若原さん】天然スレートですね。
【柏木さん】ああ、そうですね、厚みがある。(煙突を見上げ)あー、なんか煙突が、暖炉が。
【若原さん】(建物の)側面がすごく素敵ですね。窓も当時のままですね。
【徳川さん】もうだいぶ傷んで傾いてるんですけどもね。でも幸いなことに、金具やなんかも、まだ昔のままなんで。
【若原さん】色味なんかも、窓の色なんかも変わってないですよね。
【徳川さん】私の父、亡くなった父がこの緑色が好きで、あっちこっち緑色に塗ってた覚えがあります。
(玄関へ向かいながら)これ入るともう直ぐ上にありますんで。
【若原さん】(玄関の中から天井を見上げて)わあ……。
【柏木さん】(天井の升目に描かれた絵を見上げながら)あれ何でしょう。
【若原さん】素敵ですね。
【柏木さん】ちょっと東洋風な感じの様子ですね。
【若原さん】そうですね。なんか、全部描いていないのがおもしろいですねえ、ところどころ(升目が)あいてて。
【徳川さん】描かれたものそれぞれについて、(長谷川)路可さんからおそらく当時は説明していただいたんでしょうけれども、それは記録に残っていないもので。まあ、こちらは事務所として使ってますんで、ご自由にご覧下さいという訳にはいかないので普段はお見せしてないんですけど。長谷川路可さんの作品を研究されてる方とかね、そういう方で調査したいという方には、お目にかけるようにはしてます。
【柏木さん】そうなんですか。(木彫りの人形を見ながら)なんか不思議な案内人が……。
【徳川さん】これはね、みなさん「なんでこんなものが?」って言うんですけど、(徳川)義親――私の曽祖父の義親が大正期に約1年ぐらいかけてヨーロッパの周遊旅行へ出てるんですけど、その時に買ってきたもののひとつで。そのヨーロッパの周遊旅行でスイスに寄った時に買ってきた木彫りの熊が、北海道のあの木彫りの熊のルーツということです。
【柏木さん】あー、そうなんですか、へえ~。
 
(徳川ビレッジへ)
【徳川さん】今ちょっと門が締まっちゃってますけど、一応こっちから徳川ビレッジの構内に入れるようにはなっておりますね。
【若原さん】(植木屋に)こんにちは。
【柏木さん】今、植木屋さんが入る時期なんですか?
【徳川さん】ほぼ1年中、どこかしらはやっている感じですね。(屋敷の塀の外から敷地内の石灯篭を指して)あの小さく見えてる石灯篭……見えますかね。
【柏木さん】あー、はい、はい。
【徳川さん】昔はここにあったんじゃなかったんですけど、戦前にヘレン・ケラーさんが初来日されたときに、義親が昼食会にこちらの屋敷に招いてるんですね。ヘレン・ケラーさんは眼が不自由なもんですからね、日本庭園の石灯篭の輪郭を手でなぞって、どういうものかっていうのを探っているお姿の写真が残ってるんですね。
【若原さん】へえ~。
【柏木さん】なかなか素敵ないい思い出ですね、なんか。
【徳川さん】そうですね、昭和11年くらいのことですね。
(徳川さんの家の前で)ここが、私が育った家。
【柏木さん】これはまた独特な……。
【徳川さん】昭和37年(築)ですかね。
【若原さん】(2階の張り出し窓を見ながら)あそこは何の部屋ですか? ちょっと飛び出しているのは。
【徳川さん】あれはですね、左側の窓が親父の書斎に使っていたとこで、昔からエアコンがあったんですよ。外に出っぱらせてあげないと部屋の中に飛び出しちゃうんで、それでああいう造りになったんですね。
【若原さん】まだ、住宅のエアコンがそんなに普及してない頃ですね。
【徳川さん】ない頃ですね。
【柏木さん】(構内の標識を見ながら)「子ども、遊戯多し、構内最徐行」。いい標識が(笑)。
【徳川さん】そうですね。
【若原さん】(徳川ビレッジは)オリジナルの建物がいいですね。
【徳川さん】ええ。
【柏木さん】ほんとに。
【徳川さん】いわゆる分譲住宅みたいだと、本当に同じ格好の家がずらずらっと並んじゃうってのがありますけどね。まあ、ここはそういう意味では1年に何人かずつ、少しずつ増えていったっていうのもありますし、それぞれの家に個性を、というところもありましたね。
 
 
 

■洋画家 森田茂


 
【柏木さん】あ、お母さん、帰ってきましたからね。
【若原さん】お邪魔します。
【柏木さん】(2階のアトリエにて)ここが祖父(森田茂)のアトリエなんです。昔はもう本当に、祖父のアトリエっていったらこの部屋じゅうに、乾かしてある描きかけの絵が並んでいまして、外は見えないような、すごいカオスみたいな、そういう場所だったんですね。(部屋の中)全部が絵っていうんですかね。その中に獣道を通るようにして入って、絵を描くと。描きかけの絵がいっぱい並んでるわけですけれども、そういう描きかけの絵が「自分を描いてくれ」っていうふうに言ってて、それがアトリエにいるときの幸福感っていうんですかね。そういうものだっていうふうに祖父が言っておりました。
【安増千恵子さん】今、私がここを使っておりまして、最初の頃はあの厚塗りでしたんですけれども、私はどうも厚塗りがなかなか上手くいきませんで。途中から父もあきらめて「自由にやんなさい」ということになりまして、自由にやりました。家じゅうの人が父の絵がずっと好きなので、なんかそういうのは、とってもいいことだなあと思っています。
【柏木さん】(1階に飾られた森田茂作品を見せながら)この絵が90歳代になってからの絵なんですね。この頃、ちょっと車椅子になったもんですから1階に移りまして。車椅子で、時々立ち上がって(描く)、みたいな形で描いた絵なんですけど、なかなかそういうふうには見えないかなっていう、迫力があるような絵かなと思います。
 
(門の前で、向かいの家を見ながら)
【柏木さん】私が子どもの頃ですよね。お向かいが石川栄耀さんのお家で。時々批評会とかがあるんですけれども、そうすると家の中では絵を広げられないので、背の高さくらいある絵をみなさん、巻いたり、そのまま持ってきたりして批評会をするんです。ここ(向かいの家の塀)にずらーっと10枚くらい絵を並べて、祖父が竹の細い棒を持ってきて、ここをこうしろ、あそこをこうしろってう言って。石川さんとしては、音楽家とかそういう方じゃなくて、絵描きさんだから静かでいいだろうっていって紹介してくださったんだそうなんですけれども、実はもうとんでもないという……。石川さんご一家は、絵と絵の間から恐る恐るお家に入るような、なんかそんなことがありました。
 
 
 

■目白の森


 
【柏木さん】お隣が借景で、目白の森なんですね。目白の森っていうのは、25年前にご当主がお亡くなりになられたのをきっかけに売却されて、マンションになるということで。「来週から」っておっしゃったのかな。「木を全部切る」「ですのでよろしくお願いします」と言われたんですけども、そこから「ちょっとそれは違うんじゃないかな」っていうことで、保存をお願いするというようなことを始めたんですね。多分この少し空いているところが、その元お家のあったところで。
【若原さん】住まいの跡地ですね。
【柏木さん】はい。だから緑に囲まれて、内庭みたいな形のお庭があって、池があって。これは楠の木のオブジェなんですけれども、これは池袋の方に行く道すがらに、何本か巨大な木がたってたんですね。ある日、柴田(知彦)さんが、それを切るところに通りかかったと。で、こういうふうに切られてしまうのがとっても見るに見兼ねるものがあったんですって。しかもその木の根っこっていうのがすごくパワーがあるような。目白の森がちょうど出来た時期(の木)なので、オブジェとしてこの公園に置いてみましょうということで。
【若原さん】この辺も? 大谷石の。
【柏木さん】そうそう。多分、その蔵の大谷石が使われています。もう本当に、こういう場所が残って、具体的にどう楽しむってこともあるけど……まあ、あるだけでね。
【若原さん】そうですね。
【若原さん】ちょっとここを通り抜けるだけでも。
【若原さん】そうですね。まあ、ないと殺伐としてきますからね。
【柏木さん】こういうものがあるっていうのは本当によかったかなあ。
【若原さん】はい。鳥のさえずりもすごく気持ちがいですね。
【柏木さん】そうですね。今日は本当に天気がよくていい感じです。(落ち葉が舞うのを見ながら)あ、いっぱい落ち葉が舞ってる、回転してる。