■北池袋駅
(北池袋駅に向かって歩きながら)
【戸田汎さん(以下、戸田さん)】天気がよくてよかった。
【大橋政子さん(以下、大橋さん)】よかったです。
【戸田さん】これ1人で歩いたら大変だよね。
【大橋さん】大変。
【大橋さん】(北池袋駅の踏切前で)昔はこれ(踏切横の地下通路)がないんですもん。こういう地下はね。なかったんですもんね。だからここでずっと待ってなきゃいけなくて。
【戸田さん】今、見たって結構、遮断機が降りてる時間長いですからね。といってここを自転車で通るのはきついんだよ。こうやってまた上がってかなきゃいけないから。
【大橋さん】ガタガタ階段なんてね。車も一緒だし。
【戸田さん】今みたいに自転車で行く方もいますけどね。ここ(踏切)が地下道になるんですよ。立体交差でね。
【大橋さん】車がここの下をずっと行くんですよね。
【戸田さん】そうそう、立体交差ですからね。
【大橋さん】今の交番の所で出るみたいですよ。信号でね。
【戸田さん】(立体駐車場には)いつ頃なるんですかね?
【大橋さん】どうだろう、2020年の予定だけど…ちょっとわかんないよね。
■池袋第一小学校
【戸田さん】大橋さん、ここにいた時はまだこの建物のまんまだったの?
【大橋さん】違いますよ、まだ木造ですよ、木造。木造の2階建てで、そうですよ木の階段ですよ。広いのでね。今度建て直す時はあの建物も全部なくなっちゃうそうです。それでエレベーターが2機つくとか。
【戸田さん】すごいな。
【大橋さん】素晴らしいですよ。校庭がもっと広くなるみたいですよ。
【大橋さん】(歩きながら桜の木を指して)この木がね、もったいない。これがなくなっちゃうんですよ、道路が広くなると。いい桜の木なんですけどね、これね。
(通称「仲通り」を歩きながら)
【大橋さん】昔、仲通りと言ったみたいです。
【戸田さん】あ、ここがね。
【大橋さん】納豆屋さんがあったんですよ、どこかに。この道のね、どこらへんなんだろう。
【戸田さん】仲通りって言うぐらいだから、お店が多かったんだろうね。
【大橋さん】そうですよ、賑やかだったみたいですよ。
【戸田さん】このお蕎麦屋さんも古いよね。
【大橋さん】ここも古いです。花月(花月庵)さん。ここも古いんですよ。
【戸田さん】あ、いるわ。
【大橋さん】ちょっとお話聞きたいんだけど。いつ頃からここお店やってるの? ここのお店。
【早川トク子さん(以下、早川さん)】もう先代がやってたから。
【大橋さん】お嫁きたのいつ頃なの?
【早川さん】えっ?
【大橋さん】お嫁きたのいつ頃なの?
【早川さん】えっとね、(昭和)23年ごろ。
【大橋さん】(昭和)23年。
【戸田さん】昭和23年。やっぱり商店街は多かったんですか?
【大橋さん】商店は多かったですか?
【早川さん】いいや、全然。原っぱ。
【大橋さん】原っぱだった。
【早川さん】全然。原っぱでしたよ、焼け野原で。
【戸田さん】焼け野原で。(昭和)23年ごろは。
【大橋さん】そうでしょうね。
(「バーバー太陽」にて)
【大橋さん】雄ちゃん。お話ちょっと聞かせてもらおうと思って。ここの街歩きやっててさ。
【戸田さん】すいません、お忙しいところ。昔はこの辺は…。
【清水雄一さん(以下、清水さん)】堀之内。
【戸田さん】堀之内で。
【清水さん】商店街ばっかり。
【戸田さん】商店街だったのここは。
【大橋さん】雄ちゃんのとこは床屋さんはさ、いつ頃からやってんの?
【清水さん】ここは(昭和)25年。
【大橋さん】(昭和)25年。
【戸田さん】昭和25年から。
【清水さん】そう。で、北池(北池袋駅)が出来たのは昭和26年。その前は堀之内って駅で昭和9年。
【戸田さん】昭和9年だったんだ。
【大橋さん】数字に強いんだから。
【清水さん】(近所を指さし)そこも「一番」ってラーメン屋があった。そこもね、電気屋さん。で、あそこの大橋さんとこの前、あそこはお産婆さん。「あべさん」って。
【大橋さん】私、そこで取り上げてもらったの。
【清水さん】俺もそう、俺らもそう、みんなそう、大橋さんもそう。だから奥さんは何年生まれかって言うと…。
【大橋さん】いいの(笑)。もうね、数字がね、うんと強くてさ。誰が何月何日なんて、芸能人でもなんでもそう。(大橋さんの自宅前にて)ここが3年前建て直しました我が家でございます。ここで米屋をやってました。(数分、歩いた先で)いるかな、おばさんいるかな。おばさん。(この辺りは)だいぶ変わったよね?
【峰岸貞子さん(以下、峰岸さん)】変わってますよね。変わってるよ、もう。
【戸田さん】大橋さん、そこに「峰岸青果」って書いてある。
【大橋さん】そうなの。峰岸さんって八百屋なんだもん。おばさん大変だったんだよね。旦那さんが、お子さんの小さい時に亡くなられて。ずっと八百屋さんやってたんだもんね。
【峰岸さん】はあ。
【大橋さん】女の子2人。
【峰岸さん】なあに、もうとにかく(カメラ)回ってんのそれ? やめてよ~。
【戸田さん】どうもありがとうございます。
【大橋さん】すいませんね。ありがとうね、またね。
【戸田さん】だからこの仲通りに面してるところは店舗が多かったんだろうね。
【大橋さん】多かったんです。賑やかだったんです。
【戸田さん】賑やかだよね。日常生活は暮らせたんだ。
【大橋さん】そう、もう十分ですよ。
■上池袋さくら公園
【大橋さん】やっぱり桜の木がずっと植わってまたよ、ここは。ずっと植わってて。
【戸田さん】(フクロウの石像を指して)ここにもフクロウがいる。あれ、フクロウですから。
【大橋さん】テニスコートがあったり、それからバレーボールコートがあって、われわれ小学校の時のPTAのママさんバレーの時はそこを借りて使ってましたよ。そこが(JR山手線の)車庫ですもんね、もう。
【戸田さん】そこが車庫なんですよね。
【大橋さん】そう、ここ(公園)全部車庫でした、ここまで。
【戸田さん】あ、そうなんだ。
【大橋さん】うん、ここまでね。テニスコートとバレーボールとかね。結構ね、皆さん昼間やってましたよ、休み時間に。それで今はここで町会の盆踊りをやって。やぐら組んでますしね。
【戸田さん】ここが一番、広い公園だもんね。
■子安稲荷神社
【大橋さん】こんにちは、あ、宮司いらした。七五三ですか?
【鏑木俊さん(以下、鏑木さん)】そうです。まだ今日、明日まで忙しいんで、それが終わればって感じで。
【大橋さん】(参拝を終えて)お天気が良くて。
【戸田さん】あれは神輿が入ってんだろうかね?
【大橋さん】そう。ここはさ、子安稲荷(神社)のは、ちっちゃいけど神社神輿だって話でね。子安(会)さんとか宮本(会)さんとか分かれてたんだけど。今は町会単位でやるから、こちらがね、明治通りの方なんだけどね、こっち(逆方向)が裏になるんですよね。こっちが表参道って感じになるんですよね、そうですよね、宮司ね。
【鏑木さん】そうですね。こっち(明治通り側)は後からできた。
【大橋さん】後から出来た。
【戸田さん】あ、そうなんだ。
【鏑木さん】あのここが、このように一直線じゃなかったみたいで。このあたりのお家の方と掛け合ってここを一直線にするようにっていうかたちをとっていただいたみたいです。
【大橋さん】あ、そうなんですか。
【戸田さん】あそこに、参道の開設記念ってのがある。
【鏑木さん】あれはそうですね、参道を作った時に。あと社殿。
【戸田さん】社殿も再建したんだ。
【鏑木さん】はい、あの空襲で燃えてしまったので、はい。
【大橋さん】(子安稲荷神社の由来書を見ながら)これがここの由来で。あ、こんにちは。ちょうどいいところに。だからね、今ね、いつ頃からかねって。神社で前に頂いたものがあってさ、これ見てたんだけども。稲垣さんはいつ頃からこっちなの?
【稲垣孝夫さん(以下、稲垣さん)】えっと今から、60年ぐらい前。
【戸田さん】だいぶ変わりました? この辺は。
【稲垣さん】変わりましたね。
【戸田さん】60年前と、どういうふうに変わりました?
【稲垣さん】要するに、今おっしゃったその…小さいお店がなくなったって感じじゃないですかね。
【戸田さん】なくなった後は、何が建って変わったんですか?
【稲垣さん】やはりこう、住宅とか。建売みたいなね。
【戸田さん】建売で。まあでもね、やっぱりこういう盆暮れのイベントでここ穴掘ってお焚きやったりしてね。
【稲垣さん】大晦日はね。
【戸田さん】大晦日はね、良いことですよね。
【大橋さん】お神酒も出すし。だって結構、明治通りの方までずっと並ぶんですよ、ぶわーっと。800人ぐらい来た時もあるんだよね、これでも。
【稲垣さん】人数の方はあれだけど、かなり。消防団員の人がね、整理してますね。
(明治通りを歩きながら)
【大橋さん】ここも広くなるからって言っても、いつになることやら。明治通りもね。
【戸田さん】当分だめだよね。
【大橋さん】だって、昭和21年から決まってるんですってね。私たちが産まれる前から決まってるのにさ。明治通りもね、お店がいっぱいありました。傘屋さん、靴屋さん…。明治通りすごかったですよね、お店はいっぱいですよ。今ないけどね、あんまりね。
【戸田さん】(堀之内橋から真下の線路を指して)ここに昔、踏切があったってのは信じられないよね。踏切だったんだよ、貨物線の。
■堀之内橋
【大橋さん】山手線はこうなっていたけど、宇都宮線が走ってるところは貨物線で地上と交差してて。だからここは踏切だったの。
【大橋さん】全然変わりましたね。スカイツリーがここから見えるなんて。本当に。
(堀之内橋の近くの路地を歩きながら)
【大橋さん】ここら辺も賑やかだったんでしょうね、きっとね。だから跡ばっか残ってて、看板も取らないでそのまんまなんだよね。
【戸田さん】結構、2階屋が多いよね。
【大橋さん】ここで聞けばね、多分わかるんだ。古い人なんだ。今、店は何もなくなっちゃったでしょ。
【関根 博さん(以下、関根さん)】昔は店…。スナックだとかあったけどね。
【大橋さん】私たちは、あまりこっちの方よくわからないんだけど。ラーメン屋さんとか…。
【関名さん】ほとんどなくなってるもんね。
【戸田さん】これが本道っていうのは信じらんないね。
【大橋さん】ここね。
【戸田さん】地図見るまでは。明治通りができる前までは、池袋に行く本道だったんですよ。
(「旧鎌倉街道」を歩きながら)
【大橋さん】こんな細い道が本通りだったんだね。
【戸田さん】だから広くはしなかったんだね。明治通り作っちゃったから。
【大橋さん】家がばんばん建っちゃったんでしょうね、きっとね。
【「バーバー太陽」清水雄一さんの弟・清水尚人さん(以下、清水さん)】
【大橋さん】あれ、尚ちゃん。
【清水さん】うちの兄貴はさ、あれは自分のね、思った知識しかべらべら喋んない。
【大橋さん】あはは…。
【清水さん】だから昔の話どうでもいい話をさ、されちゃうんだよ。ほんとはさ、このさ、この商店街、昔の地図があるんだよ。昔、明治通り100軒ぐらいのお店がずらずらずらって。戦前の話だからね。そういうの欲しいですね。
(明治通り沿いの「くぼきサイクル」に入りながら)
【大橋さん】こんにちは、お父さん、ちょっと話聞かせて。商店街の話。
【久保木進さん(以下、久保木さん)】俺がやってから60年。
【戸田さん】60年。
【大橋さん】その先代がいるもんね。あれ先代はやってたんでしょ?
【久保木さん】先代もやってたから。
【戸田】先代さんは何年頃からやってたんですか?
【久保木さん】大正じゃないの。
【大橋さん】大正? わあ。
【戸田さん】今のご主人の代になって60年ですけど、その間どういう風に変化してました? ここの明治通りは。
【久保木さん】明治通り? 商店街がなくなった。昔からやってる商店街で商売やってんの、うちと米屋さんと床屋さんが残ってるぐらい。
【戸田さん】いつまでもやってください、自転車屋を。
(「竹屋横丁」を歩きながら)
【戸田さん】ここが竹屋横丁なんですよ、昔のね。竹屋があった。
【大橋さん】竹屋横丁にあった竹屋って、前はどこにあったんでしょうかね?
【戸田さん】このへんにあったんだろうね。
(竹屋横丁を抜けて並行する通りで)
【大橋さん】(交差点を指しながら)あそこの角から、あの信号からここは8日(※正しくは3日)の日に縁日がかかった(出店した)んですよ。それで、月に(よって)こっちにかかったり向こうでかかったり、交替でなってたような気がしますよ。賑やかでしたよ。
【戸田さん】かもしれないね。
【大橋さん】ずっとここら辺までかかるんですよ。賑やかでしたよ。
【戸田さん】それはすごいよね。
【大橋さん】そう、あの頃はバナナが房でね、新聞でくるんであって。
【戸田さん】本当だ、本当だ。まあでも、いいところですよね、堀之内は。
【大橋さん】そうですね。あの、なんていうのかな。下町みたいな感じのところがあってね。
【戸田さん】そう、今お会いしてた人たちだって、だいたい下町の感じじゃない。
【大橋さん】そうでしょ、八百屋さんのおばさんだってなんだってね。
(区民ひろば上池袋の壁面に描かれた金魚を見ながら)
【戸田さん】よく目立つよね。
【大橋さん】えっ?
【戸田さん】金魚。あれ、金魚ですからね、金魚。「金魚ひろば」の金魚だから。誰が作ったんだろうね。
■区民ひろば上池袋
【櫻井ヨネさん(以下、櫻井さん)】私は、転々としたんですけど。学校を転々として、4年の3学期に移ったんですよ、池七(池袋第七小学校)に。そして5年の1学期にもう、すぐ先生から竹岡(旧竹岡健康学園)へ行かないかって言われて、それであの竹岡へ行ったんですよね。人数が少なくなってきて、養護学校(現・特別支援学校)は結構、建物が広かったんですね。そしたら私たちはこの学校の方に移されて、ここへ兵隊さんが入ったんですよ。今まで自分たちがいた部屋のところは、全部兵隊さんが入りました。お食事もね、兵隊さんは学校の食堂は使わないで表にね、テントを張って。表でご飯を炊いたり何かしてましたよ。私たちがちょうど一緒になった頃には食べ物がなくなってて、朝ね、サツマイモが2切れだったと思うんですよ。漁師町でしたから、魚を獲るんですけど、たぶん輸送できなかったんだと思うんですね。それでお魚は結構食べさせてくれたんですよ。煮た魚がね、お皿の上に2匹つくんですよね。そしてその2匹の魚をね、頭から尻尾まで兵隊さんのことを思ったら絶対、皿の上へ残しちゃいけないっていうわけ。そこのお蕎麦屋さんありますよね。「花月庵」。
【大橋さん】花月(花月庵)さん。
【櫻井さん】お蕎麦屋(花月庵)さんからまっすぐの道がありますよね。あれはなかったんです、戦前は。
【戸田さん】そうらしいね。
【櫻井さん】(櫻井さんによる手書きの地図を見ながら)火の見やぐらがあって、それでななめに行って、そこから左へ曲がってまっすぐ出た。終戦後帰って来たら、(地図で道沿いを指さし)ここがね、戦災で焼けた方たちの住宅になってて。それでここに道がね、昭和23年に帰ってきた時にもう、ここに道はできてました。
【荒井秀輝さん(以下、荒井さん)】昔、大正時代には、堀之内と三家っていう地名があったんですよ。言葉では「三家のうちに行ってくるよ」って言ってますけど、実際にはね。
【櫻井さん】三家は聞いたことはないです、私は。
【荒井さん】今のくすのき公園のすぐそばに、木造建ての材木屋さんがあったんです。その前あたりにお地蔵さんがあったんです。これがお茶あがれ地蔵ということなんですが、工事をやる時、道を広げる時にですね、お地蔵さんをないがしろにしちゃったと。そしたら事故がすごく多かったと。これじゃあしょうがないなっていうんで、今おっしゃった場所へ移転をした。その時に誰がお守りを作るかって言った時に、特別に誰のものっていうのもなかったものですから、それじゃあっていうんでこの街の人たちで守ろうじゃないかということで、今あるところに鎮座したわけですね。
【櫻井さん】それでお地蔵さん、今は向こう向いていますけど、元は竹屋横丁の方をね、向こうを向いてたんですよ。
【荒井さん】竹屋横丁って言っても…。
【戸田さん】今通ってきて、みなさん「えっなんで? 竹屋さんなんてないじゃない」って言うけど、出口のところの左側、今度はラーメン屋さんになったかな、そこに竹屋があったの。ここが広くなったのはね、ここに軍需工場がコンクリート会社になって生コン屋さんになって、それがここをね、今で言うミキサー車が通ると揺れたんですよ。コンクリートの舗装じゃないから。みんな木造ですから、ここらへんは。それで揺れてたから、舗装してくれたの。それとともに道も綺麗になったら、街灯? 今でいう街灯、あれをものすごい格好いい、綺麗なあれ(街灯)をつけてくれたの。そしたら夜、キャッチボールができたぐらい明るかったの。電灯があまりない頃だったから。
【櫻井さん】父は、金魚と鯉が道楽だったんですね。6畳か8畳か、とにかく2メートル何かじゃないんですよね。3メートル四方くらいの大きなコンクリ(コンクリート)の池を造って、その真ん中に噴水が出てたんです。2階にこう、今でいうベランダみたいに出てましてね。そこに金魚鉢をずらーっと。特注で作ってもらった大きな金魚鉢を3つ並べてありまして、ご近所のお子さんたちもおじいちゃんに連れられて「鯉がいるよ」とかって言ってね、見に来てくれたんですけど。
【戸田さん】櫻井さんね、大きな金魚のモザイクの絵があるじゃない。
【櫻井さん】はいはい。
【戸田さん】それと今の金魚の話と何か…。
【櫻井さん】いやいやいや、全然関係ないですよ。
【戸田さん】でも何かこう、偶然性って感じます?
【櫻井さん】そんなことは話したわけじゃないです。たぶんここで、要は児童館でしたから、子どもたちが集まるためにね、金魚の絵がいいと思って作ったんだと思いますよ。
(区民ひろば上池袋の屋上にて)
【荒井さん】ちょうど、上池袋さくら公園の端っこ。さくら公園の奥っていうのかな。
【大橋さん】ちょうど電車の一番あれかな。終わりのところくらいが、どんどん橋ですよね。3歳くらいの時にどんどん橋の一番端の電車が、アメリカの兵隊さんがいて、チョコレートを投げて…夢のようで…。
【櫻井さん】そう、(真下を通る線路を指して)ここほら、東上線が。
【荒井さん】そのあれ(チョコレート)はね、もらいましたよ。ちょうどここを通るから
【櫻井さん】ここ通るのよ、東上線が。ほら、成増が(米軍)ハウスだったから。それで池袋から特別列車が出て、アメリカさんの兵隊だけが乗った汽車が通るのよ。そうするとあそこ(線路際)で子どもたちが「ちょうだい、ちょうだい」って。
【荒井さん】ちょうどあれはね…。
【大橋さん】やってたんだね、私も。
【荒井さん】そこの東上線が曲がるじゃない、ぐーっと。ここで曲がるから、曲がるところでスピード緩めるじゃない。あの角のところにみんながいて、それで「ちょうだい、ちょうだい」ってやるの。あの時のガムはね、ガムは今でも、覚えてます。
【櫻井さん】そうだろうね。
(区民ひろば1階に貼られた、「NPOきんぎょひろば上池袋」の説明書きの前で)
【戸田さん】私は「街づくり協議会」の方からこちらに参加しまして。その頃はサラリーマンをしてたんですけども、何か地域にも役にたつことをしたいということで、「街づくり協議会」からこちらの方に参加させていただきました。
【荒井さん】「区民ひろば上池袋」っていうよりも「どこ?」って聞かれたら「金魚」って言うと、今のおばあちゃんなんかはそういうことを知ってますから。それを受け継いでる親は、自分のおばあちゃんからすれば孫も金魚ひろばって言うことが一番いいのかなっていう。
【大橋さん】せっかくね、こんなに広いひろばがあるんで、なるべくみなさんに来て頂きたいですよね。