現地ロケ編全文テキスト

■大塚駅北口駅前広場


 
(大塚駅前を歩きながら)
【小林和子さん(以下、小林さん)】昨日そこ(駅前)を通ったら、木が3本切られていて。
【北本建夫さん(以下、北本さん)】そう。
【小林さん】切っちゃうんだと思ったんですよね。
(トラックの荷台に積まれた木を見つけて)
【小林さん】ほらほら、この木!
【北本さん】切ったね。
【小林さん】切っちゃったんですね。あれ(木)を抜いて。あ、根がすごいですね。もうこれはダメなんでしょう。わわわわ……。今、木の根っこがどかされようとしてましたもんね。
【北本さん】駅の大改造でしょうね。
【小林さん】大改造ですよね。
【北本さん】北口から西の方に渡る通路がまたまた綺麗になりましたね。
【小林さん】10年前までは南北に分かれてたんです。別々にね。2009年にこういう風になったので。これまでは南口、北口って、もっともっと古っぽかったんですけれどもね。出来上がりは2021年のようですけど。今まさしく、音を立てて変わりつつありますよね。
 
 
 

■空蝉橋と出世稲荷神社


 
(空蝉橋の上で)
【北本さん】ちょうど駅の真上にスカイツリーが乗ってる感じ。
【小林さん】ああ、ここから見てですか?
【北本さん】(橋のたもとの表示板を指しながら)うん、TOSHIMA CITY。いいね。
【小林さん】この空蝉橋は、ここの下に、明治36年に電車が通った時、池袋―田端間が通った時に出来たんですね。切り通しにして橋を架けた。その前から、どこでしょうね、この辺に出世稲荷っていうお稲荷さんがあって。そこに立派な赤松の大木があって、なんと明治天皇が行幸された時にその赤松にセミの抜け殻――いわゆる空蝉ですね、いっぱい付いていたので、この松を「空蝉の松」と名付けよとおっしゃったかどうか……そういうことで空蝉という言葉が出てきて、そしてここで橋が出来た時に大変優雅な空蝉橋っていう名前が付いたんですね。結局その松は枯れてしまったそうですね。そして出世稲荷自体は、こちらのもうちょっと奥行った辺りに引っ越したということですね。出世稲荷のことも地元の人くらいしか知らないでしょうね。私も今まで知らなかったです。あそこに、ええ。
 
 
 

■空蝉橋下交差点


 
(空蝉橋交差点にて)
【小林さん】すみません、お待たせしました。
【柳川昌子さん(以下、柳川さん)】ここの信号が「空蝉橋下」という信号なんですけど、この辺りが多分、このお話(民話『うなぎの道あんない』)の舞台だと思うんですね。
【柳川さん】(三叉路を指しながら)向こうの方から落ち武者が逃げてきて、この大きな谷端川にぶつかって、「もう逃げられない、もうこれまでか」と覚悟をしたら、うなぎに案内されるように向こう岸に渡れて……。
【矢嶋邦興さん(以下、矢嶋さん)】柳川さんの方でいろいろまとめていただいて、紙芝居が出来ました。先ほどの侍がですね、諦めかけたところでうなぎが出てきて渡れたという。そこで渡ったところで蕎麦がきをいただいて――。
【柳川さん】それで命拾いをしたっていうことで、まあその、恩あるうなぎを食べないってことで、今でもそれを守ってるって。
【矢嶋さん】うなぎを食べないとか、お正月に焼き物をしないとか。お蕎麦を作ってね。僕、お蕎麦を作れるんですよ。
【柳川さん】500年以上前にこのお話が出来た。
【矢嶋さん】室町時くらい。太田道灌(おおたどうかん)ですから、1400年代ですね。
【柳川さん】それからずっと続いていて、そのしきたりを守ってるから。
【矢嶋美與子さん】いやいや……。
 
 
 

■親子読書会


 
(巣鴨図書館の児童書コーナーで)
【小林さん】ここは昭和43年に開館しまして、私たちが子どもの頃は影も形もなかったわけですけど、子どもが生まれてから一緒に利用するようになりました。上の子が3歳の時に子どもの遊び友だちのお母さんが、巣鴨図書館の館長さんに親子読書会っていいうのをしたらいかがですかって誘われたんですね。その方が私に「一緒にやらない?」って言ってくれたものですから。それが昭和47年で、巣鴨親子読書会の始まりです。
【柳川さん】私たちすごく郷土の歴史に興味をもったものですから、豊島区のお話を(子どもたちに)聞かせたいなと思いまして。
【北本さん】小学校でね、朗読の会というのがございました。ただのお話じゃなくて、言霊を一生懸命聞く子どもたちの姿というのは、いいなと感じましたね。
【小林さん】当時は親子読書会が4つあったんですけど、区内を4つに分けまして、担当の地域を親子で歩いて。そこで絵を描き句を作り、そして出来上がったのが豊島区郷土かるたです。
【柳川さん】「いちょうの木天祖神社へ初詣」という、そこから始まるいろはに分けるのも結構大変でしたし、例えば1か所についても子どもたちも親たちも、いっぱい句を出すものですから選句といいますかね、これにしようというのも結構大変な作業だったんです。
【小林さん】「かるたと訪ねるいちにっさんぽ」と題して、再び区内を親子で歩いたんです。歩いてその場で描いた子どもたちの絵が、豊島区郷土すごろくになりました。かるたは46か所ですが、これはいくらでも入れられるという感じで、88か所のポイントがあります。そしてその後、この豊島区郷土すごろくガイド「としま区いちにっさんぽ」というのを作りました。
【柳川さん】そのうなぎの道案内は、特に絵本にしたいなってずっと思ってたんですね。それでたまたま幼稚園のお友だちにね。
【小林さん】そうなんです。
【柳川さん】当主が矢島(矢嶋)家の方がいらしたんですよね。矢島(矢嶋)さんのお家の話だというのが後で分かりまして、なおさら絵本にしたいとずっと思ってたんですけども。
 
 
 

■廃兵院跡と巣鴨公園


 
(廃兵院の跡地を歩き)
【小林さん】ここからこっち(警察署前の向い側)が廃兵院だったわけです。今マンションが建ってますけどね。
【北本さん】向こうも「啓成社」ってね。
【小林さん】そうです、そうです。
【北本さん】義足を作る研究所があった。
【小林さん】義手、義足をね。
(小林さんの幼少期の写真を見ながら)
【小林さん】これは姉と私です。学校にあがる前かなという感じですけども。ここ(にあった石垣の前で撮ってますね。ちょうどこの辺りはずっとこの土手というか、塀だったんですね。上に竹垣があって。
(ご自作の絵本『アオギリの詩』の表紙を見せながら)この木がこのマンションの裏側辺りにあったんですね。もうないですね。もうそういったものは何もなくなりましたね。この辺の木もみんな、マンションが建つ時に一緒に植わった木ですから古い木はないですね。
(幼少期に写真を撮った場所で)この辺りに立ってるって感じですね。
(巣鴨公園に入りながら)
【北本さん】ここが……。
【小林さん】イチョウがきれい。
【北本さん】まめ公園。
【小林さん】まめ公園ですね。
【北本さん】いいよねぇ。
【小林さん】もう何年ぶり?
【北本さん】なんか舞台があるなと思ってた。あの辺(公園奥)にあったよね、石碑が。
【小林さん】結構、木が多くなったような気がするけど。(石碑に近寄りながら)あれあれあれ。あれでしょ。日露戦争の傷病者廃兵院という施設に収容された、その廃兵院があった場所なんですね。明治の終わりから昭和11年に小田原の方に引っ越して行くまで、ここにあったんです。「傷兵院旧址 護れ傷兵 忘るな武勲 陸軍大将男爵本庄繁書」って書いてありますね。
もう子どもが大きくなってから、まるで足を踏みいれなくなりましたけど、昔と同じだなって感じですね。(ご自作絵本『ぼくとおばちゃん』を手に)『ぼくとおばちゃん』といいまして、手作り絵本を作る会で作ったんですね。これが長男ですね。お姉ちゃんたちと清和小学校へ通っていたんですけど、ここへ来ると「おばちゃんがいるかな?」って。おじちゃんもいたんです。おじちゃんとおばちゃんが代わり番だったんですけど。(物置が描かれたページを見せながら)この感じです。外から見て。そしてこの辺りなんですちょうど、この土管っていうんでしょかね、大きいのがここにあって。(息子が)3つくらいだったと思うんですけど、思い切って(おばちゃんに向かって)飛んで。今考えると「あれちょっと、おばちゃん大丈夫かしら」って気がしないでもないんですが。(その場面を写した写真を見せながら)こんな風にして遊んでもらいました。その頃は(砂場に)フェンスもなかったので、お砂のふるいをお手伝いしたりしてたみたいです。そして疲れるとあの中(物置)へ入って一緒にお話しししたり、まあおやつもちょっといただいたりしたみたいです。息子と私とおばちゃんと公園の思い出ですね。
【北本さん】(昔の写真を見せながら)これがこの(巣鴨公園)脇から入った写真だと思います。
【スタッフ】どの辺ですか?
【北本さん】ちょうどその下辺り、うちの父親が撮った写真だと思います。これは母と妹です。私は脇にいて見てたと思います。ちょうどこの辺で立ってた。この向こうは学校ではなくて、焼け野原になってまして、そこに畑があって肥溜めがあったような気がしてね、トンボが上空を飛んでたのが記憶に残ってます。これは私です、猫を抱っこしています。
 
 
 

■子安天満宮(菅原神社)


 
【保坂德右衛門さん(以下、保坂さん)】このお社が建ってから500年は経ってるだろうと思います。だから西暦の1500年頃にはもう建ってます。お宮は、動かすとやっぱり悪いことがあるというのはよく言われる通りで。だから、500年同じ場所から変わらないというのは非常に珍しくて。
【小林さん】ああ、それですか。
【保坂さん】ええ。
【小林さん】古いものなんですか。
【保坂さん】1700年のものってのは、なかなかないでしょうけどね、ちゃんと(碑文が)刻んであるんで、陽が当たってると読めますけども。金沢の石工(いしく)が作った手水鉢ということで。
【北本さん】歴史がね。
【保坂さん】粗末なもんですけれでも。防空壕があったのね。
【北本さん】そうですね。
【小林さん】なんか今(北本さんから)お話を聞きましたね。
【保坂さん】私はそう言われても、全然覚えがない。
【北本さん】これ(防空壕)入ったことがあるから。
【保坂さん】あ、そうですか。
【北本さん】この辺から入ったんですね。ちょうどこの辺からこう流れて向こうの方にいってましたね。ちょうどこの辺に穴が空いてた。
【小林さん】ずっと繋がってたんですか。
【北本さん】(かつての子安稲荷神社の写真を見せながら)こっちから見たところ。ちょうど何もないようなところ。
【保坂さん】何もないですね。(昔の境内図を見せながら)これはちょっと自慢できるんだけれども、その引き倒される前の家。私の叔父が建築ができる人だったんで書いといてくれたんですけど、本当の線路際ですよ。中山道。
【北本さん】中山道。
【保坂さん】ここに駅が今もありますけど。
【北本さん】巣鴨駅。
【小林さん】ずっと保坂家ですね。
【保坂さん】1、2、3、4本。
【小林さん】柿とか、木の名前まで書いてある。
【保坂さん】テニスコート。
【小林さん】池があって、古井戸。
【保坂さん】こちら側が巣鴨駅に向かった正面の入り口。そこから長い導入路があって、ここが車回しですね。(かつての屋敷の写真を見せながら)お屋敷の中ですね。
【小林さん】その方はおばあちゃん?
【保坂さん】私のおばあちゃん。
【北本さん】(かつてのお社の前で撮った妹さんの写真を見せながら)これは昭和の26年頃なんですけど。
【保坂さん】このお社は覚えてます、私。これ誰?
【北本さん】妹です。
【小林さん】もうでも1年生より背が大きいですよね。私たちが1年の時、(昭和)26年だから、もうちょっと後かな。
【保坂さん】つい平成16年にこれ(お社)新しくして、しばらくは右後ろにね、これ残してたんですよね。
【小林さん】そうですか。
【北本さん】もう神社もここにしかない。
【保坂さん】独立した境内も持つ菅原神社というのは、豊島区にここ1軒しかないそうです。
【小林さん】ああ、そうですか。でもとっても、木が昔より多くなったんじゃないでしょうか。
【保坂さん】成長がやっぱり、すごいですからね。