インタビュー全文テキスト

■小池陸子さんインタビュー


小池陸子さんインタビュー(2020年3月4日、13時~15時、「雑司が谷案内処」2階展示ギャラリーにて)
 
【吉田いち子さん(以下、吉田さん)】昭和42(1967)年に結婚されて、それからずっと雑司が谷にお住まいということなんですが、それまでのいきさつを教えていただけますか?
【小池陸子さん(以下、小池さん)】主人は数字合わせが好きだったんですね。それで、昭和42(1967)年4月24日――「42424」に結婚しました。それから雑司が谷に住むようになりました。
当時、(結婚に望む条件が)「家付き・カー付き・ババ抜き」っていう時代だったんですけども、私は「家付き・カー付き・ジジあり、ババあり」で結婚いたしました(笑)。でも、小池の両親がとってもいい方たちだったので、特に困ることもなく、あんまりお嫁さんらしいことをせずに、楽しく過ごさせてもらいました。
そして、子どもができまして、(子どもが)中学になってから、世の中の、外のことを見てみようとした時に、ちょうど郷土資料館で資料所在調査というのに応募いたしました。高田・雑司が谷、巣鴨・駒込など5つ(の地区)に分かれて毎年1回ずつの調査を5年間、続けました。
まずはおうちにチラシを配ってから訪ねるんですね。今のように、「ピンポン」って押してもどなたも出ない時代じゃなかったんで、みなさんすぐに開けてくださって、お話をうかがうんです。お嫁さんが出ていらっしゃると、「私より父のほうがわかるわ」って言って、お父さまが出てくださるっていうことです。今はないと思うんですけど、ほとんどのおうちが中に入れてくださって、お茶とお菓子が出て、一番すごいのはお昼も出て。それから「こういうものがあるんだけど、持っていかない?」って言ってくださったりして。郷土資料館は(置く)場所がないものですから、なかなか(全部は)いただけなかったんですけども。(いただいたもので)一番、大きなものは、根っこ―桐の根っこだったと思うんですけど―銅の付いてる火鉢。それが、今でも資料館でときどき展示されて、見ると私も大変うれしくなります。
それから、第1回目に「このまま別れてしまうのはもったいないね」っていうことで、「(郷土資料館)友の会」を結成して、「友の会」の活動が始まりました。当時は、パソコンを打てる人が少なかったので、郷土資料館の学芸員さんが私どもの会報を打ってくださって。会報はわら半紙に印刷して作っておりました。
【根岸豊さん(以下、根岸さん)】それは何年頃でしたっけ?
【小池さん】作った年?
【根岸さん】オープンした時?
【小池さん】オープンの翌年ぐらい。
【根岸さん】しばらく経ってからですよね。
【小池さん】いや、しばらくは経ってないんです。
【根岸さん】当時の学芸員は福岡さん? 橋口さん?
【小池さん】橋口さん、山辺さん、君塚さん、それから……福岡さん。
【吉田さん】郷土資料館って、昔からあそこにあったんですか。
【根岸さん】そうです。
【吉田さん】イケビズ(IKE・Bizとしま産業振興プラザ)の(前身の)勤労福祉――。
【根岸さん】会館にあった。防火とかのために、上のほうだけ天井を高くしたんですよ。博物館に準じる施設を作ろうってことで最初は学芸員4人にしたんですけど、だんだん減らされちゃって、今は少なくなったんですけどね。
【吉田さん】お子さんは2人? 3人?
【小池さん】2人です。
【吉田さん】(郷土資料館の仕事を始めたのは)下のお子さんが中学生になった頃ですか。
【小池さん】そうですね。
【スタッフ】郷土資料館ができたのは昭和59(1984)年で、60(1985)年から5年間、資料調査を行って、そのあと、「友の会」が作られたんですか。
【小池さん】いや、(調査を)やっている最中からです。1回目が終わってからだから、最初の年(昭和60年)にもう「友の会」を作っちゃって。
【根岸さん】その当時に雑司が谷を担当して、どんどん(ほかの地域の調査を)やったんですか。
【小池さん】ええ。(年ごとに)各地域に(調査で)入って。雑司が谷なら雑司が谷の地域(を調査して)、それから巣鴨になったら、みんなで巣鴨の地域(を調査しました)。
【根岸さん】(一地域を)集中して。
【吉田さん】何年ぐらい、いらしたんですか。
【小池さん】その資料の中に書いてあります。
【吉田さん】後で調べます。雑司が谷地区担当ということではなかったんですか?
【小池さん】(雑司が谷の担当ということではなく)全部です。最初は各地域に(調査に行きました)。だから、巣鴨に行ったら、巣鴨を調査して。それから目白とか。5つに分かれてるんですよね、豊島区って。
【根岸さん】その調査が、いろんなところに入るきっかけに?
【小池さん】そうですね。
【根岸さん】この地域(雑司が谷)のことにも。
【小池さん】ええ。
【根岸さん】先ほどもおっしゃいましたけど、当時は(玄関の戸を)叩いてもすぐ出てきて、答えてくれたと。当時も、鬼子母神の御会式(おえしき)(鬼子母神堂で毎年10月16~18日に行われる年中行事)は結構、有名でしたよね。
【小池さん】そうでしたね。子どもが小さい頃は2日とも護国寺に集合して、(そこから)出発だったんですよ。だから、(今のように)池袋で出発ではなかった。今でいう16日は地元回りで、17・18日があそこ(護国寺)を出発して、っていうのでしたね。うちの子が寒がってオーバーを着て行ったのを覚えています。
【吉田さん】清土(鬼子母神)で?
【小池さん】清土鬼子母神(東京メトロ有楽町線護国寺駅の付近に建つ寺院。雑司が谷鬼子母神堂の本尊である鬼子母神像が出土した地)のほうです。当時の集合場所は、何もない広いところでした。今は、護国寺は集合場所ではなくなって、高速の横に並ぶんですよね。
【根岸さん】お子さんが通った小学校はどこですか。
【小池さん】うちは幼稚園から学習院でした。
【根岸さん】あんまりあれなんだ。
【小池さん】ええ、だから地元(のこと)は全然……。
【根岸さん】当時、聞いた話だと、御会式の時には全然、学校が授業にならなくて、子どもがもう大騒ぎだったとか。
【小池さん】新しい校長先生がいらっしゃると、「子どもが夜遅くまで御会式にいる」っておっしゃるんだけど、「あなた、ここの地域のこと知らないんですね」って言われるんですよね。22時、23時まで子どもがいても叱られないから。地元の大人たちがみんなで面倒を見るから、危なくないということで。だけど、(うちは)ちょっと、幼稚園から(学習院に)行っちゃったので。すみません。
【根岸さん】そういう意味では、先ほどおっしゃった郷土資料館との縁がいろいろ広がったっていうのが、(雑司が谷と関わる)きっかけで?
【小池さん】そうですね。それがきっかけですね。
【根岸さん】先ほど、聞かなかったけど、小池さんはどこ出身なんですか?
【小池】私、「生まれは柴又……」じゃないんですけど(笑)、中国なんです。青島(チンタオ)。
【根岸さん】ビールのうまい、青島ビールの。
【小池さん】父が――。
【根岸さん】軍人?
【小池さん】外務省の役人をしていて、それであっちに行ってたんですね。
【根岸さん】じゃあ、引き揚げは大変だったんだ。
【小池さん】ところが、どういう事情か引き揚げる前に家族で東京に帰ってきて。だから今で言う女中さん――向こうで「アマ」って言うんですけど――女中さんも一緒に東京に来て、(その後)「アマ」だけは中国に帰して。その代わり、「お嫁入り道具、全部、中国に置いてきちゃった。何にもない」って、よく母が文句を言ってました(笑)。だから、怖い思いはしないで帰って来てます。
【根岸さん】東京ではどの辺にお住まいだったんですか?
【小池さん】最初は麻布です。
【根岸さん】みんないい所に住んでるんだ。
【小池さん】きっと官舎か何かだったんでしょうね。
【根岸さん】外務省だからね。
【小池さん】子どもだったので全然わかりませんけど。戦争が強くなってから椎名町に移って、椎名町小学校を卒業しました。
【根岸さん】中学校は学習院に? 女子学習院? バスで、トロリーバスで通ったんですよね。新栄堂の前から出て、途中から乗れたんですね。
【小池さん】椎名町だから、東長崎から池袋まで出て、池袋から。椎名町6丁目に住んでたから、東長崎。それから、今なら信じられないけど、東長崎から2両のあれが出るんですよ。
【根岸さん】電車?
【小池さん】始発が。東長崎から2両の始発が出る。
【吉田さん】池袋へ?
【小池さん】信じられないでしょ(笑)。私、その後、知らないで乗ったら、石神井のほうまで連れて行かれちゃって。
【根岸さん】間違えて?
【小池さん】じゃなくて、その後別のところに住んでいたので、東長崎が通過駅だなんて思わなかったから(笑)。
【根岸さん】戦後ですよね、小学校(に通ったのは)。
【小池さん】そうです。
【根岸さん】先ほどおっしゃったトロリーバスがまだあった時ですよね。
【小池さん】そう、トロリーバス。
【根岸さん】吉田さん、トロリーバスって知ってる?
【吉田さん】かすかな記憶が……。
【小池さん】渋谷から池袋、池袋から王子。
【吉田さん】(架線から)火花が……。
【小池さん】そう。こう、「バアッ」て。
【根岸さん】バスの上にパンタグラフ(屋根部分に取り付けられた菱形の集電装置)がついてるんだよね。
【吉田さん】かすかな記憶が……。
【小池さん】トロリーバスがなくなってからは、電車で高田馬場まで通いました。
【吉田さん】じゃあ、学習院にいらっしゃったんですか。女子学習院?
【根岸さん】女子学習院(現在は学習院女子中等科)ですよね。
【小池さん】当時は、学習院女子部(昭和22年4月より「学習院女子中等科」となる)。女子学習院っていうのは、その前の時代。
【根岸さん】それで戦後、結婚されて、お子さんを育てながら郷土資料館の調査員できっかけができて、(活動を)展開していったんですよね。
【小池さん】郷土資料館の「友の会」(の活動)をしてた時に、はやりの女性史をやることになりまして、豊島区でも女性史(『風の交叉点』全4集、編集:豊島区児童女性部女性青少年課編、発行:ドメス出版、平成4~8年)を作るってことになりました。
【根岸さん】長谷さんが編集長でね。
【小池さん】そうなの、それで募集してらしたんだけど、当時……。
【吉田さん】長谷さんって誰ですか?
【根岸さん】もう亡くなった人。
【小池さん】立教の――。
【根岸さん】社会教育指導員をやっていて、なおかつ、エポック10(豊島区男女平等推進センター)でも仕事してたんですよ。
【小池さん】それで、(女性史のスタッフを)一般公募したんですけど人が集まらなかったので、長谷さんから「友の会」にお声が掛かって、それで女性史の編さんに関わるようになりました。その時に、(私は)雑司が谷に固定して、(ほかの)みんなもどこどこの地域、って担当なさって。第2巻目は有名人ではなく、普通の女の人。1巻目だと、ちょっと何かをしてた人。一般の主婦よりもちょっと何かをしてた人です。たとえば、民生委員の……昔は民生委員って「保護司」じゃなくて……何だっけな。そういうの、ほとんどが男の方だったんですよね。(方面委員:民生委員の前身)。
【吉田さん】今でいう民生委員の仕事をされてた人を掲載したと。
【小池さん】はい。
【根岸さん】『風の交叉点』って、全部で何巻でしたっけ。
【小池さん】4巻。3巻目が有名人で、4巻目が歴史、通史です。
【根岸さん】ドメス出版からですよね。
【小池さん】そうです。
【根岸さん】長谷さんというのは、非常勤で郷土資料館の学芸員をやってて、(当時は)社会教育指導員って名称でやってた。立教(大学)の非常勤講師をやってた長谷幸江さん。もう亡くなったんですけど。
【小池さん】そうです。その時に、目の不自由な斎藤百合さんっていう方にお話を伺いに行って。斎藤百合さんは(今は)もう亡くなってらして、そのお嬢さんの斎藤美和さん――「(劇団)民藝」の女優さんだったんですが――斎藤美和さんが(雑司が谷)1丁目に住んでらして、それでお話を伺ってたんです。目の不自由な方ということで、日本点字図書館の本間先生、それから渋谷さんっていう女性の監督さんと。雑司が谷2丁目に日本点字図書館―、最初の点字図書館ができたんですよ。あとで高田馬場に移ったんですけど。本間先生は、斎藤百合さんの教え子っていうか、(斎藤百合)先生のところに通ってた。そんなところからトントン拍子に伝記映画を作ろうということになって。『鏡のない家に光あふれ―斎藤百合の生涯―』っていう、自主映画を作りました。
【吉田さん】斎藤百合さんは、目がご不自由で。
【小池さん】ええ、両目が。
【吉田さん】娘さんが、「民藝」の女優さん?
【小池さん】女優さんです。
【吉田さん】それで、どんなきっかけで映画を作るってことになったんですか?
【根岸さん】女性史の関係ね。
【小池さん】ええ、それから(点字図書館の)本間先生と――。
【根岸さん】つながって。
【小池さん】自主映画なので自分たちでお金を集めました。豊島区や講談社からもご協力いただいて、それから個人からも。個人はお友だちや知人に(一口)5000円とかでお願いしました。いろんなところにご寄付をいただきました。
【根岸さん】この映画は、今でもどこかにあるんですか?
【スタッフ】YouTubeに。
【根岸さん】本当?
【スタッフ】美和さんが全部(出演を)――。
【小池さん】全部、自分で。美和さんが本人とかお母さんとか、全部やってらして。私たちも、警察署に道路許可をもらいに行ったり、撮影中の整備をしたりとか。それから、照明器具を持ったりだとか、そういうこともみんなやって。私は着物の着付けをちょっと習っていたので、美和さんの着付けをしたりとか。人に頼むとお金がかかるので(笑)、素人でもできるところはそれこそ原さんと2人でやりました。撮影中に「ちょっと道、空けてください」って道路整備をしたりとか。法明寺さんで撮影させていただく時は、法明寺さんにお話ししたり、警察に届けたりとか、そういうこともしました。
【根岸さん】普通、女性が地域に関わるっていうとPTA活動が多いんだけど、小池さんは全然、違うんですね。
【小池さん】ええ。それで後で困ったのは、民生委員の主任児童員っていう子どもたちの面倒を見る民生委員はみんなPTAあがりでらっしゃるから、みんなお友だちなんですよね。
【根岸さん】人間関係がってことですよね。
【小池さん】そこに、全然知らない私が入って……それはひどく――。
【根岸さん】ああ、苦労したんですね。
【小池さん】苦労というか、みなさんにご迷惑をかけたりして。
【吉田さん】ごめんなさい。映画(『鏡のない家に光あふれ―斎藤百合の生涯―』)は出来上がってから、いろんなところで上映されたんですか。
【小池さん】豊島区でも上映していただきました。16ミリのフィルムで。豊島区の図書館に(所蔵されています)。
【根岸さん】ありましたね。
【小池さん】図書館に寄贈したんです。
【スタッフ】視聴覚ライブラリーに。
【小池さん】また上映してくださるとうれしいんですけどね。豊島区でも上映していただいたし、最初は新橋にあるホールで上映して、民藝の方たちがたくさん来てくださったんです。あとは、東京女子大学。百合さんは東京女子大の卒業生なんですよ。東京女子大の同窓会の各支部が上映してくださって。一度、カナダで女性問題の会議か何かがあった時には、英語版を作って現地で上映しました。
【根岸さん】先ほど聞き逃してしまったんですが、(日本)点字図書館はどこで始めたっておっしゃいました?
【小池さん】雑司が谷2丁目です。
【根岸さん】個人の(建物)?
【小池さん】そうです、借家。
【根岸さん】それが高田馬場に移ったんですか?
【小池さん】そうです。あとで資料(『わがまち雑司が谷』第15号)をお見せします。写真も載ってますので。
【根岸さん】それこそ、点字関係では最初の動きですよね。
【小池さん】最初です。そういえば私、おっちょこちょいなんですけど(笑)、日本点字図書館とヘレン・ケラー学院の図書館を間違えてしまったことがあって。日本点字図書館に電話したつもりで、日本点字図書館に行ってしまったんですね。(電話で話したのが)長谷川さんっていう方だったんで、(図書館で)「長谷川さんお願いします」って言ったら、たまたま「長谷川さん」がいらしたんですよね。その長谷川さんが「あの、何を言われてるか、ちょっと分からないんですけど……。もしかして、ヘレン・ケラー(学院)のほうじゃないですか」っておっしゃったんです。近いんですよ、高田馬場にあって。それで、そっちに電話してくださって、「うちのほうです」って言われて。すごく私らしい話なんですけど(笑)。そこ(ヘレン・ケラー学院の図書館)で、テープの校正を7年間やりました。
【根岸さん】録音した音声を校正するんですか。
【小池さん】そうです。
【根岸さん】今はうちの図書館(中央図書館ひかり文庫)にもありますけどね。
【小池さん】点字で訳すのを音声で。朗読じゃないから、感情を込めちゃいけない。さらっと読まないといけない。それと、漢字も振り仮名に合わせないといけないんですよ。漢字を自分流に読む方もいらっしゃるので、そういうのを全部チェックする。それと、録音室で録った時はいいんですけど、自宅でなさるときは――。
【吉田さん】生活音が。
【根岸さん】ああ、音が入っちゃって。
【小池さん】毛布とかで音を消すんですけど、ご本人が気づかないうちに音が入ってることがあるんですよね。そういうのをチェックしたりとか。
【根岸さん】それを7年間も。
【小池さん】やりました。
【吉田さん】すごい。
【根岸さん】すごいな。そういうのがベースになって、いろんな点字図書館とかができてるんですよね。最初があそこ(日本点字図書館)で、各図書館で始まって。じゃあ、(小池さんも)そういうパイオニアですね。
【小池さん】いやいや、私じゃなくて、そちら(音訳者)の方たちがね。(私は)それをお手伝いするの。
【根岸さん】黄田さんとはお付き合いありました? あちら手話だから、あまりなかったか。
【小池さん】手話の黄田さん? そのときは、全然。彼女のほうが若いし、点字図書館は個人的だったから。朗読には手話の人たちは入ってこないですね。
【根岸さん】目と聾唖は違いますもんね。全然、分野が違う。失礼しました。
【吉田さん】女性史(の活動)は斎藤美和さんが最後?
【小池さん】そうですね。その後(の4巻)が通史。計4冊なんです。一般の女性、地域で何かをしてる人、それから有名な人、4冊目が通史。
【スタッフ】3巻に斎藤百合さんが載ってるんですか?
【小池さん】3巻です。 
 
【根岸さん】雑司が谷では、(雑司が谷旧)宣教師館の保存運動がありましたよね。その時って――。
【小池さん】それは、私、全然知らないんですよ。
【根岸さん】タッチしなかったんですか。
【小池さん】その後で手伝うんですけどね。保存運動は、前島さんとかがなさってて、それから、東京駅を残そうっていう――。
【根岸さん】グループがね。
【小池さん】運動をしてる人たちと、前野まさる先生(建築史家)が。
【根岸さん】藝大(東京藝術大学)のね。
【小池さん】そう。それで、女の人たちはみんなで「マンションを建てないでください」っていう活動にいったんですけど、前野先生が「それは違う、ここの建物が大事なんだから」「建物を残そうっていう方向でやりなさい」ということで、始まったみたいですね。
【根岸さん】余談ですけど、前島さんとかは、東京駅の保存活動を最初にやった人なんですよね。そこから始まったんだね。
【スタッフ】保存活動と、ご主人がやってた「(東京を)描く(市民の)会」との関係は――。
【小池さん】その後で一緒になるんです。主人はサラリーマンをやめてから、そこに入ったんです。
【スタッフ】(東京駅の)保存の会と、「東京を描く市民の会」っていうのは、メンバーが――?
【小池さん】一緒です。この頃は保存運動がなくなっちゃったので、「カメラと絵筆で残そう」っていうことで、毎月、絵を描いています。
【吉田さん】ご主人とはそこでお知り合いになったっていうことですか?
【小池さん】いえいえ。うちはお見合いです。
【根岸さん】ジジババがいるところに行ったと。そういう言葉は死語ですね(笑)。
【小池さん】しかも、当時ジジババっていっても(今の)私より若いんですよ(笑)。
【根岸さん】繰り返しになりますけど、基本的には、郷土資料館の「友の会」を通じていろんなところにつながっていって、「(池袋)モンパルナス(の会)」も、それでつながったんですか。
【小池さん】そうですね。「モンパルナス(大正末~戦後期、区内数か所に存在した芸術家のコミュニティ)」は……「(劇団)銅鑼」の関係で。「銅鑼」が池袋にあったんですよね、昔。
【根岸さん】あそこの地下にね。
【小池さん】「銅鑼」がモンパルナスのお芝居をする時に、中小企業の人たちが協力して切符を売り始めたんですよ。その時に郷土資料館の「友の会」だから、(「池袋モンパルナスの会」に)入ってくれって言われて。
【根岸さん】それがきっかけなんだ。
【小池さん】そうなんです。
【根岸さん】「劇団銅鑼」って、明治通りのあるビルの地下にあったんですよ。今は板橋にあって、結構、有名な劇団だよ。じゃ、(「モンパルナス」の活動は)その関係なんですね。女性史の時の仲間たちとの交流は、その後も結構ありました?
【小池さん】「友の会」の人たちとは交流があります。そのあと、「つゆ草」だったかな? ずっと続いてる会があるんですけど、私はそこからは抜けてます。
【根岸さん】郷土資料館も、そういうのをメンテナンスする人がいなくなっちゃったんですよね。
【小池さん】「友の会」に残ってる人たちは、古文書の勉強会を細々とやってます。榎本家文書も(解読が)もうちょっとなので、細々と。
【根岸さん】(榎本家は)巣鴨の種子屋(たねや)さんだね。榎本家の古文書を解読する作業をされたんですよね。
【小池さん】もう二十数年になります。
【根岸さん】江戸時代からある、街道(中山道)沿いの種子屋さん。郷土資料館が文書を頂いたんですよね。
【小池さん】お蔵ひとつをくださって。お蔵だから、種屋さんのものだけじゃなくて、家族のものとか、いろんなものが入ってるんですよ。
【吉田さん】それが今、郷土資料館にあるんですか?
【根岸さん】そうですね。
【小池さん】資料が読めれば手が痛くなって、読めないと頭が痛くなるという(笑)。読めると、「どこで何日に何があって……」って書けるんですよね。だけど、ずーっと書いてないといけないでしょ。読めないと今度は頭が痛くなって(笑)。だから、読めれば手が痛くなって、読めないと頭が痛くなる。
【吉田さん】榎本家の(古文書の仕事)もやってらっしゃったんですか。
【小池さん】はい。
【根岸さん】今でもね。
【小池さん】最初から。
【根岸さん】中山道沿いに種子屋さんがいっぱいあったんですよね。
【吉田さん】農家に卸してる。
【根岸さん】種子屋さん。各街道にありましたもんね。
【吉田さん】あと、東長崎の――。
【小池さん】ああ、あれは岩崎さん(肥料や糠を扱った豪商)。
【吉田さん】種子屋さんがあるんですよね。
【小池さん】ええ。豊島区では榎本家が一番、大きかった。岩崎さんとの取引があるとか、東京種苗との取引があるとか、サカタ(のタネ)と取引があるとか。だから、北海道から九州まで全国的なんです。
【根岸さん】だから史料が膨大にあるんですよね。
【吉田さん】種がかなり流通してたんですよね。雑司が谷野菜だけではなく、いろんなところに。
【根岸さん】街道ですからね。
【小池さん】街道の頃は通行人が買って行くんですけど、そのうちに全国的に取引するようになったって。
【根岸さん】明治とか大正の頃にやってましたよね。
【小池さん】明治、大正、昭和までですね。種子屋さんを辞めるまでの史料を全部、ご寄贈いただきました。
【吉田さん】小池さんはそういう生活史のような分野とか歴史には昔からご興味が?
【小池さん】いえ、郷土資料館の「友の会」(に入って)からです。
【吉田さん】そこから興味が出てきたと。
【小池さん】そこからですね。ただ、その前にもちょっと。子どもが幼稚園に入った時に「ママたちが目白の駅前でバカ話をしてるのはみっともない」っていうことで、学校で勉強していたことはありました。今でいう大学の社会人授業がありますよね、その時に中世史の安田先生っていう方が――。
【根岸さん】安田元久さん?。
【小池さん】安田先生の中世史の教室に行ってたのがちょっと(きっかけとして)あって、郷土資料館の仕事にも目がいったのかもしれないです。
【吉田さん】少女時代には、どういう分野に興味を持たれてました?
【小池さん】小学生の頃はあんまりねぇ……、虚弱児童だったんですよ。生まれてすぐに大病をしたらしくて。ペニシリンで大丈夫だったんですけど。
【根岸さん】ペニシリン打てるってことは、いいおうちだったんだ。ペニシリンが打てなくて死ぬ人、いっぱいいたっていいますもんね。
【小池さん】ペニシリンで生き返ったんで、冬場、ちょっとくしゃみをしたら学校を休む、というふうだったので小学校時代は大変で。3~4年生の頃の遠足では先生がリュックを持ってくださったりとか。本当はそこまで虚弱じゃなかったんでしょうけど(笑)、そういうのに甘えてたんでしょうね。
【吉田さん】虚弱児だったということですが、それは結婚される時まで?
【小池さん】(体が弱かったのは)小学校の時だけ。
【吉田さん】中学、高校の頃は――。
【小池さん】その6年間は無欠席です。
【吉田さん】では丈夫になって無欠席に。
【小池さん】多分、もうとっくに治ってたんじゃないですか(笑)。それから、私のばかなところなんですけど、嫌いな英語の2時間はさぼってたんです。
【根岸さん】それはなかなか(笑)。
【小池さん】3時間さぼると、1日、欠席になるんですよ。
【吉田さん】さぼって学校に行かなかったんですか? それはばかじゃないですよ(笑)。
【小池さん】いえ、学校には行ってて――。
【根岸さん】保健室に行っちゃうんだよね。
【小池さん】普段はいい子だったんで、意外と先生からは好かれてた。
【スタッフ】じゃあ、本当に具合が悪いと思われて(笑)。
【小池さん】本当だと思われてたんです。だけど、3時間はさぼれないから、2時間。
【スタッフ】英語が嫌いだったんですか?
【小池さん】嫌いでした。でも英語の先生がね、私が英語を嫌いだとは思わなかったらしくて。「教官室に読みに来なさい」って言われた時、私は電話越しに、「電話で読みます」って答えたんです。そしたら、それで一応OKになったんですけど、先生が他の教室で「木村さん(小池さんの旧姓)は教官室に来いって言ったら、電話で読みますって言ってきた」って(笑)。
【スタッフ】じゃあ、英語よりその先生が苦手だったんですか?
【小池さん】(笑)。自分の子どもには、英語が嫌いにならないように、「英語は楽しいのよ」って言ってました。
【根岸さん】それは詐欺だな(笑)。
【吉田さん】学校では何がお好きだったんですか?
【小池さん】漢文とか国語系と、日本史ですね。
【スタッフ】古文書(のお仕事)、ぴったりですね。
【小池さん】日本史と古文の先生にはすごくかわいがられました。古文の先生には怒られないから、授業中にいたずら書きして回したり。悪かったんです。
【根岸さん】悪ガキだ(笑)。
【スタッフ】空気、読んじゃってるんですね(笑)。
【吉田さん】じゃあ素地というか、きっかけはあったんですね。
【根岸さん】女子校だったんですか。
【小池さん】女子校です。
【根岸さん】余計あれだな。
【小池さん】お友だちは中3のときに1年間、無欠席で、総代になったんですよ。そして3年、無欠席。(私も)「ちゃんと出てれば、総代になれたのに」って(言われた)。英語が嫌いだったから。
【根岸さん】よく逃げ切りましたね。
【小池さん】逃げ切りました(笑)。
【吉田さん】すごいですね。
【スタッフ】それも才能ですね。
 
【吉田さん】矢島勝昭(郷土史家)さんとのご関係も、雑司が谷の地域史の掘り起こしが縁ですか。
【小池さん】はい。矢島さんも郷土資料館に入ってくださって。矢島さんは先生ではあるんですけれど、「友の会」の会員なんです。谷端川の(調査)を一緒にしました。谷端川のことでは、すごく興味を持ってる方が、会報に写真を撮って載せてくださったり、橋の名前の記事を3つぐらいずつ書いたりしてくださったんですよ。田崎さんは途中から会員になった方で、たしか巣鴨の……。
【根岸さん】ああ、巣鴨の郷土資料会みたいな、語る会みたいなのがありましたね。
【小池さん】そうそう、「巣鴨のむかしを語り合う会」。前半は清水さんで、後半が田崎さん。前半が終わった時に田崎さんが「もしよかったら、会報に書きたいんですけど」っておっしゃって、それで最後まで田崎さんが書いてくださったんですね。それから三田さんが橋の写真を全部撮ったんです。
【根岸さん】たしか、田崎不二夫さんだね。
【小池さん】そうです。
【根岸さん】息子さんが保険員(保険の代理店)をやってる。
【小池さん】そう。地主さんでご本人も前に保険の代理店やってらして今は息子さんが。
【根岸さん】田崎さんは「語り合う会」で何度も冊子を出したんですよ。
【吉田さん】なるほど。合点がいきました。
【小池さん】2冊目ぐらいから、私も(参加しました)。
【根岸さん】個性の強い人でね。
【吉田さん】個性が強いんですか。
【根岸さん】言い方はいろいろあるんですけど(笑)。
【小池さん】私たちのところでは大変いい方で……大丈夫でしたね(笑)。
【吉田さん】「としまの記憶」(区民の語りを残した動画アーカイブ)では、ばーんと最後におっしゃって辞められたんです。ウェブになる時に、雑誌とか紙類を残すべきだ、って。
【小池さん】矢島さんは、谷端川のお仕事にはあまり興味がなかったんですよね。
【吉田さん】鎌倉街道ですよね、矢島先生がご興味があるのは。
【小池さん】『昭和 思い出の日々』(画文集)は全部、矢島さんが手がけられて。「こういうの作りたいですね」っていう話をしてたら、あっという間に作ってくださったんです。
【根岸さん】まめですよね。
【小池さん】そう。「画文集挿絵」って書いてくれたのは、雑司が谷に住む湯澤さんという方。会員さんじゃなくて毎日新聞の相当、上のほうの方で、お習字をされる方。「こういうの難しいのよ」っておっしゃったの。お習字的な字じゃないので、苦労して書いてくださったんです。
【吉田さん】ちょっと話が前後して申し訳ないです。「友の会」には応募する形で(入会された)?
【小池さん】いえ。
【吉田さん】最初はみなさん、郷土資料館に公募みたいな形で?
【小池さん】ええ、公募。
【吉田さん】男女比は?
【小池さん】女の人が多かったです。(活動するのが)昼間だから。あとは学生さんと、それから定年退職者。
【吉田さん】定年退職者と学生と主婦?
【小池さん】そうですね。沢さんっていう読売新聞の婦人欄をつくった方が、定年退職者でした。それから清水さん、田崎さん、細野さん、三田さん、足助さん、伊東さん、伊藤さん。男性はほとんど定年退職者ですね。
【根岸さん】「沢さん」って、どういう字でしたっけ。
【小池】(資料を指しながら)ここ。
【根岸さん】千早読書会(千早図書館友の会)の。
【小池さん】そうです。
【根岸さん】沢さんは、モンパルナスの家主(すずめが丘アトリエ村)でもあったんだっけ。
【小池さん】そうです。読売新聞社(の方)だから、お相撲のときに(優勝)カップをあげたこともあるんですよね。ただ、いつも汚い格好してらっしゃるから(笑)、「友の会」に雑司が谷周辺のガイドの申し込みがあった時に、(沢さんを見たお客さんから)「変な人がいる」みたいな反応があったりして。(お客さんの)顔ですぐわかるでしょ。
今はいろんなところにガイドがありますけど、当時はないから、郷土資料館にまず申し込みがあって、私たち「友の会」を紹介してくれるんです。沢さんは、(外見を)気にしない方なので、菜っ葉服(工場などで着用される青色の作業着)みたいな恰好でいらっしゃるんですよ。横浜あたりから紳士然とした方たちがたくさんいらした時に、みなさん(沢さんを見て)最初はうさんくさいと思われたみたいなんですけど、説明をしだしたら、やっぱりすごい方だから、最後はみんな「先生!」「先生!」って言って(笑)。それから、お亡くなりになった時に、千早図書館の「友の会」と、なんの会でしたっけ、図書館の……。
【根岸さん】千早にありましたね。
【小池さん】そう、千早の方たちが――。
【根岸さん】自由、なんとかっていう……。
【スタッフ】自由夢。「(千早)進歩自由夢(千早図書館で展開されていた文化イベント)」。
【小池さん】そのときに、あまりにも汚いかばんを持っていらっしゃるから、いいかばんを差し上げたんですけど(笑)、亡くなるまで使われてなかったんですよ。それで、せっかくだからって、お棺の中に入れて差し上げて。
【根岸さん】沢さんのことだったのか。
【小池さん】入られた頃は定年退職されたばかりで、新聞記者でいらしたから、結構しゃれた上着を着てらしたんですよ。そのうちにお年になったら、だんだん面倒くさくなっちゃって。それこそ、これから水道工事に行きますよっていうような(笑)。
【根岸さん】沢さんがいたから、千早図書館はよかったんですよね。いろいろな活動があって。
【小池さん】私たちも、いつも見学会はご一緒させていただきました。
【吉田さん】おもしろいですね。
【小池さん】(沢さんは)すごく頭がいい方だから、ちょっと話せば、みなさんびっくりして。本もたくさん出してるんですよね。山手線の一駅ずつを全部ずつ説明する本とか。
【根岸さん】小池さんはそういう人とよく付き合ってきましたよね。
【小池さん】みなさんとっても、それぞれにいろんなところがあるから。
【根岸さん】個性があるからね。あと、元役人だった経験から個人的にお聞きしたいことがあるんですけど、小池さんは役所の人との関わりをどのように感じてらっしゃる? 郷土資料館での職員との付き合いとか、他のセクションでの接触などで、何か感じることはありました? 非常に個人的な趣味で聞いてるんですけど(笑)。
【小池さん】みなさんいい方で、特別に意見は……。
【根岸さん】変な人もいたんでしょうけどね。
【小池さん】私が会っている方では、変な方はいらっしゃらないですね。
【根岸さん】よかったです(笑)。
【小池さん】私がのんきだから気が付かないのかもしれないですけど、みなさんとってもいい方で、いじめられることもないし、いじめることもないし(笑)。
 
【根岸さん】小池さんは、郷土資料館の特別展でサポート役として(展示室内に)座ってらしたことがあったからね。
【小池さん】あれは、私だけじゃなくて、「友の会」のみんなが貢献したと思うんです。ていうのは、学芸員さんにしゃべらないようなことでも、私たちにしゃべってくださる方(お客さん)がいて、それでいいものをもらえたりとか。『ミルク色の残像』(平成2[1990]年8月16日~10月14日、『ミルク色の残像―東京の牧場展―』)の時にも――。
【根岸さん】ありましたね、牧場展。藤ヶ谷さんとか。
【小池さん】(お客さんから)昔の車だとかの話が出てきたら、学芸員さんに伝えて。私たちは学芸員じゃないから、(お客さんから)話がきたら深くは聞かずに、学芸員さんにつなぐんです。そういう点では、郷土資料館も楽というか、よかったんじゃないかなと。
【根岸さん】みなさん、(「友の会」を)あてにしてましたもんね。
【小池さん】多分、ぽろっとしゃべってくださるんですよね。(「友の会」の)みんながとっても興味を持って話を聞くから。
【吉田さん】区民とのコーディネートというか、架け橋ですよね。いきなり学芸員に話しかけるっていうのは、なかなかできないですもんね。
【小池さん】かもしれないですね。
【スタッフ】この展示、座ってたのはいつぐらいですか。今(展示室での案内は)やってないですよね。
【小池さん】今はやってないですね。(座っているのは、その日の展示が)始まってから終わるまでって感じです。
【吉田さん】展示室に座ってるっていうのは、よく美術館で見かけるような……。
【小池さん】ええ。質問されることがあるんで、事前に展示の勉強させていただいて。もっと知りたいという方は学芸員に(質問をする)。(お客さんから)話してくださったなかで(疑問が)ある方は学芸員に、という。
【根岸さん】「ボランティア」って言葉は、まだあんまり聞かない頃ですよね。
【小池さん】そうですよね。
【吉田さん】ないですよね。
【根岸さん】だから、「友の会」にお願いするって感じだったんですね。
【スタッフ】当時はなんて言ってたんですかね。展示……何とか?
【小池さん】どこかに書いてありましたね。そういうことは全然、頭に入らなくて。ただ、若干は(報酬を)頂いているんですよ。
【小池さん】あ、「監視員」だ。名前が悪いの(笑)。
【吉田さん】監視員ってすごいですよね。
【根岸さん】今だったら、ボランティアを募集して探せばいいんでしょうけどね。私の友だちが、東博(東京国立博物館)で説明員のボランティアをやってるんですよ。あれって3年間ぐらいしかできないんですよね。みんな喜んでやってるんですけど、卒業させられちゃうんですよ。
【小池さん】そうみたいですね。
【吉田さん】今は、「友の会」は続いてます?
【小池さん】一応、勉強会はやってます。
【吉田さん】細々という感じですか?
【小池さん】ていうのは、みなさん高齢で……。多くが亡くなってんじゃないかな。それから、腰が痛くて来られないとか、「今年で年賀状をやめます」とか。郷土資料館が閉まっていた時は、とりあえず図書館のお部屋を貸していただいてて、第1(水曜日)で秋山先生の勉強会、第3(水曜日)が自主勉強会だったんですけど、第1がなくなったんで、第3の勉強会を図書館でずっと続けてます。勉強も……ほっとくとね。
【吉田さん】不定期の開催? 定期的にやってらっしゃるんですか?
【小池さん】第3(水曜日)定期で、ずっとやってます。今は伊藤伊兵衛(江戸時代の植木屋。染井村で数代にわたり園芸を生業とし、著作も多い)さんを。
【根岸さん】最近、そういう(会を)オーガナイズ(企画・開催)する人がいないんですよ。
【小池さん】『草花絵前集』っていうのを――これ白黒なんですけども、色が書いてあるので色を付けて遊んでるような感じです。
【根岸さん】それは何の文章?
【小池さん】伊藤伊兵衛さんの。本になっていて、それを秋山先生がコピーしてくださるんですよね。白黒に。
【根岸さん】つつじ園(伊藤躑躅園)ところに昔、伊藤伊兵衛さんの農園があったんですよ。郷土資料館には伊藤伊兵衛さんの(資料?)、もうなくなった?
【小池さん】あります。
【吉田さん】植木屋さん(の伊藤伊兵衛)?
【根岸さん】植木屋さん。
【小池さん】原本は白黒なんですよね。色についても書いてあるんですけど、昔の色ってほとんど白っぽいんですね。
【スタッフ】その色を復元されてるんですか。
【小池さん】いえ、適当に色鉛筆で塗ってるだけです(笑)。うちの会に勉強家がいらして、牧野先生の植物図鑑から全部、塗る色の指定をやってきてくださる方がいるんですよ。私は自分が動かないで、人を使うのがうまいから(笑)。
【吉田さん】植物学者の(牧野富太郎)。では(勉強会の)テーマは決まってるわけですね。
【小池さん】秋山先生から資料を頂くんです。
【根岸さん】秋山君です、学芸員の。
【吉田さん】先生ね。「秋山君」って言うから。わかりました。
【小池さん】秋山さんとは結婚前から付き合ってるんですから。お子さんがもう大学生なんですよ。
【根岸さん】秋山さんは、近世が専門なんですよね。
【小池さん】前は(勉強会で)雑司が谷とか、豊島区の史料を読んでいて、だんだん読むものがなくなってきたので、古文書の勉強にちょうどいいものを出していただいてます。今は(伊藤伊兵衛の)『草花絵前集』ですが、半分はおしゃべりで終わります。
【スタッフ】第3何曜でしたっけ?
【小池さん】第3水曜日の午前中。10時から12時まで。
【スタッフ】そうすると、「友の会」ができてからだから、すごく長いですよね。
【小池さん】途切れずにずっとやってます。
【根岸さん】すごい。
【小池さん】郷土資料館が閉まっていた時は、図書館にお部屋を取って。
【スタッフ】30年ぐらい(経つ)ってこと?
【吉田さん】一時、大塚にあった時は、図書館に行かれたんですか。
【小池さん】そうですね。大塚にある時は――。
【吉田さん】工事中の時?
【小池さん】種子屋さんの史料(解読)は大塚でやってます。史料を持っていって。
【根岸さん】ではそろそろ、次の質問にいきましょうか。
【小池さん】『昭和 思い出の日々』と、『絵本 雑司が谷いろはかるた』。
【根岸さん】「(雑司が谷)ルネサンス(の会)」も(かるたの絵を)描いた。
【小池さん】そういう名前を付けて。
【吉田さん】「(絵本雑司が谷)いろはかるた」も矢島さん?
【小池さん】そうです。
【根岸さん】道路(ビックリガード側壁)にも描きましたよね。
【小池さん】そう。それこそ小池百合子さんも来て。これ(雑司が谷ルネサンスの会)はこの本を出すために、特別に作った。
【根岸さん】絵はどこの学生が描いたんでしたっけ?
【小池さん】この絵は矢島さんです。矢島さんの絵を拡大して描いたのが……なんでしたっけ、あそこの――。
【根岸さん】西口の学校だ。
【小池さん】西口の――。
【根岸さん】専門学校ですね。
【小池さん】あれ、専門学校じゃなくて塾なんですよね、「すいどーばた(美術学院)」。芸大を受ける人、落ちた人が行く予備校なんですよ。だから知ってる方なんかは、「目白(すいどーばた美術学院)には二度と行きたくない」とか言って。
【吉田さん】「雑司が谷のルネサンスの会」っていうのは、いつできたんですか?
【小池さん】冊子のために作ったんです。なんて、あんまり言っちゃいけないけど(笑)。
【スタッフ】「まちづくりバンク」の助成金を得るためにグループを作られて、その助成金で、この冊子を作ったんですよね。
【小池さん】そうです。もう助成金でできないので、後は自主的に。原本があるので、あとは再版です。再版は私がしてます。
【スタッフ】自腹ですか?
【小池さん】そうです。500円で販売して、卸値が450円なのかな。だけど、そうすると元が取れないんで、ちょっと持ち出しして。
【吉田さん】500円じゃ安いですよね。
【小池さん】でも、お店屋さんで売らないし、ここら辺でしか売らないから。1冊、売れると50円もうかるんだけど、ただで配ったりとか、そういうのがあるから。ていうのは、もう出版社にお金を払っちゃてるから、入ってくるのは自分のお小遣いになるだけで。だから、なんだかもうかってるような気もするんですけど、まだ回収できてないのかな。
【スタッフ】それと、おもちゃの……。
【小池さん】あれ(郷土玩具の復元)は、原さんと一緒に、矢島先生から勉強させていただいたんですね。最初は、高田小学校(平成13年に閉校)の3年生に教室で教えてたんですね。それが終わっちゃったので、今は作るだけになってますけど。
【吉田さん】風車とか?
【小池さん】風車と……。
【根岸さん】案内処の1階にあるやつですね。
【吉田さん】角兵衛獅子とか。ごめんなさい。原さんってどなたでしたっけ。
【小池さん】女性史(『風の交叉点』)から一緒にやってる、ご近所の方。
 
【根岸さん】地域史の掘り起こしで、一番アピールしたいことは何ですか? 小池さんが考える、「これこそ雑司が谷の宝」みたいな。
【小池さん】やっぱり鬼子母神堂さんでしょうね。国の重要文化財にもなって。
【根岸さん】あそこも一時期、大改修してたんですよね。
【小池さん】はい。その時に、広島から大工さんが来て(建てた)っていうのが分かったんですね。
【根岸さん】郷土資料館の福岡さんが担当して、(調査を)一生懸命やったんですよね。
【スタッフ】横山さん?
【根岸さん】福岡さんだと思う。郷土資料館に行く前に、まず文化財(の仕事)をやって。
【小池さん】この頃は伊藤さんが一生懸命……。
【小池さん】郷土資料館って池袋にありますでしょ。区役所に、いろんなことを聞きにくる方がいるので学芸員が1人、1年交代で……区役所の教育委員会に(在勤する)。
【小池さん】1年交代で、横山さん、福岡さん、秋山さん、伊藤さん。伊藤さんが係長の試験に受かっちゃったから(郷土資料館に)戻れなくて、あそこ(区役所)にずっといらっしゃるんですよ。それまではみんなで。
【スタッフ】以前は教育委員会に郷土資料館があったんだけど、区長部局に移ったんです。だけど、文化財だけは教育(委員会)がやらなきゃいけないんですよ、法律上。その文化財係に交代で学芸員が張りつく形になってたんだけど、(数年前からは)伊藤さんがずっとやってますよね。今も。
【小池さん】伊藤さんが係員で行って、そこで係長の資格を取っちゃったから、帰れないの。係長の帰るところがないんですよね。ずっとそのまま係長でいらっしゃる。
【スタッフ】では、ローテーションみたいな感じですか。
【小池さん】1年交代です。
【吉田さん】それは忙しい。
【スタッフ】鬼子母神さんの改修のときに、福岡さんに――。
【根岸さん】文化財係にいた福岡さん。
【スタッフ】私は横山さんにお世話になったってご住職が言ってたんで、横山さんが担当だったのかと。
【小池さん】多分、1年交代の時。
【スタッフ】何人も関わってるんですよね。
【小池さん】そうだと思います。
 
【根岸さん】もう案内処も8年ですか。
【小池さん】10年です。始まる前に1年間、ここを作るための勉強会をやって。区長さんが座長で、近江上人さんとか、あとは町会長さんと矢島さんと私とか……。
【スタッフ】ちょうど地域ブランドというか、地域それぞれのブランド作りみたいなことを区が進めていて、目白ブランド、駒込ブランドとか進めているなかで、3番目がトキワ荘だったかな? 順番ははっきりしないですけど、雑司が谷の町をもっとアピールしようということで「(雑司が谷)歴史と文化のまちづくり」っていう懇談会を作ったんですよね。トップは区長で、地元の方とか、伊藤榮洪さんなんかも加わって。勉強会とか懇談会でアイデアを出した中のひとつが「案内処を作ろう」ということだった。
【小池さん】当時は、言うだけだから簡単なのか、「大きな赤い傘を掛けたほうがいい」とか(笑)。そんなのできっこないんですけどね。道路だから。
【スタッフ】京都(の観光地にあるような)のね。
【吉田さん】それまでは雑司が谷には何もなかったんでしたっけ。参道とかに。
【小池さん】参道がさびれてきてたんですね。ていうのは、お団子屋さんとかはあったらしいんですけども、次の代の方が継がないから。小さな市場もあったんですけどね。今また、いろんなお店が少しずつできつつあるところですけど。
【根岸さん】前、(参道の)入り口に本屋さんとか八百屋さんとか、何軒かあったけど、なくなっちゃったからね。
【小池さん】その本屋さんのあったところに、和風のカフェみたいな、食べ物も出すお店が今度できるんですよ。
【根岸さん】そういえば、この辺りって江戸時代の遺跡の宝庫なんですよ。
【吉田さん】ここ? 掘ってるの?
【根岸さん】掘ってるんです。そこのマンションのところなんか全部、掘ってて、いろんなのが出てるんですよね。魚の骨とか。
【小池さん】そう。だから本当に残念なんですけどね、あそこ(堀った場所)が郷土資料館になればよかったんですけど。お金がなくて、買ってもらえなかったみたいです。日本シルク、絹の会社のね。うちの息子とあちらのお孫さんが同級生だったんですよ。日本家屋のお料理屋さんのようなすごいおうちが、(日本シルクの)おじいちゃまのおうちで、その隣にも2軒。兄弟で地方から(上京して)来て。柱がすごく大きなおうちが2軒、建っていたんです。
【吉田さん】遺跡は今も掘ってるんですか?
【小池さん】江戸時代の――。
【根岸さん】その時代、この辺に料亭とかが並んでたんですよ。
【吉田さん】それが下に入ってるの?
【根岸さん】入ってるんですよ。鉄筋の場合は全部、調査せざるを得ないんですよね。江戸時代、大奥から鬼子母神にいっぱい来てるんですよね。
【小池さん】「蝶屋」って(店)。ちょうちょに屋の――。
【吉田さん】ああ、蝶屋さん?
【小池さん】蝶に矢の(紋が描かれた)お皿が出たり。今日、持ってくればよかったですね。ごめんなさい。そういう同じコップがたくさん出たところは、お料理屋さんだったんだろうと思います。あとは、池の下から職人さんの足跡が見つかったり、富士山の灰が出てきたり。それは郷土資料館に史料があると思いますよ。
【根岸さん】あと、鯛の骨が出てきたんだよね。
【小池さん】それは橋口さんの(調査で)。
【吉田さん】橋口さんって、中世史だよね。
【根岸さん】そうですね。
【小池さん】発掘の(専門の)方。
【吉田さん】なるほど。10年前に、ここ(案内処)はブランディングでできたということなんですね。
【小池さん】その時に、「(親子)読書会の小林さんと2人で(案内処を)やってほしい」って言われたんですけど、小林さんたちはもうお仕事をしてらしたんで、私に「誰かと2人でやってほしい」って話が来たんです。でも、毎日はとても無理なので、「友の会」でやることになって。「友の会」では、それまでも案内をしたり、受付の仕事もしたりしてるんで、「友の会」のみんなでなら引き受けられますってお返事して、「応援倶楽部」という名前にしてやってるんです。
【根岸さん】そういう流れなんだ。
【小池さん】2人で毎日だと――。
【根岸さん】大変ですよね。
【小池さん】とてもじゃないけど主婦業ができないので、それは無理ですって言ってます。
【スタッフ】今、「応援倶楽部」は何人いらっしゃる?
【小池さん】8人です。ただ、だんだん新しい人も入ってきて、「友の会」の人だけじゃなくなってきてます。
【根岸さん】そういった新しい人たちへのレクチャーというか、伝える機会なんかはあるんですか? 勉強会とか。
【小池さん】私たちはお客さまの案内で、「応援倶楽部」以外の方たちは、お金のほうを担当してます。
【吉田さん】先ほどの小林さんは、小林和子さんですか?
【小池さん】そうです。
【吉田さん】親子読書会の。
【小池さん】でも、もう10年以上前の話だから、忘れてらっしゃるかもしれません。
【スタッフ】「応援倶楽部」っていうのができたんですね。「雑司が谷案内処 応援倶楽部」。
【根岸さん】絶えず伝えていくための作業もしないとだめですよね。歴史のことを知らない人がいても、だめですからね。
【小池さん】その点では、最初に勉強会をして、その後は、資料もたくさんあるのでみなさんがそれなりに勉強をしてくださっています。
【根岸さん】みんな勉強すると。
【小池さん】勉強してくださってます。
【根岸さん】全体についてレクチャーをするとか、そういう機会は作らないんですか。
【小池さん】ガイドの勉強会には参加してもらっています。
【吉田さん】ガイドというのは、「豊島案内人(としま案内人雑司ヶ谷)」?
【小池さん】はい。秋山先生が、郷土史と雑司が谷のガイドの勉強会をしてくださって。最初の頃はガイドのやり方は、横山先生と2人でやっていただいてました。3期生までいるんですけど、結局みなさん、「雑司が谷の歴史の勉強はしたいけど、ガイドは……」ってなるんです。「本来はガイドになるための勉強会ですから」ってガイドを続けてもらうために話はするんですけど、やっぱりガイドってなかなか難しくて、残る人が少ないんですよね。
【根岸さん】でも、あきらめずにやっていかないと、伝わっていかないですよね。
【吉田さん】今、ガイドをする方は何人いらっしゃるんですか?
【小池さん】24、25人です。ただ、体調不良や家族の世話なんかで休んでる方もいるですよ。だから今、ガイドしている人たちは実質17、18人ですね。
【根岸さん】大明(「みらい館大明」)でもガイドを頼んだことがありましたね。案内してもらったことがありまして、法被を着てね。
【小池さん】そうですね。3期生の方も、退職した方もいたりしますし、1期生では亡くなられた人が3人。
【スタッフ】そうなんですか。あの時のメンバー?
【根岸さん】その時、関わってたの?
【スタッフ】一番最初の時に関わらせていただいたんです。
【小池さん】男の方たちは結構、高齢で入られますでしょ。そうすると、体調、崩しちゃって。それから、冬場は奥さまに「絶対だめです!」って怒られる(笑)。
【吉田さん】そうすると、ガイドさんも割と中高年化とか高齢化で……。
【小池さん】そうなんですよ。今年で10年目になるので。そうすると、みんな10歳、年をとってる。だから今は「一本釣りしよう」って言ってるんですよ。今度、若い方が1人、入られるんですけど、お子さんが中学生だそうなので、「それならいいじゃない」とか言って(笑)。1人でも重要な方が入ってくださるとうれしいなと。
【根岸さん】そばにいる佃さんなんかは、つかまえないと。
【小池さん】佃さんはもう会員ですよ。第2回目から。
【吉田さん】佃さんは、まだ元気でいらっしゃる?
【小池さん】お元気です。ここで流してる(解説)テープも、佃さんのなんですよ。
【根岸さん】佃さんは、ずっとここにお住まいだったから。
【小池さん】すごく声がいい方でね、ビデオを作る会に入ってらっしゃる。
【吉田さん】お上手ですよね。
【小池さん】「いつでもご希望のものを作りますよ」っておっしゃるんだけど、今ので十分なんです。
【根岸さん】それこそ、アメリカンフットボールですごい人だったんだよね。
【小池さん】ああ、それで……本当に、体がしっかりしてらっしゃるから。
 
【吉田さん】(展示されている)桜の絵(亡き夫で画家・小池俊夫さんの絵画展『さくら・サクラ』の絵)が素敵だなと思って。これは桜シリーズ?
【小池さん】そうですね。もうちょっとあるんですけどね。
【吉田さん】雑司が谷のシリーズもあるんですか?
【小池さん】ええ。回遊するときに、雑司が谷もやります。
【根岸さん】小石川植物園(の桜の絵)もあるんだ。
【小池さん】植物園は3枚あるかな。
【根岸さん】きれいですよね。
【吉田さん】懐かしいですよね。
【小池さん】この(雑司ヶ谷霊園の)3つはなくなったものなんです、桜が。
【根岸さん】伐っちゃったんですか。
【小池さん】そうですね。このサトザクラが伐られたときは、(俊夫さんが)私が伐ったみたいに毎日、言うんですよ。「なんで伐っちゃったの」って。「私が伐ったわけじゃないのよ」って(笑)。
【根岸さん】雑司ヶ谷霊園の中にあるんですか。
【小池さん】そうだったんですよね。そこ、ほらサンシャインの……。
【根岸さん】どの辺ですか。
【小池さん】入り口の裏のほうの、都電の辺りです。
【スタッフ】役所のすぐそばの?
【小池さん】そうですね。今の(区役所の)ね。
【根岸さん】夏目漱石の墓は、もっとこっちですもんね。
【吉田さん】法明寺も見事ですよね。
【小池さん】法明寺の桜(の絵)も毎年、(展示に)出してました。
【吉田さん】きれいですよね。
【小池さん】今、法明寺さんにお貸ししてますね。御奉納で。(法明寺の桜の木が)きれいになくなっちゃってるので、代わりに参道の桜の絵をお貸ししてます。
【吉田さん】これもすごく素敵。
【スタッフ】もうなくなってしまった桜の木が、絵で残ってるんですね。
【吉田さん】すごいですよ、本当に。
【根岸さん】ご主人は藝大を出て、何で民間会社に行ったんですか? ……って聞くと野暮だけど。
【小池さん】本人はパリに行きたかったんですよ。そしたら、母親が反対して。最後までただ反対してたら行ったかもしれないんですけど、母親がお通帳とハンコを渡して、「じゃあ、これで行ってきなさい」って言ったんだって。そしたら行けなかったって。
【スタッフ】すごい記憶ですね。
【根岸さん】無念だったんでしょうね、ずっと。
【小池さん】(義母は)すごく頭のいい人で。(俊夫さんは)小学校の時から絵が好きなんですよね。戦争で紙がなくなるっていうのが分かってきた時に、近所の文房具屋さんとかいろんなところに行って、紙を買い占めたんですって。だから、主人は紙に不自由することなく、好きに書けた。
【スタッフ】買い占めですね。
【小池さん】当時の買い占めだから、そんなに多くはないと思うけども。利口な人だった。
【吉田さん】でも(俊夫さんは)若かったですよね、お亡くなりになった年がね。
【小池さん】糖尿病を40年患ってる人がなる、致死性不整脈でした。(致死性)だから、本人は楽なんですよね。全然、苦しまずに。それと、家で亡くなったんです。うちは私がほとんど出歩いてるので「お外様」って言われてたほどなんですけど。
【根岸さん】「奥さん」じゃなくて(笑)?
【小池さん】その日に限って――ちょうど新年会の時期だったんですけど――「時間があったら帰ってきてね」って(俊夫さんが)言ったんですよ。その日はお昼の新年会と夜の新年会があったんですけど、普通だったら(帰宅せずに)そのまま次の新年会に行っちゃうんですけど(頼まれたから)少し早めに帰って来たんです。そしたら、(俊夫さんが)お手洗いに入ってたんですよね。私は、夜の新年会前にちょっと着替えようかなと思って2階に上がって、着替えて降りてきたんですけど、まだお手洗いから出て来ないから……。いつもは、お手洗いで鍵なんか閉めたこともない人が、鍵閉めていたんですよ。それで、外から10円玉で鍵を開けたら、座ったままだったんで、救急車呼んで。心筋梗塞なんかだと暴れるそうなんだけど、座ったまんまっていうことは、一瞬で……っていうことだったらしいです。
来てくれた救急車の人たちも、本当にいい人が来てくれて。何しろこっちは、「どこでもいいから早く病院に連れて行ってください」って言ってるのに、「普段(かかっている病院は)どこですか」って言うから、「東大です」って言ったら、(また)「じゃあどこに行きましょう」って、こちらが「東大」って言うまで、何度も聞くんですよ。それで、東大に行ったら、結局、無理だと。だから、救急隊の人はもう分かってたんですね。東大では、「ここは公的な病院なので、正規の手続きをさせていただいていいですか」っておっしゃるから、お願いしたら、すぐに目白署の人が来たんです。
【吉田さん】(死亡したのが)自宅の時は、家に(警察が)来るから……。
【小池さん】そうなんです。それで、目白署の人がいろんなこと聞くんですよね。ただ、私も頭が混乱してるから、「何時にどうしてっていうことは、申し訳ないんですけど先生に聞いてください。私が嘘言ってしまうと困るから。先生には話しましたから」って言ったら、「分かりました」って。いつもの担当の先生と救急の先生って違うんですよね。主人の担当の先生がずっと付き添っててくださってたので、どうしたらいいかその先生と話し合って、結局、正規の手続きになったんです。だから、自宅で亡くなったんじゃなくて――。
【吉田さん】病院。
【小池さん】そう。致死性不整脈が病名で。だから、連れていかれないですんだ。
【スタッフ】ああ、解剖されちゃうから……。
【小池さん】そうなんです。それから、(知人の)民生委員の中にお葬儀屋さんがいらしたのでお電話したら、「僕がこれからお迎えに行きますから、何もしないでいいですよ」っておっしゃって。その日の夜も、どこからか役所に連絡が行ったらしくて、区長さんがご夫妻でうちにいらしてくださったんです。それはちょっとびっくりしましたね。
【根岸さん】思い出させちゃった……。
【小池さん】最初の(結婚する時の語呂が)「42424」で、亡くなる時も、「平成16年1月16日」なんですよ。だから、自分でちゃんと。その前日に私、何となく担当の先生に電話したら、本人が入院したくないって言ったらしくて。
【根岸さん】ある程度、分かってたと。
【小池さん】ええ。それで、先生が「入院したい時はいつでもいいですよ、いつ来てもいいですよ」って、言ってくださったんですよ。だから、本人はもしかしたら、何となく分かってたのかもしれない。……それから、ずっと何となく、亡くなったっていう気がしないんです。
【吉田さん】虫の知らせだったんでしょうね。「帰ってきてね」っていうのはね。
【小池さん】そう。帰って来なかったら、それこそね。
【根岸さん】いつか部屋に伺った時、パソコンのまわりに絵がいっぱいありましたね。パソコンの調子が悪い時に、ちょっと(俊夫さんの)手伝いに行ったことがあって。
【スタッフ】その後、代わりに「(東京を描く)市民の会」に入られたんですか。
【小池さん】そうなんです。主人がそこの理事をやってまして。会のほうから「入って欲しい」ということで。
【根岸さん】何の市民の会?
【小池さん】「東京を描く市民の会」。
【スタッフ】(建造物の)保存運動されてた方たちが作った会。絵と写真で(風景の保存活動を)。そういういろんなつながりもあるんでしょうけど、(小池さんは)一体いくつの役割を(笑)? いろんな会の理事さんとか、会長さんとか。大変ですよね。
【小池さん】いえ……自分ってだいたい何をするでもなく、何となく(笑)……。この「市民の会」も今は普通の理事になったんですけどね。
【根岸さん】理事長なんかやったんですか。
【小池さん】いっときね。ていうのは、個性が強い人ばっかりが続いた時に、途中であんまり個性の強くない人(小池さん)が入ると、まあ……ね(笑)。
【根岸さん】クッションになるんですね。
【スタッフ】「案内人の会」(「としま案内人雑司が谷」)を立ち上げる時にも、会長は誰がいいかっていう時に全員が「うん」って言うのは、小池さんしかいないって聞きます。
【小池さん】いやいや……。
【スタッフ】やっぱり声が大きい人だと、いろんな人がもめちゃうから、「全員が納得するのは小池さんしかいないね」っていう話をさせていただいた記憶があります。
【根岸さん】いろんなネットワーク持ってるしね。
【スタッフ】本当にあちこちね。まとめる役をされてるから。
【根岸さん】だから、遺跡調査会も理事になってもらって。すみませんね。
【スタッフ】すごい。
【小池さん】人畜無害なんですよ。
【根岸さん】そんなことないですよ。なかなか(小池さんの)スケジュール取るのも大変なんですよ。
【小池さん】いや、そんな。
 
【吉田さん】では最後の質問。「地域への思い」ですね。
お嫁に来られた頃の雑司が谷と全然、違ってますか? そうでもないんですか?
【小池さん】違わないですね。うちの辺だとほとんど変わらない。(変わったところは)裏のおうちが1軒。銀座のお蕎麦屋さんのおうちだったんですけど、おうちを直すのも大変だったんですって。それこそ「道楽息子を抱えてるみたい」って言ってたくらい。お屋根なんかもすごく高いお屋根だったらしくて。だけど、ちょっとうまくないことになって。今は4軒か5軒になってるぐらい。あとは――。
【吉田さん】そんなに変わらないんですか。
【小池さん】そんなに変わってないですね。あとは、入り口に駐車場ができたぐらいですね。出光の美術館の館長さんがいらしたおうちが、いらっしゃらなくなってから売られて駐車場になったけど、それ以外はあまり変わらなくて、狭いところにみんなで住んでるような。
【根岸さん】菊池寛の記念館はもうないんですか。
【小池さん】民間の会社になっちゃいましたね。文藝春秋が売ったんですよね。
【吉田さん】マンションになってるでしょ、菊池寛のところ。
【小池さん】そう。男子学生寮だった時は、まだ文藝春秋(の所有)だったんですよ。それから、普通のマンションになって。
【根岸さん】あとは、あの辺には文芸坐の前の社長だった――。
【小池さん】あの建物も壊されちゃうんですって。
【スタッフ】この前、行ってきました。
【根岸さん】料亭(「雑司ヶ谷 寛」)も辞めたんですか。
【スタッフ】建て直して、そこでまたレストランと喫茶店をまたやるとかで。昔、文芸坐の1階にあった喫茶店(文芸坐の喫茶店)。
【スタッフ】オムライスがおいしかった店ですよね。
【吉田さん】そうそう、オムライス。
【スタッフ】名前もそのまんまで。もう1回やりたいみたいなことをおっしゃってた。
【吉田さん】狩野さんも行きつけだった。
【根岸さん】地下にも劇場がありましたよね。「ル・ピリエ」。
【スタッフ】落語とかいろいろ。小劇場みたいなのをやってた。
【小池さん】それこそ、「寛」の裏には、雑司が谷演房っていうのがあって。その絵も(俊夫さんが)描いてあります。そこが今はご自宅になってる。
【根岸さん】娘さんが日本舞踊やってましたよね。
三角寛(小説家)って、知ってる人はあんまりいないかもしれないけど。
【スタッフ】雑司が谷は、あんまり変わらないまま残ってるのがいいところですよね。
【根岸さん】道路計画もあんまりないですもんね。ただ高田小がなくなって、公園にして。
【小池さん】うちの息子は「間に合うのかな」って言ってますけど。息子が犬の散歩に行った時に知ったらしいんですが、4月にオープンするみたいです。
【根岸さん】あそこって大きな車が入れないから、大変だったでしょ。
【小池さん】後ろに作ってるんです。
【スタッフ】副都心線の影響は何か感じてらっしゃいますか?
【小池さん】副都心線よりも、ここの場合は都電ですね。お客様がいらっしゃると、「都電が着いたんだな」ってすぐ分かる。
私はあまり副都心線を使わないんですけど、息子は会社に行く時に使ってます。今の子は歩かないから。孫娘は、目白5丁目に住んでるんですけど、バスでそこ(雑司が谷駅)まで来て、副都心線で1駅だけ乗るみたいですよ。
【スタッフ】便利だから、雑司が谷に来る人は増えてるような感じはしますね。
【小池さん】増えてますね。それはもう、便利だから。
【根岸さん】この(「雑司が谷案内処」前の)道は結構、通りますよね。
【小池さん】娘は、雑司が谷のうちから学校までずーっと歩いて、野越え、山越え……っていう感じで通ってたんですよ。ていうのは、ちょうど乗り物が何もないんですよね。乗る場合は池袋まで行って乗る。それだったら(歩いて)まっすぐにっていうことで。
【スタッフ】千登世橋のところを越えて?
【小池さん】千登世橋よりもっと中側を。面影橋のあたりかな。同じ学年の4、5人、あの辺から学校に通ってたんです。
【スタッフ】面影橋から?
【小池さん】雑司が谷の1丁目から。
【スタッフ】学習院の女子部っていうと、文京区になるんですか。
【小池さん】新宿区ですね。まっすぐの道があるんですけど、長いんですよ。30~40分かけて通ってたんですけど、今の子はびっくりしてる。「えっ!?」て言う。
 
【スタッフ】小池さんとしては、雑司が谷はこのままのほうがいいですか。
【小池さん】いいとか悪いとかじゃなくて、自然にこうなってるのかなっていう感じですね。
【スタッフ】この先は――。
【小池さん】道の広さからすると、高い建物を建てられないんですよね。だから多分そのまんまで……私ももう何年もないですから(笑)。
【吉田さん】昭和何年生まれでしたっけ?
【小池さん】16年です。
【スタッフ】16年の生まれで、戦争中に(東京に)戻ってこられた?
【小池さん】戦争前ですね。17年に帰ってきてるんですね。
【吉田さん】大変な時ですよね。
【小池さん】うちの妹が18年に、愛育会で生まれてるんです。17年はまだ大丈夫なんですよ。
【スタッフ】中国の記憶は全然……?
【小池さん】ないですね。写真があるだけで、記憶は全然ないですね。
【スタッフ】(小池さんには)何となく大陸的なおおらかさがありますよね。
【小池さん】言われます(笑)。
【スタッフ】生まれた土地柄かなって、ちょっと思っちゃった。
【小池さん】私1人だけ疎開させられてたんですよ。東京はいろいろ大変だったので、私も虚弱児童だったでしょ。だから、小学校に入る前の2年間ぐらいなんですかね。1年半とか2年だと思うんですけども、田舎の祖母のところに。母の兄のうちに祖母がいて、そこに行ったんですよね。だけど、ちょっと遊んだ記憶ぐらいで、あんまり……。そこではいとこが長女で、それまではおばあちゃんに一番かわいがられたんですけど、突然いとこ(小池さん)が来て――。
【根岸さん】取られちゃったと。
【小池さん】取られちゃったって。(いとこが)「私、陸子ちゃんのこといじめたのよ」って言うんですけど、私にいじめられたっていう記憶はないんですよ。
【吉田さん】おばあちゃまは、どこにいらしたんですか。
【小池さん】広島の尾道です。叔父が尾道にある広銀の支店長だったんです。だから、電話機は記憶にあるんですよね、昔のがらがらっていうの。だから、不思議なところだけは記憶にあって。それから、進駐軍が広島にお菓子を落っことしたんですって。それを拾いに走った覚えがあるんですよね。尾道なんかに落としてくれるわけはないのに。
【根岸さん】遊びに行ったんですかね。
【小池さん】どうなんでしょうね。
【スタッフ】まだ4歳前くらいですよね。
【小池さん】5つ前後なんですけどね。だから、みんなと一緒に「わー」って言いながら、落ちてくるのを見ながら走った。
【吉田さん】チョコレートか何かですか。
【小池さん】中身は分からないんですよ。実際には拾ってないから。あとは、帰りの汽車の中で、何でか分からないんですけど兵隊さんみたいな人にこんぺいとうをもらった覚えがあるんですよ。
【根岸さん】そういう記憶だけあるんですね。
【吉田さん】こんぺいとうって、(昔の思い出話に)よく出てきますよね。
【スタッフ】イメージに残りやすいフォルムなのかもしれない。
【小池さん】記憶があるんですよね。ほかの土地の記憶って、全然ないんですよ。電話機が不思議だったくらい。
【吉田さん】電話機とお菓子の思い出が。
【小池さん】本当はお菓子じゃなかったかもしれないけど、みんなで走った記憶。
【スタッフ】前からちょっと不思議だなと思ってたのは、「陸」っていう字で、陸子(みちこ)さんなんですよね。
【小池さん】それが「大陸」(由来)なんです。
【スタッフ】やっぱり。大陸で生まれたっていう意味で。
【小池さん】祖父が、「大陸で生まれた赤ちゃんが、興亜、興亜って泣き声が聞こえる」って言って「陸子」って書いてきた。その話を母から聞きました。
【吉田さん】面白いですね。
【スタッフ】「陸」っていう字で「みちこ」さんって、あんまり聞かないですよね。
【根岸さん】読めないよね。
【スタッフ】私は初めてですね。
【小池さん】それが1人、興銀の副頭取の奥様が、「小池陸子さん」だったんですよ。
【スタッフ】同じ字ですか?
【小池さん】同じ字で。お友達が「亡くなったのかと思った」って、びっくりして電話かけてきたことがあるんです。
【スタッフ】ほかの方の訃報だったんですね。
【小池さん】だけど年が違うので。だから2人、小池陸子って人がいるんですね。
【スタッフ】いらっしゃるんですね。
【吉田さん】普通、読めないですよね。
【小池さん】「陸奥(みちのく)」がありますよね。
【一同】あぁ……。
 
【スタッフ】あとは、今後の展望とか、若い人へのメッセージとか、ありますか。
【小池さん】豊かな風土は残してほしいかな。雑司が谷の、のんびりした、ご近所づきあいも適当な感じ。この頃、猫ちゃんが嫌われるというか、いろんなことになっちゃうんですけど、それこそ猫がいる町ってとても豊かな町だって聞きますので。
【スタッフ】雑司が谷は猫がいっぱいいますもんね。
【根岸さん】この案内処に来る人は、どういう人が多いですか。
【小池さん】やっぱり鬼子母神さんお参りにいらっしゃる方。それから最近は、七福神めぐり(「新春雑司が谷七福神めぐり」)ですよね。
【根岸さん】七福神めぐりは始めたばかりですよね。鬼子母神さんは子宝で来る人もいますよね。
【小池さん】いらっしゃいますね。
【根岸さん】多いですか?
【小池さん】おばあちゃまがお参りにきて、「孫に恵まれました、ありがとうございました」っていう人とか。その方はしょっちゅうお参りにいらして、そのたびに「ありがたかったんですよ」っておっしゃるんです。
【根岸さん】前にあの辺に八百屋さんがあって、よくザクロを売ってたんですけどね。八百屋さんが(参道の)入り口にあったんですよね。季節になると、ザクロが出て。
【吉田さん】今ザクロと(子宝が)結びつかない人もいるもんね。
【小池さん】それと、御会式の時には、日本産じゃなくて外国産のザクロでした。
【根岸さん】カリフォルニア産。子だくさんの象徴ですもんね。それで江戸の方からも来たんですもんね。
【小池さん】よく実るまでは硬い皮の中にがっちりと。それで実ったら出てくるっていう感じが、子だくさんみたいということで。
【スタッフ】たしかお堂の中にもザクロが――。
【小池さん】お花がザクロです。
【吉田さん】きれいですよね。
【根岸さん】本堂の横にもありますよね。小さなザクロが。
【小池さん】そう、中にもあって。
【根岸さん】ああ、絵馬が。あと、妙見様(鬼子母神堂の裏に建つ妙見堂)もありますよね。
【小池さん】そうですね。
【根岸さん】あそこも信者の方がいっぱいいるみたいですね。
【小池さん】妙見講っていうのがあるんですね。5月でしたっけ(5月に行われる妙見菩薩例大祭)。
【根岸さん】そうでしたね。お狐様。子育てのほかは、お宮参りなんかもいますよね。
【小池さん】この間の日曜日もいらっしゃってましたね。
【根岸さん】あと、月に1回やってるお祭り、「手創り市」がすごいでしょ。
【小池さん】今すごいですね。
【根岸さん】第1(日曜日)。
【小池さん】第3(日曜日)かな。
【根岸さん】第3日曜日にすごい人ですもんね。ものすごい人が通るでしょ。
【小池さん】多いですね。
【根岸さん】最初、来た時は2、3軒しか(出店が)なかったんですよ。
【小池さん】昔はね。
【根岸さん】始めた頃はこんなんできるかなって思ってたけど、よく続いてますよね。
【小池さん】今はもう、ほとんどプロですよね。昔は安いのばかり売ってたけど、今はもうすごくて。
【スタッフ】高くなっちゃった。
【小池さん】高いです。「(うちの)お店に置きませんか」って、お店の人がスカウトに来るっていう話も聞きましたね。
【根岸さん】大鳥神社も会場なんですよね。
【小池さん】パン屋さんとか出てますね。食品も結構あって。
【スタッフ】手作りとか、オーガニック系の……。
【小池さん】パンなんか結構高いんですけど、すぐ売れちゃうみたい。
【吉田さん】今コロナウイルスの最中だから、ちょっと大変になってきましたね……。
【根岸さん】どうなんかな。
【スタッフ】東武百貨店(のイベントも)、中止になりましたよね。
【吉田さん】サンシャインも休館になったし……。
【根岸さん】たしか、(手創り市を始めたのは)中板橋で喫茶店やってる連中だったんですよね。成功したから今、静岡でもやってるんですよね。実家でやってたんじゃないかな。
【小池さん】それで静岡から来てたの。
【根岸さん】実家だったんですよね。ただで借りてるみたいなんですよね。すごいもうかってて、3000円ぐらい取るんだよね。
【小池さん】そう。
【スタッフ】場所代を。
【根岸さん】あと、ここで結構、有名なのは、「みちくさ市」。古本屋さんの(フリーマーケット)ね。
【小池さん】それが開催される時はすごい賑わいですよね。
【根岸さん】(みちくさ市は)往来座(池袋の古書店)のあんちゃんから発生し始めて。
【スタッフ】雑司が谷のそういう動き、面白いですよね。面白い人が集まってくる。文化を好きな人が愛したくなる要素もあるんでしょうね。
【小池さん】ええ。この間、菊池寛がここに住んだからよかったっていうことを書いてらしたのを読んだんですね。菊池寛がいろんな人を育て上げたって。川端康成と誰かが毎日、菊池寛のところに食べに来てたって。
【根岸さん】食うものがなくてね。
【小池さん】私たちのイメージだと、川端康成さんっていったら着物を着て――。
【根岸さん】文豪の身なりだね。
【小池さん】それがその昔、若い頃は菊池寛さんのところに毎日……。
【吉田さん】面白いですね。
【根岸さん】小池さんがこちらに来たときは、明治通りはできてて、千登勢橋はある程度はできてましたっけ?
【小池さん】千登勢橋(ができたの)はもっと前です。私、学校に行ってた時にあそこの下、走ってましたから。
【根岸さん】最初、トロリーはあまり遠くまで行ってなかったですよね。
【小池さん】トロリーは、渋谷まで行ってた。
【根岸さん】トロリーも走ってた。
【吉田さん】目白通りとか、あの辺りは昔、鹿とか牛とか鳥獣の面白い肉屋さんとか、お店がいっぱいあったんですよ。
【小池さん】ああ、目白通りの……今の『鳥常』。
【根岸さん】あそこにありましたよね。
【小池さん】鳥屋さんの所に、キジやなんかがぶら下がってましたよね。
【根岸さん】橋のこっち側に?
【吉田さん】そう。
【根岸さん】ありましたね。
【小池さん】昔の、ちょっと面白い建物で。
【吉田さん】面白かったですよね。
【吉田さん】そんなに変わってないですよね。
【根岸さん】あと、目白の向こうに『ボストン』っていうケーキ屋さんがあった。
【小池さん】『ボストン』の包装紙、主人が学生時代にやってた(描いていた)って言ってましたね。
【吉田さん】『ボストン』の包装紙……分かります。
【根岸さん】『田中屋』(ケーキ屋)とか。
【小池さん】『田中屋』は昔からだったから、あっという間に。
【吉田さん】田中屋とボストンね。
【根岸さん】花柳千代さんがあそこの娘だった。
【小池さん】そうなんですってね。花柳さん。
【スタッフ】『田中屋』さんですか?
【根岸さん】『田中屋』の娘さん。
【小池さん】あのビルを持ってる人。
 
【吉田さん】あとは、若い世代を入れていくこととか、続けるためのことだね。
【小池さん】よかったらぜひ、ガイドにいらしてください。
【スタッフ】先ほど話された、ガイドに新しく入る予定の方の中学生の息子さんって、宮平さんじゃないですか?
【小池さん】顔は分かるんですけど、名前は分からない。多分、いろんなことやってる方です。
【スタッフ】公文書(の仕事)でも一緒で、通りに住んでらっしゃるって聞いて、もしかしたらそうかなって。田中さんのところの斜め前のおうち。あの方とは違いますか。
【小池さん】じゃないかもしれない。
【スタッフ】あの方もいい方です。
【小池さん】じゃあ、ぜひ誘ってください。宮平さんとおっしゃいますか。
【スタッフ】今、公文書管理の仕事をしています。事務局をやってらっしゃる女性の方。たしかこの通りに住んでる……。小池さんも委員会に入ってらしたんですよね。
【小池さん】今日の午前中に委員会があったんです。だから頭が痛い(笑)。
【スタッフ】(小池さんは)図書館と公文書、それから郷土資料館も。文化デザイン科のモンパルナスのお仕事もされてて、両手で足りないぐらい。
【小池さん】いえいえ。
【スタッフ】本当にある意味、豊島区が今までやってきた文化事業、文化の施策にどこかしらで関わってらっしゃいますよね。
【吉田さん】雑司が谷で今後、特に追い求めたいテーマはあるんですか?
【小池さん】せっかく残った(雑司が谷旧)宣教師館をずっと大事にしていきたいというのはありますね。今はすごくお客さまが多いのでいいんですけども。
【吉田さん】今、多いんですか。
【小池さん】宣教師館は多いですね。住宅街で分かりにくい場所なのに。
それから、この間ちょうどあの辺を歩いてたら、「宣教師館ってどこですか」って聞かれて、「じゃあちょうど私、行くところだから、一緒に途中まで」って一緒に歩いてたら、その方が、「この辺で何度も宣教師館を探して歩いてたけどたどり着かなかった」っておっしゃったんです。
住宅街にあると、どこを曲がったらいいか分からないですよね。だけど今は逆に、スマホですぐに見つけるから。スマホを見て何か一生懸命、探してるから、「あのー」って声をかけると、「これ(スマホ)で分かりますからいいです」っておっしゃる(笑)。
【スタッフ】(宣教師館は)アニメか映画の舞台になったらしくて、その聖地みたいになってるんで、ファンの人たちが来るとか。
【吉田さん】宣教師館が?
【スタッフ】前にその話を聞きました。だから若い人も結構、来るんですって。
【小池さん】あそこのガーデンコンサートは、最初から。
【根岸さん】最初から関わってらっしゃるんですよね。
【スタッフ】母の日にね。
【小池さん】今は、宣教師館のほうでしてくださってるので。
【スタッフ】小森さんのお話会(小森香子さんによる「おばあちゃんのおはなし会」)はまだやってらっしゃる?
【小池さん】やってらっしゃるの。あの方もすごいですよね。1回だけ、時間をずらしただけかな。あとは全部ちゃんと続けてらっしゃる。
【スタッフ】本当に長くやってるんですよ。今度、小森さんにもお話を伺いに行こうかなと思ってて。もうかなりお年ですね。
【小池さん】だと思います。80いくつかじゃないですかね。一生懸命、手ぶりを交えて話される方で。月1回でも曜日を変えないでずっとしてらっしゃるのは大変ですよね(※3月7日と4月分は、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため中止)。
【スタッフ】すごいですよね。
【根岸さん】別棟でやってるの?
【スタッフ】あの(宣教師館の)中で。
【根岸さん】隣の?
【小池さん】いえ。
【スタッフ】『赤い鳥』コーナーっていう(部屋で)。
【小池さん】中にある小さいお部屋です。
【スタッフ】雑誌『赤い鳥』のバックナンバーとかを置いて自由に見られるような部屋で、ちょっとイベントをしたりしてます。
【根岸さん】宣教師館の保存ができて、東京駅が保存できたって感じですよね。当時は、社会景気の関係で買いたくないって声もあったけど。当時の助役が近くに住んでて、買うってことになって。「多田助役」って。
【スタッフ】でも買えたからよかったですね。
【小池さん】それと、ずっと前に買って住んでた方が全然、変えてなくて、奥に追加して――。
【根岸さん】増築したんですよね。
【小池さん】増築してらっしゃるだけで、建物自体は変えなかったからよかったんですね。あれで変えちゃってたら、もうだめでしたよね。
【スタッフ】そういうのって、残せる時に残さないと、なくなっちゃうから。豊島区はなくしちゃったものもいっぱいあるんですけど、宣教師館は奇跡のように残ってる。
【根岸さん】それこそ助役さんが入ったらからね。あの時に、藝大(東京藝術大学)の前野先生と、日大(日本大学)の山口先生が一生懸命やってくれたんだ。前野先生が、「キリスト教系大学には全部、依頼を出してくれ」って豊島区に手紙を出してるんですよ。そんな話を聞きましたよ。
【小池さん】「ラブレター」って言って一生懸命、大使館とかに手紙を書いてくれたみたいです。