インタビュー全文テキスト

■杉本カネ子さんインタビュー


令和2(2020)年9月3日14時~16時、「みらい館大明」にて
 
【吉田いち子さん(以下、吉田さん)】(部屋を見回して)本当にきれいですよね。床もきれいにお掃除されてて。
【杉本カネ子さん(以下、杉本さん)】そうですね。ここ(1階の元教室)の床はそこまででもないんですけども。今は(新型コロナウィルス感染症対策のため)毎日、使い終わったら消毒してます。
【吉田さん】大変ですね。
【杉本さん】次亜塩素酸ナトリウム溶液で床を全部拭いてます。ほかの施設よりも(基準が)厳しいかもしれません。貸せない団体もいっぱいいるので。
【スタッフ】そうですか。
【杉本さん】はい。カラオケ(の団体)に関しては来年3月まで貸しません。合唱も年内は貸しません。吹奏は、パートごととか、まとまらなければ貸すっていう形。子どもの団体も、部屋ごとに何名っていう決まりがあって、それ以上多いところはちゃんとわける。子どもたちにも、校庭のほうの入り口から入ってもらって、手を洗ってから、体育館とか部屋に行ってもらう。3階を使う団体は、別の場所で手を洗ってから上に行ってもらう。
【吉田さん】なるべくクロスしないように。
【杉本さん】しないように。
【吉田さん】すごいね。
【杉本さん】たとえば、ジョコ(JOKO演劇学校)さんが使う時は、ジョコの生徒さん以外はトイレに入れないように(注意書きの)パネルで止めたりとか。検温の結果も書いてきてもらう。書類は、子どもの団体には「先生が全部まとめて持ってきてください、何かあった時に連絡したらすぐ出してもらえるように」っていう形にしてます。撮影で使う場合も、決まった場所から入れて、全部書いてもらって、責任を持ってもらって。だから、体温を測るものもいろいろそろってます。
【吉田さん】今はロケも中止ですか。
【杉本さん】ロケはしてます。(みらい館大明は)すごくハードルが厳しいので、自分たちでちゃんとしてもらって。そこにパネルがあるのは、ロケを受け入れる側の従業員を守るために、人を入れないようにしてるんです。トイレも、従業員と他の人たちとでわけています。
【吉田さん】宮城県ご出身ということですよね。宮城県で美容師さんをやられてたっていうのは、経営ですか。
【杉本さん】経営じゃないです。私は宮城県松島で生まれて、学校を出てから仙台の美容室に勤めてました。本当は松島で美容室を開く予定でしたが、東京には遊びに来た時、姉たちから「松島に行かなくてもいいんじゃない。東京でもいいんじゃない」って言われて。うち、四姉妹なんですね。長女が府中にいて、二女が所沢で、三女が足立にいて、そこで真ん中(杉本さん)は池袋っていう話になって。「あんた、池袋で働きなさいよ」って言われたんです。姉のうちで新聞(の求人欄)を見て(美容院に)電話をしてそこに決まりました。
【吉田さん】池袋3丁目の?
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】新聞を見たの?
【杉本さん】新聞で美容室の募集欄を見て。それが昭和49(1974)年7月。6月に面接して、7月1日から働きました。
【吉田さん】じゃあ、本当に地縁があったとか、縁故があったとかではなく?
【杉本さん】何もないです。
【吉田さん】何もなく、新聞がつないでくれたご縁というか。
【杉本さん】はい。
【吉田さん】じゃあ。池袋がどういうところかも、まったく?
【杉本さん】そうですね。小学生の頃から1人で遊びには来てたんですけども。ただ、足立区とか、笹塚とか、所沢しか行ってなかったので、池袋はわからなかったですね。でも、全然、怖いとかは何もない人なので。4歳
ぐらいから1人で電車に乗ってどこでも行ってたんです。
【吉田さん】4歳?
【杉本さん】そうなんです、4歳から。母の実家に電車乗って行ったりとか。ちょっと変わってる子だね、ってみんなに言われるくらいでした(笑)。字も読めないのに、「7回、(電車の)扉が開いて、その後でトンネル2つくぐって……」みたいな、そういう感覚だけで行くんです。そのうち、駅の人もどこのうちの孫かわかるから「来たね、気をつけてね」みたいに声をかけてくれる。
【吉田さん】四姉妹の末っ子?
【杉本さん】末っ子です。6人きょうだいの一番下です。もともと姉たちは母親に育てられてたんですけど、私が3、4歳のときに父が病気して、保育園に預けられて母が働きだしたので、私自身はあまり母との触れ合いがなくて。だから、1人で何でもするのが全然平気。
【吉田さん】美容師になるのは、昔からの夢で?
【杉本さん】美容師になるのが夢じゃなくて、保母になるのが夢だったんです。ただ、保母になるためには短大を出なくちゃいけない。私が中学、高校ぐらいの頃に、姉や兄が結婚して、父もいないので無理だなっていうのと、近所の人たちから「女3人いたらかまどの灰までなくなるのに、あなたにお金なんか残るわけないでしょう」って言われたから、進学は無理で。その次にできること、好きだったことが美容だったから、じゃあ、美容がいいかなっていう、すごく単純な理由で。
基本は子どもが好きですから、学校で、ここで子どもの面倒を見るのが大好きですよ。だから、保育園に(自分の)子どもが行ってる時も、わが子よりよその子が先に来る、みたいな。子どもが好きですね、基本は。
【吉田さん】子どもが好きと。新聞を見られて池袋に来られて、美容室に勤めて、そこで居を構えたということですよね。
【杉本さん】最初は姉のうちから(美容院に)通ってたんですが、通うのも大変だから、美容室に来てるお客さんに「アパート貸してくれない?」って言ったら、「うち、空いてるよ」って言われて、すぐにそこに入って。
【吉田さん】では、ベースが池袋3丁目。
【杉本さん】そうです。あの時はまだ(住居表示の変更前だったので池袋)2丁目でした。2の1650だったかな。ちょうどここの端の角、大明小学校(みらい館大明)の目の前。
【吉田さん】それから美容室を経営されてたわけですよね。
【杉本さん】そこでずっと勤めてて、最初は平成3年ぐらいに「売りますよ」って(経営者の方が)言ってたんだけど、いろいろあって、平成10年ぐらいまで延び延びになったんです。だから、経営してるのは平成10(1998)年からですね。
 
【吉田さん】お子さんは2人。
【杉本さん】2人です。
【吉田さん】ご長男と二男。
【杉本さん】はい。
【吉田さん】(息子さんが)大明小学校の出身で。
【杉本さん】はい。
【吉田さん】PTA活動ではよく会長さんもされてたとか。
【杉本さん】副会長ですね。
【吉田さん】それは、やっぱり子どもが好きだとか、学校の経営っていうんですか。
【杉本さん】本来は、校外(の活動)をずっとやってたんです。校外委員長とか。ただ、私の中に納得いかないものが1個あって、「なんで子ども会のお金を集めるのかな」「区から1人に対していくらってお金が出てるのに、なんで集めるのかな」っていう疑問があったんですね。それで、「これは規約を変えないと絶対だめなのかな」っていうところから、副会長になったんです。だから、(副会長は)1年しかしてないんです。
【吉田さん】それはご長男の時ですか。
【杉本さん】二男の時ですね。
【吉田さん】二男の時に、その疑問が?
【杉本さん】前から思ってたんですよ。もともと税金の無駄遣いがね、中学1年くらいからすごい気になってて。私、松島の役場が(家の)すごい近くで、役場でよく遊んでたりしてて。働いてる人と働いてない人の差って何なんだろうとか、なぜこういう矛盾があるんだろうっていうのを、中学生の頃から思ってて。なぜそう思ったかっていうと、うち、母が勤めてるんで、姉たちが結婚するとか何かある度に――私が戸籍(謄本や抄本)を取りに行ったりした時とか、学校の休み時間に自転車で(役場に)行った時とかに、お昼だから動かないとか、13時になんなきゃできないとかあるじゃないですか。世の中ではそうじゃないのに、なんでこんな矛盾なことがあるんだろうっていうのから、スタートして。役場とだいぶケンカしながら、「しょうがないか、じゃあ、やってあげるよ」みたいになったんです。
【吉田さん】中学生の時に?
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】役場とケンカ?
【杉本さん】はい。
【一同】すごい。
【杉本さん】だから、だいたいそのあたりから。小さい時から、夏休みも冬休みも近所の子を連れて(出かける)。「幼稚園を始めるんですか」って言われるぐらい(子どもたちを)集めて。川に行ってシジミを取って、シジミを松島の旅館に売りに行って、みんなでそのお金でおやつを買ったりとか。もともと、そういうのが大好きなんでしょうね。だから、ここ(みらい館大明)も、みんな「大変でしょう」って言うけど、そういうのは何もないんですよね。
基本は、税金の無駄遣いがとにかく許せなかった。だから、豊島区に来た時にも、議員さんに言う。言うとわかりますよ。「豊島区で働かない議員、こんないっぱいいらないじゃない。減らしたら」って言いに行く。すると、「36(人)になったからいいでしょう」って言われて、私からすれば「まだ6人多いんじゃない?」って。それは今でも言うんですけども。議員が本当に働いてるならいるけども、みんなの税金なのに、働かない。「税金を無駄に使うのはおかしくない?」っていうのが、とにかくずっとあって。だから、生協に入った時も、「23区、税の調べ」とかそういうのを仲間みんなでやったり。あと、区役所を回って話を聞いたりしてますね。基本はそこだと思います。
【吉田さん】中学ぐらいから目覚めてたわけですね。そういう、税金についてとか、社会の仕組みみたいなことに。
【杉本さん】はい。もうそれが根本にあるんだと思います。だから、私がここの施設利用委員長になった時にも、「みんなボランティアでやればいいんじゃないの? お金なんかいらないんじゃないの?」って言ったから、多分、委員さんはお金がもらえなくなったんですよね。最初は学校開放の委員さんにすごく文句たらたら言われましたよね。でも、「ほんの少しで払ってるって言われるぐらいなら、ボランティアでいいんじゃないの?」「そのぶん、保育園、幼稚園にお金をかけたほうがいいんじゃないの?」っていうことです。とにかく、変なところに固執してるんですよ。
【根岸さん】校庭開放の指導員も?
【杉本さん】それもやってます。
【吉田さん】校庭開放ね。
【杉本さん】そういうお金も「いらない」って。施設開放も、子どもに使うお金だけくれれば、それ以外の無駄なお金はいらないっていう。
【根岸さん】施設開放っていうのは――。
【杉本さん】平成4(1992)年に、豊島区の――。
【根岸さん】和室を作ったりとか、だいぶ金をかけてやったんですよね。
【杉本さん】そう、小・中学校から。小・中学校の(校舎が)空いてる時間に、地域の人たちに貸すっていう事業です。そのスタートの時からいて、「同じだけ働いているのに、お金のもらえる人ともらえない人といるってなんでだろう?」っていうのを、やっぱり自問した。
【吉田さん】それで学校関係者や区の方に?
【杉本さん】そうです。疑問を投げかけました。
【吉田さん】杉本さんたちは無償だったの?
【杉本さん】いえ、最初のうちは年間で何千円とかなんですけども。自分が平成7(1995)年に委員長になった時に、その運営委員会で「いらないんじゃないんですか? そのお金は子どもに使うべきじゃないですか」って言って、それから変わったんですよね。「ただで部屋を貸すっていうのもおかしくありませんか? 皆さんの税金なんだから、使う人は少しでもお金を払ったほうがいいんじゃないですか」っていうことで、お金を取るようになった。だから、いろんな団体から「今まで、ただだったのに」とか、「余計なことを」とか言われましたね。
【根岸さん】当時、社会教育の分野で学校開放というものがはやりでね。豊島区も金かけて校舎を改修したりとか、順次やってたんです。そのひとつとして、和室を作ったりとかね。和室は結構、金がかかったんですよね。ここも一回、視察に来たことあるから。
【吉田さん】PTAより校外委員の活動が先で、それでいろんな疑問を持つようになって、変えるにはPTAに入らないと、ということで本丸に行ったって感じですか?
【杉本さん】はい。それで規約を変えて、大明小では子どもたちから校外費を取るというのはなくなって。(それまでは)1人1000円だったんです。3人(子どもが)いる人は3000円じゃないですか。そのお金をもらってるから、来ない人の分も、何かを買ったりすると届けなくちゃいけないわけじゃないですか。でも、1人につき何十円っていうお金を出してて、その中でやれば絶対できるわけだから、だったら集める必要ないってことになって。「来ない子どもたちは来なかっただけ損ですよ」「来たら得ですよ」って教えればいいことだから。
あまりにもいろいろ変えたから、次の年に、指名委員さんから「もう一度校外委員長になったらいかがですか」って言われて、「辞めます」って返事したら、校長先生から「じゃあ、施設利用委員長になってください」って言われて、利用委員長になったんです。結構アバウトに騒ぐんで、みんなに嫌われるんです(笑)。「このお金はどこにいくの?」「ご祝儀が入ったはずなのにどこにいってるんだろう? あのご祝儀のお金は?」とか。「あのお金、どこに入ってるんだろう」「何に使われてるんだろう」とか、ちまちましたところが気になる(笑)。
【吉田さん】校外費っていうのは、どういう使われ方をしてたんですか?
【杉本さん】夏休みとか冬休みに、子どもたちのためにいろんな用途で。地域ごとに別々なんですけれども、秋には焼き芋を焼いたり、冬休みに餅つきやったりとか。肉まんを買ってみんなで校庭で食べよう、という地域もあります。あとは、卒業する子どもたちにプレゼントするとか。
【吉田さん】各学校、全部違う費用で。
【杉本さん】使い方が違うんです。ほかの学校は知らないんですけど。
【吉田さん】学校によって違うんでしょうかね。
【杉本さん】はい。あるお母さんから「うち、お金がないのに毎年3000円払うのはきついよね」っていう話を聞いてるうちに、「そうか、うちは2人だから2000円だけど、4人いたら4000円か……」とか。校外委員長さんからも、「あそこのうちに何回行ってもいないのよね」「(何日も経つと食べ物が)腐っちゃうよね」「プレゼント持ってかなくちゃいけないよね」とか聞いて。みんなから集めてるお金だから、そうなるわけじゃないですか。だったら、そういうものがいらないんじゃないのかなって。だから、変なところにヒットするというか。人の見えないところにヒットする(笑)。
【吉田さん】人が見えないところに疑問を感じて追及していくという。
【杉本さん】はい。だから、息子にもよく言われます。重箱の隅を突っつく人だって(笑)。
【吉田さん】そういう人がいないとね。みんなザルじゃしょうがないですよね。
【杉本さん】多分、そういうのが気になっちゃうんでしょうね。
【吉田さん】そういうのが気になるし、まったく苦労だとは思わないんですね。
【杉本さん】思わないですね。自分が動くことは全然。ここを始めた時にも、何年ですかね……多分、5~6年、無償じゃないですかね。(1年に)350日ぐらいここに来てるんですけど。でも、「新しい人を育てる時に、務まる人いなくなるよね」っていう話になって、「じゃあ、館長として館長手当にしようか」って。だから、館長と副館長を同じ手当にして、頂いてます。別にそれがないからってしないかっていったら、そういうことではなくて。毎日の夜の掃除は来てるので。
【根岸さん】その(手当の話の)時、「金取るべきだ」って言ったの、僕なんです(笑)。
【杉本さん】私は別に最低限度でいいよって言ったんです。次の人になった時にあげればいいんじゃないって思うから。「もらっていた証があればいいだけでしょう?」っていうことです。
 
【吉田さん】話が前後しちゃうんですけども、ご結婚は池袋でされたんですか?
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】ご主人も美容院でお仕事を?
【杉本さん】違います。看板屋です。
【根岸さん】先ほどの補足なんですけど、この近くに青年館や児童館、幼稚園、図書館があって、小学校もあると。そこで5月5日にあの通りを全部埋めて――。
【杉本さん】そう。子どもの日にね。
【根岸さん】子ども祭だったんですよね。だから、この地域は昔からそういう雰囲気があったんです。
【杉本さん】私もそこの手伝いはずっとやってました。
【根岸さん】児童館もかなり一生懸命やってたね。
【杉本さん】児童館主催で「子どもの日に地域の子どもを遊ばせましょう」っていう催しで列車が来たときもありましたよね。
【根岸さん】ああ、道路(の車の通行を)止めちゃって。
【杉本さん】そう、道路も止めて、レールをつくってミニ機関車を走らせたりとか。
【吉田さん】それは何年頃ですか?
【根岸さん】それは杉本さんが――。
【杉本さん】多分、私が、校外(委員を)やっているときだから……。
【根岸さん】そのぐらいの時期だよね。
【杉本さん】平成だよね。
【スタッフ】平成5(1993)年?
【杉本さん】その前ぐらいからやってると思いますよ。たしか――。
【スタッフ】池袋図書館ができた年ですか。
【根岸さん】そう。
【杉本さん】池袋図書館ができた後ぐらいからです。
【スタッフ】そうですよね。あの辺の施設の、子ども関係の職員が――。
【根岸さん】全部集まって。
【杉本さん】そう、集まって。
【吉田さん】ネットワークをつくって、地域と一緒になってイベントを。
【杉本さん】はい。だから、児童館でプラ板とか、いろんなもの作ったりもしました。学校とか地域のいろんな施設で使っているやつね。あとは、親子読書会だとか、校外だとか、第三育成(※豊島区第三地区青少年育成委員会の略)とか、全部関わって。第三育成の方たちはカレーライスを作ってくれたりしましたね。そういう感じで、このあたりはずっと地域でいろんなことやっています。
【根岸さん】そういう地盤がね。
【杉本さん】そうです、地盤が。
【吉田さん】それは今でも続いてる?
【杉本さん】今はやってないです。
【根岸さん】そう、今はやってない。今はだから、夏祭とかお正月も(みらい館)大明が持続してやってる。
【杉本さん】はい、大明が。大明が夏に花火をやったのは、平成7(1995)年から、私が委員長になってからやってるんです。「PTAプール」っていうのがあって、みんなでプールに入ったあとにスイカ食べて、花火をしようよっていうことで、花火をしたんですね。
【吉田さん】何プールですか?
【杉本さん】PTAプール。
【根岸さん】近くの区民に(大明小学校のプールを)使わせるんです。
【杉本さん】1日だけPTAにプールを開放してたんですね。その時に子どもたちが遊びに来て、じゃあその後でスイカを食べて花火をしようっていうことで。施設開放のお金で花火を買うだけのお金はあるので、じゃあしましょうっていうことになって。最初は打ち上げ花火だとか、ナイアガラとかいろいろやったんですけど、そのうち「おばちゃん、手持ち花火がいいよね」「あれ(打ち上げ花火)は楽しくない。自分たちがやりたい」って言われて、私が浅草とか日暮里とか(花火の卸問屋)に探しに行って。最終的に日暮里の花火屋さんと提携して、すごい値段をまけてもらって(笑)。今でもやってます。今年はしないんですけどもね。
一番すごかったのは3.11の時で、今まで300人ぐらいしか来なかったのに680人も来たんですね。「スイカ足りないじゃん」ぐらいになって。お母さん同士がメールで、「ただで花火ができる、スイカも食べれられる」って連絡しあったから、大勢来たんです。今年は、「こんなコロナの時にやったら、人が集まるからやめましょう」ということですね。
【吉田さん】池袋3丁目って、割と新しい方と古い方が混在してて、そういう意味では難しい地域だって聞いてたんですけど。
【杉本さん】そう思うでしょう? この大明小学校は、そもそも成り立ちに問題があったんですよ。
昭和26(1951)年に、池五(※「池袋第五小学校」の略)からここに移るときに、当時、高野区長のお父さんがPTA会長だったんですね。その方と、ご近所の佐藤安治郎さん――第3代のPTA会長なんですけど――この人たちが、子どものために図書室を作ってるんですね。新聞だとか、廃材だとか、電線だとかを集めて、280万円ぐらいのお金を作って。その方たちが、この辺の地域のお父さんたちと一緒に、水泳する場所がなかった大明の子どもたちを名栗川(埼玉県飯能市)まで連れて行って、学校から出る校外活動を始めたんですよ。
【スタッフ】用地買収だ。
【杉本さん】そうです。高野(区長)さんのお父さん(高野録郎)と安治郎さん。「ヤスさん、ロクさん」って言われた2人が、地域の方を引き込んで活動したと聞いています。
【吉田さん】高野さんのお父さんって本屋さんですよね。
【杉本さん】そうです。高野書店です。その2人がすごく頑張って、巣鴨信用金庫さん、関野病院の院長さん、立教でいろんなことをやってる樋口さんっていう食堂の人……そういう人たちが「子どものためなら」って頑張ってきた地域なんですね。私も、何で平成4(1992)年に運営委員会の委員長になったかっていうと、安治郎さんから「お前も委員会に入れたから明日から頑張ってね」って言われて、「そうなんですか。わかりました」みたいな感じです。だから、ここってもともと地域の人がつくった学校なんですよね。一時期は「佐藤学園」「佐藤学校」っていわれたくらい。今、その人たちの息子たちが、ここにも――うちの理事にもいるんです。私と一緒に署名(活動)をやった佐藤智重さんっていう人も、その息子なんですけども。だからここの学校って基本は、そうやってみんなで作ったっていう思いがあるから。
 
【吉田さん】同い年ですよね。カネ子さんと、大明小学校(が創立された年)。
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】昭和26(1951)年(生まれ)。
【杉本さん】はい。だから、なお、愛着もあるのかもしれないですね。何もなかった時に、子どもたちを不自由にさせないようにって、親たちが頑張ったみたいです。
【吉田さん】昭和26年って、まだ戦後間もない頃で、混乱してた時期ですよね。
【杉本さん】はい。だから、図書室も何もないし、本もない。授業は午前と午後に分けて、低学年が午前、高学年が午後。一番いたときで1200人ぐらい。
【吉田さん】1200人?
【杉本さん】はい。ですから、地域から自然に(学校の役員に)入れられたのと、もともと子どもが好きなので、「しょうがないか」みたいにここにいるので。だからあまり嫌だとか、大変っていうことはないんですよ。豊島区が学校関係のいろんなことをやった時に、私はここの学校を薦めてた1人だったんですね。大明小の校舎は、梁が出ていて、増やせる造りなんです。それと、環境がいい。空気がいいんですね。私、酸性雨調べと排気ガスの調べもずっとやってたから。ここは(環境が)すごくいいんですけど、池五(池袋第五小学校)は、ものすごい悪いんですね。
【吉田さん】え? ここは空気がいいんですか?
【杉本さん】車が来ないから、排気ガスが少ないんですね。
【吉田さん】ああ、そういうことか。
【杉本さん】要町とか池五は、排気ガスがすごいんですよ。私、あの辺に機械を設置して、仲間で調べました。20年ぐらいやってました。酸性雨も調べました。私の仲間はみんな、そういうことが好きな人ばっかりなんです。「豊島健康を守る会」みたいなところにも入ってた。それからリサイクルもすごくうるさくて、仲間で「豊島区のリサイクルはどこで行ってるか」「ペットボトルはどこに行ってるのか」とか電車に乗って出かけて行って調べる。「紙は沼津? 牛乳パックは宮城県? 紙は練馬? よし、じゃあ行こう」みたいな(笑)。栃木、茨城、足立区とか……。そういうことを調べる仲間がいっぱいいたんですね。でも、みんなボランティアでやってる人ばかりだから、お金をもらうとかでもなく、自分たちの健康は自分たちでね、っていう。だから、部長だった河原さんと親しかったのは、国際フォーラムでごみのイベントがあった時に(知り合った)。牛乳パックの切り方に、豊島方式って名前が付いてるんですよ。
【吉田さん】牛乳パックの切り方。
【杉本さん】はい。
【根岸さん】缶を入れるとお金が出るとかね。
【杉本さん】お金が出るとかね。缶を入れる「くうかん鳥(愛称)」(空き缶のプレス回収機)のこともやってたり。大明でもみんなに缶を持ってきてもらって、5、6年生の修学旅行の花火代をそれで集めたりもしてました。缶つぶしとか。
【吉田さん】じゃあ本当に無駄を嫌って、全部有効利用するっていうことですね。
【杉本さん】そうですね、色々なごみ焼却場ができたときも、みんなで見に行きました。
【吉田さん】それはPTAで?
【杉本さん】豊島健康を守る会や生協の方達とです。
【吉田さん】そういう方々が本当に結束してやってたんですね。
【杉本さん】はい。最終処分場を船の上から見ました。そういうのが大好きですね。
 
【吉田さん】統廃合の頃にはやっぱり、残したいっていう気持ちで――?
【杉本さん】そうです。説明会にも全部に出てます。「また来た」って言われるぐらいに(笑)。
【吉田さん】6回ぐらいの説明に全部出られて。
【杉本さん】そう。いろんなところでやるわけじゃないですか。その全部に行くから「また来たの?」みたいな顔されましたよ。
【吉田さん】もうだから、家族というか、居場所なんでしょうね、きっと。
【杉本さん】そうです。統廃合してもここに大型児童館をつくるっていう話になって、それならいいやって思ったのに、そのあとお金がなくなって話が消えたって聞いて。「え? なくなった? 売られる! 危ない」って思ったんです。
【吉田さん】児童館の話があったわけですね。
【杉本さん】大型児童館と保育園と幼稚園が入る複合施設をつくる案があったんです。
【根岸さん】当時、私はここで(関わっていた)。ここに障害福祉センターをつくるっていうことだったんですよね、役所の中では。
【杉本さん】そう。でも、何回も聞きに行ってるからわかるわけじゃないですか。あちこちの会合に全部、顔出してるから(笑)。「あの時、あの人、言ったよね」「あの時あの人、書いてたよね」「あれ? いつの間に消えたの?」みたいな。それで、「まずい、売られる」って思って。
【杉本さん】「大明の子は大明でやれ」「俺たちは池五、池三は池三で」みたいなところがあって。だから、避難する時にここの人たちは(池五に)行けるの? って思ったんです。
【根岸さん】現在の問題として?
【杉本さん】うん。すごくそういうことを感じてしまったんです。だったら、ここ(大明小)がなくなったら、この辺に住んでる人たち、どこに行くんだろう? って思った時に、「残すために陳情書を請願しなきゃ」って思って、そこからスタートしたんです。
【杉本さん】最初はここらが全部、池五だったんですよ。
【スタッフ】そうですよね。
【杉本さん】子どもが増えたために、すごい狭い範囲だけが大明になったんですよ。ここの学校に来る子たちが。
【スタッフ】(大明小に来るのは)3丁目だけなの?
【杉本さん】そう。昔は2丁目の一部だったんですよね、ここ。昔は2丁目だったの。1丁目、2丁目、3丁目だったの(区域)が、今は違ってるんです。
【スタッフ】じゃあ、住居表示が変わってからは(大明小は)3丁目の学校。
【杉本さん】そう。
【スタッフ】そうすると、3丁目と2丁目の境って、青年館あたり? もっと遠く?
【根岸さん】遠くだね。
【杉本さん】青年館っていうか……もうひとつ向こう側ですね。
【根岸さん】日経新聞の辺り。
【杉本さん】はい。
【スタッフ】やっぱり地域色が違うのかな。
【杉本さん】まるっきり地域性が違ってて、お祭になると人が変わったようになる地域なんです、ここは。
【吉田さん】大明が?
【杉本さん】池袋が。
【吉田さん】池袋の地域が。
【杉本さん】そうなんですよ。池三北町会だけ、3つのおみこしがあるんです。これは北仲睦っていうんですけど。
今は、大明睦と北中睦は一緒になったのですが、宮元睦はそのままあります。お祭になるとふたつに分かれるんです。
【根岸さん】やっぱり「ムラ」だからね。
【杉本さん】ムラだから(笑)。ものすごいおもしろいところなんです。
【スタッフ】張り合っちゃうんだ。
【杉本さん】張り合っちゃうんです。おもしろい町なんですよ、池袋って。
ただ、火事とか何かが起きたら、(別の町会への)手伝いもすごいですよ。そういうところは素晴らしいのに、お祭とか学校のことになると、「池五」「大明」って(分かれる)。
【吉田さん】池五のほうが早くできたんですか?
【杉本さん】もちろんそうです。
【スタッフ】(大明小学校は)人数の関係で分かれた学校だから。
【杉本さん】そう、そこからです。
【吉田さん】分かれたんですね。
【杉本さん】そう、分かれた学校だから。
【吉田さん】プライドみたいなのがおありになるわけですね。
【杉本さん】そう。名前をつけるときとか――。
【スタッフ】分校のくせに、みたいな(笑)。
【杉本さん】そう。「大明池五小学校」っていう名前にしようかって話になったときに、「池五だけでいい」って。それで池小になったんですから。「池袋なんだから池袋小学校でいいじゃないか」って言われて、そうなったんです。そうしたら今度は道和(中学校)が、「道和じゃなくて西池(西池袋中学校)がいいんじゃない」っていう話になったんですよ。
【スタッフ】校名ってどうしてももめるので、基本的には新しく校名をつくるっていうルールがあるんですよね。
【杉本さん】そう。あった。
【スタッフ】どちらも名前を残したいから争っちゃうじゃないですか。そういうときに、古い学校ほど――。
【杉本さん】「自分の学校!」って。
【スタッフ】「どうして自分の学校の名前が残らないんだ」って。プライドが高いから。
【杉本さん】おもしろいでしょう? 変なところに変な人たちがいて(笑)。「どうでもいいじゃん、子どものためなら」っていうね。
【スタッフ】でも、池袋小学校って名前になってよかったですよね。中心っぽいし。
【杉本さん】そういう話では、ここら辺ってやっぱりおもしろい地域なんですよ。私は昭和49(1974)年からここにいるのに、ずっとここに住んでる人だって思われてて、「大明卒だよね」とか、みんなに言われてます。それは、美容院をやってて、平成7(1995)年からは教頭先生とかと親しくなったり、教育長と親しくなったりしたからで。なぜか知らないけど、豊島区の教育長さんとお友達になったんです。
【スタッフ】どの時代の方ですか?
【杉本さん】4代前ぐらいから、ずっと知ってます。
【吉田さん】三田さん?
【杉本さん】三田さんじゃないです。二ノ宮さんのちょっと前の頃から親しくなってて、二ノ宮さんの時にうんと親しくなったんですね。
【根岸さん】川島さんかな。
【杉本さん】「大明のこと、いろいろやってくれてありがとうね」「いえ、地域の子どもたちですから」っていう感じで親しくなって。だから、無償でやるっていうのも、お金がなくなってた時だから、ちょうどよかったんですね。そういうのもあって、学校で何かをやるっていうのは全然、何でもなくて。
【スタッフ】地域の子どもたちを見る団体としてはPTAとかがあるけど、あくまで杉本さんは、大明小学校っていうのが核なんですね。
【杉本さん】そうですね。
【スタッフ】育成(青少年育成委員)ということではない?
【杉本さん】この辺の子どもなら誰でもいいかなっていう。池五とか池小とか、そんなの関係なく、とにかく子どもに関わることをみんなで差別しないで普通にしてあげようよ、っていうのが一番、大きいですかね。
【スタッフ】(青少年)育成委員には?
【杉本さん】なりました。
 
【スタッフ】校舎に対する思い入れとか、自分たちで作った学校っていう思い入れとかがあって、存続運動があったと。(子どもたちが)池五(小学校)に行っちゃって、大型児童館(をつくる話)もなんだか怪しくなって、このままじゃあ(大明小が)なくなっちゃうんじゃないかってことで、存続運動に入ったんですね。
【杉本さん】そう。売られるんじゃないかっていう話になってから。そのうち、「老人ホームになるんじゃない?」って噂まで流れて、「待てよ、老人ホーム……ここにあってもいいけど、地域の人のためには老人ホームじゃないほうがいいかな」っていうことです。
【吉田さん】(根岸さんに)その経過はずっと――?
【根岸さん】そう。たしか障害福祉関係の施設が……。
【杉本さん】それで(平成)15(2003)年に、(陳情書を)出したときに、豊島区は本当にお金がなかったんですよね。15、16年。
【吉田さん】15年と16年。
【杉本さん】私たち、23区全部、調べてるからね。どこに一番お金があって、どこに借金がいっぱいあるか、とか。そこに興味持ったのは、(豊島区が)三芳グランドを買う時。仲間から「豊島区がとんでもないものを買うぞ」って話が届いたんですね。その時は、買うのを反対する署名を集めるのが遅かったんですよ。私のところにはいろんな情報が入ってくるから(笑)。「あんなものいらない」って動こうと思ったんですけどね。「もうちょっと前に教えてよ」っていう。
【根岸さん】あそこ売って大学をつくったんですよ。その金でね。
【杉本さん】93億円。金額まで覚えてるから。でも、動くのが遅かったからだめで。
【スタッフ】じゃあ、今度はもう遅れないようにっていうことで?
【杉本さん】そうです。早めにしなきゃって。「なくなった? じゃあ動かなくちゃ」みたいに。
【スタッフ】その頃のメンバーは、何人ぐらいでやってたんですか。
【杉本さん】メンバーは、私と(佐藤)智重さんと横山さんの3人です。
【スタッフ】あぁ、そうだったんですね。
【杉本さん】たった3人です。最初のスタートは。その3人が、3人ずつ連れてきたから(笑)。
【スタッフ】ねずみ講みたい(笑)。
【杉本さん】そうです。ねずみ講です。
【スタッフ】また3人ずつ増えるから。
【杉本さん】はい。最初はその3人。陳情を出した時は、ここの利用団体さんの名前も全部書かせていただきました。「あなたたちの行く場所なくなるよ」って、脅しじゃないんですけど(笑)。それで、議員さんの名前をもらいに行った時に、共産党の意見がもらえなかったんですね、時間がなくて。話しているうちに一番、協力的になってくれましたね。河野さんが。
【杉本さん】「なんだ、そういうことなら私、協力するわよ」って言ってくれたんです。大明のためなら一生懸命動いてあげる、っていう話になって。
【根岸さん】助成金を作ったりとかね。
【杉本さん】はい。もう、佐藤智重さんがそこに行く時間があと2分しかなかったんです。そのあとでちゃんと説明しに行ったんです。最初は、議員さんの名前なしでいこうと思ったんですけど、「議員の名前が入ってたほうが有利だよ」ってアドバイスがあって、そこから(名前を)集めてるから(共産党に説明に行く)時間がなかったんです。だから、バッタバタだったんですよね。
【吉田さん】すごいですよね。署名活動して、請願出して……で、半年足らずですよね。
【杉本さん】そうです。今度はいろんな町会の町会長さんたちに、大明のことをわかってもらうために、氏子会の会長さんを頼んだんです。私ではだめなので、その方を長にして、私が副になったんです。
【根岸さん】町会をここで丸め込んだんですよ。
【杉本さん】そうです。最初いろんな町会に行ったら、けんもほろろにすごい嫌みを言われたんですよね。いろんな町会から「何もわかってないお前に言われたくない」とか散々、言われたんです。それで氏子会の会長さんのところに行ったら「いいよ、やってあげるよ」って。あの方は基本的には池五の場所の方なんですけども、やってくれたんです。氏子会の会長が言ったら、みんな、「会長が言うんならしょうがないか」って。手のひら返したように、ころっと(笑)。
【スタッフ】それで、協議会の準備会を?
【杉本さん】そうです。委員長になってもらって。「私が全てのことをやるので、表に立って、話だけはしてください」ってお願いしました。
【根岸さん】当時の役所の動きを説明すると、青年館を改築するって話があったんですよ。近くに土地を買って。今、自転車を止めてるところ。最初はあそこを、青年館用地に買ってくれたんです。それで、金がなくなったんでやめて、青年館の代わりに障害福祉センターを作るっていう話が役所のなかであって、我々も「それじゃあしょうがない」って引いたことがありました。だから、青年館のために買った土地っていうのは、日経新聞の隣の土地です。設計図まで作ったんですよね。
【スタッフ】もともとの青年館第三出張所って、あれは借りてたの?
【根岸さん】借りてたんじゃなくて、買って。隣の印刷屋の地主で。そこから豊島区が買って、買い戻させたんです。
【スタッフ】じゃあ、区の建物ではあったんですね。
【根岸さん】あったんです。出張所だったし。
【スタッフ】私もそれしか覚えてないんですけど、お金がないから、もう立て替えは無理だし、青年館の役割としても、もうそんなにないんじゃないの?っていう話が――。
【根岸さん】そういう議論もずっとありました。
【杉本さん】そういうのも、人が私に情報くれるんです。「それもなくなる、これもなくなる。豊島区は借金だらけの区だから本当に危ない」って思って、役所に行った時にいつもよくいるおじさんが私に、「女がだめになったから豊島区がだめになったんだよ。昔は豊島区がよかったのは、女が頑張ってたからなんだよ。全部男にさせるからだめになるんだよ」って散々言ってきたんですよ。私、「そうなんですか、すいません。頑張ります」って(笑)。
【杉本さん】「昔、豊島区ができた時には、とても潤ってていい区だったんだけども、女が引いて、男が出っ張ってきてからひどくなった。買わなくていいものを買って、買うべきものを買わないからこうなるんだ!」って、ずっと私に話してくるんです。説明会の度にそのおじさんもいて、その度に私に言ってくるから「そうなんですか。じゃあ、どういうところがだめだったんですか?」って、メモしながら聞く。そうしたら、またすごい教えてくれる。私、変なおじさんに好かれるっていうんで有名なんです(笑)。この辺でも、ちょっと変わった人たちと親しくなるんですよ。ここら辺、芸術家とかいっぱいいるじゃないですか。私、人としゃべんない人としゃべるから、「ちょっと変な人としゃべるよね」って言われるぐらい、誰とでも話すので。だから、そのおじさんも話しやすかったんでしょうね。
【スタッフ】お商売のせいかしら。
【杉本さん】もともと人が嫌いじゃないから。人間大好きだからなんでしょうね。
【吉田さん】なるほど。
【杉本さん】だから、ここの歴史っておもしろいです。何かあったらすぐ手伝いますから。大明小学校で、雨で校庭がびしゃびしゃになって、翌日に運動会ができない、延期にするかっていう話が出た時に、ある人が「じゃあ、水を取ればいいんだな」って言って、30人ぐらい男の人が来て、スポンジとかいろんな道具で水を取ってくれたんです。その人たちが、テント張ったりとかいろんなことをしてくれて、作業が終わったらいなくなってた。それから、大明小に男性の先生が少なくて女の人ばかりの時にも、その30人がすぐに来てくれたりして。そのトップが、元PTA会長の中澤さんなんです。中澤さんが電話かければ、30人がすぐに集まる。
【スタッフ】青年部みたいな感じなんですか?
【杉本さん】それは関係なし。大明の卒業生の人たちです。
【スタッフ】ああ、同窓会。
【杉本さん】はい。中澤さんのひと声で、自分のところで仕事してる人たちが来てくれる。
【スタッフ】すごいですね。
【杉本さん】そう、すごいんですよ、ここ。
【スタッフ】土地柄が。
【根岸さん】だから本当に、ムラなんですよ。
【吉田さん】そうすると、ご商売やってる方も多いんですね。
【杉本さん】多いんです。商売やってる人が多いからね。高野さんのお父さんの本屋さん、佐藤安治郎さんは建設会社のお父さん。だから、(佐藤さんの)奥さんがよく言ってましたよ。「仕事もしないで、大明にばっかり行って」って。よく嘆いてました(笑)。だから、ここの卒業生は子どもの時からそういうのを見てるから、自分たちができることをすぐにやるんだと思いますね。
 
【吉田さん】それで、みらい館大明を平成17(2005)年に立ち上げたと。この時に代表理事。
【杉本さん】そうです。立ち上げたんです。「ここまでやってあげたから、もう俺は降りる」「じゃあ、私がやります」っていうことで。「俺は何もしてないから降りる」っていうことでしたけど、ずっと会員さんになってました。
立ち上げの時に説明会で、ボランティアで1万円持ってきてくれる方を募集したら、根岸さんも来てくれて、50人が集まった。だから、出資金50万です。
【吉田さん】1万円持ってボランティアが集まった。
【杉本さん】はい。そういう方を募集しますってことで。そこに同窓生が20人いるんです。
【吉田さん】50人集まったんだ。
【杉本さん】はい、集まりました。
【根岸さん】みんな投資したんですよね。
【杉本さん】投資したんです。
【吉田さん】投資ですね。
【杉本さん】基本的には、学校とすごく親しかったので、事務の人とも親しくて、電気、水道、光熱費、学校にどれだけかかるかっていうことも全部教えてくれてるんですね。
【吉田さん】それも、自主的にですよね。
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】でも、その金額は半端じゃないですよね。
【杉本さん】最初のうちは部屋だけを借りて、廊下とトイレは道路扱いでお願いしますっていうことにしたんですね。
【根岸さん】そういうことにしてくれたんですよね。
【杉本さん】そうです。だから、借りるところの面積で電気代とか水道代を払う。うちがスタートした時は、給料を払う従業員は1人だけで、ボランティアが3人いたので、私と、大明の副会長だった2、3人で掃除なんかもしたので、全然、お金はかかららなかった。豊島区の主事さんなんです。あの方が、私がボランティアでやるって言ったら、俺も、ってボランティアでやってくれてるんです。草取りからゴミ捨てから全部、ボランティアでやってるんです。
【吉田さん】すごいね……。
【杉本さん】そうなんです。その方と2人で、いらないものを3階から1階まで全部、降ろしたんです。他の人に頼めないので、私とそのおじさんと2人で、夜の8時から11時までの間に。それが一番大変だったのかな。必要なもの、いらないものを分けたりとか。
【吉田さん】カネ子さん、美容室の経営はいつまで?
【杉本さん】ずっとやってますよ。
【根岸さん】10年間。
【吉田さん】(美容室を)しながら、そういう活動をされてる?
【杉本さん】そうです。
【吉田さん】それはすごいな。
【根岸さん】3人が毎晩、この建物全部を掃除してるんですよ。ボランティアで。それがベースにあって、さっきも言ってた主事さんが今でも毎日、ごみの分別までやってくれてるっていう感じです。その人も変わり者だったけど(笑)。
【杉本さん】変わり者に好かれるから(笑)。
【スタッフ】私なんか、自分の家の掃除だって毎日できないのに。ここを毎日……。
【吉田さん】毎日ですか?
【杉本さん】今でも毎日です。
【根岸さん】夜。閉館してから。
【吉田さん】閉館してから掃除を、ボランティアで。
【杉本さん】はい。そこにお金をかけると、給料が出せないんです。
【根岸さん】本当はそれをちゃんと経費として計上して、毎日の仕事だっていうことを知らせたことがいいんじゃないかって、私は言ってるんですけど。
【吉田さん】今、理事さんは何名でしたっけ。
【杉本さん】13人。理事は誰も来ないんです。
【吉田さん】理事は来ないと。
【杉本さん】最初から別に求めてないので。
【根岸さん】昔の……高田さんと、福田さん。
【杉本さん】そう。その1人は途中から辞めたんですけど、いろんな子が働きだしたので、その子と一緒に私がチェックするために毎日のように来てます。もともと平成7(1995)年から、私のところにいろんな問い合わせが来てたから、お正月は私の仕事みたいなもんだったんですね。学校の先生が休みの時なんかに。
【吉田さん】それは、大明の出身の方?
【杉本さん】大明出身の人はいないですね。
【吉田さん】いないのに、何なんでしょうね……すごいですね、人の吸引力というか。
【杉本さん】1人だけ、横山さんっていう方が同窓生なんだけど、夜の掃除に来ることはないです。ボランティアの代表をしてて、年に何回かお掃除をしてくれたり、週に3回くらい掃除に来てくれたり。日中は来るんですけど、夜の掃除は私たち3人だけだったんです。だから、階ごとに掃除して、8年ぐらい続いたんですかね。
【根岸さん】金がない時期ですね。
【杉本さん】やっぱり、お金を浮かせるためにはね。1回だけトイレのお掃除を(業者に)頼んだことがあって、「こんなにお金かかるの? やっぱりやめよう」ってなりました。だから、今は、初めからいる高田さんと私とスタッフで掃除はしています。
【根岸さん】先ほどもちょっと話に出たけど、説明会は何回ぐらいやったんでしたっけ?
【吉田さん】6回とか?
【杉本さん】8回。
【根岸さん】真冬に、体育館でストーブたいてやったの。
【杉本さん】そう。寒い時にね。
【根岸さん】僕はその時、青年館でパソコン講座を主催してて、館長から、「根岸さん、こういうのがあるから行ってよ」っていうことでたまたま来たんです。誰かにつかまったんですよね。
【杉本さん】多分、大沼さん。
【根岸さん】それからです。
【杉本さん】説明会は8回ぐらいやってて、料金の設定だとか、どういう使い方をしたらいいのかっていうことを体育館で説明した時に、30人ぐらいが残ってくれたんです。その30人と8回、協議会をしてるんですね。その8回の間に、どういう使い方するか、ルールをどう作るかとか話したんです。だから基本は、誰かが作ったのではなくて、みんなで作った。料金もこれが妥当かなっていう計算のもとで考えて、それが今も変わってない。ただ、区民と、区民じゃない人とで値段が違うっていうだけの差です。
【根岸さん】それに補足すると、今、図書室には医師会の、なんて言ったかな――。
【杉本さん】医師会を建て直すので、その人たちが(建つまで)来てて、1階と2階の一部を使ってます。
【根岸さん】その収入がある。
【杉本さん】そう。
【根岸さん】私もその時に、ある事務所から出なくちゃいけなくなってここを借りたんです。
【杉本さん】この部屋と、隣の部屋ですね。事務所としてお貸しして。
【根岸さん】あと、上に劇団昴関係が入った。それはどういういきさつかっていうと、文京区(千石)の三百人劇場をつぶすんで、その(劇場の)椅子を――。
【スタッフ】区民センターでもらって。
【根岸さん】そう、その関係でね。
【吉田さん】(劇団)昴もいたんでしたっけ。
【杉本さん】昴もいた。今は昴じゃなくて、昴から出たジョコ(JOKO演劇学校)さんがいるんですけども。
【根岸さん】そういう基本的な収入があったっていうことが、ひとつベースですよね。
【杉本さん】ここ(部屋)を分けてみたりね。
【スタッフ】ロケーション(としての貸し出し)はいつから?
【杉本さん】わりとすぐですね。まず、ひとつの団体。もうひとつは、時習小を借りるはずだったNPOさん。荘司さんたちのグループ。時習小が借りられなくなって、ここに来たんです。だから、最初は3団体だったのが、6団体になったんです。その時からロケーションが始まったんです。最初は庄司さんたちグループの収入源として。その後、グループが解散し、荘司さんだけ残って大明で働くことになって、ロケーションのお金も大明に。
【吉田さん】ロケってどういうことやってるんですか?
【杉本さん】撮影のロケなんで、いろいろですね。コマーシャルだったり、ドラマだったり。
【根岸さん】何でも。キムタクも来たことあるし。
【吉田さん】すごいね。
【杉本さん】一番来てたのは、吉本興業の人たち。すごく使ってたんですが、吉本興業は(別のところで校舎を)買ったので来なくなったんです。
来てた時は、廃校文化祭っていうのをやったりして。竹山君とか、雨上がり(決死隊)とかお笑いの人たちが校庭を使ってそういうのをやってました。ゴムでピューンって(上に飛ばす)のをやったり。あとはタモリさんの『タモリ倶楽部』、ドラマ『相棒』、深田恭子さんのドラマとか……いっぱい来てましたね。私が芸能人に興味がないので、反町(隆史)さんがあの辺(校庭)に立ってるときに、10センチくらいの距離にいるのに顔も見ないで植木屋さんと植木の話してたんです。それを上から見てた人が「信じられない!」とか言って、すごく怒られました(笑)。私は全然、興味ないから「そうなんですか?」っていう。
【吉田さん】そういう目玉というか、大きく取れそうな交渉は誰が?
【杉本さん】荘司さんです。それが荘司さんの仕事です。
【根岸さん】ホームページにもロケのことは出してて、それで知れ渡ってるから。あとは(旧)平和小学校もロケに貸し出してます。
【吉田さん】そういうことか。
【根岸さん】平和小学校が使えないとこっちに来るっていうことがあった。
【杉本さん】だから今は、荘司さんと窓口のもう1人(小笠原君)の2人で、撮影関係は全部担当してます。
【スタッフ】ちょっと質問してもいいですか? 旧大明小学校の3階部分も、豊島区と賃借契約を締結してロケーションとして活用を始めたのでしょうか?
【杉本さん】間違いないです。
【スタッフ】3階もオープンの時から(ロケーションとして)活用――。
【杉本さん】いや、オープンの時は使えなかったんです。最初は児童館になるっていう。「(中高生センター)ジャンプ」になるっていう。
【吉田さん】ジャンプに。
【スタッフ】他の施設も入ってなかった?
【杉本さん】違うんです。
【スタッフ】(豊島区)医師会?
【根岸さん】そう、医師会が。
【杉本さん】医師会が入ってて、3階は、子どもの、「中高生(センター)ジャンプ」をつくるっていう話があって。
【根岸さん】そういうのもあったね。
【杉本さん】そういうのが全部、冷暖房をつけるのにお金がかかりすぎるからっていうことで、なくなって。そのあと、立教(大学)が借りるっていう話もあったけど、それもなくなった。
【根岸さん】「セカンドステージ大学」をつくるから、そのキャンパスにしたいって言ってたの。でも、それも諦めてくれた。
【杉本さん】で、私たちが全部借りて。だから、平成17(2005)年に何が一番、大変だったかって、クーラーです。それまで暖房しかなかったんですよね。クーラーがないところは借りたくないって言った利用者さんの意見から、つけたんです。クーラーがあったのは、校長室、職員室、音楽室、保健室くらいかな。
【スタッフ】そうだよね、学校だからついてなかったよね。
【吉田さん】今の学校はついてますよね。
【杉本さん】ほかの部屋は、図書室とか和室とか、4部屋だけついてたんです。それで、全部の部屋にクーラーをつけるために、どうやって買うのかを考えるのが一番大変でしたね。それで、近くにいた仙浪さんっていう電気屋さんに「この部屋に合う、一番安くていいやつをお願いします」って頼んで(笑)、1台ずつ入れていったんですね。故障とか、何かあったら仙浪電気さんのところに行くようにして。もともと学校は、暖房だけだったんです。
【吉田さん】そうですよね。
【杉本さん】はい。やっぱり、全部変えるっていうのは大変でしたね。
【根岸さん】補足説明として、前は理事会を、4、5年……2、3年でしたっけ? 毎月やってたのは。
【杉本さん】8年くらい。
【根岸さん】8年ぐらい毎月やってたんですけど、それでは議論ができないっていうことで、執行会っていうのをつくって月一でやるようにして、必ずいろんなことを決めると。理事会には要旨を報告するっていうシステムにしたんです。その執行会を4人で、毎月定例的にやって、そこで最終決定っていうことに。
【杉本さん】5人です。
【根岸さん】そうか、5人か。それで動かしてます。杉本さんが館長で、彼が副館長ということで、業務を2人でやっていただいて、我々は言いたいことを言ってました(笑)。それともうひとつ補足で、向こうの部屋に、医師会の後、エフオーイー(FoE Japan)が入ってました。地球の友(Friends of the Earth)。その隣の私がいた部屋には、ルーヴル美術館友の会っていうのもいました。あとは何でしたっけ? 千徳さんの――。
【杉本さん】あ、千徳さん(千徳美穂、NPO法人メコンクラブ)。
【根岸さん】あれも芝居関係でね。
【杉本さん】おもしろい人たちがいっぱいいたのでね。
【根岸さん】ルーヴル美術館友の会に、フランス人がいて。ルーヴル美術館の情報をいろいろと日本で発信してましたけどね。そういう時期が3、4年……もっとあったか。
【杉本さん】5年ぐらいかな。
【吉田さん】ルーヴル美術館?
【根岸さん】友の会。
【吉田さん】発信っていうのは、何を?
【根岸さん】ルーヴル美術館の情報を日本に伝えるっていうことで。フランス人も見えて。
【杉本さん】あとは俳優協会さん(日本映画俳優協会)。
【根岸さん】そうだ、俳優協会もあったっけ。
【吉田さん】ああ、俳優協会ね。
【スタッフ】石濱さん。校長室使ってて。
【杉本さん】校長室。あの方は、あそこ以外、嫌だっていうんで(笑)。
【根岸さん】校長室は冷房があったしね。
【スタッフ】そうでしたよね。
【杉本さん】この部屋も最初はなかったんです。家賃もらってるんだから、つけないとまずいよねってことでつけました。
【吉田さん】そう、ここもなかったですよね。たしか夏に俳句教室で来たことがある。
【杉本さん】耐震(工事)の時には、もうちょっといいの(クーラー)を入れようっていうことになって。安いのを入れてたから、2階とこっち側が効かないとかいろいろ言われてて。
【スタッフ】それこそ、児童館に移ってもらったりして、(最終的には事務所には退出してもらって)貸室を多くしたんですよね。
【杉本さん】そうです。子どもたちの団体には、ここの部屋で環境のお勉強会とかを今もやってますけども。今年はちょっと難しいんですけどね。そういうところには無償で貸したり、(立教大学の)阿部(治)ゼミの子たちにも無償で貸したりとか。
【根岸さん】(阿部ゼミは)蝶の道を作って歩いてるんです。
【吉田さん】蝶の道(プロジェクト)ね。
【杉本さん】あの子たちが近くで畑をやっているので。
 
【スタッフ】やっぱり、地域の方たちのボランティアがなければ、自主管理運営っていうのは難しかったんでしょうね。
【杉本さん】難しいと思います。多分、税金を投入すれば全然なんでもないんですけどね。廃校にどれだけお金かかるかっていうのも、全部調べたんですよね。やっぱり「こんなお金、無駄じゃん」っていうところから動いてるので。私たちも最初はNPOをつくるつもりはなかったんですよ。ところが、区役所の中の一部から「訳の分かんない人に貸してるのってどうなの?」っていう話が出て。その時に(区側の)担当だった関谷さんと私とで東京都に書類を出しに行ったんですね。
もう本当に、区の人っていう顔をせずに私の補佐で来てるみたいな顔をして、何回も東京都までNPOの書類を出しに行ったりして。「来る度に、出す書類が違うって、じゃあどれが正しいんですか」って怒鳴りつけたら、「じゃあ、最初のでいいです」って。
NPOって、区の担当、東京都のNPOの担当で個々に考え方が違うから……。今はよくなってるんですけど、当時はひどかったんですよ。
【スタッフ】法人取得のために東京都へ行ったわけですね。
【杉本さん】そう。もう、何回、通ったかわかんないぐらい。「ここがだめです、これがだめです」とか言われて。
【スタッフ】そこに関谷さんがついていったんですか。
【根岸さん】書いてくれたの。(書類を)作ってくれたの。
【杉本さん】そう、(書類を)作ってくれてるから、2人で行くしかなくて。だから、一番大変な思いしていろいろやったのは関谷さんかな。感謝しても感謝しきれない区の人。
【スタッフ】施設再構築の担当ですよね。
【杉本さん】そう。でも、やってくださって。書類を作るとかそういうことは全部、関谷さんがしてくれたから、すごく助かりましたよね。
【スタッフ】「訳のわからん団体に貸してるわけじゃない」という形になって法人化されて、それでも区から一銭もお金をもらわないでここが成功したのは、やっぱりボランティアの力が大きいですよね。
【杉本さん】そうですね。
【スタッフ】ほかにないですものね、全国にも。
【根岸さん】たしかに。
【杉本さん】最初の2年間は、税金を払いたくないっていうのもあって、2回、寄付をしてるんですよ。250万と750万。
【スタッフ】NPOでも税金かかるの?
【杉本さん】違うんです。あのね、みなさんが誤解してるんですけどね、ここはNPOなんですけど「不動産貸し出し」なんです。
【根岸さん】税務署だよね。
【杉本さん】税務署に、都税も区税もすべて払ってるんです。消費税も払うんです。消費税、百何十万くらい払ってるんです。
【スタッフ】じゃあ、黒字が出るぶんだけ税金にいっちゃうっていう。
【杉本さん】ただ、それは最初からわかってるので、2年間は出したんです。耐震(工事)の話が出た時に、「もし耐震でお金に困ったら、豊島区さんに寄付したぶんはもらえるのかな」って冗談で言ったんです。そしたら、「1回入ったものはあげませんが、貸しますよ」って言われて。で、そしたら河原さんが「だから言ったでしょう? 寄付なんかしないで貯金しなさい。税金払ってもいいから、貯金しなさい」って言ったんです。そのおかげで、今、このコロナの状態でも、その貯金で何とか運営してるんです。
【スタッフ】最初は寄付されてましたよね。あれは税金逃れだったんだ。
【杉本さん】そうです。税金を払いたくないから寄付してたのに、「お金貸してあげるよ。借用書出すよ」って言われたんですよ。「だって、一般会計に入れないって言ったじゃないですか」「何かあったときの金って言わなかったですか」って(区役所に)言いに行ったら、「貸すよ」っていうことになった。ここの部長担当になった河原さんが「やめなさい、税金払ってでもお金を貯めなさい」って言ったんです。それで貯金するはめになったんですけど、そのおかげで貯金できたから今、あまり電気代もかかってない。全部ではないけど廊下は全部LEDに替えて、クーラーも新しくして、電気代も節約できたし。だから、それはよかったのかな。
【スタッフ】そういうのはみんな、理事会で決めてる?
【杉本さん】そうです。小さな買い物は私の判断でしますけどね。みなさんに提案を出して、「これぐらいお金かかるんですけどいいですか?」っていう形で聞いてます。電気屋さんも地域の店なんで、値引いてくれます。もう、値引くだけ値引きます(笑)。叩けるだけ叩いて(笑)。
【スタッフ】値引いても、向こうもご商売だから、売れれば利益は出るし。
【杉本さん】そうです。利益率はちゃんと計算できてます。床を直す時にも4カ所に見積もりを出してもらって、一番安いところに頼んで「私も手伝うから!」って言って値引いてもらう。いろんな部屋、全部です。じゃないと、この一部屋でも100万円くらいかかっちゃうんですよ。それを、「私、手伝います!」って言って、45万円くらいに(笑)。
【根岸さん】わざわざ千葉から(業者に)来てもらったよね。
【杉本さん】そう、千葉から。「だって、この値段でできるでしょう?」「これだけ掛け金を掛ければ、もうかるでしょう」とか言って。上の部屋とか図書室のじゅうたんの張り替えも、101(番の部屋)の張り替えもやりました。それから、理科室の床をフローリングにするのも、その人に頼みました。1回だけ、3階を豊島区のゼファー(池袋まちづくり)さんに貸したんですよ。
【根岸さん】3人のね。
【スタッフ】アトリエですよね。
【杉本さん】そう、アトリエ。そうしたら、床がものすごい汚くなっちゃって。どうしようもないから全部張り替えてフローリングにする時に、また千葉の人を呼んで――。
【スタッフ】値切って。
【杉本さん】値切って(笑)。「私も手伝うからね」って(笑)。
【吉田さん】なんで汚くなったの?
【根岸さん】ゼファーさん? ペンキとか油絵を使ったから。
【杉本さん】(床に)敷いてやってくれればよかったんですけれども、敷かないから取れない。臭いも取れないし。だから、床も剝がしちゃったんです。
【スタッフ】アトリエ事業は何年ぐらいやってたんでしたっけ。
【杉本さん】3年かな。いろんなことに使ってもらって、いろんなことをしましたね。
【根岸さん】区議会議員さんがいろんなサポートをしてくれっていうのも、ここにとって結構重要なんだよね。
【杉本さん】そうです。第3地区の区議さんが全部サポートしてくれた。一番の発起人が遠竹さんで、山口菊子さんを連れてきて、西山さんを連れてきて、河野さんが来て……っていう。大明のことなら一生懸命やりますよっていうことでした。
【根岸さん】議会でも結構、質問してくれてね。
【杉本さん】質問してくれたり、いろんなことをフォローしてあげますよって言ってくれたり。その方たちが一生懸命やってくれましたね。年に1回集まって情報交換会もした。
【根岸さん】一昨年あたりでしたっけ。若手区議会議員と会って話すっていうのもやったことがあった。
【杉本さん】ブックカフェで、「地域で働いている人と話をしよう」っていう講演会をしてたんですけど、その中で議員さんとの話し合いっていうのもあったんですね。
【根岸さん】4人ぐらい来たよね。
【杉本さん】4人来てもらった。なぜか小林さんが来たんだよね。そういう意味では、議員さんたちも大明まつりを見に来てくれたし、地域の人たちとお話をしてくれたりしたから、よかったのかな。お互いのために。(こちらは)議員さんの顔も見えて、(議員さんは)みんなの声が聞けて、ってことで。
【スタッフ】学校統合でいろんな学校が閉校したけれども、ここが地域の方たちでずっと運営できてるのは、議会のバックアップが結構ある?
【吉田さん】そうですよね。
【杉本さん】そうなんです。
【スタッフ】区は手を出せないというか(笑)。下手にここ(みらい館大明)を建て替えなんてできないぞっていうことですか。
【根岸さん】杉本さんに突破力があるから。
【杉本さん】結構、議会も見に行ってましたよ。今は行かないんですけど。「あの人、あんなこと言ってるけど本当にやるのかな?」って思って、本当に仕事してるかどうか見に行ったこともありますからね。ちょっとやっぱり、そういうところ(私は)変なやつで(笑)。
【スタッフ】でも、だからこそなれ合いにならなくて、緊張があっていい仕事ができますよね。
【杉本さん】私、ずっと成人式のボランティアもやってますよ。
【スタッフ】あぁ、そうですよね。
【杉本さん】着物を直すボランティアをやってるので。その時に議員さんが声をかけてくれます。
【吉田さん】なるほどね。
【スタッフ】お互いに、緊張感を持って。
【杉本さん】豊島区のボランティアとしては、消団連(全国消費者団体連絡会)にもずっと行ってました。
【スタッフ】それは環境関係(の活動)で?
【杉本さん】環境ではなく、違うことで。環境衛生は、それはそれでまた別で今でも入ってます。保健所管轄の(団体)に。30年ぐらいやってますかね。みんなボランティアです。
だからやっぱり、そういうことでいろんな人と関わることによって、ここをわかってもらう。そのためには、自らボランティアに行くし、区のためにも行くっていう感じです。
 
【根岸さん】あと、(みらい館大明での取り組みで)重要なこととしては、青年の問題があるよね。
【杉本さん】そう。長年いろいろやってて思ったのは、ここって小さい子もお年寄りも来るけど、「真ん中」がいないよねっていうことだったんです。豊島区で真ん中ってどうしてるんだろう? やっぱりおかしいよねっていうことで、豊島区と一緒に若者のために何かをしなくてはっていうことで、若者支援が始まったんです。
【吉田さん】18歳以上の――。
【杉本さん】そうです。
【根岸さん】青年館の後の施設でもあるしね。
【杉本さん】若者の居場所がないとかわいそうなんだけど、じゃあ、どうしたらいいんだろう? っていうことで、最初は3団体とやってたんです。だけど、私って変なところがあって「この人たちって大丈夫……?」ということになると、もうそういう目で見てしまう(笑)。あら探しというか。「言ってることとやってること、違わない?」とか、だんだん疑問が出てきて。だから今は、区と二者でやってます。
【スタッフ】最初は区にも若者支援のノウハウとかプログラムがなくて、大明も持ってなかったから、そういうノウハウを持っているNPOを連れてきちゃったんですよね。大明と、若者支援のNPOと、区が三者協定を結んで。
【杉本さん】ちょっと、感性が独特だったんです。それでだんだん、どうも補助金狙いなんじゃないかって思えてきてしまって。
【スタッフ】ここを事務所で使えるんじゃないかとか、区から事業費が下りるんじゃないか、みたいな……。
【杉本さん】そう。で、私のほうが(そのNPOを)見てるうちに――。
【吉田さん】カネ子さんがピンときて(笑)。
【杉本さん】そう。「この人たち、ちょっと違うんじゃない……?」って。私、大明の利用者さんでも、危ない人たちはみんな排除できるんですよ。見てるうちにわかるから。何年か前に、「この団体、おかしくない? 注意しててください」って(ほかのスタッフに)言って、貸す回数を減らしてたんですよ。そしたら豊島区から、「こんな団体いませんか」って連絡が来て、いろんな学校で宗教団体を作ってる人たちだってわかったんですよ。「うち、もう使わせてないから大丈夫です」って返事しました。会って話してるうちにというか、見てるうちに、わかるんですよ。「う~ん、この人たちうさんくさいかな? バレーボールしにきてるのに、ちょっと違うかな?」って、なにか感じるものがあるんです。
【スタッフ】匂ったんだ(笑)。
【杉本さん】何か嫌なものが出てくるんです。もうひとつは、若い女の子たち。その子たちが、2人だけでずっと使ってたんです。「体育館を使ってイベントをしたい」って言ったんですよね。それで、「ちょっとうさんくさいかな? これも危ないかな」って思ってお断りしたら、池袋署から、「こんな人たちっていませんか」って連絡があって。
【スタッフ】何のイベントしようとしてたんですか?
【杉本さん】その前にお断りしたから、わからないんです。ものすごい嫌な雰囲気が漂ってきて、イベントって言われた時点で、「貸せません」って言ったから。「体育館を使ってビデオ見るだけなんです」って言ってたんですけど、「ちょっと駄目かな」って。それから1カ月後に警察が来ました。なんか、政治的に偏ったイベントを上野でやったらしいですけど。
【スタッフ】多分、区だと断れないと思うんですよ。公共施設なので……。
【杉本さん】そうそう、登録しちゃってたら――。
【スタッフ】断れないんだけど、(みらい館大明は)NPOでやってるから――。
【杉本さん】主観で切れる(断れる)。
【スタッフ】目的に沿わない団体は排除できるわけです。
【吉田さん】だって、カネ子さん、あれでしょう。(利用者が)来て、雰囲気だとかが……。
【杉本さん】というより、できるだけ、どの団体さんがどんな人たちなのかっていうのをチェックしてるんです。ほかのスタッフにもそれは言ってます。劇団では4団体ぐらい使えなくなりました。また貸ししてたんですね。「この人たち見たことないし、代表が違う。なのにこの名前? おかしくない?」って思ったんです。こういうの、ほかの人は感じないんだけど、私は多分小さい時からわかるんですよね。「あれ? 人が違うかな」とか、顔を見ていてなんか、感じるものがあるんですよ。
【スタッフ】変な匂いがすると(笑)。
【杉本さん】いろんなことを観察してきたから、変なところでヒットするんですよね。「あなたたち、おかしくない?」って言ったら、「僕たちはこういう名前」「いや、あなたたちの代表、今、自衛隊に行ってるはずだよね」「え?」。で、その人(代表者)に電話したら、「今、(活動は)クローズしてる」「クローズしてるのに、なんであなたたちの名前で登録してるの?」。そしたらその人(代表者)が自分で動いてくれたんですけど、下にいた人たちが勝手に使ってたみたいで。その人たちがまた別のところで別の団体と話をして、でも上の人は来ないし、「なんでナンバー3が来てんのかな?」っていうことになって、今度は上の人に電話したら、「俺たち今やってない」って。代表の名前だけ勝手に使って利用しようとしてたんです。だから、そういうことがないように、今でも、半年に1回予約をする時にチェックしてます。何回も注意をしてる団体とか、利用の仕方に問題があった団体にはできるだけ貸さないようにしてます。
【根岸さん】半年に1回、予約をするってことね。
【杉本さん】そう。半年ごとに利用者懇談会を開催し予約するので、最初は窓口の人と私がチェックして、断る団体はその時に全部、切っちゃいます。最初に「杉本」って(確認済みの)名前をつけた団体だけにして、異議申し立ての期間を1週間取ってます。それで意見が来たら「協力態勢がない。何回注意されてますよね」って返事できるようにしてます。だから、今、使ってる人たちは、ちゃんとした利用団体。今は、どの団体も自宅で熱を測ってきて(書類に)書いて入る、手を洗って入る、というルールをちゃんと守ってもらってます。
【吉田さん】半年ですか。予約は。
【根岸さん】予約制で半年。
【杉本さん】4月から9月までの(利用登録)を1月に、10月から翌年の3月までの(利用登録)を7月にしてます。団体さんが何回も来たりして大変にならないように、半年ごとにしています。
 
【吉田さん】ここの、多様性っていうか、何ていうんですか、多国――。
【根岸さん】国際交流。それもポイントだね。
【杉本さん】池袋っていろんな人が住んでるから、そういう人たちに来てもらいたいと思って、多様化文化のいろんな講座をしましょうっていうことになったの。ネパール、ベトナム、韓国人、中国人……日本語がわからない大人に日本語を教えたりしてます。子どもじゃないんですね。そういう講座をやりながら、みんなで文化を共有しましょうってことで。だから、大明まつりは何年か前からいろんな国の人たちが来てくれて、いろんな国の料理を出して。食べたことない料理が出るようになりました。子どもたちも、花火に来たり、一緒にいろんなことをするためにそういう異文化(に関する活動)をしてます。
【根岸さん】語学講座をね。韓国語講座とか中国語講座やったりとか、国際化っていうのを重要視してるんです。
【スタッフ】日本語講座はいつから始まったんですか?
【杉本さん】10年以上やってます(※平成20年4月から開始)。
【根岸さん】だいぶ長いよね。
【杉本さん】うん。
【杉本さん】(外国人が)花火イベントに来た時に言葉がわからなくて、説明するのが大変だったから。それで語学講座やろうかっていうことになった。
【根岸さん】庄司君と話した時に、「この地域に2~3割は外国人がいるから交流しなくちゃまずい」ってことになって、講座の話が出てきた。
【杉本さん】その辺に日本語学校がいっぱいできて、そういうところに行ける人はお金があるからいいけれども、就労で来て日本語がわからずにレジとかで困ってる人がいるんですよね。だから、最初に教えるのは、こんにちはとか、おはようとか、あいさつ。3回でワンコイン。「500円で3回来れます」っていうことでやってます。
【吉田さん】それはいいですね。
【杉本さん】今でもやってて、子どもも来てます。保育園の入り方がわからない外国人がいて、ここのスタッフが一緒に役所に行ってあげたこともあります。そのスタッフは最初、ボランティアだったんだけど、今は時給を出して来てもらってます。
【スタッフ】地域の中で、外国人に対して拒否反応もあるじゃないですか。そういうなかで、大明で多文化(に関する活動)をやることで地域の理解も少し広がっていく、という感じですか。
【杉本さん】そうですね。お祭にも参加できるようになった、って言ってましたから。
【スタッフ】(池袋)御嶽神社の

【杉本さん】そう。
【スタッフ】おみこし担いでるの?
【杉本さん】はい。
【スタッフ】それはいいね。
【吉田さん】それはすごい。
【スタッフ】外国人みこしじゃなくて?
【杉本さん】じゃなくて。
【スタッフ】町会?
【杉本さん】町会。住んでる場所で入れたら、という感じです。
【スタッフ】じゃあ、そういう意味でもそういうきっかけがあってよかったですね。
【杉本さん】私も北町会の神酒所にいます。子どもたちをウエルカムするためにね。券を持ってきた子たちにあげちゃうの。「次はどうしたらこの券もらえますか?」って聞かれたら「じゃあ、奉納してください」って言う。
【スタッフ】町会に加入されてる――。
【杉本さん】関係ない。町会に入ってなくても大丈夫。
【スタッフ】それをきっかけに町会に入った人も?
【杉本さん】入った人もいますけども、ただ、なぜ入る必要があるかっていうことも説明はしてます。災害があった時に町会に名前がないと認められてないことになっちゃうから、入ったほうが得ですよ、っていう説明してます。
【スタッフ】すごいですよね。そういう多文化。
【杉本さん】大明も、盆踊りを始めた時から町会のお祭には寄付するために私が回ってます。地域の人たちに、よろしくお願いします、って言って回るようになって。町会でも交流してます。
【吉田さん】町会って集合住宅でも入れるの?
【杉本さん】入れます。マンションのオーナーが入ってるところもあれば、個人で入ってる例もあります。ここが避難場所だから、町会と一緒に防災訓練もしてます。ここを避難所にしてもらえるようにずっとお願いしてて、何年か前に、やっと。それまでは、校長先生がいないところは避難所にできなかったんです。避難所はトップが校長だから。だけど、ここを避難場所にしてもらったので、掲示板も立てられるようになって。その時に、建物の中を長靴で歩いて安全かどうか調べるとか、そういう話し合いも全部できた。ケガ人を入れる部屋とか救急車がすぐに入れる場所とか、災害時の状況を話し合ったりしました。
【根岸さん】そこ(向かいの部屋)には何が入ってるの? 看板?
【杉本さん】備蓄倉庫です。食べ物が入ってます。
【根岸さん】看板とかね。
【杉本さん】そういうのも全部お話し合いをしながら、避難場所になりました。さっき言ったように、ここの人が行けないので。町会は序列があるから。
【スタッフ】なかなかその辺りはね。
【杉本さん】昔は北町会だけで盆踊りをやってたんですけど、今はこの辺の町会さんが手伝ってくれて、大明で盆踊をしてます。私はそこのトップではないんですけど、大明を貸すということで、中に入ってるんです。賛同してくれた町会には奉納金を出しに行きました。毎回、そういうふうにしましょうっていうことでやってます。
【根岸さん】全部そういうふうに。
【杉本さん】手伝ってくれたおかげですね。奉納しますっていう形でしています。うちは、さっきも言ったように、不動産貸し付けなので、寄付は頂きません。寄付をもらうと全部税金になっちゃうのでね。不動産なんで、消費税が高いんです。
【スタッフ】そうなの?
【杉本さん】不動産とサービス業は高いんです。
【吉田さん】このコロナで、収益にはそんなに変動はなかったんですか?
【杉本さん】収入は減りました。
【吉田さん】減りました? 半分以下とか。
【杉本さん】はい。ただ、今は従業員の給料を出すためだけに、国の補助金、東京都の補助金、全部申請して、頂いてます。今は豊島区に申請を出してて、「今のうちだけ助けてください、きちんとできるようになったらお返しします」っていう気持ちで、お貸ししてもらう手続きをしてます。もらう気はないです。お貸ししてもらう。
【スタッフ】すごいね。
【杉本さん】だから、借りるのでも――。
【スタッフ】もらっちゃえばいいのに。
【吉田さん】お借りすると。
【杉本さん】そうです。全部、もらえるところはもらいます。従業員の分もすべてですね。常勤が2名と非常勤が2名、ほかにパートが十数人……16人ぐらいいるんですね。パートさんたち、自粛させた人たちにも、国の補助金申請を今、出してます。多分、もうすぐその差額が送られてくるはずです。そういうのもちゃんとしてます。
【スタッフ】すごいですね。実際には仕事はされてなくても、補償は別ということで?
【杉本さん】本来は働ける時間に、自粛してもらっている。本来は働くべき時間。だから、働けなかったっていう人たちの時間を守るために、国の制度を利用します。申請作業は副館長の荘司さんが行っています。
【吉田さん】自粛期間中はずっと閉めてました?
【杉本さん】閉めてました。毎日、掃除してました。
【吉田さん】お掃除を。
【根岸さん】スタッフのために来てたの?
【杉本さん】はい。常勤と非常勤には給料をあげるから、毎日ではなくてもちゃんと働かせて、私も来る。消毒の仕方、トイレの掃除の仕方を――。
【根岸さん】徹底してやってるからね。
【杉本さん】ワックスがけから全部ですよ。そうやって働いてもらうことによって給料をあげられるから、掃除を毎日のようにする。トイレも、すみずみまで掃除をさせてますし、水汚れもきれいに取る。
 
【吉田さん】息子さんたちはお母さまには、なにかあるんですか? お気持ちは。「頑張ってね」って言ったらおかしいけど。
【杉本さん】息子の1人は、たまにここに来ます。文京で働いてる二男なんですけども。
【吉田さん】文京区?
【杉本さん】はい。みんなに表の作り方とか教えてもらったりしてますね。
【吉田さん】ここを息子さんに託すとか、そういう――?
【杉本さん】そういうのはないです。今、自分ができてないのは、本当にボランティアで動ける人を探すことですね。
【根岸さん】次の世代をね。
【杉本さん】そう。次の世代のことで頭が痛いんです。その人には(給料を)きちんとあげますけども、気持ちとしてはボランティアでできる人を考えているので、なかなか難しいですね。店(美容院)を今年で辞めちゃうので、しばらくはここに専念して、人を育てます。大明に毎日来てね。今も毎日いるんですけど、今後は自分の仕事をやめて、この2、3年で人を育てないといけないかな。来年から頑張って本腰入れてやります。
【吉田さん】人材発掘?
【杉本さん】そう。今、初めて言いました。店を辞めるっていうの。
【吉田さん】それで、人材発掘に行くんだ。
【杉本さん】そうです。育てないと。これは本腰入れて育てないと、片手間では育てられない。だから、やっぱり真剣に。
【根岸さん】あと10年ぐらいもつようにね。
【杉本さん】そう。だから、一から教えてしっかり育てるために、自分の仕事はちょっと……。
【根岸さん】やっぱり厳しいんだよな。
【スタッフ】地域の人がいいですか?
【杉本さん】地域の人でも、誰でもいいです。ここに愛情を持ってくれる人たち。施設に愛情を持つ人ですよ。「自分の働いてるところをなくしたくない」って思う人を探さないといけないんですよ。そこが一番、大切なんです。地域とか地域でないよりも、この施設をどうしたら残していけるか、どうしたらこの施設をきちんとできるか、そういう人がいれば。それは真剣になって考えないと難しいなっていうのがあって。
このコロナの間に本当に考えさせられたのが、やっぱり、お金とかそういうのではなく……。私と最初から動いている人がもう1人いるんですけど、その方もこのコロナになってから、「そんなにお金はいらないから、頑張ります」って言って、一緒に動いてくれてます。その人も「(給付金を)申告しようか?」って言ったら、「いりません」って。もともとボランティアだからいいですっていうことでした。その人も毎日来てますから、この2人で考えなくちゃいけないのかなって。やっぱり、(みらい館大明を)残すためには本当に真面目に考えないといけない。それが今……ずっと、課題なんだけどね。
【根岸さん】ずっと前から言ってるんだけどね。
【杉本さん】ずっと前から言ってるんだけど、なかなかいい人がいないので、本腰入れて探そうかなと。このコロナのなかで……おととい「12月で辞めよう」って考えたんです。旦那にだけ言って、「いいんじゃない」っていうことになって、「大明で本腰入れて働きます」って宣言しました。まだ息子にも言ってませんし、誰にも言ってません。
【根岸さん】そうでしたか。
【杉本さん】そう。でも、言わないと踏ん切りがつかないので、ちょうどいいかな。なんでも自分で決めてますから。
【スタッフ】店も辞めて(閉めて)、こっちだけに投げ打つっていうことで。
【杉本さん】もともと考えてはいたので、はい。
【スタッフ】お店は、じゃあ、もう――。
【杉本さん】ええ、クローズします。
【スタッフ】クローズ? どなたか継ぐわけでもないんですか?
【杉本さん】そうではないです。だって、美容師だった二男が文京で働いてるくらいですから。長男は森下にいて、全然、興味ないので。
【吉田さん】難しいね、事業継承は。
【杉本さん】でも、(息子が)文京にいるから、そこ(職場)でどうやっているかとか、情報も聞いたりできるし。
ほかの区の情報がわかったりするんですね。「そういうふうに貸し出ししてるの? それは怖い。うちはやめよう」とか。だから、いろんな団体さんに「大明は厳しい」って言われてます。でも、日本一厳しくてもいいんです。とくに今は、厳しい状況のなかで掃除してるから、従業員もちょっとかわいそうかなっていうのもありますけどね。(従業員に)「リフレッシュしていいよ」って言いながら、「実際は厳しいじゃん!」っていうね(笑)。でも、「自分の命を守るため、人の命を守るために何をするかを考えなさい」って言って、こちらからは一切言ってません。毎月の窓口ミーティングの時に、「じゃあ、ここには貸すのやめようね」「ここに貸そうね」っていうのを全部、話し合ってます。執行部よりも、窓口の人たちとですね。
【吉田さん】今、どのくらい(の団体が)登録してるんですか?
【杉本さん】今、300ちょっとかな。累積だと1200ぐらいいるんですけど。
【根岸さん】今は動いてないもんね。
【杉本さん】はい。今は劇団さんに貸してないですしね。どういうふうに劇団さんが稽古するのか、見えない(わからない)ので。だいたい(の団体)が3年ぐらい使って、3年後にまた来たりすることもあるので、番号はあるんですけども。
【根岸さん】収入が減るよね。
【杉本さん】あとは、社交ダンス(の団体)にも貸してません。社交ダンスでも、ストレッチしかしないっていうところには貸してるんですけど、「(踊って)組まれる? やめてください」っていうことでお断りする。
【吉田さん】そうですね。あとカラオケとか。
【杉本さん】そう。あとは詩吟も。詩吟(の団体)からは電話が来るんですけど、詩吟協会も(活動を)止めてるぐらいだから。(飛沫が)飛びますよ。
【吉田さん】飛びますよね。
【杉本さん】おなかの底から「わあっ」てやるから、5メートルぐらい飛ぶ。カーテンの消毒が難しいし、壁に吸収されちゃう。だから今、101の部屋とかじゅうたんの部屋は全部貸してません。ブックカフェだけは、大声を出さない部屋だから貸してますけども。やっぱり、消毒が大変です。
 
【根岸さん】話を戻すんですけど、ブックカフェで青年館との絡みがありましたよね。青年館をやめるにあたって、青年館で活動してきしたグループが全部こっち側へ移ってきた。だから、備品もいっぱいもらったし。
【杉本さん】もらいました。
【根岸さん】そのあたりの話は――。
【杉本さん】青年館からは、テーブルとか椅子とか、すべてのものをもらいました。関谷さんと行って。
【根岸さん】トラックでね。
【杉本さん】(もらう備品に)大明のシールを貼ってね。第3出張所、第4出張所、第9出張所、第11出張所……全部に行って、シール貼ってきました。うちの車とか中澤さんのトラックでもらいに行って。今はほとんどの備品を買ってるんですけど、最初は全部もらいものでしたね。あとは、学校が統廃合するって聞いたら、行ってまた大明シールを貼ってくる。カーテンがばらばらなのはそのせい(笑)。
【根岸さん】長中(長崎中学校)からももらったよね。
【杉本さん】そう。自転車でいろんな学校に行きました。どこかが閉校になるって聞くと、「わかりました、いついつに行けますから」って言って、シールを貼ってくる。「こんなものまで!?」っていうくらい。マグネットとか(笑)。マグネットも買ったことないですから。ケース持っていってもらってくる。「そんなものもいるの?」って言われます(笑)。「蛍光灯が余ってるね。使わない? じゃあ、蛍光灯も」とか。もう、全部です。第4出張所に行った時に、「そんなものもいるんですか? じゃあ、こんなのはどうですか」って言われる(笑)。
【スタッフ】奥から出てきたんだ。
【杉本さん】ボールペンとかマジックとか。あと、マジックリンとかそういうのも(笑)。「これもあるよ」って言われて。
【根岸さん】全部もらってきたよね。
【杉本さん】勤福(勤労福祉会館)が閉まる時にはロッカーももらいに行きました。「ロッカーはあげられない」って言われたんだけど、「ロッカーが欲しい!」ってすごく言ったら、「じゃあ、ふた棟だけあげる」っていうことになった。
【吉田さん】すごい(笑)。
【杉本さん】だって、毎日行って「他のものはいらない。ロッカーが欲しい」って言ってましたから(笑)。
【根岸さん】最近では東武カルチャースクールからもね。
【杉本さん】東武カルチャーからも、中澤さんの車を借りて、ロッカーとか傘立てとかいろんなものをもらってきました。荘司さんに行ってもらってます。
【スタッフ】すごい(笑)。
【杉本さん】最初は、私も若かったから運べたけど、今はケガすると危ないから、「荘司さんお願いね」ってお願いして。大明の若い子を連れて行ってもらってね。「車だけは中澤さん(お願い)」とか言ってね(笑)。
【スタッフ】いかにお金をかけずに――。
【杉本さん】そう。いかにお金をかけずにもらってくるか。あちこちに、「いらないものがあったら教えて」って言ったり。だから、チョークもいろんな会社から「杉本さん、やめるからチョークあげる」って声がかかるの。「印刷機あげる」「こういうのいる?」、「いる!」とか。チョークは1回も買ってませんし、5社ぐらいからもらったので、まだあります。
【スタッフ】5社、廃業したってこと?
【杉本さん】廃業じゃなくて――。
【根岸さん】引っ越す時にね。
【杉本さん】あとは、チョークじゃなくて、スクリーンを使うようになったりしてるから。
【スタッフ】そうか。もう、違ってきてるんだ。
【杉本さん】ホワイトボードに書くからチョークいらなくなったみたいです。そうすると「大明でいる?」って連絡が来るので、「もらいに行きます!」って自転車でもらいに行く。
【根岸さん】杉本さん、さっきの話で、青年館のグループがほとんど(みらい館大明に)来たけど、どのぐらい残ってるかね。
【杉本さん】20団体ぐらいかな。
【根岸さん】みんな高齢化しちゃってね。
【杉本さん】そう。高齢化しちゃって。
【スタッフ】青年じゃなくなっちゃったんだ(笑)。
【根岸さん】十数年たつとね。
【杉本さん】そうです。でも、劇団がずっといてくれてます。青年館の人たちはやっぱり、ここに来てよかったっていうのもあって、協力もしてくれますよね。
【根岸さん】そうだね。青年館に基礎があるグループだからね。
【杉本さん】本当にいろんなものをもらいに行きましたね。
【根岸さん】ロッカーなんか、最初は有料のものもあったんだよね。年間50万ぐらいするロッカー。
【杉本さん】そう。それと、コカ・コーラさんと伊藤園さんにも来てもらって、「電気代、自分たちで払うんだったら(自動販売機を)置かせてあげる」ってことになって。それで、「地域の店と同じ料金で。地域の人に悪いから」って言って(笑)。
【スタッフ】営業妨害にならないように――。
【杉本さん】地域の人に悪いから、っていうことで。だから、その事業費も入ってます。
【スタッフ】自販機は結構もうかるんだよね。
【杉本さん】そのお金が事業費として入っているので、大明でイベントをする時には、伊藤園さん、コカ・コーラさんから、協力してもらっています。
【スタッフ】さすが(笑)。
【杉本さん】伊藤園さんたちも、「入れてもらったので」っていうことで。伊藤園さんがすぐ近くに事務所を構えた時に、「協力するならうちも協力するよ」っていう形になりました。若者参加の盆踊りの時にも無償でお茶なんかを出してくれたりしてます。
【根岸さん】杉本さんが民間人だから、普通は学校近辺だとうるさいだとかクレームがじゃんじゃん来るんだけど、(杉本さんは)まず全部、説得してくれるんですよ。
【吉田さん】律儀だね……大切ですよ、それは。
【杉本さん】定期的に(近所を)ぐるっと回って、「いつもうるさくてすいません」とか言ってます。
【吉田さん】そういうはじめるのって大切ですよね。
【杉本さん】「いつもすいません」と、声かけをして「みなさんのおかげで、大明はできてるんです」
【吉田さん】でも本当にすごい。
【根岸さん】役所だとじゃんじゃん(クレームを)言うけどね。同じ住民だからあまり言えないんだよね。
【杉本さん】できるだけ地域の人たちには声かけをするようにはしてますね。何かをする時にも、「ぜひ来てください」ってお誘いをするとか。
【吉田さん】それは素晴らしいわよね。
【スタッフ】やっぱり、ボランティアで毎日やってる姿を(地域の人たちが)見てるっていうのもあるんじゃない?
【杉本さん】そういうのもわかるからね。
今年は、このコロナの間、ペンキ塗りをしました。外の、そこ(校門のあたり)まで。
【根岸さん】(杉本さんは)区の財産に付加価値をつけてるんだよ。
【杉本さん】そう。「ペンキ塗りしよう!」って言って、やりました(笑)。
錆びの取り方を(若いスタッフに)教えて、下塗りを教えて。みんな一生懸命やってくれてましたね。穴が開いちゃってた部分はちょっと難しかったかな。最後は窓口スタッフのチーフが一人で塗りました。
【根岸さん】(使っていない)プールも、金かかるんだよね。
【吉田さん】プール?
【杉本さん】プール。そう。だから、そういうのも――。
【スタッフ】壊すのもお金かかるし。
【杉本さん】そう。だから、できる限りで。コロナは大変だったんだけど、若い子たちに掃除の仕方を教えられたのはよかったかな。掃除の仕方が変わったんですよ。それまでは「四角い所を丸く」っていう感じで適当にやってたのが、ちゃんとやるようになったり、換気扇も真剣に掃除するようになったりとか。換気扇は定期的に掃除してたんですけどね。
【スタッフ】その若い子っていうのはパートタイムの?
【杉本さん】パートの子とか、常勤、非常勤のスタッフとか。
【スタッフ】ブックカフェに来てて、(スタッフに)なった子もいるんですか。
【杉本さん】スタッフになった子は何名かいます。今は2名。そのほかは別の場所で自分の希望する仕事をしており、たまに顔をだしてくれます。
 
【スタッフ】子どもたちにそういうのを教えるのって……ここの子ども向けの講座で、そういう大工――。
【吉田さん】講座?
【スタッフ】体験みたいな。
【杉本さん】子どもの夏休み講座。アレグロさんに来てもらって教えてもらってます。そこの社長さんとも親しいので。、そのほかにスタッフが講師をしてクリスマスリースづくり、おひなさま飾りづくりなどを行っています。
【スタッフ】あの方も、子ども――。
【杉本さん】大好きなんです。
【スタッフ】育てるのが好きですよね。
【杉本さん】子どもを育てるのが大好きなんです。アレグロの社長も好きなんです。動物と子どもが大好き。
【吉田さん】動物が好きな人に悪い人はいないですね、本当に。
【杉本さん】ここの講座は、そういう方が本当に安いお金でやってくれてます。
【スタッフ】地域の人たちが講師になってね。
【杉本さん】そうです。
 
【根岸さん】今後の課題と展望だね。
【吉田さん】今後はどういう施設に?
【杉本さん】やっぱり、生涯施設としてですかね。
【吉田さん】生涯学習の――。
【杉本さん】生涯学習施設として、地域の人たちだけではなく、いろんな人たちの学びの場所。学んだ人が、また教えるっていう形で。「大明小学校」っていう講座があるんですね。先生に教えてもらったりする講座です。そこで習った人がまた先生になったりとか、そういう形でやってます。「今までは教わってたけど、今度は教える立場」っていう人たちを育てていきたいなっていうのはありますよね。
【吉田さん】少し地域を離れてても構わないわけですよね。
【杉本さん】そうです。ここ、NPOなんで。それは東京都から散々、言われましたよ。「豊島区の施設だけど、NPOだよね。NPOってどういうことですか」って。「はい、どこの方でもウェルカムです」って答えました。
【根岸さん】文化創造館の団体っていうのも、定義とは全然違って。何人から使えるっていうのが。
【杉本さん】2人っていう定義を決めて。
【根岸さん】2人。区民じゃなくてもいいんだよね。
【吉田さん】そうですね。
【杉本さん】そう。だから、NPOということで散々言われて。関谷さん、かわいそうに(笑)。「区とは違うんですからね、NPOですよ」って話が、東京都と散々あったんです。うち、毎年NPOの総会に出てるんですけど、きちんとした報告をしてるっていうことでNPOの上の人からいつも褒められるんですよ。「きちんとしてますね」って。総会に出てる荘司さんも、「鼻高々で持っていける」って言ってます。
【根岸さん】副都心の池袋にある施設だから、区民以外もいっぱい使ってくださいっていうことですよね。
【杉本さん】そうです。地域の垣根を越えて、いろんなところから。ここはすごいですよ。群馬、埼玉、千葉、山梨、茨城、栃木、横浜……。千葉から2時間半かかって来る人もいるんです。ここを使いに。この間、拍手してあげたんです。「偉い!」って(笑)。それはどうしてかっていうと――。
【スタッフ】そばに(練習する)場所がないの?
【杉本さん】違うんです。劇団さんって、いろんなところの人でやってるじゃないですか。(自治体の施設が)使えないんですよ、(居住)地域じゃないから。
【スタッフ】構成員の――。
【杉本さん】構成員の場所がバラバラだから。だから、吹奏楽の人たちとかも同じです。
【根岸さん】(みらい館大明は)役所じゃないですからね。
【スタッフ】役所の施設だと、(利用者の)半分以上が区民じゃないといけない。
【杉本さん】区民じゃないと使えないから。だから遠くからも来るんですよ。楽器背負ってね。
【吉田さん】すごいね。
【スタッフ】池袋っぽいですね。
【杉本さん】池袋っぽいです。
【スタッフ】いろんなところからいろんな子が。
【根岸さん】安く使えるからね。
【杉本さん】1団体、大阪の人がいるんだよね。年に1回使う団体。代表の方が大阪なんです。
【スタッフ】新幹線に乗ってくるの?
【杉本さん】偉いなあって思います。ちゃんとお金払って、一般料金を払って使いに来る団体です。
【吉田さん】大阪ですか。それはすごい。
【根岸さん】住宅地にあるから21時には静かにしなくちゃならないっていう、ここの施設の制約があるんだよね。
【杉本さん】そう。ほかの施設と違って、21時。学校だった頃に21時半にしたんですね。利用者さんが騒いで近所からクレームが来て、泊まり込みの主事(警備員)さんから「杉本さん、やめてくれる? 怒られるの俺じゃん」って言われたので、21時にしたの。それからずっと、ここは21時。
【吉田さん】(みらい館大明が)できる前からもう、21時には静かにしてるんだ。
【杉本さん】そうなの。最初から、21時には終わりにしましょうってことで。劇団さんはエネルギーが余ってるので、「ここ一歩でも出たらしゃべらないで」って頼んでます。たまにそこ(門のあたり)から(劇団の人たちに)「声、出さないでください!」って怒鳴るんです。そうすると近所の人が「そこまでしなくていいです」って(笑)。わざとやってるんです(笑)。
【スタッフ】アピールして(笑)。
【杉本さん】「静かに!」とか言って(笑)。1回、名指しでBEAMS(立教大学のチアリーディングクラブ)さんに、「立教さんがうるさい」ってクレームが来たんです。「立教」って背負って歩いてるからね。だから、立教の子たちには、「ここ(建物内)でうんと大声出して、外に出たらシーンとして帰ろうね」って言ってます。
【根岸さん】BEAMSって結構うまいチームなんです。ダンスですよね。
【杉本さん】定期的に、私かスタッフの子が「静かに帰ってください!」って、出たところで騒ぐの(笑)。できるだけあっちまで聞こえるぐらい、大声で。「1列になって~!」「道路で広がらない!」とかね(笑)。
【スタッフ】目に浮かぶようです(笑)。
【杉本さん】そうしないと、「大明から出てくる人で道が通れない」とか言われちゃうじゃないですか。だから、「ごみ捨てないように!」とか言ったりもします。
【吉田さん】それは大切だよね。
【スタッフ】何とかポリスみたいな。
【杉本さん】だから、みんな静かに帰ってます。「大通りに出たらしゃべっていいよ」って言ってます。
【吉田さん】今はとくに、飛沫で大変だもんね。
【杉本さん】今はそれどころじゃないですよね。
 
【スタッフ】最後に、締めになるようなコメントをいただけますか? 大明の未来というか、こういう施設でありたいな、といったものを。
【杉本さん】さっき少し言ったんですけども、誰でも気楽に、気軽に入れる施設。本当に困った時でも入れて、具合が悪い時でも受け入れられる体制を作っていかなくちゃいけないかなって、思ってます。そういうことをやりながら、小さい人からお年寄りまで、来てよかったって思ってもらえる、元気で帰ってくれるっていうのを目標にしてるんですよ。もとからですが、そういうのをもっと。やっぱりみんなが、「今日は楽しかったね」って、笑顔で帰ってくれるような施設。「来たけど嫌だったよね」っていうのはやっぱり嫌なので。だから、窓口(のスタッフ)にも「笑顔で」っていうのはずっと言ってるんですね。それから、声かけもする。「トイレ貸してください」っていう人でも、「どうぞ」っていうような。やっぱり、気楽に入ってほしいから。
おじさん2人が、毎日、新聞読みに来てたんですよ。そのおじさんがコロナ禍で来れなくなってかわいそうなんですけども、そういう人が何人でも来て、サロンで新聞読んで好きなだけいて、帰る。「こんにちは」って気軽に来て、読んで、「どうも~」って帰れるような施設にしたいっていうのがあるかな。
やっぱり、相談窓口じゃないけど、どこに言ったらいいかわからないような時に、「これは区役所のここです」「西部区民事務所のほうがいいですよ」って窓口の人が教えてあげられるぐらいの場所になってほしいなとは思ってます。「ここに来たら、わからないことを教えてくれるよね」っていう場所でありたいかな。それがここの役割だと思うんです。聞きに行けない人、お年寄りに、教えてあげる。そのために今、毎月1回、医師会の人も来てくれてます。相談場所ですからね。そういうことも定期的にやれる場所ですかね。私でわかるところは今のところみんなに教えてますけどね。手紙を持って「これってどういうこと?」って聞いてきた人に「これは保健所に行ったほうがいいよ」とか、「これは区役所に行ったほうがいいよ」とか。窓口の人もみんながそういうふうに伝えられたら一番いいのかなって。
【吉田さん】次世代というか、人材育成をする意味で、一番メインとなるのはどの辺なんですか?
【杉本さん】やっぱりここが今まで通りあり続けられるように。「昔はよかったよね」って言われないように。「やっぱり、いつ来ても安心できる所だよね」っていう場所にしたいですよね。それが一番じゃないでしょうかね。ここに来ると何でも聞けて。
【吉田さん】居場所であり、よりどころみたいなね。
【杉本さん】そう、よりどころみたいな。
【根岸さん】サロンはそういう意味でつくったんだけど、なかなかね……。喫茶店みたいに気軽に入れる場所っていうことだったんだけど、なかなかうまくいかない。
【杉本さん】喫茶店をはじめたのは、最初NPOメコンクラブで、コーヒー1杯売れると鉛筆1本をメコン地域の子供たちに送るなど、コーヒー生産地支援を行ってました。メコンクラブが撤退してからは、若者支援として自分でお店を始めたい人のトレーニングや、新しい事業を始めたい方の試験的な取り組みの場となっています。電気、水道代はもらっていません。最近担当している方は飲物の種類やコーヒー豆等へのこだわりが強く、一般の方とうよりその趣旨、こだわりに賛同している方の利用も多くなっています。
【根岸さん】本当はできるだけいろんな人に使ってもらいたいからね。
【杉本さん】つねにプーンとコーヒーの匂いがしてね。でも、「そんなのはできません」とか言われるから……。「えー、コーヒーの匂いしてると引き込まれていくじゃん」って思うんですけどね。そこがね。
【吉田さん】難しいね。
【杉本さん】だから本腰入れて、そういうのを今までは人に頼んでたから、これからは自分が育てていくかなっていうことです。
【根岸さん】それもひとつ、課題だね。
【杉本さん】そう。それも課題かなって。気軽に来て、でもコンビニとは違う本格的なコーヒーで、それでいけるよねっていうようなところにしたいなって、思ってますね。
 
【杉本さん】すみません、なんか余談ばっかししちゃった(笑)。
【吉田さん】どうもありがとうございます。
【一同】ありがとうございました。
【杉本さん】いいえ。
【根岸さん】あ、あとひとつ補足で、ここは選挙の投票所になってますので。
【杉本さん】そう。その時には、土日に選挙で使うので、利用者さんは使えませんということで。それ(選挙)は区の施設なので。
【スタッフ】小学校の時からですか。
【杉本さん】小学校の時からずっとです。
【根岸さん】同じ担当だよね。
 
■ブックカフェにて(インタビュー終了後)
【スタッフ】(木のオブジェの前で)みんなで作ってきた施設のシンボルみたいですよね。
【杉本さん】そうなんです。それとここの本は、月ごとにいろいろと替えて並べてます。