インタビュー全文テキスト

 

■白熊千鶴子(しらくまちづこ)さんインタビュー


令和3(2021)年1月27日13時30分~15時30分、「豊島区立椎名町小学校」ランチルームにて
 
【根岸豊さん(以下、根岸さん)】今日はよろしくお願いします。「白熊さん」(の読み)は「シラクマさん」なんだけど、以前、「シロクマさん」って呼んでた。当時、日立のエアコンで、「白くまくん」ってあったよね。
【白熊千鶴子さん(以下、白熊さん)】そうです。コマーシャルに出ました。
【根岸さん】そうか、コマーシャルに出たんだよね。
【白熊さん】うちの家族――旦那、息子2人、おばあちゃんと私の5人で。下の子は赤ちゃんだったかな。コマーシャルの中で(白熊さん一家が)「白熊さーん」って呼ぶっていう内容。うちはサラリーマンでお金はもらえないから、そのクーラーを(謝礼として)もらいまして、それからはうちの前を通る人たちが(白熊さんの家を指して)「ここよ」って言うのが聞こえてきましたね(笑)。(CMに出たきっかけは)母が(出演依頼の)電話を取って「これは面白い。ぜひ。行きます」って言ったから。私がそんな電話取ったら絶対断ってたんですけどね。で、朝方(撮影スタッフが)お迎えに来て、家族全員で車に乗って砧撮影所まで行ったの。たったあれだけのコマーシャルに1日かかったんだけど、おかげで加山雄三さんの撮影を見学できました。『なんとかさん』っていうチャンバラだか、捕物のドラマです。
【根岸さん】僕のうちは電気屋だったからよく印象に残ってるな。白熊さんが青少年委員のときに会って以来か。その後、僕も白熊さんも異動したからね。だから、「シラクマさん」なのに、「シロクマさん」ってつい間違っちゃう。
【白熊さん】(息子たちが通った)学校でも間違えられたことがあります。小学校の卒業式だったかな、副校長先生が来賓の名前を呼ぶときに、「シロクマ千鶴子さん」って言ったの。
【根岸さん】そうだよね。そう思っちゃうんだよね。
【白熊さん】そしたら、子どもたちの席からブーイングがあって笑いが起こった。「違うよー!」って(子どもたちに)言われて、学校側が慌ててました。どうしても、読みにくいんですよね。副校長先生が「間違えるといけないから、名前に振り仮名を書いてください」っておっしゃったので、(書いて)お渡ししてたんですよね。それなのに「第7地区育成委員会の会長、シロクマ千鶴子様」って言われたので、(あえて)「はい」って言ったの。そしたら子どもたちが「ニヤッ」って笑ったんです。
【根岸さん】日本語って本当に難しいよね。
その青少年委員のときに(白熊さんと)会ったんだよね。その後いつだったか、羽田の飛行のルートの説明会がこの(椎名町小学校の)近くであって、僕がちょっと見に来たら白熊さんが手話通訳をやってた。あれから20年ぶりぐらいですよね。
【白熊さん】はい。
【根岸さん】じゃあ、(椎名町小学校の)PTA活動に関わるまでのお話を……。豊島区にお住まいになったのは、いつぐらい? 高校?
【白熊さん】高校卒業後ぐらいで、20歳頃だったかな。
【根岸さん】当時、成人式はやらなかったんですかね。
【白熊さん】そうなんです。本当は(その前に住んでいた)文京区でするはずだったのが、中途半端な時期に引っ越したから。成人式は行ってないです。
【根岸さん】当時はあんまり成人式なんか重視しなかったですよね。
【白熊さん】はい。
【根岸さん】僕は豊島区でずっと成人式の担当をしてたんです。最初の頃は社会教育課の職員が、景品を各家庭に自転車で配ってたんですよ。
【白熊さん】じゃあ、豊島区の公会堂で(成人式を)やって、手話(通訳)がついてる頃は――?
【根岸さん】ええ、もう担当してたんです。当時いた(手話通訳者の)飯泉(菜穂子)さん、今は大阪のほうで先生やってますよ。
【白熊さん】そうですよね。(飯泉さんは)お茶の水(女子大学)を出てから、手話通訳してますからね。豊島区にいましたからね、我々の先輩です。
【根岸さん】成人式で彼女に手伝っていただいて、仲良くしてもらったんですよ。
【白熊さん】いい人ですよね。賢くて。
【根岸さん】今は大阪の国立民族学博物館の特任教授やってるんです。
【白熊さん】すごい。私と山田さんと……3、4人は飯泉さんのことを知ってるの。その、国立民族学博物館で――?
【根岸さん】手話関係の授業をしてるんですよ。豊島区の成人式で手話をするのは、彼女ぐらいからですよね。
【白熊さん】そうですね。公会堂でずっとやってましたね。それから我々が出られるようになってきた。
【根岸さん】なるほど。先ほどの話に戻るけど、文京区から豊島区へ引っ越してきて、お住まいはこの近く?
【白熊さん】そうです。ずっと、南長崎3丁目の中でぐるぐると3か所、引っ越して住んできました。南長崎3丁目の、鶴の湯っていうお風呂屋さんがなくなって建売の家ができたんです。目と鼻の先にね。そこに引っ越した。
【根岸さん】卒業は昭和30何年だっけ。
【白熊さん】高校の卒業は33(1958)年ぐらいかな。36(1961)年かな?
【根岸さん】俺より2歳年上だから37(1962)年ぐらいじゃない? 東京オリンピックの2年ぐらい前ですよね。
【白熊さん】そうですか。計算してください(笑)。
【根岸さん】そのときにここに来たと。結婚されたのがその後ですね。
【白熊さん】(結婚は)昭和42(1967)年頃かな。
【根岸さん】それでPTAの役員を始めたと。
【白熊さん】長男が(椎名町小学校に)入った頃は家にいたんですけどね。長男は向こうの目白保育園に入れてたので、(小学生になった頃に)友だちがいなかった。だから、1年生になったときに自宅の1階を開放して、男の子でも女の子でも誰でもいいから遊びに来れるようにして。そしたら1年生から6年生までだあーっと遊びに来た。おもちゃを勝手に使ったりして、うちの子がいなくても遊んでいくようになって、長男にも友だちができて。1年生の1学期の間は友だちがいなくて大変な時期だったけど、2学期からはお友だちができてルンルンで学校に通うようになったんです。
【根岸さん】子どものたまり場を提供したんだ。
【白熊さん】まさにそうです。それで、私は子どもたちの横で仕事――仕事っていうか、母が洋裁をしてたので、その手伝いをしてました。子どもたちは、ほったらかしじゃなくて、お茶を飲ませたり、おもちゃの取り合いとかしてたら声をかけたり。つねに目を配ってはいました。
【根岸さん】学童保育みたいなことやってたんだ。
【白熊さん】そんないいものでもないです(笑)。あの頃はともかく、(長男の)友だちを作らなきゃって思ってて。女の子でも男の子でも誰でもいいから。
【根岸さん】当時、近くに児童館があったよね。第2――。
【白熊さん】南長崎の第2児童館(※正しくは南長崎第1児童館)でしたかね。今は区民ひろば椎名町。
【根岸さん】うちのかみさんがそこで働いてたんですよ。初期に。昭和42、43年頃かな。【白熊さん】私はその頃だとまだ児童館に通ってないな。
【根岸さん】だいぶたってからですか。
【白熊さん】はい。次男のときに初めて。長男のときには、学年のPTAをやらなきゃいけなかったので。
【根岸さん】それは順番で?
【白熊さん】順番でね。少しずつやって、次男のときに集中的になって、運営委員会に入るようにって言われた。長男が6年生のときの先生の(推薦)でやるように。次男がまだ学校にいるから、「はい、先生の言う通りやります」って言って入った。(PTAの活動を始めてから)「えこひいき」されて(笑)。私としてはルンルンで、子どもたちもいいと思ったんだろうけど、他の親からは「なんて嫌なやつだろう」と思われたんじゃないでしょうか。(推薦してくれた先生は)長男の担任ではなかったんだけど、次男もついでにかわいがられたんですね。私は、先生と「仲良しこよし」じゃないけど、先生からいろんな情報が入るし、私は私で、「先生、こういうのはよくないよ」とか、直接いろんな意見を言えるような雰囲気をつくっていった。そうやって平気で言える仲になったんですけど、よそのお母さんにとっては、「なんて嫌なやつ」って思われてるな、という目線は感じてました。
【根岸さん】すごい繊細だな(笑)。
【白熊さん】はい。本当に、2年、3年、4年とクラスが変わるたびによくしていただいたから。
【根岸さん】当時のPTAって、ある意味では学校の付属品みたいで、先生がほとんど差配してましたもんね。今と違うんだよね。
【白熊さん】今とは全然違います。
【根岸さん】じゃあ、よかったけど、苦労をしたこともあると。
【白熊さん】苦労はしてないんですけど、他のお母さんがたにすごく気を遣うんです。1度、長男が学校で偉そうな態度でいるということで「怒ってください」って話があって。近所の子からは、「いつもいい点を取ってる。本当にオール5なのか。(点数を)張り出せ」という声もあった。今、区民ひろば椎名町で絵手紙を教えてる先生が、当時の担任だったんです。その先生に、「貼り出せ」って言ったんです。そしたら、先生がちゃんと点数を貼りだしてくれて、みんなが納得してくれたっていうことがありました。
【根岸さん】そういうことがあったんだ。大変だったんだ。
【白熊さん】そう。生意気なのよ、うちの長男は(笑)。
 
【根岸さん】ご結婚前の話に戻りますけど、当時はお勤めもされてたんですよね。
【白熊さん】はい。結婚前です。
【根岸さん】先ほどの洋裁というのは、どんな仕事してたんですか。
【白熊さん】母親が洋裁をしてたんです。母が裁断して、10人ぐらいの女の子の縫い子さんたちが縫う。
【根岸さん】結構、大規模にやってたんですね。
【白熊さん】はい。うちで寝泊まりしてる子が6人ぐらいいたかな。通いの子もいて。そのときに、当時の大塚病院の看護師さんなんかも来てたんです。
【根岸さん】(洋裁を)習いに?
【白熊さん】習いじゃなくて、注文に来ていたんです。どういうつてだったのかわかりませんが、私は大学に入らないことになったので、神田の米良内科っていう病院で働くことになったんです。そこで保健関係の仕事をしてました。
【根岸さん】そういう仕事をされてたんだ。
【白熊さん】はい。普通に楽しく勤めていたんですけれども、先輩の女性とちょっとトラブったっていうか……好きな人を取り合うような格好になってしまって。私はその男性を好きとも嫌いとも思ってなかったから、取り合ってはないんですけどね。私はだいたい恋愛関係には疎いほうなので。それで、その女性が先生に言いつけて、先生から怒られたから辞めて、中外製薬に入ったの。
【根岸さん】あとは、お母さんのもとで働いている住み込みの人が6人ぐらいいたわけですよね。今の若い人たちは知らないと思うけど、昔は住み込み制度っていうのがあったんですよね。僕のうちの電気屋にも住み込みが2人ぐらいいて。いわゆる小僧みたいな感じですよね。一緒にご飯食べてね。
【白熊さん】そうです。
【根岸さん】住み込みの時代は高度成長期で終わったのかな。
【白熊さん】そうだと思います。
【根岸さん】女中さんなんかもいましたよね。
【白熊さん】はい。女中っていう言葉も……。
【根岸さん】今はもうないもんね。
【白熊さん】もう差別語になりますね。
【根岸さん】住み込みの人は、中学校卒業してから来るケースも多かったですよね。
【白熊さん】はい。うちは縫い子さんがミシンとかで作るから、その技術を身につけたら、また自分たちが――。
【根岸さん】独立すると。
【白熊さん】そう、他へ仕事に行くとか。だから、おかげさまで私と妹――私の服がほとんどですけど、縫い子さんたちの練習用の服を着てました。だから、服がどんどん増えるんです。もう、毎日着替えても1か月は十分持つかなっていうぐらいの枚数がありました。クリーニング屋さんへ持ってくと、クリーニング屋のおじさんが、「すげえ!」って言ってました(笑)。
【根岸さん】製品はどこに納めてたんですか?
【白熊さん】いや、納めてないんです。あの頃は個人だから。
【根岸さん】個人で? ああ、テーラーみたいな――。
【白熊さん】そう、オーダーメイド。だから、すごいお客さんもいましたよ。ノースリーブとかスカートの注文で、「5ミリ違う」って言うんです。「この5ミリを出せ」「出せない」っていう話をしてるのを聞いてました。もちろん仮縫いではOKもらってるけど、できあがったときに見て「5ミリ出せ」「出せない」っていう話になる。要するに全部オーダーメイドだったんです。
【根岸さん】この辺は結構、女性が働いてたからかな。
【白熊さん】そうですね。
【根岸さん】そういう中で育って、勤めて、結婚ということになったと。結婚は、どうしてしたんですか? どこで知り合ったんですか?
【白熊さん】どうしてって。だから……結構好かれたのよ(笑)。
【根岸さん】モテたんですね。
【白熊さん】モテたんですよ(笑)。モテたんですけど、(私は)全く関心がないっていうか、結婚したいと思わなかった。よく「粉かけられたのに、なんで?」とか周りから言われたりしても、(私は)気がつかない。
【根岸さん】「粉かけられた」って、どういうこと?
【白熊さん】だから、男性が私に対して好きな態度を取ってんのに、っていうこと。それを「粉かけて」とか言いますよね。「(男性が)ほいほいと来てるのになんで」って言われた。
【根岸さん】ああ、そういう言葉があったんだ。
【白熊さん】周りから、「なんで気がつかないの」「なんでデートしないの」とか。
【根岸さん】とにかくモテたんですね。それで、職場結婚でしたっけ?
【白熊さん】そういう関心がないから、いい年――28歳ぐらいになるまで全然。別に「男いらないよ」っていうわけではないんですよ。あの頃はキャバレーとかジャズ喫茶、何とか喫茶……ああいうところ全部に連れてってもらって、それなりの社会勉強はしてるんですけれども。その方たちとは……。
【根岸さん】なかったんですか。
【白熊さん】はい。何もなくて、28歳ぐらいになった。それで周りが心配して、母の友だちの紹介で、うちの旦那と結婚した。それほどじゃなかったですけどね(笑)。だって毎日毎日、電話くるんだもん。
【根岸さん】お見合いに近かったんですね。
【白熊さん】お見合いです。見合い恋愛っていうやつ?
【根岸さん】そういう世話する人、結構いましたもんね。写真を持ってね。
【白熊さん】はい。昔は本当にね。よくテレビ(ドラマ)であるじゃない。お見合い写真じゃなくても、写真見せて「お前、どう?」ってやつ。
【根岸さん】最近はそういうの、ほとんどないんです。スマホで出会いの何かやってる。だから、かわいそうなんです。
【白熊さん】いいのよ。結婚しなくたって。いいと思いますよ。
【根岸さん】わかりました(笑)。話を戻すと、PTAの活動を始めて、副会長さん、会長さんまでいったんですよね。
【白熊さん】いや、会長はもう嫌なので、副会長をしました。
【根岸さん】陰でコントロールするタイプですね(笑)。
【白熊さん】コントロールはしないんですけど、会長って、男の人のほうが楽じゃないですか。
【根岸さん】それはあるね。
【白熊さん】女性陣が多いところだったら、男の人が会長になってるほうが(女性たちにとって)楽じゃないですか。
【根岸さん】そっか、そういう時代でしたよね。女が会長になるなんて、ふざけるなっていう時代。
【白熊さん】そう。話が飛びますけど、育成委員会の会長になったときにも叩かれましたよ。地域でね。
【根岸さん】そういう風土があるよんだね、本当に。
【白熊さん】はい。郵便局の鈴木慎一さんが会長をなさってて、その下で副会長やってたときに、こう……のんびりしてたら、「もう80いくつになったから辞めたい」って(鈴木さんが)言うんです。だから、「いやいや、年配の人がいて、中堅がいて、若い人がいて、っていうのがいいんだからもうしばらくいてください」って話したんですけど、辞めてしまって。それで、私が会長になるように言われたのでなったんですけど、会長になったとたんに年上の町会長さんたちや、いろんなところから……。
【根岸さん】いろいろ言われたと。
【白熊さん】例えば、入学式のとき、教育長の横にその鈴木慎一さんが座ってたんですよ。初めは学校側も他の人も、(白熊さんの席次について)わからないじゃないですか。私もわからない。で、私が会長になったので座ったらもう、みなさんの視線がバシバシ来てるのがわかるんです。男女関係は鈍いんですけど、そういうのは意外と敏感ですからね。すぐに学校側に、「ここの席にいたらいいんですか」って言ったら、いいんですって返ってきた。でも、座ってられないわけです。だから学校にもそう言って、席順をかえてもらいました。どれだけ、会長の横に座ってるのが大変だったかっていうことです。
【根岸さん】そうか、そういう――。
【白熊さん】ありますよ。女性で育成委員会の会長になったのは私が初めてで、(その後に)石川智枝子さん。12人のうち2人だけでしたから。本当に、本当に大変でした。
【根岸さん】そういうことだったんだ。鈴木慎一さんって結構、おもしろい人だったから。
【白熊さん】真面目ですよね。おかげさまで、私はまたえこひいきされまして。運動会に(鈴木さんが)いらしたときかな。私がPTAにいたときも、鈴木さんは来賓席ではたいてい私の横にいらしてたの。ところが、あるとき鈴木さんに対して(受付の係の者が)「どちら様ですか」って言ったらしいの。
【根岸さん】それは怒っちゃうね。
【白熊さん】帰っちゃったの。それでPTAも副校長先生も校長先生も、運動会の最中だったけど慌てて私のところに飛んできて、「どうしよう」って。で、「(鈴木さんを追いかけて)呼んできて」って答えた。だけど結局、私が(鈴木さんを)お連れした。それからはPTAはもう、お名前と顔は絶対忘れませんよね。だからそういう粗相はなかった。
それから、長中(長崎中学校)の40周年のときに、(鈴木さんが)実行委員長か何かなさったのかな。40周年の記念誌に何か文章を書かなきゃいけない。その時に(私が)校長に呼ばれて、「白熊さん、(鈴木さんが)書かないって言ってる」と言われた。うちの子どもは長中じゃありませんので、なんの関係もないですよね。育成委員会では関係あるけど。それで「どうしろっていうの?」って聞いたら、「書いてもらってください」って言う。だから鈴木さんのところに行って、書いてもらったんです。「書いてください」って頭を下げてお願いしてね。(私は鈴木さんに)えこひいきされてたから大丈夫だった(笑)。
【根岸さん】今はいろんなところに女性が出てきてますけど、そういう状況を見てどう思います? 変わったと思いますか? 今日だとここにいる男、俺だけなんだけど。
【白熊案】いやあ……。加藤区長さんのときも高野区長も、(周りに)女性が少ない。課長級が少ない。小野さんの前の人だったかな、課長さんが1人だけだったのは覚えてる。係長級は意外といたかな。その方たちをもっと増やすようにって働きかけてるので。女性は大勢いたほうがいいと思います。
【根岸さん】そうですね。今の育成委員会とかいろんな組織をご覧になって、どうですか。
【白熊さん】今は女性が多いです。ただ、男性もそうですけど、今はみなさんお仕事が大変ですからね。うちの地域でも、力仕事もあるから男の人を半分ぐらいは入れたいんだけど、みなさんお仕事があって、共稼ぎの人も多い。PTAのつながりでお母さんたちに入ってもらっても、お子さんが中学入った途端に、(就職して)正式な職員になるから……。
【根岸さん】そうか、地域に来なくなっちゃうのね。
【白熊さん】そう。ただ、1度育成(委員会)に携わってくださった方は、ボランティアが嫌いではないみたいで、土日とか、「当日だけでよければ手伝いたい」って来てくれる。ただ、当日は大丈夫なんですけど、やっぱり下準備が大変だから……。
【根岸さん】商店も少なくなってるから、男手がいないんですよね。
【白熊さん】本当にいなくなりました。
【根岸さん】そういうのは大変だな。
【白熊さん】大変です。
【根岸さん】第7地区育成委員会とかがなぜあったのかということは、今の人はあまり知らないと思うんですよ。
【白熊さん】私もそうです(笑)。
【根岸さん】豊島区には行政区画ごとに12の出張所があって、その地域ごとに育成委員会というのがあったんです。当初そこでは区の職員が会計事務だとか全部やってたんだけど、そういうやり方をやめて、住民の自治にしたいっていうことになった。当時、青少年委員という都の関係の制度があって、役所の人たちを育成委員会の書記に繰り込んで、(住民に引き継いで)自立してもらおうというふうな試みをちょっとやってたんです。それは、ちょっと崩れたんですけどね。で、白熊さんにも青少年委員のときに全体書記というのをやっていただいた。出張所はなくなったんだけど、第7育成委員会とか育成委員会はそのまま残ってるっていうことです。つまり行政区画に応じて12の育成委員会が継続してあるってことですね。
【白熊さん】今でも続いてます。12地区の会長さんね。前はその10人ぐらいが全員男の人だったけど、徐々に女性が増えて、今は半々ぐらいかな。
【根岸さん】女性の会長が?
【白熊さん】おかげさまで多くなりました。いいと思います。
【根岸さん】徐々に変わってきてることは変わってると。
【白熊さん】だから、いいと思いますよ。12地区のなかで、ここ第7地区は青少年育成委員会。ただ、子どもの数は一番少ない。
【根岸さん】地域で?
【白熊さん】そう。1地区、2地区、木﨑さんの所なんかはすごく多くて、町会が15町会あるんです。ここは5町会しかなくて、子どもが一番少ないの。12地区の中でも少ない。椎名町小だけです。長中(長崎中学校)を向こうに持っていくときに、もめたっていうか……。
【根岸さん】ああ、合併のときにね。
【白熊さん】いかがなものかって、ちょっと行政に苦情を言いました。当時、二ノ宮(教育長)さんが「白熊さん、中学校は子どもが多いところで切磋琢磨されたほうがいいですから」って。(私は)「じゃあ、そっちへ(長崎中学校を)持っていかないで、線路(を挟んで)そっちとこっちで真和(旧真和中学校)と一緒になって、真和を長中のところにして」って言ったんだけど、なかなかまとまらず、3校一緒に。
【根岸さん】何中学になったんでしたっけ。
【白熊さん】明豊中学校になりました。(第十中学校と千早中学校が先に統合して)長中だけが2年遅れて入った。
(長崎中学校に)最後に残った3年生が10人しかいなかったんだけど、運動会も他の行事もしたいということだったので、「はい、私らの出番」って言って、育成委員会でやってた運動会のパンを10種類ぶらさげて口でくわえる競争をやった。また「デカパン」競争もやりました。大きなパンツを作って、(その中に)2人で入って(走る)競争をする。これ、身体障害者センターの運動会をまねしたんだけど、そういうのを手伝ったりしました。子どもたちと一緒になって、長中の運動会を助けたんです。
【根岸さん】最後は3年生が10人?
【白熊さん】10人です。
【根岸さん】大変だったんだな。全学年で10人?
【白熊さん】そう。10人で運動会はかわいそう。
【根岸さん】もう1、2年生は(明豊中学校へ)行っちゃったからか。
【白熊さん】そう。中途半端に長中にはいたくないじゃないですか。1年生だから、はなから明豊に行ったほうがいいじゃないですか。だから最後まで、残りますって言って残ったのが、3年生の10人だけだった。
【根岸さん】じゃあ、それこそ最後の10人の運動会だ。映画になっちゃうな……。
【白熊さん】そうですよね。で、「ここは私らの出番よ」っていうことになったの。
育成委員会に入った頃は800人ぐらい子どもがいたのかな。その前が1000人ぐらい。今はようやく300人ぐらい。だから当時は組織も大きくて、育成委員をやってる方も大勢いた。第7出張所も、あの和室が満員御礼になるぐらいにいたんですよ。川越に芋掘りに行ったり、「社会を明るくする運動」をどうしたらいいかっていうことを話し合ったり。今は鼓笛隊で落ち着いたんですけどね。当時は長中のグラウンドを借りて、テレビによく出てた足で蹴る野球を真似てやったりとか……本当にいろいろやりました。近所の材木屋さんが手伝ってくださって、やぐらを造って盆踊りもした。
【根岸さん】そこまでやってんだ。
【白熊さん】どうにかやってきました。
立川の昭和記念公園ができたばかりの頃、バスで子どもたちを連れて行ったんですよ。あそこは広いから、育成委員に気をつけるようにって言ってね。バス2台で行ったのかな。着いたら、子どもたちがだあっと散らばって遊んだ。それで、帰る準備をするときに点呼したら、2人いなかったんです。私と女性1人の2人で、ぐるぐると探し回った。2人ともよく動き回るほうだからね(笑)。ぐわーっと回って探したけど、いない。
【根岸さん】あそこ森みたいになってるよね。
【白熊さん】そう。小川もあるのね。そこにいたの。……ザリガニ(を見ていた)。
【根岸さん】そうか(笑)。昭和公園、広いもんね。
【白熊さん】(白熊さんともうひとりの女性)2人とも疲れてるから、(見つけて)「もう~……」って言ったきり、怒れませんでしたよね。「さ、早く帰ろ」って言って。それがもう、すごい印象的でしたね。
あとは、高麗川によく連れて行った。朝早くに行って、高麗川でカレーライスを作って、子どもたちを高麗川で遊ばせる。遊ばせるのはいいんですけど、子どもたちをずっと見てるのが大変で、目が疲れるんです。見張る範囲を決めて、誰と誰が泳いでて、誰がどうしてるかっていうのをずっと見てなきゃならない。何かあったら飛び込めるように、自分の格好も用意しておくの。泳ぎは得意だからね。そこでは飛び込まなくて済みましたけど。
【根岸さん】800人ぐらいいた子どもが、今は300人しかいないっていうのは寂しいですね。
【白熊さん】寂しいですよ。でもね、川越でさつま芋を掘りに行ったら、(参加費)500円で両手に抱えきれないくらい掘れたんですよ。3年生のある子が、リュックいっぱいにさつま芋を入れて、重いから体が後ろに倒れるようになりながら歩いてて(笑)。その後、長中(長崎中学校)で会ったときに「覚えてる?」って聞いたら、「覚えてますよ。あのときは……(笑)」とか言ってね。もう、そういうのを見ると、すっごいうれしい。
【根岸さん】学校とも育成委員会とも連携して、本当にいろんなことをされてましたね。
【白熊さん】校長先生によってはうまくいかないところもあるみたいですけど、私の場合はおかげさまですごくよくしていただいて。運動会のときに鼓笛隊で地域を回る活動に落ち着いたのは、大変だったんですけど、ようやく。何年間か続いてます。音楽の先生と校長先生の意見によるんですよね。校長先生が変わったとき、まず1年間は前の校長先生のスケジュールで動いてくれるんですよ。その時、「なぜ(鼓笛隊を)しなきゃいけないのか。来年はあると思うなよ」って言ったんです。だから、みんなに「来年ないかもしれないから、他のものを考えておかないといけない。どうしよう?」って言ってたんですけど、そのまま行えることになったんですよ。私たちが運営委員会も真面目に行ったりしてたし、いろんな行動を見てくださってたんでしょう。
【根岸さん】そうやって理解を得る作業って大変なんですよね。
【白熊さん】そう。それだけ言ってた先生だから、逆によくしてくれるようになって。前の音楽の先生は、(雨が)「ポツンポツン」って(少し)降ったら、楽器が駄目になるからすぐ中止にする、っていう方針だったの。だけど、続けることになってから、少しの雨なら「いいよ、俺が責任取るから」って言ってくれた。すごくいい校長先生になったの。
【根岸さん】この地域ではお祭りはあんまりやらないんですか?
【白熊さん】お祭り? ありますよ。
【根岸さん】長崎神社? 祭とその鼓笛隊は関係してるの?
【白熊さん】関係してないです。お祭りは五若(地域)。
【根岸さん】五若って? 長崎神社の祭礼か。
【スタッフ】はい。
【白熊さん】(祭の写真を見せながら)ほら、見て。私の若い頃。これはうちの地域のご婦人方。この地域で五若の大きなお神輿をかつぐの。五若の若い衆はいっぱいいてね。五若の半纏を着ないと担がせてくれない。
【根岸さん】これが五若の半纏なの?
【白熊さん】ううん、地域の、南長崎3丁目の(半纏)。子どもには子ども神輿2つを担がせる。
【根岸さん】ちゃんとあるんだ。(担いで)長崎神社まで行くんですか。
【白熊さん】行かない。これは地元の祭だから。五若のお祭のときには五若のお神輿が出て、我々が(五若の)半纏を着て手伝って、長崎神社に行ってお菓子を配る。
【根岸さん】じゃあちゃんと、長崎村の伝統があるんだね。五若っていうのがあるんだ。
【白熊さん】五若って、あの大きなお神輿よ。
【根岸さん】そういうところとの連携は、白熊さんが?
【白熊さん】このときは町会の役員だったの。民生委員の主任児童委員に推薦してくれた町会長から、町会に入れって言われたから。「この忙しいのに」って思ってたんだけど、やっぱり、地域で活動するには入ってたほうが楽だから。
【根岸さん】そうだよね。人間関係がね。そのときはもう育成委員会に入ってたんでしょ?
【白熊さん】そう、もちろん。育成やってなかったら入りません。子どもたちのこととか、地域で何かするときに(町会に)お願いができるからね。あとは、「愛のパトロール」っていうのを、鈴木慎一さんのときに育成でやったんです。そういうのも町会に入ってないと、町会に手伝ってもらえないので。
【根岸さん】愛のパトロールってどこが始めたんですか?
【白熊さん】第7地区育成委員会。
【根岸さん】第7地区だけ? 独自の活動?
【白熊さん】そう。
【根岸さん】それは何月頃にやるの? 夜?
【白熊さん】毎月第3土曜日とか、月1回だけ。夜です。
【根岸さん】ちょうちんか何かを持って?
【白熊さん】持たない。緑色の揃いのジャンパーを着て数人で、夜6~7時頃に子どもたちがいないかどうか見て回るんです。今は町会でなく育成委員にやってもらってる。
【根岸さん】愛のパトロール。すごい名前だな。
【白熊さん】前はグリーンの看板を塀に貼っていただいたりもしたんですけど、古くなって剥がれたから、外しました。私がそういう経験をしてたので、PTAにいたとき「1人1回はPTA活動してよ」っていう話はよくしてました。みんな忙しくて嫌がるからね。今はPTAだけで自転車で回ったりして、パトロールだけは続いてるみたい。何か1つでもいいから、お母さんが参加してほしいっていうことでやったのが、続いているということです。
【根岸さん】それは大事だよね。それで親同士の関係もできるもんね。
【白熊さん】そうなんです。それは私、誇れるかなと思って。続いてるのを見たら、よかったなと思います。
【根岸さん】池袋の西口でも、月1回、区長とかがやってるよね。
【白熊さん】お掃除ね。
【根岸さん】あの人、保護司の人じゃなかったっけ。名前は……。
【スタッフ】石森さん。
【根岸さん】彼は毎週火曜日、植木を一生懸命手入れしてる。
【白熊さん】保護司なんですよ。
【スタッフ】すみません、愛のパトロールっていうのは、子どもの非行の……?
【白熊さん】育成委員会でやってて、保護司とは別。民生委員とも別です。育成委員会でやってる活動で、子どもたちが夜遅くまで遊んでないかとか、塾の帰りに遅くまで遊んでる子はいないとか見回りをする。今はほら、「(子ども)スキップ」(小学校施設を活用した学童クラブおよび小学生育成事業)ができてるから。子どもが見当たらなくても、とりあえずは夜6時とか6時半くらいになったら大人3、4人でジャンパーを着て、懐中電灯を持って歩いてるんです。月1回だけだけどね。
【根岸さん】大事だよね。
【白熊さん】防犯にはなるかなと思うの。「ここの地域はそういうのがあるから、入って行けないな」っていう。
【スタッフ】何年頃から、やってるんですか?
【白熊さん】私が入ったときに始めたから、30年ぐらいにはなります。
【根岸さん】すごいよね。いろいろあるんだな。
【白熊さん】そう。いろいろあります。
 
【根岸さん】育成委員をやりながら民生児童委員をやったんですよね。
【白熊さん】行政が町会長に「民生(委員)を推薦してください」って言いに行くじゃないですか。私が結構まじめに育成委員をやってるもんだから、町会長が私を推薦したんです。
【根岸さん】民生委員ってよく聞くんだけれど、具体的にどういうことをやってるんですか。
【白熊さん】私がした「主任児童委員」はおもな対象が子どもで、民生委員はお年寄りのケアとか。寺田会長は「民生委員児童委員協議会」っていう正式の名前で言いますけどね。私たちが主任児童委員で初めて、「子どもたちを中心にケアするように」と行政に言われたんです。そのときに地元の民生委員から「主任」っていう名前を(頭に)つけられたのが、ちょっと抵抗がありまして……。
【根岸さん】確かにね。
【白熊さん】あと、私の場合はここ(椎名町小学校)と長中(長崎中学校)を担当するんです。民生委員も一応、学校担当っていうのが決まってたんです。学校担当が結構いじめるっていうか……そういうのはありましたね。私は当初、民生委員について勉強不足で――無知っていいですよね、何にも知らないから――とにかく一生懸命主任児童委員をやらなきゃ、子どものことをやらなきゃ、っていう考えでした。その頃、「子どもの権利条約」が批准されて、(関連する)いろいろな問題に取り組んでやってきました。
【根岸さん】どういうことが記憶に残ってます?
【白熊さん】子どもの権利条約の中からいくつか抜き出して、たとえば「勉強する権利があるんだよ」っていうことを、ちょっと絵も添えて大きな紙に書いたりした。それを中学校に持っていって、子どもたちに配らせてもらう。すると、「こういう権利ばっかり要求されると、子どもたちが何かにおいて権利権利って言ってくる子もいる」とか……。
【根岸さん】それ、学校側の反応?
【白熊さん】そう。なかなか配らせてもらえないの。でも、配らないと意味がないから、「権利もあるけど、義務もあるよ」って小さく(追加で)書いて校長のところに持って行って、配れた。それを3回ぐらいやったかな。でも、あまり「義務がある、何がある」っていうのも入れたら何となく嫌じゃないですか。だからそのうち配るのはやめましたね。
【根岸さん】それを大きな仕事として捉えていたわけですよね。
【白熊さん】はい。
【根岸さん】「主任児童委員」っていうのは本当に……。僕も当時(区役所に)いたんですけど、なんで厚生省はこんな名前で作ったのかなと思ったんですよ。ある官僚が異動する前にこの名前を作ったんだって話を聞いたことありますけどね。
【白熊さん】そう。だから、「主任」っていうだけで――。
【根岸さん】やる人が大変だったみたいね。
【白熊さん】私たちは、主任って言われようが何て言われようが、初めてなるわけだから、よく意味がわからない。子どもたちのことを主にやるだけだと思ってるから。だけど、前からやってる他の方たちは、名前に「主任」ってついた途端に「生意気な」っていうふうになったんだと思います。だけど、どこかの学校で不登校の子がいる、どこどこで問題があるって聞いても、みなさん家庭訪問はしない。私たちは、そういう情報をどこから得たっていうことは内緒で、(問題があると聞いた)家庭に入っていくんです。「ちょっと通りがかって、これこれこういう声が聞こえてね」とかなんとか言いながらね。たまたま、ここの校長先生、副校長先生と仲良くさせていただいたときに、ちょっと気になったっていうご家庭が2、3あって。
【根岸さん】それをサポートしたんだ。
【白熊さん】はい。たとえば、私がたまたま職員室にいるときに相談に来たお父さん。「何かあったら、何でも相談してくださいね」って話から始まって、そのお父さんが、足が腫れてるから病院に行きたいって話になった。それで、「お子さんはどうすんの、病院はどうすんの」っていう話をして、病院へ行けるようにケアした。それから、「女房が昼間は一切出かけなくて、夜だけ出かける」「昼間は寝たきりで買い物にも行けないから食べ物がない」っていう話を聞いたから、「じゃあ、お子さんの食べ物が心配でしょ?」って言って、私がその家のドアノブに(食べ物を入れた)ビニール袋をかけることにした。その中にパンとか牛乳とか入れて、お手紙も入れて。あとで見に行ったらなくなってて、それからは「何々が欲しい」って言ってきたから、買ってあげてまたぶら下げておいたの。
【根岸さん】そうやってコミュニケーションが始まったんだ。
【白熊さん】はい。それからドアも開けることができて。お母さんがずっと寝てて、夜中だと歩けると。1回、夜中に見かけたことがあったんだけど、あいさつはせずに知らん顔してたんです。お子さんは3年生ぐらいだったかな。「社会を明るくする運動」のときね。
【根岸さん】ああ、「社明運動」ね。
【白熊さん】そのときにお菓子を配ったんですよね。(配っていたら)飛んできて「初めてこんなおいしいお菓子食べた」「白熊さん、ありがとう」って言ってくれた。涙出るよね、本当に……。
あとは、お母さんと子ども2人で住んでる家。行政も関わってたんですけど、なかなか行政の人を(家に)入れなかった。
【根岸さん】福祉事務所の職員を入れてくれなかったか。
【白熊さん】入れないの。で、何かの理由で入れたのよ。そのお母さんの母親――子どもにとってはおばあちゃんが九州から出てきて、一緒に暮らすって話になって。ちょうどあの頃、学校に行かせない親とか、虐待の問題が話題になってた。だから、その家に行って「虐待してるとは思わないよ。子どもを抱っこして優しくしてるから。それはいい。でもね、学校に行かせない、(家から)出さないっていうのは虐待のひとつだよ」っていう話をした。「じゃあ学校に行かせる」っていうことになって、毎朝、時間になったらドアをノックして「白熊です」って言うとお母さんが出てくるんだけど、子どもはまだ寝てる。だから、起こさせて、着替えさせて、ご飯も食べさせて、学校に行かせました。長女は(私が)自転車に乗せて学校に、次女は保育園に連れていくんです。ただ、1人で毎日それをするのはつらいので、近所の民生委員2人――(白熊さんの)子どもの同級生のお母さんたち――と交代にした。姉妹が(ほかの民生委員を)嫌がったらしいんだけど、お願いして。その子たちが中学にあがってから、お母さんが亡くなったの。そのときは主任児童委員をやめてたから、別の主任児童委員さんに全部バトンタッチしてました。今は2人とも九州に帰ってるんだけどね。
【根岸さん】そういうドラマがあったんだ。
【白熊さん】あるんですよ。えらいもんでしょ(笑)。
【根岸さん】すごいな。そういうのをやる気持ちがずっとあって――手話の活動もそうだけど――弱い立場の人たちを助けることにつながってるんだな。助けるという言い方はよくないか。
【白熊さん】好きなのよ。好きっていうか、向いてるというか。区から「近所に心配なおうちがあるから見てきてほしい」って言われると、やっぱり気になってね。自分にも仕事とかいろいろあるけど、仕事帰りにちょっと見てきたり。どうせ帰り道だから、って。電気が消えてたらのぞき込んだりして、「知らない人が見たら私、不審者かな」とか思いながらやってましたよ(笑)。
【根岸さん】そういう働きをしてる人が民生委員とか児童委員にたくさんいらっしゃるんですよね。
【白熊さん】います。
【根岸さん】民生委員も児童委員も、定年があるんですよね。70歳?
【白熊さん】今はもっと(年上)。私たちの頃の主任は、もっと若かったです。だから民生委員に移行できたんですけど、私は移行しなかった。校長先生から「なんで民生委員やめたんだ」って言われて、「だって、移行できなかったんだもん」って答えたら、「(移行)しといてほしかった」って言われた。
民生委員としてではなくて、ここ(椎名町小学校)で関わる子は何人かいるんですけどね。私の家の近くに、新築の家に住んでる女の子と男の子がいるんですけども、女の子のほうは、お母さんに皿洗いとかを言いつけられたら、やったりやらなかったりなんです。結構、活発な女の子だから、お茶碗を割ったりしてね。それで、何かあったときに何時間も玄関に正座させてて、家に入れない。そういうのが何回かあって、学校が「そういうときは白熊さんとこへ行け、って言っときました」って言うの。「言っときました? (白熊さんに言う前にその家に)先に言ったの?」っていう話で(笑)。で、その子が訪ねてきて、「どうしたの」って聞いたら、「いつ来たってさ、いないじゃん」とか言うの。「ごめんね。忙しいから、いつもはいないかもしれないけど、でも、画面に(記録が)残ってるから。ちゃんと、どうしてるかなって考えてるんだよ」って言って、2回ほど泊めてあげた。
【根岸さん】泊めてやるの?
【白熊さん】だって、うちに帰れないから。帰りたくないって言ったこともあるし。ママに電話しても出ないから、手紙を書いてポストに入れたりしてね。それから、その子があんまりにも「今日は帰りたくない」って言うので、主任児童委員を呼んで相談したら、児相(児童相談所)に行くって話になって……。(その子に)「児相に行ったらお母さんに会えなくなるんだよ。大変なんだよ」って説明しても、帰らない。しょうがないから目白署の少年係の人を呼んで。夕飯は食べさせて、(その子が)「白熊さん、お風呂はないの?」って言うから、お風呂入れる。結構、生意気な子なの(笑)。それで警察が児相に警察が連れて行ったんだけど、1か月もしないうちに戻ってきて。親が「白熊」って名前を覚えちゃったからかもしれないけど。
【根岸さん】ああ、そうだよね。
【白熊さん】またうちに来て泊っていく。今度は弟君も「食べてない」って言うから、近所のラーメン屋さんに連れて行ったりとかして。
【根岸さん】椎名町小のお世話おばあさんなんだよ。
【白熊さん】いや、そんなには(世話)してないけど。「おばあさん」は別にいいんだよ(笑)。
【根岸さん】「おばあさん」、ごめんなさい。
【白熊さん】おばあさんはいいんだけどね(笑)、そんなにはお世話してない。でも、必ず視線には入れてて、声がけするようにしてる。「一緒に帰ろうか」って言って一緒に帰ったり。意外と素直に話は聞きますよ。
【根岸さん】そのときの児相は新宿まで行かなくちゃならなかったけど、今度(豊島区長崎に)できますよね。
【白熊さん】はい。よかったですよね。
【根岸さん】かなり期待してます?
【白熊さん】期待はありますね。私、児相の係長さんとけんかもしましたから。別件なんですけど、姉妹とその下に弟君がいるおうちで、弟君がまだお母さんのお腹にいるとき。姉妹の父親が違うの。区の職員の――「子ども家庭課」だっけ?
【根岸さん】うん。子ども家庭課(現・子ども家庭部子育て支援課)。
【白熊さん】相談したんだけど結構、大変だったの。児相の職員も関わってね。結局、お母さんが妊娠中だから、姉妹を児相に連れて行ったんです。今は警察とかも入らなきゃだし、簡単に連れていけないじゃないですか。だから、私はもうちょっと児相の職員に権限を与えて、危ないケースは引き離すとか、何らかの保護をする権限を与えたらどうですか、って言ったんですけど……。なかなかよくなってないですよね。
【根岸さん】ただ、児相も人数が足りないんですよね。
【白熊さん】そうなんです。
【根岸さん】豊島区の担当は何人いるんですか。
【白熊さん】1人。それで何人も(担当する)。
【根岸さん】ひどいよね。
【根岸さん】児相も、人がいなくてパンクしそうなんですよね。
【白熊さん】でも、子どもが(犠牲になった)あの事故起きて、そりゃそうでしょうって私、本当に思うときあるもの。
【根岸さん】それはそうですね。だから、今度できる豊島区立の児相には期待しますよね。すぐ近くですもんね。
【白熊さん】それはもう、期待してます。地元にできてよかった。もうちょっと若かったら、手伝えたんだけど(笑)。
【根岸さん】(スタッフに)児相は何人ぐらいスタッフいそう? 結構な人数だよね。
【スタッフ】だと思いますよ。ただ、大変みたい。
【白熊さん】ね、大変なのよ。家庭に入るとか、そういうことでは。
【スタッフ】何年も研修するとか……。
【根岸さん】警察権も必要になるんだよね。立ち入りするのに。
【白熊さん】そう。ケアするときも大変だし。ちょっとした言葉でも引っかかるわけじゃない? ケアしてる側は「ケアしてる」って思いがあるし、ケアする相手のことも考えるわけじゃないですか。
【根岸さん】難しいな。
【白熊さん】難しいの。言葉ひとつ、気をつけてほしいです。
 
【根岸さん】保護司も並行してやったんですよね。
【白熊さん】そう。5丁目の町会長さんが保護司をやってて、交流はなかったんだけど、PTAでちょうど60周年のときに――そこ(校庭)に「大統領」の銅像(60周年記念に寄贈)があるんですけどね。
【根岸さん】大統領って、どこの大統領?
【白熊さん】校庭にある銅像。(台座に)「大統領」って書いてある。100万円だったかな。
【根岸さん】そういう(名前の)像があるんだ。誰か具体的な大統領なのかなと思った。
【白熊さん】60周年記念行事のときに私が副会長だった関係で町会長さんたちとお知り合いになって、町会長とかいろんな偉い人たちと交流するようになった。PTAですから、そういう方たちと交流するんですね。
行事に際して、お金を集めるのにバザーをしようかっていうことになって、一軒一軒いろいろ(品物を)いただいてバザーをした。それで100万円以上集めたんだから、すごいでしょう(笑)。そのときに認めてくださったのかな。あるとき(町会長から)「保護司に推薦しといたから」って電話がかかってきた。だけど、推薦されたからって簡単に保護司になれるわけじゃない。今はそんなことないんですけど、6段階ぐらいチェックがあるんです。全部クリアしたら、保護司になる。でも、保護司っていわれても仕事もそれほど――。
【根岸さん】わかんないですよね。
【白熊さん】そう。わからないから、法務省に1週間ぐらい通って保護司になるための勉強をする。それから、今、私がこうして勝手にしゃべってますけど(笑)、こういうのはよくないわけですね。「聞く」ことが大切。相手が言ってることを聞き出すんです。
【根岸さん】そういうことか。
【白熊さん】はい。聞き方の勉強をする。子どもたちをお説教するような、上から目線にならないように。大人ってどうしても、悪いことをした子どもに説教したくなるじゃない? そういうのはなしにしようとか、そういうお勉強をしたんです。
その(勉強の)途中でもう保護司の仕事が入ってきた。大体2件担当して、来訪、往訪っていう仕事がある。今は往訪する人は少ないのかな? 1回ぐらいなのかしら。私のときは、その人(保護対象者)が(白熊さんのもとに)来て、お話をしました。残り10日ぐらいになったら、私がその人のおうちに行く。それを月2回。2人抱えてると4回ですよね。その合間に「環境調整」っていう調査が入ってきて、近々、釈放されるかもしれない人の家庭を見に行く。それが3、4件。忙しかったときで5件ぐらいあったかしら。だからもう、あっぷあっぷでしたね。
【根岸さん】少年院からの依頼が多かったんですか。
【白熊さん】はい。私の場合は子ども(の対象者)が多かったですから。保護観察を受けてる子が、「刑務所に入ってる彼氏に会いたいの」っていう例もありました。そういうのを聞いてやる。
【根岸さん】聞いてやることがあるんだ。
【白熊さん】そう。ともかく話を聞いて、「そう、わかった。でも、本当にいいと思う?」とか言ったりしてね。その子は20~22歳ぐらいで(少年院から)出てきて、とってもかわいい女の子だったの。それから彼氏ができて、赤ちゃんができてね。お母さんは巣鴨のほうで水商売をしてて、そのうちに「新しいお父さんができた」って喜んでた。その子は、(お母さんと新しいお父さんの住居の)近くで1人暮らしをしてたんだけど、お母さんたちのいる家に住むことになったって言うから、私は「気をつけようね」って言ったの。そしたら「なんで?」って聞いてきたから、「何となく嫌な予感がする」って話しました。……人懐こい子でね。「でも、とってもいいお父さんだから」とか言ってて……本当に、かわいい子だったの。私も、お母さんとも会ったりして、それほど口出すことでもないかなって。で、2年後かな? ある日、電話がかかってきて、(女の子が)自殺しちゃったっていう話で。そのお父さん、やっぱり……。
【根岸さん】そうか……。そういうことか。
【白熊さん】この22年間では、それが一番の……子どもを助けられなかったことです。それが唯一の。それ以外は大体それなりに。
【根岸さん】大変な仕事だよね。
【白熊さん】そういう仕事です。あとは、就職のことかな。(刑務所や少年院に)入ってると、ブランクがあるということで。今はハローワークでも大丈夫になってるんですけど、あの頃は、履歴書を見て「このブランクは何だ?」っていう話になったり、引っかかっちゃったり。ただ、今でも(パソコンなどで事件の)画面を見せて、「これ君の事件?」って言われて……。ほら、残るじゃないですか。
【根岸さん】結構、悲しい思いをしたと。
【白熊さん】そう、就職では必ずね。だから、結局は水商売に入るか、解体工事の仕事をするか。それが多い。建築や建設の工事とかだね。(就職を控えた子に)「どんなにいい社長であっても、(事件のことは)言っちゃだめ」って言ってたんだけど、いい子はね(言ってしまう)。
すぐ近くにいた子がね――すごく真面目な子で、社長もよくしてくれて。保護観察が終わってから、その子は青森に帰ったの。その後、青森警察から「保護司の白熊さんですか。誰々さん(青森に帰った子)に、白熊さんから連絡できませんか」って電話がかかってきたの。びっくりして「何かやったの」って警察に聞いたら、「いや、大丈夫です。心配しないでください」って。悪いことしたわけじゃなくて、その子が免許証か何かを落としたらしいの。それで、青森の警察がその子に電話したんだけど、その子は警察からの電話だから怯えて出なかったのね。だから私がその子に電話して、「大丈夫だから、取りに行っといで。大丈夫だよ。悪いことしてないから大丈夫だから」って落ち着かせて、無事に警察から渡すことができました。
【根岸さん】大変な作業だな。
【白熊さん】最後まで面倒を見る子もいるし、親からいまだに年賀状が来る子もいますね。
【根岸さん】刑務所で床屋の修業をして資格取る人も結構いますよね。
【白熊さん】はい。長野刑務所だったかな、研修で刑務所にも行きました。男性の保護司に続いて私たち、その後ろに男性の保護司が並んで、(刑務所内の)細い通路を入って行く。カンナがけ作業やったりしてましたね。(刑務所で作った)靴だとかを買って帰りました。
それから、どこの刑務所だったかな? (中を)歩きながらふっと真正面を見たら、ガラス張りの向こうに大きなお兄さんたちがずらーっと並んでこっちを見つめてて、驚いたことがあります(笑)。刑務所へ行くとき、私はいつも黒っぽい服装なんですけど、若い保護司さんが赤い服着て行ったときは怒られたそうです。
【根岸さん】ああ、刺激しちゃうんだな。だから、地味な恰好で行くと。そういうのはありますよね。
【白熊さん】企業でもそうですよ。工場見学に(手話)通訳で入ったときに、(一緒に行った)若い女の子がミニスカートはいてきた。そりゃ、その女の子たちが悪いわけじゃないと思う。当然だし、普通だと思いますよ。でも、バスの中で、「何やってんだ! 工場見学だって知ってただろう? 若い男の人が階段上がったり降りたりして働いてるところで、そういう恰好で見学に来るか?」って怒られてた。それを聞いて、「そういうもんなんだ。私も気をつけよう」と。
【根岸さん】大変だったね。保護司さんの仕事はもう終わってるんですよね。
【白熊さん】終わった。(平成)30年に藍綬褒章もらって、その2年前に法務大臣賞もらって。それから定年で、終わり。
【根岸さん】まだエネルギーあるもんね。まだやめなくていいんじゃない? 元気だよ。
【白熊さん】もう高齢になってきてるから、いいです。元気だって言われるけど、活舌も悪くなったし。耳も悪くなったし、物覚えも悪くなった。今、言われたばかりのことを「もう1回言って。何だっけ?」ってなるし。
 
【根岸さん】白熊さんが青少年委員のときにお会いして印象的だったのが、「クーラーの白くまさん」と同じっていうのと(笑)、手話通訳やってるっていうこと。それがものすごく記憶に残っててね。それから成人式。豊島区は初めて成人式に手話通訳を入れて、先駆的だったんですよね。そういうことを続けてきて、今では豊島区議会も手話通訳を入れるようになった。テレビでも議会でも入れるようになったしね。そういう発展ぶりを今ご覧になって、どうですか。
【白熊さん】よかったと思います。遅いとも思いますけどね。いつも我々役員で集まって言ってるんですけど、他の国なら大統領だろうが誰だろうが、必ず横に(手話通訳者が)いるんですよ。前に話題になった(南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領追悼式の)でたらめ通訳者は別ですよ(笑)。日本は他の国に比べるといない。菅(義偉)さんの隣はいるかもしれないけど、首相だけ。他の人のときにはいないじゃないですか。
【根岸さん】アップで映るときはあるよね。
【白熊さん】横に手話通訳者がいても、カメラがちゃんと映してなかったりするから。
【根岸さん】両方映すべきだよね。
【白熊さん】そうです。今は、小池(百合子)さんが話すときについてますけどね。永野(ひろ子・豊島区議会)議員から、「私が、小池さんに(手話通訳)つけるようにしたわよ」ってメールが来たの。それからは他の人にもつくようになった。うちの高井洋氏は東京手話通訳等派遣センターの職員・豊島区登録手話通訳者の会長なんですけど、手話専門の職員が菅さんや小池さんの横についてます。東京都がやってから、他の県も(手話通訳が)出るようになったんです。
【根岸さん】始めたわけですね。
【白熊さん】本当にやっと。やっと、ですよね。ようやく通訳者を認めてもらえた。昔は邪魔者扱いだったから。「一番端っこでやれ」って言われる。テレビでも有名な人たちがそう言ってましたよ。だけど、こっち(手話通訳者)を見る人もいるわけじゃない? だから(話す人の)横にいたほうがいいんだけど、「邪魔だ」って言う。私は「すみません。横にいかせていただきます」って言って、すぐ横でやらせていただきましたけど、嫌がられました。
【根岸さん】どういうきっかけで手話を学んで役に立とうと思ったんですか?
【白熊さん】役に立とうとは思ってないんです。ただ手話を学びたいというだけのことだったと思ってます。お勤めしてなかったときに、何か習おうかな、何かボランティアでしようかなって考えてたから。子どもが小学校から帰ってきて玄関で「ただいま」って言ったときに顔を見て、「何かあったかな、何もなかったかな」って確認してたんです。何かあったときはわかる。そういうふうで、家にいて母親の仕事を手伝ってるだけではな……って考えるようになった。そしたら、うちの母のほうが賢いんですよ。「新聞にあるよ。やれば」っていう話で――。
【根岸さん】『広報としま』?
【白熊さん】そう、『広報としま』。そこに手話講習会のことが載ってた。家の向かいに聞こえない方がいらっしゃるんですけど、手話なんて全然わかんなかった。で、「手話かぁ……」っていう話になった。うちは息子2人だから、将来、嫁いびりをするとよくないから(笑)、今のうちにボランティアとか習い事をしておけばいいかと思って。ボランティアとかに忙しければ、嫁いびりもしないんじゃない?っていう話になった。
【根岸さん】今、してないですか?
【白熊さん】してません(笑)。(息子に)聞いてください。(息子は)「マユミに何か(用事が)あったら俺に言え」って。だから、(息子の妻と)直接しゃべることもなく(笑)。(息子の家族が)親子5人で遊びに来ますよ。相手はどう受けとめてるかわかりませんけど、私は(「嫁いびり」は)してないと思います(笑)。
そういうわけで、60歳とか年を取ってから何か勉強するよりは、今のうちのほうがいいんじゃないかと思って始めました。
【根岸さん】40代?
【白熊さん】ぐらいかな。子どもが5年生と1年生ぐらいのときから、手話を始めたのかな。
初級クラスが黄田先生で、応用編、中級編は別の先生に変わるっていう話だったんですけど、たまたま黄田先生ご夫妻がかわいがってる生徒さんが、うちのクラスにいた関係で、そのまま2年間教えてくださることになったんです。
【根岸さん】基礎はそこで、っていうことですよね。
【白熊さん】それから、手話通訳者として登録するための試験を受ける。筆記と読み取りと、手話表現です。テープから聞こえてきた内容を手話で表現して、それを聞こえない先生2人と聞こえる先生2人が見る読み取り。その逆に、手話を見て内容を判断する筆記試験。あとは常識的な問題です。伝える方法や、関連した法だとか、一般的な問題。
【根岸さん】いろいろ知識がないと、手話通訳ができないですもんね。広い知識が要求されるわけですよね。
【白熊さん】はい。だから先生から「常に本は読むように」とは言われましたね。
【根岸さん】その試験は国家資格なんですか?
【白熊さん】私は豊島区だけ(の資格)ですが、国家資格もありますよ。
【根岸さん】そういう範囲が決まってるわけですか。
【白熊さん】はい。国家試験では通訳士の試験もあります。高井(洋)さんは東京都の職員になる試験を受けています。
【根岸さん】テレビに出てる手話通訳の人は――。
【白熊さん】テレビの通訳は、東京都の通訳の人がやってたり。としまテレビさんに出てる人は、豊島区の通訳者で手話通訳士の資格を持っている人。
【根岸さん】NHKで時々、飯泉(菜穂子)さんがやってた。
【白熊さん】昔ね。その頃だと石原先生は知ってます? (飯泉さんは)石原先生の教え子になるのかな。
私たちも東京都に勉強に行って、都が主催する通訳者の勉強会とか――最初は「奉仕員」って言ったのかな。ボランティアの奉仕員っていう意味なんだけど、その勉強会に。
【根岸さん】今、豊島区には何人ぐらいいらっしゃるんですか。
【白熊さん】今は30人ぐらい。増えないのよね。毎年(試験)やってんのよ。だって(私が通訳者になってから)何年たってる?
【根岸さん】30年ぐらい。
【白熊さん】増えてないの。毎年3~5人は合格してるんですよ。最近は、44人だったのが辞めて今は34人ぐらいかな。それに、実際に動けるかどうかという問題もあるので。「勉強も絶対必要」って言われてて、手も動かさなきゃいけない。ちょっと狭い、厳しい社会です。
【根岸さん】豊島区議会には?
【白熊さん】やっと豊島区議会に、(手話通訳を入れることを)認めさせた。長谷川さんが言ってね。こちらサイドで議員さんを動かすの。永野さんとか、木下さんとかが頑張ってくれて。長谷川さんが「言語条例」を認めてもらったりしてね。そういう動きから始まって、通訳をつけるようになりました。
【根岸さん】本会議だけですか?
【白熊さん】はい。あと、としまテレビにはつきますね。
【根岸さん】区議会(での通訳)に報酬はちゃんとあるんですか?
【白熊さん】ボランティアじゃありませんからね。
【根岸さん】職業として成立をしてるということだね。
【白熊さん】してます。……と思います。本人たちはもうちょっと欲しいと思うかもしれませんけど。
【根岸さん】1時間2000円とか? もっともらわなくちゃ駄目だな。
【白熊さん】安過ぎでしょ。
【根岸さん】ねえ。これから、職業としてちゃんと認めるようにしてかないと駄目ですよね。
【白熊さん】そうですよね。だから続かないんです。高井さんご夫婦とか東京都の派遣センターの職員の方は毎日9時から5時までは(仕事があって)手を動かしてるけど、私たちは多い月で6、7回。
【根岸さん】1回で2、3時間?
【白熊さん】往復の時間を入れると2、3時間になります。(依頼の)電話がきて、スケジュールを見て空いてれば仕事を受ける。それから、試験に合格したばかりの人は派遣できないんです。
【根岸さん】ある程度インターンか何かをちゃんとやらないと駄目なんだ。
【白熊さん】試験に合格してもすぐには使い物にならないので、1年間は毎月ずっとお勉強をしてるんですよ。毎月4回ぐらい(集まりが)あるから、勉強する。スポーツの集いだとか、2つぐらいあるの。それに先輩と一緒に新人さんを出して、慣らしてく。
【根岸さん】インターンだ。
【白熊さん】そう。そうやって3年間は勉強して、4年目からはお医者さんの通訳に行く。病院ですから、聞こえない人の言葉を間違って読み取ってしまうと命に関わるので、(インターン歴)4年以上なんです。それでも、わからなくて「今の何?」って聞くこともあります。間違って読み取っちゃうよりは、聞いたほうがいいんですよ。だけど、聞こえない人にとっては、具合が悪くて病院に来てるわけだから、聞き直されたりするとご不満もあるわけじゃない? そのご不満が即、(手話通訳者の)派遣センターに回るので、その方はちょっと……って調整したりします。
【根岸さん】結構いばらの道なんだね。
【白熊さん】それと、聞こえない人との相性もある。いくら上手でベテランであっても、何となく、そりが合わない人もいるわけでしょ。そういうことを言われる通訳者も、派遣をしないようにする。
【根岸さん】それこそ待遇改善を訴えて、仕事としてできるようにしないと駄目ですね。
【白熊さん】そうですね。だから結局、私たちみたいに主婦的な人になっちゃう。今、主婦はあんまりいないけどね。仕事を持ってると土日しか働けなかったり、常に勉強をしなきゃいけなかったり、っていう義務があるのでやめる人が多いかな。
【根岸さん】結構、大変なんだな。
【白熊さん】大変。意外とね。
【根岸さん】テレビで手話ニュースを見てると、顔つきがおもしろくてつい見ちゃうんだけどさ。前は飯泉さんが出たときもよく見てて。
【白熊さん】飯泉さんは安心して見ていられます。そういえばこの前、なにげなくテレビを見てたら、「え!?」って思う手話通訳の人が出てましたね。めったに他の人をテレビでチェックしないんですけど、そのときはなんか勘が働いたのかな。私も1回失敗したがことあるんですけど――頬っぺたをつねるような動作の「できない」という意味の手話があるんですね。そのとき「できる」の手話表現の後「できない」の手話表現をしてしまった。私も同じ失敗をしたことがある。
【根岸さん】あと、今はマスク社会だから大変だよね。
【白熊さん】そうです。だからフェイスシールド、マウスシールド。豊島区(庁舎)だと、下の1階(のとしまテレビ)はフェイスシールドが周りの木目とかに反射して見にくいから、今はマウスシールドです。
【根岸さん】そうか。下からガードするやつね。手のほかに口も動くもんね。
【白熊さん】はい。聞こえない人は、(手話通訳者の)口が見えないと嫌なので。でも最近はコロナが怖いから、聞こえない人から、マスクをしてほしいって言われます。マスクだと伝わりにくい面はあるんですけどね。それに、私たちからしたら、聞こえない人の言葉を読まないといけないから……。それから、手話の表現方法が人によっても違う。
【根岸さん】方言はあるんですか。
【白熊さん】あります。(私は)東京都の(言葉)でやる。同じ方言でもわかりにくいことがあるんですよ。たとえば「構わない」という意味の手話をよく使うんですけど、「できる」も同じ手話で通じる。「できるよ」という意味と、「なんでも構わないよ」っていう手話で混乱する。相手がこの手話をやった場合、どちらで読み取るのか、その雰囲気(文脈)にも合わせて読み取らないといけない。
「三鷹市」の手話もそうです。「三」と「鷹」じゃない? だけど「鳥のタカ」(の手話)もあって、3本の足(の手話)がくるわけ。(タカは木に)とまるでしょ。(手話が)2つあるわけね。この前、聞こえない人から「鳥のタカ」の手話を知らないって苦情があったんです。通訳者は「鳥のタカ」をしたんだけど、聞こえない人は「三鷹」を知ってたから、「俺は知らない、それは何だ」って話になって。通訳者は間違った手話をしたわけじゃないんだけど、苦情がきた。謝る必要はないんですけど、一応ね……。(その人が)遊びに来たときに、「いつも手話の勉強しろって私たちに言ってるじゃん? 聞こえない人だって勉強してよ」「三鷹と、タカ、2つ覚えてね」って言いました。言える相手だったので(笑)。
【根岸さん】今後の手話通訳の社会的地位の問題もあるし、人材育成みたいな大きな課題もあるし……何かいい突破口はないんですか?
【白熊さん】この間、高井洋氏が手話通訳協会の副会長として、『読売新聞』に出てたんですけど――今はコロナ禍で育てられないと。集まって勉強会するのが難しいから。だから私たちも今、月4回ぐらいは研修会をしてます。月曜2回、土曜2回。第1研修に聞こえない人が来て手話をして、私たちが読み取る。第2研修は、聞こえない人が来て、聞こえない人の事情とかいろいろなことを話す。読み取りの学習。「わかるか?」「わからないならわからないって言ったほうがいいよ」って言われるんだけど、言えない人もいて。読み取りができないと勉強にならないからね。そして3番目の研修は、私たち連絡会(豊島区登録手話通訳者連絡会)の勉強会。そして月末の最後の日が、私たちの提案会。手話通訳に行った仕事について、よかったこと、悪かったところを言い合う。自分でいいと思ってても、報告すると「そこ、おかしくない?」って指摘されて気づかされることがあるので、その勉強会は大切なんです。土曜日の研修では、最近だとコロナ禍でYouTubeとかに手話通訳の動画があるから、それを読み取ってパソコンで入力して送信する、またはファックスで送るっていう勉強もしてる。
【根岸さん】絶えず(勉強を)やってるわけですね。すごいな。なかなかできないよね。
【白熊さん】常にやってないと。さぼってられませんよ。嫌だと思っても、手話に関わっている以上はやらないと。
【根岸さん】それじゃ年取ってられないや。
【白熊さん】いやあ……はい。今年で最後にしたいと思ってるんですけど。
【根岸さん】そうはいかなそうだな(笑)。
【白熊さん】そう言われるうちが華かなと思ってます(笑)。
【根岸さん】すごいな。毎月4回も研修してるっていうのは。
【白熊さん】今は対面(勉強会)ができないから。だから、YouTube使って、聞こえない人の手話表現を読み取って送って、逆にこちらが手話表現をして画面上でやりとりする。
【根岸さん】大変だな。修練とアップデートを常にしなくちゃならないんだ。スマホのアップデートどころじゃないな。1回習ったら、それがずっと通用する社会って多いじゃないですか。医者もそのぐらい研修してほしいですね(笑)。リモートだと大変だね。想像以上に大変だな。それ以外にも、さっき話した民生委員だとかいろいろあって忙しくてしょうがないね。
【白熊さん】民生委員はもう定年退職で卒業したから。もう資格がないから、やりたいと思ってもできない。ただ、育成委員会の(活動の)中で起きた子どもたちのことは、手を出しますよ。会長だしね。だけど、学校から頼まれても私1人では動かない。たとえば、民生委員の主任児童委員を呼んで、2人でその子に対処するとかね。それから、保護司はもう終わったから、話はきません。
今、「(子ども)スキップ」と関わってるのは、地域の子どもたち。育成として地域の子どもたちの動きを知りたいから――向こうも高齢者を雇いたくはないでしょうけど、月に8回、3時間だけ行かせてもらってるの。
【スタッフ】今は、手話と(子ども)スキップの活動をされていると思うんですけど、今後、どういうことをやりたいとか、ありますか。児相のこともありますよね。
【白熊さん】後期高齢者に入ってるから、あとはやめるだけのことです(笑)。
【根岸さん】駄目だよ、そんな(笑)。俺だって後期高齢者だよ。
【白熊さん】うちの母が認知症で大変だったんですよ。それこそ、(私が)主任児童委員として行ってたとき――「スーパーアドバイザー」とかいうことで東京都に呼ばれて行ったときに(母親のことで)電話がかかってきて、「すいません」って言って(抜け出して)帰ったりしてたので。よく知ってる所長が言うには、今は職員1人が2人(の認知症患者を)見るんだって。うちの母は元気でボケてるからあっちこっち動く。(職員は)1人で追いかけなきゃなんないから、(私に)あえて来るなとは言わないけど、「大変です」って言うわけ。元気に暴れるから、点滴をするときも5人がかりで押さえなきゃならなくて、(医師、看護師も含めると)6、7人は要るの。だから、病院に来ないくださいってなるわけ。そこで、家で相談して、私の妹が施設には入れたくないって言うんだけど、もうこっちが限界だから。仕方なく施設に入れることになったんだけど、その2日前に、さよならしちゃったの。
【根岸さん】ああ、それは……。
【白熊さん】その実の娘だから、血筋として私、危ないじゃないですか。それが今、一番の悩み。認知症にならないかってのがね。
【根岸さん】白熊さんがいくつのとき?
【白熊さん】今の私の年ぐらいでもう、母の認知症はぼちぼちと始まってました。
【スタッフ】でも、それだけ活動されてるから、認知症にはならないんじゃないですか?
【根岸さん】頭を使ってるとね。しょっちゅう勉強してるんだから。
【白熊さん】そういえばこの間、(区民)ひろばから、手話を取り入れた脳トレをしたいっていう話がありました。認知症の話とは関係ないですけど。
【スタッフ】手を動かすからいいですよね。
【白熊さん】だから、「聞こえない人は認知症がいない」って、よく聞こえない人が言うんですけど、私たちの場合は手話を使うといってもせいぜい1、2時間だからね。毎日動かしてるわけじゃないから。急に「あなた、どちらさん?」ってなる。本当にそうなるのよ。誰もいないところに向かって「ねえ」って話したりするのよ。「ねえねえ千鶴子、アイスクリーム買ってらっしゃい」とか言って。本当よ。だから、「今後、会ったときに『どちらさま?』って言うかもね」って日頃から言ってるんです。手話も、どうしても若いときのスピードにはついていけない。あと、聞こえが悪くなった。「さ」と「た」、「J」と「D」を聞き間違えたりする。
【根岸さん】そういうのは難しいよな。
【白熊さん】この間、大正大学の先生が「ティーポー」(大正大学のポータルサイト)って言ってたのよ。「ピーポー」は知ってるけど、ティーポーはわからなくて「ピ、ピーポー?」ってなって。でも、子どもは(わからない人に対して)「えっ!?」てなるじゃない。
【根岸さん】そうか……。
【白熊さん】「“ティ”ーポーだって、“ティ”ーポーだよ」って(若い人に)言われる。聞こえが悪くなってるから、「大正大には行きたくない」って言ってるんですけど(笑)。年は取りたくない。
【根岸さん】しょうがないよ。逃げられないもん。あっという間に、こういう年になるんだもん。
【白熊さん】薬を研究してちょうだいね(笑)。今日はどうもありがとうございました。