■小林和子(こばやしかずこ)さんインタビュー
令和3(2021)年3月26日、14時00分~15時30分、「豊島区立中央図書館」にて
【根岸豊さん(以下、根岸さん)】私は豊島区の職員を長くやってました。学生時代、大塚に1年ほど下宿したことがあって、あのあたりは少し詳しいんです。もう五十数年前の大昔の話ですけど。当時は大塚の駅の南側で縁日がありましたよね。
【小林和子さん(以下、小林さん)】はい、天祖神社の。
【根岸さん】(縁日は)7の日でしたっけ?
【小林さん】7です。にぎやかでしたよね。
【根岸さん】そうですよね。大塚には本屋さんがいっぱいあったんですよね。向こう側に2軒あって。
【小林さん】大松堂(書店)とかね。
【根岸さん】ありましたよね。それが今、ほとんどなくなっちゃってるから。
【小林さん】今は池袋にいっぱいありますね。
【根岸さん】そうですよね。今日はちょっと懐かしいお話が聞けるかなと思ってます。
【小林さん】私もそんなに古くはないですけど(笑)。
【根岸さん】(豊島区親子読書連絡会の元会長)大松(幾子)さんとは、私が教育委員会にいたときに何回かお話ししたことがあって。今、私の事務所が大明小学校の近くにあって、(大松さんが設立した)朗読研究所が近くですから。(大松さんは)すごく丁寧なかたでね。
【小林さん】ええ、そうですね。
【吉田いち子さん(以下、吉田さん)】吉田いち子でございます。「としまの記憶」をつなぐ会が発足して間もなく小林さんとお目にかかったんですよね。ここの会議室で少しお話をうかがって。たしか紙芝居か何かを……。
【小林さん】そうそう。見ていただきましたね。
【吉田さん】あのときはとにかく興味津々でした。本当に全然お変わりなくて。今日はよろしくお願いします。
【小林さん】よろしくお願いします。あれから10年近くたってるんじゃないですか。
【吉田さん】お生まれは(東京都)神田ですよね。
【小林さん】詳しく言いますと、母が実家へ帰って出産いたしましたので、生まれ落ちたのは(千葉県)市川なんです。でも、産後の21日、3×7=21日で神田へ帰ってきたみたいですから、神田生まれと言っていいかもしれませんね。
【吉田さん】その後に世田谷に移られたんですか?
【小林さん】3月10日の空襲で、神田で焼け出されて。
【吉田さん】そうか……焼け出されて。
【小林さん】それから世田谷の豪徳寺に数年いました。でも、私が4歳の頃にはもうこちら(大塚)へ来ました。だから、清和小学校に入るちょっと前から大塚にいますね。
【吉田さん】大塚っていうのは、何かご縁があったんですか。
【小林さん】知ってる人がいたのかもしれませんけれども、父と母の代のことなので全くわかりません。それこそ私が3つ、4つでしたからね。
【吉田さん】そうすると、子ども時代は大塚なんですよね。
【小林さん】ええ。今は巣鴨警察署の隣の隣にいますけど、ずっとあの場所です。
【吉田さん】大塚もずいぶん変わりましたでしょう。
【小林さん】そうですね。警察署のあたりがゴムホースの工場でした。帝都ゴムっていうゴムの工場とか。それから、さっき申し上げた7の日には天祖神社の縁日が立って。お祭りは今でも盛大ですけど、縁日はもう縮小気味じゃないでしょうかね。
南側の商店街はとってもにぎやかだったんですよ。結婚してからも毎日のように買い物かごを下げて行ってました。だんだん、ああいう地元の商店街は少なくなっちゃいましたよね。
【吉田さん】天祖神社は当時もっと大きかったんじゃないですか?
【小林さん】いや、境内はあんなものですね。横から入れる階段がありましたけどね。あそこは氏子の範囲が広いんですよね。十何町会だかあって。神社自体はそんな大きくないですけれども、氏子さんの範囲はとっても広くて。だからお祭りは盛大ですね。
【吉田さん】子ども時代はどんなでしたか? 清和小学校時代とか、そのあたりの思い出とかあれば。
【小林さん】私、4人きょうだいの末っ子なんですよ。すぐ上と7つ離れてるもんですから、いわゆる、みそっかすみたいにしてて、お兄ちゃん、お姉ちゃんがどこかへお出かけしても私はお留守番みたいなこともあったりしました。
ゴムホースの工場とうちとの間ぐらいに、何だったのか……大きな庭石みたいな石がいっぱい置いてある場所があったたんですね。それから啓成社(現在の啓成会。福祉・医療用具を扱う事業団体)、昔の廃兵院(日露戦争後にできた負傷兵の保護施設)のあたりとか、土に触って遊ぶところはいっぱいありましたね。清和小学校へ行く途中にも原っぱもいっぱいありましたし。うちもそうでしたけど、側壁が波のトタンになっているようなおうちがまだたくさんありましたものね。当時は、焼け出されたような人が都心からちょっと離れたところへ来て、住みつき始めたっていう場所だったのかもしれませんね。
【吉田さん】なるほど。昭和――。
【小林さん】24年ぐらいに大塚へ来たと思います。
【吉田さん】24年。まだ戦後間もない時期ですね。
【小林さん】そうですね。まだまだ焼け跡ですよね。池袋あたりだったらなおさら(戦後まもない印象)だったかもしれませんけど。
【根岸さん】巣鴨警察は昔から今の場所にあったんですか。
【小林さん】いえ、巣鴨警察はあとから(移転して)来たんですよ。うちなんかよりもずっとあと。お地蔵さま(とげぬき地蔵尊)のところに巣鴨警察があったんですよね。ちょっと入ったところにね。
【根岸さん】そうですか。
【小林さん】いつかわかりませんが、(現在地に)引っ越してきましたね(※移転は1970年)。
【根岸さん】当時はお地蔵さんの通りは、いっぱい人が通る道でした?
【小林さん】ええ。でも、小学生の頃はやっぱり、あそこまで行くのはとっても遠かったですね。あそこまで行くのは大変だなっていう感じがありました。今、郵便局があるあたりまで行ったら、すごく遠くへ来ちゃったって感じがしてました。自転車もないし、歩いて行くわけですから。すぐ近所にお友だちもいましたし、そんな遠くまでは行かなかったです。
【根岸さん】清和小学校も今と同じ位置にあったんですか?
【小林さん】そうです。ろう学校もあってね。
【根岸さん】当時はお地蔵さんの通りは、あんまり人が通る道ではなかったんですね。
【小林さん】いや、多分通ってたと思いますよ。ただ、自分が行ってなかったので。
【根岸さん】あんまり記憶にないですか。
【小林さん】そういうことです。あとは、大塚駅のそばに白木屋っていうデパートがあったってお話を聞いたぐらいですかね。昔の白木屋です。
【吉田さん】そうですね、白木屋ですね。
【小林さん】今、あの建物――。
【根岸さん】壊してマンションになっちゃいましたね。
【小林さん】新築になっちゃいましたね。そう、あの場所は松菱なんてデパートがあったりしたんですよ。
【吉田さん】松菱があったときの記憶はあります?
【小林さん】あります。しょっちゅう行ってましたね。手袋を買ったな、とか覚えてることはありますね。
【根岸さん】大塚は、池袋より盛んだったっていいますもんね。白木屋もあったから。
【小林さん】そういいますよね。三業地(花街)もあったりしてね。昔はあそこの入り口に薬局かなんかあって。あのあたりは昔、川だったっていいますからね。両岸に柳があって、川面に赤い灯、青い灯が映ってたなんていいますね。そういうところへ行ったことはないんですけど。
【吉田さん】なるほど。そのイメージはまだあったんですかね。
【小林さん】あんな近いけれども、そういうのを見た覚えはないですね。
【吉田さん】あと、南口には寄席とか映画館とかありましたよね。にぎやかだったと思うんですけども。
【小林さん】映画館とかありましたね。寄席はよくわからないですけど……「(大塚)鈴本」? 映画館は時々行ってたかなっていう感じですね。
【吉田さん】じゃあ、子どもとしての遊び場ではなく――?
【小林さん】ええ、やっぱり子どもとしては、原っぱとか。でもまめ公園(巣鴨公園の地元での通称)はもうあったのかな? 巣鴨公園はのちにうちの子どもたちが遊ぶようになりますけどね。……ああ、(巣鴨)公園はありましたね。
【吉田さん】いわゆる原っぱみたいな? 公園ですか。
【小林さん】あそこは一応ちゃんと公園になってました。ブランコもあって。
【根岸さん】小林さんは私とほぼ同世代で、私は1945年生まれだから(小林さんが)1年先輩なんです。小学校か中学校ぐらいのときに中村錦之助の映画、いっぱいやってましたよね。美空ひばりの映画とかね。
【小林さん】はい。何とか千代之介とかね。でも、うちはあんまり行かなかったですね。
【吉田さん】東千代之介ですね。
【小林さん】じゃあ、よくチャンバラをしてたんですね?
【根岸さん】そうですね。
【吉田さん】中学校は大塚中学に行かれたんですか。
【小林さん】そうですね。兄とすぐ上の姉も大塚中学で、一緒です。
【吉田さん】伊藤栄洪さんがいた時代と重なってるんですかね。
【小林さん】いや、伊藤栄洪さんはもっとあとじゃないですか。仲田喜三郎先生でしたっけね、いらっしゃいましたよね。どちらも区史編纂委員です。でも、私よりはあとだと思いますね。
【吉田さん】そうですか。どんな中学生でしたか。こんなことやりたいとか、夢はありましたか?
【小林さん】うちのあたりは学区内では外れなんですよね。大塚中学の2年の1学期の頃、今の巣鴨北中学のあたりに引っ越したので。大塚中学ってその前は、今の文京高校の敷地内にあったんですよ。だから(家から)とっても近かったんですけど、2年の1学期からそっちへ越したので、もう結構な距離で。そして、本当はいけない――あの頃はいけないと言われなかったけど――、都電の線路を通って登下校したもんですね(笑)。
【吉田さん】文京高校のところにあったんですか。
【小林さん】そうです。今は全部文京高校になってて。でも、保育園があるかしらね。
だから、小学校からみんなお友だちで、わあーっとおうちへ遊びに行くっていう感じでしたよね。
【根岸さん】当時は、赤胴鈴之助とかラジオでよく聞いてたなあ。昔の話だけどね。
【小林さん】あったみたいですね。吉永小百合がラジオドラマに出てたんですよね。
【根岸さん】そう、ラジオでやってたんですよね。大昔の話だけど。
【小林さん】ラジオは自分の楽しみというより、親たち大人が浪曲とかを聴いてるのを一緒になって聴いてましたね。
【根岸さん】浪曲、よく聴いてましたね。広沢虎造とかね。
【小林さん】そうです。
【根岸さん】よく銭湯でやってました。あと、(ラジオドラマ)『君の名は』なんかのときは、銭湯が空いてた。すごい昔の話(笑)。
【小林さん】それは聞きましたね。すごい昔の話ですよね。
【吉田さん】学生時代にご興味があったことって何ですか? そのあと(東京都立)竹早(高等学校)へ行かれたんですよね。
【小林さん】学生時代は、勉強ですかね、私は(笑)。
【根岸さん】真面目だったんですね。
【小林さん】割と真面目に勉強してましたね。やっぱり試験があるから。入らなきゃいけないと思うしね。兄と姉は(東京都立)小石川(高等学校)だったんですけど。私は竹早へ行ったんです。なんなんだろう、親と先生と相談してからだったのかしらね。
【吉田さん】勉強がお好きだった?
【小林さん】好きというわけでは……なんでしょうね。母が兄に、「和子ちゃんの勉強見てあげなさいよ」みたいに言ってたんでしょうね。兄がいろいろ教えてくれてました。あんまり好きじゃなかったですけどね、兄の先生は(笑)。
【吉田さん】お母さまが手のものがお好きだったんですよね。
【小林さん】そうです。母は和裁、洋裁をしてました。洋裁は、どこで習ったんだかわかりませんけど、うちにミシンがありましたからなんやかんやと縫ってくれてましたね。和裁はちゃんと習ったらしくて、人さまのものも縫ってました。内職っていうんですかね、結構、家計の足しになってたんじゃないかなと思いますね。
【吉田さん】なるほど。それから三井物産に入社されてから夜間の洋裁学校に通われて。
【小林さん】鶯谷の駅のそばの洋裁学校へ1年間、夜、行きました。
【吉田さん】それで一生、身を立てようとか?
【小林さん】いいえ、そこまでは思いませんでしたね。作るのがおもしろいということで。母が自分のものを縫ってくれたから、今度は自分で縫おうと思ってたんでしょうね。今はそういうのあるんですかね? 若い人たちが夜に洋裁教室へ行くなんていうのは。私たちの頃は結構、洋裁学校が盛況でしたよ。洋裁学校っていうのも、あんまり聞かないですかね、この頃は。
【根岸さん】最近はないですね。
【小林さん】ないですか。まあ、ネットやなんかで調べてできちゃうっていうのもありますしね。
【吉田さん】ちょっと前だとABCクッキングとか、お料理教室とかに行かれてる若い人は多かったですね。
【小林さん】なるほど。
【根岸さん】昔は、母親が子どもの服を縫うってのが普通だったんですよね。ごく普通にやってたから。それこそ靴下でも、穴が開いたら縫ってね。
【小林さん】かがってね。
【根岸さん】みんなやりましたもんね。服のない時代でしたよね。うちのおふくろもミシンを買ってきてよく縫ってましたね。
【小林さん】作らざるを得なかったですよね。
【吉田さん】やっぱり、一家にミシンは必需品だったんでしょうね。
【小林さん】そうですね。私は、そういうのが好きでしたしね。池袋にキンカ堂っていうのがあったの、ご存じですか。きれを売ってる大きなお店。
【吉田さん】ああ、キンカ堂さん。
【小林さん】洋裁を習い始めてからですけれども、土曜日にきれを買いに行って、日曜日に縫って、月曜日に会社へ着てくっていう、そんなことをやってましたもの。だから、楽しかったんですよね。作るのがおもしろかったというか。
【吉田さん】じゃあ、ご自分のお洋服も?
【小林さん】自分で作って、着て行くっていう、そんな綱渡りみたいなことをしてましたね。
【吉田さん】なんか懐かしいですね、キンカ堂なんてね。
【小林さん】なくなっちゃって。とっても便利だったのにね。今はユザワヤですよ。
【根岸さん】(キンカ堂が)閉店のとき、すごかったですもんね。お客さんがシャッターに店との思い出なんかを書いたのをいろいろ貼ってね。
【吉田さん】そうそう、そうでしたね。
【小林さん】そうですか。私もだいぶお世話になりました。
【根岸さん】今はパチンコ屋だ。GUになってるか。
【小林さん】表から行くとGUですね。
【吉田さん】……それから少ししてご結婚されて。
【小林さん】そうですね、6年ぐらい勤めてからです。24歳で結婚しましたから。長女が生まれるんで退職したんです。(結婚してから)1年ぐらいでしたね。
【根岸さん】当時は結婚したら辞めるってのが普通でしたからね。そういう意味では厳しい時代でしたよね。
【小林さん】寿退社とかいってね。
【吉田さん】ご長女が生まれて、次女が生まれたと。
【小林さん】するとやっぱり洋裁の必要性も出てきてね。幼稚園に行くとなれば、袋を作るので、次々と(裁縫をする)用事ができてきましたね。
【吉田さん】じゃあ、その時代は主婦専業ですか?
【小林さん】そうです。(長女が)生まれるんで退社して、13年ぐらいはうちにいたんじゃないですか。退職したのが1969年。それから後の物産アセットマネジメントに勤め始めたのが1982年ですね。
【根岸さん】再就職されたわけか。
【小林さん】そうです、13年ですね。13年ほど専業主婦してから。昔、(三井)物産にいたとき上司だった人が天下りして本当にちっちゃな、社長と事務員1人の、2人だけの会社を預かってやってたんですよ。その事務員さんが65歳ぐらいになって辞めるので、来ない?って言われて行ったんですけどね。そこ(後の物産アセットマネジメント)に勤めることになったんです。
【吉田さん】やっぱり相当、印象に残ってたんですよね。
【小林さん】きっかけは、PTAの広報の研修が新橋あたりであったんですよね。毎年、広報部員がみんな行ってたんです。そのときにちょっと懐かしくなって、元上司のところに寄ったんですよ。そしたら、今こんなふうにしてるって言われて、しばらくしてから「(働きに)来ない?」って電話がきたのかしら。
【吉田さん】じゃあ本当に、普通のお母さまとしてPTA活動をしてたときに。広報っていうことは、広報誌かなんかを作ってた?
【小林さん】PTAの中の広報ですね。広報誌作りですね。
【吉田さん】割とみんなが嫌がる広報を。そうでもなかったですか?
【小林さん】どうなんでしょうね。私は(親子読書会の)会報も作ってますし、なんだかそんなことばっかりやってますけどね。
【根岸さん】当時は和文タイプでした? もうワープロになってました?
【小林さん】私は和文タイプができないんです。ワープロはまだ持っていなかったです。
【根岸さん】そうすると、ガリ切りですか。
【吉田さん】いや、ワープロ(を小林さんが始めたの)は1992年だから。
【小林さん】ブーブー紙っていいますよね。
【吉田さん】ガリ版だ。
【小林さん】いや、鉛筆で書くんだけど、それが製版されて原版になって、それから印刷っていうのがあったんですよ。特にガリ切りじゃなくてね。ガリ切りの次の段階でしょうね。
【根岸さん】リソ(RISO)ですね。
【小林さん】そうそう、理想科学(工業)のリソグラフとか。
【吉田さん】何それ。
【スタッフ】ボールペン原紙。
【小林さん】鉛筆やボールペンで書いたのを(機械に)通すと、原版ができるんです。それで印刷できるんです。それが最初でした。その後、「中山道待夢(たいむ)」の名前をつけたので、私が賞金をもらいましてね。
【根岸さん】そうですか。
【小林さん】そうそう、1992年。その命名賞金10万円でワープロを買って、それがPTA活動にも役に立ちましたし、親子読書会にもずいぶん役に立って。あの頃のワープロは10万円しましたよ。
【根岸さん】そうですね。OASYSとかトスワードとかいろいろありました。
【小林さん】東芝プロかなんかだったんじゃないでしょうかね。
【根岸さん】みんなワープロを買いましたよね。昔は、それで全部やってたんだけどね。
【小林さん】ワープロでもう、一大変革ですよね。活字になるわけですからね。(ワープロの前は)会社では和文タイプの、おばさんがほら、ガチャンガチャンってやるやつで。あれがなくなって、今はもうみんなでパソコンでできるようになったわけですよね。
【吉田さん】なるほどね。この歴史だけでもすごいですね。
【小林さん】印刷のヒストリーですね。
【吉田さん】じゃあもう、学校ではそういう広報誌とか会報なんかもどんどん出されて。
【小林さん】そうですね。PTA便りとか。広報もだし、役員で書記をやってたもんですから。その頃はやっぱり、PTA便りを出すといったら手書きでしたね。
【吉田さん】少し戻りますが、1972年に2人目の娘さんが生まれてから、図書館の呼びかけに応じて巣鴨親子読書会を立ち上げたっていうのは、どういうきっかけだったんですか?
【小林さん】豊島区の方針で働きかけが始まってたらしいんです。図書館から地域住民に対して、親子読書しませんかっていう働きかけが、あっちこっちであったんですね。私たちもそれで始めたんです。うちの子どもの遊び友だちの親子が巣鴨図書館へ行っていて、館長さんから声をかけられたんですね。大松(幾子)さんも豊島図書館で声をかけられて。なんと声をかけたのが藤沢愛子さん。ご存じですか。
【根岸さん】藤沢愛子さんね、館長ね。
【小林さん】あの方なんですよ。後に広報課長をされた藤沢愛子さんに声をかけられて。去年、亡くなられたんですよ。
【根岸さん】そうですか。それは知らなかった。
【小林さん】そんなことで、(親子読書会は)図書館としても大方針だったんですよね。それはもう、全国的に図書館からの働きかけがあったらしくて。
【吉田さん】親子読書会は、親子で読書をしようという働きかけなんだ。
【小林さん】そうです。私たち巣鴨(親子読書会)では、幼児読書といわれるような、本当にちっちゃい子たちを集めて始めました。ですから、課題図書なんていうのじゃなくて、読み聞かせですね。(絵本に)ホットケーキが出てきたら、一緒にホットケーキを作ってみるという感じで。本を読んで、本に関連した何かをやってみて、その本を借りて帰る。それで体験が定着して、また本を読むっていう、そんな幼児読書をやってましたね。
【根岸さん】清和小学校の前に児童館がありましたよね。あそことの連携みたいなことはありました? あそこでお話会をするとか。あんまりなかったですか。
【小林さん】児童館はずっと最近のことで、私たちの頃はなかったんですよ。
【根岸さん】そうか。あの当時だったら、南大塚社会教育会館がありましたよね。
【小林さん】そうですね。でも、あんまり行ったことはなかったですね。
【根岸さん】そうですか。図書館は昔から千早が一生懸命で、盛んだったから。
【小林さん】そうですよね。(親子読書)連絡会をつくった図書館は千早と巣鴨と豊島(のちに池袋)なんですけど。多分、千早もそうやって働きかけがあったんじゃないでしょうか。
【根岸さん】そうですね。千早は読売新聞の社会部長やってた人がいろいろと。
【小林さん】沢(寿次)さん。有名なかたでしたよね。私はあんまりお会いしたことはなかったかなと思うんですけれど。
【吉田さん】本選びっていうのは、いわゆる推薦図書みたいなのではなくて、これがいい、あれがいいみたいに意見を出し合って選ぶんですか?
【小林さん】もちろん、例えば親地連(親子読書地域文庫全国連絡会)というところが出してる『子どもと読書』みたいなのを参考にすることもありますけれども。毎月、親子読書会をやるときに、誰か1人がお当番になるわけですよね。毎月、親子読書会とは別に準備会みたいのがあるので、そこで(当番が)選書をしてからいろいろと準備をしてやるわけです。
【根岸さん】先ほど料理をつくるってお話もありましたけど、図書館でそういうことは自由にできたわけですか。
【小林さん】そうですね。電気コンロも持ち込んだかしら。炊飯器を持ち込んだことありましたね。『ばばばあちゃんのおもちつき』(1998さとうわきこ・福音館書店)のときかな。だから、お餅も。
【根岸さん】じゃあ結構、職員とも連携が取れて?
【小林さん】そうですね、きっと許してもらってたんでしょうね。それでみんなで――。
【吉田さん】餅つきを?
【小林さん】そう。すりこ木で、みんなでお餅にしたりとかね。
それとは別に、科学絵本を読んで、実験をやってみるとか。覚えてるのは、あの頃ペットボトルあったのかな――生クリームを入れて、こう(上下に振る仕草)――。
【根岸さん】アイスクリームですか。
【小林さん】手が痛くなるほど振ってると、バターができるんですよ。ちょっとお塩を加えると、本当においしいバターなんです。パンにつけて食べたりとかね。うちではなかなかできないですよね。それと、大きなシャボン玉とか、なかなかおうちではできないようなこと、みんなでやればできることをやるんです。みんなでやるっていうことは連絡会にも言えることですから。それこそ、「よその会はどんなふうにやってるんだろう」とか考えながら、手探りでやってたわけですけどね。なかには、千早だったかしら、毎月どんな本を読んでどんな感想が出たかとかきっちり記録を取ってて。すごいなと思って見てました。そうやって、お互い刺激になるわけですね。うちでは、折り紙教室でやった人を紹介してもらって来てもらったりしました。それから、最たるものは図書館との連携で、共催の講演会を二十何回もしたんです。
【根岸さん】(豊島区親子読書連絡会の会報を見ながら)松谷みよ子さんも来てるんだ。金沢嘉市さん、岩崎京子さん、川崎洋、谷川俊太郎、水谷修さんも。すごい、松居直も。
【吉田さん】立原えりか。
【根岸さん】すごい人たちじゃないですか。
【小林さん】そうです。今、考えると、すごい人たちをいつも呼んでたんだなと思うんです。結局21回で終わってしまったんですけどね。まあ、今はインターネットの時代で、どこにいたって聞けるし……なんて思って、仕方ないわねって言ってます。私たちはまだやりたかったんですけど、いろいろ事情があってやめてしまったんですね。いざ終わってみると、身近にそういう人たちが来るチャンスって、なかなかないんですよね。図書館では年に1回とか、講習的なことで先生を呼んでくださいますけど。
【根岸さん】やっぱりインターネットじゃできないですよね。人の触れ合いですもんね。
【小林さん】そうですね。で、行けばいいっていったって、多摩市のなんとか中央図書館とか、遠くまでなかなか行けないし。だから、身近でできたのはかけがえのないものだったんだなって、今になって思います。
【根岸さん】そうですね。
【吉田さん】すごいメンバーですよね。やなせたかしさんも来てる。びっくりですね。
【小林さん】最初は、それこそ巣鴨図書館の館長さんが――西崎さんとおっしゃったかしら、お友だちの大石真さんを呼んでくださって。そういう感じで呼んでもらったんですけど。
【根岸さん】結構、図書館長におもしろい人がいたんですよね。
【小林さん】そうですね。熱心でしたしね。そういう意味でも、連絡会はそのあとに「かるた」をつくったりしていくわけですけれども、やっぱり読書会単独ではできないこともたくさんできましたね。全区的なものだったから。「かるた」なんかは、特にそうですね。全区的なものがないとできないですから。各地域がまたそれに刺激を受けて、例えば池袋でも「池袋かるた」みたいなのをつくったり、巣鴨では「子どもの遊びの本」をつくってみたり。いろんなふうに発展してったなと思うんですよね。
【根岸さん】職員との共同で、結構いろんなことをやってたんですね。豊島区って司書職はいないんですよね。
【吉田さん】え?
【根岸さん】いないんですよ。研修受けて来てる人だけなんですよね。ポストとしてはないんですよ。
【小林さん】ああ、司書職としてはいないということですね。
【スタッフ】ええ。一般の事務職で採用されてます。
【小林さん】ああ、そういう意味。資格は持ってるけどっていう感じですか。
【根岸さん】資格はあとで取りに行くんですよ。
【小林さん】そうなんですか。
【根岸さん】それで、異動になっちゃうんですよ。
【小林さん】もったいないですよね。
【スタッフ】ごめんなさい、話が戻っちゃうんですけど、巣鴨親子読書会はお友だちに声をかけられてっていうことなんですけど、小林さん自身はお子さんと一緒に図書館に行くことはあまりなかったですか?
【小林さん】あんまり行ってなかったですね。
【スタッフ】では、読書会が図書館との出会い?
【小林さん】そうですね。ほとんどそう。初めてって感じでした。近いのになぜか行かなかったですね。公園までは行ってたんですけど。
【スタッフ】アウトドア派だったんですか。
【小林さん】そう言うと聞こえがいいですけどね(笑)。
【スタッフ】でも本当に、それをきっかけに読書会をやられてから、手作りとかお得意なものが活きるようになって。
【小林さん】そうですね。マッチしてたというかね。
【スタッフ】なんだかマッチしてたみたいですね。ただ本を読むだけじゃなくて。
【小林さん】そうですね。だから、普通に親子読書会で集まって本を読んで、本についておしゃべりするだけだったら、こんなに続かなかったかもしれないですよね。「かるた」でも「すごろく」でも「さんぽ」でも、やっぱりその場所へみんなで行って、絵を描いたり俳句作ったりとか、共通体験がいっぱいできましたからね。そして、「かるた」だったら、うちの子の描いたのとか、私が詠んだ句とか、何分の一かは「私のもの」っていうのがありますから。そういう意味でもよかったかな。
【吉田さん】お子さんとも一緒に行かれたんですか?
【小林さん】そうです。
【吉田さん】やっぱり、本が好きな子どもに育つっていうのは、そういうきっかけが大切ですかね。
【小林さん】そうですね。まあ、そんなに好きっていうほどでもないかもしれないですけど。うちの子3人のうち1人は、とっても好きですね。
【スタッフ】(巣鴨親子読書会でつくった本などを見せながら)これを見ていただいたほうが。これが例の「かるた」(『豊島区郷土かるた』)。
【根岸さん】図書館にも置いてるのかな?
【小林さん】そうです。句もたくさん集まりましてね。これは46句ですから、漏れたのがいっぱいあるんですよ。
【根岸さん】(つくったものを使って)学校で何かやるっていうようなことはありました?
【小林さん】小中学校の社会科副読本に、これ(地図)が挟み込まれたようですね。もちろん、できたときにはお配りもしましたしね。
【吉田さん】(「かるた」を見ながら)絵は子どもたちが?
【小林さん】おもに子どもたちですね。ちょっと大人が手を入れたのもありますけれども。絵札は一応、子どもの担当を決めましたけど、句はできたのを集めたんですね。そしたらすごくいっぱいになっちゃって。漏れた句の句集ができてます。
【吉田さん】それも貴重ですよね。
【根岸さん】何人ぐらいが携わったの?
【小林さん】親子で350人って公称してますね。
その頃は4つ、5つは親子読書会があったんじゃないでしょうかね。一時は7つ、8つぐらい。豊島区の図書館それぞれに親子読書会があったんですよね。今は2つしかないんですけれども。
(「かるた」の読み札を見ながら)「あ」は、「赤ちゃんを抱っこしている鬼子母神」っていうんですけど、うちの子が「ありがとう天からきた糸くもの糸」ってつくったんですよね。慈眼寺に芥川龍之介のお墓があるから。「僕のは入らなかった……」って言ってたけど、「赤ちゃんの句がよかったからしょうがないよね」とか言って(笑)。みんないろいろ、悔しい思いをしてるんです。
【吉田さん】そんないきさつがあったとは。知ってる人、少ないですよね。
【根岸さん】(読み札を見ながら)豊島師範(学校)があったなんて知らないですよね、みんなね。
【小林さん】(東京)芸術劇場のあたりにね。私も実物をしっかり見た覚えはないです。
【根岸さん】僕も塀は見たことありますけど。撤去してるから。
【吉田さん】学芸大(の母体のひとつ)ですよね。でもみんな「豊島師範」って言ってる。……じゃあ、いろんなお子さんの絵があるっていうことですね。
【小林さん】そうです。だから、「これはうちの子の(句・絵)」って言ってる人が今でもいますね。
「かるた」ができてから十何年か経った頃、メンバーもすっかり替わって、「かるた」の場所をみんなで訪ね歩こうっていうことになって。訪ね歩いてできたのが『豊島区郷土すごろく』なんです。「かるた」にした場所をみんなで歩いて、厚い紙にみんなの絵を貼って、折り絵本にして。それを広げると十何メートルぐらい? 二巻で両面だから30メートルを超えます。そういうのを作りました。そんなすごい折り絵本があってもどうしようもないんですけれども、こういうふうに(1枚の「すごろく」に)すれば、みんなで持てるからっていうことで、「すごろく」にしたんですね。
【根岸さん】これはなかなか。
【小林さん】いつもなにかとご指導いただいてた家政大の森田浩章先生に来ていただいて。これ、みんなの指なんですよ。指紋なんです。
【スタッフ】それは知らなかった。かわいいですね。
【小林さん】みんなで指紋をつけて、うまいこと切って。3、4歳の子が描いた絵も入ってるんですよ。
【スタッフ】すごい。(参加したのは)中学生ぐらいまでですか。
【小林さん】中学生はいなかったです。小学生の子たちは、何かを見て描いたのかもしれませんけどね。
【吉田さん】見ても描けないぐらい上手ですよね。
【スタッフ】本当ですよね。サンシャインなんてすごく難しそうなのに。
【小林さん】高くてね。これ(「すごろく」)がちょうど、(親子読書)連絡会結成20周年にあたってたんですね。20周年の記念出版になったんです(※1998年)。
【根岸さん】このときはもう区役所も変わってるもんね。
【スタッフ】すっかり変わっちゃいましたよね。
【小林さん】そうですね、池袋も随分変わりましたもんね。
これ(「すごろく」)ができたあと、大人たちから、場所の説明があるといいわよねっていう意見があって、『豊島区郷土すごろくガイド としま区いちにっさんぽ』ができたんです。お母さんたちが結構、頑張って。子どもにまたどこかの絵を描いてもらったりしてね。この中で、民話が少しずつ取り上げられているんです。
【根岸さん】たしかに、説明がないとわかんないのもあるもんね。歴史散歩の意味合いもあるよね。
【スタッフ】「かるた」の裏にもちゃんと(説明が書いてある)。……じゃあ、「かるた」のガイドブックになるんですね。
【小林さん】そうです。これをつくるときに、民話とか、豊島区の昔話にだんだん興味が向いてきて、「豊島区の昔話の本ってあるのかしら」って思ったんですね。それで図書館に来てみると、特にない。じゃあつくろうじゃないのということで。
【吉田さん】わあ、そこがすごい。
【小林さん】このときも、矢島(勝昭)さんにお世話になったんですね。矢島さんは雑司が谷の昔話の本をすでにつくってらっしゃったんで、一緒にやりましょうよっていうことで。それで2006年にできたのがこの『としまの村ばなし いろはにお江戸38話』なんですよ。矢島さんと柳川(昌子)さんと私とで文章を分担、絵は中田美代子さん。中田さんはパソコンで絵を描くんですって
これに触発されて、各会が作ったものもあります。それから、会報に絵を描いてくれた前田岩夫さん――会員のお父さんなんですけど、前田さんが『とげぬき地蔵さま』を描いてくれたんですね。これも図書館にあります。
連絡会ができる前から、池袋の豊島親子読書会がいろいろ取り組んでたんですが、連絡会ができた年に版画紙芝居『すすきみみずく』ができて、印刷紙芝居にもなりました。紙芝居は手刷りで、今は印刷したものが図書館にあると思います。手刷りのものは西ノ内とかいう和紙でした。とっても本格的で、版画の先生に来ていただいて、指導していただいてつくったんですよ。だからしっかりしたものができてるんですよね。それから何年かして、「紙芝居もいいんだけれども、やっぱり本になってるっていうのはとってもいいわよね」ということで、本にしたんですね。本にするとやっぱり、普及度が違いますね。紙芝居が昭和54(1979)年で、本になったのが平成22(2010)年だから、30年ぐらいたってから本になったんですね。もう息の長いこと。なんでもかんでもそうです。
「かるた」をつくりましょうって言いだしたのは(親子読書連絡会の会長だった)大松(幾子)さんなんですけど、大松さんは、なんていうんでしょうね……今風にいうと俯瞰的というか、総合的にプロデュースする力があるというのか、すごいものを持ってるかただったなと私は思ってます。「かるた」をやりましょうって言いだしたのも大松さんで、本当にみんな楽しくてね。歩いて、描いて、っていうふうにやっていって出来上がったわけですけれども、そういうことに水を向けてくれた。
【根岸さん】この「かるた」、もったいないですね。もっと普及させる手段があるとおもしろいなあ。
【吉田さん】今の子どもの遊びの中に「かるた」をね。
【根岸さん】僕は群馬出身だから、どうしても「上毛かるた」が(笑)。僕のときはなかったんだけど。
【吉田さん】びっくりしますよね、群馬の人ってね。みんな知ってるから。
【スタッフ】区のホームページを最初につくったときに、名所案内みたいなページがあって、そこにこの「かるた」を使わせていただいたんですよ。
【小林さん】ああ、出てましたね。
【スタッフ】何とか神社とかを載せるときに、写真じゃなくて、この「かるた」でページをつくらせていただいて。だけど、もっと実際にお子さんが遊んでくれるようなところで活用しないとね。本当に、一枚一枚、絵に個性があってね。だから埋もれさせておくのはもったいないなって。
【小林さん】駒込のTRCの電子図書館(TRC豊島電子図書館)っていうんですか、あそこにも「すごろく」を出してて、例えば真性寺をクリックすると真性寺のことがわかるページに行くとか、そういうのが少し始まってたみたいですけどね。そこへまた、「かるた」も使ってもらえればね。
【スタッフ】そうですよね。写真はリアルに伝える情報なんだけど、手作り感があると全然違うからね。
【根岸さん】やっぱり味があるよね。
【小林さん】そうですね、手書きでね。
【根岸さん】これ(「かるた」)はデジタル化してないんですか。
【小林さん】まだ、デジタル化はされていません。
それから、これら手作り絵本は朗読文化研究所へ行ってたときにつくったものです。
【スタッフ】朗読文化研究所ではどのような練習をされてたのですか?子どもの読み聞かせのために行かれたんですか?
【小林さん】いえ、特に子どものための朗読ではないです。朗読の発表会なんかをするんです。調音訓練表を読んで訓練するんですね。「あえいうえおあお」とか、外郎売とかね。私は外郎売を覚えきれなかったんだけど(笑)。
【スタッフ】司書の資格も取られたんですよね?
【小林さん】退職の時「司書の資格も取りたくて、やってみたかったのよね」って言ったら、ずっと年下の同僚から「小林さん、今からでもやればいいじゃないですか」って言われたんですよね。それで65歳で通信制短大の勉強を始めたの。スクーリングでは「ああ、大学ってこんな感じだったのかな」って味わったりしてね。3年で取ったのかな。やっぱり、勤めてるときだったらなかなか取れなかっただろうから。タイミングはよかったのかな。試験ではなくて、いろんなレポートを出していって、最後に1泊する合宿があったの。その学校の寮だったのかな、二段ベッドに寝て。最年長だったけど、楽しかったです。
【スタッフ】小林さんは製本も習われたんですか?
【小林さん】ええ、絵本作家で製本の講師でもある武藤順子先生を連絡会でお呼びして来てもらって。それから、仲間の柳川(昌子)さんはきれいに製本ができるんですけど、私はこんなきれいにできないんです。
【スタッフ】世界に1冊だけの本ですね。
【小林さん】これは私がひとりで旅行に行ったときの記録なんですけれどね。こういうのは、あとで見返して自分で楽しめるから。動けなくなったとき用にいいかなとか思って。
【スタッフ】そうそう。あとでこういうふうにしようと思って取っておくんだけれど、結局、束で置いたまんまになっちゃう(笑)。
【小林さん】パンフレットとかお箸の袋とか、持って帰るでしょ。
【スタッフ】お上手ですね。この(旅行記の)地図も手書きでしょ?
【小林さん】そうですね。これは例のワープロでね。やっぱり、とってもきれいにできちゃうので。
【スタッフ】駒込図書館で製本の講座をやってて、そのときに習って、自分でも作ったことあるんですけど、もう忘れちゃった。道具がいるんですよね、ヘラみたいなのとか、紙を押さえる道具とか。
【小林さん】あれは竹の物差しでやったようですね。
(別の手作り本を見せながら)これは出来合いのノートを使ってます。ただのノートに書いてただけですけど。
【スタッフ】そうなんですか。ただのノートには見えない。この絵も小林さんが?
【小林さん】そうです。
【吉田さん】絵もお上手なんですよね。
【小林さん】ありがとうございます。これはサインペンで描いて、あとは色鉛筆じゃないですかね。
【根岸さん】谷川俊太郎の本に似てる。
【小林さん】ああ、『ことばあそび』?
【スタッフ】『ことばあそび』も朗読のときに?
【小林さん】そうですね、朗読のときにみんなで作って。
【吉田さん】字も絵も。すごい。全部作ったわけですからね。
【小林さん】いやあ、楽しんでやってたんですよ。それ(『ぼくとおばちゃん』)が多分、最初に作ったものかな。
【スタッフ】巣鴨公園のお話ですね。
【小林さん】そうなんです。公園のおじちゃんとおばちゃんの話ですね。もうおばちゃんも亡くなりましたけどね。会社に勤めてる頃でしたね。普通の会社で、まだカラーコピーがない時期で、プレスセンターかどこかの文房具屋さんに行って。結構、高かったんですよ。カラーコピーして製本して、おばちゃんにプレゼントしました。
【吉田さん】まさに世界にひとつの。
【小林さん】そう。「世界に1冊の絵本 見てください」っていう展覧会もやりましたしね。
私のだけじゃなく、みんながたくさん(てづくり絵本を)出して。そういう展覧会もやりました。
【スタッフ】これが『アオギリの詩』ですね。
【小林さん】そうです。この前、「わが街ひすとりぃ」にも出させていただいたんですけど。
うちの斜め向かいに廃兵院があったんですね。そのお話を作ったんです。童話って言ったらいいでしょうかね。すごく印象的なアオギリの木があったんですよ。それをモチーフにして。(絵本を開きながら)こんな土手が本当にあったんですよ。こういうのが、ずうっと。もうこれ、(紙が)波打っちゃってますけどね。両面テープにでもすればよかったんでしょうね。ボンドかなんか塗ってくっつけたのかな。
【スタッフ】今まで、いくつぐらいのお話を作られました? 数えきれない?
【小林さん】多分そんなには……。この『としまの村ばなし』の中で自分の担当したのは、38点のうち……3人で担当しましたから12点ぐらいは1人で作りましたね。でも、またそれをみんなでチェックして検討して、っていうのがありましたね。
【スタッフ】『アオギリの詩』は、全くの創作?
【小林さん】そうです。
【スタッフ】いつそんな時間が……フルタイムでお仕事もされてたのに。
【小林さん】そうですねぇ。なんか、一生懸命やってましたね。残業がなかったですしね。
【スタッフ】お孫さんにも手作り絵本をつくってあげてるんですよね。
【小林さん】はい、お誕生日に。孫は5人いるんですけど、3歳のお誕生日までプレゼントしようと思って、手作り絵本をあげてました。もう終わりましたけどね。でも、なんと去年、ひ孫が生まれちゃったんです。
【スタッフ】あらら、じゃあまた作らないと(笑)。
【小林さん】また作るかな? どうしよう(笑)。始めるとね、やらざるを得なくなっちゃう。どうしようかなと思ってるんですけどね。
あげてたうちの1冊は布絵本にしてるんですね。それも私がつくって。(布絵本などの写真を見せながら)アヤトが2歳のとき。これはチャックをつけてて、ジャーって開くんですよ。開いて、海の様子になるのね。それから、アヤトが1歳のときはこれです。このお兄ちゃんがハルトっていうんですけど、この写真は「世界で1冊の絵本 見てください展」のときにちょうどハルトが来てたんです。ハルトが2歳のとき。
【スタッフ】これが布の絵本ですか。これは一生の宝物になりますね。
【小林さん】そうだといいんですけどね。「どっかいっちゃった」って言われるんじゃないかと思って、「あれ、どうした?」って聞くのが怖い(笑)。
【スタッフ】お孫さんが5人いらっしゃって、15作品は作られた?
【小林さん】そういうことですよね。3×5=15で。お誕生日にあげなきゃなんないから、なんとなく締め切りっぽくなって、つくらざるを得なくてつくってました。
【根岸さん】親子読書会が解散というのは残念でしたね。
【小林さん】力尽きましたね(笑)。でも、TRCさんが17、18点の紙芝居を電子化してくださって、私たちも朗読して音声も入れたんですね。ですから今はインターネットで紙芝居を見られるというふうになってますから、本当にありがたいです。ずっと残りますものね。(公開されている)17作品ぐらいのうち13作ぐらいが読書会の作ったものかな。
【根岸さん】解散に至った経過ですが、なぜそうなったのかなっていうのは――。
【小林さん】やっぱり直接の引き金はコロナですね。コロナでお話会がなくなった。そして、ぼちぼち始めてる人たちもやっぱりマスクしてやってるし、マスクで読み聞かせはできないわねっていう感じで……。それと、親子読書会と言いつつも、親子ではなくて出前っていいますかね、あちこち行ってお話会をしてるのが現状なのでね。自分たちの体力とかいろんなことも考え合わせて、去年の6月ぐらいからだんだんと(解散に向けての)やりとりを始めました。しょっちゅう会うこともできないので、連絡を取り合って、10月にみんなで集まって解散集会をして。それから12月、3月の会報のことはファックスやら電話やらでやりとりをして、幕を閉めることになったんですね。
(最後の)3月号は8ページになったんですけれども、ご覧になるとわかるように文字ばっかりで、ぎゅうぎゅう詰めなんです。柳川(昌子)さんが編集長で、私も編集を手伝っています。なにしろ(内容が)いっぱいで、思いもよらない人からも(原稿を)戴いたりして。あんまり人のを削除もできないし、苦労して詰め込んだんです。出来上がって、「ああ、やっとできた」と思っていたら、みんなから結構「よかったよ」「ずうっと読んでいったら感動した」って意見もあったりして。「ああ、そうか、よかったのかな」って、今は思ってますね。
【根岸さん】ちょっと酷な言い方になってしまうんですけど、若い人をリクルートできなかったっていうのは……。
【小林さん】そうです、それはありますね。
【根岸さん】そのあたり、なぜそういうふうに……?
【小林さん】結局、目の前の自分の持ち分を果たすのに精いっぱいだったってことでしょうね。それで、次の世代まで手渡すほどに広がらなかったっていうことですかね。個人的にも、自分の子どもが卒業しちゃうともう、つながりがなくなるのが現実ですからね……。勧誘キャンペーンも何回かしましたが、知らない新しいお母さん、新しい先生のところへ行って、親子読書会に来てくださいとはなかなか言えないですね。そんなことで、それぞれの一番下の子が卒業した時点でもう、(縁が)切れてしまったということですかね。
【根岸さん】この十何年かの歩みを次の世代に残す作業を、ぜひなんらかの形で。さっき出たデジタル化とか、いろいろあるでしょうけど。
【吉田さん】読書会のメンバーは何名なんでしたっけ?事務局の人は。
【小林さん】池袋、巣鴨を合わせて20人ぐらいがいいとこですかね。
【吉田さん】やっぱり年齢層も上がってきてるんですか?
【小林さん】ええ。平均で70代いってるかいってないか。
【スタッフ】千早はもうないんですか?
【小林さん】もうないんです。
【根岸さん】難しいよな。
【小林さん】学校と違いますし、自主サークルですからね。それが大前提ですから、よく今までつながってきたなっていうぐらいのものですね。
【吉田さん】そうか、やっぱリクルートしないと世代の継承は厳しいのか。
【根岸さん】ほかの区でこういう動きは何かご存じですか?
【小林さん】さっきの会報で親地連の広瀬恒子さんが書いてますが、豊島区のほかには世田谷区ぐらいだそうですね。どこの区にもあるのかなと思ってたんですけど、案外、珍しいようです。豊島区で特徴的なのは、本を読むだけじゃなくて、郷土史関連のいろんなことをしてきたということです。文化的活動とかね。だから、こうして物として残ったり、ネット上に残ったりしたので、それが幸せなことかなと思いますね。次の人たちにお土産を置いていけるのがね。(本を指しながら)『とげぬき地蔵さま』は、紙芝居がデジタル化されてると思いますしね。
【吉田さん】4の日っていったら、ものすごい人がいっぱい、とげぬき地蔵なんか歩いてるのに。多分どうしてこれなのか、とげ抜くかとか知らないだろうなあ。
【小林さん】そうですよね。たしか、3月号の会報にも紙芝居のリストを載せてたはずです。
【吉田さん】また新しいデジタル親子図書館などでできるかもしれないですよね。
【小林さん】始めてくださるかたがいるといいんですけどね。だけど、コロナ以後は元通りになるだろうと思っていたけど、どうもそうじゃないかもしれないですからね。
【吉田さん】どうもそうじゃないようなね。外交評論家の佐藤優さんかがこの間のことを、3.11の大震災はみんな「3.11」って覚えているんだけども、コロナは50年経ったらみんなが忘れてると。それぐらい次から次へと、またウイルスが出てくると。何月何日っていうのがないと、人は記憶しないんですって。だからやっぱり、(読書会の印刷物などを指して)何月何日とかこんなに記録されてるから、なにかで喚起できてね。私は、本はもうなくならないと思ってるから。電子図書とかいろいろあるけど。
【小林さん】そうですね。本はね。
【根岸さん】紙のにおいとインクのにおいとか、そういうのがあるよね。
【吉田さん】この温かさというか……この感覚はなくならないと思うんですよね。だからすごく幸せだなと。(小林さんの)お孫さんもお子さんも。
【小林さん】手作り感はね。手作りの本を形に残せたのは、形に残るばかりがいいんじゃないとはいうものの、やっぱり手に取って見られるものが残ってるっていうことは、よかったなって思いますね。
私たちは「子どもには本がいい」って、ただそう思ってやってきたのかな? 同じ仲間とずっと続いてきたのはなぜかな? と思ったときに、それこそ3月号に「元子どもの会員の声」っていうのが6ページにあるんですけどね。その右側の一番下の子が、あるとき読書会で、「本に吸い込まれるような思いがした」って言ってて。私はそれを見たとき、よかったなと思ったんですよね。
【根岸さん】ああ、そうですよね。
【小林さん】大人もきっと、子どもと一緒に本にすごく感動したとか共感できたとか、そういう体験の積み重ねがあったんですね。だからやめずにいたのかなって思ったんですよね。
【吉田さん】やっぱり最初に吸い込まれた本っていうのは、いまだに覚えてますもんね。その感覚、わかりますよね。
【小林さん】ああ、そう。子どものときですか?
【吉田さん】私はいろんな本を読んでたんですけど。もう一回読んでみようっていう……例えば民話シリーズだとか、科学の本とか。それから高校2年ぐらいになると、なんていうのかな、生意気な時期じゃないですか。親にも反抗的になってて。なんかスーッと吸い込まれるような、思想関係なんか特にそうですよね。ただ楽しいとか、おいしそうとか、そういうのと違って。
【小林さん】じゃなくてね。
【吉田さん】その、魂から吸い込まれちゃうみたいな。
【小林さん】共感しちゃうとかね。
【吉田さん】あの感覚がね。だから子どもさんにも、それぞれいろんな本があると思うんですけど。鉄道の話だとか植物の話とか、宇宙の話とか。
【根岸さん】僕らの子どもの頃は、貸本屋時代があってね。漫画本を5円で借りてきてね。
【小林さん】貸本屋さんはそばになかったような気がしますね。
【スタッフ】子どもの本って、今でこそすごく豊かな世界ですけど、私たちの頃はそれこそ『よいこの絵本』とか、講談社の『世界名作全集』とか。
【吉田さん】『少年少女世界文学全集』とか『日本文学全集』とか、なんか全集を、ぼんっとね。
【スタッフ】ちょうど小林さんが親子活動をやられた頃って、すごく子どもの本が豊かになって。
【小林さん】そうですよね。
【スタッフ】子どもたちも、本を通してすごくキラキラと目を輝かせる、その吸い込まれる瞬間の顔って、私もそれが喜びになって活動がつながるのかな。
【小林さん】本当にそうですね。
【吉田さん】私も子どもを育てるときに、かこさとしさんとか安野光雅さんの本で、目がキラキラするっていうのは経験ありましたね。
【根岸さん】僕が子育てのときには、福音館書店の月刊のをよく取ってましたね。『こどものとも』と『かがくのとも』。
【スタッフ】いいものに対する感度って子どもも同じですよね。いい絵本に出合ったときはだから――。
【吉田さん】幸せですよね。
【スタッフ】幸せになる。(小林さんは)それを促す活動をされてきたのかなって。
【小林さん】できたらよかったですけどね。どこまでできたか。
【吉田さん】豊島区の魅力満載のエッセンスを形にしてこられたような気がします。
【小林さん】ありがとうございます。子どもがそうやって真剣な感動を得たときに立ち会えたら、親も幸せですよね。この間そうだった、また今回もそうだった、というようにそういう感動の瞬間に立ち会うことが重なって、両方が成長してきたような気がしますね。
……『こどものとも』『かがくのとも』は幼稚園でもらってたかな。松居直さん(『こどものとも』などを手がけた福音館書店の設立者)も、子どもの本に対して、そういうお考え持っててね。福音館って駒込の通りにあるんですよね。六義園の近くにね。松居さんに講師をお願いしたときに、(福音館書店に)行きましたよ。社長室にすてきなお椅子があって。
【スタッフ】あとは『ぐりとぐら』とか。
【根岸さん】うちの子どものときはそれだったな。
【吉田さん】どの区でも多分、郷土史とかはたくさんあると思うんだけども、やっぱり豊島区は小林さんが中心になってやってこられたような気しますね。
【小林さん】そうですか? いやいや、それこそ大松(幾子)さんからなんですよ。みんな、気が合ったんでしょうね、きっと。(大松さんが)「やる?」って言ったら、「やるやる!」っていう感じで。
【吉田さん】ああ、波長がね。なんかそうなんでしょうね。なかなかできないから。
【小林さん】そして、物として形になれば、またそれもうれしいしね。
【吉田さん】すごいなあ。(本を見ながら)これ、(池袋)四面塔(石仏さま)のとかね。
【小林さん】『おいはぎと石仏さま』の話ね。
【吉田さん】追いはぎの話を最初に拝見したとき、すごくおもしろくて。
【小林さん】柳川(昌子)さんがパネルシアターで演ったのですね。
【吉田さん】柳川さんがやった、うん。今でもちゃんと覚えてる。
【小林さん】柳川さんとは会報の編集も一緒にやってました。
【根岸さん】最近、図書館にいらして、若い親子連れをご覧になって何か感想あります?
【小林さん】今は(コロナ禍で)お話会をやってないですけど、結構パパさんが一緒に来てくれてるなあっていうのは感じますね。とってもいいことだと思いますよ。
【根岸さん】昔と違いますよね。僕も保育園に送り迎えすることがあったんですけど、昔は珍しかったんですよね。今はもう普通にいますもんね。
【小林さん】イクメンですね。人数でいうと、お話会にはここもいっぱい来るんですけど、それこそ1人でも2人でも、1冊の本で「ああ、おもしろかったね」っていう体験をいっぱいしてほしいなと思うんですね。
【吉田さん】なんとかうまく、小林さんのDNAを残したいな。
【根岸さん】今は図書館の職員がお話会をやるところは結構、増えてるんですよね。
【小林さん】そうですね。週に何回かはやってますよね。週に1度は私たちのようなボランティア、もう1回は図書館でとか。そんなふうにしていらっしゃるみたいですね。
【根岸さん】やっぱり、子どもにとってはお話聞くのはいいことですもんね。
【小林さん】そうですよね。もうひとつなにか疑似体験ができるってことになりますからね。いろんな考え方を知るだけでも、気がつくだけでも、とってもいいと思うんですよね。
【根岸さん】今、デジタルで本を読んでる人が、子どもも圧倒的に多いと思うんですけど、どういうふうに思ってます?
【小林さん】私がデジタルの本を見ないので。私自身は紙のほうが好きですね。やっぱり、図書館で本に囲まれているとすごく落ち着きますよ。でも、デジタルが別に悪いということではないし、便利でもあるでしょうし。たくさんの本をチョイスして、自分で好きなように読めるわけですから、それはそれでいいのかなと思いますね。
【根岸さん】僕なんかも、本を読み終わって閉じて、「ああ、読み終わった」っていう感覚がね。デジタルだとそういう達成感がないんじゃないかなと思っちゃうんだけど。
【小林さん】そうですね。読んだページが、ぴゃっと変わるわけですか。
【根岸さん】そうみたいですね。僕はやったことないですけども。
【吉田さん】また(前のページに)戻れたりとか、(画面を)大きくしたりとかっていう感じですね。
【根岸さん】豊島区もデジタル図書は何冊かやってるんだよね? どこかと契約して、1週間とか2週間とか借りられるんだよね。
【小林さん】別に返しに来なくても、期限になると返っていくんですよね。あれはおもしろい。
【根岸さん】そっか、自動に消えちゃうんですね。
【小林さん】そうらしいですよ。私も一応、登録したけれども。ただ例えば、こういうもの(電子化した紙芝居)は登録しなくても見られるんです。
【根岸さん】それは図書館のホームページから見られるようになってますか。
【小林さん】そうです。「TRC豊島電子図書館」っていうところから。「豊島むかしばなし」っていうのがあるんです。
【根岸さん】そうなんですか。それはぜひ見たいな。あんまり知らなかったな。そこで紙芝居が見られる?
【小林さん】紙芝居が見られます。TRC図書館とかいうところから入ると、ジャンル別にいろいろあって、「豊島むかしばなし」っていうところを開けると、こういうもの(紙芝居)が載ってますので。それは、(申し込みをせずに)そのまま開けて見られるんです。紙芝居に私たちが(朗読や効果音を)録音して入れましたので、どうぞいろいろ見てください。
【吉田さん】素晴らしい。いいですね。楽しいですよね、紙芝居ってね。
【小林さん】子どもにも見せてあげるといいなと思うんですけどね。
【根岸さん】そうか。以前、みらい館大明で会議をやっていただいたそうで。私もそこで会議してますんで。
【小林さん】そうですね。みらい館大明の理事長 杉本カネ子さんは親子読書会にも入ってらっしゃるので。池袋で。
【根岸さん】そうですか。佐藤澄子さんと矢部美津子さんも――?
【小林さん】矢部さんも熱心で。今回の会報のカット(イラスト)2つは矢部さんなんですよ。