■本橋香里(もとはしかおり)さんインタビュー
令和3(2021)年11月2日、13時30分~15時00分、「藤香想」にて
【本橋香里さん(以下、本橋さん)】よろしくお願いいたします。
【根岸豊さん(以下、根岸さん)】よろしくお願いいたします。
【吉田いち子さん(以下、吉田さん)】よろしくお願いします。動画(『わが街ひすとりぃ』)を拝見して、この間もちょっとお話聞いたんですけど、本当にいろんなことにチャレンジされてますよね。運動もすごくお得意なんですよね。
【本橋さん】そうですね。運動することは小さい頃から好きで得意でした。
【吉田さん】それが音楽のほうへ向かったっていうのは――?
【本橋さん】当時はまだ大人がどういう仕事をしてるかよくわからないので、身近で見た職業っていうと学校の先生だったんですね。小さい頃から見てきた職業だったので、いいなって思ってたんでしょうね。実際、進路を決めるときに、「先生だったら、体育の先生でしょ?」って言われて。もしくは、女性で(仕事を)やってくには薬剤師さんになったらどうかとか、そんな話もあった。そんななかで、中学校のときの音楽の先生の授業がとても楽しかったんです。臨時で入られた先生だったんですが、ピアノで現代の曲もばんばん弾いちゃうし、楽譜もさっと自分で書いちゃうし、私の中にすごく刺激として入ってきて、「こんな音楽ができるんだったら、学校の音楽の授業はもっと変わるんじゃないのかな」って。
それまでは音楽の授業ってつまらないのものだって気がしてたのでほぼ運動ざんまいだったんだけれども、「でも、体育の先生じゃないよな」と思ったんです。暑いときも寒いときも、汗をかいたまま教室に入ってきて制服に着替えて授業受けなきゃいけないのが、中学校のときとても苦痛だったんですね。運動するなら運動するで、もう徹底的に運動して、わーって汗をかいてさっぱりして、だったら運動も楽しいけど。眠くもなるし、お腹もすくから(笑)。なので、もっと違うことないかなっていうところで――。
【吉田さん】(音楽の)先生に刺激を受けたと。
【本橋さん】ええ、そういう先生がいて、(音楽教師が)楽しそうだなっていう。
【根岸さん】それで、国立(音楽大学付属高等学校)?
【本橋さん】はい。
【吉田さん】国立ですよね。
【根岸さん】結構、遠いですね。
【本橋さん】遠かったですね。高校生のときは1時間半ぐらいかけて通いました。朝6時30分くらいに新宿発の中央線に乗って。
【根岸さん】当時は道路が細くてバスが大変でしたでしょ? 池袋出るまでにも。
【本橋さん】中学の頃に有楽町線ができました。
【根岸さん】そっか。その前まではやっとバスがすれ違うぐらいだったから。
【本橋さん】そう。あの細い道だったのが、ちょうど中学2年か3年の頃に有楽町線ができたと記憶しています。
【吉田さん】専門的に学んだのはピアノですか?
【本橋さん】大学は教育学部に入りたかったんですね。やっぱり、まだ音楽の「先生」なんですよ、私の中で。それで、音楽の教育に特化してる学科があるところが国立(くにたち)音楽大学だったんです。高校では、やっぱりピアノは必須。それから、音楽の先生は歌が歌えることと音楽の知識も必須。専門的にピアノを習っていたわけではないのでそこからが大変でした。
【吉田さん】高校、大学時代は国立で音楽を学んで、教員免許を取られたんですよね。
【本橋さん】はい。大学生のときには目的があって教育学部に入ったので、そこはまっとうしてみようと思って。教育実習は千中に行って、我ながらいい先生でした(笑)。
【根岸さん】当時の教え子も(近所に)いるんじゃないですか。
【本橋さん】私が在学したときにいた先生はまだ(千川中学校に)いらっしゃいました。そのときにも、「ぜひ先生になってください」って言われて教育実習を終えました。実習の成績は良かったですが、学校の成績はあまりよくなかったですけど(笑)、そこだけはきちんとまっとうして卒業しました。
【吉田さん】ピアノはもともと好きだったんですか?
【本橋さん】好きでした。もともと何か(音楽を)やってないと、さすがに国立音大に行こうなんていう気にはなってないでしょうね。ピアノは3歳の頃から習っていて、ある程度までは出来たのですが、中学の先生にも「考え直したら?」みたいなことを言われました(笑い)。
【根岸さん】この辺だとどういう先生に習ったんですか?
【本橋さん】音大の先生にも習いました。
【根岸さん】この近くに結構いらっしゃる?
【本橋さん】小さな頃はすぐ近くにピアノの先生がいて、そこでスタートしました。そのかたが引っ越しをされることになって、また近くの別の先生のところに行きました。
【根岸さん】結構いらっしゃるんですよね。
【本橋さん】はい。本格的にやるってなったら大学の教授のところまで行くっていう。
【根岸さん】音楽の世界、そういうところあるからね。
【根岸さん】それで、大手旅行会社に入られたと。
【本橋さん】そうです。
【吉田さん】教師になる夢ではなく? それは旅行に興味があって?
【本橋さん】大学生になって自分の活動範囲がものすごく広がったんで、ほかからの刺激がいっぱいあったんですよね。「自分はなんて物を知らなかったんだろう」「こんなにいろいろなことがあるじゃないか」って目覚めたからですね。「自分が生きてるところなんて、本当に針の先くらいしかないんだな」と。それだっておこがましいぐらいに、自分がいたところが狭かったな、って感じたんです。
【根岸さん】大学では下宿はしなかったんですか?
【本橋さん】ここ(自宅)から通ってました。
【根岸さん】6時30分の電車だと、ここを6時に出るんですか?
【本橋さん】高校生のときはそうでした。大学生のときは玉川上水まで通いました。大学はカリキュラムがいろいろありますから、家を出ていく時間も帰ってくる時間も変わりましたけど、同じく片道1時間30分程度かかりました。
【根岸さん】我々のときには、学校っていうのは行かないところだったんだけど、みなさんのときには必ず出席するようになったからね。真面目な学生が多かったんじゃない?
【本橋さん】やっぱり技術を習得する学校なので、文化系の学生とはちょっと違うカリキュラムがあったりはしましたね。よく、理科系の学生さんたちは学校が厳しいっていうけど、それと同じ感じだと思います。
【吉田さん】実験とかね。
【根岸さん】レッスンルームを確保するとか、そういうのが大変だった?
【本橋さん】それもそうだし、技術を習得していく学校なので、教授と一対一のレッスンが週に何本もあったりして。
【根岸さん】さぼれないんですね。
【本橋さん】はい。絶対、行かなきゃいけない。
【根岸さん】通うときには、途中で新宿とか渋谷で引っ掛かるっていうのはあんまりなかったんですか?
【本橋さん】(学校の最寄り駅が)玉川上水だったんですよ。高校は国立(くにたち)にあったんですけど、大学は国立市から移転して玉川上水だったので、今度は高田馬場乗り換えになった。1時間に3本しか電車がなくて大変でしたね。
【根岸さん】途中でどこかに寄り道したりはしなかったんですか?
【本橋さん】大学生のときにはかなりそういうこともやりました。なんせ、「花の女子大生」の時代ですから(笑)。バブルのころなので、それなりには楽しませていただきました。
【吉田さん】それから留学されたっていうのは、音楽のため?
【本橋さん】いや、そのときにはもう音楽熱が少し冷めてきているといいますか……。大学を卒業しないといけないので当然音楽をやってはいたんですけども、当時は海外に興味を持っていたので。
【吉田さん】なるほど。
【本橋さん】日本しか知らなかったので、違う文化の国に出てみようということで。手っ取り早かったのがアメリカだったんだと思うんですけど、それで行ったらカルチャーショックでしたね。
【吉田さん】アメリカへの転勤はご主人の(仕事の)関係なんですか?
【本橋さん】転勤は結婚してからなので全然違います。留学は、学生のとき、親に「ひとりでアメリカに行きたい」って頼んで行かせてもらったんです。
【根岸さん】どちらに行かれたんですか?
【本橋さん】1回目がカリフォルニアで、2回目がロードアイランド州。
【根岸さん】ロードアイランドのどの辺ですか?
【本橋さん】ボストンのほうです。なので、アメリカの西と東と両方に行ってました。
【根岸さん】長期間?
【本橋さん】2回とも8月に。学校の夏休み丸々1か月間です。
【根岸さん】東と西じゃ全然、違いますよね。
【本橋さん】まったく違いました。ただ、ピアノはやらないといけなかったので、ピアノが確実に置いてあるところを指定して行きました。
【根岸さん】そういうことか。ホームステイ?
【本橋さん】最初がホームステイで、2回目が大学のドミトリーです。
【吉田さん】それで、23歳でご結婚されて――?
【本橋さん】その前に旅行会社に就職したんですけど、これは前代未聞ですよねっていうことになって。でも就職したばかりで結婚したから辞めざるを得なかったんですよ。やっぱり、何年か勤めていれば、休職っていうシステムはあったんだけども……。
【吉田さん】勤めてすぐ結婚みたいな感じ?
【本橋さん】はい。「イケイケ」って言葉が合ってるかどうかわかんないですけど(笑)、当時は「何でもできる!」って思ってたんでしょうね。仕事もして、結婚もして、っていう憧れの女性像が自分の中にあって。
【吉田さん】平成3(1991)年ってバブル崩壊の年ですよね。
【本橋さん】そうです。でも、まだ大丈夫でした。
【吉田さん】大学時代から本当にバブルの花が咲いてね。
【本橋さん】すごい楽しいときでした。
【吉田さん】あれは尋常じゃない時代でしたよね。
【本橋さん】だから当時はもう何でもできたっていうか。
【吉田さん】わかります。
【本橋さん】何でもするのがかっこいいと思ってたから、本来だったら仕事もして、結婚もして、家庭もきちんとできて、っていう。そう思ってたらアメリカ転勤の話が来ちゃったんで、どうしましょう……って悩みました。
【根岸さん】そこで「選択」ですね。
【本橋さん】大学生活で行った町だなんて、何かの縁があるんだろうって思ってました。
【吉田さん】最初はびっくりですね。
【本橋さん】何か縁があると思って、そのときの会社のチームの先輩からも、「(夫に)ついて行きなさい」と言われた。
【根岸さん】そういう時代なんだね。やっぱり女性は主婦がメインだっていう時代ですよね。その境目ぐらいかな?
【本橋さん】うーん……、人によってはそう(主婦がメイン)ではなかったと思うんですけども。私の中では、まだ何でもできると思っている時代なので、何とかなるだろうと思ってたんでしょうね。
【根岸さん】向こうには2年間ぐらい?
【本橋さん】丸々1年で帰ってきちゃいましたね。行きはビジネスクラスで行けたのに、帰りはエコノミーで帰された。それだけ急激に世の中が変わったときでした。
【吉田さん】おうちで脈々とつないできてるお囃しとかを、どこかで「継がなきゃ」みたいな節目はいつぐらいでした?
【根岸さん】そういう問題か。
【吉田さん】これは長男が継ぐんですよね?
【本橋さん】はい。小さいころからそういうふうに言われてきたから、そういうものだと思ってました。
【吉田さん】「自分は関係ない」みたいな感じでいたのか、それとも――。
【本橋さん】どっちかっていうと「関係ない」っていう。
【吉田さん】関係ないっていう感じで、自由に生きるんだみたいな感じ?
【本橋さん】そうですね。
【根岸さん】それがどういう運命か、(実家に)戻って来たわけですね。
【本橋さん】戻って来ましたね……。アメリカに行って帰ってきて、もう一回就職。元の旅行会社に入れてはくれたんですけども……。
【吉田さん】優秀だったんですね。
【本橋さん】いや、そういうわけじゃないですけども、また働き始めて、そしたら今度は出産が来たので、そうするともう完全にそこでストップした。そっち(子育て)で落ち着いちゃったっていうところですかね。
【吉田さん】もう、子育て一本っていう感じですか。
【本橋さん】もう仕事はせず、完全に専業主婦になったっていうことです。
【根岸さん】それはご自身の選択ですか? 会社か何かの要望ですか?
【本橋さん】正社員で就職したんですけど、帰ってきたら正社員では採ってくれなかったので、契約(社員)になった。だから出産になればその時点で、(雇用は)おしまいみたいな感じになってしまって。
【根岸さん】再雇用は正社員じゃないとだめだと。
【本橋さん】はい。
【吉田さん】それから、保育士の免許も取られてるんですね。
【本橋さん】主婦になってからですね。やっぱり、主婦になってから社会との隔たりがあったので、何か外に出て行けることがないかなっていうことで取りました。保育士の免許だったら学校に通わなくても取れるので、どうせ子育てしてるんだったら、いろんな知識があるとよりいいのかな、という気持ちで保育士の勉強をして免許を取りました。
【根岸さん】そのときのお住まいはここだったんですか?
【本橋さん】そのときは練馬区です。
【根岸さん】保育の先生はピアノが関門になるからね。2年ぐらいかけてやる人が多いですもんね。今はどうなのかな。
【吉田さん】保育とか幼稚園の教諭はそうですね。
【本橋さん】幼稚園の先生は学校に行ってないとだめみたいなんですけど、保育園は国家試験に通ればいいみたいです。
【根岸さん】科目ごとに試験がありますからね。
【本橋さん】ええ、これだったらいけるぞっていうことで。ピアノに関しては当然、問題なかったので。
【吉田さん】保育士の資格のほかに宅建(宅地建物取引士)も取られてるんですよね。
【本橋さん】そうですね。どうも、転機があって何か迷ってるときにそういうことしてるみたいです。時間ができたときにやってたんですかね。
【吉田さん】目的があってというよりも、時間ができて、ちょっとこっちのほう行こうとか――?
【本橋さん】ぼーっとしてるんだったら、なんかしようって思っちゃうんだと思います。
【根岸さん】お子さんは何人いらっしゃるんですか?
【本橋さん】1人です。
【根岸さん】もう成人されてる?
【本橋さん】はい。
【根岸さん】それから、話が変わりますけど、本橋さんは豊島区の成人式には行きました?
【本橋さん】晴れ着で行きましたけど、たしか翌日にピアノの実技試験が控えてて、みんなと一緒に遊んだ記憶がなくて。すぐに帰ってきちゃいました。
【吉田さん】そういえば、ご結婚されてから練馬区に住んだという経験以外は、要町が多い?
【本橋さん】そうです。結婚してる間はここにはいません。アメリカに行ってたこともあるし、京都に住んでた時期もあります。
【根岸さん】陶芸をやってたんですよね。
【本橋さん】近くに窯元があるところでした。もともと好きで興味があったんですけど、またこれも、ぼーっとしてられない自分がそこにいたんだと思うんです。結構没頭しましたね。(京都では)窯元だったので、電気もガスも登窯もありました。
【吉田さん】それはすごい。
【本橋さん】素晴らしい環境で教えていただきましたね。東京に帰ってきてからカルチャーセンターに行ったりもしたんですけど、やっぱり、そのときのおもしろさに比べたらもう全然だったので……。なんとなくモチベーションダウンして辞めちゃいました。
【吉田さん】京都のどこにいらしてたんでしたっけ?
【本橋さん】文化圏は奈良県です。奈良の駅のほうが近いところでした。
【根岸さん】ここ(藤香想)にはそのときの作品は置いてあるんですか?
【本橋さん】作品はもう、ほぼなくなっちゃったけれども、最後のお別れのときに先生からもらってきた作品は大切にとってあります。
【根岸さん】一時代の思い出ですね。
【本橋さん】ええ。(先生が)たまに日展に作品を展示しに東京にいらっしゃるので、そのときはお会いします。
【根岸さん】今ちょうど日展やってますよね。……結構、多趣味なんですね。
【吉田さん】本当に。多趣味で才能がいろいろなところに広がってらっしゃる。
【本橋さん】浅く広く、ですけど(笑)。
【吉田さん】何かに向かって突出する人も多いんだけど、(本橋さんは)「これもやってみよう、あれも」ってやっていって全部成就してらっしゃる。
【本橋さん】いや、成就はしてないです。本当にあっちゃこっちゃで(笑)。あっちゃこっちゃの人生だなと思ってます。
【吉田さん】最終的には、ビジネスサポートに通われてこちらのお店をオープンされたというのは――?
【本橋さん】その前に仕事しなくちゃいけなくなって――いろいろ(仕事を)探したけどなかなか難しくて――そしたら保育士の免許が役に立ったんです。保育の仕事をしながら、自分の人生、これからどうするかなというのを考え始めたわけですね。
【根岸さん】経済的な自立を確保するためにってこと?
【本橋さん】それもあったんですけど、どうやったら自分の人生を充実させて生きていけるかということですかね。これからここで保育士としてやってくということが……決して自分のなかで「いいな、楽しいな」っていうふうに充実してるというわけではなかったんですよね。
【根岸さん】公立の保育園でした?
【本橋さん】病院のなかの施設です。正規職員として雇ってくれたので、そこは特に問題はなく。
【吉田さん】割と安定はしてますよね。
【本橋さん】安定してました。だから、安定を壊してまで(別の道を選んで)いいのかと、自分に言い聞かせながら。
【吉田さん】普通、安定すると割と長く続けられるんだけど、安定をそこでまた壊すと。
【本橋さん】壊してしまいました(笑)。
【根岸さん】その病院の保育園で何かを感じて辞めたのか、それとも自分を(別の道へ)シフトするっていう意味合いでお辞めになったのか――?
【本橋さん】私がしたいことはここじゃない、っていうところですね。
【吉田さん】じゃあ、まだしたいことが曖昧模糊っていうか、まだぼんやりしてたわけですか。
【根岸さん】みんなそうですけどね。いつまでたってもね。
【本橋さん】最終的にしたいこととして戻ってきたのが、音楽だったんですよね。身近に、もっと音楽ができる環境はないかな、っていうところが最初のきっかけだったと思います。
【吉田さん】それで、カフェの学校に通ってビジネスサポートセンターに通われたと。
【本橋さん】社会人経験がほぼないので、どうしたらいいのかまったくわからない。これは誰かに教えてもらわないと無理だろうなって考えて、いろんなところに行きました。実際にカフェをやっている現場を見に行ったり、そこで出会った人たちといろんなことをやってみたり、起業を志している人たちの集まりに行ってみたりだとか。カフェをやるって決めたけどやりかたがわからないから、手っ取り早いのは学校に行くことだったんです。こんなに何年もかけて研究してたんじゃ、とてもじゃないけど、いつになっても開けない。そう思って学校に行くことにしたんです。
【吉田さん】カフェがイメージとして出てきたのは、どういう――?
【本橋さん】人をもてなすことが好きでしたね。
【根岸さん】学校はどのぐらいの期間行ったんですか?
【本橋さん】マックス2年と期限を決めて、1年ぐらい行ったのかな。よくある社会人向けのスクールでした。パン屋さんになりたい人も、ケーキ屋さんになりたい人もいるんですけど、経営とかのノウハウを教えてくれる。現場の1から10までと、経営の1から10までを教えてくれるんです。それと並行して、プロのかたのお話を聞きにビジネスサポートセンターに行ったり、中小企業診断士がいらっしゃるようなところに行ったりとか。
【根岸さん】カフェの学校では同志とか、横のつながりはできました?
【本橋さん】学校の人たちでまだ付き合ってるかたはいないですね。
【根岸さん】いろんな業種の人がいる場所での付き合いみたいなのはどうでした? いろんな事業をやりたいかたがいたわけですよね。そういった人たちからの横のつながりとか、何かの経験で交流するとか。
【本橋さん】起業したい人たちの集まりにはずいぶん行ったので、やっぱり横のつながりはあります。
【根岸さん】今でも情報交換されてますか?
【本橋さん】今はさすがにないですけど、Facebookというツールがその時代にできたので、そこで交換すると、それぞれが何をやってるかがわかるようになりましたね。
【根岸さん】それは結構、大きいですね。
【本橋さん】その後も何回か近況報告会を主催してくれる人もいらっしゃるので、行ったりはしてます。
【吉田さん】そのカフェの学校で経営を一から学んでみようと思ってるときに、ここを拠点にするというのは像にあったんですか。この土地で行く、という。
【本橋さん】はい、それはもう。ここでやろうというのは決めていました。
【吉田さん】古民家をリノベーションしてやってみようっていう計画まであった?
【本橋さん】はい。とにかく場所はここじゃなきゃだめなんだ、ここなんだっていう。
【根岸さん】この建物は昔の木材をそのまま使ってるんですか?
【吉田さん】ですよね。梁とかは古そう。
【本橋さん】そうですね。多分、耐震用だと思うんですけど、筋交いもそうです。
【吉田さん】壁は漆喰なんですか?
【本橋さん】いえ。漆喰風に見せてるんです。漆喰は高くて塗れませんでした(笑)。これはペンキなんです。
【根岸さん】今、漆喰も技術者があんまりいないからね。一昨年あたり、(みらい館)大明の近くでも古いうちを壊したら砂か泥がいっぱい出てきた。壁がそうだったから。
【本橋さん】ここも大変でしたよ。ものすごい土壁でした。
【根岸さん】全部取ったんですね。
【本橋さん】そう。埃まみれですごい状態でした。
【根岸さん】昔の家は土壁だからね。
【本橋さん】(写真を見せながら)これはその当時の家です。この窓がそこの窓です。こっちが正面だったの。今は窓を取り壊してこっちになっちゃってるけど。これがその土です。
【根岸さん】竹が入ってるね。このうちは何年ぐらいに建ったの?
【本橋さん】(昭和)28年。
【吉田さん】すごいですね、昔の建築はね。この梁が残ってるんだから。
【根岸さん】そういう大工さんも、もういないや。
【本橋さん】そうですよね。こういうものを作れるかたがもういないです。だから、ここ(カフェ)を設計するときにもやっぱり、ずいぶんと大変でした。「これを直すのは新しくしたほうが絶対安いよ」とか言われて、どうしたらいいかって悩んで。
【吉田さん】作り直したほうがいいってこと?
【本橋さん】耐震のこともあるし、ここは下が土なんですけど、今はどこの住宅も下にコンクリ張っちゃうじゃないですか。土だとシロアリの駆除はどういうふうにするんだとか、何かがあったときじゃ遅いということを言われて、いろいろと……。
【吉田さん】この建物の下に車輪みたいなのがありますよね。車輪っていうの? あれはなんですか?
【本橋さん】あれは花車っていって、かつてお祭で使ってた山車の車輪だったんです。その山車が古くなって、要町でいらないってことだったのでもらったんです。
【吉田さん】すごく趣があるんですよ。……そうか、じゃあここのリフォームは大変だったですね。
【本橋さん】この辺は大工さんが入ったときの写真。やっぱり壁をぶち抜いたときが一番大変だった。
【根岸さん】そのときにはもう、うちを継ぐっていう意志は……?
【本橋さん】いえ、まったくないです。ただ、最初に店をやるという話を(実家で)したときには、「素人に飲食業は務まるものじゃないよ」って何度も言われました。そんなに簡単なことじゃないから、と。やっぱり相当な資金を費やして始めることなので、「継続するのが大変なんだ」っていうのはよく言われました。あとは、「いろんな人が出入りするのとかも大丈夫なのか」とか。いろんな心配はありましたね。
【吉田さん】資金も含めて、経営のスタートですもんね。初めてですもんね。
【根岸さん】ここのロケーションでっていうのは、どういうふうに決めました?
【本橋さん】ここでやるというのも、ずいぶん反対されましたよ。学校でも立地とか商圏の勉強をしたんですけど、そういうのに当てはまらないから、ここの魅力とか売りはなんなんだっていうのを、散々説明した。そこを学校の先生に理解してもらうのはなかなか難しかったけど、ちょっと押し通して。
【吉田さん】すごく恵まれた環境ですよね。
【根岸さん】できて何年ぐらい?
【本橋さん】来年(2022年)の2月で丸7年ですね。
【根岸さん】順調ですか?
【本橋さん】はい、おかげさまでたのしんでいます。
【吉田さん】コロナ禍の間はどうされてたんですか?
【本橋さん】東京都の指示に従いながら店は開けてました。みんなで散々話し合ったんですけど、この環境でぼちぼちと距離を保ってクラスターが発生するようなことをしなければ……ということで。ここは心のよりどころとして開放してるので、クローズしていいのか?ということになって、「私たちは飲食店をやりたいわけじゃないんだよね」と。
【吉田さん】お客さまは近くのかたが多いんですか? それとも、インターネットで見て遠くから来られる人もいる?
【本橋さん】最初は近くからが多かったですけど、徐々に遠くの方もいらっしゃっていただけるようになりました。
【吉田さん】あとは紹介とか口コミとか?
【本橋さん】それは大きいと思います。特に何か宣伝してるわけじゃないので。テレビで取り上げられたときには、その後大変でしたけど。
【吉田さん】民放ですか? としまテレビ?
【本橋さん】『エブリィ』(日本テレビ『news every.』)という番組が来ました。
【吉田さん】ああ。じゃ、大変だったでしょ。
【本橋さん】あのときはちょっと大変でしたね。あと、『モヤさま』? 『モヤモヤさまぁ〜ず』(テレビ東京)。
【吉田さん】それは事前に取材したいって聞いてくるんですか?
【本橋さん】取材したいと連絡がありました。あとは、『東京新聞』に掲載させてほしいとか。
【吉田さん】やっぱり、こんないい環境にあるからびっくりされますよね。来るまで結構、迷ったりする方も多いだろうし。
【本橋さん】そうですね。ぽつんとあるのがいいんだと思うんです。あとは本にも。そこにある『東京古民家カフェ』っていう本。川口(葉子)さんっていうカフェで有名な著者で、そういうかたが取り上げて本にしてくださったりすると、読者のかたが来てくださったりしました。
【根岸さん】ここで音楽会みたいなのはやられるんですか?
【本橋さん】やります。やっぱり、それが一番やりたかったことなので。
【根岸さん】どういうジャンル?
【本橋さん】この環境なのでアコースティック系が一番多いです。
【根岸さん】電子ピアノかなにかで?
【本橋さん】ええ、ピアノは電子ピアノで、ほかはいろんな楽器のかたが来てくださいます。
【根岸さん】今だったらYouTubeで中継したらいいんじゃないですか。
【本橋さん】そうですね。
【吉田さん】(窓を指しながら)本当に素敵ですよね、これね。
【根岸さん】本当に。ここ、一番景色がいいんだ。
【吉田さん】一幅の絵画みたいな感じだよね。
【根岸さん】あの赤いのはなんだろう。木のところの……。
【本橋さん】あれはノムラの木なんですけど、薬が塗ってあります。
【根岸さん】赤いの、薬なんですか?
【本橋さん】はい。
【根岸さん】そうか。何かなと思った。
【吉田さん】あれはユズ?
【本橋さん】ユズです。
【根岸さん】ここにはメジロなんかも結構、来ます?
【本橋さん】来ます。鳥は本当にかわいいですね。
【根岸さん】ヒヨドリとかね。
【本橋さん】ヒヨドリっていうんですか、あのすごいけたたましいの。来ますね。
【吉田さん】けたたましいのね、そうですね。
【根岸さん】餌をみんな持っていっちゃうんですよ。私も庭にエサをまいてるけど、スズメの分をヒヨドリが取っちゃうんです。
【本橋さん】春先のメジロもかわいいですね。
【吉田さん】ホーホケキョと間違えそうな感じでね。梅の木なんかにとまって。
【本橋さん】そうです。ウグイスよりかわいいです。あとは、サギが飛んでくるんです。すごい大きいのが飛んできて、バサッバサッて羽根を広げて(笑)。屋根にとまってから庭に来るんですけど、前に池の金魚を全部食べられちゃったから、今は網をかぶせてあります。どこから来るんでしょう(笑)。
【根岸さん】畑のあるところなら知ってるけどね。近くに結構、緑があるってことなんですね。
【吉田さん】この「藤香想ファーム」の活動について教えてほしいんですけども――。
【本橋さん】藤香想ファームはまだ道半ばなんですけれども、ここで始めた新しいことの一つなんです。せっかく農家さんからおいしいお米を頂いたり、お味噌も作ってもらったりしてるので、実際に私たちが(生産)現場に行ってどんなふうに作られてるのかを(お客さんに)見てほしかったんですね。藤香想の遠足っていうことで何回かやりました。
【吉田さん】その農家はどこにあるんですか?
【本橋さん】千葉県東庄です。実際にそこへ行って、農家さんたちと一緒にお米作りをしようというのを始めて2年くらい経ってコロナになったので、今は中断してます。田植えの時期には再開できるかなと。年間通して(農家と)一緒に作業をするのは難しいですけど、月1、2回は行って作業をさせてもらってますね。
【根岸さん】田植えとか草取り? 収穫?
【本橋さん】そうです。
【吉田さん】お店に置いてある古代米?
【本橋さん】それもそうです。
【根岸さん】何人ぐらいで行かれたんですか?
【本橋さん】遠足で行ったのは20人くらいです。普段は定休日の火曜日にしか行けなかったので、(別の曜日に)ここのスタッフと一緒に行きました。あとは数名を募って、田植えに行きましょうって言ってたら、コロナで行けなくなってしまって。
【吉田さん】それはFacebookでお知らせしてるんですか?
【本橋さん】Facebookでもお知らせしてたんですけど、どっちかっていうと口コミです。
【根岸さん】そういうのはフェイストゥフェイスのほうがね。
【本橋さん】はい。行きたい人と。
【スタッフ】(アルバムを出しながら)これがそのお話にあった――。
【本橋さん】そうです。
【吉田さん】千葉県の? これはすごい。遠足だ。
【根岸さん】テレビでDASH村ってやってるの、ご存じないですか?
【本橋さん】知ってます。農家さんたちに、「DASH村のようにはいかないよ」って言われました(笑)。「あれは作られてるの」とか言われる(笑)。
【根岸さん】あれの影響はすごいですよね。
【吉田さん】あれはすごい。教えなかったもんね、場所をね。そうしたら、3.11が来ちゃってね……。
【本橋さん】そうですね。これもコロナで中断状態ですけども……。また行けたらいいですけどね。
【本橋さん】これはお客さんが作ってくれた写真集です。(写真を見せながら)これはみんなで演奏する音楽会。
【吉田さん】優雅ですね。ここから音色が……。
【本橋さん】これは津軽三味線の人と民謡の方。この人たちもプロですね。
【根岸さん】ここだと近所から音のクレームはないですか?
【本橋さん】朝の1時間くらいは許していただこうということでやっています。クレームが来たら大変です。
【根岸さん】すぐそこが民家ですもんね。
【本橋さん】はい。(アルバムの写真を指して)これは遠足のときの写真。
【根岸さん】おいしそうなカブだ。
【本橋さん】みんなでカブの収穫をして、農家さんにカブ料理を作っていただいてみんなで食べてるところ。現地の人との交流会ですね。それからこれは、醤油蔵の見学をさせてもらって。だから、ここのものはここで出されてますよっていう、一連のストーリーが出来上がってほしかったんですね。(別の写真を見せながら)これは美術。作品展をやったんです。
【吉田さん】「モンパルナスまちかど回遊美術館」のときはどんな展示をされたんですか?
【本橋さん】回遊美術館のときは……(写真を見せながら)この辺ですね。それ(店舗の扉の上部に掲げてある作品)が残ってます。造形の展示もありました。
……あとは田んぼに行ったときのいろんな写真があります。芋の苗も植えましたね。田んぼのあぜ道でお昼をご飯ごちそうになるんです。この人はここのスタッフですけど、もう完全に農家のお兄さんみたいになってます(笑)。
【根岸さん】特定の農家のかたとの連携? それとも地域と?
【本橋さん】特定の農家です。役場の方々と一緒の時もありました。
【根岸さん】つないでくれる人がいたんですか?
【本橋さん】はい。カルガモ農法やってらっしゃるかた。これがかわいいんだけど、かわいそうな……。
【根岸さん】食べちゃうんだもんね。
【本橋さん】最後がかわいそうなんですけどね。縁があれば一緒に談笑したり。やっぱり、「こういうところから(食材が)来てるんだよ」っていうのをやりたかったので。
【吉田さん】ああ、いいですね。
【本橋さん】これは、ここで蕎麦打ちをやったときの写真。
【根岸さん】道具があるんですか?
【本橋さん】いえ。松戸のほうから蕎麦同好会の人たちを呼んで、教えてもらいながらみんなでお蕎麦を食べる会をやったんです。
【根岸さん】そんな遠くから。
【吉田さん】ぜいたくな時間だね。
【本橋さん】これはここでバーベキューをしたときの写真。春と秋にやるんです。こうやって、さまざまなことをやってますね。
【根岸さん】(アルバムは)利用者がお作りになったやつですか。
【本橋さん】いや、こういうことができるカメラマンのお客さんがいるので。雪のときの写真がこんなだよ、とか。
【吉田さん】すごいね。
【根岸さん】スタッフにはちゃんとギャラ払えるだけの商売ができてるわけですね。
【本橋さん】はい。
【根岸さん】すごいな。アルバイト? 何人ぐらい?
【本橋さん】今はアルバイトが2人。
【吉田さん】(写真を見ながら)これはすごい。写真集みたいにきれい。
【本橋さん】これは私です。
【根岸さん】これは長崎神社の神輿?
【本橋さん】そうです。
【根岸さん】こういうときに一緒にいる人たちは、幼いときの友だちとか?
【本橋さん】これはお客さんを引き連れて行ったんです。あとはお祭りの関係の人と……これは娘です。
【根岸さん】そしたらお祭りの関係で、ここの富士塚の話に移りたいんですけど、あそこは今後どういうふうに維持されるんですか?
【本橋さん】富士塚には私は実際には関わってなくて、その会に所属させてもらってるという立場です。特に私が何か、ということは……。
【根岸さん】先ほどお父さんが、あそこの土地は所有されててっていうお話をされてましたけど、今後はそういうのはどういうふうに――?
【本橋さん】弟が引き継いでいくんじゃないかと。
【根岸さん】弟さんもここにお住まいなんですか?
【本橋さん】はい。このうちの向こう側に住んでます。
【スタッフ】ぜひ、冨士元囃子のお話を――。
【本橋さん】私がお祭好きなのと、こういう家なものでずっと身近に(富士元囃子が)あったので、民族芸能、古典をやってみたいなって思うようになったのが30歳くらいのときです。それまでは「継承者は男の子で、そういうもんなんだ」と思って生きてきたので。
【根岸さん】冨士元囃子も男限定だったんですか?
【本橋さん】はい。決まっていたわけではありませんが、そうなっていました。
【根岸さん】それが変わってきたっていうこと?
【本橋さん】変わってきたというか……私がやりたいな、って言ったのがきっかけです。
【根岸さん】子どものときはあんまりおやりにならなかったんですか?
【本橋さん】……やる環境がなかったのかな。そのときから、「私も」って言えば別にだめと言われなかったと思うんですけど、そういう感覚で見ていなかったんでしょうね。
【根岸さん】親のほうも誘わなかったかもしれないですね。
【本橋さん】あ、それは間違いなく誘わないです。
【根岸さん】私のことをちょっとお話しすると、群馬県の高崎の出身なんですけど、子どものころ、山車(だし)に乗って太鼓を叩くのを近所の印刷屋のおじさんに習ったことがあるんです。いまだにそれを手が覚えてて動くことがあるんですね。そういう意味で、子どものときの教育ってのはずっと残ってるなと。そういうことなしにやろうと思ったのは、先ほどおっしゃったお祭が好きで、日本の伝統を大事にしたいっていう観点で――?
【本橋さん】はい。
【根岸さん】今、お囃子には女性が結構入ってらっしゃるんですか?
【本橋さん】今は……そうですね。3、4人かな。出産して来れなくなってる人も入れると5、6人いるんじゃないかな。
【根岸さん】ここでは練習しないんですか?
【本橋さん】練習場所は富士塚の隣の社務所……じゃなくて、神酒所じゃなくて(笑)……あそこで練習してます。
【根岸さん】定期的にされるんですか?
【本橋さん】はい。決めてやってたんですけども、今は1年お祭もできない状態なので、集まれないし、なかなか厳しいですね。
【根岸さん】囃子を教えてくれたのは誰なんですか?
【本橋さん】私が習ったのは父からです。
【根岸さん】それを仲間に教えてらっしゃるのは誰?
【本橋さん】私が直接教えるっていうことはあんまりないですけど、一緒にやってます。
【根岸さん】やろうって思ったのは中学からのあれがあるんですね。
【本橋さん】やっぱり、あるとき目覚めたんですよね。それで「やりたいな」って言った。
【根岸さん】クラシックをやってても、西洋のものばっかりじゃなくて、自分たちのものをやりたいっていうのはありますもんね。
【スタッフ】たしか今日、笛を持ってきていただいたということで……。
【根岸さん】(笛を見て)ちゃんとケースに入ってる。設計図入れみたい。
【本橋さん】そう、設計図入れなんです(笑)。
【吉田さん】(笛を見て)わあ、すごい。
【本橋さん】しばらくぶりに出します。
【根岸さん】これ、煤竹(すすだけ)ですよね。
【本橋さん】はい、煤竹ですね。この2本が煤竹で、燻製されてるから、久しぶりに取り出すとちょっと匂うんです。これは普通の竹。
【根岸さん】ふくろ祭りでも出てらっしゃいます?
【本橋さん】行ってます。
【根岸さん】あれ、よくお祭のとき見てるんだけど。「あの人たち何かな」って思って見てたの。屋台みたいな細長いのを引っ張って……。
【本橋さん】はい。
【吉田さん】これが燻製の煤竹というやつですか?
【本橋さん】はい。これはそういう製法の笛で、こっちは燻製されてないので匂いもない。
【吉田さん】素晴らしいですね。……笛は何年ぐらいやってらっしゃるんですか?
【本橋さん】30歳くらいから始めたからもう……。
【吉田さん】楽譜はあるんですか?
【本橋さん】ないです。完全に口伝です。
【根岸さん】じゃ、ちゃんと録音をしとかないとだめなんだ。
【本橋さん】今は録音できるからいいんですけど、昔の――さっき話してた(本橋さんの高祖父・本橋)源蔵さんの音源があったらなって思いますね。
【根岸さん】今ここで音は出せるのかな?
【本橋さん】まともに演奏するには立たないとなかなか難しいですけど、音を鳴らすくらいだったら座ってても大丈夫です。(笛を吹く)
【吉田さん】すごいですね。結構な音ですね。
【根岸さん】高い音だね。
【本橋さん】曲によって変わるんです。今みたいに高音を出すものと、「筒音」って言って、もっとボーっていう音を出すものがあったりするので、使い分けですね。
【吉田さん】(別の笛を指しながら)これは音色が同じなんですか? ちょっと違う?
【本橋さん】金管楽器のB管とか、聞いたことあります?
【根岸さん】あります。
【本橋さん】(笛の端に書かれた漢数字を指しながら)この号数で(音程が)決まってるんです。和楽器は何本調子っていうんですけど、それによって音の高さが違う。これが5で、こっちが6なので、高さが違うんです。
【根岸さん】要町にある楽器屋さんには売ってますかね?
【本橋さん】和楽器屋さんだから売ってるんじゃないかと思いますが、要町で購入したことないのでわかりません。
【吉田さん】音が柔らかいですよね。なんでだろう。ここ、反響するのかな? すごいんでしょうね、ここで音楽会やると。
【根岸さん】(祭の写真を見ながら)このお囃子で一緒にやってた人だとは全然、思ってもいなかった。鉢巻きしてやってるんですか?
【本橋さん】お囃子は浴衣と半纏が正装です。ただ、ほとんど半纏・どんぶり・股引・ダボシャツといったお祭衣装を着ています。
【根岸さん】そうすると、(笛を演奏する)場所はお祭だけですか?
【本橋さん】あとは、民俗芸能の舞台とか、獅子舞とも一緒にやってます。
【根岸さん】長崎の獅子舞のとき?
【本橋さん】長崎の獅子舞じゃなくて、冨士元囃子の獅子舞があるんです。獅子舞のほかに、おかめとかひょっとこ、大黒舞なんかが付随芸としてあって、宴会の席とか祝いごとに呼ばれて行ったりしますね。私としては、冨士元囃子連中のメンバーの一員という感じで冨士元囃子をやっています。
【根岸さん】「引っ張る」という感じではなくて、仲間として楽しんでるということですね。お囃子の次の世代はどういうふうな育てかたを考えてらっしゃいます?
【本橋さん】そうなんですよね……。やっぱり後継者がいなかったんですけど、今ようやく育ってきてます。高校生くらいになる女の子なんですけども、明日も(自由学園)明日館(みょうにちかん)に(父と)一緒に(文化財保存に関するイベントに)行くと思います。
【根岸さん】1人でもいれば、つながりますもんね。
【本橋さん】そうですね。あとは、今いるメンバーのお子さんたちが少しずつ成長しています。
【吉田さん】どこも後継者の問題ってあるね。
【本橋さん】そうなんです。やっぱり、そんなに簡単な楽器じゃないので。
【根岸さん】笛は特にね。
【本橋さん】口伝だし、みんな違うし。
【根岸さん】ビデオか何かに撮ったりしたんですか?
【本橋さん】ええ。もう何本もあって、練習の度に自分で録音して、それを持って帰って聞いてやってます。
【根岸さん】笛は、値段は高いんですか?
【本橋さん】ピンからキリまであって、練習用の笛は数千円で買えるけども、万単位のものもあります。
【根岸さん】やっぱり、魅力をどうやって表現して若い人を引っ張ってくるか、だね。
【吉田さん】ここは古民家カフェっていうので、皆さん、いらっしゃるんですか。それとも、これ(笛)がフックになっていらっしゃる?
【本橋さん】笛とここはまったく関係ないです。私が笛をやってるっていうだけなので。ここの名前は「藤香想」っていうんですけど、私のやりたいのはどっちかっていうと――「集う家」って最初に名付けてるんだけど――いろんな人がいろんな想いでここを利用して、関わり合っていきたいなと思ってるんです。それぞれの舞台にしてもらえるといいかなと思ってるところです。
【吉田さん】そうすると、今は絵画の展示と、音楽会?
【本橋さん】はい。あとはお教室もあって。お米はコロナが明けたら復活させていきたいんですけど、次に試みようと思ってるのは、民俗学の講座。今、ようやくスタートしたところです。私たちの過去から継承されてきたものが、いかに未来に伝わっていくのかっていうところを、近くに住んでいる先生にいろんな視点からお話をしていってもらおうかなと。
【吉田さん】民俗学の先生が? いつからやるんですか?
【本橋さん】もうスタートしてて、今月(11月)は22日に。
【根岸さん】なんてかたですか?
【本橋さん】岸澤(美樹)さん。先月は「月」についていろいろ語っていただいたんですけど、今度は11月なので七五三について。季節ごとにテーマを決めながらやっています。
【吉田さん】そうしたら毎月できますね。募集はどうされたんですか?
【本橋さん】募集は先生からと、ここからの発信なんです。興味を抱いてくれる人をどうやって集めるかっていうのが今、課題です。
【根岸さん】受講料は、コーヒーを飲んでもらってという感じ?
【本橋さん】はい。基本的にはそんな感じにしようかなと。
【吉田さん】すごく集まりそうな楽しいテーマですよね。
【本橋さん】なかなか楽しいだろうなと、私自身は思うんですけれどね。
【根岸さん】それこそ富士講がらみで富士山信仰とか。そういうのもやっていただくとおもしろいかもしれないですね。
【吉田さん】富士講も知らないかた多いですよね。
【本橋さん】そうですね。富士山の話は、ここが建って間もないころに6回くらい富士講の講座をやったことがあります。弟がすごく詳しいので。弟を呼んできて、ここでやってほしいと頼んだんです。
【吉田さん】それはいいですね。
【本橋さん】この間も「またやらない?」って言ったんですけど、彼は目下、立教のバスケットボールのコーチをやってるらしくて、今年初めてインカレに行って忙しいからだめだとか言ってて。
【スタッフ】こちらで曲を作られたお話も……。
【本橋さん】(CDを見せながら)これは、ここの1周年記念のときにお客さまが作ってくれた曲なんです。店のホームページを開くと、この曲が流れるようになってます。
【吉田さん】聴きました。ものすごくきれいな、いい曲ですよね。
【本橋さん】これが1作目で、今2作目を手がけてる最中で。2作目は今度、自分たちで作ってしまおうと思ってるんです。
【吉田さん】歌ってっしゃるのがそうですか?
【本橋さん】これは違います。これを歌ってるのは作曲者です。2曲目はもう少し、みんなで合唱できる曲にしようっていうことで、今その曲が出来上がったので、デモを入れて歌ってもらうんだけど……。今またコロナで、なかなか。
【根岸さん】合唱ができないからね。
【本橋さん】どうやって録音しようかなっていうところで……。曲は出来上がったので目下、取り組み中です。こういう曲をずっとためていって、近いうちに藤香想のアルバムを作ろうというプロジェクトがあるんです。
【吉田さん】藤香想の「香」は香里さんの「香」から?
【本橋さん】そうです。
【吉田さん】いい名前ですよね、本当に。藤香想。この曲は、すごく穏やかになる曲ですよね。
【本橋さん】こういうことが本当に、私が一番うれしいことなんです。ここに来てくれるかたたちがつながりを持っていただけるっていうことが、すごく幸せなんですね。九州のほうに引っ越しちゃったかたが、緊急事態宣言が明けたときに「東京で仕事があったから」ってふらっと来てくれて。もう涙が出るくらい、そういうことがうれしい。「今、こんなことやろうとしてるんだよ」って話をしたら、「いいね!」って言ってくれる。
【吉田さん】素晴らしいですね。
……じゃあ、今後は民俗学の講座とかカルチャー発信みたいなことをやりながら、みんなの集う家ということで――?
【本橋さん】はい。そういうのをやっていきたいなっていうところが一番ですね。できれば、私がもうちょっと外に出て、この辺でも活躍してるかたたちがいらっしゃるので、地域のかたたちと一緒にやろうよって言っていけたら一番いいのかなと思うんですけど、今は自分に余裕がなくて。最近、自分で考えてたことなんですけど、モチベーションを保って継続していくのが私、苦手なのかなと(笑)。コロコロといろんなことをやっては変えてるから、ここを7年も続けてるのが快挙みたいなものなんです。
【吉田さん】やっぱり、ぴったり合ってたんでしょうね。時間があると資格を取ったりした経歴を見てるとね。
【本橋さん】音楽に関しては小さいころから一貫してて、自分の中の基本だなとは思ってやってるので、音楽にまつわるものは今もやってるし、好きなんだなって思います。
【根岸さん】コンサートなんかは、邦楽とか試みてもおもしろいんじゃないですか?
【本橋さん】いろんな音楽をやっていきたいですね。自分は残念ながらプレイヤーとしてはいまひとつ未熟なので、プレイヤーとしてやってきた人たちにここをどんどん使っていただけたら一番いいかなと。
【根岸さん】雑司が谷に東京音大の民族音楽研究所みたいの、ありますよね。ガムラン音楽とか、ああいう人なんかいいよね。東京音大は本拠が中目黒に引っ越しちゃったけど。
【本橋さん】人が集まれなかったのでしばらくお休みしちゃってたけど、今また少しずつ、いろんなお話が来てますね。今までにお話をしていたミュージシャン、芸術家のかたたちがいらっしゃって「またぜひお願いします」って言ってくれるから。
【吉田さん】いろんなことができそうですよね。
【本橋さん】業態がカフェなので「飲食店」なんですけども、私のなかでは飲食は後づけで、まずはこういう誰もが来れる、集まれるところが必要だった。そこに、ちょっと味気ないから食べるものとか飲むものがあったらもっといいよね、ってということでこの状態になってるんです。
【吉田さん】近隣から音に対して何かが来なければ、本当に最高の立地ですよね。
【本橋さん】アコースティックで、時間もどんなに遅くても20時までにしてるので、今のところそれは大丈夫です。もともと日曜の朝に定期的な音楽会をやりたかったんですね。朝といっても10時から11時くらいで、簡単な音楽会から1日がスタートするのが幸せかな、っていう。
【根岸さん】近所の人が朝の散歩がてら、ぱっと来てコーヒーを飲んで音楽を聞くにはいい時間帯ですよね。
【本橋さん】ええ、そういう感じをイメージして。みなさん日曜日の朝早くはなかなかね(笑)。
【吉田さん】みんな忙しくてね。
【本橋さん】そう、難しいですね。
【吉田さん】今度は弟さんの富士講の講義を受けたいですね。ぜひ聞きたいです。
【本橋さん】おもしろいですよ。
【吉田さん】本当に素晴らしい場所でお話をどうもありがとうございます。
【根岸さん】どうもありがとうございました。
(了)