インタビュー全文テキスト

■栗林知絵子(くりばやしちえこ)さんインタビュー


令和4(2022)年1月31日、13時30分~16時00分、「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」事務所にて
 
【栗林知絵子さん(以下、栗林さん)】よろしくお願いします。
【吉田いち子(以下、吉田さん)】(「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の)賛助会員をさせていただいております。
【栗林さん】最初の頃からお世話になりまして。ありがとうございます。
【吉田さん】「おせっかいバッジ」の頃から本当に素晴らしい活動だと思っていました。
【栗林さん】おせっかいバッジね、懐かしいですよね。
【吉田さん】ネーミングがまた素晴らしくてね。
【栗林さん】これは公募でね。小学生から「もっとおせっかいしましょう」バッジデザインの募集をつうじた啓発イベントでした。
【根岸豊さん(以下、根岸さん)】私は、NPO「いけぶくろねっと」と豊島区の遺跡調査会をしています。あとは(みらい館)大明で設立するときから理事として入っていました。
【吉田さん】私はNPO「『としまの記憶』をつなぐ会」(の副代表理事)と図書館専門研究員をさせていただいています。WAKUWAKUさんはかなり前、おせっかいバッジができた頃に知って、なんてすごいことをされている方がいるのだろうと感動したことがきっかけでした。今回、プロフィールを読んで、今まで私が抱いていたイメージと180度変わる感覚を持ちました。今までは、本当にお好きでボランティア活動をされているのかなと思っていたところが、かなりご苦労されて、知恵を絞られているっていうことがわかってきました。
【栗林さん】でも、好きでやっています。そこは変わらないですね。
【吉田さん】「おせっかい」って言葉が私の胸にじーんと響きまして、素晴らしい活動の原点だなと思いました。
【栗林さん】本当はおせっかいな人っていっぱいいるのですが、それがつながらないと、なかなか「おせっかいしていい空気」は生まれないですよね。
【吉田さん】私も結構おせっかいですけれども、やめといたほうがいいよって言われること多いので、今日はやりかたをちょっと教えていただこうかなと。
……根岸さんとは(みらい館)大明が栗林さんとの最初の出会い?
【栗林さん】うちの子が大明小学校だったのです。あの地域自体が、みんなで大明小を残していこうっていう行動に移すような、おせっかいな地域ですよね。
【吉田さん】子どもの頃の夢は? 何かになりたいとかありましたか?
【栗林さん】子どもの頃はピアノをやっていて、音楽の勉強をするなかで成長したので、なんとなく音楽に携わることをしたいなっていうのはありました。『大人って楽しそうだな』ってよく思ってましたね。
【吉田さん】そうですか。学校で化学科に入られたのは、家業の関係ですか?
【栗林さん】いや、全然関係ないのです。ちょうど中3のときの仲の良い友人が高専生で、突然母に、「私、高専行く」って言い出して行ったっていう、それだけです(笑)。
【吉田さん】それが理由? なるほど(笑)。
【根岸さん】動機としては一番立派ですよ(笑)。
【栗林さん】入ってみたら高専って高1から短大の20歳までの年代がいて、ほとんどが男子。毎日が楽しくて「ピアノなんてどうだっていい!」と。
【吉田さん】学校を卒業してからは、先生の勧めた会社に就職したと。
【栗林さん】はい。会社は日本橋で、その会社が持っていた建物が巣鴨にあって、そこに住んでもいいということだったので、上京してアパート探しはせずに、そこに住みました。
【吉田さん】朝日小学校の近く?
【栗林さん】そう、今もあります。近くにスーパーがあって、学校の向かいに公園があって。あの辺には8年ぐらい住んでいました。
【根岸さん】8年間、おもにどういうことをやっていたのですか?
【栗林さん】私は試薬会社の臨床試薬部という部署でほとんど出張でした。営業と一緒に病院に出向くんです。会社の同期はみんな薬学(大学)の出で、高専卒業で入ったのは私だけでした。だから会社の男性も友だちもそういう人たちばかりで、会社の人の結婚式のときに、うちの夫が2次会に友だちとして来ていて。夫は池袋で私も巣鴨で近いから「じゃ、今度食事でも」と。
【根岸さん】そういうことか。
【吉田さん】ご縁があったのですね、池袋と巣鴨で。
【根岸さん】同じ業界にいたのですか?
【栗林さん】夫は自営で空調の仕事をしていました。今はやってないので、ここ(事務所)を私が占拠しちゃった。夫とおじいちゃんが二人三脚で仕事していたけれど、おじいちゃんが病気になり、夫は自営を閉じてサラリーマンになりました。
10年ぐらい前かな。
【根岸さん】その頃、大明とお付き合いが?
【栗林さん】息子が1年と3年のときに大明小が(閉校になった)。だから下の子は1年間しか行ってないです。
【根岸さん】大明小は池五(池袋第五小学校)と合併しちゃったからね。
【栗林さん】そうです。だから卒業したのは2人とも(統合後の)池袋小学校。
【根岸さん】池袋小学校でもPTA活動を?
【栗林さん】いえ、プレーパークの活動のほうが忙しくて、両方はできないなと思ってやらなかったですね。
【根岸さん】プレーパークと関わるようになったきっかけは?
【栗林さん】自然があるところで自分の子どもを遊ばせたいと思って、区が開いたワークショップに参加したんです。そしたら、場所も決まってて、全て準備が出来上がってるようなところで。私の友だちも参加したんですけど、みんな辞めてっちゃったんですね。
【根岸さん】世田谷の羽根木の冒険遊び場協会のリーダーの人に講演を頼んでいましたね。
【栗林さん】ワークショップの1回目だけ、その方たちが来てくださった。
【根岸さん】じゃあ、プレーパークに関わりながら山本道子さんなどと――。
【栗林さん】ええ、そのワークショップも町会の方などが参加されていて。当時、私は本当に地域活動とか全くわかってなくて、ただプレーパークに関心があって行っていたんです。
【根岸さん】プレーパークはどういうところ? 火も焚けるとか。
【栗林さん】火は、当時は週1、今は毎日使えます。
【根岸さん】木登りしたりできますよね。
【栗林さん】そうですね。ただ、「プレーパーク」とはいっても、下が砂利や石ころだらけでした。それと入り口のゲートが(肩幅くらいのジェスチャーをしながら)このくらいで、まわりにフェンスが張りめぐらされている。この狭い入り口をあえて入る人しか来ない場所だったので、乳幼児を連れた親子というよりは、おのずと小学生が子ども同士で来る場所になった。開催日も最初からなぜか水曜と金曜の14時から17時。それと土日の朝から夕方。乳幼児の親子連れが来るのを見込むのだったら、平日の10時から13時とかにしないといけない。だから、最初の設計は小学生をターゲットにしたプレーパークだったのですね。
【根岸さん】常勤の職員は雇わなかったのですか?
【栗林さん】当時は時給800円の有償ボランティアで2人のプレーリーダーを配置しましょうということでした。ただ、14時~17時の水・金だけだったので、登録の人を何人もお願いして入れる日にちを聞いてシフトを組むという形になるので、綱渡りの運営でしたね。土地の端に木があるけれども、そばにフェンスがあるから、なかなかその木を使って遊べないし、真ん中は砂利だからちょっと危ないし……、という条件のプレーパークでした。
【吉田さん】砂利は危険ですよね。
【根岸さん】危険だからおもしろい、子どもは。
【栗林さん】子どもが冒険してケガをするのと、管理不十分のケガって、違いますよね。ガラスが落ちているところに転んでケガをするのと、子どもが冒険して結果としてケガをするのとは全然違う。
【根岸さん】そうですよね。プレーパークの運営委員会みたいなのは月に何回ぐらい?
【栗林さん】1回です。当時、現場を運営するっていうことでは、本当に私だけでしたね。
【根岸さん】じゃ、どういう子どもがいるとかいう情報を持っているのは1人しかいなくて、ミーティングでそれを報告すると。
【栗林さん】そもそも「池袋本町プレーパークの会」のメンバーは、山本道子さんと地域の方2人くらいの会で、なぜか私が代表になってしまったんです。
【根岸さん】そのときに、役所に対する思いとかは何かありました?
【栗林さん】何をやればいいんだろうって思いながら、とにかく自分の子どもと一緒に行ってたんです。そしたら、ご飯食べてないって言ってくる子どもに会うようになって。でも、地域の方に相談しても『それは親の責任なんだからしょうがないわよ』って言われる。イベントのときにも、『何々さんちのお孫さん』『近所の何々ちゃん』とか、知っている子には『いっぱい食べなさいね』って言うんだけど、知らない子が――本当にお腹を空かせてる子が何度もおかわりしていると、なんとなく『あの子、何回目よ、分けなくていいわよ』みたいな空気になっちゃう。それから、そういう子たちのことを行政に伝えても、子ども家庭支援センターにつないでくださいとかいわれる。それでも、お腹空いたって言ってくる子はいるわけです。だから、つなぐことも大事だけど1回でもいいから一緒に食べるのもいい影響があるかもしれない。私たちはこの現場でできることをやっていこう、という感じでいましたね。
【根岸さん】そういうときの経験がいろんなところにつながっていると。
【栗林さん】そうかもしれないですね。5年目くらいから『遊び場でもあるけど〈居場所〉なんだな』って思うようになりましたね。例えば、平日はプレーパークにみんなと来るんだけれども、日曜だけは1人で遊んでる6年生の子がいる。他の子は土日に少年サッカーとか少年野球に行くから、その子は行くところがなくて日曜の朝から夕方までいるんです。『俺だって中学校に入ったら野球するんだ、お母さんがユニホーム買ってくれるって言ってるから。俺もやるんだ……』とか言いながら。当時は雨が降ると閉めなきゃいけなかったので、帰ろうとすると、泣きそうな顔で『本当にやめちゃうの……?』って言ってくる子とかね。その子はずっと車の中で暮らしてたそうで、来ても私と遊ぶわけではない。だから本当に〈居場所〉なんですね。当時は私、そういう子を施設に保護するとかいう発想が全然なかったんです。そういう仕組みとか、虐待されてたかもとか、知らなかった。……そういうことがあって、ずいぶんと胸が締めつけられる思いをしましたね。
【根岸さん】栗林さんの今の活動の原点になったわけだ。
【栗林さん】その子はずっと車の中で暮らしていた。その子、来ても私と遊ばないのですよ。だから本当に「居場所」なんですね。ベンチに連れて行って「おしゃべりしよう」とか「好きな歌は?」と聞くと『大阪で生まれた女』とか歌ってくれるのです。車中で聴いていたのかも知れません。当時はそういう子どもを施設で保護するということを全然知らなかった。その子が突然いなくなったので驚いて学校に聞いても引っ越し先を教えてくれなかった。今思うとその子どもは施設に保護されたのかな。
 
【根岸さん】プレーパークが閉鎖しているときにはどういう動きをしていましたか?
【栗林さん】当時、プレーパークに関わる数名の運営の人たちと、存続させるための計画をしてたんですけど、行政からは『場所がないので存続はできない』って言われてたんです。その人たちに、中学生のT君の受験サポートも頼んだら、『プレーパークの存続が大変なときに、なんでまた別の厄介なことを』って言われて。それで、別の人たちに彼の受験サポートの相談をしたら、一緒に勉強サポートをすることになりました。さらに受験合格したあとも、『引き続きSOSが出せない子たちの居場所をつくろうよ』というグループができ、地域も巻き込んだネットワークができました。結局、その人たちがプレーパークのことを気にかけてくれて、閉鎖の事情を話したら、『あそこは大事な居場所よ!』って、いろんなところに声をかけに行ってくださったんです。ちょうどそのタイミングで、今のプレーパークの地主さんが「公園の地続きだから区に売りたい」って相談をして、結果的に区が購入できた。だから本当に、奇跡なんです。
【吉田さん】奇跡ですね。
【栗林さん】本当に奇跡です。
【根岸さん】あとは西口の芸劇(東京芸術劇場)の前で移動プレーパークをやってたのを見たことがある。
【栗林さん】そうですね、出張プレーパークっていってね。大人がもうちょっと、子どもが自由に遊ぶ姿を見ていろいろ思い出してほしいなっていうことでね。
【根岸さん】そういうアピールの場所でもあったのか、あそこは。
【栗林さん】そうですね。
【根岸さん】そっか。前の、噴水がある公園のときでしたね。
【栗林さん】ゲームを開発して売るのも大人だし、便利な社会をつくるのも大人。その大人が、「子どもにとって遊びは大事だよね」って気づかないと、禁止事項のない遊び場、環境がどんどんなくなっちゃう。だから大人に「俺もあんなふうに遊んで楽しかったな」って思い出してもらって、そういう場をみんなでつくっていけたらいいなっていう思いで、出張プレーパークをやりましたね。
【根岸さん】そういうプロセスでだんだんNPOになっていったと。
【栗林さん】NPOになったのは、区側に「できればプレーパークをNPOに委託という形で運営したい」という意向があり、「じゃあ、プレーパークの存続のためだったらNPOにしようよ!」っていうことで。
【根岸さん】それがひとつの大きなきっかけだったわけだ。
【栗林さん】そうです。そのときに、誰とどうやってつくればいいのか考えて、子ども食堂を一緒にやっていた山田和夫さんと、それからプレーパークは町会の山本道子さんなしではできないから山本さんにも理事になってほしいとお願いしました。
【根岸さん】いろいろネットワークができたのですね。
【栗林さん】そうですね。
【根岸さん】WAKUWAKUっていうネーミングの由来は?
【栗林さん】私が「大人って楽しそうだな、早く大人になりたいな」って、子どものときに思ってたんですね。子どもって、いきいきした楽しそうな大人を見て、早く大人になりたいなって思うから、そう思ってほしいなと。この先、いいことが待ってると想像できない社会はすごく嫌だなと思って。
【根岸さん】それで、「WAKUWAKU」に?
【栗林さん】はい。あと、あえてローマ字にしたのは、子どもって、(A)危なくて、(K)汚くて、(U)うるさい生き物なんだけど、それを許す社会であってほしいから。それが子どもなんだから。今って結構、すごくおとなしくてものわかりのいい子が「いい子」とされてしまう。でもそうじゃないよね、っていう。子どもの、危なくてうるさくて汚いところを、笑って見守られるような社会にしたいなと。
【根岸さん】それこそ、そういうなかで創造性なんかできるんだもんね。
【栗林さん】そういう社会だったら、子どもの声がうるさいとか、出ないんじゃないかなと思いますね。
【根岸さん】ネーミングが実現できる社会がくるといいですね。
【栗林さん】そういうなかで育った子がそういう世界をつくるだろうと思いますね。ただ、豊島区は今、子どもの権利を真ん中にした施策をつくっているから、そういうなかで成長した子たちが、ジェンダーとか、いろんな意味で平等な社会をつくっていってくれるのかなって。ていうか、それが当たり前になっていくっていうか。そうだといいなと思いますね。
【根岸さん】WAKUWAKUの会報はどういうところに配られてるんですか?
【栗林さん】会費をくださっている方とか。
【吉田さん】私のところに来ますよ。
【栗林さん】(表紙の写真のTシャツを指しながら)これはJAMMINっていう、Tシャツで社会課題を発信していく団体がデザインしたもの。
【根岸さん】WAKUWAKUのホームページで息子さんと写ってるやつ?
【栗林さん】そうですね。これはうちの夫です。多様な仲間が明るい未来を目指していこうっていうTシャツなんです。(別の号を見せながら)今ちょうど、「WAKUWAKU入学応援給付金」っていって、高校進学するときに制服代とか用意できないっていう声があるので、寄付金でお祝い金を手渡すっていうのをやってるんです。そのために初めてクラウドファンディングをしたときの記事がここに書いてあってて、湯浅(誠)さんに「区長みたいだね」と言われた(笑)。「(栗林さんは)『豊島区はこうなるといい』とか語るから、区長みたいだね」って。
【根岸さん】これ、栗林さん、PDFか何かにしてホームページに載っけとけば?
【スタッフ】(表紙に載っている)カエル(のロゴマーク)はおせっかい(バッジ)の――。
【栗林さん】そうなんです。おせっかいバッチのデザイン募集をしたときに、そのデザインが2位か3位に選ばれて。大賞じゃなかったので、私たちのロゴにいただいたんです。
 
【吉田さん】理事のみなさんはそういう活動をされてた方が多いんですか?
【栗林さん】はい。そういう活動をしてる人たちでNPOをつくったので。そういえば1月7日に認定の認証がとれました。
【根岸さん】すごいんだよ。なかなか大変でしょう。寄付すれば、税控除が受けられるから。
【栗林さん】寄付すると、住民税も控除になるんですって。
【根岸さん】認定はなかなか取れないから。そういう作業をやるのも大変だったでしょう。
【栗林さん】これが、WAKUWAKUは本当に全て成り行きの団体で(笑)、今、名簿管理とか全部やってるのは、子ども食堂にボランティアに来てた方。今もボランティアしながら名簿のほうもやってくれてて。会計をやってくれてる方も、ずっとボランティアで子ども食堂と学習支援に来てた人で、公認会計士だというので、「ぜひWAKUWAKUでお願いしたい」って頼んだら、「フルで働いてたところを去年、引退したけど(仕事は)やり続けたいから、ぜひやらせてください」って言ってくださって。
【吉田さん】栗林さんの徳だよね。徳を積んできたというか、徳がおありになるんですよね。
【栗林さん】関わる方たちがこの団体を理解した上でやってくださっているんです。ガチガチな組織になっちゃうと柔軟な活動ができなくなるから、柔軟な部分を残しながらやりたいねって言っています。ありがたいですね。
【根岸さん】書類が結構大変。役所と委託契約やるときも大変だよ。
【栗林さん】でも、弁護士さんも入っているので。それも、学習支援をしている弁護士さんがそのつながりで理事に入っている。「本当に大変だから、ちゃんとそこは僕がブレーキかけるから」って、しっかりチェックしてくれる。
【根岸さん】そういう環境ができたっていうのがね。
【栗林さん】みんなボランティアから続けている人たちなので、思いがあるというか。同じ思いを持って活動しているので、お互いを批判することなく、うまく回ってくんでしょうね。
【根岸さん】それが持続の秘訣かな。
【栗林さん】そうですね。
【根岸さん】1人が独裁的になるとだめになっちゃうからね。
【栗林さん】みんなで進むっていうのがいいなと思いますね。
【根岸さん】じゃんじゃん意見を言ってくれる人たちが周りにいらっしゃるから継続できる。
【栗林さん】一番何にもできないのが私(笑)。
【根岸さん】いろいろな人たちがまわりにいて、人間関係ができて、システムができあがるっていうのはすごいよね。WAKUWAKUは会員制ではないんでしょう?
【栗林さん】会員制。会員はいますよ。
【根岸さん】会員は何人ぐらい?
【栗林さん】会員は18人です。
【根岸さん】あとはボランティア?
【栗林さん】賛助会員の方はたくさんいらっしゃいます。
【根岸さん】会費は?
【栗林さん】年3000円で賛助会費は500円。
【根岸さん】1回のお昼代だ。出入り自由なんでしょう?
【栗林さん】そうですね。
【根岸さん】あんまり厳格に組織としてがっちりやるとね。
【栗林さん】そうですね。なので、もちろん計画も立てるんだけども、ニーズさえあれば、途中から新しいことをどんどんやっちゃう。
【根岸さん】そういうのが普通はなかなかできないからね。プレーパークはいろんな事例があるから、役所の連中も学んでることがあると思うんですよね。あんまり規制しないでやらないといけないっていう。それは、区の職員の知恵が少しあると思うけどね。
【栗林さん】あの運営は区じゃ到底できないし。寒くても真夏でも、朝10時から17時まで暖房も冷房もないところだから。
【根岸さん】小屋か何かつくってないの?
【栗林さん】小屋はありますけど、人が入れるような小屋じゃない。10年たって、ようやくこの前、電気を通してもらったんですよ。今回、区が「電気ぐらい通しましょう」って。
 
【栗林さん】そういえば、NPOつくる前に――プレーパークにいる子どもたちと関わるようになってから、年越し派遣村のニュースを見て「貧困」っていう言葉を知って、貧困問題に関心を持つようになってたんです。それで、「不登校・ひきこもり研究所」の天野(敬子)さんを思い出して、天野さんに会いに行ったんです。「天野さん、私、子どもの貧困ってすごく関心があるんだけど、どう思いますか?」っていきなり言ったら、天野さんが「来月こういうイベントやるから来てね」って言ってくれた。それが『「ホームレス」と出会う子どもたち』っていう(ドキュメンタリー映像を上映する)イベントだったんですね。それでその映画を見に行った――というところから、天野さんとのご縁ができたんですね。
【根岸さん】いろいろきっかけがあるんですね。
【吉田さん】きっかけと行動力ですよね。
【根岸さん】仲間と場所ですよね。
【栗林さん】そうですね。私が気になっていたプレーパークの子どもを『「ホームレス」と出会う子どもたち』の上映会にも連れて行ったんですけど……、自動販売機を壊したり。その後、少年院に行って、戻ってきたときにちょうど豊島区が若者調査をしてたので、勝手にインタビューして区に出したんです。そういう子どもたちの声って、こっちから拾ってかないと、行政には〈健全〉な若者の声しか届かない。その子も『結局は褒めてもらいたいんだよな……』って言ってて。子どもってみんなそうなんだな、と思いましたね。それで、近くの保護司さんと一緒に、区の助成金に申請するための企画の書類を、その子と書いてプレゼンしたんです。だけど、その子の案は支持されなかった。当時は、非行の子どものための活動に関してなかなかうまく仲間もつくれなかったし、誰も賛同してくれないときに仲間は大事だなと思いましたね。
【吉田さん】お話伺っていると、知らないことが多過ぎてびっくりしちゃって……。中学生で少年院に行くって……、そういう子に対応していかなきゃいけないと。
【栗林さん】そうなってしまう背景には、褒められる環境がなかったり、寄り添ったり、気にかける人がいなかったりっていうことがあるんじゃないでしょうか。
【根岸さん】最近、ラジオで民生委員の宣伝をいっぱいしているでしょう。
【栗林さん】していますね。
【根岸さん】民生委員が足りなくなっているんだよね。結構そういう子どもたちのために民生委員の人が動いているんですよね。
【栗林さん】民生委員制度って、そもそも戦前の岡山で、食べられない子どもと母子の現状を知った知事さんが方面委員制度っていうのをつくって、そこから(戦後)民生委員制度ができたって聞きました。やっぱり、世の中で一番弱い立場って子どもだと思うんです。お金だって持ってないし。だから、子どもを真ん中に新たな仕組みとかできるといいなと思いますね。子ども食堂の取り組みだって、ほかの家の子どもでもお腹いっぱい食べさせたいっていう思いで、6000か所にも増えましたしね。
【根岸さん】民生委員になる前からそういうことやったんですよね、ある意味では。
【栗林さん】私? どうだったかな。この地域の民生委員さんがちょっと体調崩したときに、「お前、子どものことばかりやってないで、高齢者もいるんだから」って言われて。「それは当たり前ですよ、もちろんやりますよ。地域で困ってる人がいたらもちろんやりますよ」っという感じで引き受けたんですね。でもやっぱり、そういう支えの仕組みって子どもが真ん中にいるんですよ、民生委員制度もそうやってできたわけだから。今、民生委員になる人がいないかもしれないけど、子ども食堂をやりたいって人たちはたくさんいるし。
 
【根岸さん】WAKUWAKUが組織として広がるきっかけとか、安定的に資金を得る方法とかは、どういうところからノウハウを?
【栗林さん】ノウハウ知らないんです。これから勉強したいです。
【根岸さん】自然とお金が集まってきている。
【栗林さん】この状況の子どもたちに何かできることをしたいって思う人は、私だけじゃないんだなっていうことでしょうね。
【根岸さん】それで結果的に集まっているということか。
【栗林さん】だって、想像してみてくださいよ。子どもが「おうちにお金がなくて、うち、大丈夫かな? このまま生活できるのかな」とか思いながら暮らしているって想像したら、苦しいですよね。実際に、うちで勉強を見ていた子がここに来たときに初めて――プレーパークではそんなこと一言も言わなかったんですけど、「俺、お金の心配しない日なんて一日もない」って言ったんですよ。泣きそうになりました。
【根岸さん】中学生?
【栗林さん】中3です。「うち大丈夫かなって、いつも思ってる」って。彼は合格しましたけど。そのあとで、同じ中学の子3人が我が家に来て「お金の心配しない日なんてないよね」「いつも不安だよね」みたいな話をしていたけど、それって親の責任にしていいのかな、と思いますよね。「家がそうなんだからしょうがないじゃん」「人のうちのこと立ち入るな」って意見もあるけど、子どもの責任ではないし、何かできることがあるんじゃないかなって。それを考えたいですね。
【根岸さん】進学の問題もだけど、コロナのときに食べられない子はいっぱいいたでしょうね。給食があるかないかで、だいぶ違うみたいだし。
【吉田さん】休校になったりもしていますよね。
【栗林さん】夕方会いに行って、「今日、何か食べた?」って聞くと、「食べてない」って言う子は本当にいます。その子は、ずっと寝ている。
【吉田さん】自分が断片的な取材しかしてこなかったなっていうのが、つくづくわかって非常に恥じています。子ども食堂に来て、みそ汁一杯でもお母さんに持っていきたいって言っていた小学生とかいましたからね。それぞれの家庭が見えないからこそ、想像でしかないよね。だから行政の力でやらなきゃいけないと思うけど、そこまで回らないんでしょうね……。だって、栗林さんみたいな方がいらっしゃるから、今もWAKUWAKUのネットワークが広がっているわけで、みんなが「他人のことなんてどうでもいいわ」って人ばっかりだから、そういう子たちの声が届かないですよね。今後はどういう活動を?
【栗林さん】「子ども」って一口に言っても、ゼロ歳と15歳とでは支援のメニューも必要としているものもすべてが違うから、関わり方も違う。だから、いろんな団体があっていいと思うのです。若者支援をする団体、妊娠中に頼るところがない女性の支援をする団体、私たちみたいに「とにかくおせっかいしていきましょう」という団体。多分、どれも必要なんだと思うんです。そういう団体が情報共有して連携してというのがとても大事なのかな。
【根岸さん】僕が子どもの頃は近所の人たちが食べさせてくれたりね。隣の家が見えるんですよ。それで、「あの子、食べてないな」とか気がついたら情報がまわるから。お醤油が足りないと隣のうちからもらってくるとか、そういう関係だった。それが社会で子ども育てることだったんだけど、今はそういう関係が切れちゃってるから、別な何かが必要なんでしょうね。僕が育った昭和20年代はそんな感じがあったんだけどね。
【吉田さん】今は、余計なことするなって言われるんですよね。
【根岸さん】怪しいって言われちゃうね。公園で、ちょっと小さな子に声掛けると――。
【吉田さん】怪しい、誘拐だ、とかなっちゃうんですよね。
【根岸さん】そういう時代になっちゃったからな。
【栗林さん】だから、このおせっかいバッジは、付けてる人は危ない人じゃないよっていうのがわかるものとしてつくったの。そしたら困ってる人も「すいません」って声掛けやすい。「この人、おせっかいさんなんだな」と思って、「ちょっと手貸してくれますか」って言いやすいよねっていうことでつくったんです。
【スタッフ】「おせっかい」という言葉は、息子さんの作文がきっかけでしたでしょうか?
【栗林さん】息子が、200字で池袋の紹介をしなさいといいう作文に、「この町には栗林知絵子っていうとてもおせっかいな人がいます。困っている人を見るとすぐに声をかけます。この町には他にもおせっかいおじさんとおせっかいおばさんがたくさんいて、町の交流が豊かです。だから僕はこの町が大好きです」という作文を書いたんです。その作文が数年後に出てきて読み返したときに、「うちの子は、私が見えないところで地域のいろんな人たちに声掛けてもらって、この町が好きになっていったんだな」と教えてもらったというか。
【根岸さん】そういうのをなかなかやる人がいないから子ども食堂が始まったのですね。
【栗林さん】そうですね。みんな、自分の子だけじゃなくて、地域の子みんなが大事という思いからですよね。
【根岸さん】共働きが多くなって、自分の子どもすら見られないですもんね。
【吉田さん】そうだね、地域で面倒見るというかね。
 
【根岸さん】山田(和夫)さんも(みらい館)大明のパソコン講座に来たことがあった。「パンを売るシートを印刷する方法を教えてくれ」って来たことがあって、何回か(子ども食堂に)伺ったことある。
【吉田さん】山田さんって子ども食堂の方?
【栗林さん】そうです。
【根岸さん】フランス大使館にも呼ばれてね。
【栗林さん】そうですね。山田さんは子ども食堂もやりながら、あそこでホームレスの人たちにあげるパンを焼いたり、TENOHASI(てのはし)というホームレス支援のNPOが世界の医療団の人たちと一緒にやっているので、そのつながりでフランスの人たちと交流したりとかね。
【根岸さん】東池袋公園で毎月(第2・4土曜日に)、TENOHASIがね。そっか、いろんなネットワークができたんですね。NPOをつくるんで結構、広がったと。
【吉田さん】子ども食堂は、要町からずいぶん広がりましたよね。
【根岸さん】ある意味では豊島区がのろしを上げてね。
【吉田さん】全国サミットをやってらっしゃったんですよね。
【栗林さん】たまたま私たちが子ども食堂サミットをやったときに――。
【根岸さん】区役所とうまく連携できたんですね。
【栗林さん】確かその予算でこのおせっかいバッジをつくったんですよ。子ども食堂をやってたら、ある人が私を都庁に連れてってくれたのです。おもしろいことやっているから東京都の課の助成金で何かできるのではと提案してくれて。たしか、30万円ぐらいの助成金で子ども食堂サミットとおせっかいバッジを作ったんだと思います。もう記憶が曖昧ですけど。
子ども食堂を始めて間もなく、私が「おはようバナナ」っていうのを提案したんです。2014年の「消滅可能性都市」でF1会議の関連で。子ども食堂をやるとなると結構ハードルが高いけど、朝、テーブル一つ置いて、そこにバナナを置く。そうすると、「学校に行く子にはバナナ食べていきなさい」って渡せるし、仕事に行く人とか地域の1人暮らしの人たちには、バナナを渡すことで会話して地域で子どもや若い女性に声かけて、何か困ったときには助けあう子育て環境をつくる――っていうのを提案したら、「子どもにご飯を食べさせるのは親がやることだから、そんなことすると親が怠けちゃう」って教育委員会から言われて。だけど、「子育ては親がやるものだ、そんなことするから親が怠けちゃう」っていう意識がこの10年でずいぶんと――子ども食堂とかの取り組みが広がる中で、本当の意味で地域の子どもを地域みんなで支えていくんだっていう意識に、ずいぶん前進したように思いますね。ジェンダーや子どもの権利に対する関心も増してきたし、どんどん人間社会が進化してるなと思います。
 
【スタッフ】「(要町あさやけ)子ども食堂」を最初に立ち上げたときの写真を山田(和夫)さんから見せていただいたときに、日本の子どもだけじゃなくて、ネパールの親子も写っていましたが、海外から来た方への支援もされているのでしょうか。
【栗林さん】うちの次男の担任だった先生が、WAKUWAKUができてしばらくした頃にいきなり私に手紙を送ってきたんですよ。「自分は、池袋小学校にいたときに日本語教室にも関わって、言葉がわからずに勉強についていけない子どもたちに教えていた。退職したので、外国ルーツの子どもたちに勉強を教えたりしたいんだけど、何をどうやっていいかわからない」――そういう手紙をくれたんです。
そのときは私たちが子ども食堂と学習支援を始めたばかりだったので、「日本語勉強会もやって、外国の子も集まるような場にしよう」ということになった。ちょうど山田さんちの向かいにも外国から来た親子がいたので、先生がそこに来て勉強も教えてくれるようになったんです。その子といまだにつながっています。今はコロナのなかで外国ルーツの人の支援も行っています。本当に皆さん大変なので。
【スタッフ】「WAKUWAKU×ルーツ(ワクワク・クロス・ルーツ)」という取り組みで、日本語を教わった外国の子どもが大学に進学して、居場所をつくる側に立っているというのが、とても素敵だなと思いました。コロナ禍で何か新た取り組まれたことはありますか?
【栗林さん】そうですね。コロナで学校がないときに、外国籍世帯の人は2か月間、日本語に触れなかったんです。家族としか話せないから。だから、勉強したくない子、勉強嫌だなっていう子でもつながるような居場所が必要だよねっていうことでオンラインでの居場所をつくりました。居場所をつくった学生さんたちから、「自分がコロナを持ち込んでもいけないし、もちろん自分もすごく怖い。電車で来るのも怖い」っていう声もありました。だから今でも毎週、オンラインで学生さんが開催してくれてます。
【根岸さん】何人ぐらい受けている?
【栗林さん】クロスルーツのほうはスタッフ入れて10人ぐらいがちょうどいい人数ですね。
一昨年、フードサポートに日本語が全然しゃべれない外国の親子が来て、私たちが家に行っていろいろ聞いたところ、全くお金もない状況だったので、「愛の家」(母子生活支援施設)に入ってもらったんです。その子はそのときからオンラインでつながって、今でもずっと毎週来てくれています。池袋だったらいいのですが離れたところだと「私たちの学習支援に来てください」と言いにくいですからね。その人に合ったいろんなやり方、関わり方ができるなと思いますね。
【根岸さん】シングルマザーの方たちへのサポートもされているのですよね。
【栗林さん】そもそも、プレーパークで私が心を動かされておせっかいしてきた子の親は、全員シングルマザーです。(フードサポートは)2017年頃に中国出身のシングルの方に、フードロスの食品を宅配で送ったのが最初。パンや生ものなどの送れないものも渡すために、フードバンクから食材を集めて、取りに来てもらう取り組みをコロナの2年前ぐらいから先駆的にやっています。各地の子ども食堂さんとも連携していて、コロナになってからはそのノウハウも活かしながら毎月やってますね。最近は豊島区でも「(としま)子ども若者応援基金」っていう、困難を抱えた子どもたちを支援するために始めてますね。お金も食料寄付もいろんな協力を、豊島区がひとつの器をつくりますっていうことで。企業が賞味期限が近くなってきた食料を豊島区に拠出したり。
【根岸さん】防災用品の主食ね。
母子家庭のお母さんたちをサポートするっていうのは、具体的に何かやってるんですか?
【栗林さん】1度メールでつながった人たちにはメールで「困りごとがあったら書いてください」って必ず書いて送るんですね。そうすると、「失業しました、解雇になってしまいました」っていう声が、去年から本当に多いですね。
【吉田さん】外国の方もいるし、日本の方もシングルマザーはいるわけですか?
【栗林さん】やっぱり仕事が減ってしまったようで。
【吉田さん】それ(メール)は英語で来るんですか?
【栗林さん】あ、シングルマザーのほとんどは日本人です。その人たちに連絡をして、「ここ(事務所)でアルバイトしませんか」って伝えて。結局、シングルのお母さんは仕事を辞めちゃったらまったく孤立しますよね。社会との接点がなくなっちゃうので、確実に子どもも孤立する。「鬱気味になってました……」というお母さんたちに――そんなにお金にはならないけれども、WAKUWAKUでみなさんに渡す食料の袋詰めのアルバイトに来ませんか?って誘ったり。それで来てくれた方が今ではその仕事を全部回してくださってます。もう本当に、「仕事」になりました。そういう方たちが今ここで7、8人、仕事してます。企業さんからもらった子ども服を袋詰めするときは「サイズごとに袋詰めしよう」「(菓子を詰めながら)リサイクルみたいなことやりたいね、そこでお茶飲んでほっとできるといいよね」なんて言ったりしながら。そういうのをきっかけに「じゃあやろうよ!」となったりする。私はシングルじゃないからそれをやれないけど、やりたい気持ちを応援するよってことで、今は「SDGsカフェ」っていうママたちのおしゃべり交流会を月に1回やってます。そのお母さんたちに、「豊島区ってSDGs未来都市なんだけど、知ってる?」って聞くと、知らない。「子どもたちがSDGsの勉強をしてるんだけど、聞いたことある?」って聞くと、まったくわからない。「じゃ、ママも少し勉強しようっていう機会と、おしゃべりの場をやらない?」っていうことで、今はみんなが順番に(SDGsの)項目を一つずつ勉強してみんなに伝える、っていうこともやっています。ママたちも、そういう社会の課題に触れる機会があったらね。決して関心がないんじゃなくて、機会がないだけなので。
【根岸さん】仕事がなくなった人たちに対するサポートと居住の問題で、委員をやってらっしゃいますよね。その辺はどんな活動をしてます?
【栗林さん】失業された方たちがここに来てて、そういう(支援する)会も始めました。例えばハローワークに行くと就労研修とかパソコン教室とかあるけど、50代だと年齢で優先順位が下がって、毎回入れなかったりする。無料で教えてくれるところは本当にないから、スキルアップしたくてもできないって聞いて、今はパソコン教室をしてます。
【根岸さん】今、(みらい館)大明でやってもらってる。
【栗林さん】ママたちのパソコン教室っていうのを無料でやってますね。
【根岸さん】あと、そういうのに外国の方は来てないんですか?
【栗林さん】日本語教室はやっています。外国の方はそもそも日本語がわからないので。
【根岸さん】社会福祉協議会とかCSW(コミュニティ・ソーシャル・ワーカー)との関係は?
【栗林さん】一緒にやっています。コロナ下でも、子育て中の方、ひとり親さんの食料支援のこととか。休眠預金を利用して外国の方たちの食料支援をしていて、そこに子育て中の方がいたら私たちにつないだりとか、行き来しながら一緒にやってますね。
コロナになってから企業さんからは今すごく子どもたちへの支援をいただけてます。お菓子があると子どもは喜びますし、お母さんは米がありがたい。先週、子どもが40度の熱が出たっていう方がいたんです。シングルのお母さんで、子どもは外国ルーツで障害があるから本当に誰も周りにいない。でも、『何欲しい?』って聞くと、『ヨーグルトとこれとこれ』って言うから、こちらは届けに行く。そういうことをずっとやってきたおかげで、今はずいぶんと多くの家庭にサポートができてます。私たちだけじゃなくて、地域のおせっかいさんに、『何々さんがコロナになったから、電話して何か欲しいって言われたら対応してもらえますか』っていう形で対応してますね。
【根岸さん】WAKUWAKUが後でお金を払う、その辺が重要だよね。自分で出すと続かなくなっちゃうんだよね。それをちゃんとやることが大きいな。それだけ体制的にもしっかりしてるってことだね。
【栗林さん】そういうことにお金を使うことは、寄付者は多分だめって言わない。
【根岸さん】そうだろうね。もともとそういう目的だろうから。自分で買って出すんじゃなくて、会として出すということが明示的にあれば長く続くよね。
【根岸さん】住まいの問題は?
【栗林さん】数年前に、二世帯住宅の1階のおばあちゃんが亡くなって、「空いてるからこども食堂に使いませんか」って言ってくださる方がいたんです。「家賃が高くて(借りられず)大変な人がいっぱいいるから、できれば子ども食堂じゃなくてシングルの方が住めるようにしてほしい」って言いました。何かトラブルがあったら、私たちが間に必ず入ります、という条件でそういうお宅のマッチングをしてますね。豊島区って空き家が多いんですよ。
【吉田さん】ものすごい多いんですよね。
【栗林さん】社会課題じゃないですか。その一方で家賃が高くて、親子で距離をとることができず、虐待に至る場合があるわけで。だから、食品ロスと食品が必要な人、空き家と住むところが必要な人っていうのがうまくマッチングすると、お互いすごくいいのになと思います。
 
【根岸さん】子ども食堂はずいぶんと広がったけど、今後はどうやって広げようとかあります? (WAKUWAKUネットワークの著書『子ども食堂をつくろう! 人がつながる地域の居場所づくり』を見せながら)これは図書館で借りてきたの。
【栗林さん】これは、明石書店さんが全部段取るからって言ってくれてできたんです。本当に感謝ですよ。
【根岸さん】もう何刷も出てるんだよね? これは7刷だ。豊島区(の図書館)に3冊くらいしかないの。板橋区は10冊ぐらいある。
【栗林さん】本当に?
【吉田さん】不思議ですよね。この間、借りようとしたら豊島区になくて、北区にあって。
【栗林さん】みなさん、そこまで借りに行くんですか?
【吉田さん】借ります。
【根岸さん】図書館のネットで調べられる。板橋はうちの近くだから。
【栗林さん】いろんな本が代わって入ってくるので、うちのおばあちゃんとかよく行くんですよ。「新しい本が入ってたわ」とかいって。
 
【根岸さん】WAKUWAKUは若い人が結構、入ってきたんでしょう?
【栗林さん】子どもがみんな“若者”になりました(笑)。うちの長男ももうすぐ子ども生まれるんですけど、わざわざここ(実家)に戻ってきて産んで、ここに住むんだって。近くに公園もないし大変だよって言ったんですけど、「子どもを大切にしてくれる人たちがいっぱいいるから、この町で育てたい」って。本当にうれしいなと思ってね。
【スタッフ】作文を書いた息子さん?
【栗林さん】そうです。就職で(家を)出てたんですよ。職場は変わらないのに、結婚してここに戻ってきて、子どもを産むって。だから今、「じゃ、お風呂場きれいにしようか」とかいろいろやってます。
【スタッフ】大家族になりますね。
【栗林さん】そうですね。今は3人なんですけど、次男も戻ってきて、長男夫婦が戻ってきて赤ちゃんが生まれて、もうすぐ8人家族です。
【吉田さん】次男さんも戻ってきたんですか?
【栗林さん】次男は今年、大学院卒業で、就職で戻ってくるんです。
【根岸さん】大家族だな。
【吉田さん】いいですね、大家族ってね。
【栗林さん】昔って、親じゃなくて乳母が子ども育てたりしてましたよね。お殿様の子どもは乳母が育てたりしてるわけで、決して親じゃなくても、子どもへの愛情がある人が、子どもの関わる環境をつくってあげられたらいいですよね。
【吉田さん】本当の親でも虐待とかある。ああいうのを本当に救いたいですよね。
【栗林さん】本当ですね。ただそれも、孤立もあると思うので、そういうひとり親さんを孤立させないような環境づくりが大事かなと思います。ぜひ、吉田さんも。
【吉田さん】頑張らせていただきます。1年間コロナで振り回されて、特に栗林さんの活動も本当に大変なとこだったと。リモートって簡単に言うけど、ちょっと前の時代だったら確実に隔離されてたようなところもあるじゃないですか。子どもたちの休校だって、今はタブレットでやってるけど、それがない時代だったらもうお手上げだったわけで。今はいいのか悪いのか、みんなリモートでやってますけどね。なんだか不思議だなと思うのね、この時代の流れと活動が一緒になって。活動が多岐にわたってると思うんですけど、これからはどのあたりに力を入れていきたいとかありますか?
【栗林さん】前年度から今期は、コロナのなかで引っ越しを余儀なくされてる方の住まいサポートをずいぶんしてきましたね。住まいと仕事ってセットだなと改めて思いますね。仕事が安定するから。それまでは子どもの利益を真ん中にしてやってきて、お母さんの仕事を単発的に紹介したり、シングルの方を企業さんにつなげたりとかしてましたけど、今後はもうちょっと、地域で安定したいい仕事に就けるような取り組みをしたいなと。親が安定すると、子どもの暮らしは大きく変わるのでね。
あと、そういう方たちの仕事づくりもしたいなと思っています。今回やってみて、みなさん本当に力があるんだけども、なかなか発揮することもなかったし、それまでは労働力として搾取されてきたし、子育ての間の時間を切り売りして働いてきて、子育てもしてへとへとになってた。その方たちが「こういう支援があるとありがたい」っていうようなことを仕事にしたりとか。「大変です、助けて」って言えない人たちの暮らしが少しよくなると、豊島全体の暮らしもよくなるのかな。
先日、新聞で、「どんなに強い鎖でも、どこか1か所に弱いところがあると切れてしまう」っていうのを読んで、本当そのとおりだなと思って。いろんな施策をしてる素晴らしい豊島区でも、弱い人たちに誰も寄り添わないと、見えないまま、ない存在にされてしまう。そういう町は、強い町でもどこか必ず、何かが起こってしまうんじゃないかなと思ってるんです。子どもに近い私たちだからこそ、そういうところのニーズがわかったり、見えたりするので、仕事も暮らし住まいもサポートできる。それが当たり前の町にしていきたいなと思います。
【吉田さん】別の小学校の方から聞いたんですけど、今は同級生同士でも住所すらわからないと。プライバシー保護のために、全部LINEだけですると。相手がどこに住んでるかもわからない。そこから踏み込んだ情報を知るっていうのは、ものすごい大変ですよね。その家がどうなってるとか、どんな苦しみを持ってるか、SOSを発信してるかとか。過剰にプライバシー(保護を)を言い過ぎてる社会って私、おかしいなって最近思うんだけど。
【栗林さん】(資料を見せながら)これは先日つくったんです。区が基金をつくって、お米をひとり親さんに渡す「ライス!ナイス!プロジェクト」という取り組みのコーディネートを私たちでしたんです。豊島区がひとり親さん世帯にチラシを配布して(米を)お渡しするというもので、取りに来れない人には、区が購入したお米を発送するのをWAKUWAKUが受託して。そのときにアンケートをとって、活動に参加してみた人――実際に子どもやお母さんに食材を渡すことから何を感じたかとか、ひとり親さんからの声とかを書いてもらったんですね。「こういう取り組みから地域の意識を変えていけると思いますか」という項目では、多くのみなさんから「強く思う」って声があった。とにかく何か仕事をしたいと思っても、ハローワークにたどり着けないとか、忙しくてとか、書類が書けなかったりするんです。そういう、たどり着けない人たちにちゃんとアウトリーチしていく団体でいたいと思ってます。
去年、「ライス!ナイス!プロジェクト」をやって、(活動報告)映像は作ったんです。そうしないと、他の行政や団体に真似しようと思ってもらえない。せっかくなのでね。地元企業が一番大事ですよね。食料支援のときにも、なるべく地元で買って、とか。「ライス!ナイス!」のときも企業から寄附をいただきお食事券を買って渡したんですけど、それも商店街連合会の商品券を買って、豊島区の飲食店で食べるようにしました。持続可能なお金の流れをつくれたらいいですよね。微々たるものですけどね。
(了)