多世代が交流する「地域区民ひろば」(平成23年2月区民ひろば清和第一「節分イベント」)多世代が交流する「地域区民ひろば」(平成23年2月区民ひろば清和第一「節分イベント」)

 前項の「施設白書」等で明らかにされた状況を踏まえ、平成12(2000)年6月、施設再構築に向けた本格的な検討がスタートした。そして「財政健全化計画」の最終年度にあたる平成16(2004)年度の予算編成過程において、目標であった黒字転換の達成が見込めなくなったことを受け、いよいよ本格的な施設再編に着手していくことになる。
 本項では公共施設のあり方に関する検討経緯を改めて振り返るとともに、平成15(2003)年10月に行財政改革推進本部によりまとめられた「公共施設の再構築・区有財産活用案」を概観し、同案の目玉とも言える「地域区民ひろば」構想を軸に展開された施設再構築の取組み経緯をたどっていく。

施設再構築に向けた検討経緯

 施設再構築に向けた検討の端緒は、平成7(1995)年11月にまとめられた「豊島区臨時行財政調査会報告」(以下「臨調報告」)に遡ることができる。前章第2節第3項で述べた「保育園廃園問題」である。この保育園廃園計画は保護者等の強い反対を受け、さらに区議会からの提案もあって当初計画の5園廃止を4園に縮小し、うち2園は地域の子育て支援の拠点となる「子ども家庭支援センター」として活用することになり、廃止方針が決定されてから5年後の平成12(2000)年3月にようやく決着が見られた。老朽化等による施設の廃止や他施設等への転用はそれ以前にもあったが、行財政改革の一環としての施設再編はこの保育園の廃園が最初のケースと言える。
 一方、学校施設については前章第2節第2項で述べたとおり、平成4(1992)年4月の「豊島区立学校の適正規模等に関する審議会」最終答申に端を発し、9(1997)年1月に策定された「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」に基づき、11(1999)年から18(2006)年の足かけ8年をかけて小学校11校が5校に、中学校9校が4校に統合された。この計画は少子化に伴い学級・学校の小規模化が進み、教育環境としての適正規模を確保する観点から進められたものであり、行財政改革の中ではその跡施設・跡地の活用が課題となっていった。
 また「臨調報告」は、いずれも今後の検討とするにとどまるものであったが、その後の改革の足掛かりとなるものだった。そこには、「旧基本計画において計画された施設がほぼ整備され、さらに、その後、補完計画としての新たな中期計画(公共施設整備中期計画)を策定し建設事業を推進してきた結果、公共施設の種類も数も格段に整備されてきたといえる。そこで、新しい基本計画に向けて、社会状況の変化等に対応した公共施設のあり方を検討し、施設体系の再構築を図る」との基本的な考え方が述べられており、さらに再構築にあたっては「第一には、少子高齢社会に対応した施設の見直しである。第二には、児童や高齢者という年齢階層別、あるいは勤労者や女性という属性別に、公共施設が計画されているが、各施設とも多目的使用を容認しているところから、その使用実態を見ると必ずしも施設目的どおりとはなっておらず、それぞれの機能の再検討が必要であり、効果的・効率的な施設体系とすべきである」との視点が示されていた。そして利用年齢に制限のあることぶきの家や児童館については誰でも利用できるよう、抜本的に見直す必要があると提起されていたのである。
 この臨調報告を受けて平成9(1997)年1月に策定された「行財政改革計画」(計画期間:3か年)では、「公共施設の効率的運営」の取り組みのひとつに「施設体系の再構築」が掲げられた。だがその内容は「今後は、既存施設の有効的な活用を図るとともに、施設の統廃合の跡地利用計画との整合を図るべく検討体制を整備する」との記述にとどまり、具体的な取り組みは毎年度策定する実施計画に預ける形となっていた。そしてその実施計画も、10(1998)年度版(9年12月策定)に見直し対象施設として区立幼稚園、出張所、児童館、ことぶきの家を挙げてはいるものの、児童館については開館時間の見直し、ことぶきの家については住民自主運営の推進など、既存施設の利用形態を残したままでの有効活用を超えるものではなく、加藤区政における行財政改革の取り組みの中では「臨調報告」で示された抜本的な見直し、すなわち「施設体系の再構築」にまで踏み込んだ検討の深まりは見られなかった。
 そして平成11(1999)年11月、高野区政への移行後に策定された「行財政緊急再建計画」は、文字通り財政赤字団体への転落さえ危ぶまれる緊急事態に直面し、12(2000)年度の予算編成をなんとか乗り切るために策定されたものであった。そのため同計画の中でも直ちに経費削減につながらない改革は引き続き検討課題とされ、ことぶきの家は自主運営化等の運営方法の見直しにとどまり、児童館の設置数・職員配置についても引き続き検討課題という扱いになった。
 その一方で、同計画に合わせて公表された「財政白書」と、さらに翌12(2000)年9月に公表された「施設白書」により公共施設の維持管理や改修等にかかるコストが財政硬直化の要因となっている構図が明らかとなり、危機的状況にある区財政を立て直し、新たな行政需要にも対応できる安定した財政基盤を築いていくためには、公共施設全体の抜本的な再編が不可避であるとの認識が強まっていた。そのため翌10月に策定された「新生としま改革プラン」では、その柱のひとつに「公共施設の再構築」が位置づけられた。「臨調報告」で提起された「施設体系の再構築」は、5年の時を経てようやく本格的な検討の俎上に載せられることになったのである。
 同プラン策定に先立つ平成12(2000)年6月、政策経営部長を委員長、都市整備部長を副委員長とし、企画・財政・経理ほか再編対象となる施設の所管課長等で構成される「公共施設の再構築推進検討委員会」が設置された。同検討委員会は11月までの5か月間に14回に及ぶ会議を重ね、12月にその検討の成果を第一次報告「公共施設の再構築(1)」としてまとめた(※1)。
 この第一次報告は、区施設の中でも他区に比べ設置水準が高いコミュニティ・生涯学習施設、児童館・学童クラブ、保育園、スポーツ施設、図書館、リサイクル・清掃施設の6つの施設を対象に、それぞれの設置目的、配置数、将来需用、老朽化への対応などを検証し、各施設の再配置案を示している。その内容を以下に要約する。
  • ① コミュニティ・生涯学習施設(集会機能を持つ施設100か所)
    概ね半径 400m圏に1 施設を配置基準とする(最低必要数26か所)。区民集会室43か所だけでも適正配置数を大きく上回っているが、当面は再配置施設32か所、夜間利用のみの53か所を補完施設として存続させることとし、区民集会室15か所(借上げ5、単独6、併設4)と本来の設置目的が薄れた勤労青少年センターを廃止する。【計16施設廃止】
  • ② 児童館(24館)・学童クラブ(27クラブ)
    設置水準が23区中第1位の児童館については、従来の「1小学校区1館」から地域を単位とする配置基準に見直す(概ね600m圏に1 施設、既存24館→17館)。再配置の検討に先立ち、小学校の統合に伴い南池袋・要町第二・池袋第一各児童館と借上げ施設の巣鴨第二児童館を廃止する。【計4施設廃止】
  • ③ 保育園(認可保育所区立28、私立6園)
    国の規制緩和や都認証保育所制度の創設等により保育サービスへの民間参入が進んでいるとともに、延長・夜間・一時保育等多様化する保育需要に対応していくため、区立保育園の民営化を推進する。地域子育て支援機能を充実させるため平成13(2001)年度に整備予定の子ども家庭支援センターとの連携を図りつつ、老朽化した園舎の建替え・整備計画を早期に策定する。
  • ④ スポーツ施設(体育館3、プール5、屋外4か所)
    休止中の豊島プールほか老朽化が著しい4施設を含め、13(2001)年度策定予定のスポーツ振興計画を踏まえ改めて配置方針を決定する。
  • ⑤ 図書館(8館)
    非常勤職員制度の拡充、社会教育会館との管理運営の一体化を図る。中央図書館は18(2006)年度竣工予定の東池袋4丁目再開発ビルに移転(跡地売却)、老朽化が著しい巣鴨図書館は状況により一時休止とする。
  • ⑥ リサイクル、清掃施設(リサイクル関連施設5か所)
    衣料・日用品等のリサイクルは民間リサイクルショップ・フリーマーケットを交換の主体とし、既存リサイクルルーム3か所を生活産業プラザ内に統合する。大型品を扱う既存2施設も16(2004)年度竣工予定の清掃合同庁舎内に統合する。【計4施設廃止】
 これらの見直し対象となった施設のうち、引き続き検討課題とされたスポーツ施設を除き、コミュニティ・生涯学習施設、児童館・学童クラブ、リサイクル関連施設については16(2004)年度までに廃止すべきとされた施設が具体的に24か所明示された。また保育園については民営化、図書館についても職員の非常勤化とともに既に民間委託されている社会教育会館との管理運営の一体化など、区による直営から民間による運営に転換していく方向性が打ち出されたのである。
 特に地域の要望に応える形で過剰とも言えるほど整備してきた区民集会室については、補完施設の存続など激変緩和を考慮した措置が取られてはいるものの、それでも廃止施設数は15にのぼった。また「臨調報告」以来、設置水準や機能・運営のあり方等について常に検討課題とされながら存廃までは触れられたことはなかった児童館も、学校統合等に伴い4館の廃止が明示され、現状24館を17館に再編するという、これまでにない大胆な再編案が打ち出された。だがこの児童館の再編と保育園民営化については、当然のことながらかつての保育園廃園問題と同様に保護者等に大きな衝撃を与え、次々と反対の陳情が区議会に出され賛否が問われることになるが、その経緯については後述する。
 一方、この第一次報告と同時に、「公共施設の再構築推進検討委員会」は第二次報告「跡地の活用に対する考え方と活用法」(※2)を提出している。この第二次報告は、学校統廃合により廃校となる小・中学校、13(2001)年4月廃園予定の4保育園、平成12(2000)年4月の出張所制度改革により廃止された旧出張所などの跡地活用の基本方針をまとめたものであるが、既に子ども家庭支援センターへの転用が決定している2保育園等を除き、活用の基本的な方向性や暫定活用案を示すにとどめている。区内にまとまった用地を確保しにくい豊島区にとって、これらの跡地はその後の施設需要に対応し、既存施設の再編・統合や新規施設の整備を進めていくための貴重な種地であり、財政再建の切札としての活用をも視野に入れておく必要があった。そのような視点に立ち、規模の大きな学校跡地については特別養護老人ホームや老人保健施設等の福祉施設をはじめ公園・運動広場、芸術文化施設、庁舎・公会堂まで幅広い活用候補が挙げられた。その一方で施設再構築により二次的に発生する跡地については、建替え施設の建設費用や土地開発公社への償還金の財源とするなど、基本的に資産活用の対象とする方針が示された。
 この二つの報告書の公表後も、積み残された課題を含め検討はさらに重ねられたが、跡地の活用については翌13(2001)年5月、「区有財産活用推進会議」が別途設置された。両会議体とも委員長の政策経営部長に変更はなかったが、「公共施設の再構築推進検討委員会」の副委員長には都市整備部長に加え教育委員会事務局次長が、「区有財産活用推進会議」はさらに総務部長を加えた複数体制とし、それぞれの課題について集中的に検討が進められた。そして同年9月、両会議から第三次報告「公共施設の再構築(2)」と「区有財産活用素案2001」が報告され(※3)、翌10月には両報告をベースに行財政改革推進本部による「公共施設の再構築・区有財産の活用(本部素案)」(以下「本部素案」)(※4)がまとめられた。
 図表2ー⑫は「本部素案」の主な内容をまとめたものであるが、第一次報告で6つの施設に限定されていた再構築の対象は「本部素案」では既存全施設に拡大されている。この表からも分かるとおり、「公共施設の再構築」に挙げられている保健所・保健福祉センターの機能連携及び区民事務所との統合によるワンストップサービス拠点の整備、高齢者福祉施設(ことぶきの家)と併設児童館の再編・統合による「(仮称)地域福祉センター」の整備、老朽化した体育館の再編と学校跡地を活用したスポーツ施設の整備など、第一次報告には見られなかった分野横断的な施設再編案が示されている。それはただ単に施設を「廃止」するにとどまらず、どのように「再編」し、さらに新たな施設として「整備」していくかの方向性まで示すものとなっていた。このような視点は「区有財産の活用」においても取られており、活用対象は区有地にとどまらず民有用地の取得まで視野に入れたものであった。こうしたことからも分かるように、「本部素案」がめざしていたものはscrap(廃止)だけではなく、build(建設)まで見据えたrestructure(再構築)の方向性を示すことだったと言うことができる。
 さらにこの再構築案全体に通底しているのは、「機能集約(施設の複合化)」と「公から民への転換」という二つの視点である。これまで個々の目的別に設置されてきた施設を再編・集約することにより、区民サービスの利便性向上と施設管理運営の効率化とを同時に図るという視点と、国レベルでの規制緩和の動きやNPO等の市民活動の広がりを踏まえ、公共サービスの提供主体を広く民間に広げていこうとの視点である。こうした視点に立ち、東西両区民事務所への保健福祉サービス機能の統合や、民設民営方式による特別養護老人ホームや認証保育所の整備、さらには既存の区立保育園についても民営化していく方針が打ち出されたのである。
 「本部素案」は第一次及び第二次報告からさらに一歩踏み込み、その管理運営形態も含め公共施設のあり方を抜本的に見直し、時代に即した施設体系に再編していくことを志向するものであった。その中でもことぶきの家を自主管理・自主運営による地域福祉拠点として再編する「(仮称)地域福祉センター」構想は、未だ確たる形をなしているとは言いがたいものの併設児童館との統合も視野に入れ、後の「地域区民ひろば」構想につながっていく萌芽だったと言える。なおこの構想については、「本部素案」の基になった第三次報告により具体的に記されているが、そこでは現状のことぶきの家16館のうち12館を併設または近接する児童館と統合し、両施設の機能に地域ボランティア活動の場としての機能を加え、地域における福祉活動の拠点とする再編案が示されていた。
 一方、「区有財産の活用」に関する修正点としては、まずそのタイトルが第二次報告の「跡地の活用」から「区有財産の活用」に変更されている。その背景には「本部素案」が公表された前月に「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」が改訂され、新たに2つの中学校跡地が生じたこと、また数年のうちに大規模な民有用地(JR東日本駒込社宅跡地、癌研究所附属病院跡地)の発生が予想されることから、これら広大な用地を将来のまちづくりに活かしていくために、行政も従来の財産管理からより積極的な財産活用・運用へと発想を転換していく時代になったとの認識があった。
 このため「本部素案」では活用の基本的な方向性を示すに止まっていた第二次報告から大幅な修正が加えられ、学校跡地についてそれぞれの面積規模に応じ、近隣公園(千川小学校・高田小学校・真和中学校)や今後需要増が見込まれる介護関連施設等の福祉基盤整備(雑司谷小学校)、周辺施設を集約するワンストップサービス拠点(平和小学校)、既存施設の再編により新たに整備するスポーツ施設(朝日中学校・第十中学校・長崎中学校)など、具体的な活用案が提示された。また、第二次報告では頭出し程度に止まっていた新庁舎・公会堂についても、「池袋副都心の再生を視野に入れ地域の活性化につながる施設の誘致や庁舎・公会堂等の建設の可能性も併せて検討する」として池袋駅に近い時習小学校・日出小学校各跡地の2か所が整備候補地に位置づけられた。先の新庁舎整備計画が区財政の悪化により事実上の凍結に追い込まれたことを考えれば、いまだ財政危機から脱しきれない状況で直ちに着手するというのは現実味の乏しい話ではあったが、老朽化が著しく機能的にも限界にきている庁舎・公会堂の建替えは早晩取り組まなければならない課題であり、また庁舎整備は10年単位の事業になることからも先を見据えてのものと言えよう。
図表2-⑫ 公共施設の再構築・区有財産の活用(本部素案)の主な内容
 この「本部素案」については、議会はもとより、広く区民の意見を聞きながら、さらに修正を加えていく「たたき台」として位置づけられていたが、既に雑司谷小学校跡地の福祉基盤整備事業は13(2001)年度から動き出しており、実施可能なものは14(2002)年度以降の「財政健全化計画」及び「新生としま改革プラン」に反映させ順次着手していくとされた。また、今後さらに検討を要する施設については、現行の基本計画見直し作業と平行して議論を深め、16(2004)年策定予定の新基本計画に引き継いでいくこととされた。
 こうした方針に基づき、平成13(2001)年10月30日、区議会第3回定例会最終日の議員協議会に「本部素案」が報告され、11月14日には別に時間を設けて質疑が行われた。しかしその内容の重さからより慎重な審議を求める声があがり、第4回定例会最終日にあたる12月7日、この案件に関する特別委員会の設置に関する動議(※5)が提出され、即日可決された。これを受けて学校跡地、公共施設、公共用地の有効活用について調査研究を行うことを目的とする「公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会」(以下「施設用地特別委員会」)が新たに設置されることになった。
 施設用地特別委員会は当初、翌14(2002)年5月31日までの約半年間を審査期間とする時限的な位置づけであった。委員会審議は年明けからスタートしたが、実質的な審議は予算議会が一段落した4月以降5月にかけて6回にわたり集中的に行われた。図表2-⑬は13(2001)年末の設置以降、17(2005)年5月までの委員会活動状況をまとめたものである。この表からも分かるとおり、14(2002)年5月に一旦閉じられた施設用地特別委員会は、翌15(2003)年4月の区議会議員改選後に委員会の再編が行われた際、議会が本件調査終了を議決するまで継続して調査を行なうものとして改めて設置され現在に至っている。
 区議会の特別委員会は議案等を審議して賛否を採決する常任委員会と異なり、区政の重要課題について調査研究することが目的である。そのため施設用地特別委員会も「本部素案」に対して区議会としての賛否を決める場ではなかったが、「たたき台」と言いながらも既に動き出している事業もあったため、委員会設置当初から「本部素案」そのものの位置づけを問う声があがった。こうした声に対し区側からは施設再構築の考え方を可能な限り早い段階でオープンにし、議論してもらうための「問題提起」であるとの説明がなされたが、既存施設の存廃はもとより、ことぶきの家と児童館の再編統合や保育園の民営化方針、財源対策が未だ不透明なままでの新庁舎整備など、今後の区政運営に大きく影響する提案が山積みであったため、とても6回の質疑では足りなかったのである。
図表2-⑬ 公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会の活動状況 (〇印:調査事項)
 この間、区は実施できるものから着手するとの方針に基づき、平成14(2002)・15(2003)年度の「新生としま改革プラン」推進計画に基づき、保健所の統合(長崎保健所の廃止・長崎健康相談所の開設)、小学校統合に伴う南池袋・要町第二児童館の廃止、借上げ・併設3区民集会室の廃止、リサイクル施設の統廃合等を先行実施していった。
 また建物倒壊により大きな被害を出した阪神淡路大震災の発生を受け、区施設の耐震診断・耐震補強工事も計画的に進められた。これは平成7(1995)年、震災発生後に「耐震改修促進法」が制定され、昭和56(1981)年以前の建築物で「延面積が1,000㎡以上かつ階数3階以上」の建物に耐震診断が義務づけられたことによるものであったが、対象となる区施設73施設の中でも学校施設を優先して実施していった。さらに学校統合に伴う千登世橋中学校(工事期間:12~13年度)や南池袋小学校(同14~15年度)の新校舎建設、清掃事務所(同15~16年度)の建設等の新たな施設整備も進められた。これらの耐震補強工事や施設整備事業は「新生としま改革プラン」に基づき13(2001)年1月に策定された「公共施設整備4か年計画」により実施されたものであるが、厳しい財政状況の中でも「住民参加型ミニ市場公募債(豊島ふれあい債)」の発行など新たな財源対策を講じながら進められたのである(※6)。
 こうした間にも区議会や区民から寄せられた意見を踏まえつつ、「本部素案」の修正作業は続けられていた。だが平成16(2004)年度の予算編成に向けて39億円もの財源不足が生じ、いよいよ「財政健全化計画」の最終目標達成が困難な事態に至り、その打開策として公表されたのが行財政改革推進本部の最終案となる「公共施設の再構築・区有財産の活用本部案」であった。

公共施設の再構築・区有財産の活用(行財政改革推進本部案)

 平成15(2003)年10月30日、「公共施設の再構築・区有財産の活用本部案」(以下「本部案」)は区議会議員協議会に報告され、「本部素案」からの修正内容や区民意見等の反映状況について説明がなされた(※7)。
 「本部素案」公表以降の状況変化等を踏まえて修正が加えられた箇所もあるが、この「本部案」の最大の特徴は「(仮称)地域区民広場」構想を前面に打ち出したことである。図表2-⑭は議会報告資料をもとに「本部案」の概要を「公共施設の再構築」と「区有財産の活用」の各項目別にまとめたものである。この表からも分かるように、「本部案」は冒頭に「(仮称)地域区民広場」を掲げ、これを軸にした再編案へと大きくシフトしていた。
図表2-⑭ 公共施設の再構築・区有財産の活用(本部案)の概要
◆公共施設の再構築
◆区有財産の活用
 この「(仮称)地域区民広場」構想は、「本部素案」の「(仮称)地域福祉センター」構想をさらに拡大させたものとも言えるが、ことぶきの家や児童館に加え、区民集会室や社会教育会館等も再編対象に組み込まれた。またその位置づけも地域福祉活動拠点としての「(仮称)地域福祉センター」から、新たなコミュニティ形成の場としての「(仮称)地域区民広場」へと方向転換が図られている。さらに児童館については、乳幼児とその保護者等の居場所機能(子育てひろば)を「(仮称)地域区民広場」に再編するとともに、小学生を対象とする従来の児童館機能や学童クラブについては、すべての児童を対象に小学校施設内で展開する全児童クラブ(放課後対策事業)に移行するとされた(図表2-⑮参照)。
図表2-⑮ 「(仮称)地域区民広場」再編イメージ
 「(仮称)地域区民広場」構想が初めて公にされたのは、「本部案」の公表に先立つ7月17日の施設用地委員会であった(※8)。そこではこの構想の背景として、社会情勢の変化に伴い区民やボランティア、NPO等による地域活動が活発化し、自己決定・自己責任による地域づくりのためのコミュニティの形成が重要となっていること、また基本構想・基本計画の策定に向けた「豊島区区民ワークショップ」や区民と行政との協働のあり方を検討する「区民と行政とのパートナーシップ会議」からも新たなコミュニティ施設のあり方について提案・提言がなされたことを挙げている(※9)。
 平成15(2003)年3月に策定された新基本構想は、その基本方針の第一に「あらゆる主体が参画しながら、まちづくりを実現していく」ことを掲げている。またこの基本構想に基づき策定作業が進められていた新たな基本計画においても、「参画(参加)」と「協働」は計画全体を貫くキーワードになっていた。それは豊島区に限らず、日本経済の構造不況の長期化や急速に進む少子高齢化、さらに地球規模の環境問題など社会情勢の急速な変化に伴い、「成長」から「成熟」へと移行する時代に即した地域社会のあり方が問われていた。「豊島区区民ワークショップ」や「区民と行政とのパートナーシップ会議」の取り組みはそうした動きに呼応するものであり、区と区民とが協働して地域社会の課題を解決していく新たな仕組みづくりが模索された。そしてその仕組みのひとつとして、地域社会における人と人とのつながり、すなわち地域コミュニティの活性化を図るために「年齢や障害、性別などに関わらず区民すべてが垣根のない交流ができる施設や仕組みづくり」や「地域活動団体の活動基盤の整備(パートナーシップセンター)」が提起されたのである。
 こうした新たなコミュニティ施設の要請とは別に、「(仮称)地域区民広場」構想の背景にはもうひとつの側面があったと考えられる。「本部素案」のところでも述べたように、施設再構築に対する考え方はscrap(廃止)だけではなく、build(建設)まで見据えたrestructure(再構築)へと変化していた。行財政改革の一環として施設関連経費を縮減するために施設を廃止しているだけでは、区民の側からすれば、金がないからと一方的に施設を切り捨てているようにしか見えず、それでは到底納得は得られない。廃止から再構築へとつなげていくためには、従来の発想を転換するような再構築全体を貫く理念=ビジョンが必要であり、さらにその理念に基づいてこれからの公共施設のあり方を分かりやすく示す仕組み=モデルが求められていたと言える。そのモデルとなるものが「(仮称)地域区民広場」であり、この「(仮称)地域区民広場」から新たなコミュニティ形成につなげていこうとの意図があったからこそ、その管理運営を地域住民による自主管理に委ねていく考え方が生まれた。すなわち「(仮称)地域区民広場」構想は、「新生としま改革プラン」のプランBに掲げられた「公共施設の再構築」にとどまらず、プランCの区民との協働による「新たな地域コミュニティづくり」を目指すものであったと言えよう。
 一方、「区有財産の活用」の大きな修正点としては、学校跡地や今回の再構築により生み出される施設・用地の活用について、売却を含めた資産活用にまで大きく踏み込んだことである。すなわち、「公共施設の再構築」とは逆に、build(建設)とrestructure(再構築)を出発点としてscrap(廃止)の視点を取り込んでいったのである。
 その廃止対象となった施設は 「(仮称)地域区民広場」への再編に伴う廃止施設を中心に30か所、37施設に及んだ。これらの施設に加え、学校統合等により既に廃止された施設を含め、その跡地等の活用については区有財産として最大限の活用を図ることを基本としつつも、財政基盤の強化が優先される場合には売却・貸付等による資産活用を検討するとされた。そしてその資産活用の候補施設は25か所にのぼり、これらすべてを売却した場合の売却益は約231億円(評価額)が見込まれた。さらに施設廃止に伴う維持管理経費・人件費等のコスト削減効果も加えるとさらなる財政効果が期待された(※10)。
 「財政健全化計画」の最終目標の達成が極めて厳しい状況に陥っていた当時、「本部案」は区財政再建のまさに「切り札」と言えるものであったが、いまだかつてない資産活用にまで踏み込んだ大胆な再編案を打ち出したことは、それだけ区財政に対する危機感が強かったことの裏返しと言えるだろう。
 この「本部案」が報告された平成15(2003)年区議会第4回定例会の招集あいさつにおいて、区長は異例の長さでこの「本部案」について言及している(※11)。
 通常の招集あいさつは区財政の動向をはじめ、提出議案の中でも予算、決算その他重要な案件に関することや重点政策に関する取り組み状況などを総括的に述べる内容となっていたが、この時のあいさつではその大部分が「本部案」実施の必要性を強く訴えるものとなっていた。
 少し長くなるが、この「本部案」にかける区長の思いが色濃く表われている部分を抜粋し、以下に引用する。
-今回の再構築案は、その規模、内容のいずれを見ましても、言わば豊島区として平成の大改革とも言うべきかつてない思い切った内容となっております。
(中略)経済が右肩上がりの時代には建設後のランニングコストをさほど意識しなくても何とか維持できたのでありますが、現在のように先行き不透明な、さらに厳しい経済状況が予測されるときには、当然のことこれらの施設をこのままで支えていくことは極めて困難であります。昨今、公共経営ということがよく言われますが、まさに行政運営の基本にこれまでは経営感覚が欠けていたと言っても過言ではありません。つくるだけつくって後の始末は人任せ、このような無責任な体質が無意識のうちに行政そのものの体質になってしまったのではないか、このように考えざるを得ないのであります。
(中略)区の歳入規模は平成13年度決算ベースの1,050億円が平成15年度当初予算では888億円と900億円台をも下回り、財政健全化計画の最終年度に当たる平成16年度予算を現在編成中でありますが、当初計画した実質黒字達成の目標の実現は極めて厳しい状況にあります。今後も中期的には歳入規模が850億円前後にまで落ち込むのは必至の状況にあります。この歳入規模を本区の身の丈とするならば、この身の丈に合った行財政規模への構造転換を今成し遂げなければ明日の豊島区の存立が危ぶまれる状況にあると言っても過言ではありません。
この間、血の滲むような財政健全化へ向けた努力を重ねながらも依然としてこのような状況に甘んじている背景には、日本経済の極度の長期低迷の結果、大幅な税収減が続いていることがありますが、本区の財政構造硬直化の大きな要因であります公共施設の見直しが遅れていることが何と言っても最大の原因であります。もちろん歳入が減っている中でも毎年扶助費など義務的経費は確実に上昇しており、これらを抑えることは非常に難しい状況でもあります。私は、今回の本部案にお示しした施設の再構築、即ち施設の廃止・休止や民営化、売却を含めた資産活用の徹底を実行しなければ、本区の財政構造の改革は果たせず、早晩、財政破綻、赤字再建団体転落への危機の再来とならざるを得ないと考えております。今回の再構築案は、このような極めて厳しい状況を根本から打開していくためには何をなすべきか、このことを最大の課題として提案したものでありまして、21世紀、新しい時代の区民のライフスタイルにどう応えていくのか、また右肩下がりの厳しい財政状況にいかに適合させていくのかという、大きく二つの面から抜本的な見直しを行ったものであります。
21世紀としまの将来ビジョンにつきましては、この3月に新基本構想を策定したところですが、その基本的な考え方は、区民との協働の推進であります。この区民との協働を実現する方策として、今回、小学校区を基礎単位とする地域区民広場構想の発想が生まれてきたのであります。地方分権の推進には、国の制度や法律の整備も必要でございますが、地域に住む住民が地方自治の主人公として現実に活動できる条件を整えることが最も重要であると考えております。私は、これまでも区民の目線に立った区政、区民にわかりやすい区政を一貫して進めてまいりましたが、区民が自らの活動を通じて区政運営に参画する道筋をつくるという点では、まだまだ行政の施策としては不十分だったと思います。
この区民広場構想では、小学校区を地域コミュニティの基礎単位とすることを明示しております。小学校区は平均して半径400メートル前後の区域であり、幼児や高齢者が歩いて通え、フェイス・トウ・フェイスの交流ができること、また小学校の卒業生などのつながりを通じて世代を超えての連携を図りやすいことなど、区民には極めてわかりやすい単位であると考えます。この小学校区単位に、地域の団体を中心に区民広場の運営協議会をつくり、事業の企画・実施、施設の管理・運営などをできる限り委ねてまいりたいと考えております。まさに区民と行政との協働、パートナーシップ実現の舞台とするものであります。このような構想は一朝一夕に実現するものではありませんが、どんな小さな芽であっても、その芽を大切にし、育て上げていく過程が極めて重要であります。この区民広場の中にこの芽をしっかりと根付かせ育てることにより、真の地方分権がこの豊島区に誕生するのではないか、このように期待をしております。
また、地域に馴染み深い児童館、ことぶきの家、区民集会室、社会教育会館、学校開放施設などを施設の縦割りの壁を取り払い、小学校区単位に再編成することにより、施設全体の減量化が可能となるとともに、地域の特色に応じた施設運営が可能になるものと考えます。学区内の学校を中心に様々な機能が一つにまとまることが理想ではありますが、点在する施設を事業の展開に合わせ、区民の創意工夫により有効に活用していくことも自治活動発展の大きな要素になるものと思います。さらに、これまで福祉と教育という形で別々に実施してきた小学生の放課後対策につきましても、新たに学校施設を活用し統一的に展開する全児童クラブ構想を打ち出しておりますが、従来の児童館の果たしてきた役割を区民広場というより広い舞台で継承、発展させることにより、地域で子供を育て、地域が学校を支えていくという方向をより明確にすることができるものと考えております。 (中略)以上のような再構築案は、新基本構想の策定、基本計画策定に向けた区民ワークショップからの提案、「区民と行政とのパートナーシップ会議」の提言などにおいて、区民との協働により地域社会づくりを進めていこうという気運が急速に高まってきたことを踏まえ、素案に修正を加え今回の案にまとめたものであります。素案からの大きな修正点は、地域コミュニティの基本となる地域区民広場を核とする再編構想を示したこと、学校統合や今回の再構築で生み出される施設・用地について売却を含めた資産活用にまで思い切って踏み込んだことであります。私は、平成13年1月に策定した新生としま改革プランの柱に公共施設の再構築と区民との協働の推進を大きな柱として掲げてまいりましたが、このような一貫した取組みの成果が今回の再構築案に凝縮して示されていると考えております。
(中略)今回の本部案のように区内全域にわたりほとんどの分野の施設・用地を対象にした大改革に取り組みますのは、本区におきましても初めてのことであります。それだけに区民の皆様のご理解、ご支援がなければ到底成し得るものではございません。豊島区の将来をしっかりと睨んで、逃げないで、先送りせずに真正面からぶつかっていきたいと思いますので、議員各位と十分な論議を尽くしてまいる考えであります。私は、今回の改革を私の政治生命にかけ、背水の陣を敷いて取り組む覚悟でございます。
(中略)この度の招集あいさつで申し上げました中心は、今まさに乗り越えなければならない「公共施設の再構築・区有財産の活用」という課題への私の思いのすべてであります。国家百年の計と申しますが、私は、この改革の機を逃すことなく、まさに豊島区百年の計に向かって、直面する状況の本質をしっかりと捉え、確固不抜の決意で立ち向かう必要があると考えております。私は魔法の杖を持っているわけではありません。決して奇跡が起きるわけでもありません。区議会、区民の皆様と共に、21世紀としまの未来を切り開くこの歴史的な事業に自らの渾身の力を振り絞って臨んでまいりたいと強く決意しているところでございます。
 10月のこの議会報告後、「本部案」の概要を区広報紙に2回にわたって掲載し、広く区民から意見を募集するパブリックコメントが実施された(※12)。12月には各地区の区政連絡会で説明するとともに、翌16(2004)年1月には区部中央・東西各エリア別に地域説明会が開催された。さらに関係団体や審議会等への個別説明も含め、4月までに開催された説明会は60回に及んだ(※13)。
 だが招集あいさつに込められた区長の熱い思いにも関わらず、「本部案」に対する区民の反応は冷ややかだった。施設の大半が対象になるこの大改革は、区民にとっては性急な印象が否めず、その考え方には理解が追い付かない印象だった。特に目玉である「(仮称)地域区民広場」構想については再編後のイメージが未だ十分に伝わっていなかったこともあって、ひとつの施設にいくつもの機能を詰め込むことや高齢者と乳幼児が同じ施設を使用することに安全面からも懸念する声が多く、地域区民による自主管理方式についても「区民ひろばを運営するためには相当のエネルギーが必要だ、パートナーシップという言葉でごまかすのはどうか」「区民の力を発揮させるためにはそれなりのプロセスが必要だ」など、その実現性を不安視する声が挙がった。
 施設の売却も含めた資産活用についても、「売却するのは簡単だが取り戻すのは大変だ」「売却すれば今はしのげるかもしれないが先のことも考えなければならない」など安易な売却に反対する意見が多く、またその年の3月に打ち出したLRT(路面電車)構想を引き合いに「施設を売却するほど財政が厳しいなら路面電車もやめてほしい」「区長の夢やロマンより優先すべきことがあるはずだ」など、区長の将来に向けた政策に対しても厳しい意見が寄せられた。
 さらに児童館の廃止・再編や全児童クラブへの移行については、子どもたちの居場所や保育サービスの低下を危惧する保護者等から一斉に反対する声があがったのである。

「地域区民ひろば」構想小学校区別説明会

 新たなコミュニティづくりをめざす「地域区民ひろば」構想は平成16(2004)年度から開設準備に着手し、17(2005)年度の事業開始を予定していた。
 16(2004)年4月、このスケジュールに従い、「(仮称)地域区民ひろば」構想を具体化していく専管組織として「地域区民ひろば担当課長」が設置された(17年4月「地域区民ひろば課」に改組)。ちなみに「本部案」公表時に「(仮称)地域区民広場」と表記されていた施設名称はその後まもなく、子どもたちにも親しまれるようにと漢字の「広場」から平仮名の「ひろば」に改められ、各施設名称も「○○区民ひろば」で統一していくこととされた。
 初仕事は小学校区別の説明会だった。「本部案」公表後のパブリックコメントや説明会でも、地域の実態を把握せず、区が唐突に再編案を出してきたように受け止めた区民が多く、また区民ひろばは小学校単位での設置を予定していたため、よりきめ細かな説明の場を設ける必要があった。説明会は4月8日から28日までほぼ連日、23の各小学校区別に開催されたが、やはりここでも、区の計画や方針が次々変わることへの不信感や「地域区民ひろば」構想による財政効果を疑問視する声が相次いだ(※14)。
 こうした不信感の背景には、小学校区別説明会の開始前に明らかにされた時習小学校跡地の売却問題があった。同跡地については、前年10月に公表された「本部案」で「庁舎・公会堂建設の可能性を検討する。庁舎・公会堂を他の場所で建設する場合は、当該建設に係る費用捻出のため資産活用(売却・貸付け)を検討する」との活用案が示されていた。時習小学校の地元では庁舎移転を歓迎する声もあったが、「小中学校統合の説明会では統合後の跡地について売却の話はなかった。統合が本格的になってきた段階で出てくるのは騙された感じがする」との意見も出されていた。前述した通り、売却を含めた施設の資産活用方針についてより慎重な対応を求める区民の声は多く、区はこうした意見に対し「売却は決定事項ではない、あくまでも候補地である」と説明していたのである。
 ところが、前年末から年明けにかけて「本部案」についての住民説明会でそのようなやりとりが繰り返されていた最中の平成16(2004)年2月13日、区議会第1回定例会初日に時習小学校跡地の売却方針が明らかにされた(※15)。この方針の理由として挙げられたのは、(1)平成16(2004)年度予算の財源不足に対応するため財政基盤強化の必要性が生じたこと、(2)敷地規模が大きいことなどから民間活力を導入した周辺地域の発展と良好な街づくり、さらに池袋副都心再生につながる活用が可能であること、(3)庁舎・公会堂の建設時期が相当期間先になる見通しであることの3点であった。厳しい財政状況下で新庁舎建設の具体的なスケジュールが不透明である一方、池袋駅至近の立地条件から売却を打診する問い合わせがいくつか来ていたこともあって、このまま施設開放等の暫定活用にとどめておくよりも、地域のまちづくりや副都心の活性化に役立つ活用を図ろうとの決断だった。だが歳入の大幅な落ちこみにより生じた39億円もの財源不足の穴埋めに運用できる基金も底をつき、もはや万策尽きた状態のなかで、「学校跡地を売却する」という道しか残されていなかったのが実情だった。そうであっても「売却」に踏み切ることは極めて重く、まさに苦渋の決断の末に既に公表していた本部案を修正し、翌年度予算案と同時に発表するに至ったのである。
 第1章第2節第2項で述べたように「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」に基づき、時習小学校は前年の15(2003)年4月、大塚台小学校との統合により閉校となっていた。地元では統合協議の段階から反対する声が大きく、何とか統合計画を飲み込んだ苦い経緯があり、その際にも跡地はどうなるのか不安の声は聞かれていた。それが庁舎候補地に挙げられたのも束の間、いきなり売却という話になったのであるから地元としては期待を裏切られた思いであったろう。議会説明後の2月29日、続く3月2日に開催された地元説明会では当然のことながら突然の売却方針に抗議する声があがった。こうした声に対し、かつて寺子屋があり、その後、小学校用地になった歴史を踏まえて大学等高等教育機関に限定して誘致すること、また地元の要望を入札条件に最大限反映させ、地域の活性化につなげていくことを約し、何とか地元の納得を得ていった。そして7月1日、旧時習小学校用地8501.96㎡の条件付一般競争入札を公告、同月30日に学校法人帝京平成大学が65億100万円で落札した(※16)。
 この入札の際に付された条件は、入札参加資格を学校教育法に規定する学校法人のうち大学または大学院を設置する学校法人に限定することに加え、土地利用の用途として大学または大学院の校舎等の敷地として使用すること、また整備内容等に係る条件として建築基準法等に基づく建築制限や周辺道路の拡幅のほか、講堂・集会室等の地域還元施設及び防災施設の設置、災害時の一時避難所開設等を内容とする防災協定の締結などが付されていた。さらに要望事項として住民説明会の開催や既存樹木の保存、旧時習小学校の記念碑設置、地域の防災資機材を保管・収納するための倉庫の設置、区民を対象とする公開講座の開催等々、地元の要望が最大限盛り込まれていた。そして翌8月に入札結果に基づく売買契約が締結され(※17)、4年後の平成20(2008)年4月、帝京平成大学池袋キャンパスの開校に至ったのである(※18)。
 こうした経緯があったため、区民の中には再構築案がまたいつ変更されるか分からないという懐疑的な見方が生まれ、特に高齢者や子育て中の親たちなどから不安感が広がっていた。また区有地を売却する以前に、職員や人件費をもっと削るべきだ、施設を廃止・売却する一方でLRT構想や東池袋4丁目の再開発事業など進めるべきでないなど、区の行財政改革に対する姿勢そのものを批判する意見も根強かった。かくして第1回目の小学校区別説明会は区民からの厳しい意見が噴出し、「地域区民ひろば」構想は初端から多くの課題を抱えての船出となったのである。
 区民の理解がなかなか得られない中でも小学校区ごとの説明会は重ねられた。4月の第1回目に続き、7月に2回目、10月には3回目の説明会が開催され、区内全域では計68回の開催に及んだ(※19)。こうした地道な話し合いを重ねるうちに、いくつかの地区からは次第に、ただ反対するだけではなく「こうしてほしい」「こうしたらどうか」といった前向きな意見が出されるようになっていった。
 一方、朝日小学校区の「地域区民ひろば」は、他とは違う方向で進んでいった。当初の再編案では、統合により廃校となった朝日中学校に区民ひろば(集会室併設)を整備し、小学生の放課後対策事業(全児童クラブ)は朝日小学校内で実施、これにより借上げ施設の巣鴨第二児童館は廃止するというものであった。また朝日中学校跡地については、巣鴨体育館と西巣鴨体育場の機能を統合し、区民ひろば機能を併せ持つ総合体育施設を整備する活用案が示されていた。
 もともと同小学校区内には公共施設が少なく、平成5(1993)年に民間マンションの一部を借上げ、高齢者在宅サービスセンター巣鴨豊寿園に併設して巣鴨第二児童館、巣鴨第二区民集会室が開設されていた(※20)。それが「財政健全化計画」により13(2001)年9月末をもって区民集会室が廃止されたため、以後は夜間のみ児童館を集会室として目的外利用していた。この区民集会室廃止の際に、同じく借上げ施設である児童館についても集会機能を併せ持つ代替施設を確保した上でいずれは廃止すると説明されていた。
 そうした経緯があっため、「地域区民ひろば」構想が公表されてすぐの16(2004)年1月、朝日小学校の地元7町会は「巣鴨第二児童館ならびに集会室に関する請願」を区議会に提出した。この請願の趣旨は3年前に児童館の代替施設確保について区が確約していたことを踏まえ、「地域区民ひろば」構想による再編施設の規模や内容等の具体的な内容を示すことと朝日小学校内に恒久的な児童館機能を有する「地域区民ひろば」の設置を求めるものであった。また翌2月には巣鴨第二児童館学童クラブ父母の会からも「巣鴨第二児童館に関する陳情」が提出された。この陳情も先の請願と同様に代替施設の具体的な内容と設置に向けた進捗状況の説明、現状の児童館機能を有する施設の学区内への設置に加え、学童クラブ職員の常勤常駐体制の継続を求めるものであった。この請願・陳情は16(2004)年第1回定例会で審査され、より具体的な再編案について地域と調整していくことを前提に請願は採択され、もう一方の陳情も請願の趣旨と重なる部分については賛同が得られつつも、既に学童クラブも含めた全児童クラブの指導員について正規職員1名・非常勤職員5名を基本とする区の方針が打ち出されていたこともあって、「学童クラブ職員の常勤常駐体制の継続」の要望部分に関して意見が分かれ、継続審査の取り扱いとされた(※21)。
 この議会審査結果を受け、地元から「具体的な話し合いの場を早急に設けてほしい」という声があがり、区は8月に地元町会をはじめPTA、民生・児童委員、青少年育成委員、同窓会、高齢者クラブ、児童館利用者等の代表者を集めた「地域懇談会」を設置し、地元要望を聴きながら再編案の調整を進めていった。そして12月に全児童クラブの展開を学校敷地内型から校舎内型に変更し、当初案では全児童クラブで使用する予定だった校舎別棟の「みんなの広場」を2階建てに建替え、そこに区民ひろばの機能を入れ、全児童クラブについては校舎内の空き教室等を改修してスペースを確保するという方向で大筋の話がまとまった(※22)。この「みんなの広場」とは平成2(1990)に学童クラブの育成室として学校敷地内に建てられた1階建ての建物で、巣鴨第二児童館の開設に伴って学童クラブが児童館に移行して以降は地域開放施設として利用されていた。この変更により、「区民ひろば機能を朝日中学校から朝日小学校に変更してほしい」という町会の要望はほぼ反映される形になったのである。なお、巣鴨第二児童館は区民ひろばへの移行に伴い17(2005)年度に廃止され、朝日中学校については当面、NPO法人の運営による文化芸術創造拠点(にしすがも創造舎)として暫定活用されることとなった。
「地域区民ひろば」構想小学校区別説明会
区有財産活用第1号となった時習小学校跡地
区民ひろば朝日

※14 「地域区民ひろば」構想23小学校区別地域説明会開催状況について(H160513公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)
「地域区民ひろば」小学校区別説明会について(H160716公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)

※15 時習小学校跡地の活用について(H160213議員協議会資料)
H160213プレスリリース

※16 旧時習小学校跡地売却について(H160716公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)
旧時習小学校用地条件付一般競争入札の結果等について(H160924議員協議会資料)
H160730プレスリリース

※17 土地の受払いについて【時習小学校跡地】(H160930総務委員会資料)

※18 H200311プレスリリース
広報としま1409号(平成20年11月25日発行)

※19 第2回「地域区民ひろば」小学校区別説明会について(H160917公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)
第3回「地域区民ひろば」小学校区別説明会について(H161112公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)
「地域区民ひろば」への主な意見・要望に対する回答(H161220公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)
広報としま1293号(平成16年9月5日発行)

※20 巣鴨五丁目地区複合施設(借り上げ)の概要(H040625・H050930福祉衛生委員会資料)
H051111プレスリリース

※21 児童館の再編に関する陳情審議資料①(H160219厚生委員会資料)
厚生委員会会議録(平成16年2月23日・24日)【児童館再編関連①】

※22 朝日小学校区の地域区民ひろばのモデル実施について(H161202区民厚生委員会資料)
朝日小学校区地域区民ひろばの施設について(H171201区民厚生委員会資料)

「地域区民ひろば」のモデル実施

 各地域での説明会が重ねられていた平成16(2004)年9月、翌17(2005)年4月から朝日小学校区を含む6小学校区で区民ひろばをモデル実施する方針が区議会に報告された(※23)。当初のスケジュールでは16(2004)年度開設準備、17(2005)年度事業開始であったが、未だ区民ひろばに対する区民の理解が十分に得られたとは言いがたく、また新たな取り組みについて「区が決めた施策だけをおろすのでなく、一緒に考えていく体制をとってほしい」「区民ひろばを実施する場合はモデル地区を指定して実験的にスタートすべきである」などの意見が寄せられていたため、本格実施に先立ちモデル実施を行なうことにしたのである。
 モデル実施区の選定にあたっては、(1)全児童クラブの実施形態「校舎内型」「敷地内型」「隣接型」の3通りを選択、(2)実施当初年度から財政効果が期待できる、(3)区の地域性を踏まえ東部・中央・西部の各地域から選択、以上の3つの視点から巣鴨(校舎内型)、西巣鴨(隣接型)、朝日(敷地内型)、高松(隣接型⇒校舎内型)、さくら(校舎内型)、南池袋(隣接型)の各小学校区が選ばれた。放課後対策事業としての全児童クラブは空き教室や図書室・校庭・体育館等の学校施設を活用する「校舎内型」を基本に、主に学童クラブ児童の居場所として1日中使用できるコアスペースのほか、放課後のみ使用できるセカンドスペースを確保することを原則としていたが、そうしたスペースを取ることが難しい場合は「敷地内型」もしくは「隣接型」で対応していくとされていた。なお前述した通り、朝日小学校区については後に「敷地内型」から「校舎内型」に変更され、また高松小学校区については開始当初は隣接する児童館を使用し、校舎の改修後に「校舎内型」に移行することとされた。モデル実施期間は17年(2005)4月から1年間、その間に施設の利用状況や事業実施状況、利用者の意向把握、運営協議会の設立状況等を検証し、18(2006)年度から本格実施に移行する予定であった。
 既に新設施設により具体的な部屋割り案を検討していた朝日小学校区を除き、モデル実施区に選定された各小学校区では次第に賛同者も増えていったが、不安の声もなかなか消えなかった。朝日小学校区以外の5小学校区は、全児童クラブへの移行により児童館を廃止し、ことぶきの家と合わせて区民ひろばに転用するという、既存の施設を前提にした再編案であったため、各施設利用者にとっては利用に制限がかかる心配があり、メリットが感じられなかったのである。また既存施設では様々な区民要望を反映させるにも限界があり、部屋割り案の調整にも時間がかかった。だがそれ以上に困難が予想されたのは区民ひろばの運営協議会づくりであった。
 豊島区は総人口約25万人(当時)のうち約1割の2万人強が毎年転出入で入れ替わる流動性の高い都市であり、それに伴い地域コミュニティの希薄化が課題となっていた。地域組織の中心である町会の加入率は約5割にまで減少し、役員の高齢化も進んでいた。また区の施策や事業に協力する民生・児童委員や青少年育成委員、PTA役員等の負担感も大きく、なり手不足が続いていた。その上さらに新たな役割を担うこと、しかも施設の自主運営などとても無理ではないかと懐疑する声が多かった。またモデル実施が決定された段階では、いずれの地区も運営協議会の形は整っておらず、そうした状況でモデル実施に踏み切ることに対して区の性急さを批判する声もあったのである。
 だが当然のことながら、区は最初からいきなり自主運営に切り替えるのではなく、当面は従来通り区が運営を担い、将来的に自主運営に移行できるよう運営協議会を支援していく方針であった。現実的に運営協議会を組織化するには、町会をはじめとする既存の地域活動団体に多くを頼らざるを得なかったが、NPO活動等のひろがりやいわゆる団塊世代が定年を迎え地域に戻ってくることを想定し、新たな地域人材の発掘・育成の場となることも期待された(図表2-⑯「地域区民ひろば」運営協議会のイメージ参照)。地縁的組織と新たなボランタリー組織をどう連携させていくか、また運営協議会のエンジン役となる人材の発掘が「地域区民ひろば」構想の成否を握る鍵であったと言える。
 こうして区民も区も、模索しながらの運営協議会づくりが進められていくことになったのである。
図表2-⑯ 「地域区民ひろば」運営協議会のイメージ
 各地区での協議や施設の整備状況等を踏まえ、実施可能な地区から実施するとの方針に基づき、平成17(2005)年4月から巣鴨・西巣鴨・南池袋・高松の各小学校区でモデル実施がスタートし、さくら・朝日小学校区は3か月遅れの7月からのスタートとなった(※24)。
 先行の4小学校区では、いずれもことぶきの家や児童館等の既存施設が区民ひろばに転用された。また利用方法も個人利用については登録制で従来の利用者(ことぶきの家60歳以上、児童館18歳未満)を優先し、余裕がある場合にその他の年齢層も利用できることとされた。いきなり利用形態をガラリと変えるのではなく、年齢制限の撤廃ではなく緩和という形で現行利用者に配慮した緩やかな方法が取られた。
 各区民ひろばでは世代間交流事業や地域の課題について話し合う「地域懇談会」(13回・163名参加)等がモデル事業として実施された。そしてそれらの内容を逐次紹介する「区民ひろばニュース」を発行し、「地域区民ひろば」に対する理解を広げていった(※25)。この「地域懇談会」は運営協議会への第一ステップに位置づけられるものであり、朝日小学校区では施設整備の際につくられた「地域懇談会」が「運営協議会準備会」に変わった。
 そしてこうしたモデル事業と並行し、利用状況や利用者アンケート等による検証作業が進められ、12月に「地域区民ひろばモデル実施に関する検証報告」がまとめられた(※26)。
 この報告は(1)地域区民ひろばへの理解、(2)円滑な施設利用、(3)新たな利用者の動向と従来の利用者への影響、(4)異世代間交流に対する評価、(5)自主運営に対する意向の5項目を検証の視点とし、利用者統計やアンケート調査、地域懇談会参加者の意見等により検証した結果をまとめたものである。個人利用者885人、利用者団体129団体、地域団体103団体から回収されたアンケート結果を見ると、視点(1)についてはアンケート対象が利用者中心だったため区民ひろばの認知度は8割を超えていたが、利用していない区民に周知するにはより一層のPRが必要との意見が多かった。また視点(2)や(4)については日常的な世代間交流が生まれていることを評価・支持する声が多い一方、(3)に関しては利用実績がほぼ前年度並みであったことから、利用者の拡大を図っていくために「休日や夜間も利用できるように」との意見が出されていた。さらに(5)については地域懇談会への参加に関して個人利用者 47%、利用団体 67%、地域団体27 %が肯定的な回答をし、同じく運営協議会への参加についても個人利用者16%、利用団体34%、地域団体18%が肯定的な意向を示していた。こうした検証結果を踏まえ、区は予定通り18(2006)年度からの本格実施に向けた準備を進めていった。
区民ひろば南大塚(巣鴨小学校区)
区民ひろば西巣鴨第一
区民ひろば南池袋
区民ひろば高松
区民ひろばさくら第一

「地域区民ひろば」本格実施、その後の展開

 本格実施を目前に控えた平成18(2006)年2月、区議会第1回定例会に「地域区民ひろば条例」案が提出され、区議会の議決を経て、同年4月1日に施行された(※27)。
 この条例は各区民ひろばを公の施設に位置づけるものであるが、その第2条に「地域区民ひろば」の理念として「小学校の通学区域を基礎的な単位として構成する公の施設を使用し、地域の多様な活動及び世代を越えた交流を推進するとともに、区民主体の自主的な活動を促進することにより、広がりのある地域コミュニティの活性化に寄与する」ことが謳われている。また運営協議会については第13条で「区民は、地域区民ひろばの運営等を協議するため、区長の承認を得て、運営協議会を設置することができる。(第1項)」、「区は、前項の運営協議会が、自己決定・自己責任による地域区民ひろばの運営を進めるために必要な支援を行うものとする。(第2項)」と規定し、続く第14条で「地域区民ひろばは、当分の間、区が管理する。(第1項)」「前項の規定にかかわらず、区長が必要と認める場合には、前条第1項の運営協議会に対し、協議の上、地域区民ひろばの運営の一部を委ねることができる(第2項)」として運営協議会による自主運営への道を拓いている。
 この条例施行に伴い、平成18(2006)年4月1日、モデル実施の6小学区が本格実施に移行したのに加え、高南小学校区、富士見台小学校区の計8小学校区に区民ひろばが開設された。さらに朋有小学校区を年度中の19(2007)年2月に開設し、19(2007)年度以降も施設等の再編が整ったところから順次開設していった(※28)。
 各施設の開設経緯を以下時系列で列記する。
・平成17(2005)年4月(モデル実施)区民ひろば巣鴨(現「区民ひろば南大塚」)、区民ひろば西巣鴨、区民ひろば南池袋、区民ひろば高松
・平成17(2005)年7月(モデル実施)区民ひろば朝日、区民ひろばさくら
・平成18(2006)年4月区民ひろば高南、区民ひろば富士見台
・平成19(2007)年2月区民ひろば朋有
・平成19(2007)年4月区民ひろば駒込、区民ひろば清和、区民ひろば池袋本町、区民ひろば西池袋、区民ひろば池袋、区民ひろば千早
・平成20(2008)年4月区民ひろば上池袋、区民ひろば長崎、区民ひろば椎名町
・平成25(2013)年11月区民ひろば仰高
・平成27(2015)年4月区民ひろば要
・平成27(2015)年5月区民ひろば豊成
・平成27(2015)年7月区民ひろば目白(全22小学校区での実施完了)
 モデル事業の実施から10年の歳月を経て、目白小学校の改築工事に合わせて進められた「区民ひろば目白」の開設を最後に区内全22小学校区での区民ひろば整備は完了した。
 なお当初、小学校区は23であったが、平成20(2008)年7月に策定された「豊島区立小・中学校の適正化第二次整備計画」に基づき、26(2014)年4月に池袋第二小学校と文成小学校の統合により新たに池袋本町小学校が開校されたため、最終的には22小学校区となっていた。
 この10年間のあゆみについては「6,048,662のひろば」という小冊子にまとめられているが、タイトルの「6,048,662」は平成17(2005)年のモデル実施から「区民ひろば目白」が開設された27(2015)年の12月までの区民ひろば利用者数である。これは区の総人口280,639人(28年1月1日当時)の約22倍にあたり、乳幼児から高齢者まで単純平均で区民一人あたり22回も区民ひろばを訪れていることになる。そうしたことは本格実施以降の利用統計にも表われており、モデル実施開始当初には横ばいだった利用者数は年を追うごとに増加していった。
 こうして円滑な本格実施への移行がなされた後、「地域区民ひろば」の最大の課題は運営協議会づくりであった。前述した通り、運営協議会の組織化は段階的に進められた。町会をはじめ様々な地域活動団体等の代表者を構成メンバーとする懇談会からスタートし、準備会、運営協議会とステップアップしていく方式である。また運営協議会が担う役割についても、協議会の会則づくりから施設の利用ルールづくりへ、独自イベントの企画から年間の事業計画づくりへ、さらに施設管理の受託も含めた自主運営へと順次広げていくことが想定されていた。
 前述した通り、平成17(2005)年4月のモデル実施開始当初、運営協議会の設立に向けた動きは「区民ひろば朝日」(同年11月準備会発足)が先行していたが、その後各地区でも「地域懇談会」が開催され、区民参加による話し合いが重ねられていった。18(2006)年に入ると高松(3月)、西巣鴨(4月)、巣鴨(5月)、南池袋(7月)、高南(8月)、さくら(9月)の各区民ひろばで次々と準備会が発足し、特に高松・西巣鴨・巣鴨では運営協議会設立に向けてプロジェクト・チームや小委員会が立ち上げられ、会則案等の検討が精力的に進められた。またそうした検討に並行し、これら地区の準備会では自主企画イベント等を実施するなど、既に事業運営にも実質的に参加していた。そのための話し合いも含めると、高松地区の準備会ではほぼ毎月2~3回ペースで話し合いが行われていた。こうした地域の人々が集まって「協議を尽くす」ことこそが、区民参加による運営協議会づくりの土台となり、さらに後の運営協議会自主運営化にもつながっていったものと考えられる。そして同年10月、第1号となる「区民ひろば高松運営協議会」が設立され、翌11月には「区民ひろば朝日運営協議会」が続き、19(2007)年以降、他地区も順次運営協議会へと移行していった。
 その当時の各地区準備会・協議会の委員構成を見ると、町会や民生・児童委員、青少年育成委員会、PTA等の既存の地域団体からの参加が多数を占めてはいたが、その中にボランティアや定年後に初めて地域参加を果たしたという個人も見られ、幅広い区民参加への模索が窺える。そしてこうした運営協議会づくりの手順は、以後の区民ひろばにおいても準用されていったのである(※29)。
 一方、区民ひろばの自主運営化は運営協議会づくりよりもさらにハードルが高かった。条例にも規定したように、いずれは区民ひろばの施設管理までを運営協議会に委託することを想定していたが、自主事業の企画や運営はまだしも、施設の管理まで委ねられることはそうしたノウハウを持たない地域区民にとって負担が大きかった。また区から施設の管理業務を受託するには、組織としての基盤を固め、人的な体制を整える必要もあった。
 このため自主運営化に向けた動きが具体化したのは、本格実施から4年後の平成22(2010)年のことであった。それまでも各地区運営協議会と自主運営化に向けた協議は重ねられていたが、22(2010)年度の新規事業として「地域区民ひろば自主運営移行モデル事業」が予算化され、その実施地区として「区民ひろば池袋本町」が手を挙げたのである。これを受け、同年5月の「地域区民ひろば推進本部」(区長をトップとする庁内組織)において池袋本町地区をモデル事業の実施地区とすることを決定し、7月に運営協議会を母体に「NPO池本ひろば」を設立、11月にNPO法人としての認証を受け、翌12月には正式名称「NPO法人池本ひろば」として法人登記を完了させた(※30)。
 このモデル事業では①協議会主体型で事業全般型(運営協議会に区民ひろば運営業務の一部を委託)、②協議会主体型で企画事業型(補助金を交付し運営協議会の事業範囲を拡充)、③協議会・NPO並列型(運営協議会と協定等を締結したNPO法人に運営業務の一部を委託)の3形態が想定されていたが、施設管理も含めた自主運営はこのうちの①にあたる。また委託業務の範囲は、地域区民ひろばの管理及び事業と併設する区民集会室の管理及び使用料に関することとされ、このうち管理業務の内容は施設の開閉、事務用品等の管理、利用者対応等、区民ひろばの日常的な管理業務と、区民集会室の貸出・受付、使用料の収納・還付等の手続き業務等に限定され、備品購入、光熱水費の支払、警備・清掃・空調等の保守委託、大規模改修等の施設の維持管理業務は引き続き区が実施することとされた。
 そしてこうした管理業務を受託するにあたって運営協議会のNPO法人化が原則とされたのである。22(2010)年度のモデル事業開始時点でも池袋本町地区以外に富士見台地区でNPO認証取得に向けた取り組みが進められ、高松・高南・清和・西巣鴨・南池袋各区民ひろばでもNPO法人化に向けた検討が開始されていた。また区民ひろば朝日では②の形態でのモデル事業が10月から開始されており、③の形態での実施地区の該当はなかったが、23(2011)年度以降モデル事業を他地区で展開していく際にNPO法人化が難しいケースを想定し、施設管理のノウハウを持つNPO法人とのマッチングにより運営協議会の負担を軽減する選択肢のひとつとして挙げられたものであった。
 年末に法人化が完了した「NPO法人池本ひろば」は、明けて23(2011)年1月からNPOスタッフの選考・採用、事前研修等を実施し、2月1日からモデル事業を開始した。モデル事業の実施期間はその年の8月まで、その間の検証を踏まえ本格実施に移行することとされた。
 この検証結果については9月に「地域区民ひろば自主運営移行モデル事業に関する検証報告」としてまとめられている(※31)。利用者アンケートやNPO法人による自己評価を踏まえ地域区民ひろば課が客観的・総合的に評価する方法で、業務委託の適正な執行・管理と運営協議会の自主運営の進捗度の二つのテーマの下に13の小項目を設定し、それぞれについてA~Eの5段階で評価が下された。13項目のうち執行・管理に係る「報告」がA(大変良好であり、現状のまま本格実施へ移行できる)、「広報」がC(概ね良好であるが、一部改善・見直しの上、本格実施に移行できる)だったほかはいずれもB(良好であり、現状のまま本格実施へ移行しても特に問題はない)で、D(改善・見直しが相当必要であり、区のサポートの強化を図りモデル事業を継続する)・E(モデル事業実施の継続の見直しを検討する)と評価された項目はなかった。特に運営主体がNPO法人に変わったことに関しては、利用者アンケートでも「職員の印象が良くなった」「地域の人が職員になり親しみやすくなった」など評価する声が多く、「今後も区民ひろばを利用したいか」区民ひろばは地域住民の生活・人生に役立っているか」などの問いに対しても利用者の90%以上が肯定的な回答をしていた。
 こうした検証結果を受け、「NPO法人池本ひろば」による自主運営はモデル事業からそのまま本格実施に移行し、以後、各地区でも運営協議会のNPO法人化が進められた。令和3(2021)年6月時点で運営協議会を母体に設立されたNPO法人は全区民ひろばの半数にあたる11地区にのぼり、それぞれの地区で自主運営が開始されている。
 一方、実施事業の面でも従前の高齢者の健康保持や子育て支援事業に加え、運営協議会による世代間交流事業や自主企画事業など、各地区の特色を活かした多彩な事業が展開されていった。その中でも区民ひろばの位置づけを確固たるものとしたのは、平成24(2012)年の区制施行80周年に向け、22(2010)年から区を挙げて取り組んだセーフコミュニティの国際認証取得であった。このセーフコミュニティについては第3章で詳述するが、WHO(世界保健機関)が推奨する生活の安全と健康の質を高めていくまちづくり活動で、豊島区では「子どものけが・事故予防」「高齢者の安全」「障害者の安全」など9つの重点課題ごとに対策委員会を設けるとともに、区民ひろばをセーフコミュニティ活動(以下「SC活動」)の地域拠点に位置づけたのである。
 各区民ひろばでは子どもの事故予防や防犯について学ぶ体験型プログラム「としま安全キャラバン隊」、高齢者の家庭内事故を防ぐ「転倒予防教室」、障害者自らが講師を務める「障害者サポート講座」など様々な学習プログラムが展開された(※32)。このセーフコミュニティの認証取得にあたってはWHO認証センターによる審査が行なわれ、さらに4年ごとに取り組み状況を改めて審査し認証が更新される仕組みとなっているが、区民ひろばを拠点とするSC活動は認証・再認証のいずれの際も、地域区民が主体的・継続的に参加できる仕組みとして審査員たちから高い評価を受けた。
 こうしたSC活動が展開された時期は、前述した運営協議会の自主運営化が動き出した時期に重なる。SC活動という具体的なミッションがあったことが運営協議会への参加意識を高め、自主運営化にも弾みをつけたと言える。
 そして認証取得翌年の平成25(2013)年3月、「自治の推進に関する基本条例(平成18年4月1日施行)が改正され、同条例にセーフコミュニティの意義を定めるとともに、「地域区民ひろば」は「コミュニティを基盤とする活動の拠点」に位置づけられた(※33)。これにより「地域の誰もが安全・安心に暮らせるよう、地域の人々のつながりを生みだし、そこから様々な活動の輪を広げていく場」としての「地域区民ひろば」の方向性はより明確なものとなったのである。翌26(2014)年度に区民ひろばで実施されたSC活動は1,280回、参加者数は延べ26,890名にのぼっていた。
 さらに21(2009)年度からモデル事業が開始され、24(2012)年度に本格実施に移行した「コミュニティソーシャルワーカー(CSW)事業」についても、豊島区では8つの圏域内にある区民ひろばにCSWが配置された(※34)。CSWは地域の中で支援を必要としている人と福祉サービスや地域ボランティアを結ぶ役割を担う専門職であるが、セーフコミュニティの拠点であり子どもから高齢者までが日々集う区民ひろばに配置することにより、区民にとって相談しやすく、また日常的に区民と接する中から問題を早期に発見し、地域福祉に関わるボランティアや団体等とにつなげるなど、地域の中でのネットワークづくり、支え合いの仕組みづくりにつながっている。
 こうして「地域区民ひろば」は着実に地域に根を下ろし、地域コミュニティの核となる施設に育っていった。危機的な財政状況に端を発し、行財政改革の一環として生み出された構想ではあったが、後年各自治体で公共施設の再編が課題になっていったことを考えると、「地域区民ひろば」は全国モデルとなる先駆的な取り組みであったと言えよう。
 この「地域区民ひろば」構想を成功に導いたのは、運営協議会の核となって牽引していった地域の人々の努力と熱意にあったことは言うまでもない。地域の中の様々な思いを背負いながらも、新たな地域コミュニティづくりという目標のために多くの人々がそれこそ手弁当で働いた。さらにそうした人々を支援し、ともに汗を流した現場職員たちの存在も忘れてはならない。これらの職員の多くは再編対象となったことぶきの家や児童館の所長クラスのベテラン職員であり、運営協議会がNPO法人に移行した後もスタッフとして残った職員は少なくない。ことぶきの家や児童館だった頃から地域の人々と築いてきた信頼関係があったからこそ、「地域区民ひろば」という新たな構想に対する区民の戸惑いや、時には批判を受け止める受け皿となり得たのである。そうした職員がいたことを最後に記しておきたい。
区民ひろば高南第一
区民ひろば富士見台
区民ひろば駒込
区民ひろば朋有
区民ひろば清和第一
区民ひろば池袋本町
区民ひろば池袋
区民ひろば西池袋
区民ひろば千早
区民ひろば上池袋
区民ひろば長崎
区民ひろば椎名町
区民ひろば仰高
区民ひろば要
区民ひろば豊成
区民ひろば目白

児童館の再編と子どもスキップの展開

 前述したように、児童館の再編・全児童クラブへの移行については、当初から「地域区民ひろば」よりもさらに反対の声が多かった。そこに寄せられた多くの意見や要望にどのように対応していったかの経緯をたどる前段として、「全児童クラブ構想」が生まれた背景について概略する。
 核家族化や共働き世帯の増加に伴い保育園の設置要望が広がっていったのと同様に、小学生児童を対象とする学童保育の実施を求める声は昭和30(1955)年代以降各地に広がり、それに応じるようにして各自治体が事業化していった。その後、急速な少子化により平成2(1990)年、合計特殊出生率が過去最低を記録したいわゆる「1.57ショック」を契機に国も子育て支援政策の推進に本格的に乗り出し、6(1994)年に策定した通称「エンゼルプラン」に仕事と子育ての両立支援の重点施策のひとつとして「放課後児童健全育成事業」を位置づけた。そして9(1997)年改正の児童福祉法に同事業について「小学校に就学している児童であって、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう」(第6条3の2)と規定し、各自治体で実施されていた学童保育事業を国の補助事業として制度化したのである。これにより全国で学童クラブの開設が進み、その設置数・入所児童数は10(1998)年に9,729か所35万人だったものが10年後の20(2008)年には17,583か所79万人と倍増していった。
 後で触れるが、この法改正に伴い、豊島区においても平成11(1999)年に「豊島区立学童クラブ条例」を制定している。
 だがこうして児童福祉法により法的根拠が与えられたものの、学童クラブの設置・運営基準は定められていなかったため、その設置形態は自治体によって様々であった。同法に規定された「児童厚生施設等」は児童館を想定したものであったが、実態は必ずしもすべての学童クラブが児童館に設置されたわけではなかった。特に1990年代後半以降、都市部において保育園や学童クラブに入れない待機児童の問題が顕在化する一方、バブル崩壊により各自治体の財政状況は厳しくなり、行財政改革を進める中で学童クラブの定員枠の緩和・撤廃や学校の空き教室を活用してスペースを確保するなど苦肉の策を講じて入所児童の拡大が図られた。政令市や東京23区の中には、すべての児童を対象とする放課後対策事業の中に学童保育事業を組み込む「全児童対策事業」を独自に実施するところも出始め、こうした自治体の動きに呼応し、国(厚生労働省)も13(2001)年に開かれた全国児童福祉主管課長会議において、定員や施設面積、専任職員の配置等の一定の基準を満たせば「全児童対策事業」であっても「放課後児童健全育成事業」として補助対象として認める方針を示したのである。
 一方、教育政策の分野でも平成8(1996)年の中央教育審議会答申を受け、子どもたちに「ゆとり」と「生きる力」を育むことを目的に14(2002)年に完全学校週5日制が導入され、子どもたちの土曜日の過ごし方や居場所づくりが課題になっていた。また前年13(2001)年に起きた大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件は社会に大きな衝撃を与え、子どもたちの安全・安心な居場所づくりが喫緊の課題となり、このため文部科学省は16(2004)年度から、地域人材の活用により放課後や週末における子どもたちの体験活動や地域交流事業を支援する「地域子ども教室推進事業」を開始した。さらに19(2007)年度にはこの「地域子ども教室」を「放課後子ども教室」に改め、厚生労働省所管の「放課後児童クラブ」(放課後児童健全育成事業)と一体的または連携して行なう総合的な放課後対策として「放課後子どもプラン」を創設した。
 こうして子どもたちの放課後の居場所づくりという共通課題のもとに、文部科学省と厚生労働省とがそれぞれの所管事業をクロスさせるプランが国から投げかけられたわけであるが、そもそも各事業が依って立つ制度や目的が異なる上、投げかけられた自治体の側も教育委員会と子ども福祉担当部局の間には依然として縦割り意識が根強く、プラン通りに一体化し、連携して事業を展開させるには乗り越えなければならない様々なハードルがあることが予想された。
 このような動きを背景に、豊島区においても平成12(2000)年5月、子ども家庭部長をリーダーに関係課長・係長等で構成する「豊島区立児童館等のあり方検討プロジェクト・チーム」(以下「児童館等のあり方PT」)が設置された。「児童館等のあり方PT」は児童館の①今日的機能・役割及び運営方法、②適正配置数とその規模、③新小学校内への設置の可能性・妥当性の3つの課題、特に③を緊急性の高い優先課題として翌13(2001)年1月までに14回の会議を重ね、「児童館等のあり方 PT第一次報告」(以下「PT報告書」)を提出した(※35)。
 豊島区では昭和42(1967)年の高田児童館の開設以来、1小学校区1館を目標に児童館の整備を進め、平成5(1993)年に借上げ施設の巣鴨第二児童館が開設されたのをもって24館体制が維持されていた。また各児童館に学童保育事業の拠点を置くことを原則とし、全児童館に学童クラブを設置したほか、小学校敷地内に学童保育を行なう3育成室(単独設置学童クラブ)を設置、合わせて学童クラブ数は27となっていた。前述した通り、平成7(1995)年の臨調報告で利用年齢制限のある児童館については抜本的な見直しが必要であると提起されていたが、長らく検討課題にとどめられ、具体的な再配置が示されたのは12(2000)年12月に公表された「公共施設の再構築推進検討委員会」第一次報告であった。この第一次報告では現行24館の児童館を17館とする再配置案が示されているが、この再配置案は「児童館等のあり方PT」の検討を反映させたものである。
 平成9(1997)年1月に策定された「豊島区立小・中学校の適正化第一次整備計画」に基づき、13(2001)年4月に高田・雑司谷・日出小学校の3校統合により南池袋小学校が開校するのに続き、14(2002)年4月には千川・大成小学校の統合によりさくら小学校、17(2005)年4月には大明・池袋第五小学校の統合により池袋小学校の開校が予定されていた。先に挙げた課題の「②適正配置数とその規模」には、こうした統合スケジュールに合わせて各小学校区内にある児童館の再編のあり方を検討することも含まれた。「PT報告書」はこれら小学校の統合に伴い南池袋・要町第二・池袋第一児童館の3館を廃止するとともに、借上げ施設の巣鴨第二児童館、さらに1小学校区1館という従来の設置基準の見直しによる3館を加えて計7館の廃止を提起している。この追加3館は区内を4ブロックに分けて配置バランスを整えるとともに、おおよそ半径600mエリアを新たな設置基準としてエリアが重複している児童館を廃止対象としたものである。その廃止候補とされたのは上池袋第一児童館または第二児童館のいずれか1館、千早児童館、長崎第二児童館または要町第一児童館のいずれかの3館であった。
 特に統合が目前に迫った南池袋小学校については、高田小学校を仮校舎として開校後、旧雑司谷中学校跡地に建設する新校舎に16(2004)年4月に移転する予定となっていた。緊急性の高い優先課題とされた「③新小学校内への設置の可能性・妥当性」の新小学校とはこの南池袋小学校のことであり、「児童館等のあり方PT」は学区内の南池袋児童館と雑司が谷児童館の学童クラブを統合し、同校内に設置する可能性・妥当性を探った。
 また児童館を17館へ再配置した場合、児童館数が小学校区数を下回ることになるため、各小学校区に少なくともひとつの学童クラブが設置されている状態を維持するには、従来の育成室のような単独設置の学童クラブが必要となってくる。そのため「PT報告書」では学童クラブと児童館統廃合とを分離し、教育委員会と調整の上、小学校の余裕教室の活用、小学校敷地内への建設等により学童クラブ室を学校内に整備する方針が提起されている。またこの学童クラブ室の広さは、利用児童が「学習や休憩のできる場」の他「遊びのスペース」を確保するのが望ましいとされた。これが「全児童クラブ構想」のモデルとなるものであり、児童館廃止後に学童クラブをどのように配置していくかのひとつの答えでもあった。そしてこの方針に基づき、南池袋小学校への学童クラブ設置の手順を以下のように示している。
  • (1)平成13(2001)年4月 南池袋小学校開校、南池袋児童館・雑司が谷児童館の両館で学童クラブ運営
  • (2)平成14年(2002)4月 南池袋児童館廃止(3月末)、南池袋児童館学童クラブについては同児童館跡施設を活用して単独設置学童クラブとして運営(ただし利用者数が10人以下となった場合には雑司が谷児童館学童クラブへ統合を進める)
  • (3)平成16年(2004)4月 南池袋小学校新校舎移転、同校に単独設置学童クラブを設置し旧南池袋児童館及び雑司が谷児童館の学童クラブを統合(雑司が谷児童館は学童クラブを置かない形態となる)
 なお「PT報告書」にはこうした再配置案とともに、今後の児童館のあり方について「運営協議会」(仮称)の組織化・自主運営化、「特色ある児童館づくり」に向けた地域館・中高生対応館・幼児対応館の区分の明確化、センター的機能をもった大型児童館構想など、「地域区民ひろば」の運営協議会に重なる組織づくりや後の「中高生センター」構想につながる視点も提示されている。さらに「地域に開かれた学校への期待」として、地域における貴重な資源であり区民共有の財産である学校については「『教育』という本来目的のほか、放課後や休日に、区民とりわけ子ども達がいつでも集える場、遊び場、交流できる場として活用されるのが望まれる。特に、平成14(2002)年度からの完全週5日制の導入を目前にして、学校のあり方を考えるとき、統合後の17の児童館と33 の小中学校が、いつでも子ども達が自由に利用できる施設となることが望ましい」と記されており、それは閉鎖的と指摘されてきた学校のあり方への問題提起であり、その後、全児童クラブへの道を拓くための教育委員会に対するメッセージのようにも捉えられるのである。
 そしてこの「PT報告書」の提起をベースに、行財政改革推進本部による「本部素案」でも児童館の17館体制の方針は堅持され、さらに「本部案」では「地域区民ひろば」構想の一翼を担う新たな施設として、全児童クラブが初めて掲げられたのである。  以下に「本部案」の全児童クラブに関する記述部分を抜粋する。
全児童クラブ
【現状】
 豊島区青少年問題協議会の答申(平成15年2月)では、権利の主体としての子どもの発達保障の観点から、中高生の居場所や親子の交流の場とともに、学校施設の活用による放課後対策事業の推進が提案されている。同答申では、塾通いや習い事に代表される生活の多様化や学校週5日制の影響で、子どもが放課後友だちと遊び交流する機会が減少しているという認識のもとに、自主的・主体的な参加を基本とした交流の場の創造を求めている。学校は子どもにとって親しみがあり、利用のための移動時間を要さず、安全性も確保できる施設であるため、行動範囲が狭く安全性に配慮が必要な小学生の放課後の居場所としては、極めてふさわしい施設であるといえる。
 「全児童クラブ」とは、余裕教室や校庭・体育館・図書室等の学校施設を活用して、健全育成事業と学童クラブ事業を総合的に展開することにより、すべての小学生のための、安全・安心な、遊びと交流の場を整備していく事業である。
 なお、文部科学省は、「(仮称)子どもの居場所づくり新プラン」として、「全児童クラブ」と同趣旨の事業を16年度から実施することを計画している。
【問題点】
 現行の児童館が小学校と隣接しているケースはごくわずかであり、行動範囲の狭い小学生が短い放課後時間に利用する施設としては、利便性・安全性の面で課題を抱えている。また、児童館では屋内遊びが中心となりがちだが、子どもの体力増進を図る観点からは、広々とした外遊びのための環境整備が必要である。小学校の校庭は外遊びの条件を備えており、さらなる利用を図る必要がある。
 学童クラブについては、需要が増加傾向にある中で待機児が生じる一方、受入れに相当の余裕のあるクラブも生じており、各クラブでのバランスのとれた運営が行われているとは言えない状況にある。また、学童クラブ児童の増加に伴い、子育てと仕事の両立支援を推進していく観点からは、保護者が安心して子どもを預けられるシステムは今後も充実が求められるが、そのことが子どもの囲い込みにつながり、遊びと交流の世界を分断することのないような十分な配慮も求められる。
【再構築の考え方】
 小学校区域内すべての小学生のための放課後の居場所として、「(仮称)地域区民広場」のなかに整備する。
【再構築案】
 条件の整った地域から、全児童を対象とした、小学校内での放課後対策事業の展開を図り、「(仮称)地域区民広場」としての一翼を担う。【検討中】
 「本部案」で示されたこうした方針は、前述した「放課後子どもプラン」などの国の動きや品川区の「すまいるスクール」、江戸川区の「すくすくスクール」など他区で実施されている校舎内型学童クラブの先行事例を踏まえたものであり、末尾に「検討中」との但し書きがあるものの、「全児童を対象とした小学校内での放課後対策事業」の展開が打ち出され、その第1号となるのが南池袋小学校への学童クラブの統合・移転であった。
 また「本部案」では南池袋小学校区の「地域区民ひろば」については、ことぶきの家の機能を兼ねる高齢者福祉センターに区民ひろばを開設し、放課後対策事業(全児童クラブ)は千登世橋中学校跡地(仮校舎、旧雑司谷中学校跡地)に整備される南池袋小学校または敷地内にあるテニスコート跡地に整備するとされていた。
 「PT報告書」で示された手順に従い、平成14(2002)年3月末に南池袋児童館は廃止され、15(2003)年度までは存続することとしていた同館学童クラブも入所希望が少なく14(2002)年度から休止されていたが、統合計画段階から課題となっていた学童クラブ室の整備場所については15(2003)年度に入っても確定していなかった。13(2001)年度から導入された通学区域の弾力化(隣接校選択制)による影響や、新校舎人気による南池袋小学校児童数の増加とそれに伴う学童クラブ入所需要の増加が見込まれ、新校舎内に学童クラブ室のためのスペースを確保することが難しくなっていた。一方、放課後対策事業の実施にあたり、保護者からは学童クラブ在籍児童と在籍していない児童が交流できる環境整備が強く要望されていたため、学校施設を活用した事業運営の確保も求められていた。この二つの条件をクリアするため隣接型で全児童クラブを展開することとし、校舎敷地の南側に位置するテニスコート跡地に学童クラブ室を整備する方向で調整を図っていった。この土地はもともと雑司谷中学校建設時に隣接する観静院と法明寺から買い取ったものであったが、両寺院と折衝を重ねる中で法明寺に売却することを前提に5年間の時限で区が借り受け、同地に学童クラブ施設を整備することで話がまとまり、15(2003)年区議会第2回定例会にその整備費用を盛り込んだ補正予算が提出された(※36)。敷地面積447㎡に建築面積265㎡のリース契約による1階建てのプレハブ建物ではあったが、学童クラブ児童と一般児童が一緒に過ごせる場として全児童クラブ展開のためのスペースが確保された。そして16(2004)年4月、全児童クラブ第1号の「子どもスキップ南池袋」がスタートしたのである(※37)。
 この子どもスキップは放課後対策事業の事業名と施設名とを兼ね、以後、他の小学校区でも使われていくことになるが、片足ずつ交互にとんで歩くスキップ運動に躍動感あふれる小学生のイメージを重ねるとともに、Space for Kids' Ideal Play(子どもの理想的な遊び場)の頭文字を取った略語「SKIP」でもあり、事業の趣旨を簡潔に表わしていた。
 だがこうして南池袋小学校区で全児童クラブが実施されていく一方で、平成15(2003)年10月の「本部案」公表後、児童館の廃止に反対する声が一斉にあがった。翌16(2004)年に区議会に提出された児童館の存続や全児童クラブへの移行見直しを求める請願・陳情は実に14件に及んだ。以下、提出された順に列記する(署名数は追加署名を含む)。
  • ① 巣鴨第二児童館ならびに集会室に関する請願(朝日町会代表外6名)【採択】
  • ② 巣鴨第二児童館に関する陳情(巣鴨第二児童館学童クラブ父母の会会長外20名)【継続】
  • ③ 児童館の存続と学童クラブの常勤指導員の複数体制を求める陳情(豊島区学童保育父母連絡会代表外5,162名)【不採択】
  • ④ 児童館と学童保育の存続を求める陳情(1,292名)【不採択】
  • ⑤ 「区財政悪化を理由とした長崎第一児童館廃止」の撤回を求める請願(長崎第一児童館父母の会会長外1,970名)【不採択】
  • ⑥ 長崎第二児童館の存続を求める陳情(長崎第二児童館父母の会代表外2,272名)【不採択】
  • ⑦ 全児童クラブに吸収される学童クラブの質確保についての陳情(高松第二保育園父母会有志代表外9名)【採択】
  • ⑧ 地域の子育て拠点となる児童館の存続を求める陳情(豊島区立児童館の廃止に反対する区民の連絡会世話人代表外8,696名)【不採択】
  • ⑨ 椎名町小学校区南長崎第一児童館の存続を求める陳情(南長崎第一児童館保護者有志の会代表者外3,384名)【不採択】
  • ⑩ 雑司が谷児童館の廃館に反対する陳情(100名)【不採択】
  • ⑪ 西巣鴨児童館の存続を求める陳情(西巣鴨児童館学童クラブ父母の会会長外632名)【不採択】
  • ⑫ 長崎第一児童館の存続を求める陳情(長崎第一児童館学童クラブ父母の会会長外3,383名)【不採択】
  • ⑬ 西巣鴨児童館学童クラブに関する陳情(西巣鴨児童館学童クラブ父母の会会長外5名)【不採択】
  • ⑭ 全児童クラブにおける学童クラブの質の確保を求める陳情(長崎第一児童館学童クラブ父母有志代表者外19名)【不採択】
 このうち①②は前述した朝日小学校区の「地域区民ひろば」再編に関わるもので、また⑦⑬⑭は全児童クラブの見直し等を求める内容であったが、それ以外はいずれも「地域区民ひろば」への再編に伴い施設そのものが廃止される児童館、もしくは「地域区民ひろば」への転用(子育てひろば)により事実上「児童館」の看板を下ろすことになる児童館の存続を求めるものであった。これら14の請願・陳情の署名数は、児童館や学童クラブを利用する保護者等を中心に約27,000名にのぼっていた。
 児童館の存続を求める請願・陳情に共通していたのは、児童館が0歳から18歳まで幅広い年齢層の子どもたちの居場所として地域の子育てセンターの役割を果たしていること、全児童クラブへの移行は子どもたちを年齢別に分断し異年齢集団による交流の場が失われること、さらにこれまで地域の子どもの育成団体等と児童館とが協力して行なってきた活動や事業の継続が危ぶまれることなどを理由にその存続を求めるものであった。だが「地域区民ひろば」への再編や全児童クラブへの移行を行なった上で児童館も存続させるのでは施設再構築による財政効果は得られず、今後5年間で308億円もの財源不足が見込まれ、財政再建団体へ転落が再び危ぶまれるほどに区財政が逼迫している中で存続は認めがたいとの意見が区議会の過半を占め、いずれの陳情も不採択とされた。
 また⑦⑬⑭の全児童クラブの見直し等を求める陳情についても、全児童クラブの趣旨そのものに反対するのではなく、移行にあたって十分な検証を行なうとともに移行後も地域の声を吸い上げる場を求める⑦の陳情は採択されたが、「学童クラブ運営指針」に基づく学童保育の継続や保育の質を低下させることのないよう学童クラブの職員体制のさらなる充実等を求める⑬⑭の陳情は、人件費も含めた施設関連経費の削減を目指す区の方針とは相容れないとして不採択とされた(※38)。
 前にも触れたが、平成9(1997)年の児童福祉法改正(10年4月施行)により「放課後児童健全育成事業」が制度化されたのに伴い、区は11(1999)年に「豊島区立学童クラブ条例」を制定し(12年4月1日施行)、おやつ代等の実費負担分とは別に学童クラブ保育料の徴収を開始した。だが法制化されたとは言え、学童クラブには保育所のような明確な設置・運営基準はなく、それぞれの自治体の裁量に任せられていた。この条例にも、また利用料徴収に伴い作成した「学童クラブ運営指針」も全般的な運営方針や日常活動の留意点等をまとめたマニュアルのようなものであり、いずれも職員配置等に関する基準は定められていなかった。当時、各児童館には児童館事業を担当する職員とは別に、学童クラブ担当職員として常勤の正規職員2名が配置されていたが、行財政改革により職員定数の削減を図るため、15(2003)年度に利用者数が 40人以下の学童クラブについてはこの2名のうち1名を非常勤職員(学童指導員)に切り替えた。また全児童クラブの実施にあたっても正規職員の所長(係長)を配置するほかはすべて非常勤職員と臨時職員で対応していく方針が示されていた。この方針の背景には、15(2003)年度の非常勤職員切り替えの際に保育士・教員・社会福祉士等を資格条件として学習指導員を募集したところ、募集定員を大幅に超える応募があり、優秀な人材が確保できたことがあった。また16(2004)年4月にスタートした「子どもスキップ南池袋」は正規職員の所長1名に非常勤の学習指導員5名、臨時職員3名の計9名のローテーションによる体制がとられていたが、運営上特に支障は見られず、保護者や学校・地域の間でも職員に対する評判は良かった。こうした実状を踏まえ、非常勤職員であったとしても保育サービスの質の低下につながることはないと判断されたのである。
 だが約27,000名にも及ぶ署名は重く、区議会からも全児童クラブを含めた「地域区民ひろば」構想の全体像を理解してもらえるよう、児童館・学童クラブ利用者のみならず幅広い区民により丁寧に説明していくことが求められた。 全児童クラブは「地域区民ひろば」のモデル実施に合わせ、17(2005)年度からのモデル実施が予定されていたものの、どこの小学校で実施するのか、またどのような形で実施するのか、具体的な実施内容については不透明な部分が多かった。既に校舎内に育成室があるところや児童館が隣接している場合は既存施設を活用していくこととされたが、それ以外の小学校については空き教室や倉庫等を改修し、学童クラブ室等のスペースを確保する必要があった。
 実は平成13(2001)年に「全児童クラブ構想」が出始めた当初は、教育委員会も現場の学校サイドも教育の場である学校に学童クラブという全く異なる機能を入れることに対し、少なからぬ抵抗を見せていた。それが翌14(2002)年に完全学校週5日制が導入され、文部科学省が放課後の居場所づくりに動き出ししたことなどもあって、教育委員会内部でも放課後対策事業は全児童クラブで実施していくことが一番効果的であるとの結論を得て、ようやくまとまっていったのである。そして16(2004)年度には子どもスキップの所管である子ども課と教育委員会、さらに学校長も加えたプロジェクト・チームを立ち上げ各学校に調査に入っていったのだが、全児童クラブを展開するのに十分なスペースを確保できるかは学校により事情が異なり、また今後の学校統合や学校改築スケジュールも考慮する必要があった。さらに学童クラブ室を整備するには1校あたり数百万の経費がかかることが見込まれたため、17(2005)年度からの実施が可能なところもあれば、整備までには数年かかりそうなところもあり、実施校の選定には時間がかかっていた。区民や保護者には詳しい情報が知らされないまま、これまで慣れ親しんできた児童館が廃止される、学童クラブは全児童クラブに移行する、という話だけが一人歩きしていた状況に、保護者たちが不安を覚えるのも無理からぬことだったのである。
 そうした保護者たち不安の声に応えるため、5月20日から6月25日までの約1か月間、各児童館と「子どもスキップ南池袋」で全児童クラブに関する説明会が開催された(※39)。21か所で開催された説明会には延べ538人が参加したが、そこでも全児童クラブへの移行を懸念する声は多く、職員体制をはじめ事故が起きたときの対応からおやつの出し方に至るまで、様々な質問が出された。その一方で「一度帰宅することなく学校にいられると安心だ」「学童クラブが終わる4年生以降の子どもの居場所が学校内にできるのは助かる」など、子どもスキップに期待する声もあった。
 こうした様々な不安や期待に応えられるのか―既に先行スタートしていた「子どもスキップ南池袋」の活動は、その後、子どもスキップを各地区で展開していくにあたっての試金石となったのである。
 子どもスキップの利用は登録制で学童クラブ在籍のほか、一度家に帰宅してから来館する一般利用、帰宅せずそのままスキップで過ごす直接利用の3パターンあったが、「子どもスキップ南池袋」では開設2か月後には学童クラブ77名、一般利用223名、直接利用33名の計334名と全校児童401名の8割以上が登録していた。また子どもたちの意見を事業運営に反映させる「子ども会議」を毎月1回開催しながら、地元の東京音楽大生によるコンサートや地域の人々を講師に招いての茶道教室や川柳づくりなど、地域ボランティアの協力を得て様々な事業を実施したが、そのような行事には登録をしていない児童もともに参加した。また前述した通り、「子どもスキップ南池袋」は隣接地に整備した学童クラブ室からスタートしたが、学校側との調整により校舎内の校庭や体育館、図書室も順次活用できるようになり、それに伴って子どもたちの遊びの幅が広がっただけでなく、学童クラブ在籍児童と在籍していない児童が一緒になって遊ぶ姿が見られるようになっていった。こうした変化については、児童や保護者を対象に行なったアンケート調査でも「友達とたくさん遊べる」「このような施設を通して同年代の子ども達と関わっていく機会は貴重だ」などの感想・意見が寄せられた。当然のことながらアンケートにはこうした肯定的な意見ばかりではなく批判的な意見も寄せられていたが、総体としては「スキップの先生方はとてもよく子どものことを見てくれている」「先生方は少ない人数でとてもよくやってくれていると、いつも感心している」など、職員に対する感謝の声や好意的な意見が多かった。また、開設前の16(2004)年1月から2か月に1度、地元の町会長、民生・児童委員、青少年育成委員、学校長・教頭、父母の会代表等をメンバーとする「地域懇談会」が開催されていたが、その席上でも「スキップの職員は大変頑張っている。今後も地域として応援していきたい」「上級生と下級生が一緒にスポーツを行い、ルールを教え、スポーツの楽しさを教える姿があるようだが、すばらしいことである」などの地域からも評価する声が出され、学校長からも「小学校とスキップは大変良好な関係にある。子どもたちのいきいきとした放課後の様子が見られてうれしい」と子どもスキップを通して子どもたちを多面的に見られるようになった「子どもスキップ効果」が報告された(※40)。
 こうした評価を得て17(2005)年4月、「地域区民ひろば」のモデル実施に合わせ、「子どもスキップ南池袋」を含めた巣鴨・西巣鴨・朝日・高松・さくらの6小学校区で子どもスキップのモデル実施が開始された(朝日・さくらは7月開設)。このモデル実施でも学童クラブ在籍児童を含めた子どもスキップの利用登録児童は各地区とも全校児童の7~9割に達した。また先行する「子どもスキップ南池袋」にならい、「地域懇談会」と同様の地域団体等関係者で構成される「子ども部会」が設置され、子どもスキップの運営に関する課題等について話し合うことを通じ、帰宅時間がそれぞれ異なる児童たちの安全を支える地域の見守り活動につながっていた。モデル実施開始から半年後に行なったアンケート調査でも、「大勢で遊ぶことができる」「学童クラブ以外の子と遊べる」といった子どもたちの声や、「安心できる遊び場である」「異年齢の交流の場として期待している」など子どもスキップの取り組みを評価する声が保護者や地域関係者から寄せられていた(※41)。
 さらに教育委員会も新規事業として、平成17(2005)年7月から全児童クラブモデル実施校で「豊島区地域子ども教室」を開始した(※42)。この事業は文部科学省の委託事業(地域教育力再生プラン)で、地域のおとなの協力を得て地域に根ざした多様な体験活動や交流活動の機会を提供することにより、子どもたちの放課後や土日の安全な居場所づくりに地域全体で取り組む環境を醸成することを目的としていた。また子どもスキップ活動の参加の呼び水となるよう、参加するにあたっては事前に子どもスキップに登録することを条件とし、プロの専門講師等による「書道教室」や「囲碁教室」、「野球教室」などのほか、「夏休みの学習教室」「英語であそんじゃおう」「パソコン教室」などの学習プログラムも実施していった。この「地域子ども教室」(19年度以降「放課後子ども教室」)の参加者数は月を追うごとに増加し、プラスアルファのプログラム展開は子どもスキップの追い風となっていったのである。
 こうしたモデル実施の検証を経て、平成18(2006)年4月、「地域区民ひろば条例」と同時に「子どもスキップ条例」が施行された。これにより子どもスキップは「学校施設を活用し、小学校の全児童を対象とする放課後育成事業と学童クラブ事業を総合的に展開する事業」に改めて位置づけられ、新たに朋有(19年2月開設)・池袋第二・高南・富士見台の4小学校区を加え、計10地区で本格実施に移行した(※43)。
 以後、子どもスキップは施設が整ったところから順次開設され、それに伴い児童館の廃止や「地域区民ひろば」(子育てひろば)への転用が進められた。こうして少しずつ実施校での実績が広がっていくにつれ保護者の意識も次第に変化していき、やがて未実施校の保護者たちから子どもスキップの早期整備を求める声があがるようになっていったのである。
 以下、子どもスキップの開設経緯を時系列でたどる(※44)。
・平成16(2004)年4月子どもスキップ南池袋
・平成17(2005)年4月(モデル実施)子どもスキップ巣鴨、子どもスキップ西巣鴨、子どもスキップ高松
・平成17(2005)年7月(モデル実施)子どもスキップ朝日、子どもスキップさくら
・平成18(2006)年4月子どもスキップ池袋第二、子どもスキップ高南、子どもスキップ富士見台
・平成19(2007)年2月子どもスキップ朋有
・平成19(2007)年4月子どもスキップ駒込、子どもスキップ池袋第三
・平成20(2008)年4月子どもスキップ池袋第一、子どもスキップ椎名町
・平成21(2009)年4月子どもスキップ清和
・平成22(2010)年4月子どもスキップ仰高、子どもスキップ長崎
・平成24(2012)年4月子どもスキップ要
・平成25(2013)年10月子どもスキップ池袋
・平成25(2013)年11月子どもスキップ豊成
・平成26(2014)年10月子どもスキップ目白
・平成27(2015)年4月子どもスキップ千早
・平成28(2016)年8月子どもスキップ池袋本町

※38 区民厚生委員会会議録(平成16年6月17日・21日)【児童館再編関連②】
児童館の再編に関する陳情審議資料②(H160617区民厚生委員会資料)
区民厚生委員会会議録(平成16年10月5日・6日・8日)【児童館再編関連③】
児童館の再編に関する陳情審議資料③(H160930区民厚生委員会資料)
区民厚生委員会会議録(平成16年12月8日)【児童館再編関連④】
児童館の再編に関する陳情審議資料④(H161202区民厚生委員会資料)

※39 全児童クラブ説明会の報告について(H160716公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)

※40 子どもスキップ南池袋実施状況資料(H160617・H160930・H161202区民厚生委員会資料)

※41 全児童クラブのモデル実施について(H161004文教委員会資料)
平成17年度子どもスキップモデル事業について(H170708子ども文教委員会資料)
子どもスキップの実施について(H170930子ども文教委員会資料)

※42 豊島区地域子ども教室の実施について(H170708子ども文教委員会資料)
平成17年度子どもスキップモデル実施校6校における豊島区地域子ども教室の実施状況について(H180224子ども文教委員会資料)

※43 豊島区立子どもスキップ条例の制定について(H171202子ども文教委員会資料)
豊島区立子どもスキップ条例(議案)

※44 子どもスキップの実施について(H181201子ども文教委員会資料)
子どもスキップの実施について(H191130子ども文教委員会資料)
子どもスキップ清和の開設について(H201205子ども文教委員会資料)
子どもスキップ仰高の開設について(H211204子ども文教委員会資料)
子どもスキップ長崎の開設について(H220226子ども文教委員会資料)
「子どもスキップ要」の開設について(H231202子ども文教委員会資料)
子どもスキップ池袋の開設について(H250222・H251129子ども文教委員会資料)
子どもスキップ豊成の開設について(H240928・H251129子ども文教委員会資料)
子どもスキップ池袋第三の移設・子どもスキップ目白の開設について(H260627子ども文教委員会資料)
子どもスキップ千早の開設準備について(H251129・H261128子ども文教委員会資料)

 以上の通り、平成28(2016)年8月、池袋第二小学校と文成小学校の統合に伴い新たに建設された池袋本町小学校(小中連携校)の新校舎に「子どもスキップ池袋本町」が開設され、全22小学校区での子どもスキップ整備は完了した。これにより施設再構築の取り組みを開始した12(2000)年当時に24あった児童館と27あった学童クラブのすべてが再編されたこととなり、「豊島区立児童館条例」及び「豊島区立学童クラブ条例」の両条例ともに廃止されたのである(※45)。なお、この学校統合に伴い、18(2006)年に池袋第二小学校に開設されていた「子どもスキップ池袋第二」も26(2014)年度末をもって廃止された。
 また全児童クラブの先陣を切った「子どもスキップ南池袋」は、学童クラブ室棟敷地の使用期限の5年が経過するのに伴い、平成21(2009)年5月、高齢者福祉センターを改築して装いを新たにした「区民ひろば南池袋」内に移転した。
 この間、平成25(2013)年4月に施行された都の「帰宅困難者対策条例」により、大規模災害発生時には児童を校舎内に待機させ安全確保を図るように定められたことを受け、教育委員会は子どもスキップの全校早期設置を推進する方針を決定した。さらに平成27(2015)年4月1日に施行された「子ども・子育て関連3法」に基づいてスタートした「子ども・子育て支援新制度」のもとで、学童保育の対象年齢が「おおむね10歳未満」から「小学生」に拡大されるとともに、市町村が実施する放課後児童健全育成事業を「地域子ども・子育て支援事業」のひとつに位置づけ、その整備計画の策定や省令で定める標準的な基準に応じて放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準を条例で定めることが各市区町村に義務づけられた。これを受け、豊島区においても26(2014)年10月に「放課後児童健全育成事業の設備及び運営の基準に関する条例」を制定し、「子ども・子育て関連3法」と同日施行した(※46)。この条例により、職員配置や設備、運営に関する最低基準が初めて明文化されるとともに、その最低基準の向上に努めることが区長及び放課後児童健全育成事業者の責務とされたのである。
 こうして保育に欠ける小学校低学年児童を対象としていた学童保育事業がすべての児童を対象とする放課後対策事業へと拡大されていく一方、22小学校全校での子どもスキップの整備完了後に課題となったのは、利用児童の増加に伴って施設が手狭になってきたことであった。平成27(2015)年度の子どもスキップ利用者数は延べ526,128人にのぼり、学童クラブ在籍児童も100名を超える施設が出始め、また学童クラブ以外の一般児童が利用するスペースも子どもたちでひしめき合っている状態だった。子どもスキップを開始した当初、区は学童クラブを全児童クラブに移行することにより学童クラブの定員枠を事実上外し、入所を希望するすべての児童を受入れることとしていた。だが先の設備運営に関する基準を定めた条例で学童クラブ児童1人あたりの専用区画面積を概ね1.65 平方メートル以上と定めたことにより、学童クラブ室の面積に応じて定員枠が設けられることとなり、その結果、学童登録児童の増加に伴って待機児童が出てくることが懸念されたのである。待機児童を出さないためにもより広いスペースの確保が必要であり、また安全管理や環境面の改善も含め、一般児童がのびのび遊べる施設の充実が求められた。
 このため、①小学校内にフレキシブルに共用できるスペースを増やしタイムシェアリングで使うことができるようルール化、②学校教職員とスキップ職員の必要な情報の共有化、③子どもたちの増加に対応した多様なプログラムの充実、④子どもスキップ運用ルールの一定化・機能強化の4つの視点から検討を重ね、課題の解決に向けて子どもスキップ事業を教育委員会に移管し、教育委員会が行なっている「放課後子ども教室」と一体的に実施することとなったのである。これに伴い29(2017)年3月、「豊島子どもスキップ条例」を改正し、子どもスキップの理念を改めて明確にするとともに、子どもスキップ・学童クラブの利用時間の延長・共通化を図り、合わせて子どもスキップの運営に地域や関係諸機関の意向を反映させるための「子どもスキップ運営協議会」の設置が規定された。この改正条例の第1条の2に「子どもスキップは、安全、安心な子どもの居場所として児童の遊ぶ時間、遊ぶ仲間及び遊ぶ空間を保障するとともに、児童が様々な活動を通して、仲間同士又は地域の大人と関わりながら、学び、心豊かに成長することに寄与するものとする」との理念が謳われた(※47)。
 そして平成29(2017)年4月、子どもスキップ事業は教育委員会事務局(教育部)に新設された「放課後対策課」に移管された。また新たに「子どもスキップ運営方針」を策定し、子どもスキップの施設整備については以後、学校改築や大規模改修に合わせて教育委員会が一体的に進めていくこととなったのである。これにより令和元年(2019)年8月、豊成小学校の敷地内に1階に子どもスキップ、2階に学校図書館が配置されたスキップ棟が建設され、校舎内で展開されていた「子どもスキップ豊成」は新棟に移り、スペースの拡大と設備の充実が図られた(※48)。
 なお平成15(2003)年10月に公表された「本部案」の中で、全児童クラブとともに中高校生の居場所・活動場所として新たに整備する施設に挙げられた「(仮称)十代倶楽部」は、「中高生センター」に名前を変え、19(2007)年4月に「ジャンプ東池袋」(旧東池袋児童館)、24(2012)年4月に「ジャンプ長崎」(旧長崎第二児童館)の2施設が区の東西にそれぞれ開設された(※49)。この中高生センターを開設するにあたっては、中高生自らが参加する「居場所づくり会議」が開催され、施設の名称や活用案、運営面等について意見を出し合った。その中から「小学生の施設が子どもスキップなので、中高生は“ジャンプ”にしよう」と言う意見が出され、「ジャンプ」の施設名称が付けられた。また各ジャンプには防音設備を施した音楽室が設けられ、中高校生が音楽や演劇などの文化的・芸術的な活動を自主的に行うことができ、施設の運営や行事についても利用者会議で意見を出し合うなど、中高生の参加・参画を支援している。
 こうして「地域区民ひろば」構想から、家庭・地域の子ども・子育てを支援する「子育てひろば」、すべての小学校児童の遊び・交流を育む「子どもスキップ」、そして中高生の参加・参画を広げる「中高生センタージャンプ」という3つの機能が、地域の中で子どもたちの健全育成を図る拠点として整えられたのである。
 そして現在、「地域区民ひろば」も「子どもスキップ」も地域の中に定着し、一定の評価を得るに至っている。だが10年、20年先にどのように再評価されるかは分からない。事業の「完了」は必ずしも「完成」と同義ではない。公共施設のあり方は、今後も時代とともに絶えず見直しを求められていくことだろう。だがそのあり方を行政だけで決めるのではなく、地域区民とともに考えていく道を拓いたことに「地域区民ひろば」構想の最も大きな意義があったと思われるのである。
子どもスキップ南池袋(平成16年4月開設)
中高生センタージャンプ長崎(平成24年4月オープン)