豊島区役所新庁舎外観豊島区役所新庁舎外観
 前項では平成10年代以降20年代にかけて取り組まれた、池袋副都心の再生に向けた道のりをたどってきた。これに続き本項では、その副都心再生の起爆剤となった新庁舎整備と庁舎跡地の活用の二つのビックプロジェクトを軸に、大きく動き出した池袋副都心のまちづくりをたどっていく。

新庁舎整備-整備候補地決定までの経緯

 第1章第1節第2項で述べた通り、新庁舎整備は平成初年代に一度、計画されていた。昭和63(1988)年第1回区議会定例会の所信表明で、加藤区長がその必要性について言及し、同定例会に庁舎等建設基金設置条例案を提出したことにより漸く動き出した計画である。平成元(1989)年に「新庁舎等建設審議会」が設置され、翌2(1990)年に同審議会から「新庁舎・公会堂及びこれに併設する施設の建設計画に関する基本構想」の答申を受け、その後、基本方針、基本設計、実施設計へと計画は進められた。
 当時の計画では現在地での建替えを前提に、公会堂及び分庁舎A・B館の敷地に地上26階・地下5階、床面積約49,000㎡の新庁舎棟を建設し、その後に庁舎敷地に地上8階・地下5階、床面積約19,000㎡の新公会堂棟を建設するという手順が想定され、バブル期とは言え約526億円もの建設費が見込まれていた。
 だがバブル崩壊後、区の歳入環境は急速に落ちこみ、歳入を上回る歳出を穴埋めするために庁舎等建設基金の運用が繰り返され、平成8(1996)年には施設規模を縮小して建設費の縮減を図ったが、それでもなお460億円もの建設費が見込まれ、財源対策の見通しが立たないまま整備計画は先送りにされた。さらにその後も基金の運用に頼らざるを得ない財政状況は続き、やがて191億円あった庁舎等建設基金も底をつき、新庁舎の整備計画は実質的に凍結へと追い込まれていったのである。
 しかし、昭和36(1961)年に建設された庁舎の老朽化は著しく、平成9~11(1997~1999)年度に免震工事を施し、また外壁補修や内部改修などの手当てを加えてはいたものの、問題の根本的な解決には至っていなかった。
 その間にも老朽化は進み、建物はもとより給排水・空調及び電気等設備も含めた修繕経費は年々嵩む一方だった。また行政需要の増大に伴い、庁舎機能は分庁舎や別館、隣接する区民センターや生活産業プラザ等に分散し、区民サービスの低下を招いていたうえ、本庁舎よりも築年数の古い分庁舎は早期の補修・改修が必要との耐震診断結果が出されていた。さらに待合スペースや執務室の狭さ、会議室の慢性的な不足、OA化への対応など多くの様々な課題を抱え、既に庁舎機能は限界に近づいていた(※1)。
 こうしたことから新庁舎の建替えは早晩、避けて通れない課題になっていたが、行財政改革により様々な区民サービスの休止・縮小が余儀なくされるなか、新庁舎を建て替えることなど到底、区民の理解を得られるものではなかった。だがその一方、新庁舎整備は計画から完成までに10年は要する長期的な事業となることから、将来を見据えて検討を始めるべく、平成15(2003)年7月に助役を委員長とする「新庁舎等建設調査研究委員会」(以下、「新庁舎研究委員会」)が設置され、庁内での検討が開始された。
 そして同年10月に行財政改革推進本部が公表した「公共施設の再構築・区有財産の活用本部案」の中で、現庁舎が抱える問題点として「総合的なリニューアル策を施さない限り、今後10年程度が耐用の限界と考えられる」、また「本庁舎には本庁機能の約6割の組織しか収容されていない。分散化は、機能性と利便性を著しく阻害している」ことを挙げ、以下の再構築の考え方と再構築案が示されたのである(※2)。
【再構築の考え方】
庁舎については、できるだけ早期に建替えに着手する。ただし、厳しい財政状況の中で
は、自力での建替えは困難であるので、
① 区有地の資産活用等による建設資金調達
② 候補地に適した建設手法(例:再開発やPPI等)の採用
③ 庁舎の機能と規模の調整
等を検討するとともに、候補地に優先度を明示し、総合的な検討の中で再構築を図る。
【再構築案】
庁舎は、現庁舎地、時習小学校跡地、日出小学校跡地のいずれかの場所に整備する。
機能・規模及び建設手法は、候補地の特性に応じて選択する。
 なお同本部案では隣接する公会堂について、昭和 27 (1952)年の建設で庁舎よりもさらに築年数を重ねており、建物自体の老朽化に加えて音響、照明等の舞台設備の機能低下も著しく、耐用の限界と言える状況にあるとしたが、東京芸術劇場やサンシャイン劇場、また東池袋四丁目市街地再開発事業の中に整備予定の交流施設も含め、公会堂の役割や機能を分担させることが可能かどうか、そのあり方も含め検討するとの考え方が示されていた。
 こうして財源確保等の条件付きではあったが、庁舎については早期の建替え方針が示され、またその候補地として現庁舎地、時習小学校跡地、日出小学校跡地の3か所が挙げられていた。
 しかし、これまでも幾度となく述べてきたように、翌平成16(2004)年度に財政収支を黒字転換するという財政健全化計画の最終目標を達成する目途が立たなくなり、同年度の予算編成にあたり39億円の財源不足を埋めるため、候補地の一つだった時習小学校跡地はついに資産活用することが決定された。そして16(2004)年7月、売却先を大学等高等教育機関に限定した条件付一般競争入札が行われ、約65億円で帝京平成大学に売却されることになったのである(※3)。
 これにより、庁舎建替え候補地は現庁舎地と日出小学校跡地の2か所に絞り込まれた。このため新庁舎研究委員会はこの2か所の候補地それぞれについて二通りの整備手法を想定し、計4案について比較検討を重ねていった(※4)。
 図表4-⑩は本庁舎機能に必要な床面積を30,000㎡と想定し、この4つの案それぞれについての事業手法や整備費等を比較した表である。このうち案1と案2はいずれも区民センターの建替えに合わせ、公会堂及び分庁舎の敷地に新庁舎を建設する案であるが、一般的な建築計画による案1では23,500㎡の床面積しか確保できず、また案2は明治通りにつながる前面道路をセットバックし、かつ一団地認定により区民センター分の容積率を新庁舎に上乗せして30,000㎡の床面積を確保する案であったが、その整備費は約184億円と4案の中で最も高額だった。一方、案3と案4は日出小学校跡地を含む南池袋2丁目45・46番街区の市街地再開発事業の一環として新庁舎を整備する手法であり、財源確保策として本庁舎に加え公会堂・分庁舎の区有地の活用も視野に入れられていた。また案3は市街地再開発事業の中で庁舎と住宅棟を一体的に整備するという案であるのに対し、案4は敷地を二分し、その一方に住宅棟を先に建て、庁舎建設部分の敷地は基盤整備のみに止め、再開発事業終了後に新庁舎を建設するという案である。案4では新庁舎の建設時期を任意に判断できるというメリットはあるが、建設自体は区が単独で行うことになるため、案2と同等の建設費がかかり、コスト面でのメリットはあまりない。これに対し、案3は敷地の有効活用と効率的な建築計画を図ることができるとともに、必要な床の約4割を権利床として取得でき、残りの分の床を購入する経費だけで済むため、整備費を最も抑制できる。だがその一方、再開発手続きの関係上、平成17(2005)年度中にも区として庁舎を建設するかどうかの判断を決定しなければならないという時間的な制約があった。
図表4-10 新庁舎整備手法の比較
 新庁舎研究委員会でこうした検討が進められていたなか、平成16(2004)年12月、日出小学校跡地を含む南池袋2丁目地区は都の「街区再編街づくり制度」に基づく「街並み再生地区」に指定された。
 この「街区再編街づくり制度」とは「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づいて創設された制度で、小規模老朽ビルや木造住宅などが混在する市街地や敷地が細分化した密集市街地など共同化や市街地再開発が困難な地域おいて、都市計画の容積率や斜線制限、接道条件等の規制緩和を活用して共同建替え等を段階的に進めることにより、個性豊かで魅力ある街並みを実現していくことを目的に設けられた制度である。従来の再開発等促進区(3㏊超)よりも小規模な単位で、合意形成ができた地区から順次、地権者自らが都市計画を提案していくことを可能にする制度で、この条例に基づき「街並み再生地区」に指定された地域は、どのように街づくりを進めていくかのガイドラインとなる「街並み再生方針」を策定することとされていた。
 その背景には平成15(2003)年10月にこの都条例が施行された際、地区を縦断する環状5の1号線の整備工事が進められ、街づくりの気運が高まっていたこの南池袋二丁目地区をモデルケースとして、都と区によるの「街並み再生方針」(案)の策定調査が行われた。こうした経緯があったことから、16(2004)年12月、他地区に先駆け、「街並み再生地区」に指定されると同時に「街並み再生方針」が策定されるに至っていた(※5)。
図表4-11 南池袋二丁目地区街並み再生方針図
 この再生方針に基づき、南池袋2丁目環状5の1号線周辺5.3㏊の地区内をA・B・Cの3つのゾーンに分け、それぞれの実情に合わせて街づくりが進められることになった(図表4-⑪参照)。
 日出小学校跡地(4,809㎡)はこのうちAゾーンの南半分にあたる南池袋2丁目45番街区をほぼ占め、また北側の46番街区には学校統合に伴い平成14(2002)年に廃止された南池袋児童館跡地(632㎡)があったため、区有地は両街区の間の道路(363㎡)を含め計5,804㎡、両街区全体の9,221㎡の約63%を占めていた。こうしたことから、これら区有地の活用はこの地域の将来に大きな影響を与えるものになっていた。
 再開発の動きは、まずこのAゾーンの地権者有志により平成15(2003)年7月に「勉強会」が開始され、翌16(2004)年9月に「南池袋二丁目地区開発事業協議会」(45番、46番街区開発協議会)が発足、そして17(2005)年1月には早々に、キーとなる区有地について同協議会から区長宛てに「街づくりの早期実現、日出小学校跡地への区庁舎建設、45番と46番の一体的開発についての要望」が出された。
 こうしたことからも、日出小学校跡地活用について区としての方向性を早期に決定することが求められ、またこの地区での市街地再開発事業の活用は、先に挙げた新庁舎整備の4つの案の中でも最も財政負担が少なく、区にとっても実現可能性のある整備手法に思われた。しかしその一方、この時点ではまだ一部に反対の立場の住民もいたことから、地区内すべての地権者の合意は得られるまでには至っておらず、市街地再開発事業が実現できるかどうかの確証が得られない状況にあった。
 このため、新庁舎研究委員会が平成17(2005)年11月にまとめた「新庁舎整備の検討状況について-中間のまとめ(1)-」、続いて12月にまとめた同「中間のまとめ(2)」では、候補地として「現庁舎地区」と「旧日出小学校地区」の2案が併記され、さらに「池袋小学校地区」が新たに加えられていた(※6)。
 この「池袋小学校地区」が浮上した背景には、時習小学校跡地の売却により候補地が2地区になったことから、改めて池袋駅周辺の大規模区有地について候補地としての可能性を洗い直した結果で、また同小学校の地元から、次は池袋西口に庁舎をとの熱心な誘致の要望が出されていたことも少なからず影響していた。池袋小学校は平成17(2005)年4月に池袋第五小学校と大明小学校を統合し、池袋第五小学校の校舎を活用して開校された統合校であるが、統合協議の段階から交通量の多い川越街道や西口繁華街に隣接する池袋第五小学校への統合を反対する声は多く、また池袋駅に近接する池袋第五小学校こそ池袋西口地区の街づくりのために有効活用すべきといった陳情も出されていた。こうした経緯があったことから、可能性のある地区として検討対象に加えたものである。
 また「現庁舎地区」と「旧日出小学校地区」の整備案についてもそれぞれ修正が加えられ、「現庁舎地区」については当初の公会堂と分庁舎A・B館(2街区)及び区民センター(3街区)に現庁舎地(1街区)も加えた3街区の中で各施設を再編していくこととし、本庁舎を大規模改修するとともに2・3街区に分庁舎と公会堂を整備する案A、現庁舎地を定期借地により資産活用し、2・3街区に本庁舎及び分庁舎と公会堂を整備する案B、現庁舎地1~3街区すべてを定期借地により資産活用し、その中に公会堂を整備するとともに日出小学校を含む南池袋45・46番街区を一体化し、都市再開発法に基づく組合施行による市街地再開発事業の中で新庁舎を整備する案Cが示されていた。そしてこれら3案に、案Cと同様に現庁舎地を資産活用するとともに池袋小学校跡地に新庁舎の整備する案Dが加えられ、4つの案が比較検討された(図表4-⑫参照)。
図表4-12 中巻のまとめにおける整備手法の比較
 これら4案はいずれも庁舎機能に必要な床面積30,000㎡を満たしてはいたものの、案Aでは庁舎機能が3か所に分散されるうえ、日出小学校跡地を資産活用しても100億円以上の整備費用がかかり、池袋小学校地を活用する案Dでも現庁舎地すべてを資産活用してもなお59億円の整備費用が見込まれた。さらに池袋小学校を大明小学校に移転するには地域の合意形成が再度必要になり、また既に大明小学校については公共施設の再構築案で生涯学習センターとして活用することに決まっていたため、新たにその代替地を探す必要もあった。加えて同校周辺道路は6m未満のため、都建築安全条例の規定により高さ15m以下の低層校舎しか建てられず、小学校設置基準を満たす校庭面積が確保できない可能性があった。さらに池袋小学校の校舎は統合時に耐用年数20年以上を想定した耐震改修工事がすでに施されていたため、新庁舎の整備は校舎の耐用期間終了以降となり、その間は現庁舎を改修して20年以上使用しなければならないことになり、「中間のまとめ(2)」では「現段階で池袋小学校の敷地を新庁舎として活用するには難しい状況」にあるとの考えが示された。
 こうしたことからその後の検討は案Bと案Cに絞って進められ、平成18(2006)年4月に取りまとめられた「中間のまとめ(3)」をもとに「新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針(素案)-」を作成し、5月15日開催の区議会議員協議会に報告した(※7)。
 なお区はこの間の平成17(2005)年10月1日付人事異動で政策経営部に「新庁舎建設準備担当課長」を新設、また翌18(2006)年4月1日付組織改正により総務部に新たに「施設管理担当部長」を設置するとともに、「新庁舎建設準備担当課長」を「庁舎建設室」に名称変更して総務部に移行した。この担当部長の役割は新庁舎建設を含め、施設再構築、資産活用等の公有財産の活用全般について各部・区民等との総合調整を行うことにあり、また新庁舎建設にあたって総務部施設課及び財産運用課との緊密な連携を確保するため庁舎建設室を移行し、新庁舎建設に係るノウハウを総務部に集中させたものであった。こうして新庁舎整備を推進するための専管組織を整えていくとともに、区はこの年の3月26日に設立された「南池袋二丁目地区市街地再開発準備組合」(以下「再開発準備組合」)に組合員として参加する意向を固め、5月28日開催の同準備組合第3回総会に加入届を提出、正式に参加を表明した(※8)。
 区の再開発準備組合への参加は、この市街地再開発事業が「街区再編街づくり制度」を活用し、平成16(2004)年12月に策定された「街並み再生方針」に基づいて実施される事業であり、区はこれを推進する立場にあったからである。だがこの参加表明の時点では、地権者総数18のうち準備組合に参加していたのは区を含めて15にとどまり、依然として地権者全員の同意には至っていなかったことから、「整備方針(素案)」では現庁舎地活用案と日出小学校跡地活用案の2案が併記された。その上で現庁舎地区の街づくりに関しては、本庁舎地1街区のみの民間活用では周辺への波及効果は比較的小さいが、3街区すべてを民間活用すればサンシャインシティ地区、東池袋四丁目再開発地区と並ぶ副都心の大きな核が形成され、池袋駅から3地区に向けた放射線状の歩行動線と3地区を相互に結ぶ歩行動線により東池袋地区全体の回遊性の向上が図られるとの考えを示していた。また今後の検討の方向については、現庁舎地区案についても経済動向・財政状況などに留意しながら引き続き検討していくとしつつも、旧日出小学校地区の再開発事業の成立が確実となった場合に最終的な判断をするとして、結論は留保していた。こうしたことからも、当時の財政状況では現庁舎地活用案の整備費48億円を捻出することは現実的に難しく、区としては日出小学校跡地活用案を最優先に位置づけていたことが窺えた(※9)。
 区はこの素案を区議会に報告した後、区広報紙やホームページ等で公表し、パブリックコメントを実施するとともに、区内12地区ごとの区民説明会を開催、また町会とは区政連絡会等を通じて新庁舎整備の必要性への理解を求めていった。豊島区町会連合会はこれまでも長年にわたり新庁舎の建設を要望してきたことから、新庁舎建設には賛成の立場であったが、説明会やパブリックコメントで寄せられた区民の意見は賛否が分かれ、「区民に身近な出張所を廃止して区役所を大きくするのが区民サービスの向上と言えるのか」、「区の財政が危機的状況にある中で新庁舎整備など必要ない」といった反対意見が少なくなかった。また建設そのものには賛成の意見の中でも、「整備コストの低い日出小学校跡地活用案の方が良い」という意見もあれば、「日出小学校では区役所が遠くなって不便になる」といった意見もあり、また不確定な市街地再開発事業の予測のもとでの計画を危ぶむ声も聞かれた(※10)。これらの意見を踏まえ、区は来庁者アンケート調査を実施するなど、新庁舎整備の方向性や建物構成等についてさらに検討を重ねた。
 またこの検討に並行し、再開発準備組合と調整しながら市街地再開発事業の都市計画提案に向けた準備も進めていった。だがこの間、懸案の地区内権利者調整は難航していた。特に再開発組合設立時に、既に7階建てマンションの建設工事が始まっていたため区域外とした一部敷地があった。この敷地を含め、45・46街区全域を再開発事業用地として活用すべきだという意見が区議会から挙がり、区としても用地を整序化することにより景観の向上やさらに広い庁舎フロアを確保でき、効率的な庁舎建設が可能になることから、当該敷地を再開発予定地に組み込むこととし、地権者との交渉を重ねていった。だがその交渉は2年近くに及び、最終的に地権者の了承が得られたのは平成20(2008)年4月に入ってからであった(※11)。
 こうして地権者合意に漸く目途が立ったことから、同年5月、区は旧日出小学校地区案に修正を加えた整備方針案を作成した。素案段階では一部区域外としていた敷地があったため、45街区に住宅棟を、46街区に庁舎棟を建てアトリウムでつなぐ2棟形式であったものが、この案では敷地全体を広く活用できることになったことから2棟を合築させ、中低層部に庁舎、高層部に住宅を配した複合建物とし、建物周辺の道路や広場などゆとりある空間を創出する新たな整備イメージが示された。庁舎と分譲マンションとの合築という形がここで初めて示されたのである。そして利便性や整備コスト、街づくりへの波及効果、整備スケジュール等の視点から現庁舎地区案と比較検証した結果を以下のようにまとめ、旧日出小学校地区を最優先候補地とした(※12)。
《新庁舎整備候補地の検証結果》(要約)
  • ・ 交通利便性では現庁舎地区がJR池袋駅に190mほど近いが、旧日出小地区は地下鉄有楽町線東池袋、都電荒川線東池袋四丁目・雑司ヶ谷等の各駅が至近にあり、多様な交通機関が利用できる
  • ・ 現庁舎地区案では14階建程度の単独建物になるのに対し、旧日出小学校地区案では低層部の庁舎フロア面積を広く確保でき、窓口サービスの集約化や災害対策センターと関係部署との連携が図れる。また環境配慮面で敷地規模が小さい現庁舎地区案では様々な制約を受けるが、旧日出小学校地区案では周辺緑化をはじめ建物全体の規模を活かした環境配慮対策が導入できる
  • ・ 資産活用も含めた資金計画の事業収支で現庁舎地区案では約 43 億円のマイナスで資金手当てが必要となるのに対し、旧日出小学校地区案では約 10 億円のプラスで区の収入となる
  • ・ 2案ともに現庁舎地の一部を民間活用する計画だが、街づくりの面で旧日出小学校地区案の方が現庁舎地活用の規模が大きいことから、周辺街区に与える活性化の効果が大きい
  • ・ 計画の実現性をみた場合、現庁舎地区案は財源対策となる南池袋二丁目地区市街地再開発事業がまとまる必要があるほか、不足する資金や仮庁舎の準備が必要となる

※7 新庁舎位置(候補地)の検討について(H180119公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎位置(候補地)の検討について(H180213公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)今後の新庁舎整備スケジュールについて(H180322公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎の検討状況について-中間のまとめ(3)-(H180419公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)H180515プレスリリース

※8 平成18年度組織改正(案)(H180207予算内示会資料)南池袋二丁目地区市街地再開発準備組合について(H180713公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎整備について(H180714議員協議会資料)

※9 新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針(素案)新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針(素案)【概要版】新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針(素案)-(H180510公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)

※10 新庁舎整備方針(素案)区民説明会等実施状況(H180713公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎整備の検討状況について(H180913公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎整備方針(素案)におけるパブリックコメントの実施結果(H180914議員協議会資料)

※11 新庁舎整備の検討状況について(H181115・H190115・H190326議員協議会資料)新庁舎整備の検討状況について(H190112公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)新庁舎整備について(H190711副都心開発調査特別委員会資料)新庁舎整備について(H190913副都心開発調査特別委員会資料)新庁舎整備に向けた平成20年度の取組み内容について(H200415副都心開発調査特別委員会資料)

※12 新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針(案)H200515プレスリリース

 区はこの整備方針案を公表し、6月から7月にかけて再度パブリックコメントと区民説明会等を実施、寄せられた意見を踏まえ、同年9月、「新庁舎整備の検討のまとめ-整備方針-」を策定した(※13)。
 こうして区の方針が定まったことから、再開発準備組合は11月3日に市街地再開発事業概要説明会を開催、翌平成21(2009)年1月に市街地再開発事業の企画提案書を区に提出した。これを受け、区は都市計画としての様式を整えた都市計画原案(地区計画・第一種市街地再開発事業・高度地区・防火地域及び準防火地域・地域冷暖房施設)を作成し、2月3日に都市計画審議会に報告、続いて2月25日に説明会を開催するとともに原案を公告し、縦覧・意見募集の手続きを開始した。この意見募集には賛成・反対含めて32通の意見書が提出され、それらの意見を踏まえて改めて都市計画案を作成し、6月8日にこの案を公告、再び縦覧・意見募集の手続きを行った。
 そして7月22日、寄せられた意見書49通とそれら意見に対する区の見解とともに、この都市計画案を都市計画審議会に付議した。同月24日、同審議会は「庁舎は自治のあり方を示すものであり、公共的・文化的な資産を継承できるよう議論を深められたい」「新庁舎を住宅と合築することに際し、慎重な検討を加えられたい」「広場・緑が都市の良好なストックとなるよう設計に反映されたい」との3つの付帯意見を付してこの都市計画案を承認した。こうした一連の都市計画手続きを経て、7月31日、南池袋二丁目A地区地区計画及び同地区市街地再開発事業等の都市計画決定が告示された(※14)。
 この地区計画により、区域内での建築行為等に対し、容積率(300~800%)や高さ制限(190m)、最低敷地面積(5,000㎡)等の制限がかけられたほか、用途制限としてそれ以外は建築できないものの例示の中に「区役所本庁舎、議会関連施設」が明記された。また同時に決定された市街地再開発事業の中でも、整備する建築物の主要用途として、「住宅、庁舎、店舗、事務所、駐車場」が規定された。これらは先に述べた「街区再編街づくり制度」に基づき土地の高度利用を図るため、本来であれば300%までの容積率を800%まで引き上げることを可能にするものであり、新庁舎整備の可能性を広げるものであった(※15)。
 都市計画決定以後、南池袋二丁目A地区市街地再開発事業は都市計画事業として具体的に動き出すとともに、平成15(2003)年7月に新庁舎研究委員会が設置されてから6年にわたった新庁舎整備候補地の検討は、漸く収束を見るに至ったのである(図表4-⑬参照)。
図表4-13 南池袋二丁目A地区年計画の区域及び主な公共施設等の配置・規模
新庁舎整備予定地の旧日出小学校地区
旧日出小学校

新庁舎整備-全国初の分譲マンション一体型庁舎の誕生

 新庁舎整備方針の検討が進められていた間の平成19(2007)年4月22日、豊島区議会議員・区長選挙が施行され、高野区長は他候補に大差をつける60,925票を得て再選を果たした(投票率44.82%、有効得票数89,041票、当選者得票率68.4%)。
 この選挙では新庁舎整備も争点のひとつに挙げられていたことから、7割近い得票を集めた圧勝での再選は、区民に新庁舎整備を承認されたことを意味し、これを強力に推進してきた区長にとって大きな自信になった。しかもこの平成19(2007)年度は、それまでの負の遺産を克服するための改革に区切りをつけ、区の将来ビジョン「文化と品格の誇れる価値あるまち」の実現をめざし、文化・都市再生・健康を重点政策に位置づけて戦略的な施策展開を図っていく「未来戦略推進プラン」をスタートさせた年でもあった。
 こうして第3期目を迎えた区長は、その所信表明で新庁舎整備を「副都心再生の起爆剤となる価値あるプロジェクト」に位置づけ、自ら市街地再開発地区の地権者調整に乗り出したのである。
 そして前述した通り、区長ら行政トップの働きかけもあって市街地再開発事業用地の整序化問題も漸く解決し、新庁舎整備予定地を旧日出小学校地区に一本化する方向性が定まったことから、区はより詳細な新庁舎の機能や建物計画等の検討に入っていった。
 まず、新庁舎における窓口サービス等のあり方について検討するため、平成20(2008)年11月26日、公募4名を含む区民12名と、メインコーディネーターの内田雄造東洋大学ライフデザイン学部教授ほか3名のコーディネーターから構成される「庁舎サービス等検討区民ワークショップ」が設置された。これはそれまでの検討が庁内組織である新庁舎研究委員会を中心に進められてきたため、改めて区民の目線から検討を行う場として設置されたものである。
 区民ワークショップは、①利便性の高い窓口サービス、②ITを活用した区民サービス、③新庁舎の低層部に予定している多目的スペースの活用方策等の3つを主な検討項目とし、翌平成21(2009)年4月までグループ討議を中心に検討を重ね、その成果を「庁舎サービス等検討区民ワークショップ提案書」にまとめ、5月8日、区長に提出した(※16)。
 この提案書では上記①②の検討項目に関し、ユニバーサルデザインを取り入れたサイン・案内表示の導入や窓口の総合化、開庁時間延長・土日開庁による来庁時間の自由度の向上、電子申請サービスメニューの拡充、コールセンターの導入など、後に具体化される様々な提案が盛り込まれていた。また③については「区民が気軽に立ち寄れるよう、区民の創意と工夫による多彩な活用を展開し、区と区民を近づける方策を講じることによって、区民に親しまれる庁舎を実現する」という基本方針が示され、こうした方針もその後の計画に反映されていった。
第1回「庁舎サービス等検討区民ワークショップ」(平成20年11月)
区民ワークショップ提案書提出(平成21年5月)
 また5月21日には「池袋副都心グランドビジョン推進懇談会」を開催し、新庁舎の完成に向けたスケジュールを発表、池袋副都心再生の核となる新庁舎整備への気運を高めた。さらに7月から翌平成22(2010)年3月まで毎月1回、区広報紙に「新庁舎 進行中!!」と題するシリーズ記事を区民に分かりやすいようにQ&A形式で掲載し、新庁舎整備の資金計画や区民窓口・防災・環境等の各機能について伝えていった。以後、広報紙はもとより、区ホームページや報道機関へのプレスリリースなど様々な広報媒体を活用し、新庁舎整備に関する情報を積極的に発信していった(※17)。
 こうした広報活動の展開は、新たな庁舎は区民のものであるとの発想が根底にあったからだが、そればかりでなく、すでに区財政が好転の兆しを見せ始めていたとは言え、新庁舎整備に対する批判の声があったからである。特に市街地再開発と現庁舎地の資産活用により新たな財源を投じることなく新庁舎を建設するという整備手法については、その仕組みが複雑なことから、なかなか区民の理解は得られなかった。また、分譲マンションとの合築という他に例を見ない庁舎になることから、区分所有の問題や整備後の管理、さらに将来の改築も含め、その整備手法を疑問視する声に対し、できる限り分かりやすくかつ丁寧に説明していくことが求められたのである。
 平成21(2009)年11月、区は市街地再開発事業の基本設計に反映させるため、庁舎建物の機能や主要スペースの基本条件等をまとめた「新庁舎整備基本計画」を策定、翌22(2010)年11月にはそれまでの新庁舎整備に関する検討の総まとめにあたる「新庁舎整備推進計画」を策定しているが、このときも新庁舎建設への理解を広げるとともに区民の意見や発想を計画に反映させるため、そのいずれについても案の段階でパブリックコメントを実施した。特に最終の計画となる推進計画については、意見送付用の郵便書簡を刷り込んだ広報としま新庁舎特集号を号外で発行し、全戸配布して広く意見を募った。また「新庁舎整備方針」の素案及び案の策定時と同様に、地区別の区民説明会や団体別の説明会を開催、さらに区民の求めに応じて担当職員が説明に出向く出張説明会等も含め、説明会の開催回数は100回を超えた(※18)。
第3回「池袋副都心グランドビジョン懇談会」(平成21年5月)
「新庁舎整備推進計画(案)」区民説明会(平成20年10月)
 一方、旧日出小学校地区案について、整備方針の素案から推進計画までの各段階で試算された資金計画(事業収支)を見てみると、以下の図表4-⑭のようになる。
図表4-14 旧日出小学校地区案の資金計画
 この表からも分かるとおり、整備方針の素案の段階で28億円以上のプラスが見込まれていた収支額は、整備方針で10億円、推進計画では2億円にまで縮小している。資産活用する現庁舎地や保留床の評価額がその時々の地価動向や不動産市況に影響され、また庁舎機能の向上を図るための附帯工事や諸設備等に係る経費が膨らんできたことによるものであるが、収支差額は整備方針の素案から整備方針までの5年間で2分に1以下に、さらにその整備方針からわずか2年後の推進計画では10分に1以下になっていた。しかも整備方針では支出に組み込まれていた現庁舎跡地の再整備費が推進計画では別枠で示され、民間開発によるビル内の公会堂購入と区民センターを再整備するための経費約39億円を含めると支出総額は約180億円となり、これを現庁舎地の資産活用ですべて賄おうとすると、地代一括受取り年数をさらに 10 年分追加する必要があるとしていた。こうした地価動向等により大きな影響を受ける資金計画について不安視する声は少なくなかった。
 言うまでもなく、この資金計画は市街地再開発事業が実現しなければ成り立たず、また現庁舎地の評価額に見合う賃借料を支払う民間事業者が手を挙げなければ完結しない。この手法はそうした意味では綱渡りのような危険性はあったが、庁舎等建設基金が底をつき、新庁舎整備にかける財源などどこにもなかった状況の中では唯一実現可能な手法だったと言える。財政危機に瀕していたからこそ生まれた発想であり、また権利変換の種地となる区有地での市街地再開発の動きに「街区再編街づくり制度」による容積率の緩和という好条件が重なったからこそ実現できたものであった。公有財産を活用して新庁舎を建設するというこうした区の整備手法は、後に先駆的な事例として国や他自治体の注目を集めることになるが、マスコミ等でも「豊島区の“錬金術”」などと言われて話題になった。だが無から“金”を生み出す魔法などあるわけもなく、潤沢な財源があれば現庁舎地を資産活用する必要もないことだった。また分譲マンションとの合築という建物イメージのインパクトが強いせいか、「市街地再開発で建てるマンションを売った金で新庁舎を建てる」といった誤った報道をされる向きもあった。それこそ借金ゼロで新庁舎を建てるなど、区民にとっても夢のような信じがたい話であったに違いなく、資金計画や分譲マンションとの合築について理解してもらうには、説明の上に説明を幾度も重ねていくことが求められたのである。
 その説明会でも、またパブリックコメントの中でも、資金計画や分譲マンションとの合築を巡り、「区有財産を活用し、お金をつくりながら新庁舎を整備できれば、それはよいことだ」「区民に開かれ、区財政への負担を抑えた区民のための新庁舎整備に期待している」「南池袋二丁目A地区市街地再開発事業にとって新庁舎の整備は不可欠となる。1日も早い事業完成を望む」といった前向きの意見もあれば、「地代の一括受取期間25年とあるが事業者の目途はついているのか。このご時世に100億もの大金を出せるところがあるのか」「区庁舎と民間マンションとの合築や保留床確保のために現庁舎地の定期借地権は不確定要件が多すぎ絶対反対である」「合築だと将来の建替えは難しいのではないか」など否定的な厳しい意見もあり、区民の意見は様々だった。いずれにしても市街地再開発事業を確実に実現し、現庁舎地をより有利な条件で民間活用することが必須課題になっていたのである。
 ここで時間を少し戻し、この間の南池袋二丁目A地区市街地再開発事業の動きを振り返ってみる。
 平成18(2006)年3月に再開発準備組合が設立され、同準備組合からの提案に基づき、21(2009)年7月31日、組合施行による市街地再開発事業として「南池袋二丁目A地区市街地再開発事業」が都市計画決定された。また21(2009)年5月には、それまで事務局を担っていた財団法人首都圏不燃建築公社とデベロッパーとして東京建物が参加予定組合員に選定された。
 この再開発事業は組合員である地権者の従前の資産を建築後の建物の床(権利床)に置き換え(権利変換)、容積率の緩和措置による土地の高度利用で生み出される床(保留床)の売却金や国の補助金等で建設費を賄うという事業スキームに立っていた。このため、地権者等が入居する部分を除いた分譲マンションの保留床部分を取得し、販売する事業者がパートナーとして組合に参加することは、この事業の成否を握る鍵と言えた。幸い、実績のある2社の参加が決定したことにより市街地再開発事業は本格的に動き出し、準備組合は次の段階である再開発組合の設立認可へと進んでいった。
 翌平成22(2010)年1月26日、再開発準備組合は「南池袋二丁目A地区市街地再開発組合」(杉原栄一理事長)として都知事の認可を受け、法人格を得て再開発事業の施行者となった。区も再開発組合の一員として副区長が理事に就任し、また首都圏不燃建築公社と東京建物も正式に参加組合員となり各代表が理事に就任、それぞれ役員会のメンバーになった。
 こうして再開発組合は市街地再開発事業の施行者として、施行地区の概況や事業目的、設計概要、資金計画等をまとめた事業計画を作成し、4月に都に申請、8月に都知事の認可を受けた。これに続き、再開発組合は権利変換計画の認可申請に向け、地権者等の調整に入っていった(※19)。
 一方、区は同年11月26日開会の第4回区議会定例会に「豊島区役所の位置に関する条例の一部を改正する条例」案を提出した。同議案は総務委員会に審査が付託され、12月2日、8日の2日間にわたる審査で可決され、定例会最終日の12月10日、本会議にその審査結果が報告され、採決となった。この改正条例案は区役所の位置を現庁舎地の「東京都豊島区東池袋一丁目18番1号」から南池袋二丁目A地区市街地再開発事業地である「東京都豊島区南池袋二丁目45番1号」に改めようとするもので、地方自治法第4条第3項の規定により出席議員の3分の2以上の同意による特別議決を必要とした。この日の本会議には36名の議員が出席し、賛成・反対それぞれの立場からの討論が行われた後、投票による採決が行われた。特別議決に必要な賛成票は24票だったが、賛成28票、反対8票で、無事可決された。なおこの定例会には、「区庁舎と民間高層マンションの合築に反対する請願」、「新庁舎計画の見直しを求める陳情」及び「新庁舎建設の早期実現を求める陳情」の計3件の請願・陳情が出されていたが、前2件は不採択、早期実現を求める陳情のみ採択とされている(※20)。
 区がこの時期に区役所の位置を変更する条例改正を行ったのは、再開発組合から権利変換計画案の提示を受け、11月1日及び4日に開催された財産価格審議会において、提示された権利床及び保留床の価格は適正であるとの答申を得たことから、再開発組合の提案に同意するためであった。実際には現庁舎から新庁舎に移転する時点で区役所の住所は変更されることになり、その時期は別途規則で定めるとしていたが、区が権利変換計画に同意することは権利床の取得と保留床の購入を再開発組合に確約することを意味していた。そしてそれを担保するために、区役所位置条例の改正が必要だったのである。なお前述した「新庁舎整備推進計画」の資金計画の中で示された権利床の面積や保留床購入経費は、この権利変換計画案で提示された内容を反映したものである。
 この条例改正を受け、翌平成23(2011)年1月、区は再開発組合に権利変換計画の同意書を提出するともに、保留床の譲渡に関する覚書を締結した。これに並行し、再開発組合は他の地権者との調整を進め、関係権利者115名全員の同意を得るとともに、参加組合員2名(首都圏不燃建築公社及び東京建物)の同意も加え、3月7日に権利変換計画の認可を都に申請、4月28日に都知事の認可を受けた。こうして権利関係が確定したことにより、市街地再開発事業はいよいよ建築工事へと進んでいくことになったのである(※21)。
 一方、こうした一連の手続きに並行し、平成21(2009)年10月13日、再開発組合(その時点では再開発準備組合)は簡易公募型プロポーザル方式により設計事業者を選定し、株式会社日本設計と基本設計業務委託契約を締結した。またこの基本設計を進めていくにあたり、建築家の隈研吾氏とランドスケープアーキテクトの平賀達也氏が参画する協同設計チームが編成され、「MI2 PROJECT(南池袋2丁目プロジェクト)」として始動した。そして翌22(2010)年4月、基本設計の概要がまとまり、同月27日、隈氏、平賀氏、日本設計副社長及び設計チームメンバー、再開発組合の理事長・副理事長の同席のもと、「基本設計概要」の発表記者会見が開催された(※22)。
「南池袋二丁目A地区市街地再開発事業」基本設計概要発表記者会見(平成22年4月)
隈研吾氏・平賀達也氏が設計チームに参画
 会見の冒頭であいさつに立った高野区長は、決して平坦ではなかった新庁舎整備のそれまでの経緯に触れ、池袋副都心のまちづくりが長く停滞してきたのは街づくりを牽引する先導的なプロジェクトがなかったからだとしつつ、逆に今こそ池袋が変わる大きなチャンスでもあるとして池袋副都心の街づくりについて以下のように語った。
 池袋は、「人が住み」「人と人との温もり」や「文化」に守られ、「魅力」そして「可能性」がある街であります。こうした池袋副都心の「良さ」を活かし、「都心には真似ができない街づくり」を推進していきたいと思います。
 新庁舎整備は、豊島区の「新しい時代の第一歩」として、また、未来をリードする「文化・環境都市」のシンボル庁舎として、まちづくりを牽引していくプロジェクトに位置付け、着実に推進してまいります。

※19 南池袋二丁目A地区市街地再開発事業について(H210515副都心開発調査特別委員会資料)南池袋二丁目A地区市街地再開発組合について(H220209・H220219議員協議会資料)新庁舎整備について(H220318副都心開発調査特別委員会資料)南池袋二丁目A地区市街地再開発事業事業計画について(H220514副都心開発調査特別委員会資料)

※20 豊島区役所の位置に関する条例の一部を改正する条例(第60号議案)・関連請願陳情資料新庁舎整備スケジュール(案)(H221202総務委員会資料)区役所位置変更条例審議補足資料(H221208総務委員会資料)H221210プレスリリース

※21 市街地再開発事業に係る権利変換等の概要について(H220615・H220728・H221115副都心開発調査特別委員会資料)新庁舎整備について(H230114副都心開発調査特別委員会資料)南池袋二丁目A地区市街地再開発事業について(H230322副都心開発調査特別委員会資料)南池袋二丁目A地区市街地再開発事業について(H230615副都心開発調査特別委員会資料)

※22 南池袋二丁目A地区第一種市街地再開発事業基本設計業務委託契約の締結について(H211113副都心開発調査特別委員会資料)新庁舎を含む南池袋二丁目A地区第一種市街地再開発事業基本設計の概要についてMI2 PROJECT 南池袋二丁目A地区第一種市街地再開発事業(H220427副都心開発調査特別委員会資料)H220427プレスリリース

 この区長の言葉にも含まれているように、基本設計では「未来をリードする文化・環境都市のシンボル庁舎」をコンセプトに、特に環境デザイン面で様々な工夫が凝らされていた。緑化パネルや太陽光パネル等の多機能パネルで建物外壁を樹木の葉のように覆う「エコヴェール」、かつての豊島区の自然生態系を再現し、4階から10階の屋上庭園「豊島の森」をつなぐ「エコミューゼ」、また建物内部にも自然の木材がふんだんに使われ、自然光、自然換気を取り入れた吹き抜け空間の「エコヴォイド」など、最新の環境技術が随所に導入されていた(図表4-⑮参照)。
 前述したように、この基本設計の検討が始められるのと前後して、平成21(2009)年11月に区は設計に反映させる基本条件等をまとめた「新庁舎基本計画」を策定している。この基本計画では新庁舎整備の基本方針として、①区民自治の拠点機能の確立、②防災拠点機能の強化、③区民サービスの向上、④環境保全・自然エネルギーの利用の4つが挙げられ、また建物に求められる機能として①安全・安心の確保、②効率性の追求、③環境・景観への配慮の3項目が挙げられていた。さらに20(2008)年度に実施した「庁舎サービス等検討区民ワークショップ」からも、利便性の高い窓口サービスや区民に親しまれる庁舎の実現の提案を受けていた。こうした点を踏まえ、基本設計では多様な環境デザインのほか、区民に開かれた集いの広場(仮称:区民ひろばセンター)、バリアフリー新法に基づく施設・設備仕様や案内サイン等のユニバーサルデザイン計画、分譲マンションとの合築に対応する避難経路や免震構造等の防災対策、分かりやすい庁舎動線計画などが設計されていた。
図表4-15 新庁舎基本設計の環境デザイン
 基本設計の全体イメージを設計した隈氏は、後に区広報紙のインタビューに次のように語っている(※23)。
 マンションと庁舎を一体化するというプランを聞いたとき、高い塔ではなく高い樹木のような建物にしたいと考えました。人工的に葉っぱを造り出すデザインは、ずっと私が温めてきたプランでした。これは太陽光パネルや水やりのシステムといった、最新のテクノロジーがドッキングして初めて実現できたことです。本当に良い時期に巡り会えた仕事だと感じています。
 樹木の葉のように庁舎を覆う「エコヴェール」は、とてもよくできたシステムです。木の形をモデルにしたのではなく、葉っぱが持つ光合成などの環境調整機能も含めて設計された建築は、かつてありませんでした。そういう意味では、21世紀の公共建築において、世界のさきがけとなるモデルになるのではないでしょうか。
 こうした考えに基づいて同氏により描かれた建物外観のスケッチ画は、さながら1本の樹木にたくさんの葉が重なり合い、木陰を求めて人々が集まってくるような柔らかなイメージを喚起させるものであった。そしてこのイメージに触発され、「樹木には表も裏もない」という区長のアイデアを取り入れ、表玄関・裏玄関の別なく、どの方角からもアクセスできるよう1階の東西南北にエントランスが設けられ、どこから入っても中央のアトリウムに誘導される動線計画が設計された。整備構想段階では低層部の庁舎の上に高層のマンションが乗っているだけだった整備イメージは、エコヴェール等の環境デザインを取り入れることにより建物全体の一体感が生み出され、周辺環境とも調和する「樹木のよう庁舎」へとイメージが刷新されたのである。
 なお前項でも述べた通り、区は平成23(2011)年7月、隈氏に都市政策顧問(参与)を委嘱し、新庁舎だけでなくその後に続く庁舎跡地活用、さらに池袋副都心全体のまちづくりについて様々な助言を得ていくことになった。世界的な建築家である隈氏がキーマンになったことは池袋副都心再生の強力な推進力になるとともに、新庁舎整備の大きなアピールポイントになった。先に述べた「池袋副都心グランドビジョン推進懇談会」や「としま文化フォーラム」で区民が隈氏の話を直接聴く場が設けられ、また23(2011)年1月1日発行の広報としま新年号には隈氏と区長との対談が掲載されるなど、隈氏の言葉を通して区民の新庁舎に対する期待は次第に高まっていったのである(※24)。
隈研吾氏に都市政策顧問を委嘱
としま文化フォーラム「環境と建築」隈研吾氏講演(平成22年3月)
 こうしたなか、前述したように市街地再開発事業は平成22(2010)年8月の事業計画の認可、翌23(2011)年4月の権利変換計画の認可へと着実に進んで行き、その間の22(2010)年12月16日、再開発組合は「南池袋二丁目A地区市街地再開発事業に係る施設建築物新築他工事」の競争入札を公告、翌23(2011)年3月30日に入札を実施し、大成建設株式会社が落札した(※25)。
 これにより既存建物の解体工事が開始されることになるため、再開発組合は都の「中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例」及び区の「中高層集合住宅建築物の建築に関する条例」に基づき、年明けから近隣住民を戸別訪問して説明に回るとともに、2月2日には近隣説明会を開催した。また区も2月21、24、28日の3日間にわたり、区内3か所で「新庁舎整備報告会」を開催、新庁舎の「必要性」「機能」「資金計画」「整備手法」等について改めて説明し、さらなる区民の理解を求めた(※26)。
 だが、そうした最中の3月11日、東日本大震災が発生したのである。前章でも述べたとおり、この大震災は区の防災対策の見直しを迫るものとなったが、かねてから耐震性に問題を抱えていた分庁舎A・B館は壁に亀裂が生じ、来庁者や職員の安全確保のため、ついに使用不可となった。また本庁舎も平成11(1999)年に免震工事が行われていたものの、東日本大震災クラスの首都直下地震が発生した場合、駆体は残ったとしても建物内部は損壊する危険性が高かった。電気、給排水等の設備も既に限界を迎え、災害時の非常用電源も確保されていないことから、とても震災時及び震災復興期に司令塔となる災害対策本部機能を発揮できるような状況ではなかった。一方、新庁舎が入る市街地再開発建物は東日本大震災クラスの地震の揺れにも耐えられる本体構造になっているほか、耐震性の高いエレベーターや非常用電源機器等の導入が予定されていた。震災後の6月5日に発行した広報としま災害対策特集号では、この再開発建物の設計を統括する日本設計の六鹿正治社長と区長の特別対談を掲載し、震災時にも対応できるよう万全の備えをしていることを区民にアピールした(※27)。
 また前章で述べたように、この翌年の平成24(2012)年に区制施行80周年の節目を迎えるにあたり、区はセーフコミュニティの国際認証取得に向けた取り組みを進めていた。その中の重点課題のひとつに「地震災害の防止」を掲げており、首都直下地震がいつ起きても不思議ではないといわれるなか、防災の観点からも新庁舎への移転は急務となっていた。
 こうした状況を背景に、平成23(2011)年5月から市街地再開発事業地の既存建物の解体工事が開始され、翌24(2012)年2月にはいよいよ本体工事が着工された。2月2日に開催された再開発組合主催の起工式には、設計を担った日本設計や工事施工者である大成建設関係者等とともに、再開発組合員や地元の町会・商店会関係者等が一堂に会し、建設工事の無事を祈った(※28)。
南池袋二丁目A地区市街地再開発事業着工(平成24年2月)
新庁舎建設懇談会(平成24年9月)
 建設予定の市街地再開発建物の概要は以下の通り。
敷地面積:約8,324㎡
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造/(中間免震)
鉄筋コンクリート造/一部鉄骨造
規模:地上49階/地下3階
延床面積:約94,300㎡
容積率:800%
高さ:約189m
建物用途:区新庁舎(1階の一部、3~9階)
店舗・事務所(1~2階)
住宅(11~49階、約430戸)
 以後、平成24(2012)年3月に、市街地再開発事業に伴って整備する東京メトロ有楽町線東池袋駅に直結する地下通路の線形を直線化するための都市計画変更を行った以外、事業計画に大きな変更もなく、26(2014)年度の完成に向け、建設工事は着々と進められた(※29)。その工事の進捗状況は、定点カメラから撮影した写真が毎月、区ホームページに掲載され、建物が建ち上がっていく様子がリアルタイムで紹介された。
24年1月
25年4月
25年10月
26年1月
 一方、建設工事に並行し、区は平成20(2008)年度に実施した「庁舎サービス等検討区民ワークショップ」からの提案や22(2010)年11月策定の「新庁舎整備推進計画」に基づき、新庁舎内部のレイアウトや動線計画をはじめ、窓口体制、IT化、防災対策など多岐にわたる課題の検討を進めていった。その課題数は実に118項目に及び、設計・施工業者との調整はもとより、関係所管との協議や職員チームによるワーキングなど、全庁挙げての検討が進められ、その検討経過は逐次、議会に報告された(※30)。
 また合わせて、次第に明確になってきた新庁舎の機能や特色をまとめた「新庁舎レポート」を平成24(2012)年7月のVol.1から26(2014)年9月のVol.3まで計3回発行し、区民に広く発信している(※31)。
 なかでも区が新庁舎の大きな特色としてあげたのは、「区民サービス」「防災」「環境」「文化」の4つのテーマであった。平成26(2014)年第1回区議会定例会の所信表明で、高野区長は「新庁舎は従来の区役所イメージを刷新する施設になる」と述べ、第一に最高レベルの行政サービスの提供を謳い、さらに文化・環境・防災の施策を象徴するシンボルとして、文化については「新庁舎まるごとミュージアム構想」、環境については10階屋上庭園「豊島の森」から4階までをつなぐ「エコミューゼ」の活用を挙げ、庁舎全体を区の自然環境や文化・歴史に触れ、豊島区について学ぶ場となる“エコミューゼタウン”に位置づけた。さらに防災面においても、災害時の司令塔機能を高めるため、5階の区長執務室のすぐ近くに防災・危機管理関連の4つの課を集め、総合的な防災・危機管理体制を整え、緊急事案が発生した際には直ちに災害対策本部を設置して迅速な対応をとっていくとした(※32)。
 こうした区長の考えに基づき、これら4つのテーマそれぞれについて、どのような取り組みが行なわれたかを以下に概略する。
◆区民サービス
 市街地再開発事業地の整序化及び分譲マンションとの合築により広いフロア面積が確保できたことから、新庁舎ではそれまで別階や分庁舎・別館等に分散していた関連業務をワンフロアに集約することが可能になった。これにより新庁舎での組織や業務体制を見直し、区民課・税務課・国民健康保険課・高齢者医療年金課など区民利用の多い窓口を新庁舎の3階に集約するとともに区民課を総合窓口課に改編し、「届出」「証明」「交付」「公金納付」の用件別に取り扱い業務の拡大を図った。新庁舎開設時には従来の区民課業務71に他の7課32業務を加えた103業務でスタートし、開設後には取り扱い基準や事務の流れを明確化した上で10課72業務を加え、最終的に175業務を総合窓口で取り扱うこととした。こうした多岐にわたる総合窓口業務を円滑かつ迅速に執り行うため、総合窓口支援システムを導入し、引っ越しなど住民異動の際に必要な手続きを漏れなく、一括して取り扱うワンストップサービスを実現した。また4階は福祉総合フロアに位置づけ、高齢者福祉や介護保険、障害者福祉、自立支援、保育、子育て支援の各課を集約するとともに区民相談コーナーを配置、また新庁舎移転により距離が遠くなる池袋保健所の出張窓口も設け、区民のライフステージに応じた様々な相談に対応する体制を整えた。この3階・4階にはゆとりのある待合スペースに発券・呼出システムやユニバーサルデザインの案内表示を導入するとともに、フロアマネージャーを配置し、来庁者の待ち時間の解消や分かりやすい窓口サービスの提供を図った(※33)。
 さらにそれまでは月2回(第1・第3日曜)だった休日開庁を、原則としてすべての土曜・日曜を通年開庁することとし、年末年始と土日に重ならない祝日を除く年間345日開庁が実現された。3階の総合窓口と4階福祉総合フロアを休日開庁の対象とし、土日でも処理できる業務は可能な限り取り扱うこととし、その結果、平日業務の約7割をカバーする大幅な業務拡大が図られた。また土日開庁への円滑な移行を図るため、新庁舎移転前の平成26(2014)年11月から月2回の土曜開庁が開始された。これだけの休日開庁日数や広範囲な取り扱い業務の実施は他区に例がなく、区民サービスの利便性の向上はもとより、休日に災害が発生した際の初動態勢の強化にもつながることが期待された(※34)。
 また単に開庁日を拡大するだけでなく、質の面でも「日本一の区民サービスの提供」をめざし、職員の公務意識や接客マナーの向上を図るため、平成25(2013)年度から2年間をかけ管理職含めた全職員を対象とする「区民ファースト実現研修」が実施された。この他にも、年間365日対応のコールセンターの導入や新たな住民記録系システムの再構築に伴う証明書自動交付機の開発、新庁舎全フロアでのフリーWi-Fiの提供など、区民ワークショップから提案されていた「利便性の高い窓口サービスとITを活用した区民サービス」が具体化されていった(※35)。
3階フロア
総合窓口
◆防災
 東日本大震災の発生を受けて、災害時に司令塔となる庁舎の役割は一層大きなものとなっていた。前述した免震システムや非常用電源機器の導入のほか、高強度のコンクリート・鋼材等の採用や天井の耐震性能の強化など、再開発建物全体に安全性を高める様々な技術が採り入れられた(※36)。
 こうしたハード面での防災対策に加え、東日本大震災の教訓として特に情報伝達のあり方が見直され、新庁舎では災害情報の収集から発信までを一元的に管理する総合防災システムが導入された。区内各所に設置したビデオカメラや現地とのWEB会議システム、また世界初の群衆行動解析技術の導入により、被災状況や帰宅困難者の滞留状況等をリアルタイム映像で把握し、庁舎内の災害対策本部が的確な判断を下せるようにするとともに、SNSやデジタルサイネージ等の多様な伝達媒体を活用し、区民や来街者が必要とする情報を迅速に提供できる災害情報伝達制御システムを構築した(※37)。
 また新庁舎1階の多目的スペースを平常時は区民の交流の場として、災害時には5階の災害対策本部と連携し、災害情報の提供や臨時相談窓口、帰宅困難者の一時滞在施設、さらに支援ボランティアの受付場所等として活用することとした(※38)。
災害対策本部
総合防災システム(高所カメラからのリアルタイム映像)
◆環境
 新庁舎の基本設計に描かれていたエコヴェール、エコヴォイド、エコミューゼ等の環境デザインに加え、外壁・屋上の断熱強化や地域冷暖房の利用、LED照明や最新の環境配慮技術が導入された空調設備等、省エネ化や環境負荷の低減が図られた(※39)。
 また庁舎4階から10階屋上庭園までの高さがちょうど豊島区の標高差と同じであったことから、豊島区が位置するかつての武蔵野台地に自生していた草木が植栽され、地域の自然がエコミューゼに再現された。このエコミューゼや屋上庭園「豊島の森」を最大限に活用するため、区内全小学生約7,000人に「新庁舎の『豊島の森』にあったらいいなと思うもの」というアンケートを実施、「親子お月見観賞会」や「メダカの里親制度」など子どもたちの夢があふれるアイデアが寄せられた。区教育委員会はこれら子どもたちのアイデアを活かし、エコミューゼにビオトープや小川が流れる水辺の風景を配し、またこうしたランドスケープをデザインした平賀達也氏との共同によりDVD「豊島の森物語」を制作するとともに小中学校の教科に連動する環境教育プログラムを開発した。そして新庁舎開庁後、年間を通して順次、各学校の児童・生徒が新庁舎を見学に訪れ、学校のプールから救出したヤゴを池に放す「救出したヤゴをトンボにしよう!」や学校のビオトープで育てたメダカを放流する「メダカの里帰り」など、プログラムのテーマに沿った学習活動が展開された(※40)。
 この他にも庁舎の太陽光発電量を表示するモニターの設置や新庁舎の環境配慮技術を紹介するパネル展示、四季折々の区民向け環境講座や豊島の森での夕涼みコンサートの開催など、「環境庁舎」をアピールする様々な取り組みが展開された(※41)。
「豊島の森」で環境学習
メダカを放流
豊島の森夕涼みコンサート
◆文化
 「庁舎まるごとミュージアム構想」とは新庁舎内部の壁面や空間を活用し、区の歴史・文化・美術資料等を展示し、屋上庭園「豊島の森」やエコミューゼも含め庁舎全体を豊島区について知り、学ぶ「ミュージアム」に位置づけたものである。庁舎フロア中央のアトリウムを囲む各階回廊の壁をギャラリー仕立てにし、区の所蔵美術品や児童・生徒、障害者の作品、区の歴史・文化に関するパネル等を展示するほか、3階の総合窓口前には隈研吾氏デザインの森をイメージする展示棚に区にゆかりの深いふくろうコレクションが飾られた。また新庁舎の開庁に合わせ、新庁舎の多目的スペースを会場のひとつに加え、第10回「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」が開催された。これに続いて平成27(2015)年6月13日から28日までの2週間にわたり、1階の多目的スペースも含めた庁舎まるごとミュージアムを会場に、初開催となる国際公募展「アートオリンピア2015」が開催され、国内外から寄せられた240作品が展示された(※42)。
 この庁舎1階の多目的スペース(仮称「区民広場センター」)については、平成26(2014)年6月に名称を公募、最優秀賞に選ばれた高南小学校1年生児童の案から「としまセンタースクエア」と名付けられた。9月12日に開催された「新庁舎整備報告会」の中でこの名称発表と最優秀賞ほか優秀賞5名の表彰式が行われ、最優秀賞を受賞した児童からは「ここが豊島区の中心となり、たくさんの人が集まる場になってほしいという願いを込めて考えた」との命名理由が述べられた。この多目的スペースの壁や天井全面には自然木材が使われ、また照明も和紙をイメージした柔らかい意匠が施されており、これをデザインした隈氏は「庁舎建築においても、その場所が住民にとってつながりの中心だと感じてもらうことがとても大切だ」として、「素材、色、すべてにおいてやわらかさをイメージし、ほかの公共建築とは違う空気感を出そうと考えた」と語っており、その趣旨は最優秀賞児童の「人々が集う中心にある広場」という願いに重なるものであった。また区も同様の考えに立ち、「としまセンタースクエア」を単なる貸しスペースとするのではなく、区の主催事業で使用する以外は、区民活動団体等との共催事業、後援・協賛事業の会場として、広く区民に開放した。そして新庁舎竣工時には東京よさこいや大塚阿波おどりなど、区内で活動する22 団体、約 500名が集結し、「区民が祝う新庁舎落成」として様々な催しが繰り広げられた。また開庁後には昭和63(1988)年以来、27年間にわたって旧庁舎で開催され続けた「庁舎ロビーコンサート」が、装いも新たに「庁舎ランチタイムコンサート」として引き継がれ、まさしく多くの区民が集い、文化と触れあう広場になったのである(※43)。
庁舎まるごとミュージアム
ふくろうコレクション
アートオリンピア2015
庁舎ランチタイムコンサート(としまセンタースクエア)
 平成25(2013)年第2回区議会定例会の招集あいさつで、高野区長は「新庁舎建設を単なる庁舎の建て替えに終わらせてはならない」との考えを示し、「新庁舎は長期的な展望に基づく“100年の大計”として整備を進めているもので、将来を見越した先にある新庁舎は、区民のみなさんの安全を守る防災拠点であり、また、環境・文化のシンボルである」と述べている。こうした区長の考えに基づき、区は「用事がなくても行きたくなる区役所」をキャッチコピーに掲げ、様々な付加価値を新庁舎に加えていった(※44)。
 また後に隈氏も「20世紀には均質性に価値が置かれていたが、21世紀は多様性、人間優先の都市づくりへの価値転換が起きる。様々な機能が複合する新庁舎は時代の先端を行く公共施設になるだろう」と語っており、人々が住むマンションとの合築ということも含め、新庁舎はこれまでにない機能複合型の庁舎として注目を集めていった。
 こうして再開発建物の建設工事と新庁舎開庁に向けた準備が着々と進められる一方、平成24(2012)年に入り、再開発組合は竣工後の再開発建物の管理運営について、管理規約や管理諸規則等の検討に入っていった(※45)。
 この建物には庁舎と住宅のほか、1・2階の低層部にはテナントとして店舗や事務所等が入る複合用途の建物になることから、それぞれの用途に応じて管理区分を切り分けていく必要があった。このため、区分所有者の独自管理となる専有部分を除いた共用部分について、住宅共用部分、庁舎や店舗・事務所等の非住宅共用部分、その両方にまたがる全体共用部分の3つに区分し、それぞれについて管理組合を設立し、管理規約が定められることになった。このうち区が関わるのは非住宅共用部分と全体共用部分になるが、再開発組合の管理計画案に逐次検証しながら、区としての要望を反映させていった。こうした検討が約1年にわたって重ねられ、翌平成25(2013)年7月に各管理規約や細則等の全体像が取りまとめられた。それまでも分譲マンションとの合築であることから区議会でも度々取り上げられ、区民からも不安視する声が上がっていた管理費等の区の費用負担や、将来の修繕・改築等の懸案事項についてもこの管理規約等の中に規定された。そして再開発建物が竣工した後に、再開発組合は全体共用部分を管理するために区分所有者全員によって組織される管理組合へと移行していくことになったのである(※46)。
 またこの間の平成24(2012)年11月、再開発組合は豊島区の新たな拠点としてより親しみをもってもらおうと、再開発建物の名称を募集した。再開発組合、区、首都圏不燃建築公社及び東京建物で構成される選定委員会での審査を経て、最優秀賞に「としまエコミューゼタウン」が選定され、25(2013)年3月10日に開催された再開発組合臨時総会で建物全体の名称として決定された。またこれとともに、住宅部分の名称については「Brillia Tower池袋(ブリリアタワー池袋)」とすることが了承された。この分譲マンション「Brillia Tower池袋」の販売を担う東京建物は名称募集と同時に物件概要を公表して資料請求等の問い合わせ受付を開始していたが、前年11月からの4か月間に5,000件以上の問い合わせがあり、4月13日にオープンするモデルルームへの来場予約はこの時点で1,000件を超え、1~2か月の予約待ちという人気ぶりだった。物件概要は総戸数432戸(うち権利返還分の非分譲110戸)、住戸専有面積31.25㎡~161.26㎡(70㎡~80㎡台中心)、間取りは1R~3LDK(約80%3LDK が)で予定販売価格は3,000万円台~最高2億円(7,000~8,000万円台中心)の高額マンションであったが、それにもかかわらず、これだけの引き合いがあった理由には、東京メトロ有楽線東池袋駅直結の利便性に加え、同一建物内に区役所があることの安心感や、また防災面でも最新の免震技術や非常用電源が備えられ、「官庁施設の総合安全耐震計画基準」でⅠ類(最高位)を満たす区庁舎と一体であることの安全性が高く評価されたものだった(※47)。
 実際に建物上層部の「億ション」も含め販売開始とともに即完売し、その後もマンションの資産価値は上がっていった。権利変換によりこのマンションに入居した地権者たちからも「思い切って市街地再開発を決断して良かった」といった声があがり、それがまた周辺再開発に波及していくことにつながっていったのである。
 一方、区は平成23(2011)年1月に締結した保留床の譲渡に関する覚書に基づき、25(2013)年9月、再開発組合との間で「組合保留床売買契約締結に関する覚書」を締結した。この覚書は保留床を取得するにあたっての売買契約の内容について予め確認しあうもので、その時点での保留床購入経費は駐車場・駐輪場部分も含め約120億円、また建設工事の追加仕様費用として約7億円が見込まれていた。その後、再開発事業が順調に進捗したことにより余剰金が生じたため、権利床の床価格を下方修正する事業計画・権利変換計画の変更が行われた。これに伴い26(2014)年11月に改めて保留床売買契約に関する変更覚書を交わし、さらに追加した仕様工事費用の増分も加え、最終的に保留床取得経費の概算額は約136億円になった(※48)。
 この売買契約を締結するには「豊島区議会の議決に付すべき契約及び財産の取得又は処分に関する条例」に基づき区議会の議決が必要とされた。このため区は同年11月開会の区議会第4回定例会に「建物の買入れについて」の議案を提出、区議会の議決を経て売買契約を締結し、翌平成27(2015)年2月、再開発組合へ136億円を支払って保留床購入の手続きを完了させた。これにより既に権利床として取得していた約10,700㎡に保留床購入分の約14,800㎡を加え、新庁舎に必要な床面積25,500㎡を確保するに至った。なおこの支払いにあたっては、名目上は190億円の残高があることになっていた庁舎等建設基金には、それまでの運用の繰り返しにより実質的には6千万円しか残されていなかったことから、財政調整基金から110億円を償還した上で庁舎等建設基金から110億円を取崩し、これに公共施設再構築基金の取崩金約26億円(25.9億円)を足して136億円(135.9億円)としたものであった。さらに新庁舎移転後の27(2015)年度には残りの運用金約80億円を全額償還した上で庁舎等建設基金を廃止し、80億円の残高全額を区の一般会計に繰り戻すという2段階方式での財政上の手続きが取られた(図表4-⑯参照)。これにより昭和63(1988)年の創設以来、本来の目的とは異なる財源不足の穴埋めとして異例の運用を続けてきた庁舎等建設基金の役割は終わったのである(※49)。
図表4-16 新庁舎保留床購入経費の支払いと庁舎等建設基金の運用金解消までの流れ
 そして新庁舎の竣工がいよいよ1年後に迫った平成26(2014)年2月、区は新庁舎の開庁日を27(2015)年5月7日に決定し、広報としまの号外特集号を2回発行するなどして区民に周知した。また27(2015)年5月のゴールデンウィークは2日~6日の5連休となることから、5月1日をもって現庁舎を閉庁し、その連休中に引越し作業を行い、7日に新庁舎を開庁するというスケジュールが組まれた(※50)。
 こうして区も再開発組合も様々な課題を乗り越え、平成27(2015)年3月23日、ついに再開発建物竣工の日を迎えたのである。
 同日、としまセンタースクエアにおいて、より多くの区民や関係者と新庁舎落成を祝おうと午前1回、午後2回の3回に分けて行われた落成式典には計約1,200人が参列した。この落成式に続き、24、28、29日の3日間にわたり新庁舎見学会が実施された。区制施行70周年時に制作された広報キャラクター「としまななまる」と、豊島区のシンボルであるふくろうとソメイヨシノをモチーフに新たに制作された「そめふくちゃん」が出迎えるなか、見学会には約14,000人もが来場し、区民にとっても待望の新庁舎の誕生となった。また全国初の分譲マンション一体型庁舎、しかも借金ゼロで建設したとあって、報道各社が連日取材に訪れ、新聞・テレビ等のマスコミでも大きく取り上げられた(※51)。
新庁舎落成式(平成27年3月23日)
新庁舎落成共同記者会見
区民が祝う新庁舎落成
新庁舎見学会
 そして5月7日の新庁舎開庁に向け移転準備が急ピッチで進められるなか、4月26日執行の区長選挙において有効投票数88,163票の65%にあたる57,309票を獲得して5選を果たした高野区長にとって、新庁舎の完成は「としま新時代」の幕開けを象徴するひとつの到達点と言えた。平成27(2015)年2月、現庁舎では最後となる区議会定例会の招集あいさつで、これまでの道のりを振り返りつつ区長は次のように述べている(※52)。
 平成27年度は、待ちに待った新庁舎への移転がいよいよ実現する年であり、新庁舎での業務開始を契機に、豊島区の新しい歴史が始まるその扉を開く年であります。
 (中略)
まさに、豊島区は新時代を迎え、今、大きく飛躍していこうとしているのではないでしょうか。
『人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された。』
 これは、マイクロソフト社の創業者であるビル・ゲイツ氏の言葉であります。
 まさに、これまでの豊島区の歩み、そして、これからの発展を象徴的に示した言葉ではないかと思っています。
新庁舎のオープンは今や目の前に迫っておりますが、思い起こしてみますと、市街地再開発事業による前例のない整備手法に、当初、「不可能」と思われた方々も多かったのではないでしょうか。
 私が、夢と希望を胸に秘め 強い情熱をもって区長に就任した16年前、区は、極めて厳しい財政事情にあり、次の予算の編成も困難な状況でした。行政経営は、まさに「自転車操業」で、止まったら倒れてしまうほどに追い込まれ、将来展望を示すどころではありませんでした。平成17・18年度には、新規採用の職員はゼロ、全職員の給料の削減まで踏み込まざるを得なかったことは、今でも私の心に深い傷として刻まれております。
 こうした最悪の状況の下では、一度頓挫した新庁舎建設の再考など、とても、とても口にできる事態ではなかったのであります。
 しかしながら、庁舎の老朽化が進み、新庁舎整備は待ったなしの状況でありました。
 そして、私を筆頭に、職員や関係者の英知を結集し、あらゆる可能性を模索して編み出したのが市街地再開発事業による整備手法でありました。
 検討の過程では、「不可能である」との厳しいご意見もありましたが、私たちは池袋の秘めるポテンシャルの高さを信じて事業を推し進め、ついに、新たな借金をすることなく新庁舎整備を成し遂げる見通しを立てるまでに至ったのであります。
 同時に、破たん寸前のどん底の状態にあった財政の立て直しにも、全庁を挙げて果敢に取り組み、区民の皆さん、議会のご理解ご協力を得ながら、職員定数の削減など聖域なき行財政改革、いわゆる隠れ借金の繰り上げ償還など、財政基盤の強化を断行し、財政の健全化を成し遂げたのであります。
 「新庁舎の整備」と「財政の健全化」を同時に実現するという、およそ不可能と思われた難事業を、私は多くの皆さまとともに力を合わせて成し遂げてまいりました。
 平成27(2015)年5月1日、現庁舎での最後の業務終了後、入口に掲げられた「東京都豊島区役所」の看板が高野区長自らの手で下ろされた。そして翌2日から6日までの4日間に庁舎の「引越し大作戦」が敢行され、連休明けの5月7日、新庁舎は晴れてオープンの日を迎えた。
 午前8時の開庁式でのテープカット後、8時30分の開庁を待ちかねたように詰めかけた大勢の来庁者を出迎えた。新庁舎での婚姻届第一号をめざして来庁した3組のカップルは区長室に招かれ、区長との記念撮影をして祝うとともに記念品が贈呈された(※53)。
現庁舎閉庁
新庁舎開庁テープカット
 また「345日、区民に開かれた区役所」を標榜して開始された土日開庁では従前の34業務から164業務へと取扱い業務が大幅に拡大され、5月から8月までの開庁後4か月間の総合窓口休日来庁者数は前年比4.5倍を数えた。開庁翌年の平成28(2016)年1月に実施した来庁者アンケートでも、新庁舎の評価で「十分だと思う」と回答した割合が最も高かったのは「3階総合窓口サービス」(57.7%)で、次いで「345日3階4階の窓口開庁」(56.0%)が挙げられていた。その一方、新庁舎開庁に合わせて導入したコールセンター・IP電話は「なかなかつながらない」、「転送に時間がかかる」など開庁当初に不具合が生じたが、オペレーター業務の体制強化など見直しを図り、徐々に問題は解消されていった。そうしたトラブルが一部見られたものの、新庁舎移転後の業務は全般的に円滑に進められ、窓口に来たついでにというだけでなく、屋上庭園「豊島の森」や庁舎まるごとミュージアムを目的に見学しに来る人々も多く見られた。また他の自治体からは大きな関心が寄せられ、開庁から8月までの4か月間の視察件数114件の大半は他自治体からの視察であった。新庁舎が完成した27(2015)年前後は東日本大震災の復興工事と2020東京オリンピックに向けた建設工事が重なった影響で建設需要に供給が追いつかず、工事費が高騰し、どの自治体でも公共工事の入札不調が続発していた時期であった。そうした中で、新たな財政負担ゼロという神業のような整備手法で新庁舎を建設した豊島区には高い関心を寄せていたことが窺える(※54)。
 一方、新庁舎を含む再開発建物「としまエコミューゼタウン」は建築物としても高く評価され、公益財団法人日本デザイン振興会の「2015年度グッドデザイン賞」(街区地域開発部門、地域コミュニティづくり・社会貢献・開発部門)をはじめ、公益財団法人都市緑化機構「第15回 屋上・壁面緑化技術コンクール」環境大臣賞(屋上緑化部門)及び日本経済新聞社賞(壁面・特殊緑化部門)、 公益社団法人日本都市計画学会「2016年度日本都市計画学会賞」、一般社団法人日本建築業連合会「第57回BCS賞」など数々の賞を受賞した。そしてこの「としまエコミューゼタウン」完成から1年半後の平成28(2016)9月、再開発組合の解散が認可され、さらに半年後の29(2017)年3月、事業の清算及び決算報告書を都知事が承認し、平成16(2004)年9月に「南池袋二丁目地区開発事業協議会」が発足して以来12年の歳月を経て、南池袋二丁目A地区市街地再開発事業は完了を見たのである(※55)。

庁舎跡地活用-公民連携による新たな文化賑わい拠点の創出

 こうして新庁舎は完成したが、その整備計画を完結させるには新庁舎の保留床約14,800㎡の購入経費136億円を生み出すための庁舎跡地の資産活用という課題が残されていた。このプロジェクトは単に新庁舎の保留床購入経費を賄うというだけでなく、池袋副都心を生まれ変わらせるという大きな使命があった。池袋駅に近接する立地条件を活かし、新たな文化にぎわい拠点として再生するというもう一つの課題である。昭和7(1932)年の区制施行以来、戦災により一時移転した時期を除き、この地にずっと区役所が置かれていたという歴史的経緯があったことからも、庁舎跡地をどのように活用していくかについては地域住民はもとより、区民の納得を得ることが求められた。
 このため平成22(2010)年4月、都市整備部に現庁舎周辺まちづくり担当の課長職を設置し、現庁舎周辺の土地利用状況や登記簿等の基礎的な調査を進めるとともに、地元商店会の発意によるまちづくり検討組織の立ち上げを支援した。そして翌23(2011)年3月、町会連合会、商店街連合会と地元の各町会・商店会のほか、東京商工会議所豊島支部、豊島区観光協会、建築・不動産関連団体、立教大学及び帝京平成大学が参加する「現庁舎周辺まちづくりを考える会」が発足、区は事務局としてこの考える会の活動を支援するかたちで区民主体による検討が開始された。また同年5月には立教、帝京平成の両大学に学生の参加協力を依頼、立教大学生5名、帝京平成大学生7名が加わり、ワークショップ形式での検討が進められた(※56)。
 廣江彰立教大学経済学部教授をアドバイザーに迎え、平成23(2011)年6月から翌24年2月までに4回のワークショップを開催するほか、学生たちが中心となってまち歩きフィールドワークや現庁舎周辺の老舗訪問を実施、そこで得た情報をワークショップで報告し、まちづくりのイメージを共有しながら検討は進められた。4回目のワークショップで学生たちによるまちの将来イメージ提案、考える会によるまちづくり提言案をそれぞれ発表しあい、これら検討成果を提言書にまとめ、24(2012)年5月26日、区長に提出した(※57)。
現庁舎周辺まちづくりを考える会ワークショップ
現庁舎周辺まちづくりを考える会ワークショップ
 この提言では、「にぎわいをつなぎ、人をつなぐまち、池袋」をコンセプトに現庁舎周辺のまちづくりについて以下の8つの提言がなされていた(図表4-⑰参照)。
 提言1 文化・芸術・にぎわい・安全・安心の複合拠点を形成(現庁舎跡地の民間開発)
 提言2 低未利用地を人も住めるエリアに再生(明治通り北側エリアの再開発)
 提言3 明治通りを歩行者中心の軸へ
 提言4 にぎわいをつなぎ、回遊させる魅力的な南北軸を形成
 提言5 緑の憩いの空間・連続する緑のネットワークの充実(中池袋公園の整備)
 提言6 池袋独自の新たな魅力を創造(アニメ文化等の活用)
 提言7 地域との協働によるまちづくり
 提言8 新たなマネジメント体制の確立
 またこれらの提言とともに、学生たちによる「まちの将来イメージ提案」も付されており、その中でも明治通りからサンシャイン60通りに至る南北軸を現庁舎周辺エリアのまちづくりの核に位置づけ、サンシャイン60通りとは異なる落ち着いた歩行者中心の通りとする案が示されていた。
図表4-17 現庁舎周辺まちづくりを考える会「まちづくり提言」
 この提言を受け、区は「⼈と環境にやさしい『四季を感じられるまち』へ」を基本コンセプトに掲げ、現庁舎周辺エリアの範囲を新庁舎整備予定地まで広げて回遊性のさらなる向上をめざした。特に提言の中で示されていた「南北軸」については、サンシャイン60通りからさらにグリーン大通りへと延ばし、新庁舎整備予定地を含む東池袋駅周辺地区と現庁舎周辺地区の2つの核(コア)を連結する「ダンベル型」の都市づくりを構想していった。また新庁舎整備のために資産活用する現庁舎跡地については、民間開発を誘導するための基本スキームや民間開発ビル内に整備する「新ホール」の規模・機能等の基本要件について検討を進め、さらに民間開発に併せて区が整備する区民センターの改築や中池袋公園の大規模改修、南北区道等の周辺道路整備、中池袋公園を中心に南池袋公園と西池袋公園を含む1km圏のグリーンループ構想など、考える会の提言内容をより詳細に具体化させていった。一方、これら区が主導する現庁舎周辺整備に係る経費は、平成25(2013)年10月の時点で新ホール建設に50億円、区民センターの改築及び隣接する生活産業プラザの改修経費として44億円、南北区道、新庁舎周辺及び南池袋公園周辺も含めた周辺区道整備として17億円、中池袋公園大規模改修経費として3億円の計114億円にのぼることが見込まれ、その70%は起債で賄うとした(※58)。
 平成26(2014)年1月、区はそれまでの検討をもとに「現庁舎周辺まちづくりビジョン」(案)を作成、議会へ報告後、区広報紙の号外やホームページに公表し、パブリックコメントを実施した。またこのまちづくりビジョン案に並行して検討を進めていた新ホールの整備と区民センターの改築についてもそれぞれ基本計画案を作成し、前年12月からパブリックコメントを開始した(※59)。
 このパブリックコメントを実施した時には、すでに新庁舎整備は既に市街地再開発建物の建設工事が順調に進捗していたが、その新庁舎が市街地再開発事業と現庁舎地の資産活用により新たな財政負担なく整備されるのに対し、跡地となる現庁舎地の活用事業には周辺整備も含め100億円を超える財源を投資する事業になることから、これらの計画に賛成する声やこの開発を活かす具体的な提案など前向きな意見が寄せられた一方、「新たな借金を100億円以上する、新ホールの建設なんてとんでもない」「税金をハコモノに使うのではなく、教育・保育等の福祉に使うことをもっと考えてほしい」など計画そのものに反対する声や、「震災復興や東京オリンピックが控えており、スケジュール通りに人やモノが調達できるのか。ここは我慢してオリンピック後に計画を延期すべき」「将来世代へ負債を押し付けないよう、50 年ぐらい先を見通したスマートな計画を望む」など区に慎重な対応を求める意見も少なくなかった(※60)。
 だが池袋副都心の再生に人一倍強い思いを抱く高野区長にとって、現庁舎地活用事業は外すことのできない将来に向けた投資に他ならなかった。これらの計画案を公表した直後の平成26(2014)年区議会第1回定例会の所信表明の中でも、区長は次のように語っている(※61)。
 現庁舎地の跡地活用をどう計るかは、池袋副都心の再生、文化とにぎわいの創造に欠かせない重要なプロジェクトであります。
 (中略)新庁舎が完成した後、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて現庁舎地の活用をスタートさせることとなる今こそ、街を変える最大のチャンスであり、この機を逃せば、池袋副都心の再生はあり得ないと考えております。
 計画では、質の高い舞台芸術や音楽を発信する場となり、また、成人式や小中学校の連合行事など、区民活動の檜舞台ともなる新ホールの整備、そして新ホール・新区民センターと連携した交流広場に生まれ変わる中池袋公園、南北のにぎわい動線を生み出す区道整備、池袋の顔となる新庁舎へのアクセスを担うグリーン大通り、さらには潤いと安らぎの拠点となる南池袋公園や新庁舎周辺の整備など、複数の事業を同時進行させ、新宿・渋谷とは一味違う、池袋ならではの個性あるにぎわいの創出を進めてまいります。
 特に豊島公会堂に替わる新ホールは新たな文化・賑わい拠点の核になることから、区長自ら陣頭指揮を取り、平成25(2013)年4月に区長をトップとする「現庁舎地活用に係る新ホール検討会」を立ち上げ、基本計画案を取りまとめていった。この検討過程で、公会堂・区民センター(文化ホール)を利用する594団体へのアンケート調査や区内施設利用団体代表等による利用者懇談会、興業事業者・プロモーターへの意向調査を実施し、その中で出された意見・要望等を踏まえ、当初想定の1,200席から1,355席へと規模を拡大させるとともに、オペラ、バレエ、ミュージカル、伝統芸能等の多様な公演に対応できるよう、迫りや花道、オーケストラピット等を備える本格的な劇場仕様へとグレードアップされていった。
新ホールの整備イメージ(平成26年3月「(仮称)豊島区新ホール基本計画」)
 こうして平成26(2014)年3月、各案の方向性に大きな変更が加えられることなく「現庁舎周辺まちづくりビジョン」、「(仮称)豊島区新ホール基本計画」及び「豊島区民センター改築基本計画」が策定され、現庁舎地活用事業とその周辺まちづくり事業は新庁舎整備に続く池袋副都心再生の大規模プロジェクト第2弾に位置づけられたのである(※62)。
 このうち「現庁舎周辺まちづくりビジョン」は平成26(2014)年度から概ね10年間を計画期間とし、「ビジョン1:多様な文化に彩られたにぎわいのまちを実現する」「ビジョン2:安心できるにぎわいのまちを実現する」「ビジョン3:回遊性豊かな四季を感じるまちを実現する」「ビジョン4:副都心再生をけん引するまちづくりを進める」の4つのまちづくりビジョンの下に、「方針1:魅力的な文化にぎわい拠点をつくる(現庁舎跡地)」「方針2:安全安心の拠点をつくる(新庁舎地)」「方針3:2つの拠点をつなぎ新たな回遊性を生み出す」「方針4:グリーンループをつくりスマートシティをめざす」「方針5: にぎわいのまちづくりを広げる」の5つのまちづくり方針が掲げられた。そしてこれらのビジョンや方針に基づき、計画期間の前期5年間に展開するアクションプログラムとして、現庁舎周辺区道の整備など7つの事業が挙げられた(図表4-⑱参照)。
図表4-18 現庁舎周辺まちづくりビジョン・アクションプログラムの展開
 これら7事業のうち、東京電力の変電所整備の復旧経費を充当する南池袋公園の整備事業を除く6事業については、5年間の事業費合計として約20億円が見込まれた。また「(仮称)豊島区新ホール基本計画」及び「区民センター改築基本計画」の中でも、前述した25(2013)年10月時点と同額の新ホール50億円、区民センター44億円がそれぞれの整備費の概算として示されていた。だがうち新ホール整備費の積算根拠となる㎡単価は前回の54万円から70万円へと3割近くも上昇していたのだが、算定方法が異なるため単価の変化は判断できないとされ、また前回算定時には含まれていた消費税を別途扱いにし、さらに前回には算定対象だった共用部分の床面積1,700㎡は事業者提案によって異なってくるとの理由で対象から外した上で、ようやく前回と同じ算定額になったものだった。区民センターの改築及び隣接する生活産業プラザの改修経費も前回算定時の金額がそのまま示されていたもので、「今後、社会経済状況の変化を踏まえ精査」するとされるなど、やや強引さの目立つ積算だったことは否めなかった。いずれにしても工事費の高騰状況が続いていたなか、実際に掛かる整備費はこれらの計画で示された概算額より膨らむことが予想された(※63)。
 そうしたことからも、現庁舎地の資産活用については新庁舎の保留床購入経費に充てるだけにとどまらず、能力・資力・実績ともにある民間開発事業者を確実に誘致し、定期借地による地代収入として少しでも高い評価を得ることが極めて重要になっていたのである。このため区は公募プロポーザル方式により事業者を選定することとし、プロポーザルの募集要綱や新ホール整備に係る要求水準書の作成作業を進めていくとともに、池袋副都心のポテンシャルをアピールする「街が変わる街を変える」という冊子を作成して大手デベロッパー等へのプロモーション活動を展開していった。また現庁舎地については既に平成22(2010)年12月に区役所の位置を変更する条例が特別議決されていたが、豊島公会堂も民間事業者による開発予定地となることから、26(2014)年の区議会第1回定例会に「豊島公会堂条例を廃止する条例」を提出し、区議会の議決を得た。これにより公会堂は事業者による解体工事が開始される前に廃止されることになり、翌27(2015)年10月末をもって使用終了予定になった(※64)。
 こうして事業者選定に向けた準備は着々と進められ、平成26(2014)年3月、区は「現庁舎地活用事業プロポーザル実施要項」とこれに付随する「(仮称)豊島区新ホール整備事業要求水準書」を公表し、事業者の募集を開始した(※65)。
 この新ホールの要求水準書にはホールの基本的な機能や構造・舞台設備等に関する設計要件、諸室の規模・仕様等が示されていた。これらの要件も含め、新たな文化・賑わい拠点を創出するという庁舎跡地活用事業の趣旨や定期借地による事業用地の貸付条件等を踏まえた提案を事業者から募り、審査を経て優先交渉権者を選定することとした。また実施要綱には事業用地の定期借地による貸付期間を50年以上70年以下の範囲とし、その一括前払いの地代目標額141億円とする一方、民間事業者が整備する新ホールを区が買い取ることとし、その専有部分の購入予定額50億円が示されていた。なおこの一括前払いの地代目標額は、平成22(2010)年11月に策定された「新庁舎整備推進計画」の資金計画に載せられていたその時点での新庁舎の保留床取得経費にあたる。
 当初のスケジュールでは5月まで参加事業者を募り、第1次審査として参加資格等を審査した上で提案書の提出を求め、9~11月に審査委員会による第2次審査を実施して優先交渉権者を選定し、年内には事業実施に向けた基本協定を締結するという流れになっていた。そして翌平成27(2015)年から設計、借地契約等の協議に入り、同年11月に定期借地契約を締結後、解体工事、新築工事へと進めていく予定だった。だが優先交渉権者の選定により慎重を期すため、この審査委員会を区長の附属機関として条例設置することとして条例制定手続きを行うため、審査期間は約4か月間延長された。これに伴い、その後の設計協議や定期借地権契約、工事スケジュール等もそれぞれ4か月後に先送るスケジュールが組み直された。
 こうして平成26(2014)年6月開会の区議会第2回定例会に「豊島区附属機関の設置に関する条例」を提出し、区議会の議決を経て7月に「現庁舎地活用事業者審査委員会」が設置された。同審査委員会は都市計画家の土井幸平氏を会長に学識経験者5名、まちづくり又は文化芸術に関する識見を有する区民として現庁舎周辺まちづくりを考える会会長とNPO法人アートネットワーク・ジャパン理事長の2名、公募区民2名、区職員3名の計12名で構成され、第2次審査で参加事業者からの提案を審査する役割を担った(※66)。
 プロポーザル実施要綱に基づき、平成26(2014)年5月に8グループの事業者から参加表明を受け、翌27(2015)年1月、最終的に6グループの事業者から提案書が提出された。審査委員会はこの提案書及びプレゼンテーションについて、事業計画面8項目、資金面2項目の計10の審査項目で各委員が採点し、その審査結果を区長に報告した。この報告に基づき、区は同年3月、東京建物株式会社を代表事業者として株式会社サンケイビル、鹿島建設株式会社の3者から構成されるグループ(以下「東京建物グループ」)を優先交渉権者に決定した(※67)。
 この3者のグループ内での役割は、東京建物とサンケイビルが定期借地権者として民間施設の不動産開発及び管理、鹿島建設が設計・建設・工事管理をそれぞれ担うとともに、フジサンケイグループ各社と連携してにぎわい創出を全面的に支援していくとしていた。
 またその提案内容は、総合設計と一団地認定を活用して土地の高度利用を図り、本庁舎跡地に高さ146m、30階建ての高層ビルを建設し、その中にオフィス(延床面積48,000㎡)を中心にカンファレンスホールやシネマコンプレックス(9スクリーン約1,600席)、飲食・物販店を配し、また分庁舎・公会堂跡地に建設する建物は正面の中池袋公園や周辺と調和するよう高さ40m、7階建てに押さえ、その中に区の新ホール(1,300席)のほか、ボカロ劇場(ボーカロイドなど多様な最先端アートカルチャーイベントが実施可能なライブ劇場)、スタジオ、飲食店舗を配する案となっていた。また解体・建設期間6年6か月を含めた定期借地期間76年6か月の一括前払い地代として191億円が提示された。
 区の目標額141億円を50億円も上回る地代もさることながら、「誰もが輝く 劇場都市」を開発コンセプトに、池袋の新たなランドマークとなる「副都心の中核を担うビジネスの舞台」、最先端アート・カルチャーから伝統芸能まで多彩なジャンルが 365 日演じられる「文化とにぎわいの舞台」、国内を代表する企業グループのマネジメントによりエリアの価値を最大化する「エリアマネジメントの舞台」という、現庁舎地活用の基本的な考え方が高く評価されたものだった。特に区が整備する区民センター内のホールも含め、「中池袋公園を囲む『7つの“劇場”』が生み出す圧倒的なにぎわい」というアピールは、区が掲げる国際アート・カルチャー都市構想のコンセプト「まち全体が舞台の誰もが主役になれる劇場都市」に合致するものだった。
 なお平成26(2014)年3月に策定した「区民センター改築基本計画」は、設計段階で隣接する生活産業プラザと一体的に整備する方向で見直され、多目的ホールに加え区民がより身近に利用できる小ホールを整備することにしたため、この「7つの劇場」は「8つの劇場」に改められている。また27(2015)年9月の区長月例記者会見で、この区民センターの2階、3階全面を女性用がメインの公共トイレフロアとする構想が発表された。この構想は公共施設等でよく見られる女性トイレの行列待ちを解消するため、2フロア約40ブースのうち30ブースを女性用とし、フィッティング・パウダーコーナーを設けるとともに、子ども連れの家族が安心して休憩できるスペースとして、キッズトイレや親子トイレ、授乳室等を備えた「パパママ☆すぽっと」を整備するという内容で、「トイレから広がる女性にやさしいまちづくり」が謳われた。こうして区民センターを含めて明らかになってきた庁舎跡地整備の全貌を、区は区民説明会等を通じて周知していった(図表4-⑲参照)。10月から12月にかけて区内4か所で開かれた区民説明会では、多大な投資をする事業に反対する声も聞かれたが、新庁舎に続くビックプロジェクトに期待を寄せる声も多かった(※68)。
図表4-19 「8つの劇場」と新区民センター2階トイレフロア(説明会資料より抜粋)
現庁舎地活用事業の優先交渉権者決定(記者会見)
旧庁舎跡地・周辺まちづくりに関する説明会
 一方、新庁舎がオープンした2か月後の平成27(2015)年7月、区は東京建物グループ構成3者と「旧庁舎跡地活用事業基本協定書」を締結した(※69)。
 この協定書は定期借地権設定契約、旧庁舎等の既存施設の無償譲渡契約及び新ホールに係る建物売買契約の締結等に向け、区と事業者の役割分担や事業の円滑な実施に必要な諸手続等に関する基本的事項を定めるもので、定期借地権設定契約と既存施設の無償譲渡契約については翌平成28(2016)年3月を目途に締結するとした。
 区はこの定期借地権設定契約を結ぶにあたり、法的には財産の管理行為として区長の権限で執行可能ではあったのだが、庁舎跡地の活用という極めて重要な政策であることに鑑み、区議会の議決を得る必要があるとの判断から、まず平成27(2015)年第3回定例会にその手続きに関する「豊島区議会の議決に付すべき契約及び財産の取得又は処分に関する条例」の改正案を提出した。この改正は、地方自治法第96条第2項の「普通地方公共団体は、条例で普通地方公共団体に関する事件につき議会の議決すべきものを定めることができる」との規定に基づき、その他の議決事件として「定期借地権の設定で、その敷地面積が1件5,000平方メートル以上のものについては、法第96条第2項の規定により議会の議決すべき事件とする」という条文を加えたものである。そしてこの改正条例案ついて区議会での議決を得た上で、次に翌28(2016)年2月開会の区議会第1回定例会に「定期借地権の設定について」及び「財産の無償譲渡について」の2議案を改めて提出し、両議案とも議決を得た。なお区はこの2議案の審査資料として、定期借地期間76年6か月分の地代191億円の価額が妥当であるかを判断するため不動産鑑定2社による鑑定を行った結果を提出しているが、いずれも139億円、146億円と東京建物グループの提示額をかなり下回ったものだった。また庁舎等の建物を無償譲渡するにあたり、区は解体費用として8億円を支払うことになっていたが、この工事価額の妥当性についても外部機関に評価を依頼したところ、実勢価格は約10億円になるとの評価結果で、これもまた十分、合理的な契約額だったと言える(※70)。
 これら2議案の議決を得て、区は同年3月18日、東京建物、サンケイビルと定期借地契約及び無償譲渡契約を締結した。また定期借地契約が完了するまでは非公開とされていた、他のプロポーザル参加事業者の提案概要や審査委員会の採点結果が区のホームページ上で公表された。これによれば、事業提案を行った6グループのうち、民間施設の主な用途(高層部分)をオフィスとしていたのは東京建物グループも含め2件、分譲マンション、賃貸マンション、分譲マンションとオフィスの混合がそれぞれ1件、残りの1件はホテルであった。また採点時に特に優れた提案に10点が加算される低層部のにぎわい創出に関する計画については、飲食店舗・物販店舗の提案がほとんどで、シネコン、スタジオを個別に組み入れている案も1件ずつはあったが、複合的な劇場空間の提案は東京建物グループのみであった。そして事業計画面8項目60点(加算点10点除く)、資金面2項目40点の配点で採点された結果、東京建物グループの提案は事業計画面61.9点、資金面21.1点の計83.0点で次点の提案74.7点より8ポイント以上高い最高点が付けられていた。ただし、資金面での得点は全体の中の4番目で決して高い評価を得ていたわけではなかったことから、にぎわい創出の加算点を得て事業計画面で高く評価されたことが分かる。こうした配点・採点結果からも、区側はただ単に新庁舎の保留床購入費を捻出するだけでなく、池袋副都心の再生に向け、いかにこの地を効果的に活用していくかに重点が置かれていたかが窺えた(※71)。
 そしてこの2つの契約締結に基づき、地代、解体撤去負担料の支払いが相互に完了し、敷地・建物が東京建物グループに引き渡されたことにより、旧庁舎・公会堂の解体工事が着手されることになった。その工事が開始される直前の3月11日~13日の3日間、2月末をもって閉館した豊島公会堂で、舞台や楽屋、またそれまで区民が入ることのなかった映写室や投光室等の舞台裏までを一般公開する閉館記念イベント「さよなら公会堂」が開催された。またこれに続く3月20、21日の両日には旧庁舎・公会堂・中池袋公園を会場にサヨナラ・アリガトウ記念イベント「としまミュージアム」が開催された。この記念イベントは区及び区教育委員会、東京建物、サンケイビル、株式会社アニメイトで構成される「としまミュージアム実行委員会」の主催により開催されたもので、フジサンケイグループとアニメイトの協力により子どもから大人まで楽しめる盛りだくさんのイベント企画のほか、区庁舎や区の歴史・文化をたどる展示、「8つの劇場」が創出するこのエリアの未来図を紹介する映像など、多彩なプログラムが展開された。公会堂の記念イベントも含め、慣れ親しんだ区庁舎と公会堂の最後を見届けようと多くの区民が来場し、その壁や床には「ここらへんが戸籍窓口で子供が生まれた時も義父が死んだ時も手続きに来ました。忘れていたけど、その前に結婚届けも出しに来ていますね。すっかり忘れていたいろいろな出来事を今日ここに来て思い出しました。田舎から出てきて豊島区民歴43年!!ありがと~」「初舞台はこのステージでした、ありがとう公会堂!!」「たくさんの人々の青春の一ページを飾ってくれた豊島公会堂、長い間お疲れ様でした」など様々な思い出を綴ったメッセージが書き込まれていた。こうして昭和36(1961)年建設の区庁舎、また戦後間もない27(1952)年に多くの区民の篤志により建設された豊島公会堂は、区民の様々な思い出とともに半世紀以上に及ぶ歴史に幕を閉じることになったのである(※72)。
豊島公会堂閉館、「さよなら公会堂」一般公開
旧庁舎・公会堂閉庁イベント「としまミュージアム」
「としまミュージアム」公会堂ライトアップアート
「としまミュージアム」議場マルシェ
 平成28(2016)年4月から開始された解体工事に続き、同年12月から庁舎跡地活用事業は新築工事の着工が予定されていた。この間の8月31日、東京圏国家戦略特別区域会議において庁舎跡地活用事業を国家戦略特別区域法に基づく「国家戦略民間都市再生事業」として追加する区域計画案が了承され、翌9月に内閣総理大臣により認定された。国家戦略特区制度には様々な規制・制度改革メニューが用意されているが、この「国家戦略民間都市再生事業」は民間が行う都市再生プロジェクトを対象に、区域計画の認定をもって事業に係る様々な許認可がなされたとみなすワンストップ制度で、世界と戦える国際都市を形成する拠点施設の立地を促進することを目的としていた。都内ではそれまでに22のプロジェクトがこの認定を受けていたが、いずれも都心区や新宿・渋谷、臨海部等に集中し、豊島区の庁舎跡地活用事業は城北地域で初の認定になった。これは前年の8月に東京圏の対象区域が都内全域に拡大されたことによるもので、さらにその前月の7月に庁舎跡地を含む池袋駅周辺地域が特定都市再生緊急整備地域の指定を受けていたことから、この「国家戦略民間都市再生事業」の認定により税制面での特例(軽減)措置等も適用されることになった。国際アート・カルチャー都市構想を掲げ、庁舎跡地活用事業をそのシンボルプロジェクトとして進めている豊島区にとって、この認定はまさに追い風と言えるものだった。また他のプロジェクトのほとんどが大手デベロッパーの主導による開発事業であったのに対し、庁舎跡地開発事業は公有地を活用した公民連携事業として、国や都も関心を寄せていた(※73)。
 一方、区はこの現庁舎地活用事業に連動して整備する区民センターの利用を平成28(2016)年9月末をもって終了することとし、同年の区議会第2回定例会に「豊島区立豊島区民センターを廃止する条例」案を提出した。そして区議会の議決を経て、10月から解体工事を開始、翌29(2017)年度から31(2019)年9月の竣工をめざし、本体工事に着手した(※74)。
 前述した通り、新たに整備する新区民センターについては、改築基本計画から大幅に見直しが加えられ、隣接する生活産業プラザと一体的に整備することにより、建物8・9階には講演会やレセプションパーティーなど区民の様々なニーズに対応できるよう昇降式舞台を備えた280㎡の平土間と、その上部に120㎡の観覧スペースを設けた二層式の多目的ホール(客席数486)、6・7階には音楽会やカラオケ大会など区民の身近な文化活動・コミュニティ活動の拠点となる小ホール(面積約136㎡、客席数160)の2つのホールが設けられた。このほか大・小15の会議室、音楽やダンスの練習ができるスタジオ3室、茶の湯や生け花など日本文化に親しむ27畳の和室などが設けられ、新ホールが主にプロの興行公演の「舞台」であるのに対し、新区民センターは区民が主役になれる「舞台」として位置づけられた。また2階・3階部分にはかつてない規模の女性のためのパブリックトイレと「ビルの中の公園」をイメージした木の香あふれる「パパママ☆すぽっと」、そして1階はこのエリアを訪れる人々のエントランスゲートとして、また豊島区全体の文化観光情報の発信拠点として、チケットセンターも兼ねた多言語他応のインフォメーションセンターが設けられた。こうして新区民センターには様々な機能が加えられ、区民自らが豊島区の新たな文化を生み出していく中心拠点として、施設名称もより親しみやすくなるよう、ひらがなを用いた「としま区民センター」に改称された(※75)。
 一方、民間開発ビル内に整備後、区が買い取ることになる新ホールについては、プロポーザル実施要綱の中で専有部分延床面積 6,000 ㎡程度に対応する購入予定額として50 億円(税別)を基準に別途、区と事業者との協議により決定するとしていた。また27(2015)年7月に東京建物グループと交わした基本協定では、新ホール棟の建築工事着工前を目途に建物売買契約を締結することとし、その契約内容は提案書に記載された内容(提案額69.54億円)に基づき協議の上定めることになっていた。しかしその後の設計協議での仕様変更等による増額分も含め、専有部分6,111㎡と共有部分の区の持分2,201㎡を合わせた8,312㎡の買取価格は71億円、税込みで約77億円になった。この価格についても定期借地地代や区が負担する解体工事費と同様に妥当性を判断するため不動産鑑定を委託したところ、約75億円(税別)の鑑定結果が出され、また財産価格審議会でもこの価格は適性であるとの答申を受けたため、区は28(2016)年11月開会の区議会第4回定例会にこの建物の買入れについての議案を提出、議会の議決を経て同年12月に新ホールの売買契約を締結した。なお実際の代金支払は31年(4月予定)に新ホールが完成し、建物の引き渡し時になるが、その間に買入れ部分の床面積や付帯設備として買入れ額に含める備品内容に変更が生じ、最終的な建物売買価格は79億円になった(※76)。
 こうして売買契約が締結され、翌平成29(2017)年から新ホール棟の建設工事が開始された。その工事の進捗状況はオフィス棟、区民センターの建設工事とともに、新庁舎建設時と同様、定点撮影された画像が区ホームページに毎月掲載された。
28年12月
29年9月
30年4月
31年4月
 こうして建設工事が着々と進められるなか、区と東京建物グループはこのエリアの価値を高めていくブランディング戦略を展開していった。まずその第一弾として平成29(2017)年1月、中池袋公園を含む庁舎跡地エリア全体の愛称を公募した。年間 1000 万⼈の集客数が予測されることから「1000万のきらめく物語が生まれるまち」を基本コンセプトに掲げ、記者会見を開いて愛称募集を区内外にアピールするとともに、一般部門とは別に小中学生部門を設け、区立各小中学校に募集チラシを配布した。またプロも含めた応募を誘導するため、最優秀賞金50万円という、こうした募集では異例の賞金額を設定。さらに都市政策顧問の隈研吾氏を委員長に、国際アート・カルチャー都市構想のプロデューサー前⽥三郎、横澤⼤輔、鈴⽊美潮各⽒、懇話会委員の⾥中満智⼦、中村梅彌両⽒、特命大使の⿑⽊勝好⽒の錚々たるメンバーが顔を揃える審査委員会を設置した。1月1日から2月7日までの募集期間には、北海道から九州まで全国各地から5,065件(一般4,520件、子ども545件)の愛称案が寄せられた。これらのうち一般応募の4,520件については商標チェック等、事務局による第一次選考で15件に絞り込み、審査委員会で最優秀賞ほか3件を選定、最終的に区長及び東京建物グループ3者各代表による選定委員会において最優秀賞「Hareza池袋(ハレザ池袋)」をエリア愛称とすることが決定された。また小中学生部門については区教育委員会で審査し、子ども最優秀賞(図書カード1万円分)・優勝賞10件(同3,000円分)がそれぞれ選定された。最優秀賞ほか優秀賞は以下の通り(※77)。
 この愛称募集に続くエリアブランディング戦略の第2弾として、プロのデザイナーによるエリアロゴを8作品制作し、広報紙や区ホームページ等に掲載するとともに、平成、30(2018)年2月には区内各施設や区立小中学校をはじめ、連携協定を結んでいる各大学でチラシ兼アンケート用紙を配布するほか、無作為抽出による区内在住者1万人に送付し、アンケート調査を実施した。その結果に基づきエリア愛称選定時と同メンバーによる審査委員会で審査、区長及び各事業者が最終確認し、三澤遥氏((株)日本デザインセンター)制作のロゴデザインに決定された。そのデザインコンセプトは「光りあふれる舞台」をテーマに、以下のような制作意図が示されていた(※78)。
まち全体が舞台となり、誰もが主役になれる劇場都市ハレザ池袋。訪れる人々の時間や思いが重なり、出会うことで、感動や夢、希望にあふれた物語が次々と生まれるこのエリアは、すべての人に光があたり、輝きを放つことができるステージです。ロゴタイプでは、一直線に横に引かれたラインを「舞台」に見立て、8つの劇場を持つという固有の特性を示唆することはもちろん、エリア全体が劇場であることを明快に表現しています。さらに、グラデーションによる「光」の表現を取り入れることで、ハレザ池袋があらゆる人を主役にし、きらめかせる『光あふれる舞台』であることを親しみと格式をもって感じさせます。この場所に一歩足を踏み入れると、非日常のハレの時間を体験できる。コンセプトをシンボライズし、本質をひと目で伝えるロゴタイプです。
庁舎跡地エリア愛称「Hareza池袋」に決定(共同記者会見)
Hareza池袋ロゴ
 この他にもHareza池袋の魅力を詰め込んだガイドブックの作成など、様々なブランディング戦略が展開されたが、愛称募集やアンケート等の手法を使って多くの人々を巻き込むこうした取り組みは、Hareza池袋を区内外に広くアピールして認知度を高めていくことはもとより、エリアのブランド力を向上させ、オフィスや商業店舗のテナントや新ホールの興業公演等の誘致につなげていくという目的も含まれていた。
 新たな文化にぎわい拠点の核となる新ホールについては1,300席の規模を活かし、近隣の東京芸術劇場(コンサートホール1,999席)やサンシャイン劇場(808席)、さらに東池袋四丁目市街地再開発ビル内に整備した舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」(301席)等の既存劇場との差別化を図るため、宝塚や歌舞伎など、それまで池袋とは縁のなかった公演誘致活動に区長自ら先頭に立って働きかけていった。そして平成28(2016)年の年末には新ホールの杮落とし公演として約2週間の宝塚公演を行うことが正式決定され、その期間中のいくつかの公演は区主催による区民向けのものや区内学校向けの芸術鑑賞会等を実施することも企画された。新区民センターの女性用トイレの充実など、「女性にやさしいまちづくり」を進める区にとって、女性ファンの多い宝塚公演の実現は願ってもないことであった。
 また平成29(2017)年10月には新ホール棟1階に併設されるライブ劇場に株式会社ポニーキャニオンが、同じく1階のサテライトスタジオには株式会社ドワンゴがそれぞれ出店することが決定した。フジサンケイグループに属するポニーキャニオンは通常のライブコンサートのほか、バーチャルキャラクターによるライブやアニメ・ゲーム関連の舞台、実況中継等のノウハウを有しており、最新の映像・通信技術を駆使した未来型ライブ劇場として運営されることになった。またドワンゴの運営する「ニコニコ本社」は26(2014)年に原宿から池袋に移転し、同社のコンテンツであるニコニコ動画と連動するスタジオ運営やコスプレイヤーたちが大集合する「池袋ハロウィンコスプレフェス」の開催など、既に池袋エリアを拠点に様々な事業を展開しており、Hareza池袋への出店により、またひとつ新たなサブカルチャーの発信拠点が誕生することになった。(※79)。
 新ホール棟の前庭になる中池袋公園についても、平成26(2014)年3月策定の「現庁舎周辺まちづくりビジョン」に基づき、新ホールや新区民センター等との一体的な整備が進められた。28・29(2016・2017)年度に設計、続く30・31(2018・2019)年度にリニューアル工事が進められ、アニメ・コスプレ等のイベントに対応できる電気・通信設備等が導入された。
 さらに同公園整備後の管理運営についてはHareza池袋の各施設運営事業者との円滑な連携が求められることから、公募により指定管理者を選定することとし、通常の公園運営・維持管理業務に加え、このエリアに相応しいイベント開催などの自主事業の提案を求めた。平成30(2018)年9月に指定管理者を公募、12月の指定管理者審査委員会による候補者選定、翌31(2019)年区議会第1回定例会での議決を経て、一般社団法人Hareza池袋エリアマネジメントが指定管理者に指定された。この法人は前年の6月、Hareza池袋のエリアマネジメントを推進していく組織として、東京建物とサンケイビルの出資により設立された法人であり、公園管理業務のほか、エリア全体でのイベント開催や情報発信、各施設運営事業者の連携を図るための協議会の立ち上げ、さらに自主事業としてアニメカフェの設置が提案された。この提案を受け、同法人により園内にカフェが建設され、その運営はエリアに隣接するアニメイト本店の系列である株式会社アニメイトカフェが担うことになった(※80)。
 アニメイトは昭和58(1983)年に「乙女ロード」と呼ばれるサンシャインに面した通りに第1号店の「アニメイト池袋」を開業、以来、池袋を拠点にマンガ・アニメ関連商品を取扱う専門店として全国に店舗を展開、池袋のアニメ文化を牽引する役割を果たしてきた。また平成24(2012)年に池袋保健所の隣りに本店を移転したのをきかっけに、区のマンガ・アニメ文化施策との連携協力関係が築かれ、27(2015)年からスタートした「池袋オータムカルチャーフェスティバル」には前述した「池袋ハロウィンコスプレフェス」とともにアニメイトの恒例イベント「アニメイトガールズフェスティバル」も参加し、池袋エリアの秋の一大イベントとして展開されていた。また庁舎跡地エリアに隣接する池袋本店は1日あたり1万人の来店者数を誇り、Hareza池袋のにぎわい創出の面でも欠かせない存在になっていた。こうしたことからも中池袋公園へのアニメイトカフェの出店は、「アニメの聖地・池袋」をアピールする新たなスポットとなることが期待された(※81)。
中池袋公園
アニメイトカフェスタンド
 また区は開館後の新ホールについても指定管理者制度を導入することとし、平成29(2017)年3月、新ホール管理運営計画素案を策定し、パブリックコメントを実施した。このパブリックコメントに寄せられた14件の意見は使用料や人員体制、収支見込み等についての疑問への説明を求めるもので、新ホールそのものに反対する意見はなかった。このため区はこれらの意見・疑問に対する区としての考え方を示しつつ、素案に変更を加えることなく同計画を策定した。そしてこの計画に基づき翌30(2018)年10月、新ホールに新区民センターも含めた2施設について、非公募によりとしま未来文化財団を指定管理者候補として指定管理者審査委員会の審査にかけ、同委員会の承認を得た。既に同財団は区の文化施設のほとんどを非公募で指定管理者に指定されており、今回も同様にこれまでの実績や区施策との整合性等を理由に非公募となったものである。なお審査の前提となった管理運営計画では、新ホールの年間収支見込みとして、使用料等収入4.3億円、維持管理・人件費等7.0億円で差引き2.7億円が区の負担する指定管理料になると試算されていた(※82)。
 一方、新ホールの購入経費約77億円のうち約38億円、新区民センターの建設経費約66億円のうち約48億円は起債により賄うとしていたことから、その元利償還分にこうした指定管理料等のランニングコストに加えた平成32(2020)年度以降の2施設に係る将来負担額は各年度10億~12億円にのぼることが想定された。このため区は新たな財源確保と公民連携の促進を目的に区としては初の試みとなるネーミングライツを活用することとし、31(2019)年2月、公共施設としての新ホールの正式名称「豊島区立芸術文化劇場」とは別に、通称名の使用を希望するパートナー事業者を募集した。同年5月1日から2029年3月31日までの10年間を予定契約期間とし、年5,000万円を最低契約金額(命名権料)とする条件で提案を受付け、選定委員会による審査の結果、庁舎跡地活用事業の開発事業者である東京建物がパートナー候補者に選定された。提案された通称名は「東京建物 Brillia HALL(トウキョウタテモノ ブリリア ホール)」、命名権料は2019年5月1日~2021年4月30日までの2年間は年8,000万円、2021年5月1日~2029年4月30日までの8年間は年5,000万円とする内容だった。将来負担の年額には遠く及ばないが、他の事例から見ても決して低い数字ではなく、また区も東京建物もこのエリアの今後のにぎわい創出を共にめざすパートナーに他ならなかった。この選定結果を受け、区は東京建物と正式に契約を締結、5月1日からネーミングライツの使用が開始された(※83)。
 こうして庁舎跡地活用事業の施設建設と完成後の管理運営体制の整備が同時に進行するなか、区は前述した中池袋公園のほか、Hareza池袋周辺道路や南池袋公園周辺の寺町沿道道路の整備等、庁舎跡地と新庁舎地を結ぶ南北軸周辺のまちづくり事業を進めていった(※84)。
 その中でも池袋のイメージを大きく変えることになったのが、平成28(2016)年4月にリニューアルオープンした南池袋公園である。
 平成19(2007)年、区は東京電力から既存変電所の老朽化や今後の開発動向により増加が予想される池袋地区の電力需要に対応していくため、同公園地下に変電所を設置したいとの要請を受けた。工事期間の5年間は公園を閉鎖しなければならなくなるが、工事後の復旧費用が補償されること、変電所の地下1階部分を自転車置場として無償提供されること、さらに工事中及び工事後も公園占用料収入が得られることなど、区にとってもメリットが大きかったことから、地域の理解も得てこの設置計画を了承した(※85)。
 平成21(2009)年から26(2014)年にかけて変電所建設工事が実施され、その間の24・25(2012・2013)年度に無償提供された地下1階に1,084台収容の池袋駅南自転車駐車場を整備、その後26(2014)年10月から28(2016)年3月までの間に2期に分け、東京電力からの復旧補償費により公園再整備工事が行われた(※86)。
 こうしてリニューアルされた南池袋公園約7,800㎡の中央には、季節に合わせて夏向きと冬向きの品種が交互に育てられ、一年中みどりが楽しめるオープンな芝生広場が広がり、池袋駅至近の場所に「都会のオアシス」が出現した。その周囲には新庁舎のランドスケープをデザインした平賀達也氏により、かつてこの地域が「根津山」と呼ばれていた頃の自然が再現され、地域イベントなど人々の交流の場である多目的広場の壁にもかつての雑木林の面影が刻印されたレリーフが施された。また駒込発祥のソメイヨシノが植えられた階段状のサクラテラスや大きな滑り台がシンボルのキッズスペースには転んでも安心なウッドチップが敷き詰められ、子どもから高齢者まで思い思いの時間を楽しめるようになっている。さらに園内には公募プロポーザルにより選ばれた地元の人気レストランを展開する株式会社グリップセカンドが運営するカフェレストラン「RACINES/ラシーヌ」も開店し、これまでにないオシャレな公園として、区民はもとより、近隣に勤める人々や学生たちにも憩いの場として、また週末ともなればベビーカーを押した若い家族連れで賑わう人気スポットに生まれ変わった。さらに公園の維持管理費は東京電力や公園地下を走る有楽町線の東京メトロからの占用料のほか、このカフェレストランの建物使用料が充てられるなど、公民連携による運営方法も含め、その後の都市公園整備のモデルにもなっていった(※87)。
南池袋公園リニューアルオープン
芝生広場
キッズテラス
園内カフェ「Racines FARM to PARK」
 その一方、Hareza池袋周辺で新たな課題として浮上したのが池袋保健所の移転問題であった。
 区民センターとアニメイト池袋本店の間に挟まれた池袋保健所は、平成10(1998)年に区役所別館から移転・開設されたものだが、既に20年が経過していたため、設備更新や改修など、今後 10 年以内に約 20 億円の大規模改修工事費が見込まれた。またベビーカーや子どもを乗せた大型自転車での来所者も多く、保健所前の道路には日常的に自転車等があふれ出している状況が見られ、Hareza池袋の完成により来街者の増加が見込まれる中で安全上の問題が懸念された。
 こうしたことから近隣の民間ビル等への移転の可能性も視野に入れ、以前から池袋保健所の改築について検討が重ねられていたが、入口が一つしかない建物の構造上の問題等により現在地での建替えは難しく、また保健所の規模に見合う民間物件も見当たらず、検討課題のままの取り扱いとされていた。そうしたなか、新庁舎に隣接する南池袋二丁目C地区で市街地再開発事業の動きがあり、平成30(2018)年5月には都市計画決定される予定だった。ここに建設されるビルであれば本庁舎にも近く、また地下鉄有楽町線「東池袋駅」と地下で直結するため交通の利便性も高く、保健所の移転先としては好立地だった。また現在地で多額の改修経費をかけて大規模改修を行うより、今後の保健所機能の拡充や区民サービスの向上にもつながると好条件が揃ってはいたものの、この市街地再開発ビルの完成は36(2024)年度の予定だった。建設終了予定の6年後まで現在の保健所を使い続けるには、どのみち多額の改修経費の投入は避けられれず、その一方、今後のHareza池袋エリアのまちづくりを考える上では、保健所としてこのまま利用するよりも民間による土地利用に供するほうが賑わいの連続性が生まれ、エリア全体の活性化にもつながると考えられ、可能な限り早期の移転が望まれた。こうした検討を重ねているなか、独立行政法人都市再生機構が整備を進めている造幣局東京支局跡地の一部を一定の条件のもとに無償で借りられる見通しが立ち、ここに池袋保健所を一時仮移転させ、その後、完成した再開発ビルに本移転させるという2段階方式の移転方針がまとめられた。造幣局跡地は東京支局の移転後、東側を防災公園整備区域、西側は市街地整備区域として再開発が進められ、その市街地整備区域の北側3分の2は文化交流機能ゾーンとして東京国際大学の誘致が予定されていたが、南側3分の1の賑わい機能ゾーンの開発はまだ検討段階にあり、当面の間、借用することが可能であった。この南地区約5,000㎡について31(2019)年3月~36(2024)年12月までの期間、無償で一時使用貸借することを都市再生機構と確認し、この5,000㎡のうち3,500㎡の敷地に池袋保健所仮庁舎を整備するとして、仮庁舎の5年間リース料に設計費とリース後の解体経費も含めた仮移転経費の合計額は約15億円が見込まれたが、仮移転後の池袋保健所跡地を売却し、その売却収入を移転経費に充当していくとしていた。そしてパブリックコメント実施後、同年6月開会の区議会第2回定例会に保健所の位置変更条例を提案し、翌31(2019)年秋頃に仮移転、36(2024)年度に本移転というスケジュールが組まれた(※88)。
 平成30(2018)年5月、区はこの「池袋保健所移転の方針」を公表し、パブリックコメントを実施した。だが寄せられた意見の中には、移転方針の公表の時期に対し、「このパブリックコメントと同時に保健所跡地売却のプロポーサルがホームページに掲載されたが、手順が拙速である」「仮移転について既定路線としてプロセスが進んでいる以上、パブリックコメントにかけるタイミングを考えて欲しかった」「保健所跡地の売却を早く進めるために移転を急いでいるように思われる」といった意見が見られた。確かにこの移転方針については、前年の29(2017)年9月開会の区議会第3回定例会で既に高野区長が表明しており、その後、医師会や歯科医師会、薬剤師会等の関係者や移転先となる造幣局跡地周辺のまちづくり協議会、南池袋二丁目C地区の再開発準備組合にも説明に回って大筋で了解を得ていた。また、事前告知というかたちではあったが、パブリックコメントと同時に移転後の跡地売却について公募プロポーザルを実施する「お知らせ」をホームページに掲載し、報道機関にもプレスリリースしていた。移転後に売却という手順を考えるならば、移転の是非を問うパブリックコメントと跡地売却の話を同時に出したのでは、売却は既定路線と受け止められたのも無理からぬところであった。区はこうした意見に対し、「仮移転を行う理由は跡地活用のためではなく、設備の更新時期を迎えて様々な支障が生じつつあることや機能の充実が喫緊の課題であると判断したもの」という考えを示す一方、移転後の跡地活用については「資産価値を最大限に高め活用するためには、東京オリンピック・パラリンピックを控え周辺地域に注目が高まっている現在が売却の好機」という考え方も示しており、そうした考え方が背景にあって売却が早められたものであった(※89)。
 こうして「池袋保健所移転の方針」は決定され、区は平成30(2018)年6月開会の区議会第2回定例会に池袋保健所の位置を現在地から造幣局跡地の再開発地区内に変更するための「保健所の設置等に関する条例の一部を改正する条例」と、池袋保健所跡地売却のプロポーザル方式による事業者選定にあたり区長の附属機関として審査委員会を設置するための「附属機関設置に関する条例の一部を改正する条例」の2議案を提出、いずれの議案も可決された(※90)。
 これらの手続きを経た後、区は池袋保健所仮庁舎のリース契約を締結、施設レイアウト等の設計を経て翌令和元(2019)年9月、造幣局跡地市街地南地区に重量鉄骨造 2 階建て、延床面積3,500㎡の仮庁舎を整備した。そして10月12日~14日の連休に引越し作業を完了させ、翌15日から仮庁舎での保健所業務を開始した(※91)。
 一方、この本移転先となった南池袋二丁目C地区の市街地再開発事業は、庁舎跡地活用事業に次いで国家戦略特区民間都市再生事業の認定を受け、平成30(2018)年6月に都市計画決定された地域である。その前年の29(2017)年3月、区は再開発準備組合から隣接する区庁舎と連携する公共施設の導入についての要望を受けていた。これに対し区は30(2018)年9月6日、池袋保健所移転の方針に基づき、再開発ビル北棟内の低層部約4,200㎡に保健所を移転したい旨を回答した。これを受けて再開発準備組合は9月27日に臨時総会を開き、池袋保健所導入について決議、翌31(2019)年1月25日、その検討結果を区に報告した。以後、区は再開発準備組合と保健所の配置や保留床の譲渡・購入について協議していくことになった。こうして池袋保健所の本移転が具体化していくのに伴い、区は30(2018)年12月、富山順治都立大塚病院院長を会長に医師会・歯科医師会・薬剤師会等の地域医療関係者のほか、警察・消防等の行政関係機関、公衆衛生関係団体、各地域団体の代表及び区職員で構成される「保健所機能拡充検討会議」を立ち上げ、保健所機能の拡充に向けた検討を開始した。この検討会議での検討内容を踏まえ、令和7(2025)年度の南池袋二丁目C地区への本移転に向けた検討が進められている(※92)。
 こうした移転手続きに並行し、池袋保健所移転跡地の売却先事業者選定も進められ、平成30(2018)年10月、事業者公募プロポーザル実施要項を公表して参加事業者を募るとともに、都市計画・建築・文化・財務等各分野の有識者、地域関係者、公募区民及び区職員の12名で構成される「池袋保健所跡地活用事業者審査委員会」が設置された。この公募要項では目標売却価格40億円、最低売却価格30億円等の売却条件のほか、既存建物の改修または既存建物を解体撤去して新たに建築のいずれも可としたが、Hareza池袋のグランドオープン及び東京オリンピック・パラリンピック開催期間については「特定活用期間」として既存建物を活用した賑わいづくり事業を行うことを条件に事業計画の提案を求めた。この応募に3グループが提案書を提出、その後1グループが辞退したため、最終的に2グループのプレゼンテーション審査を実施し、31(2019)年3月12日の事業者審査委員会において代表事業者の株式会社アニメイト(施設の運営・管理)と株式会社アニメイトホールディングス(土地・建物の所有)で構成されるグループが優先交渉権者に決定された(※93)。
 事業者審査委員会では事業計画に関する提案6項目及び売却価格に関する提案の計7項目、配点100点で採点が行われたが、同グループの提案は92点の高得点を獲得していた。特に隣接するアニメイト本店と一体化し、「アニメの聖地」の中核施設として300名収容可能な多目的ホールをはじめ5つの劇場(イベントホール2、イベントスペース3)を設け、年間600万人を集客、Hareza池袋の1,000万人と合わせてエリア全体で年間1,600万人の集客を図るなど、導入機能やにぎわい創出に関する提案が高く評価されたものであった。なお売却価格についても36億円が提案され、次点グループの31億円を上回っていた。
 この決定を受け、平成31(2019)年4月にアニメイト及びアニメイトホールディングスと基本協定を締結、事業内容等について協議を重ね、令和元(2019)年11月18日、提案金額の36億円で土地建物売買契約が締結された。そして物件引渡し後、Hareza池袋のグランドオープン及び東京オリンピック・パラリンピック開催期間中の暫定活用を経て、既存店舗部分と一体化した10階建てのビルが建てられ、その外観もHareza池袋と調和するデザインが採り入れられた。そして令和5(2023)年3月、「アニメイト池袋本店」がリニューアルオープンし、区が意図した「賑わいの連続性」が実現されたのである(※94)。
 こうして平成から令和へと時代が移りゆくなか、令和元(2019)年5月24日、Hareza池袋の3つの建物の中心である新ホール棟が竣工した。1・2階ガラス張りの1階エントランス「パークプラザ」のレッドカーペットを想わせる真っ赤な大理石の大階段が通りを行く人々の目を惹き、また2階ホールフロアを囲む色鮮やかな「アーバンスクリーン」は3棟をつなぐデッキへと連続し、晴れ舞台の屏風をイメージさせた。このスクリーンの制作を手掛けたのは豊島区ともゆかりの深い造形作家・岡崎乾二郎氏で、作品名の「ミルチス・マヂョル」は手塚治虫が影響を受け、また同氏も大きな刺激を受けたという池袋モンパルナスを代表する詩人・小熊秀雄原作のマンガ「火星探検」で子どもたちが夢の中で訪れる火星の町の名前である。また1,300席のホール座席も赤色で統一され、舞台を飾る緞帳にはHareza池袋を象徴する木の外壁と中池袋公園床面に描かれた流線がデザインされ、その中に満開のソメイヨシノが描かれていた。24日竣工当日、3部に分けて開催された「豊島区立芸術文化劇場竣工内覧会」には5,000人以上が来場し、昭和レトロ漂う豊島公会堂から大変身を遂げた劇場に多くの区民から感声が挙がった。竣工式典であいさつに立った高野区長も「豊島公会堂が芸術文化劇場に生まれ変わった瞬間を区民の皆さんと共有できたことに感動している。この劇場から豊島区の新たな文化が生まれ、世界から注目される特別な場所になる」と語った(※95)。
 そして令和元(2019)年11月1日、建設工事中のオフィス棟を除き、Hareza池袋はいよいよオープンの日を迎えた。1日~3日の3日間、芸術文化劇場ととしま区民センターの開館を記念する様々な記念イベントが開催された(※96)。
 オープン初日の11月1日には、芸術文化劇場(東京建物 Brillia HALL)でのオープニングセレモニーに続き、リニューアルオープンとなった中池袋公園で水戸岡鋭治氏デザインの電気バス「IKEBUS(イケバス)」の出発式が行われた。「IKEBUKURO RED(イケブクロレッド)」と名付けられた鮮やかな赤色の車体が池袋のまちへ走り出し、以後、このIKEBUSは「回遊都市・池袋」のシンボルになっていった(※97)。
 翌2日には芸術文化劇場で日本(豊島区)・中国(西安市)・韓国(仁川広域市)の3か国3都市による「東アジア文化都市2019」の日中韓交流記念公演が開催された。この「東アジア文化都市」は日中韓3か国の中からそれぞれ1都市を選定し、平成26(2014)年以来毎年開催されている文化庁が推進する国家的文化プロジェクトで、区にとっては文化を基軸とするまちづくりの集大成に位置づけられるものであった。1年間を通して「舞台芸術」「マンガ・アニメ」「祭事・芸能」の3部門にわたって様々な文化イベントが開催されたほか、このHareza池袋の整備やIKEBUSの導入も含め、国際アート・カルチャー都市構想を推進する23のまちづくり記念事業が展開された。その中でもHareza池袋のオープンは「東アジア文化都市2019豊島」のクライマックスと言え、日中韓交流記念公演のほか、2日から3日にかけては芸術文化劇場、としま区民センター、中池袋公園の3会場に加え、ポニーキャニオンが運営するライブ劇場「harevutai(ハレブタイ)」、ドワンゴが運営するオープンスタジオ「ハレスタ」のすべてを会場に、Hareza池袋に関係する東京建物・サンケイビル・ドワンゴ・ポニーキャニオン・アニメイト・Hareza池袋エリアマネジメント、そして区の7者が結集した実行委員会の主催による「池袋アニメタウンフェスティバル」が大々的に開催された。こうして3日間を通じて様々なオープニング記念イベントが展開され、メインカルチャーからサブカルチャーまで多様な文化が交差する「劇場空間・Hareza池袋」をアピールしたのである(※98)。
 さらに区は9月から翌令和2(2020)年3月までの半年間、IKEBUSの「IKEBUKURO RED」をテーマカラーとする広報戦略を池袋エリア全体で展開した。特設WEBサイトの開設をはじめ、コンセプトブックや広報としま特別号の発行、区内企業との連携による各種PRツールの掲示、子どもたちのためのまちづくり体験プログラムなど様々な広報活動が展開された。特にHareza池袋のオープンとIKEBUSの運行開始に合わせ、10月から11月にかけては西武池袋本店と連携し、明治通りに面した同店正面ウィンドウをはじめ、店内全館が「みつけよう新しい池袋」をコンセプトとするディスプレイで飾られた(※99)。

※89 「池袋保健所移転の方針」のパブリックコメント実施結果について池袋保健所の移転及び跡地活用について(H300510公共施設・公共用地有効活用対策調査特別委員会資料)H300521プレスリリース

※90 豊島区保健所の設置に関する条例の一部を改正する条例(H300629区民厚生委員会資料)豊島区附属機関設置に関する条例の一部を改正する条例について(H300629総務委員会資料)

※91 保健所仮庁舎レイアウト等について(H310222区民厚生委員会資料)池袋保健所の仮移転について(R010628区民厚生委員会資料)

※92 南池袋二丁目C地区への保健所移転について(H310225都市整備委員会資料)池袋保健所機能拡充検討会議の設置について(H301130区民厚生委員会資料)第1回保健所機能拡充検討会議資料(平成30年12月18日)第2回保健所機能拡充検討会議資料(平成31年2月4日)第3回保健所機能拡充検討会議資料(平成31年4月24日)第4回保健所機能拡充検討会議資料(令和元年7月30日)南池袋二丁目C地区における池袋保健所の計画概要について(R030915議員協議会資料)池袋保健所の本移転計画について(R040209議員協議会資料)池袋保健所本移転に係るパブリックコメントの実施結果について(R040617区民厚生委員会資料)池袋保健所の本移転に係る建築計画概要について(R040927区民厚生委員会資料)

※93 池袋保健所跡地活用事業者公募要項について(H301002区民厚生委員会資料)池袋保健所跡地活用事業に係る優先交渉権者の決定について(H310322議員協議会資料)池袋保健所跡地活用事業 事業者公募プロポーザル 審査項目配点及び審査結果

※94 池袋保健所跡地活用事業に係る土地建物売買契約の締結について(R011119議員協議会資料)R050301プレスリリース

※95 豊島区立芸術文化劇場(東京建物ブリリアホール)の竣工について(R010523議員協議会資料)R010524プレスリリース芸術文化劇場竣工内覧会パンフレット(令和元年5月24日)

※96 Hareza池袋のオープンについて(R010918議員協議会資料)R011021プレスリリースR011101プレスリリース「Hareza池袋オープン-新しい池袋のはじまり2019.11.1」イベントチラシ

※97 池袋副都心移動システムについて(R010716副都心開発調査特別委員会資料)広報としま1849号(令和元年10月1日発行)R011121プレスリリース

※98 R011024プレスリリース2019年「東アジア文化都市」国内候補都市の決定について(H290920・H300528議員協議会資料)東アジア文化都市2019豊島について(H300919・H301210議員協議会資料)「池袋アニメタウンフェスティバル2019.11.2-11.3」パンフレット

※99 # IKEBUKURORED-池袋エリアコミュケーションR010926プレスリリース広報としま池袋エリア特集号(号外)(令和元年9月11日発行)

 こうして盛大な記念イベントで幕を開けた芸術文化劇場では、日本舞踊界の第一線で活躍する女流舞踊家の吾妻徳穂・井上八千代・中村梅彌らが競演する『百花繚乱 日本舞踊 令和の饗宴』(11月6日)、人間国宝照喜名朝一・宮城能鳳特別出演の琉球芸能の美と心「組踊『執心鐘入』との交感」(11月7日)、世界的指揮者西本智実演出・指揮によるINNOVATION OPERA『ストゥーパ ~新卒塔婆小町』(11月16・17日)等のほか、「東アジア文化都市2019豊島」のスペシャル事業として、『大田楽 いけぶくろ絵巻』(11月10日)やコンドルズ×豊島区民 『Bridges to Babylon -ブリッジズ・トゥ・バビロン- 』(11月20日~23日)等の杮落としシリーズが次々と開催された。そしてそのメインイベントとなる宝塚歌劇星組公演フレンチ・ミュージカル『ロックオペラ モーツァルト』が12月3日~15日の約2週間にわたって開催され、公演期間中の12月11日には区立中学校全8校の生徒約1,200名を招待しての貸切り公演が実施された。この区主催の鑑賞教室に参加した生徒たちからは、「私は宝塚歌劇が大好きになりました。ぜひまた見に行きたいと思います」「今回の体験は、他のどこにでもない豊島区にいるからこそ見させていただけました」などの感想が高野区長のもとに届けられた。また年が明けた令和2(2020)年1月からとしま区民センター多目的ホールの一般利用が開始され、同センターのフルオープンを祝う「としまフェスタ~区民が祝う区民センター~」が11・12日の2日間にわたり開催され、区内で活動する26の文化芸術団体による多彩なパフォーマンスが繰り広げられた。翌13日の成人の日には文化芸術劇場での「としま成人の日のつどい」が初開催され、約1,000人の新成人が参加した。こうしてHareza池袋は区民にとっても「誰もが主役になれる舞台」になっていったのである(※100)。
 そして令和2(2020)年5月29日、池袋の新たなランドマークとなる32階建てのオフィス棟「Hareza Tower(ハレザタワー)」が完成、7月には建物内2~6階に10スクリーン、座席数約1,700席のシネマコンプレックス「TOHOシネマズ池袋」も開業し、Hareza池袋はグランドオープンを迎えた。そして8月3日を「8(ハ)0(レ)3(ザ)」=「Harezaの日」に定め、グランドオープン後に初めて迎える8月3日~16日までの2週間を「『Harezaの日』スペシャルウィーク」として、コロナ禍のなか、アートで人のつながりを生み出す「木梨憲武フェアリーズ展」やチームラボが開発したメッセージピラー「HAREの樹」、伝統芸能と最新バーチャル技術が融合した超歌舞伎『夏祭版 今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)』の双方向オンライン形式による公演など、新たなスタイルのアートイベントが展開された(※101)。
 またこのHareza Tower の7~32階、池袋エリア最大級の床面積約11,000坪を誇るオフィスフロアにはIT、システム開発、金融など東京の国際競争力をけん引する企業の入居が次々に決定し、5月竣工時点で契約率100%、低層部の店舗部分も含め全貸室の入居企業が決定済みとなっていた。
 かつて池袋にはビジネスの需要がないと言われ、平成13(2001)年に東池四丁目地区市街地再開発事業がオフィス系から住宅系への事業再構築を余儀なくされたことを思い返せば、あれから20年にしてようやく池袋に対する評価に変化が現れてきた兆しと言えた。これも新庁舎整備と庁舎跡地活用事業の公民連携による二つのビックプロジェクトがもたらした効果と言えた。そしてその効果はさらに周辺地域へと加速度的に波及し、池袋副都心は大きな変貌をとげていくことになるのである。