変貌を遂げる池袋副都心変貌を遂げる池袋副都心
 本節第1項では持続発展都市対策の4つの柱のうち「女性にやさしいまちづくり」を、続く第2項では「地方との共生」及び「高齢化への対応」を取り上げ、それぞれの取組み経緯をたどってきた。これらのうち「女性にやさしいまちづくり」と「高齢化への対応」は自らの足下を見つめ直すところからの取組みであり、「地方との共生」は日本社会全体を視野に入れた取組みと言えた。残されたもうひとつの柱である「日本の推進力」は、日本からさらに世界へと視野を広げ、国際都市東京の一翼を担う都市として、世界から人や企業を呼び込み、人口減少社会に向かう日本の新たな活力を生み出すことをめざすものであった。そしてそのめざすべき都市像として新たに掲げたのが「国際アート・カルチャー都市」であり、区がそれまで進めてきた「文化創造都市づくり」、「安全・安心創造都市づくり」の集大成に位置づけられる都市構想であった。
 本項ではこの構想が打ち出された経緯、またこの構想を実現するため、高野区長が「100年に一度の投資」として強力に推し進めたまちづくりの展開をたどっていく。

国際アート・カルチャー都市構想-構想実現に向けた「3本の矢」

 本節第1項でも述べたように、平成26(2014)年5月8日に日本創成会議が「ストップ少子化・地方元気戦略」を発表した当時、豊島区、特に池袋は「住みたい街ランキング」の3位にランキングされるなど、そのイメージや評価が上昇気流に乗りつつあった。また翌27(2015)年3月に新庁舎の竣工を控え、前年の25(2013)年10月には「豊島区大改造プロジェクト」と銘打ち、文化、安全・安心、都市再生の3つの政策を柱に明日の豊島区の姿を大胆に描いていた(※1)。明るい未来に向かっていよいよという時期だっただけに「消滅可能性都市」に指摘されたことによるダメージは計り知れず、区はこの提言が発表された直後から、「消滅」のイメージを払拭すべく、いわゆる「風評被害」対策に乗り出した。
 まずその第1弾として平成26(2014)年5月21日、「池袋が変わる 池袋を変える」と題した「池袋副都心グランドビジョン推進懇談会」が開催された。この懇談会は本章第1節第1項で述べた通り、20(2008)年7月に池袋副都心のまちづくりを官民一体で推進していくことを目的に、池袋のまちづくりに関わる多様な主体により発足した組織で、池袋エリアの主要なまちづくりプロジェクトを集約した「グランドビジョン」を共有し、副都心再生に向けた機運を醸成していく場としてこの日で8回目の開催を数えた。この懇談会で区は、日本創成会議が発表した将来人口推計とは異なる最近の人口動向を説明するとともに、池袋駅の東西で商業施設等の新規出店が相次ぎ、若者で賑わう街として変貌を遂げていることを挙げ、豊島区が消滅することは決してないとアピールした。さらに新庁舎整備、庁舎跡地活用をはじめ、池袋駅西口再開発や造幣局東京支局跡地のまちづくりなど、様々なプロジェクトが動き出している今こそ「池袋が変わる」好機であり、「池袋を変える」ためのさらなる連携を呼びかけた(※2)。
 これに続いて6月9日、豊島公会堂に約1,000人の区民を集め、「池袋グランドビジョン講演会」を開催した。この講演会では、同年4月に放映されたTBSテレビの情報番組の中で池袋駅の副都心線直通効果を346億円と試算した宮本勝浩関西大学教授を講師に招き、「豊島区の活性化策と経済効果」と題する講演が行われた。この中で同氏は、2020東京オリンピックの経済効果は東京都内1兆6,753億円、全国2兆9,609億円と予測されているが、その経済効果が一番大きいのは開幕年ではなくその前年であり、しかも応援・観光より事前の公共工事の経済効果の方が大きいと指摘した。そして豊島区の活性化策である若者・女性を呼び込む政策などを挙げ、日本創成会議の区に対する「消滅可能性都市」という指摘は過小評価であり、むしろ「発展可能性都市」であると説いた。また区も「消滅可能性都市から持続可能性都市へ」と題するプレゼンテーションを行い、大都市東京の一翼を担う豊島区が果たすべき役割として、世界から人や企業を呼び込み、日本の活力を生み出す推進力としての貢献を挙げ、さらに車中心から人間中心のまちづくりへの回帰が世界の潮流にとなっていることを踏まえ、豊島区の強みである「文化」を活かし、「人が主役のまち」をめざす方向性を初めて示した(※3)。
 こうした方向性を具体化していくため、区は6月13日開催の第3回消滅可能性都市緊急対策本部において「女性にやさしいまちづくり」と「地方との共生」に加え、「日本の推進力」を対策の3つ目の柱に据えた。そしてそれまでに培ってきた「文化創造都市づくり」、「安全・安心創造都市づくり」の成果に、さらに国際都市として日本の推進力となることを加味した新たな都市像として「国際アート・カルチャー都市」を掲げたのである。
 この新たな都市像は、池袋副都心エリアを中心に建物内だけではなく、道路・広場・公園等も含めた都市空間を誰もがアートやカルチャーを自ら表現できる「舞台」に変え、そこで演じられる最先端のアート・カルチャーにより世界から人や産業を惹きつけることを目指すものであった。しかしその実現には、道路活用等の規制緩和を図る国家戦略特区「(仮称)国際アート・カルチャー特区」の認定と、国際都市としての位置づけを明確にするための「特定都市再生緊急整備地域」の指定が不可欠だったのだが、この時点ではまだ、池袋副都心エリアは東京圏国家戦略特区、都市再生緊急整備地域のいずれも対象外とされていたのである。このため区はこれらの認定を得るべく都に働きかけていくとともに、庁内検討チームを立ち上げ、この区独自の都市像をより具体的に示す構想の策定に取りかかった(※4)。
 さらにこの構想への助言を得るため、前田三郎氏((株)キョードーファクトリー代表取締役社長)をチーフプロデューサーに、猪子寿之(ウルトラテクノロジスト集団チームラボ代表)、鈴木美潮(読売新聞東京本社メディア局編集委員)、髙井喜和(株式会社京田クリエーション代表取締役社長)、髙橋 豊((株)アニメイトホールディングス会長)、橘正裕((株)ナムコ取締役会長)、中村園((株)アレグロ代表取締役)、宮田慶子(新国立劇場演劇芸術監督)、湯川れい子(オフィス・レインボウ代表)、横澤大輔((株)ドワンゴ取締役CCO)、相澤崇裕(吉本興業(株)経営企画室室長)といった日本のアート・カルチャーシーンを牽引する各氏11名に「国際アート・カルチャー都市プロデューサー」(以下「都市プロデューサー」)を委嘱した(各氏の肩書きはいずれも委嘱当時のもの)。
 そして平成26(2014)年10月6日、舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」において、区は「国際アート・カルチャー都市コンセプト発表会」を開催し、構想の基本コンセプト「世界中の誰もが主役になれるリアルな劇場都市」を発表するとともに、これら11人の都市プロデューサーを紹介した。その席上、高野区長は「世界中の若者が新たな表現文化の創造に挑戦できる街になれば」と語っているが、それはかつての池袋モンパルナスからトキワ荘へと続く、文化芸術を志す多くの若者を受け容れ育んできた豊島区のDNAともいうべき文化風土を引き継いでいくことに他ならず、さらにその扉を日本ばかりか、世界に向けて開いていこうとするものであった。11名の都市プロデューサーはこの構想を推進するためのブレーンとしての役割を担い、推進体制の「第1の矢」に位置づけられた。なお4年後の平成30(2018)年10月には笠井信輔氏(((株)フジテレビジョン編成局アナウンス室))が新たに都市プロデューサーに加わっている(※5)。
 また、このコンセプト発表会から2週間後の10月22日、再び豊島公会堂において「駅力」をテーマに「国際アート・カルチャー都市説明会」が開催された。「駅力」とは各駅停車・快速・特急等の種別に列車の運行数や乗り換えなしの移動可能性等をもとに駅や駅周辺の土地の利便性を数値化した指標で、千葉工業大学研究グループが首都圏1,941駅を対象に算出した結果、新宿駅(駅力63,280)に次いで池袋駅(同48,280)が2位で、3位東京駅(同47,320)、4位渋谷駅(同46,940)を上回っていた。区はこの指標の開発を主導した同大学社会システム科学部の大田勉教授と原洋平非常勤講師による「池袋の駅力~『駅力』から見る池袋の魅力~」、池袋駅及び駅周辺整備検討委員会の委員長を務める岸井隆幸日本大学教授による「オリンピックに向けた池袋の都市再生」の二つの講演並びにJR池袋駅長、都市プロデューサーの前田三郎、鈴木美潮両氏、村木美貴千葉大学大学院教授をパネリストとするパネルディスカッションを開催し、「駅力」を活用した池袋副都心の再生をアピールした(※6)。
 さらにその3日後の10月25・26日には「ニコニコ本社」が原宿から池袋に移転したのを機に、株式会社ドワンゴと株式会社アニメイトで構成される実行委員会に区・豊島区商店街連合会・豊島区観光協会・サンシャインシティが共催するかたちで「池袋ハロウィンコスプレフェス2014」が初開催された。このコスプレイベントには高野区長もコスプレに挑戦して話題を集め、以後、池袋の秋を彩るイベントのひとつとして毎年開催され、10万人以上が参加する国内最大級のコスプレイベントに育っていった。このイベントの仕掛け人が都市プロデューサーのひとりであるドワンゴ取締役CCOの横澤大輔氏で、同氏はこのイベントを立ち上げたきっかけについて後に区広報誌のインタビューに応え、「以前から閉鎖された空間ではなく、まちの中で堂々とコスプレをやりたいと考えていました。コスプレイヤーの子たちは、渋谷や六本木の盛り上がりには入っていけないだろう。でも池袋ならできるのでは?と区長に相談に伺ったら『やりましょう』と快諾していただいたのが始まりです。商業的なものではなく、純粋にコスプレイヤーの居場所を作りたい。まちにコスプレイヤーの劇場を作りたい。『ぜったい楽しいから集合!』というイベントのキャッチコピーにすべての思いをこめました」と語り、またハイカルチャーからサブカルチャーまで多様な文化を受容する池袋のまちだからこそ、ネット社会とリアルな場が出会う可能性があるのではないかと指摘していた(※7)。
 こうして池袋のまちが持つポテンシャルを再確認・再発見するとともに、都市プロデューサーからの様々な助言・提案を得ながら区は構想案の策定作業を進め、平成27(2015)年3月、「国際アート・カルチャー都市構想」を策定した(※8)。
 この構想の中で、「芸術文化」ではなく敢えて「アート・カルチャー」というカタカナ表記にした趣旨が次のように記されている。
 「芸術文化」という言葉で一般的にイメージされる枠組みを超え、伝統的な文化から先端的な文化まで、衣食住に関わる生活文化からハードな都市づくりまでをも含み、アートの持つ想像力・創造力で、カルチャーの語源そのままに、まちを耕すことを意味します。
 まちを構成する多様な人々の参加と協働により、アート・カルチャーのまちづくりを展開していくことで、世界中の人々を魅了し、持続発展する都市の実現をめざします。
 ※カルチャー(culture)の語源は、「耕す」という意味のラテン語「コレール(colere)」
 豊島区は江戸の近郊農村として染井吉野を発祥した園芸文化にはじまり、明治以降は鉄道網の発達とともに新興都市として市街地化が進み、その過程で大正デモクラシーに彩られた赤い鳥や自由教育運動、若き芸術家たちが一種のコミューンを形成していた池袋モンパルナスなど、様々な人や文化を受け容れながら独自の文化風土を育んできた。また光と影を併せ持つ戦後ヤミ市文化さえも貪欲に吸収し、戦後まもなく設立された舞台芸術学院に始まる小演劇活動から国際的な演劇祭「F/T」へと連なる「演劇都市」としての系譜をはじめ、高度成長期の消費文化を反映したパルコ・セゾン文化など、それぞれの時代を映す多様な文化を生み出してきた。さらに日本を代表する多くのマンガ家を送り出した椎名町の小さな木造アパート「トキワ荘」から、今また「アニメの聖地」として池袋が広く知られてきたことなど、ハイカルチャーからサブカルチャーまで、多様な文化資源を有している。また平成16(2004)年1月に文化政策懇話会から「豊島区の文化政策に関する提言」を受けて以来、区は文化を従来の芸術分野に限定した枠組みを越え、区民の日常的な生活や都市空間等と一体をなすものとして広く捉え、文化をまちづくりの基軸に据え、文化政策と都市政策を融合させたまちづくりを展開してきた。国際アート・カルチャー都市構想はこうした区の多様な文化資源を継承・活用してまちを耕し、さらに世界に向けて発信していくことをめざすものであり、それまでのまちづくりの集大成に位置づけられるものであった。
 こうした考え方に立ち、同構想では①多様性を活かしたまちづくり(人・文化・地域の多様性)、②出会いが生まれる劇場空間(都市空間の劇場化、人間優先の安全・安心まちづくり)、③世界とつながり人々が集まるまち(リアルとバーチャルの融合、インバウンド推進)の3つを基本理念に、「まち全体が舞台の誰もが主役になれる劇場都市」という基本コンセプトが改めて掲げられた。そしてこの構想の実現に向けたシナリオとして、2015年の新庁舎オープンまでを短期、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催までを中期、さらにそれ以降を長期とする3段階の展望が示された(図表4-28参照)。特にアニメ・マンガを活用して「クールジャパンのショーケース」として世界から人を集めるなど、間近に迫る東京オリンピック・パラリンピック大会の文化プログラムを先導し、その文化レガシーを未来につなげていくことを目標としていた。
図表4-28 国際アート・カルチャー都市構想のコンセプト及び構想実現のプロセス
 この構想策定に先立つ平成27(2015)年1月30日、都の文化芸術振興の基本指針となる「東京文化ビジョン」(同年3月策定)の素案が公表され、その中で2020年東京オリンピック・パラリンピック大会に向けた文化プログラムを先導する文化拠点のひとつに、上野、六本木などと並び池袋が位置づけられた。これを受け、2月13日に開会された区議会第1回定例会において、高野区長は「まさに日本の中での、首都東京における豊島区の役割を示す重要な都市像であり、区の将来に活力を生み出すその原動力となるもの」であると国際アート・カルチャー都市構想の方向性を示した。そしてこの都市構想の具体化を27(2015)年度の施政の最重要テーマに位置づけ、当面の目標である2020東京大会に向けて展開していく具体的な文化プログラムの検討に着手することを表明した(※9)。
 この区長表明を受け、都市構想を具体化するための検討組織として設置されたのが、構想推進の「第2の矢」となる「国際アート・カルチャー都市懇話会」(以下「都市懇話会」)である。
 同懇話会は都市の文化政策を巡る国際的な動向や国内外におけるアート・カルチャーの最新動向などを反映しながら構想の具体化を図るため、幅広い有識者から識見を得る場として区長の附属機関に位置づけられ、前文化庁長官の近藤誠一氏(近藤文化・外交研究所代表、外務省参与、公益財団法人東京都交響楽団理事長)を会長に迎え、文化・都市政策等の各分野の学識経験者16名と地域団体代表9名の計25名の委員で構成された。さらに人間国宝で名誉区民でもある野村萬氏(狂言和泉流能楽師、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長)をはじめ、小田島雄志氏(東京芸術劇場名誉館長)、隈研吾氏(豊島区参与・都市政策顧問、建築家・東京大学教授)、里中満智子氏(公益社団法人日本漫画家協会常務理事、一般社団法人マンガジャパン代表理事、NPO法人アジアMANGAサミット運営本部代表)、野田秀樹氏(劇作家・演出家・役者、東京芸術劇場芸術監督、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授)、福地茂雄氏(公益財団法人新国立劇場運営財団前理事長、東京芸術劇場前館長)の蒼々たる面々が特別顧問として名を連ねた。平成27(2015)年11月2日に第1回の懇話会が開催され、以後、副会長の太下義之氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社芸術・文化政策センター長)を中心に懇話会の下に設けられた幹事会において都市構想を具体化する「実現戦略」の検討が進められた(各氏の肩書きはいずれも当時のもの)(※10)。
 なお会長の任に就いた近藤氏は昭和47(1972)年に外務省に入省、外交官として長く国際舞台で活躍し、平成18(2006)年ユネスコ日本政府代表部特命全権大使、20(2008)年駐デンマーク特命全権大使を歴任、22~25(2010~2013)年の3年間にわたり文化庁長官を務めた。退官後、「文化を日本外交の中心に置くべき」という考えに基づき「近藤文化・外交研究所」を設立、日本の伝統文化を海外に発信する活動に尽力している。その文化庁長官時代の23(2011)年6月に「としま文化フォーラム」の講師を務め、また区制施行80周年を記念して25(2013)年2月に開催された「文化創造都市推進シンポジウム」でも基調講演を行っている。「日本の再生と都市の役割」と題するこの基調講演の中で、氏は文化の力を最大限活用して日本を再生するためには、国という単位ではなく都市、地域が牽引役を担うことが必要であると説いていた。こうした縁があって懇話会の会長就任を依頼したものであるが、区の国際アート・カルチャー都市構想は氏の考えにも符合するものであった。以後、区は同氏から様々な示唆に富む助言を得、令和元(2019)年11月1日には同氏を区の「文化芸術顧問」に任命している(※11)。
 こうして「第1の矢」の都市プロデューサー、「第2の矢」の都市懇話会が設置され、続く「第3の矢」として区が放ったのが「国際アート・カルチャー特命大使」(以下「特命大使」)である。
 この特命大使は国際アート・カルチャー都市構想推進の区民応援団、実働部隊に位置づけられ、区を挙げてまちづくりを進める際の定番になっている「オールとしま」方式に則ったものであるが、区民に限定せず、区の都市構想への賛同者を広く募り、都市構想推進の裾野を広げていった。参加費として5,000円の年会費を徴収する一方、各大使には「国際アート・カルチャー都市としま」のロゴ入り名刺とバッジを配布、「特命大使通信」や専用ウェブサイト等による情報提供のほか、それまで「としま文化フォーラム」として一般区民を対象としていた講演会や芸術鑑賞会を「としま国際アート・カルチャーフォーラム」に名称変更し、特命大使に限定して無料参加できるようにした。さらに特命大使の役割として「特命大使総会」などの意見交換の場への積極的な参加とともに、自らが都市構想推進の担い手となり、自主企画事業を実施するよう促した。
 平成28(2016)年1月12日、新庁舎1階「としまセンタースクエア」において、514名の賛同者を得て国際アート・カルチャー特命大使認証式が開催され、3月19日には豊島公会堂で結団式が開催された。同月末時点での大使人数は876名にのぼり、その数はその後も増え続け、5月に1,000名を超え、翌29(2017)年度には1,300名に達した。また30(2018)年5月に自由学園明日館で親子ワークショップ「熊谷守一の目線で見てみよう!描いてみよう!」、続いて6月1日に大塚駅南口駅前広場で「TRAMパル 大塚一周年記念イベント」が開催されたのを皮切りに、特命大使による自主企画事業もスタートした。同年1月1日発行の「広報としま」新年特別号は特命大使顧問で「目白三人の会」の活動を続けている小林紀子氏(小林紀子バレエ・シアター芸術監督、RAD:ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス日本代表、公益社団法人日本バレエ協会副会長)と近藤誠一都市懇話会会長、高野区長による鼎談で飾られているが、その中で近藤会長は地域が文化で成功するための条件として、「トップのリーダーシップ」「住民のサポート」「専門的人材」「地域ならではの魅力の活用」「異質なものを受け入れる寛容さ」の5つを挙げている。1,000名を超える特命大使の存在は、まさに国際アート・カルチャー都市構想の大応援団と言えるものだった(※12)。
 こうして都市プロデューサー、都市懇話会、特命大使の「3本の矢」が揃ったことにより、国際アート・カルチャー都市構想は単なる「構想」の域を越え、その実現に向けて大きく動き出したのである(※13)。
国際アート・カルチャー都市コンセプト発表会
都市プロデューサー就任(平成26年10月)
第1回「国際アート・カルチャー都市懇話会」(平成27年11月)
国際アート・カルチャー特命大使認証式(平成28年1月)
都市懇話会「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」答申
(平成28年6月)

国際アート・カルチャー都市構想実現戦略-構想実現に向けた「3つの戦略」

 平成28(2016)年3月、国際アート・カルチャー都市構想を具体化するための実現戦略の検討を重ねていた都市懇話会はその素案を取りまとめ、翌4月にこれを公表してパブリックコメントを実施、寄せられた意見を踏まえ、6月3日に成案を答申した。これを受け、区は同月、「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」(以下「実現戦略」)を策定した(※14)。
 この実現戦略では、都市構想に掲げられた「多様性を活かしたまちづくり」「世界とつながり人々が集まるまち」「出会いが生まれる劇場空間」の3つの基本理念に対応し、それぞれ「文化戦略」「国際戦略」「空間戦略」の3つのアクションプランが打ち出されている。
 特に2020 年春にグランドオープンが予定される旧庁舎エリアの開発については、それを国際アート・カルチャー都市の将来像を牽引するシンボルとして位置づけ、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催予定年でもある2020年を中間目標に、3つの戦略に基づく様々な施策・事業を推進していくロードマップが示されている。また旧庁舎エリアの新ホール・新区民センターが2019年秋にオープンする予定であったことから、その整備スケジュールに合わせ、同年に東アジア文化都市を豊島区で開催することが視野に入れられていた(図表4-29参照)。
 東アジア文化都市の詳細については後述するが、毎年、日中韓3か国の中から各1都市を選定して開催される国家的文化交流プロジェクトで、平成26(2014) 年にスタートし、日本ではそれまでに横浜市(2014年)、新潟市(2015年)、奈良市(2016年)でそれぞれ開催され、これに続いて京都市(2017年)、金沢市(2018年)での開催が決定されていた。2019年の開催都市については平成29(2017)年に選考が実施される予定で、区はこれに手を挙げようとしていたのである。この開催は2020東京オリンピック・パラリンピック大会の開催年の前年に実施されることから、この国家的文化交流プロジェクトを豊島区で開催することにより、区は同大会の文化プログラムを先導する役割を果たそうとの狙いであった。
図表4-29 国際アート・カルチャー都市構想実現戦略の体系及び実現までのロードマップ
 3つの実現戦略のうち「文化戦略」については、さらに第1戦略「豊島区の強み、サブカルチャー、舞台芸術、池袋モンパルナスの展開」、第2戦略「多様な文化芸術の創造と創造環境の整備」、第3戦略「地域文化・伝統文化の継承と発展」の3つに細分化され、それぞれの戦略ごとに取り組むべき施策・事業が体系化されている。
 第3章第1節で述べたとおり、区は平成14(2002)年の区制施行70周年を機に文化をまちづくりの基軸に据え、また16(2004)年1月に出された文化政策懇話会の提言に基づき、地域の様々な文化資源を活用したまちづくりを展開してきた。この「文化戦略」でもそうした流れを引き継ぎ、池袋モンパルナスや演劇文化、ソメイヨシノや雑司が谷未来遺産など、豊島区ならではの地域に根づいた様々な文化資源の活用が盛り込まれている。ただそれまでとは違い、アニメやコスプレ、トキワ荘を活用した南長崎マンガランド事業など、サブカルチャーの魅力発信が一番目に掲げられており、区は2020年に向けた戦略として「クールジャパン」を代表するマンガ・アニメを前面に打ち出し、「アニメの原点はマンガ、そのマンガの原点はトキワ荘」であることを豊島区の強みとして強くアピールしていった。
 一方、実現戦略策定前年の平成27(2015)年6月、オープン間もない新庁舎を会場に「アートオリンピア2015」が初開催された。この「アートオリンピア」は世界的に著名な美術関係者を審査員に迎え、東京・ニューヨーク・パリを募集拠点に才能あるアーティストを発掘し、その制作活動を支援していくことを目的に新たにに立ち上げられた国際美術公募展で、点数制による透明性の高い公開審査や国内最大規模の賞金総額(50万ドル:約5,000万円)を謳い、それまで閉鎖的に見られがちだった美術界に新たな風を巻き起こそうと企図されたものであった。こうした趣旨から既存の美術館ではなく、もっとオープンな公共空間である「庁舎まるごとミュージアム」を会場に使いたいとの要請を受け、区はこの「アートオリンピア」の開催に全面的に協力することとした。
 平成26(2014)年9月4日、区は同公募展を主催する実行委員会(実行委員長:⼭⼝伸廣⼈間国宝美術館理事⻑)と「アートオリンピア 2015 開催に関する協定」を締結し、公開審査会場として議場を、展示会場として庁舎1階のとしまセンタースクエアほか庁舎内各階展示スペースを無償貸与するとともに、相互に連携して広報活動を展開していくことを約した。この協定締結式で発表された国内審査委員には委員長として宮田亮平(東京藝術大学学長)はじめ、建畠晢(京都市立芸術大学学長/埼玉県立美術館館長)、千住博(画家)、秋元雄史(金沢21世紀美術館館長)、南嶌宏(女子美術大学教授)の日本美術界を代表する錚々たる面々が顔を揃えた。
 平成27(2015)年6月10日、世界 52か国、約4,200 点の応募作品の中から東京・ニューヨーク・パリの各拠点においてそれぞれ著名な美術関係者による一次審査で絞り込まれた240点が庁舎議場に運び込まれ、国内審査員5名に海外審査員9名が加わり公開での最終審査が実施された。記念すべき第1回の金賞(最優秀賞)には一般部門で田中正氏の「おかえりなさい」、学生部門でウー・ユーシェン氏(台湾)の「Cypher of Pixie」が選ばれ、それぞれ12万ドル、2万ドルの賞金とともに、金属工芸家である宮田審査員長が手ずから制作したイルカをモチーフとするトロフィーが授与された。そして6月13日~28日の16日間、最終審査に残った240点の全作品が「庁舎まるごとミュージアム」に展示された。以後、隔年開催の「アートオリンピア」は29(2017)年、令和元(2019)年と3回連続で区庁舎を会場に開催されている(※15)。
 また平成28(2016)9月、「東京文化ビジョン」に基づき、「東京芸術祭2016」が池袋で初開催された。この「東京芸術祭」は東京の多彩で奥深い芸術文化を通して世界とつながることをめざす都市型総合芸術祭として都と公益財団法人東京都歴史文化財団が主催する事業で、「東京芸術祭2016」はそのキックオフイベントとして区と連携して開催されたものである。東京芸術劇場・あうるすぽっと・にしすがも創造舎・池袋西口公園等の池袋エリアを会場に、「F/T16(フェスティバル/トーキョー)」・「東京芸術劇場<芸劇オータムセレクション>」・「としま国際アート・カルチャー都市発信プログラム」・「アジア舞台芸術人材育成部門」の4つの事業を集結させた舞台芸術フェスティバルとして、9月1日~12月18日までの109 日間にわたって開催された。第3章第1節第3項で述べた通り、「F/T」は昭和63(1988)年に開催された「東京国際演劇祭'88池袋」を引き継ぐ「東京国際芸術祭」を前身とし、20(2008)年にオリンピック・パラリンピック招致活動の一環として都が始動した「東京文化発信プロジェクト」のひとつに位置づけられ、翌21(2009)年からリニューアルスタートした国際演劇祭である。以後、令和2(2020)年開催の「F/T20」まで12年間にわたって毎年開催され、演劇都市・池袋を代表する舞台芸術祭として国内外から高い評価を受けていた。「東京芸術祭」はこの「F/T」を統合する形で29(2017)年以降も池袋エリアを主会場に毎年開催され、国内外の多彩な舞台芸術作品が上演されている。なお、後に「東アジア文化都市2019豊島」の舞台芸術部門・総合ディレクターを務めることになる宮城聰⽒(演出家/APAF-アジア舞台芸術人材育成部門プロデューサー/ SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督)が、30(2018)年から「東京芸術祭」の総合ディレクターに就任している(※16)。
 これら「アートオリンピア2015」や「東京芸術祭2016」に続き、平成29(2017)年3月には国際アニメ映画祭「東京アニメアワードフェスティバル」がメイン会場を日本橋から池袋に移して開催され、同年10月には映画・TV・アニメ等のアジア最大級の国際コンテンツ見本市「Japan Content Showcase(TIFFCOM/TIAF)」がサンシャインシティで初開催された。さらに30(2018)年5月、東京国際フォーラム・丸の内エリアを主会場とする世界最大級の国際音楽祭「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」が池袋も会場に加えて拡大開催されるなど、国際的な文化イベントの池袋への進出が相次いだ(※17)。
 こうした芸術イベントの数々はいずれも区が誘致を働きかけたのではなく、各事業運営者の方から是非池袋でと持ち込まれたもので、文化と安全・安心のまちづくりを進めてきた区の取組みに対する評価とともに、新庁舎整備を契機に大きく動き出した池袋副都心への期待感の高まりの証左と言えた。新庁舎整備とそれに伴う旧庁舎跡地開発プロジェクトは周辺エリアの市街地開発を誘発する起爆剤になるとともに、様々な文化事業を池袋に呼び込む波及効果を生み出していたのである。
「アートオリンピア2015」公開審査(平成27年6月)
「アートオリンピア2015」金賞受賞(平成27年6月)
「東京芸術祭2016」オープニングセレモニー(平成28年9月)
「東京アニメアワードフェスティバル2017」池袋初開催
(平成29年3月)
「東京アニメアワードフェスティバル2017」授賞式
「Japan Content Showcase2019」豊島区ブース(令和元年10月)
 こうして池袋を中心に新たな動きが広がる一方、区は区内各地域それぞれの文化資源の活用にも力を注いだ。そのひとつに「旧鈴木家住宅」(東池袋5-52-3)がある。平成22(2010)年11月に寄贈を受けてから、24(2012)年3月に区文化財(建造物)に指定し、一般公開に向けた調査・検討が進められた。
 この住宅はマラルメ、ボードレール、ヴェルレーヌ等のフランス詩を日本に翻訳・紹介したフランス文学者・鈴木信太郎が昭和3(1928)年から45(1970)年に75歳で亡くなるまで暮らし、その後は長男の建築学者で区の住宅対策審議会会長も務めた鈴木成文氏が受け継いで居住していた。平成21(2009)年に同氏より住居を国登録有形文化財に登録したいとの申し出を受け、また将来は区に寄贈したいとの意向も示され、区の文化財保護審議会による調査を実施、文化財登録の手続きを進めていた。だがそうした最中の22(2010)年3月に同氏が急逝したことにより手続きは凍結されたが、同年7月に次男で父と同じくフランス文学者の鈴木道彦氏から改めて区への寄贈を正式に申し込まれ、11月28日、区と同氏との間で、文化財としての長期保存と建物保護に支障がない範囲で広く区民の利用に供すること、また建物を活用して鈴木信太郎のフランス文学研究をはじめ鈴木家の学術研究の功績を後世に伝えるため資料を保管し展示等に供することを条件に負担付贈与契約が結ばれた。同住宅は昭和3(1928)年築の鉄筋コンクリート造の「書斎棟」と戦後21(1946)年に建てられた「茶の間・ホール棟」、明治20年代築で昭和23(1948)年に埼玉県春日部市の本家から移築された書院造りの「座敷棟」の建築年代・構造の異なる 3棟から構成され、戦前から住みつがれてきた建築遺構として日本近代住宅史をたどる上での価値が評価された。また戦災を免れた書斎棟には造り付けの重厚な机や書棚が並び、貴重な蒐集資料が保存されていたほか、鈴木信太郎自身がデザインしたステンドグラスにはマラルメの「世界は一冊の美しい書物に近づくべくできている」という言葉が刻まれ、日本におけるフランス文学研究草創期の空気が感じられる貴重な文化遺産と言えた。
 以後、区は贈与条件に基づき、平成23(2011)年3月に同住宅を区の登録有形文化財に、さらに翌24(2012)年3月に指定有形文化財に指定し、保存活用に向けた調査を進めていった。25(2013)年3月に「鈴木家住宅保存活用修理工事基本計画」を策定、その後も保存修理工事や展示設計と蔵書等資料調査を並行して進め、29(2017)年1月に保存修理工事を着工、翌30(2018)年3月28日、「鈴木信太郎記念館」として開館し、建物内部の一般公開を開始した。日本におけるフランス文学研究の萌芽がこの地から芽生えたことを伝える記念館の誕生は、区の多様な文化資源にまたひとつ新たな彩りを加えるものになったのである(※18)。
「鈴木信太郎記念館」開館(平成30年3月)
書斎棟内部
 こうした「文化戦略」の展開に並行し、区は実現戦略の2番目の柱である「国際戦略」の一環として、外国人の訪日旅行いわゆるインバウンド機能の強化を図っていった。
 その第1弾に平成28(2016)年3月、新たな観光マップ「池袋でしかできない50のこと」を発行した。それまでも区は豊島区観光協会等と連携して池袋や大塚、巣鴨等各地域の観光ガイドや街歩きマップを作成し、また多言語化も図っていたが、その活用は限定的で、区内を訪れる外国人観光客はそれほどには伸びていなかった。東京を訪れる外国人観光客の多くが手にするガイドブックには上野・浅草や銀座、新宿、渋谷などの定番観光スポットばかりが紹介され、池袋の関する情報はせいぜいサンシャイン60ぐらいで、ほとんど掲載されることはなかった。こうした状況を打開するため、この新たな観光マップの制作にあたっては外国人が求めている旬な情報を世界に向けて情報発信することを前提に、世界39か国108都市で展開しているタイムアウトの日本版にあたるタイムアウト東京に委託した。これまでの概念にとらわれず、外国人を含む編集者が実際に池袋の街を歩いて選んだ池袋ならではの50の観光・グルメ・ショッピングスポットを紹介したガイドブックで、当初は英語版だけだったが、中国語、韓国語版も順次制作し、webでも入手できるようにしていった。なお30(2018)年12月18日、区と豊島区観光協会、タイムアウト東京を運営するORIGINAL Inc.の三者は「豊島区の国内外への情報発信に関するパートナーシップ協定」を締結、インバウンドの推進及び国内外への情報発信力の強化でその後も連携を図っていった(※19)。
 これに続いて翌4月、区は外国人観光客向けWEBサイト「Puls1Day in IKEBUKURO」を開設した。これも池袋エリアの宿泊施設を利用する外国人観光客は少なくないにもかかわらず、そのほとんどが他の観光地へ向かう足場として利用していることが多かったため、滞在しているわずかな時間にも池袋の街を楽しんでもらおうと、外国人レポーターの街レポ形式による池袋周辺エリアの1日観光プランの紹介をメインコンテンツとするものであった。そして同サイトへのアクセスを高めるため、年間4億ページ超のアクセスがある日本政府観光局(JNTO)の公式ホームページにPR記事「3時間で満喫!乙女ロードで乙女日和」を掲載し、そこから区のWEBサイトに誘導する仕組みを取り入れた。外国人観光客を呼び込むには池袋の街を知ってもらい、訪れてもらい、実際に体験してもらうことが一番だが、タイムアウト東京やJNTOとの連携は、それまでの区の観光政策の最も弱かった「情報にアクセスする」その入り口部分での発信のあり方を見直すものと言えた(※20)。
 さらに平成29(2017)年12月25日、区は演劇やコンサート等の鑑賞後にその余韻を楽しめる場づくりをめざし、第1回「アフター・ザ・シアター懇談会」を開催した。この懇談会は都が2020東京大会に向けて「世界から人材・資本が集まり、世界と共創するTOKYO」をテーマに掲げた将来ビジョン「NeXTOKYO 」のプロジェクトメンバーである梅澤高明氏(A.T.カーニー日本法人会長)やタイムアウト東京代表取締役の伏谷博之氏、タレント・デザイナーの篠原ともえ氏らを委員に迎え、「鑑賞後のサードプレイス」のあり方について意見交換する場として開催されたもので、夜間の文化・経済活動を消費拡大につなげる新たな観光施策「ナイトタイムエコノミー」も視野に入れられていた。その第1回に続き、翌30(2018)年2月2日には第2回が開催され、「豊島区が描く夜の未来」をテーマに様々な意見が交わされた。またいずれの回も、活用しながら保存するという動態保存の考え方に基づき、通常の施設見学や催事のほか夜桜見学会やビアガーデン、ワインの夕べなどの四季折々の夜間イベントを企画開催している重要文化財・自由学園明日館が会場となった(※21)。
 一方、この間、大塚駅周辺エリアでも新たな動きがあった。平成21(2009)年に駅東西をつなぐ南北通路が開通し、その後29(2017)年5月に南口駅前広場「TRAMパル大塚」が完成したのに続き、区は北口駅前広場整備についても29(2017)年度から着手していたが、30(2018)年5月、その北口エリアに「星野リゾート OMO5東京大塚」が開業した。この「OMO」は星野リゾートが手掛ける新たな都市型観光ホテルで、その中でも「OMO5」シリーズは街と旅行者を繋ぐ様々な仕掛けが施され、特に「ご近所専隊OMOレンジャー」と称する街案内スタッフによる「Go-KINJO」サービス等を特色にしていた。5 月9日の開業に合わせ、区と星野リゾートは生まれ変わる大塚駅周辺エリアをアピールする共同リリースを発表、以後、同エリアのまちづくりで連携を図っていった(※22)。
 こうした動きを受け、「アフター・ザ・シアター懇談会」も7月25日開催の第3回目から会場を大塚に移し、これまで大塚地域のまちづくりに関わってきた地元町会や商店会等も参加して開催された。また同エリアが観光庁の「最先端観光コンテンツインキュベーター事業」の夜間観光資源の取組みモデルとして銀座、島根県石見地方、長崎市とともに選定され、12月にはエリア内20店舗が参加してモデル事業「OTSUKA AFTER DARK(大塚アフター・ダーク)」を実施、さらに翌31(2019)年2月には南大塚ホールで「アフター・ザ・シアター・シンポジウム」を開催、同年7月には東京オリンピック・パラリンピック大会に向けて機運醸成を図る卓球コミュニティスペース『ping-pong ba』が「OMO5東京大塚」の地下にオープンするなど、官民連携で大塚の街を盛りあげる動きが広がっていった(※23)。
 大塚駅北口駅前広場の整備においても、区民や多様な来街者がナイトライフ観光を安心して楽しめる地域の顔となる駅前空間を創出するため、平成29(2017)年12月に公募プロポーザルによりランドスケープ設計者を選定、「光のファンタジー」と銘打ち、LED照明を用いた大小のリングで構成されるモニュメントを広場各所に配置する「大塚駅北口駅前空間基本計画」を策定した。30(2018)年度に基本設計・実施設計を経て、令和元~2(2019~2010)年度に総工費約15億円をかけて整備工事が進められ、3(2011)年3月、大塚エリアの新たなランドマークとなる北口駅前広場が完成した(※24)。
 また命名権料を維持管理経費に充当するためネーミングライツパートナー企業を公募、地元企業の山口不動産が年額1,100万円の命名権料で取得し、「ironowa hiro ba」(イロノワ ヒロ バ)と命名された。この名称の「iro(色)」は多様性を、「wa(輪)」はつながりを表し、様々な個性を持つ人々が輪のように手を取り合って暮らせるまちにしたいとの想いが込められている(※25)。
インバウンド観光マップ「池袋でしかできない50のこと」発行
(平成28年3月)
第3回「アフター・ザ・シアター懇談会」 OMO5東京大塚
(平成30年7月)
大塚駅南口駅前広場「TRAMパル大塚」完成(平成29年5月)
大塚駅北口駅前広場「ironowa hiro ba」完成(令和3年3月)

※19 H280310プレスリリース「豊島区・観光協会・タイムアウト東京との協定締結」について(H301218区長記者会見資料)

※20 H280426プレスリリース区ホームページの多言語化について(H280208広報課資料)

※21 H291225プレスリリース豊島区アフター・ザ・シアター(2018年5月発行)

※22 H300509プレスリリース

※23 H300725プレスリリースH301102プレスリリース大塚駅周辺エリアにおけるナイトタイムコンテンツ発掘/訪日外国人向け消費喚起事業「全体概要」H310130プレスリリースR010722プレスリリース

※24 大塚駅北口駅前空間基本計画策定業務の事業者選定について(H300226都市整備委員会資料)大塚駅北口駅前整備について(H300717副都心開発調査特別委員会資料)大塚駅北口駅前空間基本計画策定業務(概要版)大塚駅北口駅前整備について(H310115副都心開発調査特別委員会資料)大塚駅北口駅前広場整備工事請負契約について(R010628総務委員会資料)大塚駅北口駅前広場整備工事請負契約の一部の変更について(R030222総務委員会資料)R030324プレスリリース

※25 大塚北口駅前広場のネーミングライツについて(R021116副都心開発調査特別委員会資料)大塚駅北口駅前広場のネーミングライツについて(R030115副都心開発調査特別委員会資料)R030128プレスリリース

加速する池袋副都心の再生-国家戦略特区の区域拡大と特定都市再生緊急整備地域の指定

 一方、国際アート・カルチャー都市構想の基本コンセプトである「まち全体が舞台の誰もが主役になれる劇場都市」を実現していく上で、多様な文化資源を活用した「文化戦略」や世界に向けた発信力を高めていく「国際戦略」とともに、『出会いが生まれる劇場空間』を創出する「空間戦略」を合わせて一体的に進めていくことが求められた。道路や広場等の多様な公共空間を最大限に活用し、また誰もが安心してアート・カルチャーを楽しめる歩行者優先のまちづくりを進めていくために、国家戦略特区の認定と国際都市としての位置づけを明確にする特定都市再生緊急整備地域の指定は不可欠だった。
 特に国家戦略特区の道路占用特例については都市構想の検討段階から認定を視野に入れ、その規制緩和メニューを活用する具体的なプロジェクトとして、平成26(2014)年度から池袋駅東口グリーン大通りでオープンカフェの社会実験が開始された。
 本章第1節でも述べたとおり、グリーン大通りは池袋エリアのメインストリートでありながら通りに面した1階部分に業務系の事務所が並び、人の流れやにぎわいの連続性が分断されていた。このため16(2004)年4月に策定した「池袋副都心再生プラン」でもLRTの導入も含め、その活性化が課題に挙げられていたが、同年、国土交通省の「オープンカフェ等地域主体の道路活用に関する社会実験」の実施地区に池袋が選定されたことから、16・17(2004・2005)年度にも「池袋みち新生社会実験」としてオープンカフェを実施した経緯があった。さらにその10年後にも新庁舎整備及び旧庁舎跡地活用事業の進捗に合わせ、26(2014)年3月に策定した「現庁舎周辺まちづくりビジョン」の中でも「みどりのランドマーク(グリーン大通り)の再生」として4つのアクションプログラムのうちのひとつに位置づけられた。そして同年1月、東京電⼒地下変電所建設工事に伴い、南池袋公園の地下に自転車駐車場が開設されたことにより、グリーン大通り舗道上に設置していた登録制自転車置き場を撤去し、撤去後の舗道の再整備に合わせてオープンカフェの社会実験を実施することになったのである(※26)。
 また同じ平成26(2014)年9月には同ビジョンを具体化していくための協議の場として、地元商店会・町会・まちづくり団体・事業者・教育機関・行政等により構成される「現庁舎周辺まちづくりビジョン連絡会」が設置されているが、これに先立ち8月には同連絡会の下部組織にあたる「グリーン大通り部会」が立ち上げられた。オープンカフェはこの部会を実施主体とし、10月22日~11月11日までの21日間にわたり、グリーン大通りの歩道上5カ所にテーブルや椅子、パラソルを設置し、沿道の協力店舗(8店)からのテイクアウト方式によって実施された。この社会実験はサンシャイン方面に集中する人の流れを面的に広げるとともに、池袋駅から新庁舎へのアクセスルートとなるグリーン大通りを賑わいあふれる空間に変えていくことを目的とし、あわせてこの取組みを通し、官民連携によるエリアマネジメントの仕組みづくりをめざしていた。実施期間中に行ったアンケート調査ではオープンカフェ利用者の約 98%が常設化に賛成と回答しており、協力8店舗も概ね常設化に賛成していた(※27)。
 さらに翌平成27(2015)年5月の新庁舎オープンに合わせ、5月1日~6月28日の59日間、第2回目のオープンカフェ社会実験が実施された。この2回目では前回と同じ沿道協力店舗からのテイクアウト方式に加え、期間中の土日計18日間に路上マルシェ約20ブース(120店舗・延417回出店)が設置され、実施主体も現庁舎周辺街づくりビジョン連絡会(グリーン大通り部会)にマルシェを企画運営する地元有志グループ「Knit Green実行委員会」が加わった。特にこのマルシェの開催情報はSNS等で拡散され、普段は閑散としている土日のグリーン大通りが多くの家族連れ等で賑わった。利用者や出店者に対するアンケート調査でも、前回と同様にオープンカフェの常設化や、マルシェの継続実施についても多くの賛同が得られた。こうした実施結果を踏まえ、区はオープンカフェの常設化に向け、同年秋に3回目の社会実験を行うとともに、新庁舎が完成する27(2015)年度中に国家戦略特区(道路占用事業)の認定を受けることを想定していたのである(※28)。
 だがこの間の平成26(2014)年5月1日、東京圏国家戦略特別区域及び区域方針が内閣総理大臣により認定され、その区域は当初、千代田・中央・港・新宿・文京・江東・品川・太田・渋谷の9区及び神奈川県並びに千葉県成田市とされていた。この国家戦略特区は前年25(2013)年12月に成立した国家戦略特別区域法に基づき、「国際経済環境の変化その他の経済社会情勢の変化に対応して、我が国の経済社会の活力の向上及び持続的発展を図るため、民間、地方公共団体と国が一体となって取り組むべきプロジェクトを形成し、国が自ら主導して、大胆な規制改革等によりその実現を図る」ことを目的とするもので、この5月の第一次認定では東京圏のほか、関西圏(大阪府・兵庫県・京都府全域)、新潟県新潟市、兵庫県養父市、福岡県福岡市、沖縄県(全域)の各区域が国家戦略特別区域に決定されている。しかし認定前の3月の時点では、東京圏と関西圏の区域については各自治体の意見を聞いた上で「全部または一部」を指定するとの政府方針が示されていたにもかかわらず、関西圏については3府県全域が指定され、東京圏でも神奈川県と千葉県成田市は全域指定される一方、都内対象エリアについては都心・臨海及び城南地区等の9区に限定され、副都心のうち城北地区の池袋(豊島区)や上野・浅草(台東区)、両国・錦糸町(墨田区)などは含まれていなかった。
 また都が当初、国家戦略特区の都市再生プロジェクトに位置づけていた対象地区も、既に三井不動産や三菱地所、森ビル等の大規模資本が動いている丸の内・八重洲や日比谷、虎ノ門等の都心地区、もしくは臨海部や品川駅周辺、羽田空港跡地等の大規模用地の開発事業地区に限定されていた。確かに豊島区には都市開発を主導する大規模な民間資本も大規模な開発用地もなかったが、国際アート・カルチャー都市構想を掲げ、さらに新庁舎整備及び旧庁舎跡地活用事業を機に大きく動き出したまちづくりを「豊島区大改造プロジェクト」と銘打って打ち出していただけに、この区域決定にはショックを隠しきれなかった。このため高野区長は5月16日に開催された特別区長会の席上、この間の経緯について、事前に都区間の協議が行われることなく国家戦略特区の対象区域が決定されたことに苦言を呈した。この区長発言を受け、都は再度23区からの提案募集を行う方針を示し、また7月~8月にかけて国家戦略特区の新たな措置に係る追加提案募集が行われたため、区は直ちに国際アート・カルチャー都市構想を軸とする提案書を提出した。この提案書では、東京の中で池袋副都心が果たす役割を改めて訴えるとともに、特区として取り組む最優先プロジェクトにグリーン大通りのオープンカフェの実施を挙げ、さらに区の強みであるアート・カルチャーを活用して世界から人や企業を呼び込むため、「在留資格『短期滞在』扱いでの入国可能」「非居住者の源泉税の軽減」「道路占用許可、道路使用許可の緩和」の3つメニューを追加提案した。
 こうした区の動きに他区も追随し、7月の時点では豊島・台東・中野の3区が名乗りをあげ、同月3日の記者会見で舛添要一都知事は3区の追加指定とさらなる指定区域の拡大をめざすことを表明した。そして10月1日開催の第1回東京圏国家戦略特別区域会議において、都はこの3区に墨田・目黒・北・荒川・世田谷・葛飾を加えた計9区の早期追加指定を提案、さらにその後、多摩・島嶼地域も含めた53市区町村からの提案が出揃ったことから、翌平成27(2015)年6月15日の第4回区域会議において、都内全市区町村への区域拡大を国に要請していくとした。こうした経緯を経て同年8月28日、東京圏国家戦略特別区域は都内全域に拡大されたのである(※29)。
 一方、国家戦略特区の区域拡大に並行し、もうひとつの課題であった都市再生緊急整備地域も指定に向けて大きく動き出していた。
 都市再生緊急整備地域は平成14(2002)年6月の都市再生特別措置法施行に伴い制度化されたもので、その後23(2011)年10月の同法改正により都市再生緊急整備地域のうち都市の国際競争力の強化を図る上で特に有効な地域として新たに「特定都市再生緊急整備地域」が創設され、さらに東日本大震災の発生時に都内で大量の帰宅困難者が発生したことから、24(2012)年7月の改正では大規模震災時における都市再生緊急整備地域内の滞在者等の安全を確保するため、「都市再生安全確保計画」の作成及び都市再生安全確保施設に関する協定制度が創設された。都内では制度開始当初に東京都心・臨海地域(千代田・中央・港・江東区)、秋葉原・神田地域(千代田・台東区)、新宿駅周辺地域(新宿・渋谷区)、大崎駅周辺地域(品川区)の4地域、その後17(2005)年に渋谷駅周辺地域(渋谷区)、さらに24(2012)年には品川駅・田町駅周辺地域(港区・品川区)が都市再生緊急整備地域に指定され、またこのうち秋葉原・神田地域と大崎駅周辺地域を除く4地域は特定都市再生緊急整備地域にも指定されていた。だが本章第1節でも述べた通り、都市開発の面でこれらの地域に遅れをとっていた池袋は長らく指定を受けられず、18(2006)年区議会第3回定例会の一般質問において、高野区長が指定に向けて取り組むことを表明してから既に10年近くが経過していた。
 そうしたなか、平成22(2010)年第2回区議会定例会に東京商工会議所豊島支部から「池袋駅周辺整備についての請願」として都市再生緊急整備地域の早期指定に関する意見書提出の要望が出されていたのに続き、26(2014)年第3回区議会定例会に池袋西地区開発委員会から「都市再生緊急整備地域の早期指定と羽田飛行場への池袋から直通電車の実現についての請願」が出された。これを賛成多数で採択した区議会は請願の趣旨を踏まえ、池袋地域についての都市再生緊急整備地域の一日も早い指定と池袋から羽田飛行場への直通電車の実現を強く求める意見書を衆参両院議長、内閣総理大臣、国土交通大臣及び東京都知事宛てに提出した。また参議院の国土交通委員会においても、24(2012)年の法改正で災害時の安全対策が盛り込まれたにも関わらず、新宿駅に次いで乗降客数の多い池袋駅が「緊急整備地域の対象とならないことの説明が難しいのではないか」との指摘もなされていた(※30)。
 こうした動きを受け、平成27(2015)年4月、区は都に指定の申出を要請、翌5月22日、都は内閣府に対し池袋駅周辺地域約143haについて都市再生緊急整備地域並びに特定都市再生緊急整備地域として指定するよう申し入れた。そして7月21日、いずれの指定も閣議決定され、同月24日に公布・施行されるに至った(※31)。
 都がこの申し入れの際に提出した地域整備方針の東京都案では、都市再生緊急整備地域の整備目標として「都市計画道路の整備や駅施設及び周辺市街地の再編を契機に、回遊性、利便性の高い歩行者中心のまちに都市構造を転換」並びに「造幣局跡地を活用して、防災公園の整備とあわせた連鎖的な開発により、木造密集市街地の改善を図り、地域全体の防災対応力を強化」の2項目が、また特定都市再生緊急整備地域の整備目標としては「文化・芸術等の育成・創造・発信・交流等の機能の充実・強化を図るとともに、魅力ある商業、業務機能等を集積し、国際アート・カルチャー都市を形成」が挙げられていた。この方針案の中でも木造密集地域の改善が挙げられているが、指定区域には造幣局東京支局跡地に隣接する東池袋四・五丁目の木密地域が含まれており、こうした木密地域も含めた指定は都内初となるものだった。東日本大震災を契機に首都東京の防災性の向上が喫緊の課題に位置づけられるなか、都は24(2012)年から木密地域不燃化 10 年プロジェクトを始動させ、東池袋四・五丁目地区を同プロジェクトの不燃化特区に位置づけていた。池袋駅の帰宅困難者対策に木密地域の解消も加え、池袋駅周辺地域の指定には安全・安心まちづくりの視点が色濃く反映されたものだった。
 この整備方針案で示された池袋駅周辺地域の都市再生の方向性は、それまで区が進めてきた池袋副都心再生の考え方に沿うものであったと言って良い。バブル崩壊以降、都市開発、特に民間資本による開発の動きが見られなかったことが都市再生緊急整備地域の指定を長らく受けられない要因と考えられていたが、新庁舎整備から旧庁舎跡地開発、さらに造幣局周辺まちづくりへと連鎖的に広がる池袋に注目が集まり、大規模資本による開発事業とは異なる政策誘導型のまちづくりがようやく評価された証と言えた。また「国際性」という面でも豊島区は特色に乏しかったが、消滅可能性都市の指摘がバネとなり、持続発展都市対策を展開する中で次第に視野を外向きに広げ、世界につながる国際アート・カルチャー都市構想という新たな都市像を掲げたことが特定都市再生緊急整備地域の指定につながったと言える。
 こうして平成27(2015)年7月に特定都市再生緊急整備地域の指定、翌8月には国家戦略特区の都内全域への拡大が立て続けに実現したことにより、国際アート・カルチャー都市構想はその実現に向け、大きな一歩を踏み出したのである。
 都市再生緊急整備地域指定3日後の7月27日、早くも第1回「池袋駅周辺地域再生委員会」(以下「再生委員会」)が開催された。同再生委員会は池袋駅周辺地域のまちづくりの考え方や都市再生事業を実施する際のルールを共有する「まちづくりガイドライン」及びこのガイドラインに基づきまちづくりを展開してくために必要な都市基盤の整備方策を示す「基盤整備方針」の策定に向けた検討を行う附属機関に位置づけられ、岸井隆行日本大学理学部教授を委員長に学識経験者、鉄道事業者・池袋駅周辺事業者・区内団体・まちづくり団体の各代表者及び都・区職員の36名に加え、都市政策顧問の隈研吾氏も特別委員として参加した。また委員会の下部組織として、東西デッキ・駅前広場・道路等の都市基盤について検討する「基盤検討部会」が置かれた。委員長の岸井隆行氏は平成19(2007)~26(2014)年度の8年間にわたり「池袋駅及び駅周辺整備検討委員会」の委員長を務め、「池袋駅及び駅周辺整備計画(案)」(21年3月)や「池袋駅東西連絡通路(東西デッキ)整備基本構想」(27年3月)の取りまとめに携わってきた。そうした経緯から池袋駅周辺地域の特性や課題について熟知しており、第1回再生委員会においても「他の地域を意識しながら、関係者の様々なネットワークを使って世界に発信することが必要。アート・カルチャーはハード整備だけでなく、コンテンツを作り出すことが非常に重要になるので、これらを連携させながら池袋らしい都市再生を行っていく」と述べ、他の地域とは異なる「池袋らしさ」を活かしたまちづくりの方向性を示していた(※32)。
 以後、再生委員会はまず「まちづくりガイドライン」の検討から取りかかり、平成28(2016)年3月に素案を取りまとめ、パブリックコメントの実施を経て、同年7月、「池袋駅周辺地域まちづくりガイドライン」を策定した(※33)。
 このガイドラインでは「池袋らしさ」を活かし、「アート・カルチャーの魅力で、世界中から人を呼び寄せ、新文化・新産業を育む」、「都市空間を人間優先へ、誰もが主役になれる舞台に」、「先人が培ってきた文化資源を活かしながら、新たなまちづくりへ」の3つの視点に立ち、池袋駅周辺地域の将来像を「世界中から人を惹きつける国際アート・カルチャー都市のメインステージ~界隈を歩き、にぎわいと四季の彩りを感じるまち・池袋~」と描いた。そしてその実現の向けたまちづくり戦略には「1.文化と生活・産業が創発するまちづくり」「2.駅からにぎわいが広がるまちづくり」「3.界隈を歩き、楽しめるまちづくり」「4.誰もが安全・安心に暮らし、集えるまちづくり」「5.環境と共生し、四季の彩りに包まれたまちづくり」の5つを掲げ、さらに事業化に向け、それぞれのエリアの特色を活かしたまちづくりを進めていくとして、「①池袋駅周辺コアエリア(池袋駅東西口周辺など)」、「②にぎわい交流エリア(旧庁舎跡地など)」、「③東池袋駅周辺エリア(区庁舎・造幣局地区・木密地域など)」の3つに区分するエリア案を示した。これに続き、再生委員会は基盤検討部会での検討をもとに「基盤整備方針」の検討へと進み、平成29(2017)年5月に「中間のまとめ」、翌30(2018)年1月に基盤整備方針案を取りまとめ、2月~3月にパブリックコメントを実施し、同年5月に「池袋駅周辺地域基盤整備方針2018」を策定した(※34)。
 概ね20年後の池袋の都市基盤整備の方向性を示すこの「基盤整備方針」では「まちづくりガイドライン」のエリア区分案をさらに整理し、池袋駅の東西から東池袋駅周辺までを含めた「にぎわい交流エリア」と造幣局跡地及び周辺の木密地域を含めた「生活文化交流エリア」の2つのエリアに区分するとともに、「にぎわい交流エリア」の核となる池袋駅と東池袋駅の周辺をコア・ゾーンに設定している。そして2つのエリアと2つのコア・ゾーンをつなぐグリーン大通り~西口アゼリア通りを東西都市軸に位置づけ、この都市軸を回遊動線の幹に点在する池袋西口公園・中池袋公園・南池袋公園・造幣局地区防災公園の4つの公園をアート・カルチャーの活動拠点(ハブ)として、周辺民間施設との連携によりネットワーク化させて交流・にぎわいを地域全体に広げていくというまちづくりの展開が示された。後の「東西ダンベル構想」につながる考え方がここで示されたのである(図表4-30参照)。
図表4-30 「まちづくりガイドライン」と「基盤整備方針」のエリア区分、コア・都市軸・ハブのネットワーク化
 また再生委員会は基盤検討部会とは別に駅空間ワーキンググループを設置し、平成21(2009)年度から「池袋駅及び駅周辺整備検討委員会」で検討が重ねられてきた「池袋駅案内誘導サイン計画」を引き継ぎ、29(2017)年5月に「池袋ターミナル案内サインガイドライン」を策定した。このガイドラインに基づき、それまで各事業者が独自のルールで作成・設置していた駅構内の案内サインの共通化を図るとともに、まちなかの案内サインについても検討を進め、令和元(2019)年6月、映画館や劇場などに独自のピクトグラムを採り入れた「豊島区案内サインガイドライン」を策定した(※35)。
 区では再生委員会を中心にこうした検討が進められていたが、一方、国では平成28(2016)年2月9日、池袋駅周辺地域の緊急かつ重点的な市街地整備や国際競争力の強化に係る基本的な方針に関する国・都・区及び関係事業者の協議・連絡調整の場として、内閣総理大臣を会長とする「池袋駅周辺地域都市再生緊急整備協議会」が設立された。またあわせて当面の課題である安全確保計画の策定に向け、同協議会の下部組織として「都市再生安全確保計画部会」(部会長:区危機管理監)が設置された(※36)。
 第3章第2節第2項で述べたとおり、池袋駅の帰宅困難者対策については東日本大震災を契機に区が主導する形で強化を図り、平成26(2014)年7月に地元まちづくり団体や池袋駅の鉄道事業者、大規模商業施設事業者、都市再生機構の各代表者及び都区職員で構成される「池袋駅周辺エリア防災対策協議会」を設置、翌27(2015)年3月には一時滞在施設等の安全確保施設の整備などハード面の対策も含めた「池袋駅周辺エリア安全確保計画」を策定していた。この計画をベースとしつつ、東池袋四・五丁目地区が指定地域に加えられたことにより対象エリアを拡大するとともに、造幣局跡地防災公園や庁舎跡地、西武鉄道池袋ビル等の整備を事業計画に位置付け、これらの都市再生事業を通して防災拠点を形成していく視点を加味して内容を拡充させ、28(2016)年12月、改めて「池袋駅周辺地域都市再生安全確保計画」を策定した(※37)。
 都市再生緊急整備地域の指定に伴うこうした動きに呼応し、平成27(2015)年10月16日に「西武鉄道池袋ビル建替え計画」が、翌28(2016)年9月9日には庁舎跡地活用事業「(仮称)豊島プロジェクト」が都市再生緊急整備地域における民間都市再生事業計画として認定され、固定資産税・都市計画税・不動産取得税の軽減等の税制面での特例が適用された。さらに庁舎跡地開発事業については同時に東京圏国家戦略特別区域計画の民間都市再生事業に認定され、都市計画手続きのワンストップ化等の規制改革メニューを活用できるようになった。この国家戦略特区の民間都市再生事業にはその後、29(2017)年2月10日開催の東京圏国家戦略特別区域会議で南池袋二丁目C地区(南池袋二丁目C地区市街地再開発組合・住友不動産・野村不動産・独立行政法人都市再生機構)が都市再生プロジェクトに追加指定され、30(2018)年6月14日に国家戦略都市計画建築物等整備事業として内閣総理大臣の認定を受けた。これに続き、令和元(2019)年5月31日の特別区域会議で東池袋一丁目地区(住友不動産)が追加指定され、2(2020)年9月14日に同じく認定された。さらに令和4(2022)年10月14日には池袋駅西口地区(三菱地所・東武鉄道、5年度中認定)も追加指定されるなど、認定範囲も池袋副都心の市街地再開発動向に合わせて拡大されている(※38)。
 一方、国家戦略特区の道路法特例を想定して先行的に取り組んでいたグリーン大通りにおいても、3回のオープンカフェ社会実験の検証を踏まえ、平成27(2015)年10月に「グリーン大通りエリアマネジメント協議会」(以下、通称「GAM」)が設立された。同協議会は沿道エリアの土地建物所有者やテナント等で構成され、以後、同協議会の主催によりオープンカフェやマルシェ等を実施し、グリーン大通りのさらなる賑わい創出に取り組んでいくことになった。そして翌28(2016)年3月24日、東京圏国家戦略特別区域会議においてグリーン大通りを国家戦略道路占用事業(エリアマネジメントの民間開放:道路占用基準の緩和)の適用区域とする計画案が了承され、4月13日に内閣総理大臣により認定された(※39)。
 この認定を受け、平成28(2016)年度の春・秋の2回、GAMはオープンカフェ・マルシェに加え、アート展示やストリートパフォーマンス、アートワークショップ等、グリーン大通りを国際アート・カルチャー都市の劇場空間として活用する「アートフェス」を実施した。さらに28(2016)年4月にリニューアルオープンした南池袋公園との一体的な活用を図っていくために、29(2017)年3月、区は「グリーン大通りにおける賑わい創出プロジェクト」の実施事業者の公募プロポーザルを実施、地元池袋のまちづくりに関わる有志らで立ち上げられた株式会社nest(同年4月法人登記)を選定した。そして5月からは同社の企画運営による「nest marche (ネストマルシェ)」を毎月開催するか、11月には「まちなかリビング」をコンセプトに、グリーン大通りの舗道上に屋台のマルシェのほかハンモックやソファなどのストリートファニチャーを設置し、リビングのような居心地の良い空間で音楽演奏やストリートパフォーマンスを楽しめる「IKEBUKURO LIVING LOOP(池袋リビングループ)」を初開催した。このイベントはその後もGAMの主催で毎年開催され、令和2(2020)年からは株式会社nest・株式会社グリップセカンド・株式会社サンシャインシティ・株式会社良品計画の地元4企業が連携して企画運営に携わり、年1回のイベントから「まちなかリビングのある日常」への展開に向けた取組みが進められている(※40)。
 またこうした賑わい事業の展開に並行し、平成29(2017)年度から区とGAMとがグリーン大通りのめざすべき方向性を共有するための検討が開始され、翌30(2018)年10月に「グリーン大通り再生ビジョンおよび実現戦略」が策定された。この再生ビジョンには「『人』『みどり』『まち』のつながり」をキーワードに、「誰もが集い賑わい、四季を彩る公園のように憩える、美しい都市空間の形成」が掲げられ、その実現戦略には「人のつながり」を生み出す劇場空間の創出に向けたグリーン大通りの再整備や、「みどりのつながり」がつくる「パークアベニュー」を形成する街路樹の維持・保全、「まちのつながり」を活かしたエリアマネジメントの推進などが挙げられた。そして区はこのビジョンに基づき、30(2018)年度からグリーン大通り歩道再整備工事に着手した。また国家戦略特区の区域計画についても、令和元(2019)年9月26日開催の東京圏国家戦略特別区域会議にグリーン大通りと南池袋を結ぶ道路を適用区域として拡大するとともに、イベント開催時だけではなく、食事・購買施設やストリートファニチャー等を常設できるよう規制緩和メニューを追加した変更案を提出、9月30日の諮問会議でこの区域計画変更が認定された(※41)。
グリーン大通りオープンカフェ社会実験(平成26年10月)
第2回社会実験・路上マルシェ(平成27年5月)
「IKEBUKURO LIVING LOOP」初開催(平成29年11月)
まちなかリビング・ストリートパフォーマンス

※35 池袋駅案内誘導サイン計画について(H281215副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅案内誘導サイン計画について(H290515副都心開発調査特別委員会資料) H291110プレスリリース豊島区案内サインガイドラインについて(H310225都市整備委員会・R010614副都心開発調査特別委員会資料)豊島区案内サインガイドラインR010701プレスリリース

※36 池袋駅周辺地域都市再生緊急整備協議会の開催について(H280219総務委員会資料)H280209プレスリリース

※37 池袋駅周辺エリア安全確保計画について(H270115副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺エリア安全確保計画(平成27年3月)池袋駅周辺エリア安全確保計画骨子池袋駅周辺地域都市再生安全確保計画の策定について(H290113副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺地域都市再生安全確保計画(平成28年12月策定・平成30年3月変更)

※38 H280831プレスリリース旧庁舎及び公会堂跡地の建築計画について(H280615副都心開発調査特別委員会資料)国家戦略特区による都市再生プロジェクトについて(南池袋二丁目C地区)(H290217議員協議会資料)東池袋一丁目地区市街地再開発事業について(R020612・R020914副都心開発調査特別委員会資料)

※39 グリーン大通りエリアマネジメント協議会の設立について(H271127都市整備委員会資料)H280325プレスリリース

※40 グリーン大通りの活用について(H280415副都心開発調査特別委員会資料)グリーン大通りの賑わい事業について(H300615副都心開発調査特別委員会資料)都市を市民のリビングへIKEBUKURO LIVING LOOP(H291118・1119)H300517プレスリリースR021006プレスリリース

※41 池袋駅東口グリーン大通りでの取組み概要グリーン大通りの賑わい事業について(H310115副都心開発調査特別委員会資料)グリーン大通り歩道再整備工事請負契約について(R010628総務委員会資料)グリーン大通り歩道再整備工事(第2区間)請負契約について(R020221総務委員会資料)国家戦略道路占用事業の対象施設の拡大について(グリーン大通り)(H301003都市整備委員会資料)国家戦略道路占用事業の区域計画変更について(グリーン大通り)(R011002都市整備委員会資料)

 平成27(2015)年の特定都市再生緊急整備地域の指定、国家戦略特区の区域拡大に続き、翌28(2016)年11月30日、池袋駅周辺地域がアジアヘッドクォーター(AHQ)特区に指定された。このAHQ特区は都が国の認定を受けた「国際戦略総合特区」のひとつで、グローバル企業のアジア地域における業務統括拠点や研究開発拠点の誘致・集積をより一層進め、東京が日本経済の再生を牽引していくことを目的とした。この特区指定を受けることにより、設備投資に係る法人税等の優遇措置や誘致企業に対する補助金等の財政支援、入国審査の迅速化等のビジネス支援が受けられるメリットがあった。23(2010)年12月の制度開始以降、「東京都心・臨海地域」「品川・田町駅周辺地域」「渋谷駅周辺地域」「新宿駅周辺地域」の4地域が特定都市再生緊急整備地域の指定と同時にこのAHQ特区の指定を受けており、国際競争力の強化を目的とする点でも同じであることから、区も特定都市再生緊急整備地域指定後の28(2016)年2月から都と協議を開始し、11月の正式指定に至ったものである(※42)。
 こうして国際競争力の強化がさらに求められるなか、区は池袋の特色を生かしたインバウンドの推進、観光客や外国企業を呼び込むための地域戦略の策定に向け、平成28(2016)年10月12日、「池袋ブランディング・シティ戦略検討会」を立ち上げた。同検討会は国際アート・カルチャー都市懇話会委員の太下義之氏を座長に学識経験者4名のほか、池袋駅周辺地域のまちづくり推進事業者として三菱地所、東京建物、東武鉄道、西武ホールディングス・西武鉄道、そごう・西武、サンシャインシティ、UR都市機構の7者、また区内外のアート・カルチャー推進事業者(共創企業)としてデジタルアーツ東京、KADOKAWA、アニメイトホールディングス、理化学研究所、本田技術研究所、良品計画、Barbara Poolの7者の各代表で構成された。池袋駅周辺地域の都市開発事業等を担う事業者と池袋を活用してアート・カルチャー、サイエンス等の各分野の事業を展開する事業者がひとつのテーブルに着いて様々なアイデアを出し合い、半年の議論を経て意見を取りまとめ、29(2017)年4月、「池袋ブランディング・シティ戦略」が策定された。同戦略では池袋駅周辺地域の国際競争力を強化する施策として①来街者誘客の強化(池袋の目的地化、沿線連携によるツーリズム・PR強化)、②スタートアップ機能の強化(高度人材の集積を促進する成長環境の整備)、③ビジネス環境の高度化(アート・サイエンスを核とした異分野融合や女性活躍の促進)の3つが挙げられ、各施策を横断的に推進するためのコンソーシアムの設置が謳われた(※43)。
 以上、平成27(2015)年の特定都市再生緊急整備地域の指定と東京圏国家戦略特別区域の都内全域への拡大をめぐる動きをたどってきたが、この27(2015)年前後は池袋のまちづくりにおいても大きな転換点となる重要な年であった。
 本章第1節第2項で述べたとおり、池袋副都心再生の起爆剤となった新庁舎を含む南池袋二丁目A地区市街地再開発建物「としまエコミューゼタウン」が平成27(2015)年3月に竣工し、5月に新庁舎がオープンしたのをはじめ、同じく3月に新庁舎移転後の庁舎跡地活用事業の優先交渉権者に東京建物・サンケイビル・鹿島建設の3社で構成されるグループが選定され、7月には同グループと「旧庁舎跡地活用事業基本協定」を締結、国際アート・カルチャー都市のシンボルとなる劇場空間の整備に向けた官民連携プロジェクトが本格的に動き出した。
 また平成28(2016)年秋にさいたま市へ移転する造幣局東京支局の跡地の活用についても、27(2015)年4月7日に区、造幣局及び整備事業を施行する都市再生機構の3者間で「造幣局地区におけるまちづくりに係る基本協定書」が締結された。この協定は前年の26(2014)年10月に策定した「造幣局地区街づくり計画」及び「(仮称)造幣局地区防災公園基本計画」に基づき、跡地約3.2haのうち1.7haに防災公園を整備し、残る1.5haは市街地整備区域としてその北側約3分の2に文化交流機能を、南側3分の1に賑わい機能を誘導する土地利用計画と、それらの整備事業における3者それぞれの役割分担を定めるもので、この協定締結により3者が協力して造幣局地区のまちづくりを推進していくことになった。続いて4月20日に都市再生機構との間で防災公園基本協定書が締結され、28(2016)年1月には跡地の「東池袋四丁目42番地区地区計画」が都市計画決定された。これにより31(2019)年度の完成をめざし、防災公園の実施設計・整備工事が着手されることになり、昭和58(1983)年に町会連合会を中心に移転要請活動が開始されて以来、池袋地域の長年の課題であった造幣局東京支局の移転・跡地活用問題は一応の決着を見るに至ったのである(※44)。
 さらに平成2(1990)年に東京芸術劇場、4(1992)年にメトロポリタンプラザビルがオープンして以降、ほとんど休眠状態に陥っていた池袋西口地区のまちづくりも、19(2007)年12月にスタートしたまちづくり勉強会から8年の歳月を経て少しずつ地域の合意形成が広がり、27(2015)年12月11日、地権者92名のうち64名が加入し(加入率69.6%)、「池袋駅西口地区市街地再開発準備組合」が設立されるに至った。また25(2013)年からまちづくり協力者として地元協議に参加していた三菱地所が、28(2016)年4月に正式に事業協力者に選定され、西口駅前街区の再開発は事業化に向け大きく動き出したのである(※45)。
 こうした政策誘導型のまちづくりに連鎖するように、池袋エリア内での市街地再開発の動きも活発化していった(※46)。
 平成26(2014)年8月に都市計画決定された東池袋五丁目地区市街地再開発事業は、17(2005)年に補助81号線が事業認可されて以降、都市計画道路の整備と沿道建物の不燃化・共同化を一体的に進める「補助81号線沿道まちづくり」の中で地元協議が重ねられ、また24(2012)年にスタートした都の「木密地域不燃化10年プロジェクト」の不燃化特区制度の先行実施地区に選定された東池袋四・五丁目地区のコア事業に位置付けられた。その後、22(2010)年の準備組合設立を経て、27(2015)年6月12日、野村不動産が参加組合員として加わり再開発組合が設立され、29(2017)年4月に建築工事着工、31(2019)年3月、地上20階・地下1階建ての共同住宅「プラウドタワー東池袋」が竣工した(※47)。
 また同じ東池袋四・五丁目地区内の東池袋四丁目2番街区地区においても共同化の話が進み、平成24(2012)年10月に再開発準備組合設立、29(2017)年3月に市街地再開発事業として都市計画決定され、同年10月には同じく野村不動産が参加組合員に加わり再開発組合が設立された。そして31(2019)年 2月に建築工事着工、令和4(2022)年3月、地上36階・地下2階建ての住宅・店舗・事業所等の複合ビル「プラウドタワー東池袋ステーションアリーナ」が竣工した(※48)。
 一方、新庁舎が整備された南池袋二丁目A地区に隣接する南池袋二丁目C地区においても街区再編まちづくり制度を活用し、平成28(2016)年3月に再開発準備組合が設立され、30(2018)年6月に同地区の地区計画及び市街地再開発事業が都市計画決定された。また29(2017)年2月に東京圏国家戦略特別区域の都市再生プロジェクトに追加指定されるとともに、本章第1節第2項で述べた通り、翌30(2018)年9月にはこの再開発ビル完成後に池袋保健所が本移転することが決定された。こうした経緯を経て令和2(2020)年3月、住友不動産、野村不動産、都市再生機構の3者が参加組合員に加わり、再開発組合が設立された。そして4(2022)年10月、地上52階・地下3階の北棟と地上42階・地下2階の南棟の2棟総延床面積19万㎡、低層部に保健所等公共施設のほか商業・生活支援機能を配した総戸数1,498戸のタワーマンションの建設が着工、8(2026)年の竣工をめざして工事が進められている(※49)。
 さらに明治通りを挟んで旧庁舎跡地に近接する東池袋一丁目地区(東池袋1-45~48)においても、平成29(2017)年3月に再開発準備組合が設立、令和2(2020)年9月に市街地再開発事業として都市計画決定され、4(2022)年7月に住友不動産が参加組合員に加わり再開発組合が設立された。また元(2019)年5月には南池袋二丁目C地区に続いて東京圏国家戦略特別区域の都市再生プロジェクトに追加指定されており、事務所・文化体験施設・イベントホールを備えた地上33階建、延床面積約155,000㎡の大規模複合ビルを整備するとともに、池袋駅から池袋駅前公園を経て計画地までを連続的につなぐ約500mの「みどりのプロムナード」等の周辺整備も行う計画で、国際アート・カルチャー都市の新たな文化・交流拠点の形成をめざしている(※50)。
 しかし同じ東池袋一丁目地区内であっても、明治通りとグリーン大通りに挟まれた駅前街区(東池袋1-1~7)では建築物の老朽化が進み、駅前の一等地でありながらまちのポテンシャルを生かし切れておらず、また細街路が多く防災上の課題も抱えるなどの状況が見られた。このため区は平成29(2017)年1月から地権者や地元住民とまちの将来像について話し合う「まちづくり懇談会」を計12回開催、その中で出された意見等を集約し、30(2018)年3月、「池袋東口地区まちづくり構想(案)」を策定した。この構想案ではまちづくりの目標として「次世代に対応した魅力ある都市機能の導入と公共空間の再編により世界中から人を呼び寄せるまち」が掲げられ、その実現に向けたまちづくり方針として「国際アート・カルチャー都市実現に資する都市機能の導入」、「ターミナル拠点にふさわしい駅前空間の形成」、「大街区化による誰にでも快適で楽しめる歩行者空間の創出」、「環境に配慮した都市空間の形成、安全・安心に資する防災機能の強化」の4つの方針が挙げられた。こうした話し合いを経て令和2(2010)年11月12日、地権者らによる「池袋駅東口地区まちづくり協議会」が設立され、以後、同協議会が主体となり、街区再編街づくり制度等を活用した共同建替えなど、再開発に向けた検討が進められている(※51)。
 これらの市街地再開発の動きとともに、池袋エリア内での民間による開発事業も活発化し、令和元(2019)年3月、西武鉄道池袋ビルの建替え工事が完了し、地上20階建ての賃貸オフィスビル「ダイヤゲート池袋」が4月に開業した。西武池袋線の線路を跨いで建設された同ビルは、鉄道線路上空に人工地盤のデッキが架けられ、区が進める東西デッキ構想の南デッキとの連結が想定された。また元 (2019)7月には、東池袋1丁目に国内最大サイズのスクリーンや体感型スクリーンなど12スクリーン・客席数2,443席を有するシネマコンプレックス「グランドシネマサンシャイン」を核とするアミューズメント施設「キュープラザ池袋」が開業した。この映画館に2(2020) 年6月にオープンするHareza池袋の「TOHOシネマズ池袋」(10スクリーン・1,700席)を加えると、池袋エリア内の映画館6館の合計スクリーン・座席数は33スクリーン・6,551席となって渋谷の25スクリーン・3,593席を超え、「映画の街・池袋」の復活が期待された(※52)。
造幣局東京支局(平成25年撮影)
東池袋一丁目地区市街地再開発事業完成イメージ図
「ダイヤゲート池袋」竣工(令和元年3月)
池袋駅西口地区市街地再開発事業完成イメージ図
南池袋二丁目C地区市街地再開発事業完成イメージ図

※42 アジア・ヘッドクォーター(AHQ)特区について(H281115副都心開発調査特別委員会資料)

※43 H281012プレスリリース国際競争力強化地域戦略の策定について(池袋駅周辺地域)について(H281115副都心開発調査特別委員会資料)国際競争力強化地域戦略の策定について(池袋駅周辺地域)(H290515副都心開発調査特別委員会資料)池袋ブランディング・シティ戦略(平成29年4月25日策定)H300207プレスリリース

※44 東池袋まちづくりについて(H260114副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区街づくり計画【平成26年10月】(仮称)造幣局地区防災公園基本計画【平成26年10月】造幣局地区街づくりについて(H261215副都心開発調査特別委員会資料)「造幣局地区におけるまちづくりに係る基本協定書」の締結について【H270407締結】造幣局地区街づくりについて(H270611副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区防災公園街区整備事業区域における都市公園整備事業の直接施行について(H270930都市整備委員会資料)造幣局地区まちづくりについて(H280113副都心開発調査特別委員会資料)東池袋四丁目42番地区地区計画【H280115告示】

※45 池袋駅西口駅前街区まちづくりについて(H250415副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅西口駅前街区まちづくりについて(H251213副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅西口駅前街区街づくりについて(H260911副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅西口地区のまちづくりについて(H271215副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅西口地区のまちづくりについて(H280513副都心開発調査特別委員会資料)

※46 池袋駅周辺地域の市街地再開発事業の動向について(H290414副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺地域の市街地再開発事業の動向について(H300413副都心開発調査特別委員会資料) 池袋駅周辺地域の市街地再開発事業の動向について(R030415副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺地域の市街地再開発事業の動向について(R040415副都心開発調査特別委員会資料)

※47 東池袋五丁目地区市街地再開発事業等の都市計画手続きについて(H260114副都心開発調査特別委員会資料)東池袋五丁目地区市街地再開発事業について(H260911副都心開発調査特別委員会資料)東池袋五丁目地区市街地再開発事業について(H270715副都心開発調査特別委員会資料)

※48 東池袋四丁目2番街区地区第一種市街地再開発事業について(H281215副都心開発調査特別委員会資料)東池袋四丁目2番街区地区市街地再開発事業都市計画図書【H290331決定】

※49 南池袋二丁目C地区のまちづくりについて(H280513副都心開発調査特別委員会資料)国家戦略特区による都市再生プロジェクトについて(南池袋二丁目C地区)(H290217議員協議会資料)南池二丁目C地区のまちづくりについて(H291113・H300115・H300515副都心開発調査特別委員会資料)南池袋二丁目C地区再開発等促進区を定める地区計画 都市計画(素案)の概要(H291213東京都都市再生分科会資料)池袋二丁目C地区地区計画・市街地再開発事業【H300621告示】

※50 東池袋一丁目地区(市街地再開発事業)基本計画(案)東池袋一丁目地区再開発事業について(R010913副都心開発調査特別委員会資料)東池袋一丁目地区市街地再開発事業について(R020612・R020914副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺地域の市街地再開発事業の動向について(R010614副都心開発調査特別委員会資料)池袋駅周辺地域の市街地再開発事業等の動向について(R020415副都心開発調査特別委員会資料)

※51 池袋駅東口地区まちづくり構想(案)(平成30年3月策定)池袋駅東口地区まちづくり協議会ニュースvol.1ー3池袋東口地区まちづくり協議会ニュースvol.4-6

※52 H310313プレスリリースR020702プレスリリース国際アート・カルチャー都市のメインステージ

 こうして平成20年代末から令和へと時代が遷り変わる中で池袋エリアのまちづくりは連鎖的に拡大していき、まさに「玉突き状態」と言われるほどだった。そのような状況のなか、平成27(2015)年4月26日、豊島区議会議員・区長選挙が執行され、高野区長は57,309票を獲得して5選を果たした(投票率42.3%、有効投票数88,163票、得票率65.0%)。選挙後の6月に開会した第2回区議会定例会での所信表明で、高野区長は「豊島区新時代を力強く牽引していく」決意を表明し、5期目の施政方針の第一の柱に「豊島区新時代を切り開く積極的・重点的な都市の活動のどう創り出すか」を挙げ、「東京オリンピック・パラリンピックという国際的なビッグイベントの開催を契機として、その後も世界中から人や産業を惹き付けられる魅力的な国際都市づくりを進め、観光立国の一翼を本区が担えるよう積極的に推進」していくと述べた。
 この施政方針に基づき、区は東京オリンピック・パラリンピック開催年をひとつの目標地点とし、その前年の令和元(2019)年の東アジア文化都市の開催に向けて文化・都市再生分野の施策を次々と展開していった。特に東アジア文化都市の開催に合わせ、Hareza池袋や4つの公園整備、新たな副都心移動システムとなる電気バス「IKEBUS」の導入など、23にのぼるハード事業をまちづくり記念事業と銘打ち、強力に推進していったのである。
 その一方、区は池袋エリアの民間都市再生事業が急速に活発化する状況を踏まえ、そうした動きに合わせて都市基盤整備を円滑かつ効率的に進めていくための仕組みづくりに取り組んだ。そのひとつとして平成28(2016)年10月6日、区は独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)と「池袋駅エリアまちづくりに関する協定」を締結した(※53)。
 この協定は前年に都市再生緊急整備地域の指定を受けた池袋駅周辺地域を対象に、相互に協力して都市基盤等の整備を推進していくことにより、同地域の都市再生を効果的に図っていくことを目的とした。都市再生に関連する情報を相互に共有するほか、区はまちづくりの全体構想や基盤整備方針等の策定、また東西デッキ整備に係る関係事業者等との合意形成の促進に取組み、UR都市機構はこうした区の取組みを包括的にコーディネートするとともに、個別地区の想定事業スキームや東西デッキの整備手法・整備主体等の検討を担うとした。これまでも繰り返し述べてきたように、バブル崩壊後の荒波に飲まれ東池袋四丁目市街地再開発事業は超難事業となったが、これに続いて事業化された東池袋四丁目第2地区市街地再開発事業は、当初の再開発組合方式からUR都市機構による施行へと切り替えたことにより完成を見た。また造幣局東京支局跡地の防災公園整備事業においても、区が単独で整備するのは財政的に負担が大きすぎたため、UR都市機構に事業の施行を要請した経緯があった。その一方、エリア内の各所で市街地再開発が進み、大手ゼネコンが事業協力者、参加組合員として池袋に進出する機運が高まっているなか、池袋エリアのまちづくりを総合的な視点で進めていくことがより一層求められるようになり、区内はもとより全国各地の市街地整備や賃貸住宅の供給支援で実績があるUR都市機構による包括的なコーディネートは、区にとって大きな力となるものと言えた。
 さらに区は平成30(2018)年9月開会の第3回区議会定例会に池袋駅周辺まちづくり推進基金条例案を提出し、区議会の議決を経て、同年10月「池袋駅周辺まちづくり推進基金」を創設した(※54)。
 この基金は、同年3月に策定した「池袋駅周辺地域基盤整備方針2018」の中で「段階的な都市再生事業をつなぐ一体的な都市基盤整備の事業スキームの構築」として、事業スケジュールが異なる複数のプロジェクトの連携により実現する都市基盤整備を一体的かつ効果的に実現するため、「公共貢献資金」を一時的にプールし、事業実施に併せて拠出する基金を設置するなど、事業のタイムラグを埋める仕組みを構築することが示されたことを反映したものである。そしてこの基金の原資となる「公共貢献資金」を得るため、この基金条例の制定とともに街づくり推進条例の一部を改正し、開発事業者が積極的に地域貢献を果たすことを努力義務として規定するとともに、その地域貢献として開発事業者自らが都市基盤施設を整備することまたは整備に協力ができること、地域貢献の対象となる都市基盤施設の整備推進のため関係権利者で協議会を設置することを規定した。そして開発事業を「(都市再生緊急整備地域内で)都市開発諸制度等を活用した 0.5ha 以上の都市開発事業」、また対象となる都市基盤施設を「駅前広場、歩行者デッキ、道路等の池袋駅周辺の重要な公共施設」と定義づけた。この改正条例に基づき、開発事業者から都市基盤整備への協力金(寄附金)を募り、それを積み立て、東西の駅前広場や東西デッキ(南デッキ・北デッキ)、明治通りやグリーン大通り等の整備を行う際の財源に宛てていく仕組みである。この基金をはじめ国庫補助金、都市計画交付金等を最大限に活用し、一般財源負担を極力抑えて効率的に都市基盤の整備を進めていこうとしたのである。
 さらに令和2(2020)年2月、区はこの基金の対象となる都市基盤等の整備を進めていく上で民間都市再生事業等関係機関との協議を行うにあたり、事前に池袋エリアでの都市機能更新等の考え方を明示するための行政計画として、「池袋駅コア・ゾーンガイドライン」を策定した(※55)。
 このガイドラインは、池袋周辺地域再生委員会により策定された「池袋駅周辺地域まちづくりガイドライン」及び「池袋駅周辺地域基盤整備方針2018」を踏まえつつ、平成27(2015)年3月に策定した「都市づくりビジョン」の地域・テーマ別計画の一つに位置づけられた。その対象エリアは同基盤整備方針の中で示された「池袋駅コア・ゾーン」に加え、「都市づくりビジョン」において「多様な機能が集積・連携した高度な土地利用を図る」エリアとしている池袋副都心商業業務地のうち、池袋駅と東池袋駅をつなぐ各種のネットワークを一体的に検討することが必要な環状第5の1号線以西が含まれた。さらに目標年次も「池袋駅周辺地域まちづくりガイドライン」及び「都市づくりビジョン」の目標年次である2035年に設定され、このエリアを国際アート・カルチャー都市のメインステージとして育てていくために、①アト・カルを育てる、②公共空間を使う、③空間を生み出す、④空間をつなぐ、⑤景観をみがく、⑥環境と生きる、⑦災害に負けない、の7つのテーマのもとに優先的に取組むべき項目が挙げられた。その項目として基盤整備方針でも示されていた公園を核とするアート・カルチャー活動拠点のネットワーク化や歩行者優先の道路空間や駅前広場の創出、東西都市軸を中心とするみどりのネットワーク化などのほか、公共施設の見え方への配慮やアフター・ザ・シアターのための照明の設えなど、景観形成の視点に立った取組みが盛り込まれた。
 一方、区は池袋エリア内で活性化する民間再開発等と連携してまちづくりを進めるため、平成18(2006)年4月に都市計画決定して以来、10年以上にわたって運用し続けてきた「池袋駅周辺・主要街路沿道エリア地区計画」を見直すこととした。30(2018)年度からアンケート調査や地元説明会等を通じて検討を重ね、令和2(2020)年3月、同地区計画の変更を行った。
 この変更では都市再生緊急整備地域の指定等を踏まえ、それまで駅周辺中心部や主要街路の沿道に限定していた対象エリアを拡大するとともに、エリア内を東口4地区、西口3地区の7つに分割し、それぞれの地区ごとに地区計画を定めることとした。こうした区分けは住民アンケート等で一律的なルールではなく、地域の状況に応じたルール設定を要望する声が多かったことを踏まえたもので、7区分の地区計画に変更後、それぞれの地区のまちづくりの進捗や地域特性に応じてきめ細かなまちづくりルールを改めて定めていくとしたものだった。また建築・開発行為に一定の規制をかける地区計画と景観基準を設けて良好な景観を誘導していく景観計画との整合性を図るため、建築物等の形態・色彩・意匠に制限をかけるとともに、その内容を見直した。そしてこれに合わせて景観計画も令和2(2020)年6月と翌3(2021)年6月の2度にわたって改訂した。2(2020)年度の改訂では、地区計画の対象エリアの拡大に準じて「池袋駅東口駅前広場・グリーン大通り沿道景観形成特別地区」の区域を拡大し、その名称を「池袋駅東口周辺景観形成特別地区」に変更するとともに、区域全域共通の景観形成基準及び特徴ある5つの沿道エリアと3つの拠点ゾーンには個別の景観形成基準を定めた。また「グリーン大通り」の景観重要公共施設の指定内容に再整備の状況を反映させるとともに、南池袋公園を新たに景観重要公共施設に追加した。さらに3(2021)年度の改訂では池袋駅西口周辺地域を新たに景観形成特別地区に指定するとともに、区域及び景観形成基準等を定めた(※56)。
 こうしてまちづくりのガイドラインや地区計画、景観計画等を通して池袋のまちの骨格を描いていく作業が重ねられ、まちの将来像が徐々に明確になっていくなか、令和4(2022)年1月17日、高野区長は都市政策顧問の隈研吾氏とともに記者会見を開き、池袋のめざす将来像として「池袋駅東口と西口をつなぐウォーカブルなまちづくり」を発表した(図表4-31参照)。
図表4-31 池袋駅東口と西口をつなぐウォーカブルなまちづくり
 このまちづくり構想は、平成26(2014)年3月策定の「現庁舎周辺まちづくりビジョン」の中で示された新庁舎周辺エリアと旧庁舎周辺エリアを南北区道で結ぶダンベル型まちづくりをPhase1、令和元(2019)年の東アジア文化都市まちづくり記念事業における4つの公園を核としたまちづくりをPhase2とし、そして次のPhase3の段階に位置づけられたのが、東口のグリーン大通りと西口のアゼリア通りの2つのシンボルストリートを軸に東西をつなぎ、池袋エリア全体の回遊性を飛躍的に向上させようという「東西ダンベル構想」である。その背景には池袋西口の駅前街区再開発事業の計画が進む中で、駅前広場や交通広場、さらに駅からアゼリア通りへと人々を誘導する「駅まち結節空間(サンクンガーデン)」の整備が検討されていたことがあった。また東口についても令和2(2020)年3月に更新した「池袋副都心交通戦略」の中で、環状5の1号線の開通により駅前明治通りの車両通行を遮断するクルドサック化やグリーン大通りの広場化等の方向性が示されていた。そこで構想では、東西デッキの整備に向けた関係者間の調整に並行してこれらの計画を具体化し、区制施行100周年にあたる2032年を目途に歩行者優先の「ウォーカブルなまちづくり」を実現し、駅を挟んで百貨店等のビルが建ち並び、駅からまちへ人が出て行かない「駅袋(エキブクロ)」構造からの脱却をめざすとした。また比較的コンパクトなエリアの中に商業・文化・教育等の多様な機能が集積する池袋の地域特性を活かし、池袋らしいまちづくりを推進していくとした(※57)。
 高野区長もこの会見で、「池袋は戦後の闇市から発展した。『池袋らしさ』とは『ごちゃごちゃさ』『多様性』である。駅前の開発は進めていくが、西口のロマンス通り、恵比寿通り、西一番街等の繁華街や東口の美久仁小路などかつての面影が残っている部分は残していきたい」と述べ、再開発によりまちの姿をそっくり変えてしまうのではなく、池袋の昔ながらの猥雑さも残していくまちづくりの方向性を示した。
 このダンベル型のまちづくりを着想した隈氏は区制施行90周年記念誌のインタビューの中で、そのアイデアがどのように生まれたのか、またウォーカブルシティの未来像について次のように語っている(※58)。
 歩いていて自然に思いついたんですよ。意識の中では駅前の通りで分断された別区域だったのが、歩いてみたら「あれ?こんなに近かったんだ」って気づいて。それで新庁舎と旧庁舎、ふたつの核をダンベルとしてつなげば、実はひとつのまちだったんだと人々の意識が転換するのではとひらめいたんですね。池袋って、歩いてみるとまだまだいろんな発見があるまちですし、そもそも「ウォーカブルな都市」という素質を持っている。本当に深い魅力を持ったまちだと思います。
 駅をまたいだ東西をダンベルでつなぐのは、東京のどのまちでも実現できなかったことです。今までの都市、とくにターミナル駅周辺はどうしても鉄道のようなインフラで切断されてしまっていた。池袋はそうした構図を超えつつある。そうすると東西の文化の違いが触媒としておもしろい作用を起こしてくれると思いますね。
 高野区長は渋谷や新宿に比べて開発が遅れたとおっしゃいましたが、だからこそ、21世紀の都市が求める複合性や奥深さを、宝としてつないでくることができたと私は見ています。また戦後のヤミ市が池袋のエネルギーであり、池袋らしさだともおっしゃっていましたが、同感です。ヤミ市には人間のものすごいエネルギーが密集して、蓄積されて、土地に刻印されている。それを区長がうまい形で現代に呼び戻したと言えます。そうした区長のリーダーシップと時代の流れの相乗効果で、10年間で奇跡のような変化が起きた。人の意識が変わると、不思議なことにまちのリアリティも変わります。20世紀の価値観に替わる、世界が求めるものがアジアの都市、池袋から出て来たのは必然だと思います。僕の育った時代は日本が高度成長で、コンクリート中心の20世紀型だった。それを見て人間のまちとしてどうなのかと疑問を感じたのが原点なので、この90年から100年に向けて、新しい多様性のまちづくり、人が主役の「ウォーカブルシティ」がいよいよ形になって現れていくのが、本当に待ち遠しくてしょうがないです
 以上、平成27(2015)年以降の池袋エリアのまちづくりの動きをたどってきたが、本章第1節第1項の末尾に載せた27(2015)年までの年表に続き、27(2015)年分を再掲するとともに、28(2016)年以降の池袋のまちづくりの主な動きを以下にまとめる。

アニメの原点はマンガ、マンガの原点はトキワ荘-トキワ荘マンガミュージアム

 国際アート・カルチャー都市構想実現戦略は、「文化戦略」を第1の柱に掲げ、その中でも「サブカルチャーの魅力の普及拡大」を一番目に挙げている。2020東京オリンピック・パラリンピック大会の開催年を中間目標地点とし、豊島区の強みであるマンガ・アニメを活用し、「クールジャパンのショーケース」として世界から人を呼び込もうという戦略であった。令和元(2019)年開催の東アジア文化都市でも舞台芸術、マンガ・アニメ、祭事・芸能の3部門を柱に多彩のイベントが展開されたが、特に区はマンガ・アニメを前面に打ち出してアピールした。そこで東アジア文化都市の開催経緯を述べる前に、平成20年代後半以降のマンガ・アニメを活用したまちづくりの展開を以下に概略する。
 本節第1項で述べたように、平成20年代後半以降、池袋にはアニメやコスプレ関連のコンテンツが次々と進出し、池袋は「アニメの聖地」として認知されつつあった。そうした状況に拍車をかけたのは、平成26(2014)年10月にインターネット動画配信サービスを展開する「ニコニコ本社」が原宿から池袋に移転してきたことであり、これを機に、ドワンゴとアニメイトの両社に区も共催するかたちで「池袋ハロウィンコスプレフェス」が初開催され、日本最大級のコスプレイベントとして注目を集めた。
 こうした動きを捉え、区は翌平成27(2015)年からこのハロウィンイベントにアニメイトが毎年11月に開催している「アニメイトガールズフェスティバル」、さらに10月~11月にかけて池袋エリアで開催される様々なイベントを束ね、「池袋オータムカルチャーフェスティバル」として打ち出していった。池袋エリアの秋を彩る一大イベントとして一体的に情報発信することによる相乗効果、集客力の向上を狙ったもので、特にアニメ・コスプレ等のサブカルチャーを前面に押し出すことにより外国人観光客のインバウンド効果も期待された。初開催の27(2015)年には「池袋シネマチ祭 2015」、「ぶくろマルシェWEST」を加えた4つのイベントを束ねて開催し、またフェスティバル/トーキョーのオープニング「フェスティバル FUKUSHIMA!@池袋西口公園」やグリーン大通りでの3回目のオープンカフェ社会実験も同時展開した。翌28(2016)年以降も「池袋ハロウィンコスプレフェス」と「アニメイトガールズフェスティバル」の2大イベントを軸に、「大田楽いけぶくろ絵巻」や「としまマンガ・アニメフェスタ」など新たなプログラムを加えて毎年開催していった(※59)。
 なおこの「大田楽いけぶくろ絵巻」は平安時代から室町時代にかけて日本全国で大流行し忽然と消えた芸能「田楽」をもとに、狂言師五世野村万之丞(八世万蔵)氏が学者や音楽家、舞踊家たちと共に創り上げた総合芸術で、国内外で高い評価を得たものだった。平成16(2004)年に同氏が早逝された後、九世野村万蔵氏がこれを引き継ぎ、「街を舞台にしたパフォーマンス」として再構成・演出、日本古来の五色の衣装を身に着け、花を飾った笠を被り、楽器を囃して踊り舞うなかにコスプレイヤーたちとのコラボも盛り込まれた池袋ならではの野外パフォーマンスに仕立てられた(※60)。
 また平成29(2017)年3月には、池袋をメイン会場として国際アニメーション映画祭「東京アニメアワードフェスティバル」(主催:同実行委員会、一般社団法人日本動画協会)が開催された。同フェスティバルは前年まで日本橋(コレド室町「TOHOシネマズ日本橋」等)を会場としていたが、さらなるバージョンアップを図るべく、映画・イベント施設環境や交通利便性、アニメとの親和性、安全性、地域との連携、将来性等が高く評価されて池袋が新たな会場に選ばれたものである。3月10日~13日の4日間、池袋エリアの5つの映画館や生活産業プラザ、区民ひろば南池袋、WACCA池袋等を会場に、国内外からアニメ作品を公募する「コンペティション部門」、国内で上映・放映されたアニメ作品の中からベスト作品を選ぶ「アニメ・オブ・ザ・イヤー部門」、アニメーション産業及び文化の発展に寄与した人々を顕彰する「アニメ功労部門」の3つのアワード授賞式のほか、アニメ上映会や子ども向けワークショップなど盛りだくさんのプログラムが展開された。このイベントもまた翌30(2018)年以降、毎年開催され、区は春の「東京アニメアワードフェスティバル」、秋の「池袋オータムカルチャーフェスティバル」の2つのビッグイベントで世界中のアニメファンを呼び込み、2020年に年間100万人動員を目標に掲げ、「アニメの聖地・池袋」をアピールした(※61)。
 さらに平成29(2017)年12月8日、区はアニメイトと池袋PRアニメの共同制作に関する合意書を取り交わした。双方の情報・ノウハウ・資源等を相互活用し、制作費約3,000万円を等分負担して制作するこのPRアニメは、池袋のブランド力の向上とともに2020年に向けたインバウンドプロモーションの強化を目的とした。2020年の近未来の池袋を舞台に、ひとりの少女がふくろうの化身である少年に導かれ成長していく物語を通して「誰もが主役になれる街・池袋」の魅⼒を伝える内容で、背景には完成予定のHareza池袋や4つの公園、真っ赤なIKEBUSが走る街並みが描かれた。また主人公のふくろうを擬人化したキャラクターデザインコンテストを実施し、全国から寄せられた826点の作品の中から区・アニメイト・豊島区観光協会・池袋インバウンド推進協力会等で組織する「池袋PRアニメ制作実行委員会」による審査で最優秀賞作品を選定、そのデザインを原案としてプロのアニメーターにより本編のキャラクターが描かれた。また制作にあたっては、「魔法少⼥まどか☆マギカ」「〈物語〉シリーズ」など大ヒットアニメを手掛けたアニメ制作スタジオ・株式会社シャフトに委託、その「〈物語〉シリーズ」のオープニングディレクターを務めた髙津幸央監督をトップに、脚本は「弱虫ペダル」「夜明けを告げるルーのうた」などのヒット作で幅広い⽀持を集める吉⽥玲⼦⽒、主人公の声は若手人気声優蒼井颯太氏を起用するなど⼀流のスタッフ・キャストが結集した。約1年の制作期間を経て完成した本編動画(3分)とCM動画(30秒・15秒)は、31(2019)年1月からWEB配信を開始、また池袋東西駅前ビジョンや海外支店を含むアニメイト全店で放映するほか、「台湾道漫節」(台北)など海外アニメイベントに出展した(※62)。
 また中池袋公園については、4つの公園構想の中でも8つの劇場を擁するHareza池袋の前庭として「多様なカルチャーの中心地」に位置づけ、池袋西口公園のハイカルチャーに対して中池袋公園はサブカルチャーの発信地としての特色を打ち出していた。こうしたことからリニューアルにあたってはマンガ・アニメ関連イベントの開催に対応できる諸設備を施し、さらに令和元(2019)年10月には、園内に(株)アニメイトカフェが運営する「アニメイトカフェスタンド Hareza 池袋」がオープンし、隣接するアニメイト本店との連携により「アニメの聖地・池袋」の新名所になった。そのほか、池袋エリアのアニメ関連施設・ショップ等を案内する「池袋乙女マップ」の多言語展開や外国人向けインバウンドサイト「Puls1Day in IKEBUKURO」の中で外国人レポーターによる「アニメの聖地・池袋」の街歩き記事を掲載するなど、アニメやコスプレ等のサブカルチャーに特化した様々なプロモーション活動を展開していった。また平成31(2019)年1月には、それまでクラシック音楽を主とする音楽成人式として開催していた「成人の日のつどい」をアニメ成人式に変更し、人気アニメソングのコンサートとして開催、さらにコスプレ参加も歓迎するなど、新成人たちからも好評を博した(※63)。
「池袋ハロウィンコスプレフェス2014」(平成26年10月)
としま「成人の日のつどい」アニメで祝う成人式(平成31年1月)
池袋PRアニメ配信開始(平成31年1月)
中池袋公園「アニメイトカフェスタンド Hareza 池袋」
(令和元年10月)
 こうして様々な方法で「アニメの聖地・池袋」をアピールしていったが、しかし豊島区の強みは何と言ってもアニメの原点であるマンガ、そのマンガの原点と言われるトキワ荘がかつて椎名町にあったことである。
 トキワ荘を活用したまちづくりについては、第3章第1節第4項で平成28(2016)年9月に「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議」(以下「整備検討会議」)が設置され、再現施設の検討が開始されるまでの経緯をたどったが、昭和57(1982)年に解体されてから既に30年以上が経過し、時間とともにトキワ荘に関する地域の記憶が薄れていくことを危惧する地元住民らにとって、その復元や記念館の建設は長年の悲願であった。平成11(1999)年に2,000人を超える地元住民らの署名を付した「(仮称)『トキワ荘』記念館の建設についての陳情」が出されるなど、それまでにも何度か記念館建設の話はあったものの、具体化されるまでには至らなかった。それが28(2016)年7月7日、高野区長が月例記者会見で (仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備構想」を発表し、整備検討会議が設置されたことにより漸く具体化に向けて動き出したのである(※64)。
 この整備構想は、トキワ荘跡地に近接する区立南長崎花咲公園を整備候補地とし、建築基準法等現行法の範囲内で可能な限り当時の木造2階建てアパート「トキワ荘」を再現した建物を建設し、それをマンガ・アニメミュージアムとして開設するという計画で、2020年に向けた文化戦略の目玉事業に位置づけられた。平成28(2016)年度に整備検討会議で基本計画・展示内容等を検討し、29(2017)年度に建物及び展示の基本設計・実施設計、30~31(2018~2019)年度に建設工事を施工し、2020東京オリンピック・パラリンピック開会前の2020年3月を目途に開設するというスケジュールが組まれた。またこのマンガ・アニメミュージアムの整備は、南長崎地域全体でトキワ荘を活用した面的なまちづくりを推進するため、区内各所にモニュメント等を設置してきた「南長崎マンガランド事業」の一環に位置づけられ、同地域の回遊性の向上、活性化を目的とした。
 また整備検討会議での検討に先立ち、区はトキワ荘の復元に向けた基礎調査を実施し、平成23(2011)年6月に「トキワ荘マンガ文化の活用に関する基礎的調査報告書」、28(2016)年 3月には「トキワ荘等に関する基礎調査報告書」、「マンガ・アニメ、トキワ荘に関する意識調査報告書」をそれぞれまとめた。特に28(2016)年の「トキワ荘等に関する基礎調査報告書」では、設計図書や当時の記録がほとんど残されていないなか、関係者へのアンケートやヒアリング等を通じてトキワ荘の構造や外観、内部の間取りや各室のしつらえ、さらにマンガ家たちの当時の活動や周辺にあった店舗等に関する情報を拾い集め、トキワ荘の復元図を描き起こしていた(※65)。
 整備検討会議は国際アート・カルチャー都市懇話会の特別顧問を務めるマンガ家・里中満智子氏を座長に迎え、学識経験者、トキワ荘関係者、マンガ・アニメ関係団体、地域団体、区関係者等29名で構成され、これらの調査報告をもとに28(2016)年9月8日から約半年間にわたり6回の会議を重ね、翌29(2017)年2月に整備基本計画の素案を取りまとめた。そしてこの素案を公表してパブリックコメントを実施し、寄せられた意見を踏まえ、同年5月、「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備基本計画」を策定した(※66)。
 整備基本計画では、「マンガの聖地としまの象徴として、地域へ、世界へ、マンガ・アニメ文化を発信します」という基本理念をもとに、以下の4つの基本方針が掲げられている。
  • ① トキワ荘をテーマに、子どもからお年寄りまで幅広い年代の方々が楽しめ何度でも訪れたくなるよう、アミューズメント性を重視した事業活動を展開します
  • ② 現地を訪れる国内外の来訪者に対して、マンガ・アニメ文化を発信します。
  • ③ マンガ・アニメ文化を感じられるまちづくりを進める南長崎地域全域における拠点施設として、地域と一体となった活動を展開します。
  • ④ マンガの原点であるトキワ荘をスタートに、現代のアニメにつながる豊島区全体の回遊を促進します。
 この基本方針に基づき、調査、研究、情報発信、展示公開、教育普及、資料収集・保存、回遊促進、利用者サービス等の各事業活動のほか、常設・再現・企画展示の内容や施設整備・管理運営・事業推進の各計画の基本的な方向性が示され、特にトキワ荘の外観及びマンガ家たちが暮らした2階部分については、可能な限り忠実に再現していくとしていた(※67)。
 そして整備検討会議に引き続き、平成29(2017)年7月、同じく里中満智子氏を座長とする「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議」が設置され、展示・施設整備計画等のより詳細な検討が進められた。なお整備検討会議、展示・建築設計検討会議のいずれも毎回の検討経過が「会議通信」として逐一公表されており、会議で出された各委員の賛否含めた意見や提案も掲載されている。そうした意見等を集約しながら展示・施設整備計画の内容を詰めていくとともに、公園全体の整備計画も併せて検討し、実施設計に反映していった(※68)。
 平成30(2018)年6月、1年間にわたる検討を経て、南長崎花咲公園整備計画とミュージアムの実施設計が取りまとめられた。南長崎花咲公園総面積約2,200㎡のうち約302㎡に整備するミュージアム施設の概要は、地上2階建・鉄骨造+鉄筋コンクリート造、延床面積約560㎡の規模で、1階部分に企画展示室や情報コナーを配し、2階部分には廊下を挟んでマンガ家たちが暮らしていた14号室から22号室までの4畳半の部屋9室が並び、共同炊事場や便所も当時のままに再現する設計であった。また28(2016)年度の基本計画策定経費、29年度の展示・施設建築設計経費、また公園の再整備費も含め28~31年度の総整備費は約9億4,000万円(最終的には9億8,000万円)になることが見込まれた。(※69)
 区はこれらの整備費や開設後の運営経費に充てるため、平成30(2018)年2月から「トキワ荘関連施設整備寄附金」の募集を開始した。当初1億円を目標額としていた寄附金額は、4か月後の6月末時点で法人・個人含め297件、約1,245万円、翌年の31(2019)年4月時点で784件2億9,711万円と目標額を超え、さらに開館を間近に控えた令和2(2020)年6月には 960 件4 億 2,475 万円にのぼった。区はこれら寄附者に感謝状を贈呈するとともに、その名前をミュージアムエントランスに設置する銘板に刻むこととした(※70)。
 平成31(2019)年1月、いよいよミュージアム建築工事が着工された(※71)。
 翌令和2(2020)年3月の開館をめざし建設工事が進められるなか、区は平成元(2019)年第3回区議会定例会に施設設置条例案を提出、区議の議決を経て正式名称を「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」に決定した。また地元町会・商店街、区と協働でトキワ荘を活用したまちづくりを進める「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」からの要望を受け、南長崎花咲公園の通称名を「トキワ荘公園」とすることも決定された(※72)。
 こうして令和2(2020)年2月に建設工事が完了し、3月の開館を待つばかりとなったが、年が明けて猛威を振るいだした新型コロナウィルス感染症の拡大により、開館は4か月間の延期を余儀なくされた。この間、区はミュージアムの公式ホームページやSNSアカウントを開設し、トキワ荘やミュージアムの見どころに関する情報を積極的に配信、それが様々なメディアで紹介されて注目を集め、開館への期待が高まっていった。また感染症対策として開館後も当面は予約入館制とし、6月28日から公式ホームページや電話での事前受付を開始したが、8月末までの2か月間で受付数は16,000人を超え、予約待ちが出るほどの人気ぶりだった(※73)。
 そして令和2(2020)年6月27日、ミュージアムを前にした公園にトキワ荘関係者や地元住民ら約200名が参列して開館記念式典が盛大に執り行われ、その後3日間の関係者及びトキワ荘関連施設整備寄附金寄附者を対象とする内覧会に続き、7月7日、一般公開が開始された。当日、としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会会長や第1号の来館者らとともにテープカットを行った高野区長は、「3 月 22 日に予定していた開館が延期となり、本日待ちに待った開館を迎えることができた。設計図も資料もない中、調査を重ね、地元の皆さんの協力を得て 4 年かかってようやく復元が出来た。まさに、地元の皆様の熱い思いがつくり上げたミュージアム。これから、マンガ文化を発信していく拠点となるよう、皆さんと共に育てていきたい」と挨拶した(※74)。
 オープンしたミュージアムの外観は汚れやさびに至るまで当時の状況がそのまま写し出され、またギシギシときしむ階段や生活感漂う共同炊事場・トイレ、4畳半の窓には当時の眺めを再現するなど、細部にわたって様々な工夫が施され、来館者からは「本当に復元されて夢のよう。細かいところまで再現されてあり、作り手の方が楽しんで愛をもって作っていることが分かり、とても楽しかった」といった感想が聞かれた。また開館記念企画展「漫画少年とトキワ荘~トキワ荘すべてはここからはじまった~」(会期:7月7日~9月30日)は、トキワ荘に暮らしたマンガ家たちがこぞって投稿した伝説のマンガ雑誌『漫画少年』120冊を一挙展示するほか、この年の2月26日に警視庁池袋署第五方面記者クラブから区に寄贈されたトキワ荘解体時に手塚治虫が「リボンの騎士」と自画像を直筆して若手記者たちに贈った天井板、マンガ家たちが寄せ書きした「トキワ荘の襖」などの貴重な資料が展示された。さらに8 月4日にはトキワ荘でのマンガ家たちの暮らしぶりを彷彿とさせる内観ジオラマも新たに設置され、開館2か月で来館者は15,000人を超えた。またミュージアムのオープンと同時に、「トキワ荘通りお休み処」に隣接してトキワ荘ゆかりのマンガ家たちの作品約6,000冊を自由に手に取って閲覧できる「トキワ荘マンガステーション」が開設され、ミュージアム来館者がお休み処やマンガステーションにも足を延ばし、トキワ荘通りを往来する人々が増え、地元住民からは「こんなに人が通りに溢れ、活気づいているのを見るのは久しぶり」という声があがったほどだった。
 以後、この開館記念企画展に続き、ミュージアムではトキワ荘の記憶をたどる様々な特別企画展が開催された。主な企画展の概要は以下の通り(※75)。
  • ◆トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展(会期:2020年10月30日~2021年3月28日)
    トキワ荘のマンガ家たちから「テラさん」の愛称で呼ばれ、兄貴分として慕われた寺田ヒロオの直筆原稿をはじめインタビュー記事や寄稿文等を展示、マンガに対する強い思いを抱いていた寺田のマンガ家としての顔を紹介
  • ◆トキワ荘と手塚治虫-ジャングル大帝の頃-(会期:2021年4月7日~9月5日)
    手塚治虫がトキワ荘に住んでいた1953年初旬から1954年10月のわずか2年弱の間に描いた「ジャングル大帝」等の作品やエピソード・直筆原稿の展示ほか、トキワ荘のマンガ家たちとの交流など、トキワ荘と手塚治虫との関わりを紹介、劇場版「ジャングル大帝」上映
  • ◆トキワ荘の少女マンガ(会期:2021年9月18日~12月5日)
    トキワ荘に暮らしたマンガ家たちの多くが「少女マンガ」を描いていたことに焦点をあて、直筆・複製原稿や掲載誌・単行本などを展示、少女向け雑誌で活躍していた当時のマンガ家たちのあまり知られていない新たな魅力を紹介
  • ◆鉄腕アトム-国産初の30分テレビアニメシリーズ-(会期:2021年12月18日~2022年4月10日)
    日本のアニメーションに大きな足跡を残したアニメ「鉄腕アトム」、1963年1月1日の放送開始から1966年までに193本が制作され最高40.3%、平均25%の高視聴率を記録した人気番組の絵コンテや台本等の貴重な資料や「複製セル画」による制作方法を紹介、第一話上映
  • ◆オトメイトブランド15周年記念「トキワオトメ」(会期:2022年4月16日~6月26日)
    トキワ荘のマンガ家たちが少女マンガ作品を描いたように、「永久不変なオトメたちの恋心」をゲームという形で表現するゲームブランド『オトメイト』、地元南長崎創業のゲームメーカー「アイディアファクトリー」が誕生させたオトメイトブランド作品やゲーム制作、メディア展開などを紹介
  • ◆藤子不二雄Ⓐのまんが道展(2022年11月12日~2023年3月26日)
    2022年4月6日に逝去した藤子不二雄Ⓐの代表作で自身が歩んできた漫画人生をモチーフに描いた「まんが道」、その直筆原稿ほか藤子Ⓐ所蔵の「トキワ荘14号室の壁」を特別展示、作品の舞台となったトキワ荘での暮らしや、仲間たちとの交流を紹介

※67 (仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.01(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.02(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.03(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.04(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.05(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.06(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議通信 vol.07

※68 (仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.01(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.02(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.03(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.04(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.05(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議通信 vol.06

※69 (仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備について(H300702・H301203子ども文教委員会資料)

※70 豊島区トキワ荘関連施設整備寄附募集について(H300226・H301003子ども文教委員会資料)H310422プレスリリースR020207プレスリリース

※71 「いよいよ着工 トキワ荘再現(仮称)マンガの聖地としまミュージアム」について(H310111区長記者会見資料)(仮称)マンガの聖地としまミュージアム新築工事請負契約について(H301130総務委員会資料)(仮称)マンガの聖地としまミュージアム新築工事請負契約の一部変更について(R011129総務委員会資料)

※72 豊島区立トキワ荘マンガミュージアム条例について(R011002子ども文教委員会資料)トキワ荘マンガミュージアムについて(R020225子ども文教委員会資料)条例施設の通称名使用について(トキワ荘公園)(R020225都市整備委員会資料)

※73 R020228プレスリリースR020526プレスリリース

※74 豊島区立トキワ荘マンガミュージアム開館について(R020627区長記者会見資料)R020707プレスリリース

※75 R021030プレスリリーストキワ荘マンガミュージアム特別企画展「トキワ荘と手塚治虫」(R030406記者会見資料)R030917プレスリリースR031217プレスリリースR040418プレスリリースR041111プレスリリース

 こうした企画展のほか、地域の文化資源であるトキワ荘を子どもたちにも知ってもらおうと、地元の小学校児童や幼稚園児等を対象とする見学会を開催するほか、通常の開館時間(10 時~18 時)内に来館できない人たちに向けて夜のトキワ荘の佇まいや雰囲気を体感してもらう「ナイトミュージアム」を開催し、ミュージアム来館者層の拡大を図っていった。また7月7日の開館記念日に合わせた七夕飾りの周年記念イベントのほか、令和3(2021)年度からは「トキワ荘のまち4コママンガ大賞」作品募集を開始、地域との協働によるイベントを展開していった。またミュージアムのショップ兼案内処の機能を担う「トキワ荘通りお休み処」や「トキワ荘マンガステーション」の各拠点間の連携により、お休み処の来館者はミュージアム開館後に150%増加し、開設から令和2(2020)年11月末時点までの8年間の延べ来館者数は10万人を突破した。またミュージアムの来館者数も翌3(2021)年9月に5万人を超え、5(2023)年1月には開館から2年半で10万人を突破した(※76)。
 さらに令和3(2021)年9月、区はトキワ荘通りに面する「味楽百貨店」の建物を活用して新たな文化施設を整備することとし、その活用方法等を検討するため、地域団体やマンガ・アニメ関係者等をメンバーとする「味楽百貨店整備・活用検討委員会」を設置した。
 この「味楽百貨店」は戦後の昭和 20 年代前半に建設された「一棟式マーケット」で、こうした戦後マーケットが姿を消しつつあるなか、当時の間取りや設備を保ったまま現存していた。地域住民の生活を支えてきた昭和の香り漂うこの建物を地域の文化資産として保存活用し、かつトキワ荘マンガミュージアムと連携して運営することにより、まちの回遊性をさらに高めていこうとしたのである(※77)。
 同検討委員会は同年11月に整備基本計画の素案を取りまとめ、パブリックコメントを経て翌令和4(2022)年2月に整備計画案を区に報告した。この報告を受け、区は3月に「トキワ荘通りの新たな文化施設整備基本計画」を策定した(※78)。
 この整備基本計画では「古き良き昭和の歴史・文化を次世代に継承するため、トキワ荘マンガミュージアムと連携し、地域が一体となって誰もが戦後を中心とした豊島区の街並みや歴史・文化に触れることができる機会を創出する」ことを基本方針に掲げ、現状を活かした施設整備計画や「しる・つなぐ・つくる『昭和の歴史・文化とマンガ・アニメがつくる新たな未来』」というテーマに基づき、展示公開・教育普及・回遊促進・情報発信等の事業計画、ミュージアムと連携した管理運営計画が示された。その施設整備計画では建物1階と2階に企画展示やイベント等に活用できる多目的室を設けるとともに、1階の一部に民間施設を誘致し、また2階の和室部分は昭和の暮らしや区の歴史・文化等を紹介するテーマ展示を行うスペースとするゾーニングが行なわれた。また建物前面のファサード(「味楽百貨店」の文字看板)はそのまま残し、全体として昭和の雰囲気を感じられる内装・外装を施す計画であった。
 この計画に基づき、区は建物所有者と賃貸借契約を結び、6月から内装工事や展示物の製作を進める一方、令和4(2022)年第2回区議会定例会に施設設置条例案を提案し、区議会の議決を経て施設名称を「豊島区立昭和歴史文化記念館」に決定した。また地元からの要望を受け、施設の愛称を「トキワ荘通り昭和レトロ館」とした(※79)。
 こうして令和4(2022)年3月31日、第1弾として1階の民間施設部分に一般社団法人マンガナイトが運営する「マンガピット」がオープンした。このマンガピットは「これも学習マンガだ!~世界発見プロジェクト~」で選出された作品を中心に、学びにつながるマンガや学習漫画を楽しめる施設である。これに続いて同年11月3日、「トキワ荘通り昭和レトロ館」が全館オープンした。この開館と区制施行90周年を記念し、1階の多目的室では「これも学習マンガだ!展」が、2階多目的室では特別企画展「タイムトリップ豊島区の90年」が開催され、昭和・平成と現在を比較する街並み写真展示やかつての「人世横町」を再現したジオラマが展示された。また2階の各展示室では豊島区が誕生した昭和7(1932)年と現在の池袋駅構内をトイレールで再現した「おもちゃの鉄道DE池袋駅」や郷土史家・矢島勝昭氏が昭和10~20年代の日常生活を描いた原画を展示する「昭和の暮らしギャラリー」、昭和40年頃の暮らしを再現展示した部屋や昭和のおもちゃコレクションなど部屋ごとに異なる年代・テーマの展示がなされ、来館者は戦前から戦後までそれぞれの昭和の時代を懐かしく振り返っていた(※80)。
 こうしてマンガ・アニメを活用したまちづくりでも、南長崎(旧椎名町)地域では「トキワ荘のあったまち」として「昭和」の時代に焦点をあて、アニメの聖地・池袋とは異なる特色づけがなされていった。これもまた地域ごとに特色を打ち出していくことにより、豊島区の文化の多様性、奥行きの深さをアピールする取組みと言えた。
第1回「マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議」
(平成28年9月)
「トキワ荘マンガミュージアム」開館(令和2年7月)
ミュージアム2階再現部屋展示
トキワ荘マンガステーション
特別企画展「トキワ荘と手塚治虫」(令和3年4月)
「トキワ荘通り昭和レトロ館」開館(令和4年11月)

東アジア文化都市-国家的プロジェクトへの挑戦

 平成29(2017)年8月1日、文化庁が主導する国家的文化交流プロジェクト「東アジア文化都市」の2019年開催候補都市に豊島区が決定された(※81)。
 この「東アジア文化都市」は日中韓文化大臣会合での合意に基づき、毎年、日本・中国・韓国の3か国から文化芸術による発展を目指す都市を選定し、現代の芸術文化や伝統文化、また多彩な生活文化に関連する様々な文化芸術イベント等を実施し、それにより東アジア域内の相互理解・連帯感の形成を促進するとともに、東アジアの多様な文化の国際発信力の強化を図ることを目的とした。国際アート・カルチャー都市懇話会会長の近藤誠一氏が文化庁長官を務めていた平成23(2011)年の日中韓文化大臣会合で日本が提案し、中韓両国の合意を得て26(2014)年からスタートしたプロジェクトである。同氏がこの提案を行ったのは外交官として40年に及ぶキャリアを通じ、経済力が低下してきた日本が活力を取り戻すためには文化に活路を見いだすべきである、また政治や経済は国家間の分断や格差を招くが文化は人々を結びつける力があると考えるようになったこと、さらに文化庁長官として日本全国を視察して回る中で各地方の豊かな文化に目を向けるようになったことがきっかけだという。EUの「欧州文化都市」をモデルに、国の主権や建前を一旦わきに置き、そこから離れた自由な都市間の交流事業としたことにより、尖閣諸島問題や慰安婦問題等、国家間に緊張関係があったなかでもこのプロジェクトは開催され続けた。
 第1回目となる2014年の開催都市に横浜市が選ばれて以降、2015年新潟市、2016年奈良市、2017年京都市、2018年には金沢市がそれぞれ選定されていた。そして平成28(2016)年9月9日、高野区長は同日開会の区議会第3回定例会の招集あいさつで、これら5都市に続く2019年開催都市に立候補することを表明した。だがこの5都市はいずれもが人口規模、財政規模ともに豊島区より遙かに大きな政令指定都市や中核市で、しかも日本の歴史文化を代表する都市として名の知られたところばかりが居並ぶなか、東京23区の中の1区に過ぎず、人口30万人に満たない豊島区が名乗りを上げたことには無謀という声も聞かれた。
 しかしそうした声がある中でも区は年度途中の平成29(2017)年1月に急遽、専管組織として「東アジア文化都市推進担当課長」を新設し、29(2017) 年度に実施される公募選考に向けて準備を進め、同年5月、文化庁に企画提案書を提出し、正式に立候補した。またこの提案書による書面選考に続いて実施されたプレゼンテーション審査では、高野区長自らが説明者となり、東アジア文化都市の開催はそれまでの区の文化政策や国際アート・カルチャー都市構想の実現に向けた取組みの集大成に位置づけられるものであることや、2019年に完成するHareza池袋の新ホールや4つの公園など「まち全体を劇場化」して展開する事業内容、1,200人を超える国際アート・カルチャー特命大使をはじめとする「オールとしま」による実施体制について熱く訴えた。なかでも特に、世界が注目する東京オリンピック・パラリンピック大会を目前に控えた2019年に都と緊密に連携して東アジア文化都市を東京で開催することによる相乗効果や、30万人規模の都市であっても事業を実施できることを実証することにより、持続可能な「東アジア文化都市」のモデルを示していくことをアピールした。さらに都も、もし2019年開催都市に豊島区が選定されれば池袋を中心に芸術文化の魅力発信が国内外に波及し、東京、ひいては日本にとっての新しい文化拠点の創出という2020大会のレガシーへつながることから、開催都市の選定にあたって豊島区を強く推薦する都知事名の要望書を文化庁長官に提出し、全面的にバックアップする姿勢を示していた。こうした区長の並々ならぬ熱意や都との連携体制が評価され、2019年開催候補都市に選定されるに至ったのである(※82)。
 この選定結果が公表された8月8日、高野区長は記者会見を開き「東京都と豊島区の二人三脚で勝ち取った結果である」と述べるとともに、区ホームページに以下のコメントを発表した。そこには大きな競技場を持たない豊島区が2020年東京オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導し、かつ文化的レガシーを次世代に引き継いでいくためには、2019年に「東アジア文化都市」を豊島区で開催するしかないという強い思いが込められていた(※83)。
 東アジア文化都市を開催することは、『国際アート・カルチャー都市』を掲げる豊島区にとって、まさに悲願でありました。それゆえに、豊島区の文化政策の集大成及び、さらなる国際都市推進の起爆剤に位置付け、2019年の開催都市に立候補しました。
 2020年東京オリンピック・パラリンピックを目前に控えた2019年、世界の耳目が東京に集中し、もっとも機運が高まっているこのタイミングに豊島区で開催することで、豊島区のまちの魅力を世界に向けて発信する絶好の機会と捉えております。
 この事業は、これまで、日本を代表する錚々たる文化都市が担ってきました。この事業を豊島区が引き継ぎ、成功に導くために、東京都のお力添えをいただきながら、区民の皆さんと一体となって、今後準備を進めてまいります。
 そしてこの選定結果を広く区民に周知し、「オールとしま」による推進体制を築いていくため、10月3日、立教大学タッカーホールに1,000人を超える区民や国際アート・カルチャー特命大使を集めて「2019年『東アジア文化都市』国内候補都市決定報告会」を開催した。この報告会では高野区長による選定審査でのプレゼンテーションの再現ほか、近藤誠一都市懇話会会長による基調講演が行われ、また10月13日に発足させる準備委員会の全体統括として吉岡知哉立教大学総長、舞台芸術部門ディレクターとして宮城聡氏が紹介された。立教大学とはこの年の7月26日に「2020 年東京オリンピック・パラリンピック事業における連携協力に関する協定」を締結してスポーツ分野での連携を開始していたが、この総長の全体統括就任により、「東アジア文化都市」事業においても同大学が産官学連携の要の役割を果たしていくことになった(※84)。
 また区広報紙やホームページ等を通して区民への周知を図るとともに、翌平成30(2018)年6月~7月には「東アジア文化都市」のシンボルとなるロゴマーク3案について広くアンケートを実施した。回答総数23,063票のうち11,073票を集め、その結果、「TOSHIMA」の「T」の文字をモチーフに色とりどりの組紐で結び目が描かれ、日本・中国・韓国の3か国の結束と躍動を表現した案が選定された(※85)。
 さらに2019年開催に向けた推進体制として、7月5日に区長を本部長に区幹部職員50名で構成する「東アジア文化都市2019豊島推進本部」を設置、続いて7月17日には国際アート・カルチャー特命大使や文化・芸術、まちづくり、福祉、教育などあらゆる分野の活動団体代表ら総勢350名からなる「東アジア文化都市2019豊島推進協議会」(以下「東アジア文化都市推進協議会」)を立ち上げた。またこの協議会の発足同日に記者会見を開き、前年10月に発足させた準備委員会で検討を重ねてきた「東アジア文化都市2019豊島基本計画」を発表した(※86)。
 この基本計画ではそれまでの取組み経緯を踏まえ、①豊島区民の全員参加、②豊島区の文化の再認識を通じたシビックプライドの醸成、③国内外の人々の来訪による豊島区のブランディング、④各種施策横断によるオールとしまとしての事業展開、⑤豊島区の未来を担う人材の育成、⑥東アジア文化都市事業の継続性のあるモデルの提示、⑦東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた機運の醸成及びリーダーシップの発揮、の7つの目標が掲げられた。また2月1日の東京芸術劇場での開幕式典から11月24日のHareza池袋芸術文化劇場での閉幕式典まで、特に両式典に照準を合わせた春と秋をコア期間とし、「はらはら、どきどき、文化がいっぱい。」のコンセプトのもと、年間を通して祝祭性のある事業を展開していくとした。さらに「舞台芸術」・「マンガ・アニメ」・「祭事・芸能」の3つを事業の柱とし、その3部門の各ディレクターの企画により新規に実施する「ディレクター事業」、既存事業を中心に官民協働で実施する「パートナーシップ事業」、ロゴ等の広報ツールを活用して連携を図る「フレンドシップ事業」の3つの枠組みが設けられた。そして既に就任が決定していた舞台芸術部門の総合ディレクター宮城聡氏に加え、アニメ・文化部門の総合ディレクターには日本アニメーション協会会長の古川タク氏、祭事・芸能部門の責任者には東澤昭としま未来文化財団常任理事がそれぞれ就くことになった。さらにこの「東アジア文化都市2019豊島」の開催を記念し、Hareza池袋をはじめ池袋周辺4公園の整備、真っ赤な電気バスの導入、ウイロードの再生、トキワ荘の再現等のまちづくり事業を展開していくとした。
 こうして2019年開催に向けて着々と準備が進められるなか、平成30(2018)年8月30日、中国ハルピン市で開催された第10回日中韓文化大臣会合において、中国・西安市、韓国・仁川広域市とともに豊島区が東アジア文化都市2019開催都市に正式決定された(※87)。
 西安市は人口約825万人、面積10,108㎢の中国西北地方の政治・経済・文化の中心地でシルクロードの起点にあたり、旧名の「長安」は紀元前 11 世紀から約 2000 年の間に秦、漢、隋、唐など12の王朝の都として栄え、紀元前 3 世紀に天下統一を果たした秦の「始皇帝陵」やその墓を守る「兵馬俑」などの世界遺産を誇る歴史文化都市である。一方、仁川広域市は人口約302 万人、面積1,063㎢の韓国西北部の黄海に面した港湾都市で、人口はソウル、釜山についで韓国内第3位。国際交易港である仁川港の繁栄とともに発展し、2001 年に仁川国際空港が開港したことにより新しい韓国の空の玄関口、東北アジアの交通のハブ、国際物流の中心都市として注目を集めていた。
 いずれも人口約29万人、面積13.01㎢の豊島区とは比べようもない大都市であったが、この文化大臣会合に日本の開催都市代表として出席した高野区長は、文化によるまちづくりでは決して引けを取らないと自負し、会合翌日の31日に開催された文化フォーラムでは「マンガの聖地」、「アニメの聖地」としての区の取組みをプレゼンテーションし、中韓両国関係者たちの高い関心を集めた。これに手応えを感じた区長は、2019年の開催プログラムの中でも特にアニメに重点を置いて豊島区の独自性を打ち出していこうと考えるに至ったのである。
 一方、文化大臣会合での正式決定を受け、9月10日、区はそれまで暫定的な位置づけだった準備委員会を改組し、「東アジア文化都市2019豊島実行委員会」(以下「東アジア文化都市実行委員会」)として正式に設置、その第1回会議が開催された。この実行委員会は、区長を委員長に町会・区民ひろば等の地域団体、商工関係団体及び区内企業、文化・教育・福祉・安全等各分野の関係団体、区内警察署・消防署等の各代表者及び区職員の100名から構成され、事業計画の策定や事業実施に関することを協議する場として位置づけられた。なお同日には第2回目の東アジア文化都市推進協議会も開催されているが、前回の7月には約350名だった委員数はこの時には顧問約 100 名、この時点で委員約 600 名と倍増し、最終的に開催時には特別顧問・顧問145名、委員1,040名の大応援団へと拡大していった。
 以後、「東アジア文化都市2019豊島」事業は同実行委員会の主催のもとで実施されることになり、7月に策定した基本計画をベースに、12月にはより具体的な実施内容が盛り込まれた「東アジア文化都市2019豊島実施計画」が策定された。
 この実施計画では、事業の中核をなす「スペシャル事業」に加え、民間団体が実施する取組みを対象に公募し、それに対して実行委員会が助成する「パートナーシップ事業」と、広報等で連携する「フレンドシップ事業」の3つの枠組みが改めて設定された。このうち「スペシャル事業」には開幕・閉幕式典のほか、舞台芸術、マンガ・アニメ、祭事・芸能の3部門の各ディレクターが統括する「ディレクター事業」、未来を担う人材育成を目的とする「子ども向け事業・青少年文化交流事業」、区やとしま未来文化財団が主催・共催・助成等を行う「国際アート・カルチャー都市推進事業」が盛り込まれた。そして「ディレクター事業」には、舞台芸術部門では子どもから大人まで全世代が楽しめる体験型出張プログラム「アトカル・マジカル学園」、御会式がテーマのツアーパフォーマンス「御会式と鬼子母神にまつわる演劇プロジェクト」、近藤良平構成・振付による新作ダンス公演「Bridges to Babylon」、インド古代叙事詩をもとに壮大な愛の物語を描き出す宮城聡演出の祝祭音楽劇「マハーバーラタ」など、またマンガ・アニメ部門では区庁舎を会場とするオープニング展示や「マンガ・アニメ区役所」、巡回型ワークショップ「としマンガとしアニメキャラバン」のほかトキワ荘マンガミュージアム開設に向けた地域密着型プログラム、祭事・芸能部門では「伝統芸能@野外公演」、「大田楽いけぶくろ絵巻」など多彩なプログラムがラインナップされた。さらに「国際アート・カルチャー都市推進事業」も同様に3つの部門ごとに、「F/T」や「東京芸術祭」等の舞台芸術イベント、「東京アニメアワードフェスティバル」や「池袋ハロウィンコスプレフェス」、「アニメイトガールズフェスティバル」等のアニメ・マンガ関連イベント、「東京大塚阿波おどり」や「ふくろ祭り」「東京よさこい」等の地域の祭事が盛り込まれたほか、「池袋ジャズフェスティバル」や東京都交響楽団による「TOKYO MET SaLaD MUSIC FESTIVAL(サラダ音楽祭)」、「パラアートTOKYO」、「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」、「アートオリンピア 2019」等の音楽・アート関連イベントも同事業に位置づけられた(※88)。
 そしていよいよ3か月後に開幕が迫った11月6日、帝京平成大学沖永記念ホールに約1,500名の区民を集め、キックオフイベントとなるシンポジウムが開催された。このシンポジウムでは日本のアニメ産業100周年を記念して日本動画協会が制作した『アニメNEXT_100』が上映されたほか、新たに制作した「東アジア文化都市2019豊島」のプロモーション映像も初公開され、またフィナーレではコスプレイヤーと「東京よさこい」のコラボレーションパフォーマンスが繰り広げられ、開幕に向けた機運が一気に高まった。このプロモーション映像は人気アニメーターの久野遥子氏が作画監督を務め、実写映像をアニメーションに描き起こす「ロトスコープ」という技法を採用し、「しまこちゃん」というひとりの少女が鬼子母神やトキワ荘など豊島区の歴史と魅力を発見していく物語が描かれたもので、区は「東アジア文化都市2019豊島」の事業期間中、このプロモーション映像と前述したアニメイトとの共同制作による「池袋PRアニメ」を活用し、「アニメの聖地」をアピールしていった(※89)。
 続いて12月13日には文化庁との共同記者会見を開催し、宮田亮平文化庁長官と高野区長のほか、吉岡知哉全体統括や3部門の各ディレクター・責任者も同席して部門ごとの事業コンセプトやディレクター事業として実施する新規15演目を発表するとともに、「東アジア文化都市2019豊島年間プログラム」を公表した。同プログラムには年間を通じて展開する主な事業約60事業がラインナップされているほか、プロモーション映像や区立小中学校全児童・生徒が取り組む「10,000人で歌う『わたしは未来』プロジェクト」等が紹介されている(※90)。
 こうした様々な準備段階を経て、平成31(2019)年2月1日、東京芸術劇場において開幕式典が盛大に挙行された(※91)。
 この開幕式典には共同主催者として浮島智子文部科学副大臣、宮田亮平文化庁長官のほか、西安市・仁川広域市の両副市長も遠路出席し、さらに来賓として林芳正前文部科学大臣をはじめ山口那津男公明党代表、小池百合子東京都知事、程永華中華人民共和国大使館特命全権大使、黄星雲駐日韓国大使館韓国文化院院長、西川太一郎特別区長会会長、姉妹都市・友好都市の各首長ほか国会議員・都議会議員・区議会議員及び各議長らが多数列席し、この「東アジア文化都市」が国家的プロジェクトであることが改めて認識された。
 オープニングは公募による小学生など総勢150名の子どもたちによる「わたしは未来」の合唱、これに続いて名誉区民で人間国宝の野村萬氏による奏上が会場に響き渡り、主催者あいさつや来賓祝辞等のセレモニーの後には、仁川広域市から仁川市立舞踊団による舞踊が、西安市からは唐詩吟詠や尺八独奏が文化交流公演として演じられ、そして最後はアニメソング界の帝王と呼ばれる水木一郎氏をスペシャルゲストに迎え、アニメ音楽オーケストラコンサート「アニケストラ」で締めくくった。約2,000人が詰めかけた会場内は終始、熱気にあふれ、華々しい幕開けとなった。
 なおこの開幕式典は西安市(3月27日)、仁川広域市(4月26日)でもそれぞれ開催され、豊島区からは「東京よさこい」チームや「東京大塚阿波おどり」の新粋連が派遣され、豊島区の多様な文化の魅力を披露するとともに、それぞれの国での新たな相互交流の場になった。
 そして区では開幕式典と同日、新庁舎と東京芸術劇場でマンガ・アニメオープニング展示がスタートしたのを皮切りに、3月14日には舞台芸術部門の公演内容を発表する「キックオフ・トーク」イベント、4月28日にはマンガ・アニメ部門の巡回型プログラム「としマンガとしアニメキャラバンvol.1」が開催された。
 以後、舞台芸術部門では全世代向け体験型アートイベント「アトカル・マジカル学園」が区内各地でシリーズ展開され、マンガ・アニメ部門では「マンガ・アニメ区役所」や「謎解きウォークラリートキワ荘の記憶『消えたフクロウを追え!!』」等のイベント開催に加え、特設サイト「マンガ・アニメ 3.0」を開設して「機動戦士ガンダム」富野由悠季総監督のインタビューを掲載、また祭事・芸能部門では狂言師野村万蔵総合演出、クリエイティブカンパニーNAKED(ネイキッド)空間演出による「大田楽いけぶくろ絵巻」など、各部門のスペシャル事業が次々と開催され、様々なパートナーシップ事業やフレンドシップ事業も地域の中で展開されていった(※92)。
 一方、3都市の間では青少年交流事業として8月12日~15日に西安市で「中日韓青少年百メートル絵巻唐詩書写イベント」が開催され、豊島区からも書道教室に通う生徒19名に先生も含めた27名が派遣され、子どもたちによる国際交流が図られた(※93)。
 さらに9月3日~8日には高野区長を団長に観光協会や町会・商店街等の地域団体代表に区議会議員や区職員が加わった総勢151名の「東アジア文化都市2019豊島視察交流団」が西安市・仁川広域市を訪問し、両市との交流を図った。なかでも仁川広域市への視察については、当時、戦後最悪と言われるほど日韓関係が悪化する中で実施が危ぶまれる局面もあったが、しかし両国の関係が難しい時だからこそ文化による都市間交流を進めようと決行され、仁川広域市関係者との親交を深めることにつながった。またこうした官民一体の大規模な視察・交流はそれまでの東アジア文化都市開催都市でも例がなく、新しい相互交流のモデルを示すものとなった。
 こうして2月1日の開幕式典から春、夏、秋と様々な事業が展開されていき、11月1日、ついにHareza池袋の芸術文化劇場がオープンの日を迎えた。
 杮落とし公演のひとつとして「コンドルズ×豊島区民 Bridges to Babylon」が上演され、そしてこの開館に照準を合わせた秋のコア期間には祭事・芸能部門のスペシャル事業「伝統芸能@野外公園」として、東池袋中央公園に設置された特設舞台で民俗舞踊フェスティバル「このほしでひとはおどる」や「IKEBUKURO薪能」が開催されたのをはじめ、舞台芸術部門では鬼子母神御会式開催に合わせた「Oeshiki Projectツアーパフォーマンス」、リニューアルした池袋西口公園での「マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~」の公演が行われ、さらにマンガ・アニメ部門では区庁舎を会場にマンガ・アニメの未来を描くボーダレス・カンファレンス「国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(IMART)」が開催されるなど、池袋のまち全体を舞台に多彩なプログラムが展開された。また11月2日には芸術文化劇場開館後初の国際公演として「《東アジア文化都市2019豊島》交流事業特別公演」が開催され、仁川広域市からは同市を代表する「ウェスト・ウィンド・オーケストラ」、西安市からは中国西北地方の伝統劇団「西安三意社」、そして豊島区からは本格的な殺陣を演劇に採り入れたユニット「30-DELUX」が出演し、3都市の公演団が競演した(※94)。
 一方、11月1日のHareza池袋オープンの日には、リニューアルオープンした中池袋公園で池袋の新たなシンボルとなる真っ赤な電気バス「IKEBUS(イケバス)」の出発式が行われ、さらに同月16日は池袋西口公園がリニューアルオープン、12月1日には池袋の東西を結ぶウイロードの完成記念式典が開催されるなど、東アジア文化都市まちづくり記念事業に位置づけられた主要プロジェクトが次々と完成を見ていった。このHareza池袋のオープンはまさに「東アジア文化都市2019豊島」のクライマックスシーンと言うべきものだったのである。
 そして翌2・3日の2日間にわたり、Hareza池袋エリア内の各所を会場に「池袋アニメタウンフェスティバル」が開催された。このフェスティバルは東アジア文化都市事業を展開する中で、マンガ・アニメこそが世界共通の文化として豊島区が発信していくべきとの確信を得た高野区長の発案によるもので、開催にはアニメイトやドワンゴ、東京建物、サンケイビル、ポニーキャニオン及び一般社団法人Hareza池袋エリアマネジメントのエリア関係者に呼びかけ、実行委員会が組織された。マンガ・アニメ文化を発信する目玉事業としてそれぞれが持つノウハウを結集し、「東アジア文化都市2019豊島」の最大イベントとして開催されたこのイベントでは、「ルパン三世」等の人気アニメ映画とのコラボレーション・ステージやトークショー、アニメソング界の帝王水木一郎や歌謡界の大御所小林幸子のスペシャルライブ、また親子で楽しめるコスプレ・ワークショップなど多彩なイベントが展開された(※95)。
 こうしてクライマックスを迎えた「東アジア文化都市2019豊島」は、11月24日、開館間もない芸術文化劇場でそのフィナーレを飾る閉幕式典の日を迎えた(※96)。
 開幕式典同様に多くの来賓を迎え、日中韓3か国の伝統楽器、琴・二胡・伽倻琴(カヤグム)・杖鼓(チャンゴ)によるオープニング演奏のほか、仁川広域市からはキ厶・ジュソン IDEA Dance Companyによる舞踊『花柳春夢 : ある春の日の夢』、西安市からは大唐芙蓉園芸能団や西安歌舞劇院、西安戦士戦旗雑技団による舞踊や弦楽重奏、雑技が演じられ、そして豊島区からは西川箕乃助、花柳基による長唄『石橋の獅子』の舞と、いずれもフィナーレにふさわしい華やかな演目が披露された。そして次の2020年開催都市である北九州市への引継式が執り行われ、最後は開幕式典と同様に子どもたちによる「わたしは未来」と2020年大会につなぐ「東京五輪音頭2020」が合唱され、そしてすべての最後を飾り、参加者全員による「蛍の光」の大合唱で祝祭の幕を閉じた。
 またこの閉幕式典は仁川広域市(12月6日)、西安市(12月11日)でも開催されたが、豊島区での閉幕式典でこの1年で得られた成果をより発展させ、2020 年以降も相互理解の促進と東アジアの文化の国際発信力の強化を図るため、文化芸術、産業・観光などの分野における継続的な連携・協力に取り組む「東アジア文化都市 2019」共同宣言(豊島区提案)を行ったほか、各市の閉幕式典で「西安市と豊島区の文化観光交流と協力に関する覚書」(西安市提案)、「東アジア文化都市 InXiTo 文化観光事業協力強化合意書」(仁川広域市提案)が締結された。
 こうして2019年1月~12月の1年間にわたって展開された「東アジア文化都市2019豊島」は終了したが、期間中の実施事業は397事業、来場者数は延べ353万人にのぼった。すべての事業終了後、東アジア文化都市実行委員会はその実施実績を報告書としてまとめているが、その中に事業の成果を分析するための各種アンケート調査の実施結果が掲載されている(※97)。
 そのひとつに区民約700人、昼間人口約200人、池袋から35km圏内にある一都三県の市区町村居住者約2,000人を対象に、開幕式典実施直後の2月と閉幕式典実施直後の12月の2回、インターネットアンケート調査が実施された。その結果を比較すると、「豊島区が文化に力を入れている」と考える区民はいずれも半数以上を占め、さらに1回目調査の65%から2回目には71%と6ポイントアップし、また一都三県の居住者も同様に26%から31%へと5ポイントアップしていた。このうち豊島区が力を入れている文化芸術分野について尋ねたところ、区民、一都三県居住者ともにマンガ・アニメ・コスプレ等のサブカルチャーを挙げた人が最も多く、2回の調査比較でも区民は59%から73%へと14ポイントアップし、また一都三県居住者も31%から41%と10ポイントアップしており、「東アジア文化都市2019豊島」をきっかけにマンガ・アニメの聖地としての認知が拡大していることが窺えた。まちのイメージに関する23区比較でも「劇場があるまち」は区民も一都三県居住者もともに豊島区が1位、「マンガ・アニメの溢れるまち」は区民は1位で一都三県居住者は2位(1位千代田区)だったが、女性に限定すると豊島区が1位という結果だった。また「現在住んでいる市区町村の住民であることに誇りを持っているか」という設問では、区民は54%から59%へと5ポイントアップしているのに対し、一都三県居住者は50%から49%へとやや減少していた。こうした結果からも、「東アジア文化都市2019豊島」の目標のひとつに掲げていた「豊島区の文化の再認識を通じたシビックプライドの醸成」に寄与していることが窺えた。
 一方、開催期間中の式典・ディレクター事業等の来場者を対象に行ったアンケート調査では、参加した事業に対する満足度の質問に対し「満足」65%と「やや満足」28%を合わせて9割以上が満足との回答だった。また事業への継続参加に関する質問でも「参加したい」73%と「やや参加したい」20%を合わせると、これも9割以上が継続参加の意向を示していた。さらにパートナーシップ事業主催者へのアンケート調査でも、回答のあった51団体のうち98%が「東アジア文化都市2019豊島」の開催は意義があったと回答していた。
 これらの調査結果からも「東アジア文化都市2019豊島」の開催は豊島区や区の文化政策に対する区内外の認知度を高め、特にマンガ・アニメ文化の発信に大きな成果があったことが認められたと言えよう。さらに「東アジア文化都市日本代表都市選考会」の座長として2019年開催都市に豊島区を選定した佐々木雅幸同志社大学教授からは、区の取組み、特に劇場という新しいハードと文化創造というソフトを見事に両輪として実現したことは過去に例がなく、質量ともに従来の開催都市を凌駕する成果を挙げたという高い評価を得られた。またこの評価は、人口30万人規模の都市でも「東アジア文化都市」を開催できることを証明したものと言え、何より国際アート・カルチャー都市構想の実現に向けた確かな一歩を踏み出すことにつながったのである。
2019年「東アジア文化都市」国内候補都市決定報告会
(平成29年10月)
日中韓文化大臣会合「東アジア文化都市2019」
開催3都市正式決定(平成30年8月)
「東アジア文化都市2019豊島」開幕式典(平成31年2月)
中日韓青少年百メートル絵巻唐詩書写イベント(令和元年8月)
池袋アニメタウンフェスティバル(令和元年11月)
閉幕式典「東アジア文化都市 2019」共同宣言(令和元年11月)

東アジア文化都市まちづくり記念事業-100年に一度の集中投資

 これまで何度か触れてきたように、区は「東アジア文化都市2019豊島」の開催に合わせ、23のまちづくり記念事業を展開した。これは「東アジア文化都市2019豊島」を一過性のイベントとして終わらせるのではなく、そのレガシーを次の時代に引き継いでいくことを目的とするものであった。またこの国家的なプロジェクトの取組みを通して、平成28(2016)年6月策定の「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」に掲げた「文化戦略」「国際戦略」「空間戦略」の3つの戦略を融合させたまちづくりの展開をめざしたものであり、東アジア文化都市のソフト事業を展開する舞台として、まち全体を劇場化するハード事業を加速させていったのである。
 前述したとおり、新庁舎整備が起爆剤となり、平成27(2015)年に庁舎跡地活用事業が官民連携プロジェクトとして始動、これに連動して庁舎周辺のまちづくりが進み、28(2016)年には新たな都市公園モデルとなる南池袋公園がオープンした。さらに27(2015)年に造幣局・UR都市機構と基本協定を結び、造幣局東京支局跡地に防災公園を整備する計画が動き出し、同じく27(2015)年に池袋駅周辺地域が待望の特定都市再生緊急整備地域の指定を受け、また東京圏国家戦略特別区域が都内全域に拡大されたことにより池袋エリア内の民間開発の動きが活発化していった。長く休眠状態だった池袋西口地区の再開発の話も具体化し、東口地区でも環状5の1号線の開通により明治通り駅前区域の車両乗り入れ規制によりグリーン大通りを広場化する未来図も見えてきた。そしてこうした未来図を「池袋駅周辺地域基盤整備方針」の中に描き、駅の東西をつなぐ都市軸を中心にアート・カルチャー活動の拠点となる4つの公園や道路等の都市基盤整備の方向性を示していた。
 東アジア文化都市まちづくり記念事業は、こうした池袋エリアを中心とする都市再生を先導していくためのものにほかならず、それまで他地区に遅れをとっていた池袋副都心の再生を期する高野区長にとって、Hareza池袋がオープンする2019年の東アジア文化都市開催都市に選ばれたことは千載一遇のチャンスであり、この機を逃してはならないという強い思いがあったのである。
 平成29(2017)年8月にこの国家的プロジェクトの開催候補都市に選定された際に発表された区長コメントでも、これに選ばれることは悲願であったと述べ、「豊島区の文化政策の集大成及び、さらなる国際都市推進の起爆剤」になるものとしていた。そして30 (2018)年第2回区議会定例会の招集あいさつの中でトキワ荘再現施設「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム」の整備を「東アジア文化都市」の記念事業の一つに位置づけると言及したのに続き、続く年第3回定例会では31(2019)年度中の完成に向けて池袋駅周辺のみならず、大塚地区、巣鴨地区など、区内各所で進められているプロジェクトを未来の世代に有形・無形の価値を伝えるレガシーとして、改めて「東アジア文化都市」のまちづくり記念事業に改めて位置づけた。こうしたまちづくり記念事業は最終的に以下の図表4-32の通り、23事業に及んだ。
図表4-32 東アジア文化都市まちづくり記念事業
 これら23事業に係る事業費総額は459億円にのぼり、うち国・都の補助金66.9億円と財政調整交付金116.4億円を差し引いた区の実質的な負担額275.7億円については、いずれも基金の繰入や起債、一般財源から充当するとされていた(※98)。
 またこれらの事業は2019年開催都市に選定される以前から整備工事もしくは計画が進められていたものだったが、完成期が31(2019)年度に集中していたことからその経費も集中し、同年度の一般会計当初予算額は前年比約252億円、20.2%増の約1,498憶円と過去最大規模となり、また3特別会計も合わせた総予算額は約2,078億5,000万円で、初めて2,000億円台を超えた。なかでも特に投資的経費はまちづくり記念22事業の249億1,000万円のほか巣鴨北中学校の整備等を合わせると、対前年度比191億円、90.1%の大幅な増加となる約403億円で、これは投資的経費としてはバブル期を超える過去最高額となった。さらにこうした整備に係るイニシャルコストはもとより、整備後の維持管理や運営に係るランニングコストとして令和2(2020)年度以降、毎年度20億円を超える経費がかかることが予想された。そのため議会でもこうした投資事業への大規模な財源投入を危ぶむ声が聞かれ、かつての危機的な財政状況に逆戻りするのではないかと反対する意見もあった(※99)。
 だがこの機を逃しては豊島区の発展はなしえないという高野区長の意思は固く、この平成31(2019)年度予算を「『としま新時代』の礎を築く予算」に位置づけ、「100年に一度の集中投資」を敢行したのである。実際に翌令和2(2020)年度の一般会計当初予算額は前年度比約215億円、14.4%減の1,283億円、また投資的経費も239億円減の164億円と例年並みに抑制されたことから、いかにこの2019年に集中して投資したかが分かる。一方、基金については、31(2019)年度当初予算の投資的経費403億円の財源として公共施設再構築基金から 119 億円、義務教育施設整備基金から 20 億円を繰り入れたものの、財政調整基金の取り崩しは行わず、区財政の安定性を確保した。また特別区債の起債額も当初予算に128億円を計上し、同年度末には一時的に区債残高(借金)が基金残高(貯金)を上回ることが見込まれたが、特別区民税や特別区財政調整交付金の堅調な歳入増等により、当初予算を大幅に下回る55億円の発行額に抑制でき、「借金超過」の状態に陥ることは回避された。
 こうして整備工事は着々と進められ、令和元(2019)年度だけでも芸術文化劇場、としま区民センター、中池袋公園、池袋西口公園、IKEBUS、ウイロード、トキワ荘マンガミュージアムなど12の事業が完結を見たのである。同年区議会第4回例例会の招集あいさつで、高野区長はこのまちづくり記念事業にかけた思いを次のように述べている(※100)。
 消滅可能性都市の指摘以降、「官」と「民」とが力を合わせることにより、新庁舎、南池袋公園など、様々なプロジェクトが実現してきました。
 そして、この11月1日、国際アート・カルチャー都市の発信拠点「Hareza池袋」が、満を持してオープンの日を迎えました。
 ようやく、ここにたどり着くことができました。
 ここから、「としま新時代」の幕が開けるのです。
 いま、トキワ荘マンガミュージアム、大塚駅周辺整備、巣鴨地蔵通り無電柱化など、23のリーディング・プロジェクトが、区内各所で一斉に動いています。
 東アジア文化都市のまちづくり記念事業として位置づけた、将来の世代へのレガシーとなるこれらの事業は、一つひとつが豊島区の価値を高める、オンリーワンのプロジェクトばかりであります。
 東アジア文化都市、東京2020大会と続く、豊島区が世界から注目されるこのときが、最大のチャンスです。
 この機を逸することなく、集中的な投資による相乗効果のインパクトで、まちのイメージを大きく変えることによって、地域経済を活性化させ、豊島区全体を発展させていく、これこそ私の目指す「稼げる」行政経営の姿であります。
 この招集あいさつの中の「『稼げる』行政経営」という言葉は、当時、持続的な地域の価値向上を図る取り組みを「稼げるまちづくり」「稼げる自治体」などと呼んでいたことに倣ったものであるが、いつ、どのように投資するのが効果的か、古書店主から政治家に転身した高野区長ならではの商売人としての「勘所」が、東アジア文化都市まちづくり記念事業への集中投資につながったと言えるだろう。
 これら23のまちづくり記念事業のほとんどについて、その経緯等は本章(一部第3章)の中で既に述べてきたが、これまで詳しくは触れてこなかった池袋西口公園、造幣局地区防災公園、電気バス(IKEBUS)、ウイロードの改修の4つの事業について、以下に概略する。

◆池袋西口公園-GLOBAL RING THEATER

 この平成区史通史編の冒頭で述べた通り、平成2(1990)年の東京芸術劇場の開館に合わせて整備された池袋西口公園は、平成14(2002)年に地元から寄贈を受けて野外ステージが設置され、「ふくろ祭り」をはじめ西口地区の様々なイベント会場として活用されていた。だがその一方、駅前の一等地に立地し、しかも東京芸術劇場の前庭であるにもかかわらず、「ナンパ公園」などと呼ばれ、西口地区の治安の悪さを象徴する暗いイメージがつきまとうようになっていた。
 そうしたなか、平成27(2015)年6月に策定された「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」の空間戦略のひとつに「劇場空間の創出」が挙げられ、そのなかで池袋駅周辺に位置する池袋西口公園・中池袋公園・南池袋公園・造幣局跡地の新公園の4公園を整備・連携させる「4つの公園構想」が描かれた。また同年12月に池袋駅西口地区市街地再開発準備組合が設立され、翌28(2016)年4月には事業協力者に三菱地所が選定され、長く休眠状態に陥っていた西口地区の再開発がようやく動き出した。この動きを受け、区は東口エリアにHareza池袋の新ホールが2019年秋にオープンするのと同時に、西口エリアの顔となる新たな文化拠点としてクラシックコンサートにも対応できる設備を備えた大規模な野外ステージと2020オリンピック・パラリンピック大会のパブリックビューイングにも利用可能な大型ビジョンを園内に整備することとし、また西口地区の再開発事業を先導するプロジェクトとして池袋西口公園整備事業に着手した(※101)。
 平成29(2017)年5月、区は地元町会・商店会・再開発準備組合・東京芸術劇場等各代表で構成される「池袋西口公園整備検討会」を立ち上げた。そして同月29日から整備基本計画の策定業務を委託する事業者をプロポーザル方式で公募、8者からの応募を受け、書類審査、プレゼンテーション審査を経て、7月に三菱地所設計と南池袋公園を設計したランドスケープ・プラスの共同企業体を受託事業者として選定した。
 池袋の地名の由来とも言われるこの地にかつてあった弦巻川の水源「丸池」をモチーフにしたリング状の屋根(GLOBAL RING)のデザインの斬新さや、イベント開催時はもとより、日常時から災害時まで様々なシーンに対応できる機能を備えた提案内容が高く評価されたものだった。以後、この提案をもとにさらに検討を重ね、同年12月、「池袋西口公園等整備基本計画」を策定した。なおこの審査には池袋西口公園整備検討会も加わり、従来の行政だけで選考するやり方ではなく、地域関係者の意見を活かし、それを尊重していく方法が取られた(※102)。
 この基本計画では、シンボルとなるリングに合わせ「池袋の象徴となるリング」「世界を鼓舞するリング」「地域をつなげるリング」の3つのコンセプトが掲げられ、西口再開発等のまちの変化に配慮した施設計画や施設配置・動線計画、リング屋根によるメモリアルな広場空間の創出、ダイナミックな屋根と柱の空間構成によるシームレスな劇場空間の形成等、整備の基本的な考え方が示された。そしてこの基本計画に基づき、年が明けた30(2018)年から基本設計・実施設計が進められ、既存モニュメントの移設やステージの解体等の準備工事に続き、翌31(2019)年1月から整備工事が開始された。その工事費は途中の設計変更もあって最終的に約25億円にのぼり、その結果、設計費等も含めた事業費総額は30億円を超え、既存の公園改修経費としては破格の額となった。これもまた、単に老朽化した公園を改修するというのではなく、西口地区の、さらには国際アート・カルチャー都市の新たなシンボルとなる、他に例を見ない劇場公園を創るという考え方に基づく「集中投資」であった(※103)。
 こうして池袋東口にHareza池袋芸術文化劇場がオープンしてから2週間後の令和元(2019)年11月16日、約10か月間の工事が完了して生まれ変わった池袋西口公園の「完成お披露目会」が開催された。地上約10mの高さに公園を包み込むように設置された直径35mの「GLOBAL RING」は圧倒的な存在感を示し、五線譜を思わせる5本の円で構成されたリングにスマホをかざすと画面に音符が表示されるARマーカーの仕掛けが施され、また四季折々に色合いを変えるLED照明がナイトライフ観光を演出した。地上2階地下1階建てのステージ棟の上部には幅約11mの大型ビジョンが設置され、東京オリンピック・パラリンピック大会開催時にはパブリックビューイング会場として活用されることになった。また屋外でのクラシック演奏を可能にする最先端の舞台・音響技術を採り入れたメインステージのほか、公園中央に設けられた噴水機能を有する直径10mの水盤は円形ステージとして活用でき、コンサート、演劇、ダンスなど様々なプログラムの上演に対応できた。さらに園内には観光案内機能を併せ持つカフェが設置され、東京芸術劇場でのコンサートや演劇鑑賞後にその余韻を楽しむ「アフター・ザ・シアター」の場として期待された(※104)。
 このお披露目会では消防庁、警視庁、陸上自衛隊の各音楽隊が開園を祝って演奏し、続いて11月23日には杮落とし公演として、「東アジア文化都市2019豊島」の舞台芸術部門総合ディレクター・宮城聡氏の演出によるスペシャル事業「マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~」が上演され、ギャラリーも含めて2万人を超える観客が来場した。さらに12月からはナイトライフ観光推進事業として夜間に屋外でクラシック演奏を楽しめる「Tokyo Music Evening “Yùbe“」が毎週水曜の夜に定期的に開催されることになり、12月18日のオープニングコンサートでは「炎のマエストロ」として知られる小林研一郎氏が指揮を執った。以後、同氏をはじめ同じく世界的に活躍する西本智実氏などの一流の指揮者や楽団・演奏家たちによるコンサートが開催されていった。また令和2(2020)年1月に東京芸術劇場でロンドンの名門オーケストラ「フィルハーモニア管弦楽団」のコンサートが開催されるのと連携し、デジタル技術を駆使していかに音楽を提供できるかという先駆的な取組みを行っている同楽団指揮者エサ=ペッカ・サロネン氏の要請により、同月11日~31日までの20日間、GLOBAL RING THEATERのサラウンドスピーカーと大型ビジョンを活用した映像クラシックコンサートが開催された(※105)。
 なお小林研一郎氏についてはGLOBAL RING THEATERの運営等について様々な助言を得るところとなり、令和元(2019)年11月1日、国際アート・カルチャー都市懇話会会長の近藤誠一氏とともに区の芸術顧問として、小林氏を「音楽監督」に任命した。令和2(2020)年1月1日発行の広報としま新年号には近藤氏、小林氏と区長の鼎談が掲載されているが、その中で小林氏は「豊島区の皆さんにもたくさんアイデアをいただいて、それを我々が独特の還元の仕方で変奏してやればいい。そう考えると、高野区長の夢、豊島区の皆さんの夢が大きくなりますよね」とGLOBAL RING THEATERの活用に期待を述べている。また令和4(2022)年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まった際は、すぐさま小林氏の提案で、3月11日にGLOBAL RING THEATERで「コバケンとその仲間たちオーケストラ」による「ウクライナ応援コンサート」が開催された。「互いにリスペクトし合うことで人はつながり、文化は国境を越える」という氏の熱い思いから実現したものであった(※106)。
池袋西口公園「GLOBAL RING THEATER」完成(令和元年11月)
GLOBAL RING CAFÉ
「Tokyo music Evening “Yùbe“」オープニングコンサート
(令和元年12月)
コバケンとその仲間たちオーケストラ「ウクライナ応援コンサート」
(令和4年3月)

◆造幣局地区防災公園-としまみどりの防災公園(IKE・SUNPARK)

 東池袋4・5丁目の木密地域に隣接する造幣局東京支局の移転活用問題は、昭和58(1983)年に町会連合会が「造幣局東京支局移転対策委員会」を設置、翌59(1984)年には10万人を超える署名を集めて国や都に要望書を提出するなど、移転の早期実現や跡地の防災公園としての活用を求める運動が開始されたのを端緒に長年の課題となっていた。その後20年以上も同支局の移転は具体的な動きが見られないままの状態が続いていたが、平成19(2007)年12月に「独立行政法人整理合理化計画」が閣議決定され、そのなかで造幣局東京支局の有効活用の可能性について検討するとされた。さらに翌20(2008)年3月に策定された造幣局の中期計画の中には「豊島区が意向するまちづくりに貢献する形での敷地の有効活用を検討すること」が盛り込まれ、ようやく事が進むことになった。
 一方、こうした動きとともに、また東池袋四丁目市街地再開発事業や新庁舎整備等の進捗により東池袋地区が副都心再生の新たな拠点地区になることが期待されたことから、20(2008)年6月、区・日本郵政株式会社・独立行政法人造幣局・株式会社サンシャインシティ・独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)による「東池袋まちづくり懇談会」が発足し、東池袋地区のまちづくりの方向性についての話し合いが開始された。さらに翌21(2009)年11月にはこの懇談会を継承する形で「東池袋まちづくり協議会」を設置し、造幣局東京支局を含む同地区内の土地利用や導入機能等の地区の再編整備に向けた検討を重ねていった(※107)。
 そうしたなか、平成23(2011)年5月、区は造幣局に対し、東京支局敷地の再開発事業を効率的に進めるため、移転を含めた幅広い選択肢も視野に入れた有効活用の検討への協力を求める要望書を提出した。これに対し、翌24(2012)年9月、造幣局は28(2016)年度の操業開始を目途に埼玉県さいたま市を移転候補地とする「東京支局の移転に向けた用地取得交渉の開始」を公表、25(2013)年3月に同市への移転用地を取得した。こうして東京支局の移転が具体化したことにより、同年4月、区は造幣局に対し、東京支局移転跡地での再開発事業の具体化に向けた諸手続を進めるため、改めてその前提となる基本的な事項についての合意の早期締結を求める要望書を提出した(※108)。
 これを受け、平成25(2013)年7月2日、区は造幣局との間で東京支局跡地を活用した都市再生事業の早期実現に向け相互に協力していく確認書を締結、その中で同跡地のうち1.6~2.0haを防災公園整備区域に、残りの1.3~1.7haを市街地整備区域とすることが確認された。この確認書に基づき、区は地区計画の決定及びこれを補完する地区街づくり計画の策定や防災公園整備のための都市計画手続き等を進めるため、同月29日、中林一樹明治大学教授を委員長に学識経験者、地元代表、区職員で構成される「造幣局地区街づくり計画検討委員会」を設置した(※109)。
 検討委員会にはUR都市機構もオブザーバーとして参加し、委員会の下部組織として設置された専門部会を中心にこの地区における街づくりルールや防災公園の整備手法等の検討が重ねられ、翌平成26(2014)年7月~8月にかけてパブリックコメントを実施し、寄せられた意見等を踏まえ、同年10月、「造幣局地区街づくり計画」及び「(仮称)造幣局地区防災公園基本計画」が策定された。
 この街づくり計画では、平成26(2014)年4月に公表された「国土交通省首都直下地震対策計画[第1版]」の中で「特に都内を中心に連担している密集市街地の広域的解消を図るため、公的不動産等を種地として活用した連鎖型の再開発事業等を推進・展開する」とされたことを踏まえ、池袋副都心と木造住宅密集地域の双方に隣接した当該地区の立地特性に配慮し、防災公園区域(約1.7ha)と市街地整備区域(約1.5ha)が一体となり災害に強く文化と賑わいを創出する活力ある市街地を形成していくという街づくりの方向性が示された。そして土地利用の方針や道路等の基盤整備方針、建物整備・景観形成方針等とともに、防災公園については木造密集市街地からの火災延焼を図るとともに、全区的な視点に立った救援物資の搬入や集配拠点として、ヘリポート等の設置も想定した防火機能強化の方針が掲げられた。一方、防災公園の基本計画では、「多くの人々が憩い、地域が賑わう公園づくり」と「安全・安心の公園づくり」の2つの基本的な考え方に立ち、各機能によるゾーニングや災害時の使い方等が示された(※110)。
 これらの計画に基づき、平成26(2014)年11月から防災公園の区民ワークショップを開催して区民参加による検討を進める一方、防災公園の早期開設とともに市街地整備区域をも含めた一体的な街づくりを実現するため、27(2015)年1月26日、区はUR都市機構に防災公園街区整備事業の要請を行うとともに、造幣局には同事業実現への協力を依頼した。このUR都市機構への依頼は、広大な防災公園整備用地を区が一括取得することになれば単年度に過度な支出がのしかかり、財政運営上の困難を来すことが予想され、また国の首都直下地震対策計画に対応した木造住宅密集地域の広域的解消への取組みや、造幣局地区街づくり計画に基づく防災公園と市街地の一体的な整備を着実に推進していくためには、防災公園整備について豊富な実績や地域防災に配慮した安全・安心な街づくりに関する技術や知識を有する機構の支援が不可欠であったことから、造幣局地区の防災公園街区整備事業としての実施を要請したものであった。また一方、造幣局に対する依頼は、これらを実現するために、防災公園を整備する当該跡地をUR都市機構へ譲渡されるよう協力を求めるものであった(※111)。
 こうした経緯を経て平成27(2015)年4月7日、区と造幣局、UR都市機構の三者間で「造幣局地区におけるまちづくりに係る基本協定書」が締結された。この基本協定は区が1月に両者に依頼した内容を反映し、区は対象区域に係る造幣局地区街づくり計画に基づく地区計画や防災公園区域に係る都市公園の都市計画決定を行う、造幣局は防災公園街区整備事業を実施する造幣局地区の土地をスケジュールに遅延が生じないようUR都市機構に譲渡する、UR都市機構は防災公園街区整備事業により市街地整備と防災公園整備を一体的に行うとする三者の役割分担を定めるものである。また土地利用計画として、防災公園を整備する防災公園区域(約 1.7ha)と、文化交流機能と木造住宅密集地域の解消に資する居住機能並びに生活支援機能からなる賑わい機能を誘導する市街地整備区域(約 1.5ha)を配置し、その市街地整備区域のうち、北側の約 2/3 に文化交流機能を、南側の約 1/3 に賑わい機能を誘導することを基本とし、27(2015)年度に地区計画・都市公園の都市計画決定、28(2016)年度に防災公園実施設計、29(2017)年度に公園整備工事着手というスケジュールが組まれていた。さらに区は4月20日、UR都市機構と「造幣局地区防災公園街区整備事業に関する基本協定書」を締結、27(2015)年第3回区議会の議決を経て、防災公園の整備はUR都市機構が直接施行することになった(※112)。
 これらの協定締結により防災公園整備に向けた事業フレームが固まり、以後、区はスケジュールに則り都市計画の手続きを進め、平成28(2016)年1月、造幣局東京支局跡地街区の「東池袋四丁目42番地区地区計画」を都市計画決定するとともに、昭和13(1938)年に「西巣鴨公園」として都市計画決定されていた隣接する総合運動場の区域を防災公園に変更する都市計画公園の再構築を行った(※113)。
 こうした手続きに並行し、地元説明会や地域懇談会等を重ねながら防災公園の基本設計が進められた。そうしたなか、平成28(2016)年7月1日、区はUR都市機構と「造幣局地区防災公園街区整備事業区域における都市公園整備事業に関する全体協定書」を締結した。この協定は前年4月に締結した防災街区整備事業に関する基本協定書に基づき、同事業の事業計画や費用負担、施行方法等について定めるもので、この時点での用地取得費と整備工事費等を合わせた事業費概算は約188億円になることが見込まれた。このうち区の負担額は約126億円で、その財源には都市計画交付金約30億円、起債83億円、一般財源13億円を充て、28~32(2016~2020)年度の5年間に毎年度約25億円程度を支払っていくとしていた(※114)。
 また防災公園の整備にあたり、設計・施工の段階から目指す公園の将来像にふさわしい管理運営のあり方を反映させるため、設計・施工・管理運営を一体的に担う事業者コンソーシアムを選定するための公募プロポーザルをUR都市機構と共同で実施することとし、平成29(2017)年5月、学識経験者、UR都市機構及び区の職員で構成される審査委員会を区長の附属機関として設置した。そして同年8月から公募を開始し、翌30(2018)年1月、統括管理業務・造園工事を日比谷アメニス、造園設計・建物設計を都市計画研究所、建物工事を株木建設、そして開園後の管理運営業務については日比谷アメニスのほかエヌ・ティ・ティ都市開発ビルサービスがそれぞれ担う4者からなるコンソーシアムを事業者として選定した。またこの事業者選定にあたり、公園内に設置するカフェやレストラン等の施設の規模や設置期間等の規制緩和が適用されるパークPFI制度を活用し、その収益により公園の整備・維持管理等にかかる費用の軽減を図ることとした。民間資金を活用したこのパークPFIの導入事例は全国でも2例目となるもので、官民連携による新たな公園整備・管理手法として注目を集めた(※115)。
 一方、これに並行し、UR都市機構は市街地整備区域北側の文化交流機能ゾーンに誘致する事業者を総合評価方式により公募し、平成29(2017)年10月、東京国際大学に決定した。同大学の川越キャンパスは定員約7,000人、世界60か国約1,300人の留学生が在籍していたが、このうち3,500人を2023年に池袋の新キャンパスに移転する計画で、英語による学士課程コースをはじめグローバル教育機能を集約し、池袋での開校時には100か国以上から2,000人を超える留学生と200人以上の外国人講師の在籍が予定された。これにより「豊島区と区内大学との連携・協働に関する包括協定」に基づき、それまでに連携を深めてきた区内7大学にまた新たな特色ある大学が加わることになり、特に国際性豊かな同大学の進出は国際アート・カルチャー都市構想を推進する豊島区にとってグローバル人材の育成、国際的な文化事業の推進、多文化共生の推進など様々な面での連携が期待された(※116)。

※107 造幣局東京支局用地の諸問題について(H010728副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくり懇談会について(H200917副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくりについて(H211215副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくり協議会の検討経緯(H220427副都心開発調査特別委員会資料)

※108 東池袋まちづくりについて(H230615副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくりについて(H231215副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくりについて(H240913副都心開発調査特別委員会資料)東池袋まちづくりについて(H250415副都心開発調査特別委員会資料)

※109 東池袋まちづくりについて(H250724副都心開発調査特別委員会資料)

※110 東池袋まちづくりについて(H260114副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区街づくりについて(H260515副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区街づくりについて(H260715副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区街づくりについて(H260911副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区街づくり計画【平成26年10月】(仮称)造幣局地区防災公園基本計画【平成26年10月】

※111 (仮称)造幣局地区防災公園ワークショップ通信(第1回~第5回)造幣局地区街づくりについて(H261215副都心開発調査特別委員会資料)

※112 「造幣局地区におけるまちづくりに係る基本協定書」の締結について【H270407締結】造幣局地区防災公園街区整備事業区域における都市公園整備事業の直接施行について(H270930都市整備委員会資料)

※113 造幣局地区街づくりについて(H270611副都心開発調査特別委員会資料)造幣局地区のまちづくりについて(H270930都市整備委員会資料)造幣局地区まちづくりについて(H280113副都心開発調査特別委員会資料) 東池袋四丁目42番地区地区計画【H280115告示】

※114 造幣局跡地防災公園の進捗について(H280222都市整備委員会資料)豊島区造幣局地区防災公園街区整備事業に関する全体協定の締結について(H280704・H281205都市整備委員会資料)

※115 豊島区附属機関設置に関する条例の一部を改正する条例について(H290224総務委員会資料)(仮称)造幣局地区防災公園の整備計画について(H301214副都心開発調査特別委員会資料)

※116 造幣局地区のまちづくりについて(H290515副都心開発調査特別委員会資料)造幣局跡地への大学誘致決定について(H291115議員協議会資料)

 またこの市街地整備区域南側の賑わい機能ゾーンについては、本章第1節第2項で述べたとおり、池袋保健所が令和6(2024)年に完成予定の南池袋二丁目C地区市街地再開発ビルに本移転するまでの間、整備用地5,000㎡をUR都市機構から無償で借り受け、同保健所を仮移転する計画がまとまっていた。この5,000㎡のうち4,000㎡に保健所の仮庁舎を建設し、残りの1,000㎡の敷地に「としまキッズパーク」を整備する計画が元年(2019)度に入って新たに持ち上がり、23番目のまちづくり記念事業に位置づけられた。このキッズパークは池袋保健所仮庁舎の未利用敷地を活用し、保健所に来た幼児や保育園児、また防災公園を利用する児童などが安全・安心に遊べる場所をと計画されたもので、後述するIKEBUSをデザインした水戸岡鋭治氏の協力を得て、IKEBUSと同じ赤色を基調にした障害のある子もない子も一緒に遊べるインクルーシブ遊具が配置され、子どもたちが自分たちで考えて様々な遊びを見つけ出せるような工夫が随所に施された。また森や滝のある築山や、ミニ図書館や展望ブリッジ等の街の風景が再現され、その中を真っ赤なミニSL「イケデン」が走る「おとぎの国」のような夢のある空間が創出された(※117)。
 この他にもイチョウ並木のプロムナードや園内カフェのほか、スモールビジネスのスタートアップ拠点となる小型キャビン「KOTO-PORT(コト・ポート)」など、様々な付加価値や魅力が実施設計に加えられていった。こうして整備計画の全体像が明らかにされていき、令和元(2019)年区議会第4回定例会での議決を経て、公園施設名称が「としまみどりの防災公園」に決定された。また同年8月に公園の愛称を募集し、605件の応募の中から審査員の評価を最も集めた「IKE・PARK」に、提案件数が多かった「サンシャイン」の「サン」を組み合わせた「IKE・SUNPARK(イケ・サンパーク)」に決定された(※118)。
 そして令和元(2019)年5月から整備工事が開始され、翌2(2020)年7月11日、整備工事中の防災倉庫とカフェ施設を除いた部分が先行して開園、12月12日には「IKE・SUNPARK」(としまみどりの防災公園)が全面開園した。また隣接する「としまキッズパーク」も9月26日に開園したが、コロナ禍でのスタートだったため、当面は新型コロナウィルス感染症対策として予約制で人数制限が行われる一方、公立・私立の認可保育所および幼稚園の園外活動を支援するため、IKEBUS貸し切り号で「としまキッズパーク」や「サンシャイン水族館」を訪れるIKEBUS活用事業が実施された(※119)。
 区内最大規模面積17,000㎡の「IKE・SUNPARK」は、その広さを活かし、災害時には物資輸送や重症患者等の移送のためのヘリポート、全国から集まる支援物資の集配拠点、2,500人収容の一時待機場所、火災延焼遮断などの機能を備え、区の災害対策の新たな拠点に位置づけられた。11月14日には同公園に備えられた深井戸機能や応急給水槽機能等の防災機能の周知を図る「防災機能展示会」が開催され、自衛隊ヘリコプターによる園内ヘリポートへの離着陸訓練が実施された(※120)。
 また、平常時は6,000 ㎡の芝生広場を中心に様々なイベントの開催会場として活用していくこととし、12月のグランドオープンに合わせ、約50のブースで区内や交流都市等の名品・名産品を販売する「IKE・SUNPARK Farmers Market(イケ・サンパーク ファーマーズマーケット)」が初開催された。以後、このマーケットはコロナ禍の一時期を除き、原則として毎週末開催され、生産者と消費者、人とまちがつながる場として好評を博している。さらに環境への配慮や食品ロスの削減をめざすフードドライブを実施するなど、その活動は自治体 SDGs モデル事業に位置づけられた(※121)。
 このIKE・SUNPARKの開園により、東アジア文化都市まちづくり記念事業に位置づけられた「4つの公園」の整備がすべて完了した。そのことについて高野区長は、令和2(2020)年第1回区議会定例会の招集あいさつで次のように述べている(※122)。
 都市再生といえば、大型ビルの建設という垂直方向が主流ですが、私がめざしたのは、地域と一体となった、面的エリアの「公園による都市再生」です。これこそが池袋のまちの魅力と価値を高め、回遊性を生む都市再生であると確信しております。
 個性あふれる4つの公園は、「誰もが主役になれる劇場都市」にふさわしい舞台です。昨年、豊島区は日本を代表しての東アジア文化都市の成功が大きな弾みとなり、国際アート・カルチャー都市として、大きな一歩を踏み出しました。
 今年はこの流れをさらに加速させるため、4つの舞台に魂を込めていきます。
としまみどりの防災公園「IKE・SUNPARK」開園(令和2年7月)
「としまキッズパーク」オープン(令和2年9月)
防災機能展示会・ヘリポート離着陸訓練(令和2年11月)
「IKE・SUNPARK Farmers Market」開始(令和2年12月)

◆IKEBUS-オンリーワンのモノづくり

 本章第1節第1項で述べたとおり、区は平成16(2004)年に「池袋副都心再生プラン」を、また23(2011)年9月には「池袋副都心交通戦略」を策定し、環状5の1号線等の都市計画道路の整備動向を見据え、自動車に過度に依存しない人と環境にやさしい交通環境の創出を目指した。その検討過程では池袋副都心の公共交通システムとしてLRTの導入についての検討がなされたものの、専用軌道や車両基地の確保が困難であることなどから具体化までには至らないまま、頓挫していた。また高齢者や障害者等の移動支援策としてコミュニティバスの導入についても検討がなされたが、当時の区内道路環境では新たな路線の構築は困難との結論に至り、これを補完するため、運行回数が減少していた国際興業の路線バス池07系統を区が支援し、かつ延伸して運行する取組みが23(2011)年から社会実験として開始され、その後も継続して実施されている。
 そうしたなか、池袋副都心の新たな移動システムとして、電気バス(EVバス)の導入が検討の俎上にあがった。
 これは地理に不案内な観光客や交通弱者が安心して移動できる新しい回遊システムの構築をめざすもので、導入にあたっては環境面での配慮が重視され、しかも池袋のシンボルとなる乗り物が考えられた。その検討の手始めに、平成29(2017)年4月29・30日の2日間、池袋東口商人まつり&フラワーフェスティバルの開催に合わせ、電動コミュニティビーグル「eCOM-8」の試乗会を実施し、LRT構想ルートや池袋駅周辺を回遊する実験を行った。この電動コミュニティビーグルは9人乗りで、最高時速19kmで走る開放的な窓からは街の風景をゆっくり、のんびり楽しめるのが特徴で、既に群馬県桐生市などで導入され、市内観光案内等に活用されていた。試乗会参加者に対して実施したアンケート調査でも、「eCOM-8」の魅力について「屋外の空気を感じられる」「低速で安心・安全」「低炭素・地球にやさしい」など開放的であることや環境にやさしいことを評価する回答が多く、また活用方法については「地域内移動バス」「観光用バス」などの回答が上位にあがっていた(※123)。
 こうした好評価を踏まえ、区は当初、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会の開催に合わせて電気バス(EVバス)の導入を想定していた。だが2019年に東アジア文化都市の開催やHareza池袋の新ホールのオープン、さらに池袋西口公園等の4つの公園整備が予定されていることから、1年前倒しして運行を開始することとし、運行ルートやバス停、車両台数、運賃等の検討を急ピッチで進めていった。そして平成29(2017)年10月27・28日の両日に再び、池袋副都心を回遊する2ルートでの試乗会を行い、その試乗者のアンケートを実施した。このアンケートでも電気バスの魅力として「低速で安心・安全」「車内の雰囲気」「車両のデザイン」「低炭素・地球にやさしい」の回答が多く、また活用方法については「観光名所めぐり」「公共施設等の循環」「池袋駅周辺の回遊」の回答が上位にあがっていた。これらの意見を踏まえ、同年11月には車両選定の公募プロポーザルを実施し、「eCOM-8」のバーションアップ版である「eCOM-10」(乗車定員16人)を候補車両に選定、その製作会社である株式会社シンクトゥギャザーを製造委託事業者に決定した(※124)。
 そして年が開けた平成30(2018)年1月31日、高野区長は記者会見を開き、導入する電気バスのコンセプト及びトータルデザインを水戸岡鋭治氏(ドーンデザイン研究所)に委託することを発表した。同氏はJR九州の「ななつ星」をはじめ、多くの車両デザインを手掛ける工業デザイナーで、26(2014)年9月には「としま文化フォーラム」で「デザインは公共のために」のテーマで講演を行うなど、豊島区とも所縁があった。またこの電気バスの導入にあたっては、車両デザインのみならず、バス停等の関連施設やチケット、乗務員の制服に至るまでのトータルデザインを水戸岡氏に委託した。同氏による電気バスのトータルデザインは全国初の取組みとなるものであったが、会見当日に発表されたデザイン画には「真っ赤な電気バス」が池袋のまちを走る姿が描かれ、池袋副都心の新たなシンボルへの期待感はより一層、高まった。同氏は後に区広報紙のインタビューに応え、このデザインの着想について次のように語っている(※125)。
 
 乗合バスというのは乗客が想定できませんから、ナンバーワンのものではなくてオンリーワンのバスを作ろうと思いました。
 量産される車などはプレス加工で大量生産しますが、このバスは 1台1台手作りです。職人さんが鉄を溶接して作っていて、椅子の張り地や寄木細工のような床の素材もオリジナルです。全部で 10 台ありますが、内装デザインが少しずつ違います。大手メーカーが量産する車ではできないことです。でも公共のバスだからこそ、こうした丁寧な仕事を見せる必要があると思います。乗客は自分が乗っているバスを作った人たちの手技を近くで見ることができるのです。人の心を動かすのは手間ひまをかけて作った人たちの気配が感じられるもの。本当の贅沢とはそういうことだと思います。
 赤というのは昔から祭りなどにも使われる特別感のある色で、人々に元気を与える色。高野区長から池袋のまちづくりについての熱い思いを聞いているうちに、こうした強い気持ちを形にするには赤がいいと思いました。赤といっても 1000 種類くらいありますから、このバスに一番ふさわしいものを選ぶために、事務所に複数の赤い板をひと月くらい置いて、昼と夜、晴れと曇など様々な条件下で比較しました。こうして作られた赤は、イケバスにしか使われていないオリジナルの色です。ロンドンに行ったことがなくても赤いバスは知っていますよね。このイケバスもそんな存在になってほしい。この『IKEBUKURO RED』が池袋のシンボルになってほしいですね。
 私が公共デザインをするときに考えるのは 6 歳以下の子どもと 65 歳以上の方のこと。特に子どものことを考えると、短い期間でなくもっと先のことを考えなければなりません。目先の利益や個人を主張するようなものでなく、未来を生きる子どもたちのためにあるべきなのです。そうすると環境のことも考える必要があります。このバスには冷暖房がありませんが、環境を考えて電気バスにした意味をふまえるとエアコンは必要ないのです。今のことしか考えず、個人の満足度だけを高めてものを作ろうとする時代に、この電気バスは池袋のまち全体の意識を変えるものになるのではないでしょうか。
 こうして「オンリーワンの電気バス」の製作に向けた枠組みが固まったことにより、区は平成30(2018)年度当初予算に「池袋副都心移動システム推進事業」として2億8,400万円を計上し、車両デザイン等の実施設計や車両製作を進めていった。またこの導入する電気バスを活用してまちづくりを推進する団体を募集し、30(2018)年7月に「一般社団法人としまアートカルチャーまちづくり協議会」を選定した。同協議会は豊島区のまちづくりに関する企画・調整や文化振興、にぎわいの創出を目的に国際アート・カルチャー都市プロデューサーの前田三郎氏、同特命大使代表の齊木勝好氏を代表理事に地域のまちづくり関係者らにより30(2018)年4月に設立された団体で、区の募集に応じ、区内全域の観光拠点を回遊する週末ツアー及び観光ボランティアガイド等と連携して主に外国人旅行者を対象に池袋エリアを回遊する平日ツアーの企画・運営を提案した。一方、路線運行を担う事業者についても公募プロポーザルを実施し、同年9月に全国各地の路線バス・高速バスの運行実績を有するWILLER 株式会社を選定した(※126)。
 また区は平成30(2018)年11月~12月にかけて電気バスの名称を公募、72件の応募の中から区長をはじめ関係部長で構成される選考委員会により、複数の応募があった「IKEBUS(イケバス)」に決定された。その提案理由には「イケイケゴーゴー池袋の街を元気に駆け抜ける赤いバス。このバスが運ぶのは、人だけじゃなくて、みんなの笑顔!そんな希望を込めてこの名前にした」「I・・・行けば、K・・・きっと、E・・・笑顔になる、これらの頭文字を取って」「池袋を走る電気バスだからIKEBUKUROのIK、ELECTRICのEを取って」などが挙げられていた。そしてこの「IKEBUS」のロゴも水戸岡氏に制作を依頼し、翌31(2019)年2月1日開催の「東アジア文化都市2019豊島」開幕式典で発表した(※127)。
 さらに区は同年11月の運行開始をめざし、運行ルートや停留所、運行スケジュール、運賃等の運行計画の詳細を詰めていった。導入台数は10台(乗合バス 9 台、貸切バス 1 台)とし、停留所は11か所、池袋東口エリア各所を回遊するルート(4.6km、32便/日)と池袋西口まで回るルート(4.2km、30便/日)を設定、いずれのルートも概ね20分間隔で運行し、運賃は1回乗車券おとな200円、小学生以上の子ども(未就学児は無料)・高齢者・障害者は100円(1日券同500円、250円)とした。事業費として事業者運営経費、車両経費等で年間約2億1,400万円の支出、運賃・貸切バス料金(5,500円/時)・広告収入等で年間約2億1,600の収入が見込まれた。また貸切バスの活用策として、区内公立・私立保育所及び幼稚園の5歳児を対象とするIKEBUS乗車体験事業を「としまアートカルチャーまちづくり協議会」に委託することが決定された(※128)。
 こうして着々と準備を進め、令和元(2019)年5月24日に開催されたHareza池袋芸術文化劇場の竣工内覧会に完成したばかりの第1号車を展示してアピールするとともに、9月からは池袋エリア全体でIKEBUSのためだけに作られたオンリーワンの赤色「IKEBUKURO RED」をテーマカラーとする広報戦略を展開し、運行開始に向けて機運を盛り上げていった(※129)。
 令和元(2019)年11月1日、芸術文化劇場開館の日を迎え、オープニングセレモニーに続き劇場前の中池袋公園で「IKEBUS出発式」が開催された。赤色5台に幸せのシンボルカラー黄色の1台が初披露され、6台のIKEBUSが池袋のまちに走り出し、沿道から歓声が上がった。翌2日には川村学園女子大学生がプロデュースしたIKEBUS貸切第1号が自由学園明日館で結婚式挙げた新郎、新婦らを乗せたお祝いバスとして池袋を周遊した。また11月5日からは、IKEBUSを活用した保育園児等の乗車体験事業もスタートした。そしていよいよ11月27日、乗り合いバスの運行が開始された。この運行開始を記念して小学生体験乗車券(招待券)約8,700枚が区立小学校全児童に配布されたほか、ポスター掲示やチラシの配布を依頼したサポーター企業・団体等に特別乗車券(通常料金の半額)23,000枚を頒布するなどして乗車人員の拡大を図っていった。このサポーター企業にはビックカメラ、サンシャインシティ、西武池袋本店、東武百貨店、池袋ショッピングパーク、アニメイト等の地元企業や東京国際大学、帝京平成大学等を合わせて20者が名を連ね、その社内広告等の収入はIKEBUS運行事業経費に充てられることになった(※130)。
 こうして順調に走り出したIKEBUSだったが、運行開始翌年に新型コロナウィルス感染症が蔓延し、夜間運行等の一部運休や緊急事態宣言下での全面運行停止を余儀なくされた。
 その一方、IKE・SUNPARKの開園等に合わせて運行ルートの変更・延長や停留所の増設等を重ねて利便性を高めていくとともに、IKEBUS で巡るまちの魅力を伝える情報誌『IKEナビ』を創刊して区内各所で無料配布、また11月には「としまアートカルチャーまちづくり協議会」による「IKEBUSアト・カルツアー」を開始するなどIKEBUSの魅力をアピールする企画を展開していった。さらに令和3(2021)年10月、当初想定したインバウンド等の観光目的での利用が期待できない状況が続いたため、期間限定で運賃を半額に改定し、乗車人員の拡大を図った。なおこの半額運賃は、新型コロナウィルス感染症が5類に移行した後の令和6(2024)年1月まで継続された(※131)。
 これらの取組みにより、自粛期間中に大きく落ち込んだ乗車人数も、その後、徐々に回復し、特に料金改定後は、改定前に月5,000人程度だった乗車人数は1万人を越えるようになった。また令和5(2023)年1月、路線バス池07系統のモニタリングを行っている「地域公共交通会議」の委員を中心にサポーター企業や区民利用者等も委員に加えた評価委員会を設置し、IKEBUS運行事業評価を実施、その結果「利用者数等の実績」「広告換算費ほか数字に出ない成果」「保育園のミニ遠足等のIKEBUS活用事業」「まちの価値を高める装置としての浸透」などの点で高い評価が得られた(※132)。
 こうして最高時速19kmでまちの風景を楽しみながら安心して乗れるKEBUSは区民や来街者の足として、また道行く人々のアイコニックとして池袋のまちに定着していった。
 先に記載した区広報紙のインタビュー記事の中で、水戸岡鋭治氏は続けて次のように述べている。
 池袋は劇場が多く、いろいろな考えをもった人が表現できるまちです。このバスもひとつの小さな舞台のようなものだと思います。演じるのはバスに乗るみなさんです。一人ひとりが少しだけ特別な気持ちでバスに乗り、たくさんの人が思いを込めて作ったオンリーワンの空間を楽しんでもらいたい。そうした日常の繰り返しが、池袋に新しい文化をつくっていくのではないかと思います。
電気バス導入発表記者会見(平成30年1月)
IKEBUS出発式(令和元年11月)
IKEBUS路線運行開始(令和元年11月)
保育園児等の乗車体験事業

※127 池袋副都心移動システムについて(H310115副都心開発調査特別委員会資料) 

※128 池袋副都心移動システムについて(R010716副都心開発調査特別委員会資料)池袋副都心移動システムについて(R010913副都心開発調査特別委員会資料)KEBUSの保育園児等の乗車体験について(R010913副都心開発調査特別委員会資料)

※129 豊島区立芸術文化劇場(東京建物ブリリアホール)の竣工について(R010523議員協議会資料)池袋エリアコミュニケーション事業の展開についてR010926プレスリリース

※130 R011101プレスリリースR011031プレスリリースR011121プレスリリース池袋副都心移動システムについて(R011217・R020721副都心開発調査特別委員会資料)

※131 R020327プレスリリースR020403プレスリリースR020731プレスリリースR021006プレスリリースR021113プレスリリースR030921プレスリリース池袋副都心移動システムについて(R030913副都心開発調査特別委員会資料)池袋副都心移動システムについて(R050915副都心開発調査特別委員会資料)

※132 IKEBUSが導入された経緯と今後の運用について(R040620・R041129都市整備委員会資料)池袋副都心移動システムについて(R040912・R041215副都心開発調査特別委員会資料)池袋副都心移動システムについて(R050330副都心開発調査特別委員会資料)

◆ウイロード-改修から再生へ

 池袋駅の東西を結ぶ駅北側ガード下の地下通路「ウイロード(WE ROAD」は、正式名称を「雑司が谷隧道」といい、山手線の環状運行に合わせ大正14(1925)年に開通した。昭和60(1985)年に大規模な改修工事が行われ、その際に公募で「ウイロード」の愛称が付けられた。池袋の西(WEST)と東(EAST)を結ぶ私たち「WE」の英語にかけたネーミングである。だがそれから30年以上が経過する中で壁はひび割れ、天井からは漏水が滴るなど老朽化が著しかった。また平成29(2017)年12月に実施した歩行者交通量調査では、1日の歩行者数は平日30,189人、休日には46,204人にのぼり、東西通行の近道として多くの歩行者に利用されている一方、女性はそれぞれ9,643人(23.1%)、14,503人(31.4%)にとどまり、あまり利用されていない実態が明らかになった。延長77m、幅員3.6mと狭く、高さも2.1mと低く、戦後の一時期、悪臭漂う「ションベンガード」と呼ばれた残像を引きずり、「怖い・汚い・暗い」という池袋の負のイメージを象徴するような場所だったのである(※133)。
 2019 年に東アジア文化都市の開催が決まり、2020 年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催され、池袋にも国内外から多くの観光客が訪れることが予想されるなか、老朽化等の課題への対応も含め、ウイロードには早期の改修が必要とされた。このため区はこれを全面改修することとし、平成29(2017)年度から検討を開始した。「怖い・汚い・暗い」という負のイメージから「女性が安心して歩ける・きれい・明るい」イメージに刷新するため、区は老朽化した壁面タイルを剥がしてアルミパネルで覆い、女性アーティストによる絵画や写真作品等で飾り、アート感溢れる空間を創出しようと考え、女性アーティスト候補として美術作家の植田志保氏に声を掛けた。植田氏は「色のすること」をテーマに平面のみにとらわれず、装画、空間装飾、舞台アートワークなど多岐にわたる表現活動を国内外で展開しており、豊かな色彩で彩られた作品はウイロードのイメージを刷新するものと期待されたのである。区から作品提供の依頼を受けた植田氏は29(2017)年12月25日、池袋を訪れ、タイルを剥がされてむき出しになったウイロードの壁に手をあてた。-それが「ウイロード再生物語」の始まりだった。
 後に植田氏は高野区長との対談の中で、この時のことを次のように振り返っている(※134)。
 2017年12月、クリスマスの日に区の職員の方とウイロードで待ち合わせをしました。通路の中に入ると、なぜか心が震えました。いろんな命がここにあった。そのエネルギーの強さに引きつけられ、泣きそうな気持ちになりました。そこにある魂のようなものを一つひとつ撫でるように壁を手で触っていく。すると、ありのままでいい、この場所のすべてを肯定しながら、感じたことを表現すれば美しくなり、そのエネルギーは駅の東西をめぐり、循環する。そう強く思えました。
 そしてその日のうちに植田氏の方から、ウイロードの壁に直接、描画したいとの新たな提案を受けることになったのである。それは「つるつる」の無機質な壁に変えてしまうのではなく、「ざらざら」の壁をそのまま活かし、ウイロード本来の姿に色を重ねていきたいという提案であった。この想定外の提案に区は当初、戸惑ったが、だがパネルで覆ってアート作品で飾るのはどこにでも見られる方法であり、たとえ表面だけをきれいにしても短期間で陳腐化することは目に見えていた。過去を覆い隠すのではなく、この場所に刻まれた記憶を呼び覚まし、この場所でしかできない方法で再生したいという植田氏の提案に区も心を動かされた。
 また高野区長も、昭和58(1983)年に区議会議員になって最初の議会の一般質問で取り上げたのがこのウイロードの改修で、60(1985)年の改修工事の実現につなげた経緯があった。それだけにウイロードに対する思い入れは強く、こうした区長の思いと植田氏の熱意がぴたりと合致し、平成30(2018)年6月、「ウイロード改修工事」から「ウイロード再生プロジェクト」に名前を変え、「1000万のたましいを呼び覚ます『色のすること』~Tour of WE ROAD」というコンセプトのもとに始動した。このコンセプトはウイロードの年間通行者が1,000万人であることに加え、現在至るまでにこの通路を通った数えきれない人々の声に耳を澄ませ、「過去と向き合い、ここにある魂一つ一つに手を当てて全身全霊で制作したい」という植田氏の思いが込められていた。また漏水防止のための天井パネルへの描画も含め、描画制作のすべてが公開で行われることになった。それもまた、人々が通り過ぎる空間であるウイロードが生まれ変わっていく姿を「多くの人に見守り、分かち合ってもらいたい」、さらに「完成して終わりではなく、通行する方々が今後5年、10年という時間の中で育て、無意識のうちに語りかけてくれるものになれば」という植田氏の願いが込められていた(※135)。
 植田氏はまず、この場所に刻まれた記憶を掘り起こすため、地域の人々から話を聞き、またウイロードにまつわるエピソードを区のホームページで募集した。その中には青春時代の淡い恋の思い出もあれば、弾き語りをしていたおじさんのギターをいきなり借りて歌ったのが歌い始めるきっかっけになった、若者のヤンチャさを支えてくれるような優しさを昔から池袋に感じていたという思い出もあり、その一方、戦後に傷痍軍人が痛々しい体で地べたに座り込み、アコーディオンを弾いて通行人から施しを受けていたもの悲しい光景や、幼い頃にジメジメして暗くて狭くて怖かったこの道が嫌いだったなど、池袋というまちの光も影も映し出すエピソードが寄せられた。植田氏はこうした様々なエピソードからインスピレーションを得て、それを色に換え、壁に描き出していこうとしたのである。この手法は目の前にいる人との対話を通し個人の記憶や意識に潜む「色」を顕在化させる即興描画で、植田氏がライフワークとしていたものに共通した。だが1枚の絵を描くのとは違い、全長77mにも及ぶ壁の両面をたったひとりで描画していくには時間も労力もかかり、多大なエネルギーを要する作業になる。そのため植田氏は区内に住まいを移してまでし、まさに「全身全霊」で制作に向き合うことにした。そしてそうした植田氏の姿を地域の人々も応援した。
 公開制作に向けた壁面補修等の基礎工事に並行し、このプロジェクトを所管する道路整備課と植田氏の話し合いが重ねられ、相互に完成イメージを共有していった。そして平成31(2019)年3月8日、いよいよ池袋駅前公園で天井パネル描画の公開制作がスタートした。園内に設置された仮設の制作小屋は透明パネルで覆われ、外からも制作の様子を見ることができた。興味深そうに覗いていく人もいれば、地域の人々からの応援の声がけや差し入れも多く、植田氏もそうした人々との交流を深めながら制作を進めていった。そして5月末、色とりどりに描き分けられた3.5m×1.7mの天井パネル45枚の描画が完成し、6月にはウイロードの天井に取り付けられた。地面からの高さが2mほどしかなく、圧迫感のあった天井に様々な色が一斉に溢れ、それまで下を向いて足早に通り過ぎていた人々の多くが、立ち止まって天井を見上げるようになった(※136)。
 これに続いて7月3日から、壁面描画の公開制作がスタートした。床を「現在」に、天井を「未来」に、そして壁を「過去」を表すものとし、人々から聞き取ったまちの「過去」の記憶を色に換えていく作業が始まった。また全長77mのウイロードの躯体構造が5つのブロックによって構成されていたことから、万物は「木・火・土・金・水」の5種類の元素からなる五行説をあてはめ、東口から西口へと5つの異なる世界が描かれていった。通行する人々との何気ない会話や励ましの声をエネルギーに換え、夏から秋へと描画制作は日々進められ、11月24日、壁面描画開始から5か月、さらに池袋駅前公園での天井描画からは9か月にも及んだウイロードの描画制作が完成した。そして東西の入口のファサードはウイロードの100年の歴史を通り過ぎていった魂への鎮魂の祈りを込めて漆喰で塗り上げ、東口側は父親、西口側は母親のようなイメージで成形され、そこに東口の池袋四面塔稲荷大明神の鈴、西口のふくろ祭りの御神輿の縄で型押しし、それぞれの地域の思い出が刻印された。さらに通路内の照明も朝は「いってらっしゃい」、夕方は「おかえりなさい」をイメージさせるように時間帯に合わせ、また五行の巡りに合わせて5つのパートごとに変化する調光が施された。こうしてそれまで暗いイメージがつきまとっていたウイロードは、通行する誰もが様々な色に包まれて笑顔になれる空間に生まれ変わり、そして良くも悪しくも池袋の歴史を引き継ぐ唯一無二の場所として再生を果たしたのである(※137)。
 12月1日には完成記念式典が開催され、地域の人々とともにその完成を祝い合った。高野区長から感謝の言葉を贈られた植田氏は、「大好き、うれしい、ありがとうという気持ちでいっぱい。最後に制作した西側の大きな壁画は、ウイロードに昔から関わってきた多くの方のバトンを未来へつなげる思いで感謝の気持ちを込めて描いた。ウイロードが、日常生活の中で心を開いてありのままの自分でいられるような場所になってほしい」と喜びを語った。完成したウイロードでは、その後も継続的に地域の人々による清掃ボランティア活動が実施されている。それは植田氏の制作過程を見守った人々が、ウイロードの存在意義に改めて気づき、そして植田氏から渡された「バトン」を受け継いでウイロードを育てていこうという活動に他ならなかった(※138)。
 さらに令和3(2021)年11月、池袋駅北口駅前の公衆トイレ「ウイトピア」が再び植田氏の手により再生されることになった(※139)。
 このトイレは以前、ウイロード内の半地下にあったものを平成7(1995)年11月に地上に移設して建設されたもので、ウイロードとのデザインの統一性を図るため、地下のウイロードを深海に見立て、その上に浮かぶ船に見立てたデザインが採り入れられていた。このトイレも築20年を過ぎて老朽化が進み、また人々が往来するウイロードの頭上に船型の公衆トイレが浮かんでいることに違和感を抱く人も少なくなかった(※140)。
 このため区はウイロードに続いてこのウイトピアを改修することとし、トイレのデザイン・装飾とともに、このトイレにつながる北口側通路部分の壁面描画も含めて植田氏に委託したのである。植田氏はこのトイレをデザインするにあたり、ウイロードからの連続性を重視し、過去・現在・未来をつなぐウイロードを通った先にある「希望」をイメージし、このトイレ屋上部に重なり合う「ひかりの羽」のオブジェを設置することを着想した。そして子どもたちも参加する区民ワークショップを開催し、色とりどりのロープで「ひかりの羽」を編み込んだ。またトイレの天板には色鮮やかな模様が描かれたガラスが嵌め込まれ、空からの太陽の光やライトアップの照明の光を受け、ひかりの羽やガラス天板を通してトイレの床や道路に刻々と変化する光の影を映し出す仕掛けが施された。北口側通路の壁面描画と並行してトイレの内外壁の描画も進められ、約1年に及ぶ制作期間を経て、翌4(2022)年10月、生まれ変わったウイトピアが完成した。そして同年の区制施行90周年を記念して制作された記念誌のインタビューの中で、植田氏はこの光と影が織りなす「ひかりの羽」に込めた思いを次のように語っている(※141)。
 ウイロードの中から出て、次はみんなでどこを向いていきたいかなって考えたら、光に向かっていきたいというイメージが浮かびました。光があるから色が見える、その色をたどっていくと光の居場所がある、その光に向かって少し目線を上げ、深呼吸をして気持ちよく歩けるような仕掛けをしたいなと、思い切って「ひかりの羽」を生やさせていただきました。その羽も、染めたロープをまちの人や子どもたちと一緒に編んで作っています。ウイロードの公開制作を通してつながった絆を、みんなで羽を編むことで表現できるのではないかと。その羽を見上げて、みんなで上を向いていけるような、希望について一緒に考えられるようなオブジェクトになればいいなと思っています。
「ウイロード再生プロジェクト」記者会見(平成30年6月 )
天井パネル描画公開制作
壁面描画公開制作
「ウイロード再生プロジェクト」完成(令和元年12月)
池袋駅北口公衆トイレ「ウイトピア」改修完了(令和4年10月)
ウイトピア「ひかりの羽」

SDGs未来都市-100周年の未来へ

 こうして令和元(2019)年の「東アジア文化都市2019豊島」の開催とまちづくり記念事業の展開により、国際アート・カルチャー都市構想は着実に具体化され、池袋のまちの姿は大きく変わった。翌2(2020)年に新型コロナウィルス感染症が蔓延し、イベント等の開催はもとより、人々が集まる様々な活動が自粛されることになったことを思えば、まさに絶妙のタイミングでの開催だったと言える。そしてこの2019年の取組みをレガシーとして伝えていくため、令和2(2020)年10月26日、区は区議会の議決を経て「としま文化の日条例」を制定し、前年にHareza池袋芸術文化劇場が開館した11月1日を「としま文化の日」に定めた。この条例は以下の前文で始まる(※142)。
 文化は人とまちを元気にし、にぎわいや新たな価値を創造し、都市の魅力を高めます。文化による交流は、人と人との絆を深め、まちへの愛着・誇りをもたらし、平和と未来をつくります。
 豊島の文化は、多様な人々によって、地域で育まれ、継承されてきました。
 これまで豊島区は、基本構想に「伝統・文化と新たな息吹が融合する文化の風薫るまち」と位置付け、「文化創造都市宣言」を行い、「豊島区文化芸術振興条例」を定めるなど、文化を基軸としたまちづくりに取り組んできました。
 そして、社会情勢の急激な変化に対応し、持続発展できる都市づくりを推進するため、まち全体が舞台の誰もが主役になれる劇場都市「国際アート・カルチャー都市」を目指しています。
 この都市像を実現するためには、地球上の「誰一人取り残さない」社会の実現を目指す国際目標「SDGs」の理念を踏まえつつ、豊島区、区民及び文化芸術団体、地域団体、学校、企業等、あらゆる主体が特色のある文化芸術活動の連携を図り、地域一体で取り組んでいくことが重要です。
 その取組として、国家的文化プロジェクトである「東アジア文化都市2019豊島」の成功や「Hareza池袋」などの文化拠点整備といった、国内外の人々を魅了する、にぎわいあふれるまちづくりを進めてきました。こうした成果を踏まえ、誰をも受け入れ、誰からも受け入れられ、持続して発展することのできる社会の実現に向けて、地域が一体となった取組を次世代に継承し、更なる取組を進めていきます。
 ここに、豊島区は、国際アート・カルチャー都市のシンボル「Hareza池袋」の幕開けとなった令和元年11月1日を記念して「としま文化の日」を設け、あらゆる主体の力を結集し、豊かな文化を創造し続ける地域社会と明るい未来を子どもたちに引き継いでいくために、この条例を制定します。
 この条例前文からも分かるように、「としま文化の日」の制定は、それまでの文化を基軸とするまちづくりの取組み、また消滅可能性都市の指摘を受けたことを契機に新たな都市像として「国際アート・カルチャー都市」を掲げて展開してきた取組みをレガシーとして次世代への継承していくことを意図したものであった。そしてこの前文の中に「『SDGs』の理念を踏まえつつ」とあるように、区が「東アジア文化都市」の次の目標としたのは、「SDGs未来都市」に選定されることだった。
 SDGs未来都市とは、平成27(2015)年 9 月の国連サミットにおいて「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のため、2030 年を年限とする 17 の国際目標(SDGs)が全会一致で採択されたことを受け、このSDGs を日本の未来を創る国家戦略の主軸に据え、30(2018) 年から国(内閣府)が自治体による SDGs の達成に向けた取組の提案を公募し、優れた取組を提案する都市を「SDGs 未来都市」として選定するものである。さらにその中でも先導的取組みを行う都市を「自治体 SDGs モデル事業」に選定し、その取組みに対して財政支援を行なうもので、それまでに 60 都市が SDGs 未来都市に、20 事業が自治体SDGs モデル事業に選定されていた。
 この「SDGs 未来都市」の令和2(2020)年度選定を受けるべく、区は「消滅可能性都市からの脱却 ~持続して発展できる『国際アート・カルチャー都市』への挑戦」と題して内閣府に提案書を提出、また「自治体 SDGs モデル事業」として経済・社会・環境の3側面での事業展開と、それらをつなぐ統合的な取組みにより、持続可能なまちづくりを目指す「国際アート・カルチャー都市実現戦略推進事業」を提案した。これらの提案内容は区がそれまでに持続発展都市対策として4つの柱を掲げて取り組んできたものをSDGsの視点から再構築したものと言え、特にモデル事業の統合的な取組みとして、「池袋駅周辺4公園を中心とするエリアマネジメント組織間の連携」「 IKEBUS による4公園を中心とした連携強化」「身近な中小規模公園を住民とともに活用」の公園を核とする3つの事業を公民連携による都市空間活用プロジェクトに位置づけていた(※143)。
 そして内閣府による審査を経て、令和2(2020)年7月17日、豊島区は「SDGs 未来都市」と「自治体 SDGs モデル事業」にダブル選定された。このダブル選定は東京都では初となるものであり、消滅可能性都市の指摘を受けたことを契機に他区に先駆けて持続発展都市対策を強力に推進してきた6年間の成果がダブル選定につながったものと言えた。また東アジア文化都市まちづくり記念事業に位置づけた4つの公園構想を単に都市開発事業の枠組みにとどめるのではなく、公民連携による持続発展都市の仕組みづくりの装置として活用し、さらに地域の中に埋もれていた中小規模公園を地域住民との協働により再生させていくなど、複眼的な視点でまちづくりを進め、すでに一定の成果をあげている事業をモデル事業として打ち出したことが評価されたものであった(※144)。
 この選定を受け、区は同年8月、「豊島区SDGs未来都市計画」を策定した。同計画では、SDGsのゴールである2030年のあるべき姿として改めて「国際アート・カルチャー都市」の実現を掲げ、そのゴールに向けてSDGsの17の国際指標に基づく区としての指標・目標値を設定している。以後、区はこの計画に基づき、子どもから高齢者まで誰ひとり取り残さない社会の実現に向け、様々な取組みを展開していった。特にモデル事業に位置づけた「池袋駅周辺4公園を中心とするエリアマネジメント組織間の連携」として、前述したように令和2(2020)年12月に「IKE・SUNPARK」(としまみどりの防災公園)で「IKE・SUNPARK Farmers market(イケ・サンパーク ファーマーズマーケット)」を開始するとともに、IKEBUS活用事業や中小規模公園活用プロジェクトの面的拡大を図っていった(※145)。
 さらに同年10月23日、「としま文化の日」の制定に合わせ、この新たな目標を広く区民と共有していくため、「としまSDGs都市宣言」を行い、初の記念日となる11月1日の記念式典で高野区長が宣言文を読み上げた。次世代に対するレガシーの継承と新たな目標に向けた宣言を同時に行ったのである。以下に宣言全文を記す(※146)。
 豊島区は、人々の暮らしを豊かにする文化の力を最大限に引き出すことにより、消滅可能性都市を克服し、持続的に発展していく都市の未来像として「国際アート・カルチャー都市」を掲げ、その実現に向け、地域一丸となった取組を推進しています。
 SDGs(国連で採択された 2030 年を年限とする国際目標)が示す17の目標に挑戦し、個性あふれる地域社会として活力を高め、誰もが笑顔あふれる社会の実現に向けて行動する豊島区の一連の取組は、SDGs の理念や将来像とまさに考えを一つにするものです。
 私たちは、SDGs の実現に向け、地域の多様な主体とのパートナーシップにより、国際的視点で考え、地域主体で行動し、経済・社会・環境の好循環が生まれる持続可能なまちづくりを更に推進します。
 より良い未来をこれからの世代に引き継いでいけるよう、私たち一人ひとりが SDGs の理念である「誰一人取り残さない」社会の実現を目指し、行動することを宣言します。
 
としまSDGs都市宣言(グリーン大通り五差路にシンボル設置)
としま文化の日記念式典(令和2年11月)
 以上、本節では平成26(2014)年に消滅可能性都市の指摘を受けて以降、平成20年代後半から令和にかけての取組み経緯をたどってきた。
 そしてコロナ禍を乗り越え、令和4(2022)年、豊島区は区制施行90周年を迎えた。誰ひとり取り残さないSDGs未来都市をめざし、また区制施行100周年に向けた新たな第一歩を踏み出したのである(※147)。
 こうして「としま新時代」の幕があがり、豊島区の挑戦はさらに続いていく。

あとがきにかえて

 平成期の区史通史編として、第1章から本章にわたり平成30年間の区政の歩みをたどってきた。この通史編はこれまでに刊行されてきた「豊島区史」通史編全四巻(原始~昭和)を継承しつつも、その編さん方針・編さん方法において従前とは大きく異なる。
 第一に既刊区史のような刊本ではなく、WEB版として公開するものであること。これは既刊の資料編・年表編・地図編にあたる部分も含め、区史及び区史関連資料へのアクセスのしやすさや情報更新の利便性・効率性等の観点からWEB版を採用したものであり、また区制施行100周年に向けた区史編さん事業の継承を視野に入れたものである。
 第二にWEB版の特徴を活かし、通史本文に関連する典拠資料を容易に閲覧できるようしたこと。この典拠資料については「資料アーカイブ」としてデータベース化し、テーマやキーワードにより関連資料相互の検索性を確保するとともに、写真・映像資料等も含めた平成期の区史関連資料をアーカイブ化した。このアーカイブの構築こそが本事業の主眼でもあった。
 そして第三に既刊区史では学識経験者等を中心とする「区史編さん委員会」が執筆・監修等を担ったのに対し、この平成期の通史は区政資料を主な典拠資料に行政内部で執筆・監修して編んだものであること。その意味ではこの通史は平成期の行政史に止まるものであり、地域史としての「わが街ひすとりぃ」、区民史としての「ひと×街ひすとりぃ」、さらに平成期の重要な出来事について当時の担当者が綴った「平成とぴっくす」も合わせ、本サイト全体で「平成ひすとりぃ」を構成するものとして捉えていただきたい。
 この平成期通史編の完結をもって区制施行90周年記念の区史編さん事業は完了となるが、振り返れば平成期30年の豊島区の歴史は、少子高齢化が急速に進展するなか、福祉・教育を中心とする公共事業に邁進した加藤区政の10年、その結果として区の財政状況は破綻寸前に陥り、加藤区政を引き継いだ高野区政による財政再建の10年、そして文化による都市再生を自らの使命とする高野区長のもとで展開されたまちづくりが目に見える形になっていった10年に大括りすることができる。
 そして令和5(2023)年2月9日、24年間にわたって区政を牽引してきた高野区長は、「としま新時代」の幕開けを見届けたかのように、「わが人生に一片の悔いなし」の言葉を遺し、その生涯の幕を閉じた。享年85歳。その人生は自分が生まれ育った池袋、豊島区を日本一のまちにしたいという想いに貫かれたものであった。ここにご冥福をお祈り申し上げるとともに、この区史が高野前区長の業績の一端を伝えることになれば幸いである。
 そしてこれに続く令和の時代は、高野区政を引き継いだ新区長、区議会、そして何よりも豊島区をどのようなまちにしていきたいかという区民によってまた新たな歴史が築かれていくことになるだろう。その中で、この平成期30年の豊島区の歴史が検証し続けられていくことを願い、筆を擱く。