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第1回 高松
昭和から平成へ・・・まちの変遷を語る 【動画配信】
■現地ロケ編
(2018年5月15日収録)
直井浩さん、關純子さんに、実際に高松エリアをご案内いただきながら、高松の「狭い道」「長崎富士塚」「地区計画(高松二丁目桐葉通り)」「区民ひろば高松」について、お話をうかがいました。
■広報番組インタビュー編
(2018年6月23日放送)
■高松:4つのキーワード ( 現地ロケ編全文テキスト )
・狭い道[現地ロケ編:0分05秒~]
大正から昭和初期にかけて耕地整理がなされたため、昔、農道だったところがそのまま道路になっている箇所が多い。しかし、高松二丁目の一部の箇所は耕地整理が行われなかったため、道路が入り組んだエリアとなっており、加えて戦火にも免れた地域のため区画整理が行われず、現在でも狭い道が多い。
・長崎富士塚[現地ロケ編:1分36秒~]
江戸時代に民衆信仰として広まった富士講の月山講(椎名町元講)により築造。表面は富士山のボク石(溶岩)で覆われ、約8mの高さ。都区内にある江戸時代築造の富士塚の中では原形を最もよくとどめているとして、国の重要文化財に指定された。昔は子どもたちの遊び場だった。
・地区計画(高松二丁目桐葉通り)[現地ロケ編:4分37秒~]
静かで暮らしやすい住環境を維持しようと、住民発意で地区計画を提案した。地区計画を提案するには、地元住民の合意形成など大変な労力と時間がかかる。住宅地における「住民発意型」の地区計画としては、豊島区内で唯一の事例となっている。
・区民ひろば高松[現地ロケ編:6分23秒~]
「区民ひろば高松」は、乳幼児から高齢者まで幅広い世代が交流できる施設として利用され、地域コミュニティの核となっている。 区民ひろば高松の運営協議会は、豊島区内で最初に設立された。その運営協議会が母体となり「NPO法人おおきな木」を設立し、現在「区民ひろば高松」を自主運営している。