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昭和から平成へ・・・まちの変遷を語る 【動画配信】



  • 第14回 要町

    <ご出演者>

    稲富 文子(いなとみ ふみこ)さん ※写真右

    「区民ひろば要」運営協議会広報部部長。要町在住約60年。

    山田 和夫(やまだ かずお)さん ※写真左

    「要町あさやけ子ども食堂」店主。要町在住約70年。

■現地ロケ編
(2019年6月6日収録)

稲富 文子さん、山田 和夫さんに実際に要町地域をご案内いただきながら、「要町あさやけ子ども食堂」「すずめが丘アトリエ村跡」「要町通り」「粟島神社」についてお話をうかがいました。また、ゲストの本橋 勇さん、本橋 香里さんと「本橋家」、見米 初枝さんと「要太鼓」について語っていただきました。

<ゲストご出演者>

本橋 勇さん 「豊島長崎富士塚保存会」代表。

本橋 香里さん 「藤香想(とうかそう)」店主。

見米 初枝さん 「要太鼓保存会」代表。



■広報番組インタビュー編
(2019年7月28日収録)

豊島区の広報番組「としま情報スクエア」に、稲富 文子さん、山田 和夫さんにご出演いただき、要町地域の特徴や、昭和から平成にかけての変遷などを語っていただきました。


■要町:6つのキーワード  現地ロケ編全文テキスト


・要町あさやけ子ども食堂[現地ロケ編:00分23秒~]

2013(平成25)年3月、山田和夫さんが自宅兼パン屋を改装して、子ども一人でも入れる「子ども食堂」をオープン。初日にはネパール出身の親子が参加するなど国際色豊かな食堂となった。 同じ敷地内で「池袋あさやけベーカリー」も開店。路上生活を経験したり、心や身体に病気などを抱えた方たちが毎週水曜日にパンやおにぎりを作り、子ども食堂で販売したり路上生活をしている方たちに配っている。

・すずめが丘アトリエ村跡[現地ロケ編:01分49秒~]

1931年に奈良慶が画家を志す孫の次雄(のちに養子)のためにアトリエを一軒建てたことに始まる。その後、美術学校の学生のためにアトリエ付貸家を次々と建てて「すずめが丘アトリエ村」を作ったため、次雄は「アトリエ村の村長」と言われていた。かつて山田和夫さんの自宅敷地にもアトリエがあり、そのアトリエを画家・高山良策(1917-1982)に貸していた。高山良策は、画家のかたわら円谷プロの特撮怪獣制作に携わった。ガラモン、カネゴン、レッドキング等のほか、大映映画『大魔神』の大魔神造形も高山の作品である。

・本橋家[現地ロケ編:02分49秒~]ゲスト:本橋 勇さん、本橋 香里さん

高松二丁目の 「豊島長崎の富士塚」(国指定重要有形民俗文化財)は1862年に築造された。本橋家は富士講先達を長年務めている。「冨士元囃子」(豊島区無形民俗文化財)も、1907年頃に富士講の人々により地元の浅間神社と長崎神社の祭礼時に奉納したのに始まる。本橋家では、15代目先達となる勇さんが誕生した年に、要町の自宅の庭に富士塚を築造した。2015年、勇さんの長女である香里さんが、代々受け継がれている敷地にある古民家を改装して、集う家「カフェ藤香想」をオープンした。

・要町通り[現地ロケ編:07分05秒~]

1978年頃は、片側一車線の狭い道路でバスがすれ違うのに精一杯の通りだった。たくさんの個人商店が軒を連ねる商店街だったが、時代は地下鉄開通に向けて動き、それに伴う道路拡張により商店街は立ち退き転居を余儀なくされた。1983年に池袋・成増間、1988年に有楽町線の全線が開通、2008年には副都心線が開通した。現在、要通りの地下にはこれらの地下鉄が通っている。

・粟島神社[現地ロケ編:9分07秒~]

鎌倉時代末期に罔象女(水の神)を祀ったといい、大正時代まで雨乞祈祷が行われた。谷端川の中州(湧水点)に位置し、弁財天を祀る。境内の弁財池は、かつて谷端川の源泉であった。

・要太鼓[現地ロケ編:12分30秒~]ゲスト:見米 初枝さん

35年間も続く「要太鼓保存会」の活動は、1985年に発足。代表の見米初枝さんは、要町の子どもたちが太鼓の練習を通じて成長していくのを発足時から見守っている。毎週木曜日の夕方になると、要町一丁目会館からは子どもたちが元気に太鼓をたたく音が聞こえてくる。


■要町をもっと知る


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