門・塀・地鎮


塀の基礎
縦方向の浅い溝の中に石が並ぶ。

 冒頭でも紹介したように、1657年の明暦大火がきっかけとなって染井通りが敷設され、その南側は大名屋敷街になります。大名屋敷といえば、テレビの時代劇によって、その周囲はいかめしい白壁の築地塀が取り巻くイメージが定着しています。藤堂家下屋敷だった加賀美家地区の調査でも、染井通りに沿ってそのような土壁を持っていたと推測される塀(へい)の痕跡が発見されました。塀の痕跡は、幅約80cmの浅い溝の中に1尺5寸(約45cm)おきに上面の平らな石を置いた基礎部分が見つかっています。近くからは漆喰(しっくい)の捨てられたものも発見されました。藤堂家下屋敷は、染井通り沿いの白壁の塀を持っていたことが想像されます。

門の基礎 丸く浅い穴の中に石が詰め込まれていた。

 一方、大名屋敷の内側は、さらにいくつもの小さな屋敷に区分されていたようです。先ほどの白壁の内側に四脚門の基礎が発見されました。しかし、狭い範囲の調査では、どのような区画がこの中にあり、そこにどんな人が住んでいたのかはわかりませんでした。


地鎮具発見 カワラケを二枚あわせている。

 


地鎮具の中身 着色した砂と水晶・ガラス。

 ところで、自分の土地や建物の安全を祈願することは今も昔も変わりません。屋敷内側の、白壁のすぐ近くから、九星の呪文を記し、水晶・ガラスの玉、そして赤・黒・白(黄?)の砂を入れた大形のカワラケが発見されています。地鎮(ぢちん)・鎮壇(ちんだん)の祈りをこめて、この屋敷に住んだ人々が埋めたものなのでしょう。