建部内匠頭下屋敷の発掘調査

発掘区全景

 霊園事務所地区は染井通りの最西端にあり、江戸時代には林田藩の下屋敷となっていました。林田藩は現在の兵庫県の小大名でした。


図面作成作業のようす


調査をおこなった場所が下屋敷のどの部分にあたるのかは、残念ながら現在のところ不明です。屋敷の全容は、今後周辺地域の調査が進むにつれて明らかになるでしょう。

霊園事務所地区の遺構全体図

 この地区の調査では、約120㎡の面積の中に百数十に及ぶ柱穴と考えられる小穴が発見されました。小穴群は、溝で区画された内側に集中しており、複雑に絡みあっていました。大名屋敷の発掘調査では、しばしばこのように遺構が複雑に重複しあっていることがありますが、狭い面積にこれほど柱穴が密集することは稀です。

サクラの散る中での清掃作業

 発掘調査では、意外なところで苦労しました。発掘地区の周辺には、数本のサクラが植えられています。調査を実施した年はサクラの開花時期が早く、調査が終盤にかかるにつれ、日に日に蕾のふくらむサクラを憂慮しながら、作業が進められました。というのは、調査の最後は、発掘区内を綺麗に清掃して写真撮影を行うのですが、サクラの散り際の見事さは写真撮影の大敵です。我々の心配をよそに、サクラは撮影日を待たず満開となりました。撮影当日、サクラの花びらが吹雪のように舞い散り、清掃作業を何回も繰り返さなければなりませんでした。美しいサクラも、この時は憎らしく感じたものです。