地下式の温室

 幕末に来日したイギリス人植物学者ロバート・フォーチュンは、染井の植木屋を訪れ、その高度な栽培技術に驚嘆しました。しかし、彼の著書『江戸と北京』では、高い技術を習得した染井植木屋も温室の技術を持ち合わせていなかったと記されています。
 ところが、染井の植木屋が使っていた地下室(ちかむろ)は、植木屋が使っていたことや、科学的な分析の結果そして各種の文献資料などから考えて、一般的に大名屋敷などで発見される地下式の倉庫ではなく、寒気に弱い植物を保護するための温室としての用途が考えられます。フォーチュンの言う温室とは、ガラス張りのヨーロッパの温室で、染井にある地下室は温室とは思わなかったようです。

日本郵船地区発見の地下室

 江戸時代遺跡の調査では、大名屋敷を中心に、地下室と呼ばれる地下式の倉庫が数多く発掘されます。日本郵船地区の調査でも、不整な長方形を呈する一基の地下室が発掘されました。しかし、前述のようにこの地下室はおそらく植木用の温室として使われていたものと考えられ、大名屋敷などで発見されるものとは用途が違います。
 規模は南北4.6m、東西3.5m、深さ1.7mを測ります。室の中央部には階段が設けられ、内部は三つの部屋に分かれていました。この室は、土の天井を持っていなかったようです。そして、花粉分析やプラント・オパール分析の結果、中には「松」や「シダ植物」そして「稲ワラ」などの置かれていたことがわかりました。

地下室転用のゴミ穴から陶磁器出土

 地下室は、本来の機能を終了した後、ゴミ穴として再利用されていました。地下室からは、非常にちいさな植木鉢や植木鉢に転用された半胴甕などの特殊な遺物を含め、数多くの陶磁器が出土しました。


地下室から出土したミニ植木鉢(次頁参照)


また、地下室を埋める土の中には、炭化した樹木が厚い層となって堆積していました。この炭化材は、植木屋が枝下ろしをした際に切った枝で、焼却した後に一括廃棄したものと考えられます。