東金市田中字(あざ)中屋にあり、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・速秋津比売命(はやあきつひめのみこと)の二柱を祭神とする。村社であり、境内は五九八坪(一九七三平方メートル)の広さを持つ。
この神社は鹿島神宮系統の社であるが、その由来については、平将門の乱(天慶(てんきょう)の乱)の際、朝廷から征東大将軍に任ぜられた藤原忠文の要請によって勧請されたものといわれる。
その勧請の年時について、「上総国誌」(六之巻、村部下)には「天慶八年乙巳(きのとみ)九月十九日鎮座未詳と」書いている。天慶八年(九四五)といえばば、平将門の死(天慶三年)後五年目になる。すると、この社は乱平定を感謝する意味で勧請されたものであろうか。
なお、本社と同名の神社が隣区の福俵にある。福俵の社は田中の社が移祀されたものと「上総国誌」は書いている。(福俵の「鹿渡神社」の項参照)
また、本社は大正二年(一九一三)二月三日、同所字(あざ)岩木の水神社を合祀している。