東金市広瀬字入江にある。稲蒼魂命を祀る。村社であった。本社は享保一三年(一七二八)三月に創建された。明治元年(一八六八)になって、建物腐朽のため再建された。境内の広さは一一一坪(三六六平方メートル)である。
本社は小規模の神社ではあるが、江戸期の享保年間、塚崎新田開発の際、建立されたという由緒をもっている。すなわち、享保八年(一七二三)幕府の許可を得て塚崎新田の開発事業がすすめられたが、北塚崎が家徳村、南塚崎が広瀬村となって、二つの新田村がつくられることになったのが同一三年で、広瀬村では農業神としてこの神社を勧請したのである。以来、広瀬村の守り神として今日にいたっている。
なお、本社には子安神社が摂社として祀られている。祭神は木花佐久夜比売命(このはなさくやひめのみこと)である。建立の年時は不明である。
また、この社の境内には、「田畑見の塚」と題された、ささやかな碑が建てられている。これは、広瀬村開発の中心となった広瀬家五代目の当主広瀬伝三郎兼直とその友人の大谷八松が広瀬新田造成の記念として、文章と和歌とを刻んだものである。