東金市東中字(あざ)山王にある。面足命(おもだるのみこと)と惶根命(おそれねのみこと)の二柱の神を祀ってある。境内は二五二坪(八三一平方メートル)の広さである。
本社の起原について、「上総国山武郡神社明細帳」(明治一二年千葉県編)には次のように記されている。
「往昔長享年間(一四八七-八)古領主酒井定隆当神の神徳を仰ぎて、身体壮健たらんことを祈る。一種の神徳を献じてより酒井氏の代々祈願所たり。」
これによって、本社は長享以前に創建され、酒井氏(東金)から尊信されていたことがわかる。その酒井氏五代の城主政辰の時代、文禄二年(一五九三)社殿が再建されたことが棟札に記されてあったといわれる。
やがて徳川時代になると、社殿が老朽に瀕したので、慶安年中(一六四八-一六五一)領主の神尾備前守の手によって、復興された。その後、延宝七年(一六七九)閏(うるう)四月社殿の修築が行なわれている。また、文化五年(一八〇八)九月には氏子たちが鳥居を寄進している。
明治になって本社は村社に列せられた。
なお、本社は俗に第六天と呼ばれていた。世間的にはこの名のほうが一般的であった。それは、祭神が面足命と惶根命の二柱で、この二神は天神第六代の男女神であるところから、仏教の守護神たる第六天王に附会され、人民の災害を防ぐ神として信ぜられるようになったからである。当地方では、大沼田の皇産霊神社はじめ、第六天と呼ばれる神社は数社ある。本社の鳥居は前述のとおり文化五年に寄進されたものであるが、その向かって右の柱には「第六天御宝前」と刻まれていることを言いそえておきたい。これが第六天さまと俗称されていた何よりの証拠である。