東金市大豆谷字村前にあり、顕本法華宗に所属し、最福寺(谷)の末寺である。
本寺は明応七年(一四九八)十月、(ただし、次記資料には「永正一〇年」とある。)日慈によって開基されたと伝えられる。
参考資料
当寺本寺末寺宗門人別之事
東金領大豆谷村
本立山 長福寺
本寺上総国東金領西福寺
一 当寺 法花宗
但、開基永正拾年(一五一三)より貞享弐年(一六八五)迄百七拾三年
開山長福院より拙僧迄拾三代目
一 寺内除長弐拾間横拾三間山共ニ先規より除地之由、但、証文無二御座一候得共、名主百姓数年存知参り申候。
一 寺付年貢地田高弐石弐斗六升七合、諸役百姓並ニ勤申候。
一 寺中ニ天神一社御座候。
一 先住隠居寺内ニ別家ニ指置、衣類等ハ不レ及二申ニ一、諸事此方より賄家修覆等迄使仕候。
右之通相違無二御座一候。若年貢地増減御座候ハバ、御断可レ申候。家内人別之義ハ毎年春之書付出シ可レ申候。仍而如件。
貞享二年(一六八五)丑六月廿五日
拙僧義当寺無住ニ付丑ノ廿四日入院仕候
長福寺
年三十四
日教
原田源左衛門殿
福田新左衛門殿
(大豆谷木村家所蔵文書)