天久山観喜寺(家之子 天台宗)

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 東金市家之子字城下谷(ねごや)にある。
 本寺はもと光明寺(天台宗、成東町富田)の末寺であったという。むかしは檀家も多く隆盛であったが、江戸中期の元文年中(一七三六-四〇)から離檀する者が多くなり、漸次衰微に向かい、大正の頃には、堂宇も荒廃し、観音堂が一宇残り、檀家も絶えてしまったと伝えられる。