本竜寺(福俵)

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 東金市福俵字蛇島にある。顕本法華宗本福寺の末寺である。
 本寺は江戸初期の慶長三年(一五九八)に創建されたと伝えられる。(「上総国山武郡寺院明細帳」による。)そして、開基は日明であるという。日明は宮谷檀林で修業した僧であるが、自己の修業が未熟なため、罪障が消滅しないことを深く懺悔するとともに、不動尊への信仰を高め、その霊験によって開悟するにいたったので、伝教大師作といわれる尊像を祀って本寺を開いたという。この尊像は波切の霊像といわれ、恐ろしい波浪といえどもこの霊験を没することができないほどありがたいものとされていた。日明のあと、日楽が継いで本寺の発展をはかったが、江戸後期には、たびたび天災にあったりしてだんだん衰微に向うようになり、今や廃寺同様の状況に立ちいたっている。まことに残念な次第である。
 なお、本寺の山門は明治初年東金御殿の建物が解体された時、門の一つが移建されたものとして、識者の間に重んぜられていたのであるが、昭和五〇年(一九七五)一二月、これを調査した小川政吉氏(前千葉県文化財保護協会理事長、当時は事務局長であった。)は、次のようにレポートしているので、参考のためここに転載しておく。
 
「この山門は、切妻造り、桟瓦葺(ふ)き、一間一戸の棟門形式でつくられているが、現状の構造材とその構成からみて、東金御殿(御成やしき)の創建時のものでないことは、誤りないであろう。東金市文化財審議委員諸氏の語るところから推定してみても、第一に、東金御殿のいずれかの門として建立されていたものを、明治七年(一八七四)先ず鶴岡庄兵衛方に払い下げて移築したこと。第二には、さらに約十年後の明治十八年(一八八五)に、鶴岡氏から本竜寺へ寄進するため再び移建したこと。叙上の如く、二度に亘る移建が行われたことから、右の何れかの時期に、架構材の大部分を改補したものと考えられるのである。
  現状の架構材からみて、また、施工技法からみて、少くとも二本の主柱を除いては、江戸期に建立された当時のものではなく、移建時に大幅に改補されたものであることが認められるので、建築資料の上からは、他の山門に比して、その重要性が弱いものと思料する次第である。」 (「東金市文化財報告書-主として建造物について-」)
 

本竜寺山門

 これによると、東金御殿の遺構材が移建されたとはいいながら、直接移建ではなく、間接移建であるから、その間、架構材の大部分が改補されていて、江戸時代の建立材とみられるのは、二本の主柱だけにすぎないと思われるというのである。専門家の意見であるから、尊重すべきであろう。
 
 参考資料
  この文書は、安政四年(一八五八)、本寺が廃亡の危機にのぞんだため、信徒に呼びかけて復興をはかった資金集めの奉加帳の前文である。本寺の由緒を知るための、資料となるので掲げておく。
 
    略縁記(本龍寺)
 当山に安置し奉る不動尊は、伝教大師入唐(にっとう)の砌(みぎ)り、海上安全の為めに彫刻し、深く発願したまふが故に、船中にて数度危急の風波ありといへども、尊像の感応によって難なく帰朝せしが故に、世挙げて波切の霊像と称し奉る。是れ全く波浪も没する能はずの金言、宜(むべ)なるかな。其の後、所謂(ゆえ)ありて当処に鎮座在(おわ)しましてより已来(いらい)幾星霜を経て、心願の輩意の如く満足なさざるはなし。霊験新たなる事、衆のしろしめす所なり。
 就中(なかんずく)、当山の開基日明上人といへる僧、宮谷(みやさく)檀林におゐて、新説の折、過去の業障滅せざるにや、御品(ほん)の通読なりがたく、之れに依って慙愧(ざんき)して東西に奔走し、或る夜、不動尊の拝殿に止宿し、吟味を満たし一睡の折柄、尊像告げて曰く、汝宿業あり。我を信じて経巻を誦せよ。必ず大願成就(じょうじゅ)疑なし、と。日明、改悔懴悔して、専ら不動尊を信じ、幾日を経ず新説成就し、歓喜外に余り、利益無窮の恩を謝せんと、慶長年間に当山を草創せり。日楽以来、檀林の鎮守と崇め奉り、説僧一同歩を運びて尊像を拝謝す。其の外、往古より今に至るまで現証の利益を蒙りし(事)計ふるに遑(いとま)あらず。実に世に希なる霊とは是れなり。仰ぎて信ずべし。伏して願ふべし。
 然るに、近年度々の天災にて御堂其の外、破廃に及べり。小檀薄禄の小寺、行力(ぎょうりき)におよばずして、今般四方の信男女の助成を願ひ、修覆造営仕り度く、何卒多少に限らず、御施入(せにゅう)の程、偏へに願上げ奉り候。然る上は、尊名拝前にしるし、永く御家門長久を祈り奉るべく候。以上。
   安政四(一八五七)巳(み)年
       十月
                    蛇島村
                        本龍寺
                        并
                        世話人
                         九左衛門
                         善右衛門
                         善左衛門