明治二〇年(一八八七)二月一日に、故高橋あいにより、東金市田間一九九九番地の現在地に開校された。
約三〇名の生徒を集めて、二年の課程で「裁縫技芸塾」という名称で、裁縫を主に、一般教養科目も含めて、女子教育の先鞭をつけた。創立者高橋あいの人格識見は定評があり、生徒の訓育の面では特にきびしく、礼儀作法を重視し、堅実な家庭婦人の育成のため尽力した。
本校の建学の精神である「美しき母性の創造」は、創立以来の教育目標であり、明治・大正・昭和の激動の時代を乗り越えて、一〇〇年に近い現在までその輝かしい伝統を誇っているのである。本校は千葉県下でも最も古い歴史と実績をもつ女子高校として、今も理想的な母性教育を目指して前進を続けているのである。
△発展期
明治三六年(一九〇三)七月七日、「東金裁縫女学校」として、千葉県知事より認可を受け、高橋あい校長、高橋幸吉校主となる。塾から学校組織となって、その評価も次第に高まり、近隣町村だけでなく、海匝・香取・長生・夷隅の広範囲の地域から生徒が集まり、寄宿生活をする生徒も常に五〇名程度あった。
修業年限は三年となり、大正一二年(一九二三)度入学の本科生徒の授業科目は、修身・国語・算術・裁縫・家政・簿記・作法・手芸・生花・料理の一〇科目であった。
昭和六年(一九三一)三月末までに、東金裁縫女学校時代の卒業生の数は、本科・速成科・研究科等を合せて八四六名であった。
同年二月二四日、「東金女子高等職業学校」と改称し、甲種実業学校として文部大臣より認可される。授業科目は、修身・公民・裁縫・家事・算術・国語・手芸・作法・体操・音楽・教育・図画・茶道・生花・料理の一五科目である。
東金女子高等学校国旗掲揚式風景(昭和11年)(東金女子高等職業学校時代)
昭和一五年(一九四〇)二月九日、高橋あい校長が死亡し、第二代高橋たい校長が就任、先代の遺志と方針を継いで女子教育に献身する。
△第二期
昭和一七年(一九四二)四月、戦時非常措置により、校名を「東金女子農業学校」と変更し、家庭経済の改善や食糧増産の推進教育に当たる。山林を開墾して農地を拡張したり、皇居への清掃勤労奉仕、教室に電動ミシンを入れて、軍服の縫製作業等が行なわれた。
昭和一八年(一九四三)四月一日、財団法人の設立が認可され、高橋為忠校長、高橋たい副校長が就任。教職員組織や教育課程を改正して、戦時下の女子教育の充実につとめる。
昭和二〇年(一九四五)一〇月一〇日、太平洋戦争の終結により、校名を再び「東金女子高等職業学校」と改める。
昭和二一年(一九四六)五月一〇日、生徒数増加により校地校舎とも狭隘となったため、山武郡横芝町栗山に移転し、校名を「横芝女子高等職業学校」と改称する。
昭和二三年(一九四八)四月一日、学制改革により「高橋高等学校」家政科として改編する。また姉妹校として「高橋和洋裁学院」の設立認可を受ける。
昭和二六年(一九五一)二月一日、学校法人高橋学園として組織変更が認可され、高橋為忠校長が理事長に就任する。
昭和二八年(一九五三)三月二〇日、横芝町より東金市の現在地に復帰する。
△第三期
昭和三三年(一九五八)四月一日、「東金女子高等学校」と改称し、その充実発展を期する。昭和三六年(一九六一)度より商業科、三八年(一九六三)度より、普通科を設置し、家政科二学級、商業科二学級、普通科二学級の総合高等学校となる。
この間、三五年(一九六〇)第二校地を取得し、三六年から木造校舎を鉄筋コンクリート校舎に改築の工事が進められる。
昭和四二年(一九六七)五月、多年の教育事業の功績により高橋為忠校長は、藍綬褒章を受賞した。
昭和四三年(一九六八)四月一日、高橋美光が第四代学校長に就任する。
昭和四九年(一九七四)四月二九日、高橋為忠理事長は私学振興の功により勲四等旭日小綬章を受賞する。
昭和四九年(一九七四)秋より、学校整備五か年計画が着手される。鉄骨三階建体育館新築、鉄筋五階建特別教室増築、鉄筋二階建玄関ロビー読書研修室増築、運動場用地買収事業と造成建設工事、テニスコート用地の買収とクラブハウス建築工事、校庭の拡張整備や、学生ホール、応接室、保健室の改装工事等が総額八億円を投じて完工され、昭和五三年(一九七八)秋、学校整備五か年計画は有終の美をおさめて完了した。
△第四期
昭和五三年(一九七八)九月三日、三笠宮崇仁親王殿下が御来校、創立以来の伝統のある日本刺繍の授業風景を御覧になる。
同年一〇月二六日、創立九〇周年記念式典を挙行。千葉県知事はじめ多数の名士が来臨され盛大な祝賀会があげられた。
昭和五六年(一九八一)七月、運動場の一隅に本漸寺公園がオープン、ここに建立された「提灯(ちょうちん)松の記念碑」の除幕式が行なわれる。昭和五四年(一九七九)度より「内容の充実」「本校教育原理の確立」を目標に全校あげて研究努力をつづけている。
また「魅力ある私学の特色づくり」にも大いなる努力がそそがれ、優れた教育環境の中で、授業は月-金に集中し、土曜日はホームルームと、クラブ活動とする「授業五日制」「九〇分授業」が実施され、また国旗掲揚の励行、学校食堂の運営、LL教室、オフィスコンピューターやロードプロセッサーの導入等、斬新にして発刺たる教育活動が展開され、めざましい成果をおさめつつある。
東金女子高等学校(昭和58年)