昭和四八年四月一日、初代大網孝校長、小倉久典教頭、川島貫誠事務長が発令。発足当時の児童生徒数は小学部二八名、中学部一〇名。計三八名。学級数は小学部五学級、中学部一学級、計六学級。職員男一六名、女七名、計二三名であった。
昭和四八年五月一日、東金市田間二〇七〇番地、旧県立東金商業高等学校を仮校舎に、開校式、入学式を挙行した。開校と同時に、文部省および国立特殊教育総合研究所から、教育課程に関する研究協力校の指定を受け、三年計画で研究に取り組む。
昭和四九年(一九七四)四月二〇日、小学部棟が完成、五月一日仮校舎から移転。
昭和五〇年(一九七五)三月三一日、体育館完成、四月一八日、管理棟、八月三一日、中学部棟が完成。
同年一〇月二四日、校旗が石橋一弥(現衆議院議員)、校歌が鈴木勝(前県議会議員)から寄贈され披露式を行う。
昭和五一年(一九七六)二月一〇日、教育課程中間研究発表会を開催。
昭和五二年(一九七七)四月一日、第二代校長大石三郎が発令、特殊学級担任、県特殊教育担当指導主事の経験を生かし、その教育内容、方法を重視。この年から、国立、県特殊教育研究校となり、昭和五三年度(一九七八)には、県教委よりの研究学校の指定を受ける。教育課程の内容の研究、遊びの学習、生活単元学習、作業学習の実践的研究に取り組む。
昭和五三年(一九七八)一一月二二日、県教育委員会主催の公開研究発表会を開き、全国から四〇〇名余りの会員が集まる。
昭和五五年(一九八〇)四月一日、大石三郎校長に代り、第三代遠山農夫雄校長が発令。
四月一七日、作業学習棟が完成。中学部棟にいた高等部生徒は作業棟に移動。高等部教育のあるべき姿を求め各種の作業学習を開始。
昭和五七年(一九八二)五月一日、副知事、県教育委員長はじめ百数十名の来賓の列席を得て、創立一〇周年記念式典を挙行、記念事業として、校歌碑建立・アスレチック建設・記念誌刊行・記念植樹・学園祭等を行なう。特に一一月一九日開催の全国公開研究会は三百数十名が参集。充実した研究内容に多くの会員の高い評価を得る。県立東金養護学校は地域の支援によりいよいよ発展の道を進んでいる。
県立東金養護学校