東金市立東金幼稚園

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 東金幼稚園は県下でも最も古い幼稚園として、昭和一二年(一九三六)四月創立される。
 開園当時は東金小学校低学年校舎の一部を使用。東金町立東金小学校附属幼稚園と称する。園児は一年保育五歳児(六三名)、三クラス編成により発足。初代鈴木源輔小学校長兼務園長および職員四名により誕生。翌年二年保育児を収容。
 昭和一四年(一九三九)には三年保育児(三歳児)も収容する。昭和一九年(一九四四)太平洋戦争のため園舎を兵舎として使用。昭和二〇年(一九四五)七月三一日より休園。その後終戦となり軍隊復員のため、昭和二〇年(一九四五)一一月三〇日再開園する。昭和二三年(一九四八)五月東金幼稚園PTA発足。昭和二九年(一九五四)四月一日、東金市立東金小学校附属幼稚園と園名変更。同三四年(一九五九)一〇月学校給食開始。同三六年(一九六一)四月一日東金小学校附属幼稚園嶺南分室を設置。嶺南分校の一教室を使用、一年保育(五歳児)開設。三七年(一九六二)四月一日東金市立東金幼稚園嶺南分室と園名変更。園児数も増加し、四五年度(一九七〇)は三四一名、八クラスとなり、広く千葉泉方面、片貝方面、成東方面よりの申込み殺到する混雑状態であったので、市当局は増園に努力した結果、昭和四七年度(一九七二)に正気・丘山の両幼稚園が誕生するにいたった。しかも、四八年度(一九七三)は三一六名の多数志望者があったため、四九年度(一九七四)に、さらに城西・公平の両幼稚園が誕生した。この年分室は嶺南分園と改名。四歳児のクラスを設け二学級編成となる。昭和五〇年(一九七五)園歌制定。昭和五三年(一九七八)八月園舎改築のため中央玄関右側をとりこわし、左側教室および二階二教室に移転し保育する。昭和五四年(一九七九)三月鉄筋園舎完成移転。昭和五五年(一九八〇)園庭の砂入れ整地および芝植え、またPTA奉仕作業により砂山作り、園庭のふみ石並べ、遊具施設の整備を行ない、七月一五日、千葉テレビにより「環境構成のあり方」という主題で県下に放映する。その後一一月PTAによる電柱のアスレチック遊具作成、整った環境の下で、五五年(一九八〇)一一月国公立幼稚園協会指定の公開研究会を開催(健康領域、移動遊具を使った活動)した。

前東金幼稚園舎(元東金小学校本校)

 昭和五七年(一九八二)五月PTA活動の実績が認められ、国公立幼稚園PTA連協より表彰を受けた。現在、東金幼稚園は、園舎をはじめ、遊具施設も整い、恵まれた環境のもと、県下で最も古い歴史をもつ幼稚園として、健全な幼児教育に努力している。
 
 歴代園長
  鈴木源輔 昭和一二年四月~昭和二一年三月
  石田昇 昭和二一年四月~昭和二二年三月
  吉原実 昭和二二年四月~昭和二七年三月
  実方弥 昭和二七年四月~昭和四一年三月
  古谷胖 昭和四一年四月~昭和四八年三月
  鈴木伝六 昭和四八年四月~昭和四九年三月
  高山博善 昭和四九年四月~昭和五二年三月
  真壁弥 昭和五二年四月~昭和五七年三月
  石井一夫 昭和五七年四月~昭和六〇年三月
  鈴木喜久雄 昭和六〇年四月~

現東金幼稚園