したがって、橋桁を持ち欄干をもつ橋梁と呼ぶにふさわしい橋は数少なく、加えて、道路・舗装技術の進歩は見るべきものがあって、橋梁の形態を止めているものは極めて少ない。
今、地域によって、名称のつけられている橋をあげると左の通りである。
杉谷直道著「東金町誌草稿」には
(1) 東金町内五橋
ア 鶴見橋 イ 御成橋 ウ 三枚橋 エ 金(こがね)橋 オ 東(あずま)橋
(2) 東金浜街道二橋
ア 千鳥橋 イ 行合橋
(3) 東金里程一五橋
ア 弁天橋 イ 松橋 ウ 竹橋 エ 梅ケ橋
オ 千年橋 カ 万年橋 キ 泉橋 ク 岩喜橋
ケ ハ幡橋 コ 市神橋 サ 境橋 シ 宝来橋
ス 豊年橋 セ 千眼橋 ソ 永年橋
等の名が記されている。
今、これらはどこに架せられていた橋か、探さなければわからないが、往昔は、町内を流れていた小川に架せられた木橋・石橋にそれぞれ名称がつけられていたようだ。このことは、東金町以外の他の村々の橋にもそれぞれ名称がつけられていたに違いないが、古老に尋ねても明らかでない。