現在は前者を豊海県道、後者を片貝県道と呼んでいる。
ところで、記録によれば、
ア 千鳥橋 東金上宿町より、九十九里浜行き川場道にかけられた木橋
イ 行合(ゆきあい)橋 新宿町より九十九里浜行き北之幸谷道に架渡した石橋
とある。
ア 千鳥橋
説明によって豊海県道に架せられた橋であるということから水路を考察すると、この県道を横切る川は松栄堂の付近で、上宿裏道を流れる川と、岩崎東光堂前を南流する上宿裏道を流れる川との合流点のみである。
従って、千鳥橋は図のAと見ることが出来る。この川場道は道幅の狭い砂利道であったが、昭和二〇年(一九四五)の敗戦を契機に米軍が豊海に進駐し、豊海海岸はアメリカ軍の演習場となったのであるが、この折、道幅を拡幅し、道路が現在のように改められたのである。
その折、木橋であった千鳥橋は当然その姿を改めたといえるであろう。
察するところ、千鳥とは辞典に見られる「多くの鳥」の意であって、「千鳥科又はその近縁の鳥の総称」ではないと考えられる。原野の中に、沢山の鳥がむれ遊んでいた往昔がしのばれる名である。
イ 行合(ゆきあい)橋
これはロマンのある名称である。片貝県道にかかっていた橋のようであるが、その位置は明らかでない。
水路を調査してみると、新宿と田間境を流れる水は、片貝県道に並行して警察署前を通り、東金線の下を越える。
この水路が、片貝県道を横切って、反対側に流れる位置は明らかでない。
いずれにしても、東金線の第二片貝踏切より東、北之幸谷との間に、この行合橋はかけられていたと考えることが出来る。