九十九里鉄道

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 九十九里鉄道は、九十九里軌道ともいって、信州の草軽鉄道と共に、有名な軌道車であった。
 狭軌(きょうき)の極めて貧弱なこの軌道車は、東金駅を出ると右にまがって、国鉄線とわかれ、広々とした九十九里平野の中を一路上総片貝をめざす。
 ガタゴトと揺れのはげしいもので、つい最近までのバスのように、両側に長い椅子が向きあっており、車内には、つり皮につかまって立っている人が多かった。
 車内の会話は、浜の言葉が多く、そうした雑踏を乗せて、一メートルも伸びたような草を、なぎ倒しながら走る。車窓は、全くの平坦な変化に乏しいたんぼが続き、何一つ目印になるものはない。
 終点までに駅は五つあった。掘上・家徳・荒生・西・上総片貝であるが、夜ともなれば、車内はうす暗いルームランプで人の顔がやっと見分けられるような車だった。

 

 気動車は、延べ六両だったが、後年には、丸山車輛製のキハ一〇二-一〇四の三両だけだった。
 しかし、三両連結のこの車は、朝夕は通学通勤客で、日中は一般旅客、物資輸送で満員であって、九十九里の浜の町片貝と東金線東金駅を結ぶ八・六キロメートルの唯一の交通機関だったのである。
 営業開始の大正一五年(一九二六)一一月二五日の現状について、昭和一〇年(一九三五)発行の「海の片貝」に次のように書かれている。
 
上総片貝町旅客貨物東金片貝間片貝町内粁程備考
発送到着粁程
トンkgkmkm
66,20363,6542,78945381.5

 「九十九里町誌」によれば、昭和二年(一九二七)三月二日、上総片貝駅から、北は鳴浜村本須賀(成東町本須賀)へ、南は、豊海村真亀(九十九里町)へ通ずる路線六・六キロメートル建設の特許を得ながら、とうとう実現しないまま昭和一一年(一九三六)から翌一二年(一九三七)にかけて免許は失効してしまったという。
 社名は、昭和六年(一九三一)一二月二六日、「九十九里鉄道株式会社」と変更されているが、この軌道車も昭和三六年(一九六一)二月二八日の最終車を最後にして廃止されてしまった。
 その後バスへ転換し、今日に至るのであるが、軌道の走ったあとは所々に道路として残っている程度で、その当時の姿を偲(しの)ぶことも出来ない。

九十九里鉄道株式会社(東金市田間)

 参考資料
 
○初、九十九里軌道会社と称し、東金・片貝間を運転、軌道自動車にして其間堀上・家徳・荒生・西等の停留所あり、資本金二十五万円、大正一四年一二月設立申請、大正一五年三月二日工事施行認可、同年三月一四日起工式挙行。同年一一月運転開始。昭和六年一二月二六日、認可を得て、九十九里鉄道会社と改称、今日に至る。
 初代社長大野秀一・二代篠原蔵司・三代中村尚武。
              (志賀吾郷著「東金町誌」一〇八頁)
○九十九里鉄道株式会社の経営する九十九里鉄道は、東金駅を起点として、上総片貝駅に至る。延長八粁六分の路線を運転する当地方唯一の私鉄路線である。
 一日の運転回数、東金発上総片貝行一一回
         上総片貝発東金行一二回
である。又中間には、東金から、ほりあげ・かとく・あらおい・にし及び学校前の五駅があって、通学・通勤及び一般旅行者の至便な交通機関となっている。
 
▽私鉄九十九里鉄道東金駅
 ア 所在地 東金市東金六〇〇番地(電話東金一六三番)
 イ 沿革の概要
  ●大正一四年一二月設立認可される。
  ●大正一五年一二月東金町から片貝駅に至る八粁六の鉄道の運輸営業を開始する。
  ●昭和二三年一二月、東金町から片貝町・豊海町・白里町に至る一四・八五粁の乗合バスの営業を開始する。
  ●昭和二五年八月、東金町から豊海町に至る九粁三分、東金町から八街町に至る一六粁の営業を開始する。
  ●昭和二六年三月観光バスの営業を開始した。
 ウ 役職員
  取締役社長北条一郎(昭和二二・二・二八就任)常務取締役中沢幸次郎、取締役総務課長渡辺千里、運輸課長行木政吉
 エ 昭和二八年度の乗降者人員・運賃
  ●乗降総人員数七四〇、一八七人
  ●旅客運賃一二、九九三、八七九円
 オ 昭和二八年度の貨物取扱屯数・運賃
  ●輸送屯数五八六屯
  ●運賃四二六、三五三円
                  (「山武地方誌」九八頁)

○九十九里鉄道切符
(九十九里鉄道株式会社より)