百樋(ひゃくどい)

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 百樋は、滝川の水を分水して、大和村田中(東金市田中)を通って福俵村(東金市福俵)に引くために設けた土樋である。
 その位置は、東金市田中字御堂法である。
 御堂法というところは、東金方面から千葉へ向かう場合、台方一丁目のバス停より、約一〇〇メートル程のところで国道一二六号線の在側である。右側は大豆谷である。ここに土樋が伏せられたのは、寛永一八年(一六四一)のことで、福俵村の飲料および灌漑に供するためのものであった。

 

 したがって、この福俵へ流す水分だけ、小野川から五十樋(駒込樋ともいう)を通じて滝川へ水を流したものであって、五十樋に福俵から番人を送って、五十樋の流水に当たらせたり、その流水を怠った場合、その堰番を「三日間堰場に曝(さら)し者」にしたり、この百樋・五十樋の伏せ替え工事は、すべて福俵区の責任となっていたという。
 百樋・五十樋と称したのは、一文銭を百個又は五十個銭ざしにさした寸法を基準にしたものだともいい、また、樋口の面積を一文銭百個または五十個正方形に並べた大きさだともいわれている。
 いずれにしても、この百樋を水が流れない時は、福俵においては灌漑用水であると共に飲料水であるだけに死活問題であった。
 そのため、例えば台方方面の人が樋口附近を一寸でも深く掘り下げれば、水は台方方面に流れ、百樋へ流水しなくなる。
 こうした争いは、長い間つづいた。貞享・元禄・寛保・宝暦・文化・天保・弘化・慶応・明治と数多くの訴訟事件があるが、これらについては、「東金市史・史料篇三」(七五一~八八七)を参照されたい。
 一方、台方・東金方面は灌漑用水であるが旱天時には一滴の水も貴重で、この方面への流水に関心が高かった。
 だから、些細なことでも「水問題」が起こった。例えば、台方方面の人が、樋口附近を、一寸でも深く掘り下げれば、水は台方方面に流れ、百樋へ流水する量は減少する。
 こうして争いは訴訟問題を起こしている。
 貞享二年(一六八五)、元禄七年(一六九四)、明和三年(一七六六年)、文化三年(一八〇六)、天保四年(一八三三)、弘化三年(一八四六)の訴訟事件について、「東金市史・史料篇三」(七五一~八八七頁)に当時の文書が掲載されているので参照されたい。
 なお、こうした争いは、明治に入ってからも起きている。
 
 参考資料
 
(一) 台方村関みぞより、福俵へ水取るとひ(樋)ふせ(伏)申す定(さだめ)の事
 一、とひ内のりの義はせん/\ことく事。
 一、とひかうばい、一間に付き四分づつ弐間半の末にて壱寸さがりに相定め極り申し候事。
 一、とひの内のりの上面より水弐寸五分上り候様にふせ申す事。
  但し、川上の水の高下により少しづつ勘認申すべく候。
 右、是は此度双方とひの高下出入御座候に付き、隣郷の百姓衆御扱ひにて、右之通りに相定め申し候間、互に以来相違申すまじく候。此の上こまごめ(駒込)とひと申し候を若し見出し候はば水番の者せつかん仕りとひ場に三日さらし申すべく候。以来の為御扱衆裏判にて手形取引申候。後日の為仍(よって)而件の如し。
  寛永一八年(一六四一)卯月七日
        福俵村  市兵衛
             五郎右衛門
             惣百姓中
  台方村雅楽助殿
      惣百姓中
  辺田方村 四郎右衛門殿
       市左衛門殿
       惣百姓中
  台方村
  辺田方村
  堀上村
  川場村
  押堀村
    名主御中
      (志賀吾郷著「東金町誌」二六一-二六二頁)
 
(二) 訴状(明治二八年(一八九五))
         原告(四六四名の姓名略)
        右原告総代人   柴太郎左衛門
        右同   人   志賀吾郷
        右同   人   篠原蔵司
        右同   人   米良省三郎
        右同   人   市東由三郎
        右三名訴訟代理人 本間弥三郎
        被告(一五九名の姓名略)
○埋樋改造請求事件の訴
   請求の目的
山辺郡大和村田中地区に於て、大井筋の水流を県道を斜断して被告方に分水する所の百樋と称する樋を
 一、樋長  一丈五尺
 一、口内法 四寸八分
 一、同横  六寸八分
 一、振(ふり)   六尺八寸
 一、勾倍(こうばい)  一間に付四分下り
 一、横口内法の上面より水乗二寸五分
に改造を請求す。
右見積価額金百五十円也。
   請求の原因
本件水路の源に二流あり。一は山辺郡山辺村沓掛谷より出て同郡丘山村山田・小野を経て字駒込に至り埋樋を通し来るもの、一は同郡丘山村滝・丹尾・油井寺の谿間(たにま)より湧出し来るもの。此二流同郡丘山村油井字待橋に至り合して一流となる。之を大井筋と称す。其本流は即ち原告東金町の内、台方・東金・押堀・川場・堀上の田方用水にして其の支流は即ち、大和村田中地内に於て県道を斜断せる樋長一丈五尺、口内法四寸八分、同横六寸八分振六尺八寸勾配(こうばい)一間に付四分下り樋口内法の上面より水乗(みずのり)二寸五分の樋を被告費用にて設け、之より引く所の水は被告福俵の用水なり。之を百樋と称す。而して右樋の改造又は修善を為すに際しては必ず原告の立会を要すべきに、被告は明治二七年(一八九四)一〇月一九日百樋の伏せ在る個所の工事を改造するに当り、原告の立会をも求めず、専檀の処置を為し特に樋口の内法縦横四分以上宛を広め、及び勾配五分三厘の大差を生ぜしめたり。之が為、原告等の水利に莫大なる損失あるを以て、明治二七年一〇月二二日より今日に至る迄被告に対し仕るべく候。
   附属書類表示
一、訴訟代理委任状弐通
  但副本には写を添へず
 明治二八年(一八九五)七月六日
           右原告総代人   柴太郎左衛門
           右原告総代人   志賀吾郷
           右原告訴訟代理人 本間弥三郎
千葉地方裁判所八日市場支部 御中
    一定の申立
 右の次第なるを以て、被告は原告に対し、山辺郡大和村田中地内に於て大井筋の水流を県道を斜断して被告方に引く所の百樋と称する樋を先規の如く長一丈五尺樋口内法四寸八分同横六寸八分振六尺八寸勾配一間に付四分下り樋口内法の上面より水乗二寸五分に原告立会の上被告の費用にて改造すべし。若し被告に於て工事の改造を為さざるときは、原告に於て前記の通り改造し、被告は其費用の全部を支弁すべく、且つ、「百樋に関する工事一切に付ては、関係者たる台方・東金・押堀・川場・堀上の五区は必ず之れに立会ふべき事」及び訴訟費用を負担すべしとの判決相成り度く候也。
 
    一定の申立追加
 明治二八年(ワ)第三五号埋樋改造請求事件に付き、左の如く一定の申立追加致し候。
  被告は其の費用の全部を支弁し、訴訟費用を負担すべしとの間に、
  百樋に関する工事一切に付ては関係者たる台方・東金・押堀・川場・堀上の五区は必ず之れに立会ふべき事
の四拾四字を追加し候。
 明治二八年一〇月一〇日
数回談判に及びしも、被告は言を左右に託して原告の要求に応ぜず。依つて止むを得ず出訴するに至れり。
   証拠方法
一、被告答弁の次第に依り、数多の証書呈し奉る。
               原告総代人 柴太郎左衛門
                     志賀吾郷
                     本間弥三郎
千葉地方裁判所八日市場支部
           御中
  (このことについては
  1 申立状の通り五区は工事に立会うこと
  2 福俵区は工事三日前に通知すること
  3 工事当日承諾していて立会わざる時も工事をすること
  4 工費は福俵の負担とすること
 等が証書・約定証として交換される。)
    (志賀吾郷著「東金町誌」二六七~二七七頁)