小野から、雄蛇池に向かって進むと、左右田であり、やがて右手に小野川があらわれる。
この小野川の水を、一部滝川に流すための施設が、この駒込樋であって、水は田中村(東金市田中)の最西部を流れて滝川に合するのである。
もともと、滝川の水利権は東金・台方・押堀・川場・堀上でこれを保持し、小野川は、大和村山口・田中(東金市)福俵村(東金市)が使用権をもっと考えるのが普通である。ところが、慶長年間(一五九六~一六一四)、百樋を設置して、滝川の水を一部福俵用水としたため、その福俵へ流れる分だけ、小野川の水を滝川に流すようにしたものらしい。
この駒込樋に福俵より水番を出し、百樋の項で説明したように、水番が任務をおこたった場合「三日間のさらし者」という私刑を加えているが、山口区では、
「此駒込樋の普請に就ては、工費の一切を山口が負担し来りしもの」といい、「福俵が割合水を多く使うのは如何なる訳か」ともいって、この樋改造等では兎角争いの種を孕(はら)んでいた。
このように、駒込樋すなわち五十樋は田中にある百樋と深い関わりをもっているのである。
なお、各地区に関係する水のこととて、山口・田中・福俵・東金・台方・押堀・川場・堀上等の駒込樋に関する関心は大きく、各区は互いに連絡しあったもののようである。
参考資料
○拝啓五十樋伏替之儀来五日決行候旨、山口区ヨリ通知之れ有り候間此の段御願申上げ候也。
大正七年(一九一八)四月二日
福俵区長 林栄助印
台方区外四区長
御中
○五十樋改造伏替工事来ル四月五日午前一〇時前ニ起工工事実行致シ候間、立会ヒ参加相成ルベク此ノ段通告ニ及ビ候也。
大正七年四月三日
山武郡大和村山口
工事担任者 飯塚彦兵衛印
台方区外四区
御中
○大正七年四月五日五十樋改造伏替実行豫(かね)テ村長ニ提出シタル設計ニ基キ、午前六時起工、福俵区長外代理者立会ヒ、東金町台方外四区参加臨検ノ上、午後一時工事終了。立会ニ於テ異議ナキヲ表シ、結了ヲ告グ。
大正七年四月五日
山口工事担任者 飯塚彦兵衛
右ハ五十樋伏替工事ノ日誌抄本也
大正七年四月一四日
大和村山口 飯塚彦兵衛印
東金町台方区外四区代表者
前島治平殿
志賀吾郷殿
○駒込樋設計仕様書
第一 土樋材及ビ構造
土肥ハ杉材ニシテ、中径七寸五分位ノ丸太ヲ用ヒ、之ヲ八分二分位ニ挽(ひ)キ割ク、八分ノ方ニ三寸六分ノ穴ヲ貫通シ、二分ノ方ヲ以テ蓋(ふた)トシ之ヲ釘付トス。
第二 樋ノ据付ヱ方
樋頭ノ方ハ土留板ノ厚サ丈ケ四方ヨリ削リ、四角トシ、尚下底ノ丸見ヲ削リ、平面トシ、先例ノ川敷面ト平衡(へいこう)シ、据付ケアル土台面ニ載セ、端(はし)口板ニ喰ヒ込マシメ、樋穴ノ下面ヲ川敷ニ準ゼシメ、樋尻ノ方ハ大枕ヲ振リ立テ、其ノ頭ヘ、樋ノ下底ノ丸見ヲ削リ、其ノ平面ヲ結付ケ、安定ヲ計ル位置方向ハ凡テ前例ニ従ヒ旧樋ニ準ジ据付ケタリ。
第三 流シ
流シ構造ノ材料ハ松厚板ヲ用ヒ敷ヘ小土台三丁上中下三段ニ据ヱ、之レニ打付ケ滝流シ本位ニ基キ、急勾倍ニ据置キタリ。
第四 土留板
土留板ハ総ベテ松厚材ヲ用ヒ摺(すり)合ヲ注意ス。
第五 枕
枕ハ総ベテ杉丸太ニテ末口四寸位ノ材料ヲ用フ。
以上ノ如キ材料及ビ仕様ヲ以テ、別紙図面ノ如キ構成ヲ了セリ。
大正七年四月二十日
大和村山口一二九二番地
飯塚彦兵衛印
台方区外四区代表者
前島治平殿
志賀吾郷殿
(他工事の図面を省く。)
(志賀吾郷著「東金町誌」(二八〇~二八三頁))