(二) 両総用水施設

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 普通、両総用水と言うが、用水事業開始当時には、「農林省両総国営灌漑排水事業」の施設であり、事業所名も、「農林省両総用農業水利事業所」と言った。
 利根川の水を、両総全域に引くということは、至難のことであり、その事業量の膨大さと事業期間の長期に亘るということは、この事業の難点中の難点であった。
 従って、政府では、この二点を理由とし容易に承認しなかったという。
 しかし、九十九里海岸平野の耕地は、古来天水のみが頼りであり、一度旱天が続くと、良田は荒野と化し、雨期ともなれば、土地の高低差のないこの地は水害に見舞われる現状であった。加うるに、利根川沿岸の佐原市近郊は低湿地で年々水禍をうけ、これら農民の辛苦は筆舌に尽し難いものがあった。
 この両総の自然災害を除去するため、利根川沿岸低湿地帯の排水事業と九十九里海岸平野への用水補給事業とを一本化して、「用排水事業」として計画されたものが、この「両総用水」と称されているものである。
 県では、昭和八・九年(一九三三・四)の旱害、続く昭和一五年の大旱ばつに鑑みて、昭和一六年(一九四一)両総全地域の用排水改良実施計画をたて、県会の決議を得た。
 しかし、これは直ちに国の聞き入れるところとならなかったが、農林省もやがて、この事業の必要性を認め、県営事業でなく国営事業として取りくむことになったのである。
 当然、地元四郡(香取郡・匝瑳郡・山武郡・長生郡)五一の町村は結束して、これが実現を要望して行った。
 丁度この頃は、支那事変が拡大し、風雲急をつげている時だったし、遂に昭和一六年(一九四一)一二月には世界を向うに廻して無暴にも大東亜戦に突入した時であった。
 そうした時期にもかかわらず、この事業は、第二次近衛内閣の認めるところとなり、昭和一八年(一九四三)二月、国会の承認を得たのである。
 政府は直ちに農地開発計画を決定し、農地開発営団に本事業の代行を委任した。
 昭和一八年四月二六日、佐原市に事務所を設け、測量・設計の再検討をし、同年七月一二日、起工式を行なって、事業の第一歩に着手したが、戦雲急を告げ、遂に事業の中断をせざるを得なかった。
 昭和二〇年(一九四五)、敗戦。うちつづく悪性インフレ、社会不安は工事の再開に至らず、折角の大事業も頓挫の止むなきに至るかと不安がらせたが、昭和二一年(一九四六)九月になって、公共事業として認められ、五か年完成事業として再開することになった。
 その後、昭和二二年(一九四七)、農地開発営団が閉鎖されて、事業は農林省直轄の国営事業として再出発し、二三年度よりは堅実な進展をみるようになった。
 この間、昭和二一年(一九四六)六月六日には、天皇陛下の行幸と御下問に接し、つづいて昭和二八年(一九五三)には高松宮殿下の御視察を受けた。
 事業は着々と進み、昭和二八年(一九五三)七月一日、事務所を、東金市田間二三〇六番地に移転し、佐原市には支所をおくことになった。
 これは、事業の進捗にともなって、山武・長生のいわゆる南部幹線用水路の工事に移ったからである。
 二一年から五か年の計画も、いつしか、三三年度の完成へと変更されて行った。そして更に三九年度完成へと変わるのである。
 如何にこの事業が難事であったかが理解できるし、大事業という名にふさわしい事業であったかも知ることが出来よう。
 田間の事務所は昭和四〇年(一九六五)一切の工事を完了したためその翌年閉鎖されることになった。
 その後、支線事業、中部排水事業を除く県営事業が続き、両総土地改良事務所の開設等があって、四二年三月に完了し、中部排水事業を含む全県営支線事業は昭和四八年(一九七三)三月まで続いた。
 昭和四八年、「両総用水管理事務所」が東金市田間二二九九番地の二に開所する。
 ここでは完成した両総用水の施設維持管理と、両総支線維持管理について「両総土地改良区」と協力して事業を推進するほか、新たに昭和四五年(一九七〇)八〇〇億円の事業費で昭和六〇年(一九八五)完了を目ざしている「房総導水路」との共同施設管理事業をも併せ行なっている。
 昭和五七年(一九八二)四月現在、管理事務所は職員数一五名、所長岡沢昭、主査目良豊、総務課長中村晴幹、管理課長熊谷隆の諸氏であり、その機構は次の通りである。

 

 この工事は、次の図に示す地域にかかわる。

 

 利根川の水を、佐原市岩ケ崎地先にある第一揚水場で、一秒間に一四・四七立方メートルの水を揚水、これを開渠、隧道、逆サイホン等によって、一旦粟山川に放流する。
 この粟山川の水を山武郡横芝町寺台にある第二揚水機場で、一秒間一一・五〇立方メートルの水を揚水、これを横芝町・松尾町・蓮沼村・成東町・東金市・九十九里町・大網白里町の水田約一五、〇〇〇町歩余の用水補給にして、更に茂原市へ流すようになっている。
 途中、茂原市腰当に第三揚水場を設けている。ここは規模がやや小さく、毎秒〇・七立方キロメートルの揚水になっている。
 佐原から、茂原まで約八〇キロメートルでこの間隧道五八か所、その総延長一三キロメートルで、東金隧道の二・八二一キロメートルが最も長い。
 東金市内通過に当たっては、成東町姫島西山麓を通って、家之子の橋梁を渡る。これが、家之子妙宣寺の裏山をくぐって道庭の裏側に出て、松之郷地籍を通り、平蔵台の西側を流れて、金谷・後谷の水田を横切って、東金隧道に連なる。東金の丘陵地帯をくぐりぬけるのであるが、日吉神社附近の地底を通って、大豆谷に出て、台方・田中・山口を通って、大網白里町の道塚・大竹・駒込と南下するのである。
 東金市田間地籍には、分水工がある。これが往昔の堰に相当するものと考えられるが、ここでは、道庭地区・豊成地区・田間地区の灌漑のため三方に水をわけるようにした円筒形の分水工である。
 東金耕地には、水路が縦横に準備され、流水時には、それらの水路を通って、利根川の水が水田を潤おしている。

 


 

参考資料
 
○両総用水市町村別受益面積
 
ha ha ha
佐原市 999.65 423.98 1,423.65
大栄町 277.91 0.60 278.51
神崎町 203.81 33.12 236.93
栗源町 81.34 81.34
多古町 1,059.00 1,059.00
八日市場市 456.61 456.61
光町 582.75 582.75
東金市 2,640.71 955.35 3,596.06
横芝町 1,323.58 767.55 2,091.13
松尾町 141.84 141.84
成東町 668.13 530.42 1,198.55
九十九里町 354.88 275.46 630.34
大網白里町 1,439.24 834.44 2,273.68
蓮沼村 340.60 265.20 605.80
本納町(茂原市) 671.35 516.10 1,187.45
白子町 328.28 302.22 630.50
茂原市 1,447.67 807.88 2,255.55
長生村 522.33 632.53 1,154.86
13,539.68 6,344.85 19,884.53

 
○年度別事業費
  年度別決算 年度迄累計
昭18 58,124.00 58,124.00
 19 436,859.00 494,983.00
 20 394,073.34 889,056.34
 21 2,078,000.03 2,967,056.37
 22 19,749,505.63 22,716,562.00
 23 84,562,892.51 107,279,454.51
 24 124,212,217.04 231,491,671.55
 25 605,372,332.55 536,863,994.10
 26 450,961,101.00 1,289,825,095.10
 27 438,821,658.00 1,726,646,753.10
 28 404,983,596.00 2,131,630,349.10
 29 483,541,024.00 2,615,171,373.10
 30 420,982,040.00 3,036,153,413.10
 31 363,389,719.00 3,399,543,132.10
 32 340,074,023.00 3,739,617,155.10
 33 341,036,464.00 4,080,653,619.10
 34 296,095,136.00 4,376,748,755.10
 35 292,649,831.00 4,669,398,586.10
 36 327,274,403.00 4,996,672,989.10
 37 379,950,607.00 5,376,623,596.10
 38 392,206,742.00 5,768,830,338.10
 39 258,384,464.00 6,027,214,802.10
 40 21,600,854.00 6,048,815,656.10