「山武郡郷土誌」によると、
「松之郷にあり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をまつる。伝へ云ふ、正応二年(一八二九)久我台城主北条久時、鬼門鎮護の為めはじめてまつる所なりと。古は祇園牛頭(ぎおんごず)天王祠と称し、松岸山本松寺の管する所たりしが、明治の世に至り、八坂神社と改称し村社に列せらる。境内広濶(こうかつ)にして老杉蓊蔚として繁茂し、桜樹其の間を点綴(てんてつ)す。」(三〇六頁)
と述べられている。
この八坂神社の本殿について、昭和五七年(一九八二)一二月二日、千葉県文化財保護協会理事長小川政吉氏の調査書が出されている。これによると、伝に云う正応年間の建築ではあるが、江戸中期に再建されたものであるので、その構架材や手法から見て江戸中期の地方社殿建築の推移研究の上に貴重な存在であることを認めている。
八坂神社本殿
以下はその報告全文である。
一、極観
松之郷集落の天王様としてあがめられてきたこのやしろは、氏子の民家を門前にひかえ、横長(よこなが)型の拝殿の後方数メートルの地に独立して本殿が建てられており、社殿配置の上では、一応、古い平面プランの残映がみられる。
二、本殿の構架
本殿を護ってきた覆屋は、明治二七年(一八九四)の改築であり、木割・規模ともに雄大である。本殿は、一間社の流(ながれ)造りで、〓葺(こけらぶ)き・二重〓(たるき)・背(せ)返しの繁〓(はんすい)で、唐破(はふ)風の向拝(ごはい)がついている。向拝柱は径一七・五センチの唐戸面取りの角柱で、麻の葉文様(もんよう)の彫刻が施してある。
柱上には木鼻(きばな)をつけ、向拝柱と本殿側柱とをつなぐ海老虹梁(えびこうりょう)は力強く、手挟みには、菊と人物の彫物が施してある。
正面の水引(みずひき)虹梁の眉欠きは、やや幅ひろく中央に付架した蟇股(ひきまた)は武州の棟梁(とうりょう)、高松国貞の作であることが刻銘(こくめい)で今回明らかにされた。
向拝柱下は、浜床(はまゆか)につくり、木造階段は五級である。踏面は一八センチ、蹴上(けあ)げは一三センチで、左右につけた登高欄(とうこうらん)には、逆蓮柱がつけてある。
本殿の円柱は、径二二センチ、床高は一三七センチで、回縁は幅八五センチ、和様の高欄がつき、脇障子は高さ一五四センチ、幅六五センチである。
この本殿の桁行(けたゆき)は、二・一四メートル、梁間は、一・九五メートルで、各柱間は正面をのぞき、すべて横板囲いである。
本殿を構成する円柱(床下は八面取り)には、引目長押(ひきめなげし)・内法長押(うちのりなげし)が打たれ、台輪をのせ、その上部の桁と軒桁との間には、蛇腹(じゃばら)支輪をつけ、和様の二手先で軒を支えている。
正面の入口は、二一四センチ幅に桟唐戸をつけ、この内法は一二四センチである。
妻構架は、二重虹梁蟇股式であるが、上部梁の中央合掌の棟木を支える束の代りに、鬼形の動物彫刻を使用している。
内部は一部空間とし、天井は格天井、床は拭板敷きである。
注、内部には、大正一二年(一九二三)氏子奉納の鏡と明治二七年(一八九四)四月一二日再興した現在の覆屋の棟札があるのみで、本殿改築の棟札(むなふだ)は見当らなかった。
三、本殿の改築年代について
この八坂神社の創祀(し)は、鎌倉末期といわれ、元禄年間に祝融(しゅくゆう)の難(火災のこと)に遭遇したと社伝にはつたえられているのみで、それを裏付ける文献、棟札等も確認されていない。
さり乍(なが)ら、本殿を構成する構架材のうち、水引虹梁の眉欠き、木鼻、蟇股、海老虹梁および妻構架等の手法から見て、元禄年間から享保ごろに至る間に改築されたものと推定されよう。
江戸中期の社殿建築は、市内では数も少く、地方社殿建築の推移を考察する上に貴重であり、将来に於ける管理保護にも留意をのぞみたいものである。」
△八坂神社の神使(牛の石像)
八坂神社の拝殿と本殿の階の下の左右に一対ずつ計四頭の牛の石像がある。このうち、拝殿の前にある一対のほうが古く、寛保三年(一七四三)に九十九里粟生村の飯高十郎右衛門他四名によって寄進されたものである。ところで、神使(「しんし」または「じんし」とよむ)というのは、神の使者ということで、その神に縁故のある鳥獣や虫魚のたぐいをさす。たとえば、春日明神の鹿、八幡神の鳩、稲荷神の狐、日吉神の猿のごときもので、八坂神社のばあいは牛である。つまり、神の神聖がやどる神聖な生きもので、信仰の対象となっているのである。八坂神社と牛の結びっきについては、素戔鳴尊が姉の天照大神の怒りにふれて、高天原を追われ出雲国へ逃げる時、牛に乗って逃げたという伝説にもとづいているのである。それによって、牛を神聖視し、牛の絵馬を奉納したり、牛の石像を寄進したりする風習を生じたのである。八坂神社の氏子地域では、牛を食べることはもちろん、牛を飼うことさえタブーとする風習があったのである。
付記
八坂神社については、本巻「宗教篇」の神社の項を参照されたい。