大黒天像(最福寺蔵)

824 ~ 825 / 1145ページ
 「東金町誌」(志賀吾郷著)最福寺の項に、寺宝として「大黒天像--運慶作、一品親王台徳院殿尊信の像」(六三頁)とだけ記されている。
 最福寺女坂の正面にある大黒天堂に安置されているが、大黒天像は七〇センチであって、オレンジ色に彩色された米俵の上に水に浮く蓮の葉の上に像は立っている。
 大黒天は銅色にぬられ、参詣者をじっと見つめる目は厳しくもあるが温やかさも秘めている。木造である。
 先ず、「大黒天」という仏は、梵語の「摩阿迦羅」で訳して「大黒天神」というそうであるが、三法を愛し、五界を守り、飲食を豊かにする厨の神であると同時に、久成如来で貧しい衆生に大福をもたらす菩薩であり、又戦闘の神としてもあがめられている。従って、私たちのよく耳にする大黒様ではない。
 その形は、「青雲黒色で、八つの臂があってそれぞれ異った杖をもっているというし、ドクロを貫穿して瓔珞(ようらく)とし、大忿怒(ふんぬ)の形相をしているという。その足下には地神妖があって、大黒天の両足を、その手に受けている。」と辞典などには説明されている。とすると、「一品親王台徳院殿尊信の像」という説明がわからないが。
 なお、製作者といわれる運慶は、仏工系譜によれば

 

となっており、鎌倉時代の仏工として名の高い者で、運慶作の東寺南大門二王東方金剛力士像や、東大寺の四天、辰巳方多門天、東福寺の山門、一六羅漢等々は皆国宝又は重要文化財として保存されている。
 その生誕年が明らかでないが、安元二年(一一七六)に円成寺の大日如来像を、正治三年(一二〇三)に東大寺の木造金剛力士像を、承元三年(一二〇九)には興福寺の弥勒、無著世親像をつくっている。別に雲慶とも書き、備中法印ともいわれ貞応二年(一二二三)一二月に死すと歴史年表に記載されている。ただし、年齢は不詳である。

大黒天像