その昔文明年間(一四六九-一四八六)に赤人塚付近にあった閻魔堂に安置されていたが、酒井氏の長享年間(一四八七-一四八八)の改宗令の際に、破壊をまぬがれるために、一時土中に埋められたという。それが、寛文年間(一六六一-一六七二)に、土地の人によって掘り出され法光寺に安置されたものといい伝えられている。
像の高さ 六六センチメートル、杉材製で前後に竪の材をはぎ合わせてあり、右手はなくもとは彩色されていたようだが今は木地がでている姿はすさまじい冥府の王を表しながらも表情にも体勢にも激しさはなく、簡素で穏やかさが認められる。全体の技法から、室町期彫刻の特色がにじみ出ているもので、市内最古の像と考えられている。
昭和五六年(一九八一)五月一五日有形文化財として、東金市の指定をうけた。
閻魔王座像