この妙宣寺は、応永二四年(一四一七)の開山創建であり、御朱印三万六千六百石を有する巨刹といわれたが、弘化四年(一八四七)家の子の大火に遭い、七堂悉く焼失し、現在の堂宇はその後再建されたものである。仁王門の再建の年時は詳かではないが、寺では弘化四年の大火のあと直ちに作成されたであろうと語っている。
仁王門
なお、仁王尊は、護良親王の守護神であったといわれ、華蔵姫も厚く信仰されたと略縁起に記載されている点から考えると、開山当初より、この金剛力士像は寺を守護する形で安置されていたのであろうと予測されるが、その道の専門家鑑定では、「江戸中期の作」ではなかろうかということである。密閉した室に安置してあるのでなく、風化の可能性高い格子張りの仁王門に立っているだけに、幾度かの修復を経て現存の仁王尊に至っているのではなかろうか。
創建以来、今日まで、善男善女の信仰を集めてきた仁王尊については、幾多の利生物語が伝えられ、たとえば、いぼに悩んだが信仰したらとれた。子供が弱かったが信仰したら丈夫になった。悪運に苦しんだが信仰の結果開運した。病気で困ったが信仰していて全治した、というような話が数多く残されており、「いぼ取り仁王」「子育て仁王」「開運除病の仁王」ともよばれて、例月一六日の仁王尊祭礼日、四月八日の釈尊降誕花祭、七月一日の華蔵姫供養会その他の年中祭礼日には大勢の人々が仁王尊に参拝し、境内はたいへんな賑わいを見せている。
仁王尊
なお、寺内には心願成就の信徒達が献じた絵馬が、数多く、掲存されている。
なお、仁王について、「国史大辞典」は次のように説明している。
「仁王は仏法守護の神、多くは寺門の南側に其の像を造りて安置せり。所謂(いわゆる)金剛神なり。普通金剛力士といふ。一に二王に作る。真俗雑記問答抄に「諸寺門、立二金剛力士一、事問何、答、金剛力士経云、右方持レ杵、云二金剛一、左方無二持物一、云二力士一哉。二尊通、云二金剛力士一矣。」とあり。経説によれば、一人なれども二人となし、共に金剛力士と云へり。我国にては、古く良弁の作といはるる執金剛神あり。即ち仁王と同神なり、後世二神となし、「阿云(アウン)」の二音を示すものといへり。」
付記
妙宣寺については本巻「宗教篇」寺院の項を参照されたい。