関寛斎遺品(東金市蔵)

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 北海道足寄郡陸別町で、町の恩人として、神とあがめ、十勝開拓史に一異彩を放つ関寛斎は、東金市東中吉井佐兵衛の長男として生まれた。そして、同じ東金市前之内関素寿の養嗣子となり、佐倉順天堂に学び医師としての修業を積んで帰郷して開業。その後銚子に出て浜口梧稜の援助のもとに長崎に出てオランダ医師として著名だったポンペに蘭医を学び、徳島蜂須賀侯の侍医となる。維新の折には東征野戦病院長として活躍し、山梨県立病院長を経て徳島に開業。七〇歳の折四男又一と共に斗満の原野に入り、悪戦苦闘その開拓に成功、八二歳の時自らの手で波乱の生涯を閉じた。
 その偉業は、徳富蘆花・司馬遼太郎・戸石四郎・川崎己三郎・鈴木勝・米本晃太郎・佐藤正吾の諸氏によって紹介され、陸別町白里グループはその埋れている資料の発掘と伝記の研究に懸命である。
 この関寛斎の遺品が翁の孫で東京都世田谷区に住む関静吉氏、石野正雄氏、東金市の吉井宏氏および君塚卓氏より東金市に寄贈され、市の財産として東金図書館に保管されているが、やがて、郷土資料館建設の折には、貴重な資料として、資料館に永く保管されるであろう。その遺品目録は次の通りである。(東金図書館発行「関寛斎遺品目録」による。)
 
1 東金市所有遺品
 ○自筆虎列刺私考補
 ○自筆奥州出張病院日記
 ○〃 医書
 ○〃 辞世二首(短冊)
 ○〃 死後の希望二首(短冊)
 ○〃 亡妻の白骨に手向けて他二首(短冊)
 ○翁愛用の書画神明宮の軸
 ○〃    大龍公真影軸
 ○〃    蜂須賀茂韶の書
 ○徳富蘆花の和歌一首
 ○〃   の書簡
 ○翁愛用の書蜂須賀斉裕侯和歌他
 ○〃    蜂須賀茂韶侯和歌他
 ○〃    蜂須賀総子和歌二首
 ○〃    五友山樵の書
 ○翁愛用の合作書画
 ○佐瀬春圃の書
 ○翁着用の五つ紋付夏衣
 ○翁愛用のふくさ
 ○〃   文鎮・水さし・水盤・茶こぼし
 ○〃   輪島塗りお膳・茶碗・菓子皿
 ○翁愛用の煙草盆・棗・野立用茶函・茶壺
 ○〃   木製薬研
 ○〃   鳴門の渦潮額一枚
2 東中吉井宏氏蔵
 ○関老夫婦の扇面の書二枚
 ○寛斎愛用の手あぶり
 この他関係の書画・愛用の図書・什器・写真等々もあるが、自筆の図書、辞世hb
 また、木製薬研はすばらしいものであって、その貴重性は高く評価されている。
 付記
  関寛斎については、本巻「人物篇」を参照されたい。

奥羽出張病院の旗


関寛斎の著述